経済を中心に見たイタリア社会

第246回 イタリア研究会 2000-12-04

経済を中心に見たイタリア社会

報告者:前イタリア大使 瀬木 博基


第246回イタリア研究会(2000年12月4日 六本木・国際文化会館)

瀬木 博基 前イタリア大使

「経済を中心に見たイタリア社会」


司会それでは第246回イタリア研究会を始めたいと思います。

今日の講師は前のイタリア大使の瀬木博基さんです。外務省でニューヨーク、それから中国などの勤務をされたということは伺っているので元慶応大学の松浦保先生がいらっしゃいますので、一言お願いします。 松浦私の親友が教育大の付属で、小学校、中学校、高等学校、と瀬木氏と一緒だったのですが、この前遊びに来て、瀬木大使、彼は僕の本当の友達だよと。その藤岡さんですが、前の原子力委員会委員長で、埼玉大学の学長をやった方の息子さんなのですが、本当の親友なので、だから古いというよりは大使と親しく、これからも親しくさせて頂けるのだろうと思っております。ただ大使が非常に優秀な外交官であるということは、前の大使の英正道君が私の同級生でしたら、そういう意味で英君からいろいろ話を聞いておりました。ちょうど英君がニューヨークの総領事をなさった後、瀬木大使がなさいまして、その次また、イタリアの大使に英君の後、後任をお引き受けになって、いろいろおうわさは聞いております。大使、よろしくお願い致します。> 瀬木瀬木です。私は「イタリアの経済の前途」という話にしようと思っていましたが「経済を中心にしたイタリア社会」ということになっています。しかし私の考えとして、経済というものだけで成り立つ人間の活動はあり得ないと思っているのです。経済であろうと、文化であろうと、政治であろうと、それぞれの活動は人間の活動の中の一部分でしかないわけです。ですから今日は皆さんがたに、私が見たイタリアというものを、経済のところから切ってみて考えるということをしてみたいと思うわけです。

私がイタリアにおりましたのは97年9月から2000年6月まで、およそ3年間、2年9ヶ月でありましたけれども、この中であらゆる現象の中で、私は一番重要なことは、イタリアがユーロに加入したということだと思います。それは、単に私がいたこの3年間であるのみならず、このおよそ10年間のイタリアの経済だけではなくて、政治も、社会も、ほとんどのものを規定したのは、このイタリアがユーロに入ろうとした、そして入ったということであると思っています。 

今日、イタリアの政治というものを見てみれば、あいかわらず与党が9党、野党が7党なのですが、私の時は与党が13党ありました。それが内部分裂につぐ内部分裂をやって、いろいろ毎日新聞をにぎあわせていますが、よく調べてみると、与党も野党も言っていることはほとんど変わらないのですね。それが何が変わるかというと、誰が政権を担うかということであって、結局ユーロというものの中に入っていこうとするイタリア、そして入ってしまったイタリアの中で、選択の余地と幅というのは、そう大きなものがあるはずがないということであります。同様に、社会についても経済についても、イタリアは、やはりユーロという1つの規律の中にはまっていけば、やはり大きな幅はない。そこで出てきたのが、改革をしなければならないということであったと思います。私がいる98年の5月、ユーロの加盟国が決まり、それで99年からユーロというものとして発足したわけでありますが、この加盟の歴史というものを見ると、イタリアにとっての道は険しかったと思います。92年、この年にマースリヒト条約というものが締結されて、イタリアはこれに加盟しました。これが加盟した国が、結局はユーロの第1陣ということになって、第2陣の今度入るギリシャとちょっと区別されるし、それ以外に入らないという国は、加入しなかったわけですが、そこでイタリアはもうこれ以上待ったなし、決めた以上は加入に向かって努力していくということになったのだろうと思います。


この92年というのは、イタリアの歴史にとって、分岐点になるような重要な年であったと思います。20世紀のイタリアの歴史を見てみれば、いくつかの重要な点がもちろんありましたが戦後の中で、1番大きな歴史は92年に刻まれたと思います。92年が、イタリアの政治にとって重要な点はいうまでもなく、タンジェントポリが暴露され、これによってここから検察とマスコミの厳しい追及にあって、イタリアのそれまで政治をつかさどっていたキリスト教民主党と社会党の体制が崩壊することになるのです。この崩壊と共に、それまで行われていたイタリアのいわゆるばらまき政治、これがどうしてばらまき政治となったか、またこれは決して悪いことばかりではないということは後でお話したいと思うのですが、それの1つの終焉になるわけであります。もう1つの大きなことは、イタリアがEMUすなわちヨーロッパ通貨同盟から離脱せざるを得なかった年であります。この年はヨーロッパの通貨が、為替市場が大変荒れた。リラだけでなく、ポンドも離脱を余儀なくされたわけでありますが、これはイタリア人にとっては、心理的にも大きな屈辱感を味わった年だったと思います。しかして、この先程申し上げましたタンジェントポリの暴露とともに、政党がそれまでの長い政治をつかさどっていた与党が崩壊するということで、ばらまき政治がなくなったと言うことを申しましたが、そのばらまき政治の終焉と言うのは単に政治だけの問題、政党がつぶれたと言うだけではないわけです。財政上のこれまで積み重ねてきた、無理を重ねた債務が耐えられなくなるほど増えてきた。GDPの120%以上の債務が、その時までに積もってきたわけであります。これ以上の債務を積み重ねることは、イタリア経済としても、イタリアの財政としても、不可能であります。しかしてマースリヒト条約に入ったということによって、これを増やすことができないのみならず、減らしていくということを義務づけられた。 したがって、92年からのユーロ加入へ向かっていくイタリアの政治、イタリアの経済、社会というものは、大きく変わっていかざるをえないし、変わっていったわけです。これを引き継いだいわゆるテクニカル内閣。そしてオリーブの木。そして現在の中道左派政権は、いずれもこのユーロに入るために、いかにして国の財政を健全化させていくか、そしてその中の枠の中で、どういう仕掛けを行なっていくかということに腐心をする。そしてまたイタリアの社会、経済は、その中でどうやって改革をしていくか、歴史であります。私自身もちょうど加入決定の終わり頃にいたわけなのですが、私が行きました当初はイタリアを含めてユーロの国がどこになるのかということがまだ決まっておらずイタリアの世論も、ヨーロッパの世論も、どこがユーロの中に入るのか。入るべきでないのかと言う議論が大変盛り上がった時期であります。私自身非常によく覚えているのですが、98年の初めのころに、ある会合に行きました時、時のチャンピ国庫大臣、国庫大臣というのは、ご存じのように、日本の大蔵大臣のうちのお金を出す方、歳出をやる方の大臣が国庫大臣で、歳入、すなわち国税庁長官みたいな人がイタリアでは大蔵大臣になっていますが、その国庫大臣であったチャンピさんが現れて、いかにイタリアはユーロに入る資格があるかという大演説をぶったわけです。聴衆のほとんどはイタリア人で、後の残り若干が私みたいな大使などですが、その時の熱気を今でも非常によく感じます。イタリアのある人が、日頃非常に冷静な人ですけども、自分の国を誇りに思った事はない。これまで払ってきたイタリアの犠牲というものが、イタリア人はやればやれるのだということを見せたということを、自分は非常に誇りに思っていると、大演説をぶった。そしてここまで引っ張ってくれたチャンピさん、あなたこそ大統領になる資格があると言ったのですね。そうか、次の大統領はチャンピさんかななんて思ったのは、その時なのですが、私もそこに負けずにちょっと1つごますってやろうと思って、手を挙げて、私も部外者であるけれども、イタリアにぜひユーロに入ってもらわなければならんと思っています。なんとなれば、私は実はその少し前に東京に帰って、総理大臣を話をしたり、それから経団連で話をした時に、イタリアは間違いなくユーロに入りますと、第1陣で問題なく入りますと言ったのです。そういった手前、入ってくれないと私の信用にかかわるからぜひイタリアに入ってもらいたいと言ったら、みなさんのの大拍手を浴びて、それ以来、私は大変評判よくなったということも覚えています。イタリアがユーロにもちろん第1陣で入るわけですが、なぜこれほどまでに苦労して、イタリアはユーロに入ったのでしょうか。私はその話をイタリアの、そのころまでにはすでに非常に仲良くなっていた総理大臣外交問題補佐官の人とじっくり話をしたことがあるのです。彼は、あらゆる外交問題をやっていて、私と一緒に日本に、プローディ首相が日本に来たときに一緒に来た人なのですが、彼はそういう一般的な外交問題をやる以外に、ユーロ加入の為にいかにイタリアは資格があるかということを、大蔵省次官と一緒にEU中を行脚していました。その彼を捕まえて話をしたのですが、彼曰く、イタリアにとっては92年もそうだったし、その後もユーロに入らないというチョイスはないのだと。イタリア人にとっては、イタリアがヨーロッパの外に,EUの外にいるということは、とても耐えられることではない。経済的な問題もあるだろう。しかしそれはそんなものではなくて、心理的に自分たちはやはりもともとヨーロッパを作ったローマ人の末裔であるということからもあるし、逆に言えば、イタリアがヨーロッパの外にいるということは、非常な悪夢であって、そんなことはイタリア人は考えることができない、と言っていました。 しかして彼はさらに私に言っているのは、でも自分がいろいろなところに行って、イタリアはいかにユーロに入る資格があるのかという話をすると、随分いやな思いもする。屈辱の繰り返しであるということも言っていました。イタリア人の心理というものは、ヨーロッパの中における屈辱の歴史を反映しているのだということも言っていました。この話はのちほどまた申し上げたいと思います。もちろんそれ以外にもいろいろな考えはあります。イタリアの大衆レベルで話をすると、イタリアが、ヨーロッパの外にいるなんて考えられないということにおいては、いわゆる政策を決めているような人達と同じ意見を持ちながらも、ローマよりブラッセルの方がよほど信用できるからねと言う人もいる。ですから早くリラなどなくしてユーロにした方がずっとイタリア人の為になるのだよと、少しシニカルな見方を言う人もいました。97年、98年というのを見てみますと、イタリアの中では、与党、野党問わず、また裕福層、貧困層問わず、ユーロに対する支持のコンセンサスがあったと思います。事実、世論調査をしますと、EUの中で最もユーロに支持が高かったのはイタリアであった。


