田園から見たイタリア アグリトゥリズモの旅

第278回 イタリア研究会 2003-06-13

田園から見たイタリア アグリトゥリズモの旅

報告者:フォトジャーナリスト 篠 利幸


第278回イタリア研究会(2003年6月13日 六本木・国際文化会館)

報告者:イタリア フォトジャーナリスト 篠 利幸

「田園から見たイタリア アグリトゥリズモの旅」


司会  第278回のイタリア研究会を始めたいと思います。スライドを2つ使っていっぱいやります。篠利幸さんはフォトジャーナリスト。イタリアに30回近く行かれて、主に最近はアグリトゥリズモといいまして、田舎というか、民宿スタイルのところをぐるぐる回っておりますので、その紹介を次々にしていただきたいというふうに思います。篠さんにお願いいたします。


篠  皆様、こんばんは。今日は、幸い雨にはならなかったでしたが、梅雨ということでずいぶん蒸し暑いですね。僕も今日一日、今日のために汗をたらしながらスライドをたくさん持ってきました。この本(「田園のイタリアへ!――アグリトゥリズモの旅」=NTT出版)も写真をたくさん入れすぎてしまって、編集者からずいぶんブーブー言われたのですが、サービス過剰くらいに今日は写真を持ってきましたので、一応一巻で80枚入って、2巻で足らなくて、3巻目に入りますね。駄洒落を言うのは得意なのですが、まじめにお話をするというのは、いつもの先生方とは違いますので、むしろ写真を見ながら、写真をたくさん楽しんでいただきながら、南から北のほうまで、島も含めて、イタリアの田園を、その魅力を楽しんでいただきたい、そういう趣旨で進めさせていただきます。スライドをずっと見ながらですと、目も疲れますし、私ものどが渇きますので、途中で一呼吸入れたりいたします。いつもですと8時半くらいで大体終わって、ご質問を受けるとかそういうふうになるのですが、もしかすると時間が目いっぱい、9時くらいまで、スライドを見切るまでやろうと。あとはまたいつものとおり2次会でゆっくりお話の続きをさせていただきたいと思います。そういうことで、早速スライド映写を始めます。スライドを自分でも見ることができないと説明ができないので、こちらのほうに席を移ります。


それでは、そろそろ始めます。今日のテーマ、「田園から見たイタリア」というふうにしましたけども、実は、先ほど高橋さんのほうからもご紹介いただきましたし、受付のところに拙著を置かせていただきましたが、アグリトゥリズモという農家に泊まる、90年代に入って、急速に人気が出てきた旅のスタイルですね。98年に1度「イタリアの田舎に泊まる」という本を書きまして、紹介をしましたけれど、どうしてもまだ農家に泊まるというと、知らない人にとっては、イタリアまで行って、そんな農家に泊まってもねという、そういうなんとなくイメージがマイナーなのですね。


 今ここは実はエミリア・ロマーニャのところに、ボローニャからすぐ近くで、イモラの、F1レースで有名ですが、そこの近く、カステルフランコという町の近郊にある農家なのですね。そこの農家のお百姓さんですが、なかなか粋な格好をしている。で、バルバビエートラという甜菜ですね。お砂糖を取る砂糖大根のことですが、そういうものの収穫をしている。この農家は、ご覧のように、後ろにああいう糸杉の非常にきれいに剪定された並木のアプローチを車でスーっと入って、プチホテルのようなおしゃれなところに泊まるのですね。このほかにぶどうを作って、ワインですがアルバーナという種類の白ワインですとか、野菜類、全部そういうものも自家製のものを使います。魚はキオッジャまで2時間かけてその日に買いに行ったものを使います。非常に魚料理も、また肉料理も得意としている宿ですね。ただここはちょっとそういった意味でも、高級感があって高いところだったので、旧著(「イタリアの田舎に泊まる」)では紹介しましたが、今回は割愛した。しかし、この写真が素敵で、イタリアの農家のシンボリックなイメージなので、まず最初に入れました。

 

 そしてその田園のイメージとして、これを一目皆さん見て、イタリアのどのあたりかご想像つきますでしょうか。右下のほうに赤く広がっている部分が見えますか。あれはスッラといいまして、実はシチリアのトラパニとアグリジェントの間にあるサンブーカ・ディ・シチリアという町があるのですが、その周辺のところですね。赤いのはそのスッラの花で、アメリカなどでも、アルファルファと呼んで、牧草にしますね。これは非常に栄養価が高くて、アメリカのほうではこれをキュービック状に固めて、花が終わった葉っぱの部分、それを牧草にしているそうなのですが、そういうところですね。これは4月のシチリアの風景ですね。どうしてもシチリアに初めて行ったときも、非常に暑い印象があります。

 今日もメール(イタリアメーリングリスト)に書きましたが、今はヨーロッパは非常に猛暑で、クロアチアですとか、セルビアのモンテネグロあたりでも、気温が40度を越して、死者がすでに6名も出ている猛暑。パリも30度。おそらくシチリアももう40度になっているのではないかと思うのですね。一度87年ごろにそういう猛暑の真っ只中の6月にイタリアを旅しましたときも、ギリシャやカラブリア、シチリアで、合わせて700人以上死亡者が出ていたと。家の中にいて熱射病になる、そのくらいの暑さです。昨年はもう1月から4月、5月まで、ほとんど雨が一滴も降らないという日々が続いていました。それまでは非常に順調で、ワインが好きな私ですが、90年前後から10年くらい、非常にブドウ栽培にもいい気候が続いていたのですが、どうも昨年は最悪の事態になってしまった。北のほうでは雹(ひょう)が降ったりと、いろいろ大変なのですね。

 今、イタリアの地図を出しましたけれども、緯度から言いますと、北海道あたりですね。樺太のちょっと下あたり。ミラノがだいたいそのくらいの位置になりますから、ここからそのまま右のほうへずっとまっすぐ行くと、日本があって、北海道があって、樺太があってと、そういう位置関係にあるのですが、気候もほぼ同じで、春夏秋冬と四季も感じられます。ただ、このシチリアのあたりは、すぐ真下に北アフリカはありますし、ギリシャからずっとこちらへ行くと、中近東とかありますから、そういう影響でいろいろ、日本とはまた違う気候になってきます。そんなわけで、シチリアのほうも今頃はかなり暑いのではないかと思います。

 そのシチリアのまず大地のほうから、今日は北上しながら見ていきたいと思います。

これは、アグリジェントですね。神殿の谷と言われる、こういういろいろな神殿が建っている。これはコンコルディアの神殿ですね。こちらの方向がギリシャになりまして、海が見えます。ここもタンポポのような花が咲いていたり、これが春のシチリアの風景ですね。こういう風景を見ていると、シチリアは非常に牧歌的で、のどかな大地と思います。

 そのシチリアのこれは内陸のほうに入ります。エンナという町が、ちょうどシチリアのおへそに当たるような感じで、ど真ん中にエンナという町があります。シチリアには活火山で、エトナ山というのがずっと上のほうにあって、今も活発に動いていますが、エンナの町からすぐ下に、カラシベッタという面白い名前ですが、丘の上にこういう町ができています。周辺はまた先ほど見たような田園が広がっているわけです。エンナがだいたい標高900メートルくらいで、この町はそれより200メートル低いくらい。これは4月なのですが、ここにも雪が見えますが、900メートル上はセーターだけでも寒い。上にちょっと厚手のジャケットがいるくらいに寒い。下に下りますと、Tシャツ1枚でもいい。そのくらいの気候の差があります。これは昨年の4月の写真ですが、まだこうやって雪が残っていまして、アーモンドの花がこれから咲き始めるというような、このあたりはそうしたアーモンドですとか、オレンジや、柑橘類、オリーブ、そういう産物が豊かに実ります。

 これは、先ほど美しい花のじゅうたんがありました同じサンブーカ・ディ・シチリア。約2ヵ月後ですね。小麦の畑なんかはもうほとんどこのくらいに、6月になりますと、確かゲーテが「イタリア旅行記」という本の中で、シチリアは6月にしてすべてが実り、刈り取られると書いているほどに、こういうふうになって、後はぶどうですね。これはぶどうの畑です。ネロダボラですとか、インゾーリアとか、そういうぶどうの種類がシチリアの原産としてありますが、そのぶどうがこれからどんどんどんどん実を大きくしていく。

ここにシンボリックに見えますのは松の木ですね。イタリア独特の形をしています。この松の木の実を、この下に行くと、上からこぶしよりもふたまわりくらい大きいくらいの松の実から、小指の爪くらいの松の実が採れます。これとバジリコと、オリーブオイルと、ミキサーでかき回して、ジェノベーゼソースを作ったりするとおいしいのですが。これがシチリアの大地。非常に美しい田園風景が見られます。

 シチリアというと、またこの羊ですね。ペコリーノチーズが有名ですが、羊の群れも、旅をしているとしばしば出会いますね。ここには写ってないのですが、最近の羊飼いたちは、携帯電話で話をしているのですね。中にはバイクに乗って、ずっと羊を追いかけていたりとか、そういう何世紀も続いた大昔のスタイルと、非常に現代的なものが混ざったような、面白い光景に出会うことがありますけれども、やはり田園の中で羊が草を食んでいるというのは、自然と心が和む、そういう気がします。

 これはカステル・ヴェトラーノという町ですね。シチリアの中では人口3―4万くらいで、結構大きな町で、農産物から、家具の工場があったり、結構産業が発達していますね。オリーブなども、このあたりはノチェラーラという種類の高品質のオリーブ油を産出しまして、トラーパニからこの周辺のオリーブ油は、ヴェローナの「ソル」というオリーブの品評会でも金賞をとっていたりします。

 こうしてイタリアを歩きながら写真を撮ることが、自分の旅の一番の目的ですが、これはたまたま嵐のちょっと前というか、夕立のちょっと前に、空ががーっとくもっていて、暗くなって、一部分雲が切れたところから光が射している、ちょうど羊飼いの小屋のところですね。もともとは農家がもっとこちら側に建っていて、ここは納屋か何かだったのでしょうけども、今は羊飼いが夜になると羊を集めてこの中に入れたりしています。この小屋のところにだけ光が差して、明るくなった。そういう瞬間を撮影したものです。

 これは、シチリアの島をずっと旅していきますと、いろいろな町が見えてきますが、だいたいこんなふうに大地の中に家が密集している。これは先ほども言いましたサンブーカ・ディ・シチリアという町ですね。かつてはアラブ人のザブートと言われた大将が、このあたりを統一したというか、征服して、町作りを始めた。この内部は、アラブ風の町の構造といいますか、迷路が入り組んで、建物の中にコルティーレという中庭が入っている。そういう迷路を歩くのがまた楽しいですし、このサンブ-カは、その町の壁に現代のいろいろなアーティストが壁画を描いたりしているのですね。そういう壁画を見たりするのも結構楽しいものです。その周辺はやはりこういうブドウ畑であったり、オリーブ畑だったり、このあたりは果物ですね。桃ですとか、そういう果物がたくさん栽培されている。

