第301回 イタリア研究会 2005-05-19
旅としてのローマ散策
報告者:旅行コンサルタント 鈴木 正文
第301回イタリア研究会
司会 皆さん、こんばんは。私は橋都と申しますけれども、いつもと違う顔で申し訳ございません。実はずっと事務局を担当されていた高橋さんが辞意を表明されたので、私が急遽今日やることになりました。いろいろ不慣れな点があるかと思いますが、お許しいただきたいと思います。
それでは今日の講師をまずご紹介したいと思います。今日の講師は鈴木正文さん、現在有限会社クリエイティブようこそイタリアの取締役ですが、イタリア政府観光局に長く35年間勤められたという、そういう経歴の持ち主です。鈴木さんは、日本の大学は日本大学経済学部1つだけですが、イタリアでは国立ペルージャ外国人大学と、国立フィレンツェ大学を卒業されていると、そういう経歴です。そして、35年間イタリア政府観光局にお勤めになりまして、日本にある各国の政府観光局の中でもっとも多忙な人というふうに言われたということです。現在はその政府観光局を退職されまして、今はその有限会社クリエイティブようこそイタリアでツアーのコンサルタントとか、あるいは一般の方たちにイタリアの魅力を伝えるという、そういう仕事をしておられます。
また、イタリアはもちろんなのですが、もう1つ非常に面白い仕事といいますか、ご趣味といったらいいのでしょうか、いわゆる幇間ですね、たいこ持ち。この芸を学んでといえばいいのでしょうか、身につけておられるようで、かっぽれ踊りとか、そういった特技を持っておられるということで、教室も持っておられるということです。日本かっぽれ協会の事務局長もされているという、イタリアとかっぽれがどう繋がるのか、非常に繋がりがありそうなないような気もしますが、そういう非常にユニークな方です。
今日はそのイタリアでの非常に豊富な経歴を基にいたしまして、旅行としてのローマ散策というお話をしていただきます。皆さんローマには行かれた方多いと思いますが、また一味違ったお話をしていただけるのではないかというふうに思います。
それでは鈴木さん、よろしくお願いします。
鈴木 こんばんは。できればかっぽれ踊ってみたいのですが、今日はSIGさんの大変権威ある対応で光栄です。本当に光栄です。35年間イタリア政観の仕事やらしてもらったのですが、お恥ずかしいのですが、この団体よく知らなかったもので、2年位前から会員にならしていただいて、浅学ということで知らなかったことが非常にはずかしいのですが、もしかしたらこの会員の中で一番経歴が浅いのではないかと思うのですが、入ったら同時に前の事務局の方から、そういう仕事をしているのだから1回話さなきゃとご指名いただきまして、この仕事ずっとやってましたから、特別ご案内すること自体は結構ないと思うのですが、SIGさんですから、はっきりいって名古屋行ったり、沖縄行ったり、あちらこちら行ってお話しするのですが、行ったことがない方とか、もしかしたらイタリアへ今度行くのだけどとそういう方にお話したり、あるいは、旅行業の方、プロの方ですよね。私たちが非常にありがたいなと思うプロの方には、大ベテランがいっぱいいますが、そういう方にはそれなりにお話して、はいさよならということなのですが、この会は正直言って緊張して、話の向きがわからないのですが、一応1時間半という話も聞いているのですが、打ち合わせで、すみません今日は何時までですかなんて言うぐらいで、なんか非常に準備不足の感もするのですが、がんばってみなさんが今もおっしゃったように、ローマといったら本当になんだということですよね。私もそう思います。いまさらローマということもあると思うのですが、それとちょっと違った見方もあるのではないかということを今日はお話したいわけです。
それで申し訳ないのですが、大きい地図がなかったもので、これ市販のものをラミネートしてきたのですが、ちょっと見にくいと思いますので、もしかしたら少し前の方がいいかもしれませんが、この地図も使ってみたいと思います。
私、2月まで政観の仕事だったのですが、旅行会社の方とか一般の方に、イタリアをどうやって見るかということを私たち主に説明しているわけですが、これだけ、もちろん今ヨーロッパで一番がイタリアなのですが、100万以上の入国者があるのですが、ツアーカタログを見てもらってわかるのですが、どうしても日本の方は、もちろんローマに行くわけですが、真実の口へ、すごく日本人は真実の口が好きなのです。真実の口へ行って、ピアッツァ・スパーニャへ行って、それでコロッセオはバスから見て、ローマ終わりと。私ローマ行きましたかと聞くと、ああ行きましたと。今言ったその真実の口と、ピアッツァ・スパーニャ。で、もう行かないのですね。行ったというイメージで。そうすると、今度ローマ3千年の歴史が、バスからコロッセオが~と見て終わったとなると、私は悔しいですし、また残念ですよね。西洋文化が花開いた文化です。あれだけ文化を世界に発信したその国のことが余りに少なすぎるのが残念じゃないかと。
そんなことで、私はローマ大好きで、私も留学、いまご案内いただきましたが、ペルージャ大学の前はローマに行ったのですね。ローマはもちろん大好きです。そのころからローマというのはもっといろいろあるじゃないかということでずっと考えてきて、それで今回非常にありがたいチャンスをいただいて、ローマだけでこれだけの時間というのを今まで仕事柄話したことなかったのですね。イタリア1周とか、シチリア1周とか、いろいろ言ってますけど、で、今回ありがたいと思って、ぜひ私が常々考えているローマこんな見方ということをご案内したいわけです。