最近の調査を見てみると、実はおもしろいことは、この支持はちょっと冷めてまして、全体の今ユーロ加盟国の中でイタリアの支持はおよそ真ん中くらいであるという統計が、最近出ておりました。の次の問題を私があげたいと思いますのは、ユーロの加盟ということで、当然のことながら、財政の健全化を図っていくということになると、歳出を減らす、そして歳入を増やす。すなわち予算は縮小するけれども、税金は高くとるということになるわけです。それにもかかわらず、経済成長が低成長にはなっても、マイナスにならなかったというおもしろい歴史があります。これが92年から98年までずっと続いているわけです。これは日本人にとって重要であるということは、日本の場合長い不況の間に、景気回復の為には財政の赤字はあってもいいことに疑問が少ないわけです。それのみならず、この1度盛り上がった景気が、財政のために歳出を縮めて、税金をよけいに取ったためににせっかく回復しかけた景気がこれによってつぶされたともいわれています。このため日本では不景気のさなかに、財政を健全化することはほとんど今禁句になっています。それが今自民党と民主党の間の論争の種でもあるわけですけれども。イタリアがユーロに入るために不況をおかして財政を健全化してきたということは、イタリアという非常に特殊な条件のもとで可能であったという一面はたしかにあると思います。1つは、どうしてもこのユーロに入るためには、120%を超えていたのではないかと思われた累積赤字を60%まで下げなくてはいけない、年間の赤字をGDPの3%までにしなくてはならないという決まりがマースリヒト条約にあるわけです。もう1つはインフレ率があるのですが、それはおいておいて、その財政赤字について60%の方は実は若干抜け道があるのですが、3%の方については全く抜け道がない。そこでイタリアは年間10%を越えるようなGDPの赤字を3%まで縮めていくということを義務づけられた。これを92年から6年間のうちにやらなければならない。これは大変なことであります。


今日本はイタリアのその時の赤字よりももっと大きな赤字を出しているわけで、我が身をもって分かるところであります。しかしてイタリアは、この義務を負った時に、イタリア人でも本当にできるのかなと思っていた人もいるし、ヨーロッパ、EUの中の国、特にドイツとかオランダとかは、絶対やれるわけないと見ていたと思うのです。しかし経済というのは1度そういう決断が下され、端緒が切られると非常にいい回転が進んで行くということの大きな実験が、イタリアにおいて行われたと思います。実際に福祉であるとか、年金であるとかというものの改革が行われ、3回行われたわけですが、そしてそれによって、福祉年金予算というものが切られ、いろいろな予算が少しずつ少しずつ切られていったわけです。うするとどういうことが起こるか。当然のことながら、借金が少なくなる。国債の量が減るわけです。そうするとそれだけ国債金利支払い歳出が減る。経済というのはおもしろいもので、今までたくさん垂れ流しのように出していた国債を、切っていくと、国債の価値が上がってくる。価値が上がるということはどういうことかというと、値段が上がる。値段が上がるということは、金利が下がるということです。そこで、イタリア政府は、利払いが少なくてすむようになってきた。実はイタリアがいまだにこの恩恵を受けているのです。もう1つは、イタリアがユーロに入るということになった時に、さきほど申し上げました92年のヨーロッパ通貨同盟から離脱したことによって、イタリアのリラの価値が下がったわけです。しかしユーロに入れば、イタリアのリラもユーロと同じ価値を持つということをイタリア政府が約束したということになれば、リラを高い金利でもって支える必要もなくなったということであります。そういうことから、両方の意味で、イタリア政府は高い金利を払う必要がなくなったということが、イタリアの財政をよくする大きな原因であったわけです。さらにもう1つあります。イタリアは80年代、非常にだらしなかったがゆえに、非常に国に資産を、国営企業の形でたくさん持っているわけです。70年、80年代にイタリアは多くの企業がほとんど立ちいかなくなると、ただちにこれを国営化して、そのイリという機構の傘下にいろいろな会社が入りました。しかしてこの92年のマースリヒト条約に向かって進むという時に、イタリア政府は今まで持っていた資産を民営化し、売るという決断をしたわけです。オリーブの木の時に首相になったプロディさんが、このイリの総裁をやっていたことも幸いしました。その国営化になった会社には、イタリアを代表するような石油会社のエニ、アリタリア航空、テレコムイタリア、それから多くの銀行。その後、アエロポルトディローマというのもこの中のひとつです。おもしろかったのは、私がイタリアに到着した時に、まだアエロポルトディローマは国営企業だったのですが、ローマ空港は非常に暗いので、どうも憂鬱な空港だなと思っていたのが、私が帰るころには非常にモダンな非常にきれいな空港になりました。これもやはり民営化というものが企業を活性化させるかということが、絵にかいたようにわかるような例です。それからその他にも電力会社であるエネルとか、高速のアウトストラーダがあります。して、そういう民営化されるということはもちろん、国が持っていた株を売り出すわけですから、一体誰が買うのか。まさに国民であります。国債が減る中でイタリア人のように、我々日本人と同じように、貯蓄率の高い人は、今まで国債に出していたお金を、新しく民営化された企業の株を買うということで、非常にいい形でお金が回り出した。それまでミラノの株式市場というのは、ローカルな、国際金融上ほとんど相手にされないような市場であったものが、その民営化をきっかけにして、株式市場として非常に活発化した。今でも不完全というか、ヨーロッパの中で、イタリアほどの経済力があれば、もっともっと大きな市場であっていいはずなのですが、それでも私がいる間に、スイスの市場を抜き、オランダのアムステルダムの市場を抜き、ヨーロッパの中でロンドン、パリ、フランクフルト、その次に、4番目になったくらい成長していました。そういう意味で、低成長ではあるけれど、マイナスにならなくて、イタリアがユーロに入るまでに至ったのではないかと思います。