 そのサンブーカは,アグリジェントから少し西の海岸にシャッカという町がありますが、温泉が出る町で、そのシャッカから少し上に入るとサンブーカ。そこからまた海のほうへ向かいまして、メンフィという町があるのですが、10キロくらいですね。海岸線から、ほんの数百メートルのところにあるアグリトゥリズモ、農家ですね。今ちょうどアーティチョークを収穫しているところですが、非常に大きな、いろいろな農作物を植えている農園で、実はこの人はバルベーラさんといいますが、シャッカの高校で数学を教えているのですね。家は代々農家をやっていまして、お父さんはもちろん農家の仕事をやっているのですが、彼もまた数学の先生をしながら、アグリトゥリズモの経営のほうは、この人が全部マネージメントしている。

 訪ねていったときに、このアーティチョークを今採りに行くから、一緒に行こうと言われまして。色はグリーンからだいたい赤紫になったところが食べごろだと。そういうものを選んで、根元のところから採るわけですね。採ったものを、まず最初に、これはレンガを積んで、こういう窯をこさえました。ここに、下にあるのはぶどうの枝を剪定した後残ったものを燃やすのですね。少し消し炭のような状態になっています。このアーティチョークの、これ上ですが、まず最初にここの上のほうを、このレンガの上にがんがんと何度もぶつけて、つぶすような感じでぶつけて、少し中が開いたりしているところへ、オリーブ油とコショウと塩を混ぜたものを中へ流し込むのですね。その後で、ここへ並べていくのです。ちょうどこれを撮影しているときは、ものすごい風が吹いていて、この灰がしょっちゅう飛ぶのですね。煙い。後ろ向きで一生懸命食べていたら、自分のコートに火の粉が飛んで、穴が開いてしまって、そんなこともありますが、いっぺんに5つくらい食べてしまいました。非常においしい。アーティチョークは、古来から肝臓の薬といいますか、肝臓を丈夫にすると言われていまして、ヴェネツィアなんかでも、アーティチョークを食べたり、イタリア中よくアーティチョークを食べますので、ローマなんかでもから揚げにしたのが有名ですが、このアーティチョークを食べてから赤ワインを飲んだりすると、口の中がただ渋いだけで、味がなくなってしまう。その分、アルコールの毒素を消してくれるのかもしれません。ワインを味わいたいときは、アーティチョークは避けたほうがいいと思います。

 これが経営者のご家族ですね。先ほどのバルベーラさんと息子さんとお父さん。この建物は非常に新しい。去年出来上がって、秋からスタートしました。もともとはずっと羊を飼っていて、こちらのほうにももうチーズを作るシステムを中に作ってありまして、羊や豚を飼う小屋、サラミとかソーセージのようなものもここで全部作れる。この大きなところの中がレストランになっています。実はこの後ろはもう陸地なのですが、振り返りますと、紺碧の地中海が広がる、そういうすばらしい立地にあります。

 そのシチリアの海といえば、まずこのトラパニの塩田の風景を紹介しないといけないと思います。トラパニはフェニキア人の開いた都市、すぐ近くにはマルサーラという、アッラーの港という意味ですが、マルサラ酒で有名なマルサーラがあります。このあたりずっとフェニキア人が来て、町造りをした。これは遠浅の海で、そこの水を引き込んで、蒸発させて、塩を作る。ここにあるのは塩の山ですね。この塩の塊を杵で砕くために、それを風車を回してやっていた。最近はあまりそういうことはやってないようですが、そういう風景が残っている。非常に牧歌的な感じがここもします。

 これはそのトラパニの町のほうで、トラパニもかつては1つの軍港でありました。その岬の先端にある砦のような建物の下で、夕暮れ、なかなかロマンチックな風景を撮りました。

 そのトラパニからすぐ、内陸の丘の上にエリチェという町があります。ここは海抜750メートルくらいまで上がりますが、だけれども、ここの上は風がまた強くて、トラパニの下はTシャツくらいでいいけれども、ここまであがると、急激に気温が低くなって、やはり一昨年の4月でしたか、大きな雹がこの上で降りまして、いきなり夕立かと思ったら、雹になった。そのくらいに天候が変わりやすいときだったのですが、そのエリチェの町。この町もなかなか眺めがいい。これはただ城壁の周りを囲んでいる手すりを撮影しただけなのですが、こんなものでも結構絵になるような、写真好きにとっては飽きない町です。

このエリチェは、かつてはエリミ人という先住民族がいました。その後、ギリシャ人がやって来たり、いろいろな民族が来まして、その都度、神話も変わります。ローマ神話のビーナスであったり、ギリシャ神話のアフロディーテであったり、そういう女神のためにささげられたような町です。そんな意味で、町の中心の公園には、素敵な噴水とビーナスが横たわっています。

 また夜がいいのですね。この石畳、車はスリップして非常に走りにくいのかもしれませんが、夜の路地を、誰が言ったか、丘の上のヴェネツィアと称した人もいるそうですが、この夜のエリチェの町、これをまた歩き回る。こういうバールの光ですとか、いろいろな町の路地、ずっとカメラ、三脚を担いで、飽きない。そういうところですね。

 また、シチリアの大地のほうを見ます。これは、90年ごろ、パレルモからアグリジェントへ向かう列車の窓から撮影しました。やはりこれは春ですね。トスカーナと比べるとちょっとごつごつした感じはするのですが、なかなかきれいな大地が広がっているなと思います。

 これが実は冬ではなくて、9月の中旬のシチリアの内陸ですね。レスッターノという町があります。パレルモから80キロほど内陸に入ったところです。そのレスッターノのちょっとまた先には、ペトラリアという町があります。この町は丘の上と下に分かれていまして、丘の上をペトラリア・ソプラーナ、下の町をペトラリア・ソッターナといいます。イタリア語をご存知の方は、ソプラーナが上で、ソッターナが下という意味はお分かりかと思いますが、そのペトラリア・ソプラーナという町の名士が、この農家を買いまして、アグリトゥリズモにしました。ここがアグリトゥリズモになっています。

 これはもうすでに小麦のすべての収穫が終わってしまって、ところどころオリーブの木と、あとはユーカリの木が結構植わっているのですが、シチリアとかカラブリアのほうへ行きますと、結構ユーカリが植わっているのですが、ユーカリはもともとオーストラリア原産ですが、このあたりは早く大きくなるのでと、ムッソリーニが植えさせたという話を聞いています。そういう程度の緑しか、もう9月にはないのです。ほかはブドウ畑で、ブドウの収穫を待つのみ。ですから、春に比べると、大地がもうぜんぜん違うイメージになってしまうのですね。これが秋、9月のシチリアの風景です。

 そのシチリアの農家、これは何を収穫してきたのかなと思ったら、アーモンドだそうです。この中を割って、中にアーモンドが入っているのですが、彼はなんとなく見かけて、いかにもシチリアの男みたいな顔をしているなと思って話しかけたら、言葉がぜんぜん通じない。おかしいなと思ったら、アルジェリアから来た、アラブ人だったのですね。シチリアの南のほうの人たちは結構アラブの影響も強いので、だんだんだんだん顔はナポリに行っても、シチリアに行っても、アラブっぽい顔の人がいますし、逆にアラブの人を見れば、純然たるシチリア人かなと思ってしまうのですが。こうしていろいろな果物ですとか、そういうものを収穫する出稼ぎ労働に来ています。

 これはモナコ・ディ・メッツォという、今のオーナーのお母さんと息子が朝食を食べているところですね。結構お天気のいいときは、外で食べると、食べ物はみなおいしいですから。ここにあるのは白ワインなのです。ちょっと色がにごってますが、自家製ワイン。そういうものを飲みながら、いろいろなものを食べています。

 その畑を耕したりしていると、またいろいろなものが出てくるそうで、これもそこの農夫の一人なのですが、日本からジャーナリストが取材に来ているぞと言ったら、面白いのを見せてやると。これはローマングラスだと。あるいはギリシャのガラスだと。こちらは、青銅でできた牛の像なのですね。これを買わないかなんて言ってくるのですが、もしこれが本物だとしても、そういうものをイタリアから持って出ることは絶対できませんので、この人に会ったら、絶対買わないようにしてください。どうもそそられるのですがね。何かロマンがありますよ。こういうものを見ると。これくらいの大きさというのは買いやすいのですよね。ちょっと持っていこうかという気持ちになってしまう。一応値段を聞いたら200ドルだと言いました。

さて、ここにあるのは、ブドウは一目でわかりますが、こちらのものはなんだろうと。知っている人は知っている。ここには白い色をしたものがあります。黄色っぽいものもあります。これなどはよくわからないけれど、本当はもっと赤いのですね、中を見ると。種明かしをしてしまいますと、実はこれなのですね。イタリアではフィーキディインディア、インドのイチジクと言われていますね。見かけはイチジクに似ていますが、サボテンの実ですね。どうしてインドのイチジクなんて呼ばれるようになったかというと、コロンブスが南米をインドと間違えて南米にたどり着いたときに、そこから持ち帰ったと言われてます。これ大きな棘もありますが、この大きな棘、この黒いところから生えているのですが、それ以外にもこの辺にも透明な感じの無数の小さな棘が生えているのですね。それが手に刺さると、3日くらいチクチク、なにか触ったときにもチクッと来るくらい、結構棘が大変なのです。ですからこれをむくときは、ゴムの手袋をして、ナイフを片手に、慎重に注意深くむいていくわけです。その赤く熟した実は、食べるとスイカのような、あるいは桃のような食感。ただし、仁丹みたいな種がたくさん入っていて、それがまた口の中で粒粒が気になるのですね。最初はそれを少しずつ出していたら、見ていたアグリトゥリズモのオーナーが、そんなことをやっていたらきりがないから、全部食べろというのですね。そんなの食べたら盲腸になるんじゃないかと思ったけど、まあ食べろと。確かにそうやって食べたほうが、結構さわやかな甘みがあって、味はいいのですね。慣れてきましたら、種ごと食べられるようになりました。結構今は南イタリア、それからサルデーニャなんかは、高速道路の両脇にずっとこのサボテンの並木のようになっていまして、これから夏にかけて、ずっと八百屋さんでも売られるようになります。もしイタリアへ行ったら、ぜひこれを買って、ただ八百屋さんではむいてないので、自分で皮をむきますので、くれぐれも注意してください。