それで、日本の方がなかなかローマ滞在少ないというお話なのですが、ローマの観光局が、ロンドン、パリ、ローマと日本人が行くのですが、パリが3泊で、ロンドンが2泊、ローマが1泊というのですね。これはひどいと思うのですね、あまりにも。政観のころは他の国のことは言えないけど、今は自由ですから何でも言ってしまいますが、ロンドンに2泊で、ローマ1泊というのもね。でも一般の市販のツアーはローマ2泊というのもありますよね。ですけども残念ながら小さな字でOPですよ。嫌な言葉ですね。オプショナルツアーというのは。OPナポリになるわけですね。そうするとローマに2泊して、OPで1泊ナポリに行きますから、実際1日ですよね。1日ということは半日見ると。それで、先ほどご案内した真実の口とピアッツァ・スパーニャという、大変な日本人の方のローマ知識というか、ローマ認識が始まってしまうというのが現実ではないかと思います。
私がちょっと今ローマのことをお話して、留学前のことをお話したのですが、その時の感想なのですが、びっくりした、大変な文化の違いですから当然びっくりするのは当たり前だと思うのですが、部屋を貸してくれたおじさんが、1週間に1回なのですが、ワインのビンを持って、ビーノビアンコを量り買いに行くのですね。うちもこの近く浅草で水商売やっていたのですが、お酒を明日の朝持ってきてとか電話で注文し、大きなビンを買っているのが普通だと思ったのですね。ローマの方はあれを持って行って量り買いに行こうといって、なんでも体験でめずらしかったですからね。そのビーノビアンコを量りで買うということになって、こういう生活がこっちにあるのかということがまず、40年前以上ですが、若い頃1つびっくりしたのですね。
それともう1つ、当時日本では、イヤ今でもないでしょうけども、非常にびっくりしたことが、労働者の方ですが、あまりスノッブな方じゃない方なのですが、そういう方たちが行くようなレストランで、男性が、イタリア人はサラダが大好きですからサラダ食べますよね。あのときに、自分でスプーンにオーリオとアッチェット入れて、塩・胡椒して、それでフォークでミックス、格好いいですよね、あれね。日本人であれやる人いないですよね。それが40年前に見た時に、イタリア人ってこだわってるんだなということその時感じたのですね。私イタリアをこうやってご案内するときに、こだわりとか、イタリア人のことすぐ言うのですが、後ユニークね。私も今日1時間ちょっとお時間いただいてますが、これ何十回使うかと思うのですが、皆さんも体験でイタリア大好き人間ばかりでしょうからそんなことはわかっているかもしれませんが、ともかくイタリア人はユニーク、そしてこだわる。それが彼らの人生の基本ではないかと思うのですが、ちょっと今思い出話になりましたが、ワインの量り買い、男性がこれをやる姿というのは、今でも鮮明に覚えていて、楽しい人だなということをその時感じました。
それから、35年間この仕事をやらせてもらったのですが、今でも多くの方が、若い方がどんどんどんどんイタリアに行ってらっしゃると思うのですが、この前のイタリア大使メネガッティさんいわく、日本のすべての若い女性はイタリアに行きたがると。そのように言って、内心は嬉しいのでしょうけど、そんなことをよく私たちに言ってきましたけど、そういう方たちは今でもみなさんいろいろなプロになられて、いろいろなことをやってらっしゃると思うのですが、私は40年前に何をやろうと、手に職ということより、まずサービス産業、観光業に行きたかったものですから、観光に行きたいという非常に漠然としたイメージで、フィレンツェ大学は観光学部を卒業してきたのですが、若気の至りというか、あまり熱心に勉強しなかったのですが、私は日本では自転車が大好きだったのですね。要するにサイクリングですね。そしてご存知イタリアは大変な自転車王国ですよね。今年も有名なジロ・デ・イタリアという2700キロ、イタリアを回るという本当にキチガイみたいな自転車レースがあるわけですが、それを私は好きなもので、追いかけて取材同行させてもらったのですね。そうすると新聞記者仲間ができて、皆さんご存知だと思うのですが、イタリアはジャーナリストは一目置いているというか、資格業ですから、変な話、日本だとすぐなんかレポーターというと私もレポーターに明日なるのですが、イタリアは資格業ですから、新聞記者というのは非常に大事にしてくれて、それが縁で、当時のイタリア外務省に外国人記者証というのをもらいに行ったのですね。ずうずうしいですね、はっきり言って。それで、それをもらって、要するに特殊券ですよね。鉄道の割引券とか、オペラの半額券とか、それをもらって、若いときにそのパスでずいぶんイタリアを、もちろんサルディニアもシチリアも全部ですが、20州回らせてもらったということはありがたかったという気もします。