日本でも似たような例を考えると国営企業で、民営化された極めて数少ないのがNTTですね。そのNTTの資金が、いかに無駄に使われたかという話が今日の新聞に出ていましたけれど、多少の感慨を持ちます。 て、そういうわけでイタリアは、ユーロに入ることができたわけですが、イタリアがユーロに入ることについて批判的であったドイツとかオランダでは、イタリアが入るには相当無理している、無理しているのみならず、かなりインチキしているのではないかという批判が新聞などにずいぶん出ました。確かにイタリアでは税金をユーロに入るために、前払いしてユーロに入ればそれを払い戻す制度を作りました。しかしながら実際にはイタリアは98年の5月に赤字のGDPに占める比率3%を下回り、2.7%で加入した上にその後も率を非常に下げて、今年は1.3%、来年の見通しは1%と、約束どおり、確か2006年だったと思いますけれど、0%にするという公約に向かって、非常に着実に進んでおります。他方、イタリアの経済は、昨年あたりから、ユーロ安が非常に有効に働いて貿易が増える。それが景気の回復に役に立つということもあって、現在2.8%というくらいのスピードで走っているということであります。来年も恐らくそれを上回るというふうに見通されております。ういうように、ユーロに入った後も、財政状態は非常にいいし、しかしまた景気も悪くないという状態でありますが、そういうことでありますと、いよいよもって、イタリアが最も深刻に抱えている経済問題に取り組むべき時期に来ているわけであります。ある意味では、「ユーロに入る」という国を挙げての大命題のもとに、やや無視され先送りしてきた問題であります。逆に言えば、こういう深刻な問題を先送りにしてでもユーロに入らなくてはいけないのだと思ったイタリア国民というのは、私は実に立派であると思います。


第1番 しかしてこの深刻な問題というものの第1番目は、失業問題。イタリアの失業問題というのは古くして新しい問題と言っていいのだろうと思います。現在の失業率というのは、全体で10.5%ということであります。これはOECD加盟国の中で2番目に高い率で、EUの中でイタリアより高いところはギリシャだけなのではないかと思います。しかもこの失業率では、そうはいってもヨーロッパとして、共通の問題でももちろんあるわけですが、特にイタリアについての特徴は、地域的なばらつきがものすごく大きいということなのですね。ヨーロッパの失業の中で、失業の率は同じであっても、これだけ地域的な差があるというのはイタリアだけであると私は思います。東西ドイツは別の例ですがそれは言うまでもなく、南北問題でイタリアの長い半島の北と南がまったく就職問題においては、天地ほど違うという状態です。北の失業というのは5%くらいであると言われています。低いところでは3%というところもあるそうです。3%の地域というのは、世界で一番低いような失業率ですね。そこにいくと、南部に下りると、だいたい20%、南部でもいろいろなところがありますが、その南部の中の青少年と言われる人達は50%くらいの失業率であります。これがゆえに、南の人と北の人というのは、同じ国の人であると思われないくらい、お互いの感覚が違うと言うのが、皆さんご存じのことであります。



2番目 北の人は、イタリアの南のことを指して、あれはアフリカだというのですね。アフリカだと言うそのアフリカというのは、いい意味はないのでありましょう。私はローマに住んでいる人と自動車で旅行した時もありますけども、ラツィオ、カンパーニャの州境のところへ来た時ここからアフリカが始まる、とこう言うのですね。なるほどここからかと思いましたが、そういうことを平気で言うわけであります。イタリアの、戦前もそうであったし、戦後のまさにばらまき政治と言われたものの根本に地域間の是正というものが、政治の最大の課題にならざるを得ないということになるわけで、ここに中央政府の役割が期待されざるを得ないということだろうと思います。ここに逆に言うと、タンジェントポリみたいなものが現れたわけであります。しかしてそれでは、同じイタリア人、日本でもよくある農村から東京に出てくると同じように、移ったらいいではないかということでありますが、これは日本でもそう簡単に人が移動できないように、イタリアも同様なのだと思います。イタリアの50年代の非常に名画で、『ロッコとその兄弟』というのをご覧になった人おられると思いますが、あれも南部のイタリアの人が北に移って、若者がいかに苦労するかということのお話しだったと思いますし、最近私が帰って来てから見たNHKのワールドドキュメントの特集の中に、プーリアの主婦が農業労働者としていかに苦労しているかと言う話がありましたけれども、それを見ても、日本の観光者が行くような世界とは別の世界がイタリアの中にもあるのだなということを、私も実感したわけです。いったいどうして南部が貧乏なのかということを考えると、これはなかなか難しい問題であると思いますが、イタリアの南部がもともと常に貧乏であったわけではないのだと思います。ローマ帝国の歴史を見ても、南部というか、シシリアとか、穀物の非常に宝庫であるということになっていますし、それからノルマン王朝も南部を支配したときに、非常に豊かな王朝であったわけです。その後の歴史というもの、そして結局私が思うに、大西洋というものが開かれ、航路が開かれると、結局アメリカとヨーロッパの関係が強化されます。それによって、地中海の役割というものが、経済の中で小さくなる。そしてまた地中海を囲む国々、アフリカの国、それからバルカン半島、さらにはギリシャとかトルコとか、そういう国々が昔の栄光を失っていくという過程で地中海というものの経済的な意味が非常に少なくなったという大きな枠組の中で、イタリアの南部というものが、力を失っていったと自分では思っています。そうなってみますと、イタリアの南部というのは、経済の発展している北部のヨーロッパ、ドイツであるとかフランスであるとかから非常に遠いという欠点のみ目立つ。遠くて、そこへ至るところのインフラが非常に発達していない。南部の経済発展というのは、非常に長い歴史と地理の中で作られた難しい問題であると思います。それがゆえに、イタリアの一国内で解決しようとすれば、どうしても北の富を南に移すという、政治の力で富を動かす。日本で言えば、東京で稼いで、農村にばらまくことが今やまさに大問題になっていますが、似たようなものなのですね。 そういう形で結局解決を求めざるをえなかったというのがイタリアの歴史なのだと思います。しかし、それだけでは済まされないがゆえに、今どうやったら南の開発が進むかというのが、イタリアの大きな課題になっています。