 シチリアは内陸も非常に豊かですが、海のほうもやはり島ですから、美しい島。これは先ほども言いましたシャッカという、アラブ語で「熱い水」という意味があるとかいろいろありますが、温泉(テルメ)があって、そのテルメで療養する。同時に、ここは昔からマグロ漁とか、そういう大型の漁でも有名なところでした。ただ最近は、あまりマグロが獲れなくなった。全部日本人が食べたと言われてしまうのですが、アラブからノルマンの時代、ずっと繁栄した町で、ところどころノルマンの城壁が残っていたりします。

 そのシャッカの朝ですね。港を散歩していますと、漁師さんが自分で捕ってきて、箱に並べてすぐに売ります。当然、新鮮な魚が並びます。だいたい小さいものはこのイワシですね。それから、イサキに似たもの、アジに似たもの、タイ、シャコ、カニ、特に白身の魚、青魚、非常に新鮮なので、これでスープを取ったものがなかなかおいしいのですが。そういうお仕事を終わると、のんびり港で座っているおじさんたちとか、町の中を散歩したり、あるいは、海岸線を散歩する。

 そのシャッカの町から、車で5分も行ったところに、モンタルバーナさんという人が、やはりオリーブ園と、これは9月だったのでまだ熟していませんが、オレンジですね。シチリアは中がざくろのように赤い、タロッコという種類のオレンジが有名ですが、その種類ですね。これが秋から冬、実ったころに行くとちょうどいいのですが、逆に4月から5月は、花の香りがものすごいですね。シチリアを夜に車で走っていますと、あまり高速でもランプが少ないので、真っ暗な闇の中を窓を開けてバーっと走ると、オレンジの花の香りがフワーッと車内に入ってきて、僕は運転しないのでよかったのですが、運転していたら、思わずハンドルを放してしまうくらい、非常にいい香りがします。

 そのモンタルバーさんの家ですね。なんとなく沖縄に行くとこういう家を見ますね。よく似ていると思いませんか。始めてパレルモの空港に立ったときも、空気とか光が沖縄に似ているなと思いました。建物なども、沖縄へ行くとこんな感じの建物がありまして、やはり風通しよく、シチリアも実は常時風速6メートルくらい海岸線ですと吹いていますし、平均気温でも32度といいますと、まったく沖縄とよく似た気候です。ただ日本の場合は、アジアのほうから湿った空気、時には大きな台風も来ます。それがないということで、シチリアはずっと乾燥した感じですね。その代わり、北アフリカの熱風も吹くし、シロッコも吹くし、台風の代わりに乾いた熱風が吹いてくるのがシチリアです。

 そのモンタルバーノさんの家のお料理ですね。これは真っ黒で、以前、ダニエラ・オージックさんが、この写真を見て、これカポナータなのですが、そんな変な色したカポナータないよなんて言われて、料理雑誌などではピーマンとか、たまねぎとか、色とりどりできれいに仕上げますから、しかし、これは実際に家庭では、野菜を煮込んで煮込んで煮込んでいくと、こういう色になります。塩がきついので、このペコリーノのチーズの、これはリコッタを少し燻製にしていますが、このチーズとあわせて食べると、ちょうどいい味になったりするのですね。ほかにはオリーブですとか、奥にあるのはお菓子で、これは中はアーモンドのクリームとお砂糖で作った、何か羊羹みたいな食感でしたが、ものすごく甘いですね。クッキアテッラ、方言ではクッキアテッダと言いますが,多分アラブから来たお菓子だろうと思います。そのシチリアでは、町を歩いていると、これがシチリア名物のカロッツァ・シチリアーナ、馬車ですね。これに乗って、シチリアの町の中を観光します。

 これはカステルヴェトラーノの町の中ですが、これを作る職人が今は少なくて、1つこれを作ってもらうと、100万円くらい、あるいは200万円くらいするのだという人がいます。全部手作りで、ここにいろいろな絵が描いてあります。特に有名な絵としては、ノルマンとの戦いの絵ですね。アラブ人とノルマン人が戦っているところですとか、そんなような、ワインの名前でも、そういう時代の英雄の名前、タンクレディなんていう名前のついたワインがありますが、そういう絵などを1つ1つ手で描いたこったものですね。こういうもの、特にパレルモからちょっと丘に上がったモンレアーレという修道院が、非常にドゥオーモがきれいなところですが、そこの広場へ行くと、観光客用に馬車が何台か停まっています。

 シチリアの、実はこれコルクの木なのですね。コルクは、主にイタリアですとサルデーニャが有名。それからあとはポルトガルですね、世界的には。意外とこのシチリアのコルクが知られていないのですが、かつては南ヨーロッパはほとんどコルク樫で覆われていたくらいに、野生のコルクがあちこち森を作っていました。そのコルクの木を剥いで、いろいろ手間がかかるのですが、コルクをとるのですが、だいたい10年目くらいから15年ものがよいコルクが取れるそうで、よくワインを飲んで、ちょっとコルクのにおいがするなという場合は、大方この地面から30センチから50センチくらいの、つまり地面のカビですとか、そういう臭いが染み込んでしまった部分。普通はそういうのは家具ですとか、鍋敷きみたいなものですとか、あまり食べ物には使わない。こういう高い部分ですね。このあたりからこのあたりの高いところの部分を、オリーブオイルやワインの栓に使ったりする。それを収穫しているところですね。結構大きいから、重くて重労働かなと思ったら、やはりコルクですから、意外とこれ軽いのですね。1人で5枚くらい重ねて持っても大丈夫なくらいです。

 そのコルクを、大量に生産しているところ。スーゲリ・ブーアさんというお家なのですが、彼らは今度の本にも紹介しましたが、今アグリトゥリズモをやろうと準備をしているところなのですね。1800年代から親子4代続いているコルク製造業で、マルサラという料理酒でも有名なフローリオのコルクですとか、それからドゥーカ・ディ・サラパルータ、コルボなんて有名ですが、このワインのコルクはほとんどすべてここで生産してきたものです。一時期は、お父さんは1日16時間働きづめで、ハンドメイドでコルクを作って、できたらバイクの後ろに乗せて、フローリオだとか、コルボの会社、ドゥーカ・ディ・サラパルータに納めたんだなんて言っていましたけれども、これはもう5月の終わり、6月に近いころで、気温がこの日は38度くらいありましたね。

 収穫して3年くらい寝かせます。2年か3年寝かしたあと、今これは何をするかというと、実はお風呂に入れるのですね。四角く束ねて、2時間くらい沸騰した大きなお風呂、プールみたいな中で煮て、中のあくを抜いたり、雑菌を殺したり、その後、2トンくらいの重りを上から乗せて、そうすると、この湾曲した部分が平らになります。それでカットしやすくなります。それをカットして、コルクの形に抜いていくわけですね。それの準備をしているところです。

 この人はカステルヴェトラーノに住んでいるリーパリさんという、かつては観光ガイドの仕事をやったりもしていたという、観光バスの運転手もやった、そういうおじさんですが、趣味として、そのコルクで神殿を作っているのですね。非常にちゃんと神殿の設計を細かく自分で設計してやっている。これはセリヌンテのE神殿。崩れた部分も、いろいろな文献で研究して、再現していくのですね。昔はここは全部こういう色が塗ってあったのだとか、中にはこういう神様が祭ってあったとか、そういうものを全部作って、完成させています。そのパオロ・リーパリさんとか、アグリトゥリズモに泊まりながら、また地元の人からこういういろいろな方を紹介してもらうというのも、1つの楽しみではあるわけです。

 これは先ほども出ましたアグリジェントのコンコルディアの神殿ですね。非常にダイナミックな神殿ですが、ギリシャのほうは白い大理石が出ましたから、オリンポスの神殿は真っ白ですが、このあたりはそういうものが出ない。ここのこの飾りのシンボルがこういう形にしてあるのは、もともとは木で作ってあったという話があります。その木の飾りの名残、それがこういうふうに今残っている。ガイドさんなどはそういう説明をしています。

 このカステルヴェトラーノの近くにセリヌンテという大きな遺跡があります。その近くに、またこの石を掘り出した石切り場の後も残っています。筋が見えますが、こういうところで少しずつ分けて切り出したものを組み立てていく。そういう大きな仕事を、昔のギリシャ人はやっていたわけですね。

 これがセリヌンテの神殿ですね。海に面した神殿。

 これはセジェスタです。パオロ・リーパリさんの説明によりますと、紀元前5世紀ころの神殿ですが、こうした内陸に入った丘の上にある神殿は、シチリアで唯一ここだけなのだと。非常にに珍しいと。このあたりは、ギリシャ人以前は、シカニ人という先住民が住んでいたりしまして、この上には、その先住民族の後にギリシャ劇場が作られた跡とか、そういうのがあります。

 これは4月の風景ですね。3月の20日くらいからずっと旅したときの写真で、まだ春らしい春というほどでもない。ちょっと寒い感じがする日もありました。

 シチリアを観光していくと、神殿ばかりで、テンピオ、テンピオとそういう感じになるのですが、海のほうへ行きますと、これはスコペッロという、やはり西海岸ですが、パレルモのほうからトラパニにかけて、カステッランマーレという海辺の町があります。スコペンロのこのあたりは、かつてはマグロの漁で有名なところですね。マグロを捕る船が出て行く。私はまだ撮影はしたことないのですが、マッタンツァというテレビのドキュメントを見たことがある方もいらっしゃると思いますが、4、5人の男たちが乗ったボートが何艘か出ていって、大きな網をかけて、マグロの群れを追い込むと網の中に囲んだマグロを棍棒でひっぱたくわけですね。海が一面真っ赤に染まる。ある人は残酷だと、ある人は自分も燃えてくるみたいだ,などと言うそんな漁です。今はそういう漁はファビニャーナ島などで一部で、お金を払って見せる程度にやっているらしいですが。ここもかつてはそういうマグロ漁で栄えたのですが、今は寂れてしまいました。そのあたりが、でも風光明媚で、日本では西伊豆のような雰囲気のところなので、観光客はこういうところへ来ます。

そこの上に、バリオ、ここはバリオと呼ばれる領主といいますか、庄屋さんといいますか、そういう人が住んでいた跡ですね。建物が周りを囲んで、1つの中庭になって、この建物1つ1つに、かつては人が住んでいたところをレストランをやっています。この目の前にあるのが、シチリアではアラブの料理が結構影響を受けた料理が有名ですが、これはクスクスという、この人もクスクス笑っているような感じがしますが、魚介、カジキマグロ、あるいはタイ、それからアジとか、タコ、エビなど、魚介を全部スープにするのですね。これは引き割りの小麦、それを蒸して、このスープを上からかけて食べるのですが、非常にさっぱりしておいしいと。ふつうアラブですと、クスクスは肉を使うのですが、このあたりは魚介のクスクスがとても有名で、トラパニ、あるいはその近郊に行ったら、これは絶対食べなければいけないと言われまして、食べたら本当にやみつきになります。