ちょっとふりが長くなりましたが、そんなようなことがあって、これからいよいよローマに行きます。ローマというと、ただ単純に大ローマ帝国2000年のということになるわけですが、やはりすごいと思うのは、国鉄駅からちょっと南に、これが国鉄駅です。国鉄駅からすぐここに古代遺跡群があるのですね。そして、これは、私皆さんフィレンツェからローマに行くのに、あるいはローマ空港から、今は鉄道がよくできてますから、30分おきにどんどんどんどんローマ空港からテルミニ駅に着いてますから、非常に便利になりました。ローマのすごさは、このローマ古代遺跡群がこのテルミニ駅にあって、今の人もここでみんな生活しているということだと思うのですね。私はエジプトとかあちらの方も何回か旅行したことがありますが、向こうにもすごいのがありますよね。4千年前とか、ダムのところにこんな動物の彫刻があったり、本当にこれ人間が作ったかなと思うのですが、でもローマのすごさは、現代人と一緒に古代遺跡が残る、うまいこといいますよね、古代と現代が同居している。そのものですよね、ローマの生活。ですから、この辺からわかっていただかないと、ローマの奥深さというか、すごさがわかりにくいのではないかと思います。ともかく現代と古代の同居ローマ、これをまず私たちはインプットしていただきたいと思います。
それと、私が一番ローマで思うのは、ヨーロッパのパリとかいくつかの首都の中で、あれほど騒がしい都市というのはないですよね。あんなのもめずらしいと思うのですが、私たちは昔からバスで空港から市内に入ったものですが、もう市内に入るやいなや、ローマ子はぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあ身振り手振りで、何か事件でも起こったかというような騒ぎで話をしている。
それともう1つ面白いのは、例の自動車、イタリアは自動車泥棒が多いといってはおかしいですが、まあ盗難は多いと思うので、あれが安全用の鍵がはずれて、泥棒がその仕事に失敗して、ファーと音が出たら泥棒は逃げたのでしょうけど、その音が鳴りっぱなしで、ガンガン鳴っているとか、ヨーロッパの名だたる首都の中でもっとも騒がしい町がここと。これが古代ローマ、現代と共に生きるローマと、この騒がしいというのが非常にユニークではないかと思います。
これからちょっと説明していきますが、ガイドさんなんかもすごく力説するのは、古代ローマ帝国の皇帝の方々は、市民の気持ちを、あの皇帝はすごいという喚起を得るために、水ですよね。昔は水がないと生きられない、今でもそうですが、水がないと生きられないわけですから、それをいかに市内にフォンターナとして出すということが皇帝たちの頭の使いどころだったものですが、噴水が500以上ある町はヨーロッパにはないのですね。もちろんヨーロッパにないということはアメリカにはないわけでしょうけども、それほどフォンターナのことはガイドさんが力説することではないかと思います。それも後でちょっと言いますが、私たちは観光でちょっと見てないのではないかなと思いますが、そんなことでとにかくすごくユニークな都市です。
それから、イタリアを語るとき忘れてはならない言葉に、ユネスコ、世界遺産という言葉がありますね。この中に旅行関係の方がいらっしゃるかどうか知りませんが、私は非常に残念だと思うのですが、イタリアをユネスコ、もちろん今ヴァチカンを入れて40で世界一、ドイツ、スペインを抜いて世界一なのですが、観光旅行の人がユネスコ遺産だけ見て帰っていくということが、あまりにも日本は多いのではないかと思うのですね。もちろん大切ですね。私たちの大ベテランの大先輩が作ってくれた人類遺産、イタリアは人類遺産が多くて自然遺産が少ないのですが、それを見に行くのはもちろんノーと言わないのですが、旅行はそれだけということが目的になっているような気がして、それは私は残念ではないかと思います。
ですから、この世界遺産という言葉はすばらしいことなのですが、今日は説明できませんが、例えばカプリ島の青の洞窟なんていうのは本当すごいと思うのですが、あるいは、イタリアから出たと言われるスローフードという言葉ですね。アグリトゥーリズモ。あんなのは、イタリア遺産というくくりで行けば、もっともっと日本の方もイタリアを楽しめるのではないかと思います。
ともかく世界遺産ですから写真を撮って帰ってくると。日本人はそうですよね。残念ながら滞在という形は私たちはイメージないです。ともかく行って帰ってくる。私なんてプールの水泳の競技だと思う。ターン型。ともかく行ったら帰ってくる。それが日本人がずっとやって、残念ながら海外旅行がこんなに自由化になっても、まだまだ滞在という言葉は出てこない。もちろんハワイとか行くときはそういう言葉を使うでしょうけど、ヨーロッパではまだまだそういう言葉がないのが現実ではないかと思います。
それではそろそろ私が今日ご提案したいお話をしなければいけないですね。今日ご提案するのは、特別目新しいことはわからないのですが、今ご案内したこの古代ローマ、ローマへ行ったのですから、古代ローマ一応見てもらうと思うわけです。それから2番目が、私が大好きなところなのですが、パラッツォ・ファルネーゼからのパンテオンのところをご案内します。もしかしたらそんなこと知ってるということになるかもしれませんが、ちょっと聞いていただきたいと思います。
まず、この古代ローマそのものだと思うのですが、ピアッツァ・カンピドーリオですね。ミケランジェロが作った星型のきれいな広場がありますけれど、あれがローマのへそという言い方するのですが、もう一つの目印がヴィットリアーノですよね。ヴィットリオ・エマヌエルセコンドの記念碑というか、その裏にあるのが、このゆるい階段を上がっていくピアッツァ・カンビドーリオですね。