3番目 3番目の課題が、年金、社会福祉の問題。イタリアは言うまでもなく少子化、高齢化の最も進んだ国です。現在少子化ということになると、実は先進国の中でイタリアがトップです。確か1・22ですが、日本が2番目で1・34です。高齢化の方については、日本がトップ。イタリアは確か7番目だったと思いますがイタリアはご存じのとおりの気候の良さ、風土のよさ、オリーブ油、赤ワインを飲んでいると身体に良いという説もあるのだそうですが、とにかく高齢化がどんどんどんどん進んで、2030年になると、イタリアが一番高齢化し、寿命が長くなるというように<SPAN style="mso-spacerun: yes"> </SPAN>WHOは見通しています。そこでイタリアとしても、この少子化、高齢化の為に、なんとかして対策をとっていかなければならないのですが、そこでイタリアですでにそういう少子化、高齢化を迎えようという以前に、福祉予算、年金予算が大きなものになっており国民の負担になっている。これに加えて高齢化の対策をしようとすれば、もうどうやってそれを払っていくかということが大問題になることは目に見えている。確か2020年くらいになると、イタリアの今のままで行けばですが、2.5人で1人の人を支えていかなければいけないというのが、見通されているわけです。そうすると、どうしてもまずは年金、まずは福祉というものの改革をして、それを何とかして、いわゆる高齢ではない人の年金もカットする、また福祉もカットすることによって、お金を浮かしていかなければならないという答が出ています。しかし、なかなかこれは難しい。どこの国でも難しいのですけど、イタリアの場合は特に難しいのではないかという気が致しました。の年金でおもしろい現象を私は発見しました。イタリアの労働組合というのは大きく3つくらいあるのですが、その組合員の半分くらいの人が実は年金生活者なのですね。これはちょっと不思議な話で、労働者だから労働組合を作るのかと思ったら、引退した人も労働組合にだけは残るという制度なのですね。こでイタリアの労働組合の1番大きな要求の1つは、年金をもっと充実しろ、年金は切るなという要求なのですね。これは働いている労働者からすると、実は矛盾するところもありますが。年金をそれだけ今すでに引退している人たちに払うということは、それだけ今働いている人たちの給料を圧迫するということになるのです。実際には年金を受けている人の方が、労働組合の中で数が多いということでありますから、その要求が一番大きく出ざるを得ない。また今の中道左翼の中で、一番大きな支持勢力は労働組合ですから、政治としても、これをなかなか無視することは難しいということではないかと思います。そんなわけで、今まで90年代に3回の改革が行われましたけど、2001年まではやらないという決まりがあって、ダレーマさんが総理大臣にいる間、彼はなかなかフレキシブルな人で、その約束を破って改革をしようとしたのですが、やはりそれはできませんでした。

4番目 4番目の課題は、産業の競争力をもっと高めなくてはならないという必要であります。これはイタリアの産業の競争力はもともとヨーロッパの中でそう強いわけではないのですが、ユーロに入るためにできるだけきりつめる、税金は取っていくという中で、競争力が更に弱まってきたということではないかと思います。産業の競争力を強めることの1つの要素に、研究開発があります。研究開発の予算は削減、企業の研究開発の経費の課税を軽減することが非常にできにくかったわけです。そういうこともあって、イタリアの今の研究開発費は、GDPで1%しかないのです。1%というのはどういうことかと言うと、さきほどいった先進国クラブであるOECDの25か国の中で20番目です。そのために、研究の開発費であるとか、人材の養成だとかが、非常に遅れてきています。したがって、イタリアはハイテクの産業でいくためには、アメリカ、わが国、フランス、ドイツだとかにどうやってついていくかということが問題になると共に、アジアのようにローテクからハイテクに上っていこうという国のその間で、サンドイッチになってしまうということで、イタリアの財界などは非常に危機感を持っているわけです。 ういうことで、イタリアは私は大きく4つくらいの課題を抱えて、それをどういうふうにして解決し、21世紀に向かっていくかということになるわけで、それが私の結論になるのですが、その結論に至る前に、ちょっと閑話休題。 関連はありますけれども別の話をここに入れたいと思います。

99年からユーロに入った時に、イタリアはもうユーロに入った以上は、また財政が非常に放漫になるではないかという陰口をきかれていたわけですが、どっこいそうではなくて、イタリアの赤字は、GDPでの比率でもますます低くなり非常に日本などからするとうらやましい限りで、健全財政が進んでいるのですが、その健全財政がなんと予算を増やしながら完成している。どういうことか。それは、歳入が上がるようになってきたからなのです。そこでおもしろいと私が思ったのは、最近ですが11月25日土曜日の朝日新聞をもしご覧になった方があれば、お気づきになった思うのですが、イタリアで納税者番号を考えるという記事なのです。これはどういうことなのかというと、イタリアでは非常に納税制度が進んでいる。納税者の番号を導入したのが77年。そして今ではインターネットを通ずる納税もやっている。イタリアの財政当局は、この税務システムはヨーロッパ一、世界一だといっています。納税者番号を持つ人は、500万。ということで、非常にイタリアの納税制度というのは進んでいるという話です。イタリアで納税が非常によく行われているというのは、私も実は初耳で、だいたい税金は、イタリア人は納める人もいるけど納めない人もいるというのが普通ではないかと思って、この話はちょっと変わっているなと思って、ローマの大使館の私の友人である大蔵省から来ている者に調べてもらったのです。それで彼から調べてもらった結論がここに出ていますので、これをご紹介しようと思って、閑話休題の中に入れたいと思うのです。もちろん脱税を誰がやっているかというのがわかるぐらいだったら、それはすぐ捕まってしまうので脱税がどのくらい行われているかというのは統計があるはずはないのですが、おおよその感じでは企業の脱税率というのは38%です。その中でサービス部門というものが一番多くて69%。ホテル等が58%。農業が49%。最も低い製造業は、これが一番捕捉されやすい、9%。そして最も捕捉され易いのがサラリーマンでして、これがさきほどの納税者番号で100%。やはり制度は非常にきちんとしていても脱税は起こります。私の友人が、イタリアの税務をやっている大蔵省の担当者に聞いてみましたら、納税番号を使わなくても取り引きは可能であるというだけでなく、脱税をしないと経済活動ができないということもあるということを、その責任者が言っていたそうです。というのは、この人が自分の経験だと言って、彼がモーターボートを買いに行って、モーターボートを買おうとした時、もし税金を払うのだったらおまえに売ってやらないと言われたそうです。税金を払わなければ、経済活動が行われ、取り引きすら行われないということが実態なのだそうです。そこで私はイタリアについても、悲観と希望と両方あるのではないかと思います。悲観は言うまでもないことですが、希望があるというのは、要するにこれだけの脱税があるということは、徴税努力をすれば、税収が上がるということです。