 今のマフィアのボスみたいな顔した彼のお父さん。先ほどコルクを取っていたときの顔とぜんぜん違いますが、自分で有機栽培の農園もやっていまして、そこの農園のところに、約50人ばかり集まることができる家もあって、ここはちょうどパーティをこれからやるのだと、復活祭のパーティですね。お父さんじきじきにソーセージを作って、やはりぶどうの枝を燃やしたりして、ソーセージを焼いているところです。

 近くの原っぱに行くと、これ野生のアスパラガスなのですね。割り箸くらいの太さで、これだけ見つけるのは結構大変なのです。その野生のアスパラガスを、そのままさっとゆでてオリーブ油をかけてもいいのですが、向こうにいたときによく食べたのは、これを3センチくらいの長さに切って、オリーブ油で小海老と炒めて、ソースを作って、それをスパゲティにからめて食べる。日本に帰ってきて、日本のアスパラガスと大正海老か何かで試したのですが、なかなかその味は出ないですね。実はこの間もトスカーナへ行って、フィレンツェの郊外にちょっと行ったときに、ブドウ畑の脇の斜面に、10メートルに1本くらいずつ、これが見つかるのですね。友人と2、3人で取り集めて、だいたいこの2束分くらい2、3時間かけて集めましたけども、アスパラガスはアスバラギン酸という栄養素を含んでますから、疲れたときとか、そういうときに非常に効くと言われてますけど。古代からこれも薬草の1つとして食べられてきたものですね。ただ日本ではやはりこういうものは食べられないから、イタリアへ行かないといけないと思いますね。

 その農家のすぐ近くに、これはちょうど上にジェラテリアと書いてありますが、三輪オートバイですね。日本も昔はあったのですが、イタリアでないと最近は見かけない。それに、ジェラートを乗せて売っている。お父さんと、息子が学校が休みのときは手伝いながらですね。シチリアの原っぱを三輪トラックがよたよたと走っていくというのは、非常に牧歌的ないい雰囲気になるのですが、ジェラートがまたおいしいのですね。もともとはアラブ人が考案して、シチリアに伝えたものだそうですから、シチリアのジェラートは、よくハンバーガーを作るときの丸いパンのような、ああいうパンに、コーヒーのジェラートとか、レモンのジェラートとかをはさんで食べるのがシチリア流ですね。

 

 シチリアと言えば何でしょう?マフィア。マフィアといえば、コルレオーネ。実はこれがコルレオーネの町ですね。トト・リーニョという90年代初頭、武闘派マフィアの大ボス。今どこかの刑務所に入ってますが、何人殺したかわからない。この町の郊外、もしかしたらこの辺りから時々白い煙が上がると、それは硫酸風呂にまた誰かつけられたな。そういう話が報道されたり、耳にしたり、あるいは、竹山さんという方がマフィアの本をいろいろ書いたりして、シチリアを紹介していますが、彼もそのようなことを書いていたと思います。

 そのコルレオーネも実は田園の中にある農業の町ですね。その町の中に入りますと、こうやっておじさんたちが、それぞれ同じような帽子をかぶって、ゆっくりと、のんびりとしていますけれど、そのコルレオーネの町のちょっと郊外に離れたところにあるワイナリーですね。名前もコルレオーネの王子様、「プリンチッペ・ディ・コルレオーネ」なんていうワインを作っています。カベルネソヴィニオンというフランス原産のブドウですとか、シチリア原産のネロダボラ、あるいはシャルドネ、これもフランス原産ですが、それとシチリア産のインゾーリアとか、そういうようなブドウから、結構おいしいワインですよね。そういうものを作って、ここのワイナリーもちゃんと泊まるシステムを持っていて、アグリトゥリズモをやって、奥さんと娘さんが料理を作ってくれている。これを見るとやはりマフィアということでシチリアを一口で片づけないで、シチリアの田園を楽しみながら、いろいろな歴史文化を訪ね歩くのが楽しいと思います。

 これはまた別のワインで、モンテリンポという。先ほど散々出てきましたが、サンブーカ・ディ・シチリアのあの町のワインですね。これもネロダボラというブドウと、カベルネソヴィニオンを少し入れた赤ワイン、それから、インゾリアという種類にシャルドネを少し入れた、白ワインを作っていますが、非常に優秀なワインですね。

 ネロダヴォラのダヴォラというのは、「アヴォラの」という意味ですね。ギリシャ人が、赤ブドウをシチリアのアヴォラという、シラクーサのちょっと南の港町に持ってきたから、ネロダヴォラとそういう名前がついてますね。そういうおいしいワインを作る大地。

 そのサンブーカ・ディ・シチリアの上には、かつてのシカニ人とか、先住民族、ギリシャ人(セリヌンテ人)が来る前の先住民族の住んでいた住居の跡があったりします。これはアドラノーネという丘の上にあるその遺跡の跡ですね。

 夕暮れになりますと、その遺跡の丘の上から、すばらしい夕日。ここに点のように光が見えます。これは、サンタ・マルゲリータ・ディ・ベーリチェという小さな町です。その町が、実は68年に大きな地震に見舞われて、町の大半が崩れたのですね。だいたい16~7世紀から19世紀に建っていた古い建物がことごとく崩れた。その崩れた跡が、いまだに残っている。その残った後、これは実は教会で、後で修復されたものなのですが、中はこんなふうになっていると。ここはすぐ近くに「山猫」を書いて有名になったランベドゥーザの別荘などもありまして、今は公園になっていますが、いわゆる廃墟の美といいますか。日本では今、廃墟ブームで、いろいろな廃墟を撮影した写真集が有名になっていますが、シチリアもこの町、あるいは近くのポッジョレアーレ、この町も地震で町全体がゴーストタウンになったという、そういうところもあります。ここも1つの観光スポットにはなっているわけですが、なんとなく悲哀を感じつつ旅をする。

 そのシチリアの西のほうから、一挙にこれは東のほうに行きます。真ん中のボトルをよく見てください。絵が描いてありますね。なにか山が火を噴いている。これエトナ山なのです。実はこれはカターニャのベナンティという会社のワイナリーで撮影したものですが、エトナ山のすぐふもとにぶどう園があります。この辺りは火山灰による黒い大地で、カターニャの町へ行きますと、町はシンボリックな真っ黒い像のアラベスクがあったりとか、建物は結構黒ずんで、全体的な印象が黒いですね。それはこの火山灰と火山岩でできた石で建設されてきたから、そういう黒っぽいイメージになるのですが、大地としては非常にミネラル分が豊富な、なかなか栄養価の高い土地だそうです。そこですごくおいしいワインが作られるわけですね。これはそこのワイナリーの代表的なものです。

 そのカターニャの町から10キロばかり離れたところ、向こうにエトナ山が見えますが、アルカーラというアグリトゥリズモがあります。そこのご主人、奥さんのアンナさん。手にはオレンジの花の蜂蜜。オレンジのジャム、そういうものを作ってますが、後ろがすべてオレンジ畑ですね。そのアルカーラというアグリトゥリズモがこの写真です。

 これは朝撮影したアルカーラの農園の中ですね。奥に母屋が見えまして、よく見ると木のところに赤い実がなっているのですが、胡椒のような赤い粒が、口の中に入れるとやはりちょっとぴりぴりとする感じですね。香辛料にも使ったりするそうですが、そういう実が成っていたり、いろいろな野菜類、フルーツを栽培しているところです。

 夜になると、世界各国の人が集まって、夕食をとる。正面でこちらを向いているのが、先ほどのアンナさんのご主人ですね。いろいろな国の人が集まるから、自分でそれぞれお国の手料理を作って出してもいいのよということで、この日はちょうどドイツの人とオランダの人が来ていましたね。そういうことで、いろいろなアグリトゥリズモの1つの楽しみというのは、世界各国から来た人と同じテーブルで食事をしながら、いろいろな文化の交流をする。そこがアグリトゥリズモの楽しみの1つです。

 そのカターニャから少し東のほうへ行くと、有名なタオルミーナ。ギリシャ神殿が美しい。右上のほうにはちょっとかすんでいますが、エトナ山が広がっている。

 


 タオルミーナから一挙に(シチリアを後にし)これはプーリアに来ました。これはオストゥーニという町ですね。プーリアに初めて私が行ったのは、このオストゥーにという町なのですね。そのときは、ローマから8時間くらい電車に乗っていましたから。バーリまで続いて、バーリからまた3、40分かけて、駅に着いたら、ミニの市内バスが駅前にありまして、それに乗って、オリーブ林の中を抜けて、オストゥーニの町の中へ入ったのです。しかしこのオリーブ畑というか、オリーブの森は、非常に見事でした。町を少しアップにすると、こういう風景で、千年くらいの歴史があるそうで、最初はギリシャ人が建てたといいますが、こういう教会の建築などを見ますと、後期ゴシック、そして、バロックのスタイルですね。スペインの影響を非常に色濃く受けている。そういう感じがします。壁が白いのはやはりギリシャの影響だと思うのですが、アンダルシアの雰囲気にもよく似ていますね。私はまだスペインには行ったことがないのですが、写真などを見ると、やはりここがスペインだと言われても、はいそうですかと言いたいほど、アンダルシアの風景にもよく似ている。

 そのプーリアの町は、ほとんどどこへ行ってもそういう白い漆喰で塗られている。これはマルティーナフランカという町ですが、このフランカというのは、「免税された」ということを意味しますね。このあたりをノルマンのルッジェーロが支配して、ターラントの王様になっていましたが、そのノルマン王が、このあたりに町を作って住んだものには、免税にしてやるぞということで、領地を拡大するために、人を送った。出来上がったのが、マルティーナフランカだそうです。ここもこういう白い漆喰に塗られた町が迷路のように入っていて、散歩をしていると飽きない。特に教会などはバロックの建築で、見事なのがたくさんあります。

 これはオストゥーニの町の中で撮影しましたが、やはり三輪車に、路地が細いですから、野菜をぎっしり積んでいる。よくサンマルツァーノという細長いトマトがあって、あれはもともとナポリが有名で、ナポリだと、ナポリのものだという本当にステロタイプなイメージがありますが、結構プーリア産も多いですね。このあたりのフォッジャ周辺には、大きなトマトの畑がありまして、そこで作ったものが、どんどんどんどんまたナポリで缶詰にされています。トルコ人などの外国人労働者を低賃金で酷使している、そういうドキュメンタリーを見たことがあります。結構プーリアの農産物というのは、イタリア一と言われるほどですから、いろいろなものが豊かですね。