あそこは、私は今ご案内するスタート地点にしたいのです。それはどういうことかと言うと、あまりあそこに行かれる方少ないですよね。それよりも、コロッセオとか、できればフォロということで、こちらに行くことが普通だと思うのですが、私もずいぶんローマいろいろ歩いていますが、このフォロ・ロマーノも、コロッセオを見るときに、ピアッツァ・カンビドーリオから行っていただきたいのです。それで、あそこから上がってきますと、左右にムゼオ・カピトリーニがありますね。2つのムゼオがありますね、博物館が。そこがローマの歴史的に大変なものがある博物館なのですね。それでぜひローマ3千年の体験はこのピアッツァ・カンピドーリオにまず行っていただきたいのです。
例えばフィレンツェの場合、私がご案内するのはピアッツァ・シニョリーアに行っていただきたいというのですね。国鉄駅からパーと歩いて行っちゃうと、途中にドォーモがあって、あーっと目がくらむのですが、でも私はフィレンツェをご案内するときは、ともかく我慢してピアッツァ・シニョリーアまで行って欲しいと。あそこでミケランジェロ、ダビデのコピーをまず見て欲しいと、サボナローラがあそこで火あぶり刑になりましたが、あれをみて欲しいとまず言うのですが、それと同じことです。ローマへはこのカンピドーリオへまず行くと。まず行っていただきたいのですね。
カンピドーリオは何かというと、ローマというのは面白いと思うのですが、伝説上、紀元前753年、ローマ建国と言われますよね。伝説上というのが、イタリアらしいですよね。でも今でもあの言葉使ってますよね。ローマ子として誰1人疑うこともなくて、そして面白いのが、その紀元前753年に、ヨーロッパの町はどこでも川を中心にできたと言いますよね。ローマはテベレ、フィレンツェはアルノですよね。このテベレに双子がかごでゆらゆら来たという。これで面白いのですが、そのかごを拾ったのは、中から子供の泣き声がして、拾ったのは狼ですよね、お母さん狼。そして、お母さん狼が最初お乳をあげて、置いていってしまって、その後から今度羊飼いがそれを助けたわけです。これ面白いですね。狼がなぜ子供を、食べたかったというと話は終わってしまうのですが、それはともかくとして、ここで双子が出てくるわけですね。紀元前753年に。それでそれからずっと大ローマ帝国が数世紀にわたってできたと。これは世界で唯一の現象ということで、またこれが大変なわけですね。
その辺の、ローマについては今テレビでもほとんど毎週イタリア情報が入っていて皆様よくご存知だと思うのですが、このローマ帝国のキャッチフレーズは野蛮だった地域に、ローマ文化の伝承ですね。ですから、この地中海の長靴以外の、はっきり言ったらドイツだとか、北欧とか、すごくはっきり言うと思うのですが、野蛮だった地域にローマ、あるいはギリシャ文化を伝えたと。それがローマ帝国のすごいことですよね。
もう1つすごいことは、ローマがもうすでに持っていた法律とか、建築とか、土木、文学、それをそういう方たちにも、あるいは後世に残したという、これ大変な、今から言うとローマ文化になるわけですね。これがもう遺跡、特にその紀元前の遺跡が今ご案内しているムゼオ・カピトリーニにあるのですね。
あそこへ行って、ミケランジェロがあって、何でもイタリアはミケランジェロなのですが、それもすごいと思うのですが、ミケランジェロといわず、その博物館を、ということで、当時のイタリア、ローマ帝国にあった文化を後世に残したということは大変なことだと思うのですが、ぜひそれを頭に入れておいていただきたいのですが、そして、いろいろな専門の先生が言われてますが、ローマは贅沢になりすぎたと。その贅沢を抑えるのが皇帝としても大変で、それが抑えきれなかったのでしょうけど、そんなバックグラウンドをよく頭に入れながら、このムゼオ・カピトリーニに入っていただきたいです。
それで、この中いろいろあるのですが、イタリアは博物館がたくさんあって、見るのは大変だと言われることも多いのですが、ぜひこのムゼオ・カピトリーニに入っていただきたいのですが、この中で特に有名なのが、入ってすぐにあるのですが、海の神の彫刻という巨大な彫刻があるのですね。これが非常に面白いのですが、ローマは今私がご案内している古代ローマ帝国の町ですよね。ですけども、17世紀18世紀になると、ローマはバロックの町ですよね。そのバロックの神様といわれたベルニーニが、この巨大な、横になっているのですが、それを見たか見ないかといろいろな専門の方が言うのですが、それが面白い話なのですね。なぜそのベルニーニがこのムゼオ・カピトリーニにあるのを見たか見ないか問題になるのかというと、後でお話しますけれども、例のピアッツァ・ナボーナ、あそこにこれと同じような型の彫刻がありますが、それが全く同じ型なのです。ですから、昔交通も不便だったし、あそこにあれがあるということはベルニーニが知っていたかどうかわかりませんけども、そんな話になって、イタリアは本当にそういうことを見ながら聞きながら、ガイドさんから話を聞いたら、地球の歩き方を読みながら、行くと面白い、もしかしたらくすっと笑ってしまうようなこともあるのですが、このムゼオ・カピトリーニにはすごいものがあると思うのです。