ちなみに今年は、さきほど申し上げましたように、イタリアは税金、歳入が非常に上がったがゆえに、赤字を減らすことがさらにできるようになった。税収がなんと5%増えた。日本の国税庁の人が腰を抜かしまして、現状維持をするということがやっとで、5%増えるなんてそんなことはあり得ないと言っていましたけれど、それが可能なのですね。制度を変えなくて。ですからこれはまだまだイタリアの中には、大いに国力の余ったぬれぞうきんがまだまだあって、絞ればまだまだ絞れるということで、イタリアにとっては大いに希望を持てるということではないかと思います。て、これからイタリアはどうなるか。イタリアの経済はどうなるだろうかということで、ここでも私は現在については悲観的だけれども、将来に希望を持つということであります。まず現状についの悲観。経済というのをいくつか考えると、どういうふうなものが経済の将来を決めていくかということになりますと、ひとつはインフラの問題があります。このインフラがイタリアでどういう状態にあるかということを、イタリアを御存じの方は皆さん御存じだと思います。私も最近帰ってから、イタリアの友人から手紙が届いたのですが、びっくりしたのですが、イタリアから何と船便でついた。その手紙の上にはエアメールと書いてある。どうしてそういうことが行われるのだろうと思ったのですけれど、私もローマで3回クリスマスを経て、クリスマスカードを2月に受け取ったというのが、しかもローマに住んでいる私のところから、歩いて100メートルという人のクリスマスカードが2月に着いたことが3回ありました。船便で手紙が着くくらいで驚くことはないのではないかと思いましたが、郵便と鉄道は、誰が見てもイタリアが上等であるということは言えないと思います。 

2 番目に経済の将来を規定するものは、政府の規制であり、司法であり、そういうものの手続きが公正であり、迅速であるということであると思います。この点についても、遺憾ながらあまりイタリアには高い点が与えられないと思います。労働制度の硬直性のついて我々の大使館でも労働問題でずいぶん悩んだのですが、大使同士が集まると、話題の1つはあなたの大使館で従業員を首にしたらどうなるという話で持ち切りで、一般の人が大いに悩んでいるところであることはわかります。また司法が非常に手間と時間がかかる。日本も似たようなものですが、大変にそのために時効が多いのですね。だから、犯罪者が時効のために出たとたんに犯罪を行なったということがある、何度か我々がいる間にありましたが、これも10年間の間に裁判が決着しないためについに時効になりましたという話があります。

3番目は、税金の問題であります。そして税金が高いか低いか。低いにこしたことはないのですが、少なくも企業にとってフェアな税金、それから税金だけではなくて、社会保障みたいなそれ以外の負担、そして経済活動の資金を得られる株式市場がどういうふうに発達しているかという問題であります。イタリアが税金と社会福祉等の間接費用が非常に高いということは、先程も申し上げましたけど、数で言えば、ヨーロッパの平均というのが26%、その中でイタリアは34%ということであります。やはりイタリアで仕事をするというのはなかなか難しい。日本の企業がよく不満をいうことの1つで、それがイタリアに日本のが投資が少ないということの原因の1つになっていると思います。

4番目が研究開発の問題。これは先程申し上げた通りであります。5番目は、技術であるとか、言葉であるとか、そういうような個人的な企業に携わるにあたっての人間の資質の問題。また個人とか、組織とかいう者の規律の問題。これについても遺憾ながらイタリアは、統計で見るかぎり、決して上の方にあるとは言えないわけです。労働人口に占める高校卒業者で50%くらい。OECDの平均はそれが60%。大学の卒業者は10%。OECD平均が13%です。そういうことで、やはり残念ながらイタリアの1人ひとりの事業者のレベルは決して高くないということです。 

後は、私は国際化、国際交流の問題があるのではないかと思います。そういうことを考えると、どれを見ても、余り現在のところ、楽観すべき材料が少ないと言わざるを得ない。そんなものだろうか、現在のものが将来共に、イタリアの経済というか社会を否定するかというと、私はそこにまた違う要素を考えなくてはならない。そこで私は経済というものも、経済1つだけ見てものが決められるものではないということに戻るわけであります。やはり人間の要素ということを考える。現在のイタリア人はどう考えているのか。イタリアの人というのはそもそもどういう人であろうかというところに立ち戻って考えないと、現在の言ってみればスナップショットを撮っただけで、全体を将来まで推し量ることはできないのではないかと思うのであります。 


イタリアの中で、新聞を見てもおわかりだと思いますし、テレビの中の議論を見ても、ふたことめに出てくるのは改革。何とか新しいものを作ろうという話であって、これは合い言葉ですから、日本の政治でも改革以外言わないわけですから、改革と言えばいいというわけでもないですけど、しかし、このイタリアの改革というのは、やはりほとんどそれ以外に余地のないというところに追い込まれた改革であります。先程申し上げましたやはりユーロというものに規定された中に、新しい財政によって刺激をするとか、何とか国でもって面倒みようとかいうことの、ほとんど余地のない中で、改革をすることによって、新しい道を開いていくということは、政治でもあり、企業でもあり、学校でもあり、みんなのほとんど待ったなしの選択ではないかと思います。そういう意味で私はイタリアのる改革というのは、私は信じていいのではないかと思います。 う1つの要素は、EUというものの存在。EUというものが、善かれ悪しかれ、1つのルールを決めて、EUの加盟国を規定している。それが余りにも官僚化し過ぎているので、いいかげんなルールを作るのをやめてくれという反発もある一方、やはり1つのルールを決めていくというのが、EUの仕事であります。それをイタリアは非常に素直に受けとっているのです。私はそういうことからすると、日本人がよく言うところの外圧によってまた日本が規制されるということと似たようなことをイタリアの人も受けているのだと思いますが、日本の外圧への嫌悪感と異なりイタリアの人は、EUの外圧というものを、むしろ自分の内圧にする。もっともEUのルールを作る時にイタリアも参加するわけで、そこが少し違うわけですが。外から言われてやっているというより、やはり自分の中でやらなくてはいけないことがここにあるのだということで、イタリア人がEUの規律を受け入れているというような気が致します。 


同じようなことがイタリア人は、外のものに対して割合と抵抗なく受け入れるということがあると思います。それは外国の資本を受け入れるというような時に、割合と柔軟に、言ってみれば素直に受け入れているというのが、ヨーロッパの中でも際立っているのではないかというふうに私は感じます。ある意味では、あきらめの心境でもあるし、勿論、反発もあるかと思いますが、しかし、イタリアの人達はそういう反発もするし、屈辱を感じながらも、やはりこういうものを受け入れることによって、自分たちがむしろ大きく育つことが必要なのだということを、身をもって感じているのではないかと思います。イタリア人を見れば、地上で最も極楽に近い人だという説もあるし、どうしたら極楽のイタリア人になれるかという本があったのを覚えています。確かにイタリアの人は非常に楽しい人でもあります。楽しくなるだけの環境が備わっています。あんなに温暖で豊かな風光明媚な土地に生まれ育っているわけですから、黙っていてもハッピーになると思うのです。


しかし、その心境というかその心理というのは、なかなかおもしろいというか、屈折したものを持っているのではないかと思います。イタリアのオペラで、一番間違いなく拍手が多い、歓声が多いオペラは何だか御存じでしょうか。ヴェルディの「ナブッコ」だと思います。「ナブッコ」というのは、ヴェルディにしてはあまり傑作ではないし、特に明るいオペラではない。しかも拍手があるのは何とアリアではないのです。第3幕になりますと、ユダヤ人が捕らわれの身になって、祖国を失ったという嘆きの合唱があるのです。その合唱が終わると、観客みんなが立ち上がってものすごい拍手が起こる。そこで誰かが「ビバ、ヴェルディ」と叫ぶわけですね。そこでそれを合図に合唱がアンコールとなる。合唱に拍手が起こって、そしてアンコールになるというのは、他にオペラでないのではないか。私は実はこの「ナブッコ」をイタリア外務省の人と一緒に見に行った時に、彼は「大使、ナブッコがわからないと、イタリア人はわかりませんよ」と言いました。「そうか」と言って、「インターミッションになったら教えてね」と言って、教えてもらったところは、要するにイタリア人というのは、屈辱の歴史を持っているということです。 