 これはロコロトンド。ロトンドというのは丸いですね。こうやって見ると王冠のような円形の形をした町ですね。中はやはりほかの町と同じように、白い迷路です。

 それから有名なのが、アルベロベッロですね。慣れないと舌をかむような。でも美しい木という、なぜかそういう意味なのですね。石で作られていますが、もともとは農家のお百姓さんたちが納屋に使ったり、住居に使ったり、かつては、免税のために、いらなくなったらすぐ崩して、壊しやすいようにただ石を積んだだけにたそうです。今は漆喰で固めてありますが、かつてはそういうことをしてもいけないとも言われていたそうです。町の中を歩くと、まぶしいほど白い。非常にそれが印象的な町です。その町を歩いていると、こうやってハーブを束ねているおじいさんと、その作業を見つめているおばあちゃん。こんな生活風景が見えてくる。

 先ほどのオストゥーニと、ファサーノという町の近く。これはどちらかというとファサーノの郊外ですが、グレコ・ディ・コペッツォと言う、やはりオリーブ畑に囲まれたところがありまして、そこにあるサラミーナという、かつてのやはり農園主の館ですね。マッセリアと言いますが、これは特に大きくて、お城のような形をしています。ここにご主人が住んでいます。夜になると、こんな幻想的な風景になって、なかなかいいのですね。これが果たして日本の人たちに、農家に泊まるのだといって、これを見せて、農家と思ってくれるだろうか。これをちゃんとわかってくれれば、アグリトゥリズモの旅だよと言ったら、ああ行きたいと思ってくれるのかもしれない。

 これが経営者のご家族で、4代目ですね。奥さんがいて、娘がいて。で、娘の婚約者だそうです。

 ここは、料理が大変おいしかった。実はこれは一昨年撮影したもので、今このコックさんは、独立してレストランを別に開いて、ここには別のコックさんも働いているけど、フランチェスコという彼の料理はものすごく上手だったので、僕が行くときは呼んでくれるかと言うと、呼んでくれると言うのですが、今のコックさんもでも上手だと言ってますからね。でもその彼が、これ2時間で全部作ったのですね。撮影するからというと、もう見事な手際でしたね。10時に始まって、12時ぴったりに終わるのですよ。もうびっくりしました。で、味がまたおいしい。一昨年、ここを舞台にしたツアーを組んで、20名くらいの方が参加してくれたのですが、お昼もフルコースで食べて、もう今日は夜はおなかに入らないとみんな言っているのに、ここに帰ってくると、やはり食べてしまうのですね。本当においしいのですよね。なぜおいしいの、こんなにと言ったら、素材が新鮮だからだと軽く言うのですね。「僕はいろいろな料理を勉強して、中華料理もフランス料理も、ドイツに行ってドイツ料理も」。ドイツ料理ってなんだいと言うと、ソーセージとジャガイモだなんて言ってましたが、日本料理だって勉強したことあるんだよと。まだ40そこそこですね。7歳のときから料理に興味を持っていたと言います。そういう人が作った料理は素晴らしい。おそらく新しいコックさんも、そういうすばらしい人が来ているはずです。

で、サラミーナのお城のような家から散歩にふっと出ようとすると、こうやってヤギだの、羊だのの群れが歩いてくる。やはりイタリアの田園だなと思いますね。

 これはそのサラミーナの前のオーナーのご家族で、ビアンコ家といいます。そこの人たちが、またファサーノの隣町チステルニーノにヴィラ・チェンチというやはりアグリトゥリズモを経営しています。アグリトゥリズモといっても、彼女たちはもともと実業家の娘たちで、農園をやってないのですね。ですから、純粋にはアグリトゥリズモといえるのだろうかどうかと思っていますが、一応アグリトゥリズモという看板を下げています。そのヴィラ・チェンチの中は、こういうやはりトゥルッリがあります。アルベロベッロだけでなくて、この辺りはこういう建物が多いですね。これはかつては馬小屋に使われていたところ。中を改造して泊まるのですが、天井がドーム型で、やはり真っ白です。なにかロマンチックな雰囲気になりますね。やはり夜になると、こんな幻想的な風景。これはシャッタースピードを何十秒と遅くして、本当は空は真っ暗なのですよ。ですけども、シャッタースピードをゆっくりさせると、空の雲まで写りこむのですね。プールサイドにあるランプが少し照らしている。とても夜もいい雰囲気ですね。

 そのヴィラ・チェンチのオーナーの友人だというフランチェスコ・アマーテさんという、彼がやはりオリーブ園を経営していまして、後ろにあるのはもう500年以上たっているオリーブだそうです。そのオリーブ園のまた中をずっと歩くと、これはもう800年くらい。ものすごいオリーブですね。だけど実がびっしりなっているのですね。びっくりするくらいです。

 そのオリーブの実を取るときに、こうやって棒を持って、上まで上がって、枝を打ち落としてと、ちょっと荒っぽい。手摘みのトスカーナと比べれば荒っぽいなと思うのですけどね。棒でたたいて落としたこのオリーブを、なんかざるみたいになっていて、これが振動して、実だけがぽろぽろと落ちるのですね。オリーブは緑色から黒紫まで熟していくと色が変わっていくのですが、そのくらいになると、ぽろぽろと実がとれるので、そうやって落として、その後、オリーブを絞るのです。

 これはそのアマーテさんのフラントイオという搾油所のかつて使っていた、今はもうステンレスの機械で絞るらしいのですが、昔はこういう花崗岩、その大きな車輪でつぶしていくと、この下がフィルタになっていまして、この下にたまるのですね。彼がちょうど、これはヴィラ・チェンチで働いている運転手さんに連れてきてもらって、ちょっとそこに立ってみてくれと言ったら、

「俺がかよ、昔よくこれ牛がやっていたんだぜ」

なんて言ってね。まあまあと言って、ポーズをとってもらったのですが。こちらと向こうに牛をつないで、それで回したそうです。現在はそういういろいろなかつての農機具をここに飾りながら、オリーブ博物館として見学させてくれます。

 すばらしい海ですね。これは、オートラントという、やはりプーリアのもう踵(かかと)のあたりというか、レッチェから行ったのですが、そこの海ですね。やはり海も素晴らしい青です。そのすばらしい海ですから、海産物もいろいろ採れまして、これは何をやっているのかというと、手をよく見ると、なんか足が生えているような。これは実はタコなのですね。タコを生で食べるのですが、やわらかくするために、ああやって漁師さんは叩きつけているのですね。手前に影が写っていまして、僕はカメラ構えています。あの手とタコは、振り上げている手と、面白いリズム感になってますけど、そういうようなことをやって、このあたりはやはりウニも生で食べたり、タコやイカを生で食べたりします。

これはやはりこのプーリアの近くのポリニャーノ・ア・マーレというあたりで撮影しましたけれど、もう1つマルティナ・フランカの郊外にあるアグリトゥリズモですね。そこのワインを持ち込んで写したのですが、それがこのアグリトゥリズモですね。チェントローネ・ピッコロといいます。真ん中がシルバーノさんというコックさんで、後はオーナーの息子とお母さんなのですね。お父さんは実業家で、マルティナ・フランカの中で大きなホテルも経営している。そこのアグリトゥリズモですね。ここも料理がすばらしくおいしいところでした。

それからまたオストゥーニに近いところに、マルザロッサというアグリトゥリズモがあって、そこのオーナー。だいたいオーナーは優雅ですね。何もしないですね。お百姓さんたちを雇って、いろいろさせますから。お金があって優雅。日本とちょっと違うのではないかな、やはり。それでこの中がこんな素敵な、ここは本当にもっともっと部屋の中をいろいろ見せたいくらいですが、ぜひ新婚旅行で行ってほしいなとかね。銀婚旅行でもいいです。この素敵なエントランスをワインのラベルにしていますね。そのくらいに素敵なのですね。プールサイドをブーゲンビリアに囲まれたりとかね。ここを紹介してくれたのはピエトロさんという地元のガイドであり、ジャーナリストですね。イタリアはジャーナリストはきちんと国家試験を取って、難しい試験に通らないとうけない。ジャーナリストという看板を出せないのですが、彼はちゃんとジャーナリストの証明書を持った正式なインテリジェントですけども、確かケンブリッジで考古学も勉強してきたといいます。彼が今日はトシにと特別に面白いところに案内してくれました。ちょうどそのときに、これ一昨年でしたか、イタリアメーリングリストでも名前が知られてますが、本郷にフォルマーレ(9月末に「コーコゴローゾ」と改名)と言うレストランがあって、そこのオーナーたちのグループがちょうど来ていて、彼らと一緒に特別ここを見せてもらいました。何でしょうと思って、中に入ったら、こうやって壁画が描いてあるのですね。ビザンチン時代の壁画があって、かつて修道僧たちがここに隠遁しながら修行していたところです。片手に持っているのはグラッパでなく、ただの水。あの水をスポンジに湿して、壁面を濡らすと、乾いていた壁の表面が水で、よく石を水につけると、きれいに見えますよね。あれと同じ原理です。絵が浮き上がってくる。ここはサン・ロレンツォの洞窟と言われているところだそうで、これは聖人ロレンツォの像ですね。こういうものが残っている。



 そしてだんだんだんだん北上して、ここはナポリ。向かいにあるのがヴェスビオですね。この人、ナポリといえば一頃トトというナポリの有名な役者さん。なんとなく顔が似ているなと思って、すぐ上に自分の家の表札なのですが、自分の顔をトト風に描いた表札を下げているのですね。あなたはトトに似てますねと言ったら、喜んでましたね。

 ナポリといえば、モッツァレッラ。モッツァレッラの一番本物はブッファラ、水牛。その水牛からとったミルクで作ったモッツァレッラは、バッティパリアというあたりが、ナポリとサレルノのほうに行きますから、サレルノの近郊のほうがそういう水牛が多いですね。そこでとれたモッツァレッラをトレイに盛りあげていますが。それをたらふく食べさせてくれるのが、ここのアグリトゥリズモですね。イルフォルナアンティコ。実は経営者がお医者さん。ここはやはりオリーブを生産している農家なのですが、一生懸命その長男が勉強して、ナポリでお医者さんになって、彼がいろいろな農園の運営をやっているのですが。

 サレルノから少し南へ行くと、パリヌーロという海のリゾートがあって、その隣にピショッタという、やはり海のリゾート。その辺り。ピショッターノといわれる種類のオリーブを生産している。オリーブはこの実よりも、葉っぱを裏返して、葉っぱの形で見分ける。これはマチェドーネ。マチェドニアという名前がついているオリーブの種類だそうです。