それから私たちはフランス大好きということでフランスも行くわけですが、例のルーブルなんかへね。すばらしいヴィーナスがありますよね。あれも、ここにもそれと同じようなものがあるのです。そして、本当に人間の女性の恥じらいの姿がすごくリアルに、向こうのルーブルのは冷たい感じがするのですが、ここは非常にふくよかな感じがして、ここ以外にもヴィーナスはいっぱいあるのですが、イタリア3つ4つあるのですが、ここのヴィーナスは特に見ごたえがあって、本当に1メートルくらいのところで見れるというところです。ルーブルとはちょっと違う雰囲気なのですが、そんなことで、このヴィーナスも必見だと思います。
それから、先ほど狼の事をちょっと悪いことを言ってしまったのですが、その双子におっぱいをあげて、下から双子が飲んでいるという例のシンボルがありますが、それもここに立派なレリーフ、彫刻があります。それは、前5世紀の作品があって、そして、この子達は15世紀にくっつけた彫刻で、めずらしいと思うのですが、そういうものもあるということで、このムゼオ・カピトリーニはイタリアの、古代ローマ帝国の散歩をスタートするとき、ぜひ足を運んでもらいたいと思います。
そして、彫刻はいくつもあって、すごいものばかりで圧倒されるのですが、ちょっと1つだけ気になったのは、とげを抜く少年というのがありますよね。あのとげを抜く少年というのも、いかにも、そこでゆっくりとしていて、もしかしたら戦争時でぱかっとやって終わりですが、これがあって、ガイドさんなんかが言うのには、ローマ帝国時代の安定した時代の1つのシンボル的な彫刻ではないかということ言いますが、顔の表情にしろすばらしい。
それから、私も最近ポンポンと2回くらいローマ行って、なかなかまだ確認できないのですが、法律はイタリアは昔から歴史あって、今でもローマ時代の法律が使われたというのですが、ローマ大学の法律学科の生徒は卒業のときに、このムゼオに2千何百年前から石版に法律が彫ってあると。それを今でも一緒に記念写真として卒業記念で撮っていると。ちょうど私それカメラも持ってて記録取れなくてはっきりしたこと言えないのですが、でもガイドさんはそんな話をしてくれて、イタリアはすごいなと。今でも2千年前の法律があるし、今その法律書を記念に写真に撮る学生さんもいるのだなということで、ちょっとびっくりしました。
今私がお話したいのは、このカンピドーリオから2つのムゼオ・カピトリーニへ行って、それからフォロに行って、コロッセオコースなのですね。そして、今私たちは先ほどご案内したヴィットリオ・エマヌエル2世の記念碑という、ローマでは200年経ってないでしょうね。一番新しい巨大建物だと思うのですが、デコレーションとか、入れ歯とか色々なことを言いますが、ともかくローマのおへそであることはちがいないのですが。この裏に今私たちはいるわけです。
そして、今私たちは、カンピドーリオを見て、2つの博物館を見て、これからフォロにここから入ります。今私がご案内しているこのヴィットリアーノには今入れるのですよね。私たち40年前は信じられなかったですが、今でも2人の兵隊さんが、ここは無名戦士の墓ですから、無名戦士の墓というのは炎が出てて、24時間こうやってやってますよね。そんなところで、私たち観光客が入れる場所ではなかったのですが、今はこのヴィットリアーノは入れます。昔は本当に考えられなかったのですが、これも今私がこうやって宣伝しているわけですが、色々な観光客が、要するに滞在、ステイですよね。1泊から2泊、2泊から3泊へ、もっとローマ見るところがあるのだということで、私も観光局にいろいろプロモーションしてきたわけですが、それで観光局の案内で私も以前に行ったのですが、ぜひこのヴィットリアーノに上がっていただきたいのです。上にはもちろんバールもありますし、リストランテもありますし、なぜあがるかというと、ローマはなかなか高いところへ行けないわけですよね。ないですから。一応7つの丘といいますが、そんな高いところはないわけですね。そしてこのヴィットリアーノからこちらの方を見れば、南の方ですが、フォロにしろ、コロッセオにしろ、この木々の茂ったところがすごくきれいに見えるのですね。私もたくさん写真撮りましたが、このヴィットリアーノは上に上がる価値は十分あると思います。ぜひ博物館のときに行かれたらいいのではないかと思います。
そのようなことをして、とりあえずここからフォロ・ロマーノに行くわけですが、中世というかかなり前は、あそこは半分くらい土が埋まってましたよね。それは、キリスト教というか、あそこの価値自体は昔の方は認めなかったのでしょうけど、それがだんだん12世紀以降、ローマのキリスト教の総本山というか、総本家に趨勢が流れがどんどんどんどん来ましたから、1240年の例のアンノサント聖年にローマはたくさんの訪問者が来ました。巡礼者がたくさん来たと思うのですが、そのようにしてローマが宗教的に一番確立すると同時に、あの辺もたいへんな遺跡だということで、フォロは低く、今私たち上から見ると、下を見る感じになりますが、あのフォロ・ロマーノです。ぜひ今私がご案内したムゼオ・カピトリーニの下からずっと歩けますから、ぜひここからずっと入っていただきたいですね。フォロ・ロマーノ必ず歩いていただきたいと思います。
フォロにはローマ時代の神殿とか、市場とか、記念の門とか、大変なものがたくさんあったわけですね。特に紀元前600年から建設が始まって、シーザーなどが大活躍したときに栄えた古代の遺跡ということになっていますから、ぜひあの中で2千年を想像していただきたいわけですね。