イタリア人は確かに栄光のローマ帝国、また栄光のルネッサンスの歴史を持っているのですけれども、同時にルネッサンスの前もそうですが、ルネッサンスの後、イタリアの国のほとんどはよその国の支配下に置かれます。長い独立を保っていたヴェネツイアですら、ナポレオンによって征服されてしまって、独立国がなくなるわけですね。それを回復して、イタリアを統一したのが、1861年のイタリアの統一ですね。よくイタリアの人は、イタリアと日本は非常に似ている、1860年代に近代化が始まっているのですけれども、大きく違うのは、日本は他の国の支配にあったことが<SPAN lang="EN-US">1度もない。イタリアは1860年までよその国の支配を受けていた。しかもその前に、大変な栄光の歴史があったということなのですね。それがためにイタリア人が「ナブッコ」に自分の姿を見るということになるのだということなのだそうで、なるほどそう言われてみるとわかるなと思いました。 

事実この「ナブッコ」の合唱の歌を、レーガノルド〈北部同盟〉は、国歌にしろと要求しているくらいであります。この事実をなぜ申し上げたかといいますと、私はそういう精神がイタリア人をしてあれだけの困難なユーロに入ることをやりとげさせたと思うからです。私たちもやれるのだ、やることはやるのだ。これだけみんなヨーロッパの中で、自分たちを低く見られていても、やる時は必ずやってやるという精神がユーロを実現した。私はそういう人間的な要素が、イタリアのいろいろな条件は確かに悪いけれども、将来のイタリアの道を必ずや開いていくというふうに思います。 


後もう1つオペラの話をしたいと思うのですが、これまた私は経済というものが、やはり人間が作っていくものだということの1つの材料に申し上げたいと思うのですが、このオペラは「アイーダ」。昨シーズンだったと思いますが、「アイーダ」がローマで演じられた。1幕、2幕と非常に順調に、大変レベルの高い歌手が歌ってくれて、我々は非常に感動していました。休憩時間になり第3幕がなかなか始まってくれないのです。40分くらいたって、やっとベルが鳴り席についたらアナウンスがあった。アイーダを演じていた主演の歌手が、ソプラノが、突然声が出なくなった。そこで彼女はここで退くことになりました。ところが代役も病気になりました。2人ともいなくなったということです。それでは今日はもう終わりかと思いましたら、みんなざわめいたところで言ってくれたのは、コーラスガールのマリア・クロスペリという女性が歌ってくれることになりました。今しばらく彼女のために時間を貸して下さい。そうしたら幕を開けますという話です。、さすがに我々も開いた口がふさがらないし、いったいどうなってしまうのかと思ったのですが、そうち幕が開きました。幕が開いてみたら、まさにこれがアイーダの一番の出番のところで、最初からアイーダさんが出てきて歌うすごいアリアがあるのですが、そこでマリア・クロスペリさんが、端から出てくるわけです。主演の歌手の衣装を着て。みんな本当に祈る思い。そこで彼女が歌えなければ幕は下り帰らなければいけない。しかも、せりふ本当に覚えているのかなと。この時間の間にせりふを覚えていたに違いないわけですよね。しかしそんなことで覚えられるような歌ではない、どうなるかと思って、本当に静かにシーン。そこで出てきたマリアさん。堂々と歌うじゃないですか。歌い終ると、1幕、2幕歌った人と比べたら比べものにならないのですが、とにかく歌ってくれたというので、場内立ち上がって、本当の大拍手、大喝采。それからそのマリアさん、勢いを得て、とうとう最後まで歌いきってしまった。

翌日に、イタリア中の主要な新聞を集めて芸能欄を見てみたら、どれもこれも、こんなにイタリア的な夕べはなかったと書いてあった。代役を用意していないオペラ公演などないわけですよね。代役も病気になりましたというがそれはまったくうそに違いないので、2幕まで終わったので、安心してヴィーノ・ロッソか何かを飲んでいたに違いない。あたり前のことが行われない。しかし、一方でアイーダくらい大変な役を、一介のコーラスガールが堂々と歌う。こんな国はどこにもない。新聞もこんなにイタリア的なことはなかったと書いたのです。私もイタリアの社会というのは、こういうものだなと思うのですね。これからもイタリアがぜひちょっと規律の方をよくしてもらって、しかし、これだけの驚くべき個人的な才能、感覚を生かしてほしい。先程言っていたような一見もうどうしようもないような条件、どれもこれもだめかと言うようなことも、結局最後に決めるのは人間なのです。ですから人間としての強みと魅力を持つイタリア人が、必ずやそういうものを克服してくれるのではないかと思います。やはり私はイタリアは人間の住むところ。「ビーバイタリア」で私の話を終わります。

イタリアで本当に強いというのは、中小企業だと思うのです。これは私が赴任した1964年頃でも、日本から買いつけに来た方は、特にネクタイなんかですね。これは御存じのようにコモ湖の周辺にある。これは全部中小企業と言うか、ファミリーカンパニーなのです。私もお手伝いしている会社は、廃棄物のリサイクリングをやっておりますが、この機械たるや、北イタリアのモデナとか、あの辺のところのそれこそ町というより村、人口600人くらいのところにある1つの工場、ファミリーカンパニーですけど、日本の会社の社長さんが、これはドイツよりすごいと。あれこれ見てきたので> しょうけど、これもまた従業員15人くらいで、ファミリーでやっています。ですからイタリアの底力と言うのは、中小企業にあるのではないかと。イタリアの本当の底力があるのではないかと思うのですが。 

それともう1つ、日本で今問題になっている公共事業というのは、イタリアではあまりないのではないでしょうか。というのは、地方分権というのですか、極端に言えば民族が違うようなイタリアですから、日本のような政府がこういうふうに予算で持って公共事業をしているものを、今問題になるような、そういう政策はないのではないかと思うのですが、大使がおられた間で、どのように感ぜられたでしょうか。 瀬木まず中小企業のことに若干つけ加えさせて頂くと、まさにイタリアの企業の強みは中小企業にあるわけで、統計で見ても、雇用者が10人以下という事業は、イタリアは95%。日本も実は中小企業の比率というのは同じくらい高いのですが、イタリアと違うのは、中小企業の基準サイズが大きい。もう1つ違うのは、日本の中小企業は流通が多いのですね。マニファクチャリングの中小企業というのは、日本の場合は割り合い少ない。、> イタリアの場合は、マニファクチャリングに非常に中小企業が多いということなのですね。それがイタリアの強みであるわけですが、同時に限界があることも事実だと思います。なぜかといえば、もちろん大きな企業でないと、やはり雇用や国際競争の上で非常に無理なのですね。イタリアだけではなくて、フランスも元々中小企業が多いのですね。それは雇用を増やすということからいっても、それから国際競争をする時に、やはり大きな企業でないとできないことがある。それが故に、イタリアもフランスも、大きな企業を国で起こすわけです。フランスの大きな企業というのは、ほとんど実は国が作ったか、てこ入れしている。今の日本で有名になっているルノーとか、プジョーとか、そういうところから始まってフランスの銀行なんていうのは、今みんなほとんど国営なのですね。イタリアも国営の企業を作ったわけですが、残念ながらほとんどうまくいかなかった。それが故に結局イタリアでは民営化になって結局イタリアの大企業というのは、ヨーロッパ大国の中でも一番数が少ない。例えばイタリアには航空産業がないのですね。それからイタリアの銀行というのは非常に小さい。小さければ悪いかというとそんなことはないけれど、やはり大きな銀行でないと、国際的に活躍するということはほとんど不可能ですね。ですから新聞を見ても、欧米のどこの企業がどこを買ったとか、何とか出てくるけれど、イタリアの会社がどこの会社を買ったとか、どこかで進出したとかという話を、ほとんど聞かれたことがないと思うし、日本に来ている企業でも、ヨーロッパの中でやはりイタリアが一番少ないのですね。それはなぜかといったら、中小企業がほとんどだから、日本へ出てくることができないわけですね。それはやはり国際化の為にも、雇用の為にも、イタリアの非常に限界があるわけで、中小企業はすばらしいけれど、中小企業だけではやはり国力という面では十分ではないということであるのではないかなと思います。 