オリーブといえば、今日も来ていらっしゃいますが、馬場裕先生が非常に詳しくて、私もいろいろな勉強をさせていただきましたけども、何百種類もあるそうですから、また機会がありましたら、オリーブについては馬場先生にぜひお伺いしたいと思います。

 そのサレルノといえば、サレルノ医科大学、11世紀にノルマンのルッジェーロが、ユダヤやギリシャ、アラブの学者たちを集めて、医科大学を作った。これは18世紀の研究書。このオーナーが2冊あるから、1冊やるよと、その古書をもらってきたのですけどね。それがその表紙です。で、お医者さんですから、やはり自分のアグリトゥリズモで、自分らしいことをと、いろいろな薬草のセミナーを一生懸命やるのですね。こんな顔して、下のほうににんにくとか、唐辛子とか並べて、彼の顔を作ったのですが。ちょっとアップにしましょうか。とても楽しい。この唐辛子がまた辛くて、5ミリくらい口に入れただけで、火がついたようになるのですが、彼はバリバリバリバリ食べるのですね。これはいいんだと、カプサイシン。

 これはミラノに行ったときに、ミラノの彼の病院で、本当にお医者さんだったんだと思って。気さくでとても面白い人です。

 その近くに、リアス式のような入り江になっていますが、その上にこれはサラセンの塔と言われているそうですが、何か雲まで同じような格好をしてますが、あれがだいたい500メートルとか、入り江の形によっても違いますが、そのくらいの距離で建っていて、かつてはあそこから鏡を使って、光通信をやっていたのですね。何百年も前に光通信をすでにやっていたという、驚きの話がありました。

 そのカンパーニャからまたちょっと内陸に入って、イタリアはアペニン山脈が半島を貫いています。グランサッソという3000メートルに近い高い山。その峰峰ですね。そのグランサッソの麓の州アブルッツォ。テラモとかラクイラという町が有名ですが、トラノ・ヌオーヴォという町があって、そこにものすごいワインを作っているモンテプルチャーノという種類なのですが、それを作っているエミディオ・ペペという、これもちょうどリンゴの花が咲いているところですね。向こう側に町が見えるのが、トラノ・ヌォーヴォの町なのですが、やはりアブルッツォといえども、おいしいぶどうを作るところは、トスカーナですとか、シチリアですとか、よく似た感じの丘ですね。彼がエミディオ・ぺぺさん。さっきは後ろにある家ですね。家の2階から撮ったのですけどね。今度反対側に来て、畑の中に来ました。これがそのワイン。97年、85年。85年でいえば、2万円位するものだと思います。それだけの価値はあるだろうなという味わいのワイン。

 なんとここは、白ワインなんぞも足でつぶすのですね。昔ながらの製法で、これも絞ったら、セメントのたるで発酵させて、で、発酵して、瓶詰めにして、10年20年と寝かすのですが、だんだん寝かしている間に、少しずつ蒸発して目減りしますから、そうすると家族総出で、同じヴィテージのボトルを少しずつ足していくと。全部手作業でやっているワインですね。

すぐ近くには、アスコリピチェーノ。ちょっと県が違ってしまいますが、これはマルケですけどね。車でちょっと行くと、アスコリピチェーノの町があったりと。ワイナリーでイタリア一のワインを飲みながら、そういう小さな都市巡りも楽しいですね。


 イタリア半島の内陸といえば、緑のハートといわれるウンブリア。そのウンブリアのもっとも有名な町はやはりアッシジですね。今右側に見えるのが、サンタキアラ。左が、黒っぽい屋根のドームがサントステファノ。今日はちょっと一番有名なサン・フランチェスコの写真は入れていませんが、アッシジの町。左側の端にサン・フランチェスコが見えて、町全体が見えます。

 もう1つ有名な町はオルヴィエートですね。有名なオルヴィエートのゴシックの最高傑作。ここは夕日のころが一番きれいで、午前中に行くと、一番見所のファサード、正面が日が翳ってしまうので、午後に行くといいですね。

 そのウンブリアのオルヴィエートとアッシジの中間くらいに、トーディという町があります。その郊外にあるこれはアグリトゥリズモですね。ここはお母さんがナポリ出身で、料理が上手。ここを買い取ったのですね。息子がフィリッポといいますが、後お兄さんと2人で、イタリアソムリエ協会のソムリエ資格を持っていまして、ワインの講習会もやります。

 これはまたトーディの近くの別の宿ですね。何か空がやはりちょっとこういう雨が降る直前だったのですが、プールがあまりにも青くて、不思議な写真になっています。部屋の中がこういう感じです。ここはオーナーがもともとミラノの出身で、グラフィックデザイナー。なかなか部屋の色なんかもおしゃれになっています。これも本の中に紹介していますが、ちょっと人里はなれたところで、隠遁生活をしているという雰囲気ですね。

 それから、ウンブリアの中で私が一番気に入っているのは、マルヴァリーナというところなのですが、ここはアッシジまで車で5分くらい。去年も泊まりましたが、あのお母さん、マリアさんという人は、アメリカでも結構有名になっている料理人ですね。後ろが息子のクラウディオという、100キロくらいある体重を今減らしつつあるといいますが、ここはだいたいオリーブ油を作っているのですが、料理が美味い。馬を飼っていて、乗馬を楽しめます。これは母屋ですが、彼はジュゼッペさんといいまして、ガイドなのですね。結構ウンブリアは丘陵地帯を歩くと、いろいろな遺跡、あるいはサン・フランチェスコの足跡があります。そして秋になると、ポルチーニなどが有名ですね。あるいは黒のトリュフですね。そういうきのこを採りに行ったりする。そのときに山は迷いやすいので、彼に連れて行ってもらう。そういうトレッキングコースを書いたガイドブックも彼は書いているのですね。

 そして、これはフォリーニの近くで、テッレ・ディ・トリンチというワイナリーがあります。サグランティーノというぶどうがウンブリアでは有名ですが、そういうサグランティーノのワインを作ったりしている、テッレ・ディ・トリンチのロドヴィーコさんという社長さん。あるいは、オリーブ、ウンブリアはやはりトスカーナ、プーリア、シチリアと並んでオリーブの産地ですから、おいしいオリーブを作っている、ルイジ・テガさんの親子。こういうところをマルヴァリーナに滞在している間に、オーナーが車で連れて行ったりするわけですね。

 これはマルヴァリーノのすぐ先に、また別のガッヴィアーノというアグリトゥリズモがありまして、だいたい部屋の中はこんな感じで、地元の職人が作った鉄製のベッド。ただアグリトゥリズモはどうしてもベッドがダブルベッドになっていたりするところが多いのですね。だから、団体で行ったりすると、ご夫婦とか恋人同士はいいけれど、知らないおじさん同士がダブルベッドというのがあって、なかなかそこがちょっと難しいのですね。ここはそのアッシージからタクシーでも5、6分で行けますから、アッシージまで電車で行って、タクシーを拾っていっても千円ちょっとで往復できます。歩いても大丈夫です。アッシージまで往復3キロ4キロ歩く位の楽しみをしたほうがいいんじゃないかと思います。

 ウンブリアといえば、トスカーナがお隣です。これはレオナルド・ダ・ヴィンチの生家のまわりのオリーブ畑に咲く芥子の花です。ちょうど5月。それから秋になると、これがサンジミニャーノ。サンジミニャーノはベルナッチャという白ブドウから作るワインも有名ですね。

 これはピノキオ。この間映画をやっていましたけれども、そのピノキオの原作者カルロ・コローデイのお母さんが生まれた町、コローディの村ですね。この町のすぐ近くにピノキオ公園があります。

 このトスカーナのこれはシエナとピエンツァ。そのピエンツァの町とモンテプルチャーノの間にあるサント・ピエトロという、ちょうど今これは桃の花、それからアーモンドの花とか、ちょうどそういうものが咲いている時期の光景です。

これが夕食の風景です。奥さんが手料理を作る。ここも奥さんがナポリ出身で、ご主人はマルケ出身。奥さんは料理がとても上手で、頼めばピッツァも作りますという、そういうところです。

 夕暮れになると、ここのアグリトゥリズモの、さっき花が咲いていた左側にちょっと小山になっていて、50メートルくらいの高さですが、そこに登ると、こういう夕日が望められるのですね。オーナーのアンジェロ・フェリーチェは、結構このアグリトゥリズモの仕事はハードなのだよと。朝は早く、夜は遅くと。夕食前の一時、畑から帰って、この夕日を見るときが俺の一番の休息なのだと言っていました。

 そのトスカーナ、また有名なのがキャンティのワインですが、そのキャンティの産地ですね。これはメルカターレというところですが、そこのサルヴァドニカという、キャンティ用のブドウとオリーブを作っているところですね。これはそこの生産物。

 ここはレストランの設備はないのですが、部屋はとてもすばらしい。朝食は出ますから、ここに泊まって、昼はあちこちのキャンティの小さい村を歩いたり、夜はここが紹介するレストランに行って夕食を食べる。帰ってきたら満天の星を仰ぐ。そういう生活ですね。

ここが、あそこにポデーレ・カサノーヴァと書いてあります。ポデーレというのは土地を示しますが、ちょうど桜の木も咲いています4月のところですが、サン・ヴィートという有機栽培のオリーブやワインを作っているところですね。野菜や何かも。ピンツィモニオといって、このねぎをオリーブをつけて食べる、ちょっと塩こしょうしてオリーブをつけてバリバリ食べると、あるいは、赤カブ、にんじん、フィノッキオなどを生で食べるのですが、非常においしい。これがそこのアパルトメント。自炊設備があります。アグリトゥリズモは大概こういう自炊設備を持っているアパルトメントもありますので、家族でここに、あるいは友人同士で泊まって、こういうところで1週間2週間のんびりとします。

 広大なオリーブ畑と、ぶどう園の中には、鶏も放し飼いになっているのですね。トサカの色からして元気そう。夜になるとこうなるわけです。これがうまいのです。またジャガイモもうまいしね。こういうものを健康的な環境で食べていると、子供も元気。これはそのサンヴィートの中で撮影して、毎年ここに来るというノルウェーから来る広告会社にお勤めの家族の娘さんが、食堂と自分のすぐとなりにある家の間を行ったりきたりして遊んでいました。

 それからこれは、カステリオン・フィレンティーノという、トスカーナのアレッツォの近くの町ですが、そこに中世の塔がありますが、この近くにもサントステファノというアグリトゥリズモがあって、この小さなカスティリオン・フィオレンティーノのこのロッジャといいますか、アーチになっている、あれはウッフィツィを設計した有名な建築家ヴァザーリの設計です。やはりヴァザーリ独特のこのアーチの使い方といいますか、非常にきれいな、そういう小さい、人口1万人になるかならないかの小さい、チッタと言わずパエーゼ、そういうところにも偉大な芸術家の足跡があるのですね。