そして、ピアッツァ・カンピドーリオがなぜスタートかというと、ここには紀元前300年400年くらい、3つか4つの神殿が、今ほとんどもう遺跡ないと思うのですが、要するに神殿があったのですね。神殿がピアッツァ・カピトーリオにあって、これは塩野先生なんかも書いているかと思うのですが、戦いの前とか後とか、なんか誰かが裏切ったとか、何か事件があったときに必ずこの神殿に挨拶に行きましたよね。そういうことで、フォロ・ロマーノに行く前にあそこをスタートしたのはその点もあるのですね。あそこはミネルバとかジュノーとかいう神殿があったということになっていますから、ガイドさんも一生懸命力説しますけども、私たちはあそこは神殿というイメージはないのですが、ぜひカンピドーリオ、それから古代ローマの栄えたフォロを歩いていただきたいと思います。
フォロ・ロマーノ、特にいろいろなものがあって、どれを見るということないと思うのですが、当時の皇帝たちがともかく自分の死後も自分の力を印象付けるためにいろいろなものを作ったと言われるのが、このフォロ・ロマーノと思います。ぜひここはゆっくり散歩してみてください。
そして、私たちが歩く道はヴィア・サクラという、要するに聖なる道を歩くのですが、今は押すな押すなで観光客のラッシュで、世界中の観光客の方が歩いているのが現状かと思いますが、でも私たちもそうやって一緒にフォロ・ロマーノは歩いた方が楽しいです。
そして、今の博物館から歩いてくるヴィア・サクラ、聖なる道がメイン通りにあるのですが、その右の方には、かつてイタリア人のシンボルだと思うのですが、3本の木が植わっているのですね。それは、イチジクとブドウとオリーブ。イチジク、当然糖分ですよね。そしてブドウはワイン、オリーブは油ということで、それがシンボル的に植えられて、昔のことを想像するのは非常に楽しいのですが、そんなことがあって、ぜひこのフォロ・ロマーノをそんな見方で見ていくと楽しいのではないかと思います。
広大な敷地がずっとあるのですが、今日はそのフォロに入って、それからその隣のコロッセオ、円形闘技場という変な訳ですが、これは私はイタリア観光のシンボルであると思うのですね。あれだけのものが、当時の入場者が5万人と言われていますが、西暦80年、こっちへきてから80年で皇帝が作ったと言われる大変なものだと思います。建築学的に見てもね。それで、本当にローマ観光してすごいなと思うのですが、私はやはりなかなかうまく話ができないのですが、どうしても歴史を見るとあそこも色々なことがあったわけですけれども、なかなか残念なところですよね。ようするに動物と動物、動物と人間、人間と人間、結局誰かが死んでいったわけですから、非常に悲しいことなのですが、残念ながらああいうことは事実としてあったわけですね。
もちろん建築には奴隷が働いたと言われます。昔の戦いはともかく奴隷をいかにたくさんとってくるかが勝負ですから、この奴隷をとって、紀元後80年、72年という説もあるらしいのですが、建築されました。
そして、観客席は、これも今も相当しっかり残っていますが、女性が上に座って、男性が下と。入場券は木で作られて、ちゃんと座席番号も書いてあったと。
それから、剣闘士という言葉なのですが、勝てば金がもらえると。負ければ動物の餌と。こういう非常に悲しい物語があるわけですが、それで、ヨーロッパいくつか回られるとわかると思うのですが、このコロッセオという独特の形をしたものが、例えばイタリア、ヴェローナにもありますよね。そのようにして、形は、ローマ帝国というのはそれこそ今で言うと40ヶ国以上があったわけでしょうから、例えばスペインとか、各地にこの独特の円形闘技場があったと。そして、それぞれの外国というと変ですが、そこで勝った人たちが最終的には花道としてローマのコロッセオで試合ができたとも言われています。
ともかく、その戦いぶりを連日のごとくに5万人の観衆があそこでワアワアワアワア、変な言い方、殺せと言ったかなんと言ったかわかりませんが、いろいろあったと言われています。
それから、これだけの観衆が行くということは何も人殺しが面白かったわけではないのですが、もちろんその皇帝が、イベントですね、パフォーマンスをあそこで、こういうことをやっているよということで、サーカスという言葉を使ったと思うのですが、例の有名なパンとサーカスという言葉がここで出ているわけですが、パンというのは要するにただで入って、サーカスは楽しいと言ってはおかしいですが、そういうイベントパフォーマンスが見れたということで、パンとサーカス、それがコロッセオということだと思います。
この当時は、猛獣と闘剣士、あと闘剣士とつきっこしたと思うのですが、そういうことがあって、たいへんな時代があって、そういうことがこのコロッセオの歴史、そして結局、どんどんショーアップされて、結局皇帝がもうお金が続かなくなってしまって、インフレが進んで、敵が攻めてきて、ローマもだめになる。要するに、コロッセオがあればローマは栄えると、コロッセオがなくなったときローマがなくなった。その言葉どおりに、あそこの建物は歴史を刻んだことと言われています。
それと、私はこのコロッセオのまわりが好きでよくあちこち歩くのですが、この道路の裏にちょっとこういう空き地が今でも残っていますが、そこはこれから戦いに行く闘剣士の控え室だったと、今でもそれは証明されると思うのですが、そういうところも道路の向こうにありますよね。