それから公共事業ですけれども、この公共事業については2つ問題があるのですね。公共事業はどこの国でももちろんやります。道路、港、水道とか、そんなものプライベートの人が利益を得ることが難しいのでやることはまれです。そもそも公共事業の始まりはローマ帝国で、どこでもやっている。ですけれども景気を浮揚するために公共事業をやるという国は非常に現在は少ないですね。OECDの国というのをあげてみると、景気対策として公共事業をやっている国というのはあまりないのではないかと思います。日本以外は。ですから現在では日本がむしろ特別な国であると思った方がいいのではないかと思います。逆に言うと、イタリアは若干日本と似ている。公共事業がかなり景気対策でもあるし、地域開発でもあるという意味で、政策の手段であった、非常にヨーロッパの中で数少ない国だったと思います。60年代のイタリアの奇蹟時代のインフラ開発、80年代までの南部開発であり、それが元でタンジェントポリが起こるような公共投資というのは、実はイタリアでよく行われている。 それはどうしてかというと、やはりイタリアも日本も、資本主義国家としては後発の国であって、やはりインフラがどちらも不足していたということです。ですからまだまだやらざるを得なかったし、やっていると思いますね。今でもやっていますよ。実はタンジェントポリ騒動で半分まで作ったけどやめてしまったというハイウエーがずいぶんあります。まだまだイタリアの公共事業は、日本よりはやるべき余地はたくさんあるのではないかと思います。 質問大使のお考えの中心にあるのは、金融政策とか、通貨政策とか、こういうものがイタリアの現在の成功というものを実現したのではないかというのを中心にしていますね。やはりそこに1つ大きな限界というものがあって、産業政策というものをないがしろにしているのかどうか、ということはチャンピにせよ、ディーニにせよ、みんなイタリア銀行の出身であって、そういう人達が今通貨政策、それから為替政策、そういうものを握ってきたのではないか。もちろんEUとの関係では、私の友達ですが、プロディとか、マリオモンテとか、一生懸命やって、それがイタリアにプラスになっております。そういう意味で、通貨政策、もしくは金融政策、これだけではたして現在、先、後発的な資本主義国、もしくは家族的な資本主義だというふうな話がありました。私そういう考え方で、産業政策の方向に持って行くのにどうやるのだろうかということをお聞きしたいのですが、これは結構でございます。大使は外交官でいらっしゃいますから、1つ外交官としてのイタリアの経済、国内の経済ではなくて、アジア向けにイタリアの経済政策というのはどうなっているのか。北朝鮮にすぐ認めてしまう。もしくは中国の市場というものを非常に大きな市場としてイタリアは考えている。こういうふうに私は聞いているのですが、そういう市場をやはり頼りにしながら、イタリアは展開していくのか、あるいは国内市場というものを、中小企業その他を頼りにして行くのか。1つご回答願いたいと思います。> 質問私まったく門外漢なのですが、お話を伺うと、1992年当時のイタリアという> のが今の日本と非常に似ている部分があるように感じたのですが、その後で特殊な事情があるにしろ、財政再建を行ったということは非常にご立派というほかないと思うのですね。それで日本もこれからやらなければいけないわけですが、その財政再建を行なうにはやはり痛みを伴うわけですから、それを国民に納得させるということは、非常に重要な側面ではないかと思うのですね。92年当時のイタリア政府が、どうやって国民を納得させたのか。それが成功したのか。その点をお伺いしたいのですが。質問先ほどやはりイタリア大企業の数が足りないと。中小企業が経済の主役であると> いうことは確かだけれどもというお話がありましたが、私はいわゆるイタリアの企業の利益率に非常に注目していまして、これはやはり付加価値の高さなのですが、日本のいわゆる大企業の利益率というのは2~3%いけばいいところなのですが、彼らは2~30%いっていると。いろいろな業界で見ると、日本の10倍くらい利益を上げていると。今日も新聞にブルガリという会社の今年の決算の見通しが出てましたけども、日本円に直すと670億円の売り上げに対して、13%の純利益を上げるという。そうすると100億円近いですね。ネットプロフィットがあがると。これはやはり日本では100億円のネットプロフィットをあげている企業というのは、これは大変な大企業でもそうないわけなのですが、その辺に彼らの秘密があると思うのですが、それが経済を支えているのではないかと思うのですが、その辺はいかがでしょうか。 瀬木最後の方から申し上げると、誠にイタリアの企業が利益を上げて、その利益率が> 高い、企業がすべてそうではないと思いますが、そういうことがあるのは大変うらやましい限りでありまして、そういう企業が日本の中にも大いに出てもらいたいものだと思うのですけどね。前に私、途中で東京に帰った時に、日経新聞にインタビューされたのですが、私が申し上げたことは、日本から大変な買い物の客が来ると。それはどうしてそんなに日本から来るかということを、日本の産業の人に考えてもらいたいと言ったのです。それは私の言わんとすることは、結局要するに、日本で買うものよりイタリアで買うものの方が魅力があるということなのですね。だから魅力があれば買う。日本から飛行機賃払ってでも行くと。しかし、同じそういうことであれば、日本の人が日本でもって買えるようなものを、魅力のある製品を日本人が生み出さなければだめではないかということを言ったら、日経新聞の人が、いや、日本の流通機構は複雑でしてみたいなことを言われて、全然わかってないなと思ったのですが、やはり魅力のある製品が作れるかどうかということなのですね。魅力のあるものであれば、それは当然同じものであっても、同じものと言うか、同じように使われるものであっても、当然高くなっても客は買うわけです。ブルガリみたいな特別の装飾品であっても、ブルガリという名前があるから買うわけだけど、ブルガリに限らずブランド商品と称するものがなぜ売れるかというと、そこまで築いてくるブランドの力もあるけれども、それに至るまでであっても、それから後であっても、消費者の心をつかむような何かがあると。単に名前だけではないのでしょう。そういうものを作らなければいけないということは間違いないと思いますね。ただ日本でもそうだし、イタリアでもそうなのだけど、必ずしも目立つものだけが商品ではないわけですよね。先程どなたかも言われていたけれども、イタリアで実は一番の輸出品であるものはファッション性のあるようなものではなくて、機械なのですね。機械が、日本に来ることは少ないけれど、ヨーロッパの中で、ドイツであるとか、フランスであるとかというものの、注文生産で出されるような機械製品というのは、イタリアの一番大きな輸出商品ではないかと思います。だからそういうものは必ずしもファッション性があるとか、目立つとか、誰も見やしないけれど、やはりそういうものを人の需要にあって、やはり何が必要かということをうまくキャッチする。そういうことのできるものが、単にファッション性のあるものだけではだめなのだろうと思うのですね。そういう意味では、日本もそういうふうにあってほしいなと思いますね。 