 その郊外にあるアグリトゥリズモの家族ですね。ここは蜂蜜のバリエーションがものすごくありまして、オレンジとかイチゴとか、そのまま一緒に蜂蜜と漬け込んだものですとか、いろいろあります。ちょうどこれを撮影したときに僕は刺されてしまったのですね。春で、フードのついた黒いパーカを着ていたので、あわててそれをかぶって逃げたのですが、フードの中に1匹入っていたのですね。1時間くらい頭のてっぺんが痛かったのですけども。でもまあおいしい蜂蜜を作ってくれる蜂ですから。後で、さっき君を刺した蜂は、もう死んじゃったんだよと聞くと、ちょっと悲しくなりますね。まあ許してあげましょうと。

 またこれはモンテプルチャーノのほうに行ったところの、サンタヴィットーリアというところです。そのアグリトゥリズモ。あそこの家がアパルトメントになっていまして、手前がブドウ畑になっていますが、ここはヴィンサント。ヴィンサントというのは、トレビアーノなどの白ぶどうからワインを作りますが、それを非常に収穫を遅くして、小樽で甘く熟成させたものから作るデザートワインですね。それの非常にクオリティの高いものを作っています。同時にここはオリーブ油が有名で、今年のヴェローナのソルでも金賞を取りました。総合酸度が0.013%とかということで、非常に低い酸度の優秀なオリーブだそうです。

 これがそこで作っているワインで、ヴィンサントと、一番左にグレケットという白ぶどうから作って、これが僕は非常に気に入りましたね。なかなかいいところですね。

 

 トスカーナからまた違う大地に来ました。シチリア、プーリア、ウンブリア、トスカーナと見てきまして、美しい黄色、あるいは赤に色づいていますが、これもブドウ畑ですね。ブドウの種類によってちょっと違う。これは実はエミリア・ロマーニャです。ファエンツァという町の郊外で撮影しました。オリオーロという古い塔があります。そしてこれはその近郊のまた丘の上のほうに、ロマーニャ種の牛が放牧されている。ひところBSEなどが問題になって、最近ちょっとニュース聞かないのですが、ここの牛はこうやって常に自然の草を食べている。非常に安全。そういう牛を飼っているアグリトゥリズモですね。

 これは羊なのですが、彼がここのアグリトゥリズモの長男のマルコさんで、家畜を一手に面倒見ているのですが、首のところがうっすら赤い。で、グリーンになっている。あれは実は放牧しておいたら、夜に狼に襲われたのです。6頭くらい狼に襲われて、2頭は完全に食べられて、後はもう足が歩けないくらい、骨が見えるくらいかじられた羊とか。野生の狼がこのあたりの山にはいるのですね。そういう被害状況も聞いたりしたところです    が。

 後ろにあるあの家の2階に泊まれるのですが、子供たちまで、インゲン豆だとかいろいろなものを収穫してきて食べるのですね。ここは大きなレストランを持っています。宿泊客だけではなくて、町の人たちも車に乗って食べに来るような、ちょっと規模の大きい農園のアグリトゥリズモです。オーナーは孫が16人、娘息子で7人とか8人とか、それぞれ孫がいるので、大家族の大家族ですね。とてもいいところでした。

そのエミリア・ロマーニャのちょうどファエンツァの町から、フィレンツェのほうへ抜ける街道の途中にブリジゲッラという町があるのです。ここも優秀なオリーブオイルの産地で有名ですが、この建物の上のアーチ型に開いた窓、よく見てください。この窓の中をいくと、通路になっているのですね。ここはロバの道と言われている。なぜロバの道と言うか。この先の山で石灰がとれる。その石灰を取って、ロバに積んで、雨の日に積んだ石灰をぬらしてしまうといけないので、雨の日はロバがここを歩いたそうです。左側は家がこうあるのですが、表札を見ていくと、弁護士さんの事務所であったりとか、会計士さんの事務所であったり、あるいはデザイナーの事務所であったり、今はそういうふうに人が左側住んでいますけども、なかなか小さい町ながら、面白い歴史的な伝統ですとか、いろいろなものが残っている町ですね。

 また、ちょっと離れたところには、カソーラ・ヴァルセニオというところで、ここはエミリア・ロマーニャ州経営の薬草園ですね。いろいろなハーブを栽培、研究しています。こういうハーブ園なんかもたずねてみると、またアグリトゥリズモの旅に1つ面白さがまして来ます。

 この人は、イタリアで一番最初にオーガニックの蜂蜜を作るということで認定を受けたロンディニーニさん。ファエンツァの郊外の小さな町チェザートというところに住んでいますが、そこの養蜂園の人で、やはりアグリトゥリズモを運営しています。今日本では蜂蜜がものすごいブームだそうですね。こういうのを真っ先に輸入して売ったらいいかな。

エミリア・ロマーニャといえばマントヴァが有名ですが、この周辺もお米とかいろいろすばらしい産地がありますが、そこから少しヴェネツィアのほうに行って、これはヴェネツィアの風景。夜のヴェネツィア。



 彼はヴェネツィアの本島で最後の漁師だそうです。本島の外に行けばいるのですが、もう彼が最後。

 そのヴェネツィアの中は島ですから、アグリトゥリズモらしいものはあまりないのですが、少し島に野菜を作っているところがちょっとあるくらいで、やはり郊外の、トレヴィーゾの郊外ですね。モンテッロというあたりにあるアグリトゥリズモ。オーナーの名前を取って、ザンボンというところのアグリトゥリズモですね。お父さんが夕食のために朝から鳥とか豚とか牛の肉を大きな串に刺して、薪で焼いていく。そういう肉料理が出たりするそういうアグリトゥリズモですね。

 今のザンボン・エンツォさんのところの、これは朝食なのですね。ここは何が印象だったかというと、この真ん中辺りにあるバターなのですね。この味が忘れられない。これは去年行って撮影したのですが、今年行ったときに、このバターはどこのバターだと聞いたら、この近所にアジアーゴという町があるのです。アジアーゴという町はチーズでも有名なのですが、そのチーズを作っている生産者が作っているバターだそうです。非常においしかった。ただこうやって写真を見ながらおいしいと言っても、味だけは伝えられないので、ぜひ皆さんにも行っていただきたいなと思います。ここはパンも自分のところで石窯で焼いています。

 それから、このモンテッロのあたり、トレヴィーゾ郊外は、ヴィラ、貴族の館がありますね。これはヴィラ・バルバロと言われていますが、マゼールという町にあります。アンドレア・パラーディオというルネサンス時代の有名な建築家がいまして、ローマに建築を学び、そのローマンスタイルで、故郷のポッサーノというところに生まれましたが、トレヴィーゾから、特にヴィチェンツァ、世界遺産になっていますが、そういう建物を設計しました。左右対称型で、ここはローマのパンテオンに似たような建物ですね。先ほどヴェネツィアのサンジョルジョ島を映しましたが、あれもこのパラーディオの設計です。

 そのパラーディオが設計したヴィラ・バルバロ。実はここもブドウを栽培し、ワインを作っているのですね。北のほうですから、カベルネ・ソヴィニオンとか、シャルドネとか、あるいはメルローとか、そういうブドウを作って、ワインを作っています。オーナーのデッレオーレさんという方は、まだ40代半ばくらいで若いのですが、日本語が上手でびっくりしたのですね。かつてまだ黒澤明監督が元気なころに、助監督として2年くらいついていたことがあるのだと。なかなか優秀な紳士。ワインのほうはもう少しがんばってほしいなという感じでしたね。

 ヴェネトの近郊、これはブレンタ川。ずっとキオッジャの方まで流れていますが、ここはバッサーノ・デル・グラッパの町ですね。陶器の町としても有名ですが、バッサーノ・デル・グラッパといいますから、グラッパ、イタリアの有名な蒸留酒、その蒸留酒でも有名なところですね。これもやはりアンドレア・パラーディオが設計したポンテ・ヴェッキオという名前もついてますが、別名アルピーニ橋とも呼ばれています。アルピーニというのは、アルプスの国境警備兵。このすぐ近く、こちら側の下に、アルピーニの博物館とかあったり、そして、ここで有名なのは、ここの建物ですが、ナルディーニというグラッパの有名な会社、日本にも輸入されていますが、その会社のオフィスがあって、すぐ脇にバールがあるのですね。その雰囲気がとてもいい。年季の入った天然木のカウンターの上で、グラッパに限らず、リキュールを飲んだり、楽しんでいますが、この外壁に穴があいているというか、もうぼこぼこ銃痕があるのですね。その跡は何か。ナポレオン戦争のときの銃の跡。無数にここについているのですね。そんな歴史もあります。何度かこの橋は戦争などで崩れて架け替えられて、4回くらい確か架け替えられたと思うのですが、木製で、屋根がある、そういう橋としては、世界でも数少ない、非常に貴重な橋ですね。この辺りのアグリトゥリズモに泊まりながら、こういう小さい町を訪ね歩いていく。

 またジャヴェラ・デル・モンテッロというそういう町、本当に名前は初めて聞く方も多いかと思いますが、そこにアンティカ・トラットリア・アニョレッティというレストランがあります。かつてはアニョレッティさんという人が経営していたところなのですが、1780年創業なのですね。非常に古い。ここは数年前から私の友人兄弟が引き受けていますが、アニョレッティさんが彼らの、これがシェフのマッシモですが、彼の腕を見込んで、任せたところですね。今日は牧野さんという方が来ております。イタリアのオペラとかレストランのガイドブックを何冊も出している方でして、彼の本にもここが紹介されてますが、そのかつてイタリア統一の時には、マッツィ―ニとかカブールとか、面々がこっそりとここに集まって、作戦会議が開かれたという、そういうエピソードも伝えられています。ここも非常においしいレストランで、アグリトゥリズモはだいたい昼食は出ませんので、朝を食べたら、あちこち観光を巡って、お昼はここで食べて、夜はまたアグリトゥリズモで食べる。そんなふうなプログラムにしたらいいのではないかと思います。

 

 ちょうど今日本も紫陽花の時期なのですが、ヴェネトからまた少し西のほうの山沿いに来まして、これはマジョーレ湖ですね。ここの水がティチーノ川という川になって、コモの水とか一緒になって、大きな川を作って、ピエモンテからロンバルディア、そしてエミリア・ロマーニャヘ、ずっと流れていくわけです。