それが、私もコロッセオ好きで行くのですが、ともかくあの戦闘士の格好した方たちが写真撮れ写真撮れとすごいのですよね。だから皆さんもコロッセオへ行くときは気をつけていただきたいのですが、写真と撮らなければ向こうもお金になりませんから、昔はあんな商売はなかったのですけどね。最近はどこから出てきたか。それでも、あの衣装自体はかなりよくできているらしいですね。そして、イタリアはやはりすごいと思うのは、ずっと歴史できてますから、日本なんかと違って歴史がすごくずっと続いているというか、先ほどご案内したピアッツァ・カンピドーリオ、この真ん中に彫刻がありまして、今は彫刻なくて模造ですが、あの彫刻は今先ほどご案内したムゼオ・カピトリーニに入っているのですが、彼なんかは、当時の皇帝の洋服を非常によく彫刻でできているのですね。2千年前以上の作品ですが。そういうのをコピーして、今のコロッセオの前で写真撮ろう写真撮ろうという人は来るのですが、いいコピーをしてますよね。私も夕食会、ローマなんかでも正式な公式の夕食会だと彼らがショーできてくれるのですが、すごかったのは槍と盾を持ちまして、盾を剣でガガガガガと、「はやし」ていると思うのですが、こういうように一生懸命やっているのを見たことがあるのですが、もしかしたら2千年前、これが1つのはやしで、コロッセオの中でこれやったわけでしょうけども、それを「はやし」ているのではないかと思うのですが、そんなことも去年ちょっと見させてもらいまして、すごいことしてるのだなと思いました。ともかく彼らの衣装は相当よくコピーというか、2千年のあともよくできていると言われます。近くへ行って見てもいいと思いますが、すぐマネーと言われますから、注意して下さい。
それから、今これ第1コースなのですが、古代ローマ帝国をまず実感して欲しいということで、私はこのコースはぜひお勧めしたいのですが、カンピドーリオから2つのムゼオへ行って、ヴィットリアーノへ行って、フォロ、コロッセオと。これをまず1つご案内したかったのですが、もう1つこれからご案内するのが、こういうふうに観光客が歩いて動くわけですから、先ほどからご案内している日本人が真実の口へ行ってとか、スパーニャ行って、こうなんか点々と日本人はローマを見ているのですが、それはもったいないと思うのですが、旅行業関係の方もいらしたら、こういうルートをアイデアにしていただけたら、もっとローマ楽しいのではないかと思うのですが、今回の第2ルートなのですが、これがお話したいことなのですね。
私早口で申し訳ないのですが、ちょっとこれ違う話で、この3月にローマに行ってきたのです。そして、クイリナーレありますね。あそこのそばに、これ宣伝ではないのですが、リナルディ・アル・クイリナーレという、これリストランテの名前なのです。ビオンディサンティ、センティナーリオ、このエウロが、リラじゃないです、なんと1本が3千なのですよ。3千エウロ。すごいですよね。単純に0を2つだけでも。私たちは飲まなかったのですが。
それとこれが楽しかったのは、今イタリアはタバコ、すごいですよ。ともかくレストランではタバコはダメなんですよ。どんどん厳しいのです。私もイタリア人よかったと言うし、法律守るとは思っていなかったので私もびっくりなのですが、イタリアは日本より厳しいのですね。
それで、このリナルディ・アル・クイリナーレというリストランテは、ローマで一番最初に、リストランテの中でもフマーレをしていいという許可をもらったリストランテなのです。それはできるのですよ。なぜかというと、はっきりいって別室ですよね。こっちの別室へ行って、そこは完全な空調をするわけですよね。ですから空調をしてればいいということらしいのですが、このリナルディさんは、このヴィーノの高いのもあるということもそうなのですが、ぜひね。よく宣伝パンフを見たら、そこ空調屋さんの工事会社の宣伝ばかりたくさん出ているパンフレットがきましたが、ちょっと話しそれましたが、イタリアは気をつけてください。タバコは吸う方には非常に厳しいです。私たちも東京からミラノへ行って、ミラノからヴェネツィア、あるいはミラノからシチリアという旅行をするとき、ミラノ空港で降りて、今空港施設で吸えませんからね。1回出国して、それで建物外で吸って、また入国する方いらっしゃいますが、もちろん飛行機の中吸えませんが、イタリアは非常に厳しくなっています。
今回のこの第2ルートをぜひ皆さんに楽しんでいただきたいと思って提案させていただきたいのですが、これはパラッツォ・ファルネーゼ。ルネサンスですね。ファルネーゼ宮、すごい建物ですよね。それからその隣がカンポ・ディ・フィオーリ。ですからファルネーゼでルネサンス、そしてカンポ・ディ・フィオーリで庶民生活と。その隣が例の先ほどちょっとご案内しましたが、ピアッツァ・ナボーナがあって、それからパンテオンがあって、最後にできればムゼオ・ナツィオナーレ・ロマーノ、パラッツォ・アルテンプスと、ここまで行っていただけたら私はとてもうれしいと思うのですね。それをこの第2のルートとして少しお話させていただきたいと思います。