それから、92年から後、イタリアの国民にどうやって政府がアピールしたかということは、若干先程私が申し上げた中に入れたつもりではいるのですが、やはり国民自身がユ-ロに入るということを、至上命題とする、そういう環境が、そういうものをみんながそう思ったということだと思いますね。だから政府が何かを説いたということよりは、そこのところの中にあるのは、やはりもうヨーロッパの外に出ることはできない。我々はヨーロッパの中心だと思ったのだと思うのですね。その中で、一部の人は先程申し上げたように、ローマに任せるよりはブラッセルに任せた方がいいやと思う人もいたかもしれないし、他方、イタリアはだめじゃないか、だめじゃないかという度にむしろイタリアは励んだのですね。そういう意味でのイタリアの歴史の中の屈辱感というものがバネになっているかもしれない。僕は日本人が失われた心がもしあるとすれば、実は恥ではないかと思います。日本人というのは本当は恥の国民で、本質の中の相当の部分は、恥であるとか、見栄であるとか、人が何を思っているかということを非常に日本人は気にする人なのですね。だからそれが故に自主性が待たなくなるということの一部分ではあるけれど、最近は余り恥もなければ、見栄もなくなっているのではないかという気がしますね。僕はやはり政府もそうだし、国民もやはり、これはちょっと恥ずかしいぞと思うことが必要なのではないかと思います。そうであれば、別に全員恥運動、屈辱運動を起こすこともないわけで、やはり日本人のもともとの性質を思い出した方がいいのではないかと思います。 


それから、先生の言われたアジアに対する注目というのは、確かにイタリアの欠けていた部分で、プロディも言っていましたが、これから自分はむしろそういう意味で、イタリアのアジアへの道を開きたいみたいなことを言って、内政的には、皆さん知っているかどうか、カラブリアというところの先端に港があるのですよ。ジョイアタウロ。このジョイアタウロの港というのは、それこそ昔のタンジェントポリの頃作られたのですね。そこからずっと鉄道をひいて、オランダまで、ひいてと言うかあるのだけど、近代化することによって、ジョイアタウロからヨーロッパへの商品はみんな運ぶのだと。イタリアがヨーロッパのアジアへのゲイトウエイなるんだと言っていました。それからまた、それを1つの象徴的なものとして、イタリアのアジアへの関心をもっと増やしたい。その第1は日本だと言ってましたけどね。私はその中で、日本だというところは間違いなく今でもそうだというふうに思うのだけど、一番うまく行かなかったのは、経済のジョイアタウロなのですけどね。やはり経済でアジアへの道を開くとすれば、やはりイタリア政府が何をすると言う、それほど大きなことができるわけがないし、必ず大臣が行く時にはビジネスマンを連れていくとかやっていますが、やはりそれはイタリアのビジネスの人が、今の状態よりももっと開発を進めなくてはならないということについて、本当に身につまされて感じないと、進まないと思います。やはり私はイタリアのビジネスマンは、非常に現状に満足していると思うのですね。現状に満足しているということはどういうことかと言うと、やはり第1は何と言っても国内なのですね。国内の中で、あれだけカンフサブルなところにいて、できるだけ動きたくない。それから、その次に行くとすれば、まあヨーロッパなのですね。北のビジネスマンをとれば、実は南にも行きたくない。だからイタリアの北のビジネスマンは、南を開発するくらいならば、もっと安い労賃のルーマニアであるとか、チュニジアであるとか、実はその辺の投資はイタリアはかなり多いのですね。ブラジルも多いですよ。だから同じ会社でも、政府があれだけ言っても、アジアに行く以前に、まず南やってくれと言っても、南に行かないのですね。クーリエに行かないわけ。カラブリアならなおのこと行かない。シチリアは更に行かない。そういうことで、やはりアフリカだということになると、そんなの本当のアフリカに行った方がまだいいやと言うのですね。そういうことで、僕はアジアに経済的な関係を結ぶというのは、まだまだイタリアのビジネスマンがそこまで行きづまっていないということではないかという気がします。う1つは、中小企業の限界なのですね。中小企業の人というのは、まず10人ですから。平均的な中小企業。10人の中から駐在員を置くということはあり得ないですね。だから結局は州の代表であるとか、イーチェとか、そういうところに行くけど、その人たちがうまく行くかどうかといったら、それはビジネスというのは自分でやらなければだめに決まっているわけで、自分で行くということが、単に見本市に行くだけでなくて、本当にこっちにずっといて、それだけでやらなくてはだめだと思うけど、なかなかそこまでやれないのは、そこは中小企業の限界ではないかと思いますね。っき最後に先生が産業政策と言われたけど、僕は異論があるのですよ。経済学上どうか知らないけど。産業政策というのは、本当の意味で、日本的な産業政策を持った先進国というのは非常に少ないのですね。やはり政府のやるべき仕事というのは、僕は明治時代とか、戦後の日本みたいな非常に考えた時期には、政府というものが産業の方角を決めて、何をやるということを決めて、社会主義と同じことです。そういうことを必要とするということだと思うけど、それ以外で、政府が産業をやって、うまく行くということはむしろ例が少ないです。事実、日本の産業政策が、戦後で成功したというのはある時期までです。それは産業政策ではなくて、本当は当の意味でも国家戦略だったのですね。石炭を高くしなければならないとかね。


それから、貿易を伸ばすためにどうしたらいいかとか。だからそれを越えて、1つずつの産業に何をやったらいい、何をやるべきでないというようなことをやりだしてから、日本の産業はむしろいびつになるわけです。僕はイタリアに産業政策があるのかないのかということは、じゃあ他にどこに産業政策があるのかということとも同じことで、産業政策というものが、日本のから考えたような産業政策というものであれば、ないのが普通である。 司会よけいな話ですが、日本がミラノから引き上げると反対に、12月2日に、ベネ> トンが表参道にメガストアというのを作ったのですね。これは8階建て。初めて不動産を日本で買って建てたということで、世界戦略の1つで、確か8番目です、世界です。ベルリンとかそういうところにあるのですが。8番目でオープンしまして、僕は行かなかったのですが、テープカットが1時45分という変な時間で、なぜかと後で聞いたら、その時間を過ぎると日が陰るからという考え。やはりすごいなと思いながら聞いていました。あそこでテープカットした人は、日本のイタリア人ですが、ベネトンの社長と、その隣が遠藤会長。ベネトングループジャパン。その隣がルチアーノ・ベネトンの会長というか社長ですね。その隣が、円高宮妃殿下。その右側がイタリア大使。その右側が石川六郎さんで、その隣が鹿島の取締役ということです。メガストアというのは非常にイタリアの戦略の中で話題になっておりますので、ぜひとも御覧になって下さい。 




この講演内容は印刷物としても発行されています。


イタリア研究会報告書No.92

2001年9月19日発行

企画編集 イタリア研究会

発  行 スパチオ研究所・伊藤哲郎

     (目黒区青葉台4-4-5渋谷スリーサムビル8F)

事 務 局 高橋真一郎

     (横浜市青葉区さつきが丘2-48)