 これは、さあどこでしょう。ミラノです。ミラノのナヴィリオ運河ですね。あそこはもともとは500年前に誕生した、レオナルド・ダ・ヴィンチがフィレンツェを追われて、ミラノに来たときに、基本的な設計をして作った運河だと言われていますが、このミラノのナヴィリオ地区の運河のパヴィアというところまで流れていく運河の1つ。パヴィアの修道院はヴィスコンティ家の霊廟としても知られていますが、このパヴィアの町のほうまで、今の運河が流れて、そのまたすぐ上のべサーティとか、そういう町まで流れていく。かつてはそこから切り出した石ですとか、材木、あるいは主に農産物をミラノに運んでいたと、そういう運河です。その運河の水も、先ほどの湖から流れてきた水が潤しているわけですね。

 そのべサーティという小さい町が、この運河をさかのぼっていくと、ティチーノ川にいたるのですが、その川沿いに小さい町がありまして、一帯はだいたいお米ととうもろこしの畑です。そういう中で、アグリトゥリズモがありますが、ここは主に牛とか豚、そういうものを飼って、サラミですとか、ソーセージとか、そういうものを作っているところです。

 彼がオーナーですが、82年にミラノの大学の農学部を卒業して、ここを買い取って、アグリトゥリズモをやった。今はロンバルディアのアグリトゥリズモ協会の会長も勤めているという。なかなか優秀な人ですね。

 夕食になると、これは特別に僕だけ1つ、写真撮影もするからということで作ってもらったテーブルですが、だいたい大きな食堂は200名くらい入れるのですね。建物も非常に雰囲気がいいです。料理もすばらしかったです。こういう全部自家製の、これはカポナータみたいなものですが、サラミですとか、豚の脂身ですね。こういうようなもの。こういう料理から、かなり重い肉の煮込みなども出ました。1人だと到底食べ切れないくらい。次から次へと出ています。

 周辺は、これはお米の水田ですね。ちょうど秋の収穫の朝のときに撮影しました。ちょうど秋ですから、野鳥が解禁になるので、ハンターが歩いていくのですね。そういうところ。野鳥がいるということは、野鳥のえさになる昆虫もいるし、ということは、畑、水田自体も農薬はあまり使っていない。かつて270ヘクタールも持っている人に聞いたのですが、このあたりはコウノトリも来る、ある意味では野鳥たちのサンクチュアリ、聖域だと。そういうところでは、なるたけ農薬は使いたくないと。でもそうしたら、結構虫にやられたりするのではないですかと聞いてみたら、でもその分よけいに作ればいいのさ。毎年3割くらいは捨てているよ。豚が食えばいいのさと、そんなふうに言っていました。

 そういうところですから、水田の中には蛙がたくさんいまして、これは実は蛙の唐揚げです。おいしいのですよね。よく鳥の肉に似たようなと。あんなボリューム感はないですが。なかなかおいしいですね。こういう料理を食べたりします。

 またロンバルディアは、ポー川の向こう側、オルトレポーパヴェーゼというワインの産地でもありまして、ここはピアチェンツァ、これはエミリア・ロマーニャに入るのですが、そことロンバルディアのちょうど国境地帯のところにあるカステッロ・ディ・ルッツァーノというワイナリーです。伯爵夫人が経営していますね。ここのワイナリーも、もともとは国境、県境にあるので、税関がありました。そこの建物を、自分たちの領地の中にあるのですが、そのままアグリトゥリズモにする。周りは全部ブドウ畑です。

 これは夕方、日が沈む直前。去年の10月の末ごろですね。すごい霧ですね。翌朝も霧で、ほとんど10メートル先が見えないくらい。常に霧です。

 これは翌朝撮ったのですが、彼らがアグリトゥリズモを任され、料理も非常に上手なご夫婦。こういう霧のところですが、後ろの建物、そして、内部ですね。レストラン。これはホロホロ鳥の料理だそうですが、自家製のワインと、自分の農園の中で飼っているホロホロ鳥ですね。その料理。そしておなかがいっぱいになったら、こんなかわいい部屋で眠る。これは最上階の部屋ですが、とてもいい気分でしたね。


 ロンバルディアから今度はピエモンテ。やはりピエモンテへ行かないと、イタリアは終わらないかもしれない。これはアスティのパリオという草競馬があります。シエナが有名なのですが、それよりも200年も前に、アスティが早くやったのだと言われていますが、そのパリオの前のいろいろなパレードがあって、これは農民たちの収穫祭を再現したものだそうです。

 アスティはやはりワインでも有名ですし、ただピエモンテのワインといいますと、このバローロ、これバローロ村。大きな建物が、ファレッティ城ですが、今は農民博物館になっています。

 このあたりはずっとバローロなのですが、この下もネッビオーロの畑で、この辺りはノヴェッロという地区の畑になっています。

 その若い、日本ではまだ知られていないバローロ、なかなかしゃれたデザインのラベルで、いいバローロなのですが、作っている生産者と、友人の、彼は肉を作ったりしているのですね。自分のところでレストランも経営しているのですが、友人同士と。彼のところも泊まれて、彼のところはジャグジー付のお風呂もありましたね。

 すぐ近くには、ムラッツァーノというこのチーズの生産地もあります。最近はスローフードとかそういうことで、こういう小さな村のチーズですとか、いろいろな農産物を、伝統を受け継いでいこうという運動が展開して、非常にいいことだと思います。こういうチーズなどを作っている生産者を訪ねたりします。

これはまた同じピエモンテでも、アレクサンドリアという町の近くですね。アックイテルメとか、そういう温泉地もあります。その近くにあるアグリトゥリズモの1つですね。そこの建物中は花が、オーナーはロザンナさんといって、その花が有名でしたけども。

 

 また海が出ました。これはサルデーニャの海です。先ほどからシチリアの海、プーリアの海とすばらしい海が出てきましたけども、私が今のところ一番美しいという記憶に残るのは、サルデーニャでしたね。首都カリアリから車で15分くらいのところですが、非常にすばらしい海が広がる。

 サルデーニャといえば古代遺跡の、こういう何万年も前の遺跡が、紀元前三千年ですとか、そういう古い歴史から、先住民族が砦のような住居を作っていった。これはバルーミニのスー・ヌラージという世界遺産にされているものです。

 サルデーニャの衣装。これはカリアリのサンテフェジオというお祭りのパレードですね。こういう衣装。そして、近郊にあるカブラスというあたりのアグリトゥリズモ。そこのアグリトゥリズモは馬がいたり、ロバがいたり、そういうところです。

 これはローマのトラヤーノ時代の遺跡が残っている。あるいは19世紀の鉱石を発掘した、そういう跡ですね。その町の産業遺産が残っている。廃墟になっている。またその廃墟を巡る観光も広がっている。

 そして、サルデーニャの有名なワイナリーが、カリアリの郊外に、アルジョーラスというのがありますが、そこのトゥーリガという、ラベルになっているのは、カリアリの考古学博物館の中にある女性像ですね。聖母像と言われていますが。それをラベルにしました。

結構これは僕が食べるのが大変だったのですが、子豚ですね。これも名物料理。それから、マレルッドウスという面白い形のパスタ。一番おいしかったのはカラスミ、ボッタルガですね。

 というわけで、イタリア、いつかまたヴェネツィアの話をしたいと思いますが、どうも長いことお疲れ様でございました。ありがとうございました。



司会  時間の関係でまとめて質問を受けて、まとめて答えるスタイルをとらせてもらいたいと思います。


篠  今一番行きやすいところどこでしょう?という質問がありましたが、一番行きやすいのを2つ。マルヴァリーナというウンブリア、アッシジからタクシーで5分くらいでいけるところ。料理もおいしいし、ここいいですね。それから、トスカーナのサンヴィート、さっき鶏を食べたところですね。あそこも、モンテルーポという町の郊外ですから、フィレンツェから車に乗って20分くらいですね。モンテルーポは陶器の町で有名。それから、そこに頼んで車をチャーターすれば、ヴィンチ村ですとか、そういうところも行けますし、すぐ裏は、ちょっと散歩する程度で、アルテミーノという丘の上の町があります。メディチ家のヴィラがすぐ近くにあって、暖炉の煙突が部屋の数だけたくさん立っていて、100の煙突のヴィラと言われています。メディチのそういう館があります。そんなところを巡りやすいので、トスカーナのサンヴィート。それから、もう1つお勧めだと、やはりミラノからすぐ近いから、先ほどの公爵夫人のところですかね。ピエンツァ。そこから電話すれば、車で迎えに来てくれると思います。このあたりが行きやすいのではないかと思います。


牧野 宣彦  篠さんのご本の中にもご紹介いただいて、今日も写真が出てきたのですが、プーリアのマッセリアサラミーナ。ここのちょっとした紹介の記事が、アリタリア航空のホームページで紹介されることになりました。で、そこでファームステイというイタリアの旅行のヒントというコラムがありまして、そこでマッセリアサラミーナのことが紹介されることになりました。また、マッセリアサラミーナは、日本語のホームページを私どもが作っておりまして、そちらも、篠さんのご本の中にアドレスがあるかと思うのですが、ご興味がある方はぜひご覧ください。


司会  そうですね。トスカーナの宮川秀之・マリーザさんのところがあります。これは日本語でFAXで連絡でき泊まれますので。ワインを作っておりまして、自由が丘にアミーチという店を持ってまして、サッカーの岡田監督とか、後藤久美子さんとか、共同出資をしてやっております。


竹川佳須美  イタリア旅行専門店を始めまして1年ほどたったのですが、今日静岡から参りました竹川です。よろしくお願いいたします。入り口のところにチラシを置かせていただきましたが、私も当初からアグリトゥリズモ大変興味を持って、一生懸命やっているので、今回ご紹介したいと思って、持ってまいりました。その中で、トスカーナのアグリトゥリズモを4軒選んでいただけるような、モデルプランというものを作りまして、結局今行きやすいところということでお話もありましたが、なかなかアクセスしにくいところが多いものですから、行きにくいところでも、専用車を手配しまして、簡単に行っていただけるようなプランを作りましたので、興味ある方は問い合わせいただければうれしいと思います。よろしくどうぞお願いいたします。


映画会社員  以前にも「白夜」という映画をこちらでご紹介させていただいたのですが、今回もルキノ・ヴィスコンティの「熊座の淡き星影」という映画を7月12日から池袋のシネリーブルで公開することになりました。この映画は、トスカーナのボルテッラという町が舞台になっておりまして、1965年の映画で、1965年当時の現代劇で、ヴィスコンティ唯一のミステリ作品になっています。今日チケットも持ってきておりますので、もしご興味がありましたらぜひ皆さんごらんいただければと思います。


司会  それでは、篠さん、大変ありがとうございました。



報告者プロフィール

篠 利幸(しの・としゆき)

フォトジャーナリスト。毎年イタリアに取材などで

出かける。「トスカーナの青い空」「イタリアの田舎に泊まる」、

「田園のイタリアへ!――アグリトゥリズモの旅」(NTT出版)など。