このルートは、私たち昔見た人間にとっては、いくつかローマ、イタリアは変わってしまって残念ということはあるのですが、このパラッツォ・ファルネーゼはやはりそのうちの1つじゃないかと思うのですが、今はここはフランス大使館です。もちろん中には入れません、大使館ですから。でもガイドブックとか、色々なガイドさんの話によると、中にはすごいものが残っていると言われる非常に由緒ある建物ですね。15世紀にひたるということは、極端な話、フィレンツェといえば15世紀そのものなのですが、でもこのパラッツォ・ファルネーゼは前の広場、そして、そのフランス大使館の建物を見てという、あそこのあの雰囲気が独特で、今私たちが歩いた、例えば3千年のローマとか、そういうのに比べたら全然雰囲気が違うので、私はまずともかくファルネーゼとご案内しているのですね。ここをスタートにしていただきたいのです。
そして、これはミケランジェロも設計に携わったと言われるくらいで、この前に携わって、ファルネーゼ宮を見たときの雰囲気というのは独特なものではないかと思って、私は大好きで、あまりあそこで観光客と言わないですよ。その観光客はみんなとなりのカンポ・ディ・フィオーリへ行ってしまいますから、でも私はファルネーゼのそのタイムスリップというか、あの雰囲気は貴重なものではないかと思います。
そこのファルネーゼ、あまりいるとおまわりさんもたくさんいますから、なんだということになるといけないと思うのですが、その隣が有名なカンポ・ディ・フィオーリ。その名のごとく花の市場ですよね。もしかしたらローマで一番古いマーケットがあったというのが、このカンポ・ディ・フィオーリです。
広場の真ん中には、1600年に処刑されたジョルダーノの彫刻なんか建ってますが、ともかく野菜とか、肉とか、この辺の近郊の方々が、ローマ子が買う市場で、楽しい雰囲気していると思います。もちろんカンポ・ディ・フィオーリというくらいですから、一番奥には花屋さんもあります。
イタリアへ行った方には、メルカートというのはかなりあちこちで見ていると思うのですが、私がここが好きなのは、あまり洋服類がかかってないのですね。私も、パドヴァにしろ、あちこち行くものですから、いろいろなところを歩くのも好きで見てみますが、やたらと中国が作ったTシャツなんかがいっぱいぶらさがっていて、市民生活なのか洋服屋のみなのかわからなく思ってしまうのですが、ここは肉とか野菜とか市民生活があるので、私はそこで例えばブドウ、アプリコットをちょっと買って、あそこの井戸水で洗って、歩きながら食べるという雰囲気が大好きなのですが、ぜひ皆さんも庶民感覚に浸って、そんなカンポ・ディ・フィオーリを歩かれたら楽しいのではないかと思います。
もちろん回りにはカフェとかリストランテ、それから1軒だと思うのですがエノテカがあって、グラスでワインを飲ますところがありますし、ぜひあの辺をゆっくり楽しんでいただきたいと思います。
そして、今私たちは、カンポ・ディ・フィオーリ入ったところに、正面に1つだけリストランテがあるのですね。そして、そこがカルボナーラ、卵とコショウのパスタですが、カルボナーラを得意とするリストランテがあるのですが、そこは私はローマで大好きなのですが、そこの2階から今ご案内したこのピアッツァを見ると、本当に絵のようなということで、カンポ・ディ・フィオーリへ行ったらその正面のリストランテによるのも楽しいことじゃないかと思います。
それから、すぐ隣に有名なピアッツァ・ナボーナということで、これはガイドにもよく出てきますし、皆さん行かれると思うのですが、この間行っておどろいたのですが、ともかく、今南の方から入っているのですが、入ってこの右側全部がバール状態なのですよ。日よけがあったり、きれいなクロスがあって、カフェがあってという、昔は、左側の角のところにジェラートを出す有名な店があって、私はそこをめがけて行って休んだものですが、今は南から入って右側が全部バール状態で、ちょっとひどいなと思ったのですが、昔とはかなり変わった雰囲気になっています。それだけ観光客の方が多く見えているということで、このピアッツァが数少ない歩くだけという意味で観光客の方もほっとするのではないかと思います。
歴史的には遺跡が2千年前以上歴史があるらしいのですが、遺跡があって、それで広場を作った。楕円形ということで非常にユニークな形をしているのですが、かつては水をはって、模擬海戦ですか、なんか船でやるのがあったとか、特殊な雰囲気の広場がこのナボーナ広場です。非常に有名な広場です。
そして、ともかくナボーナは喫茶店でぜひ休んでいただきたいのですが、さきほどローマのカンピドーリオの博物館でご案内したベルニーニが見たとか見ないとかという作品の、真ん中見ますと3つ大きな噴水がありますが、バロックですね。それがあるのですね。私も観光局の仕事をして、ローマはぜひ皆さん古代ローマ帝国以外にバロックを見ましょうなんて口では簡単に言ってしまうのですが、じゃあバロックってなんだということになってしまうのですが、バロックはこのナボーナと、それからスペイン階段、そして例のトレビですよね。バロックというのは驚かすということがありますね。意表をつくとか、不意をつくというそういう言葉があると思うのですが、そういうすばらしいなんかにぎやかな格好の、バロックの前は非常に静かに、左右同じ形とか、静かな方が多かったと思うのですが、バロックは突然オギャーと出てきて、にぎやかな彫刻になったと思うのですが、こんなのベルニーニが得意とする作風で、彼の性格にもあったと思うのですが、彼の作品があります。
それから、ちょうど真ん中のベルニーニの上に有名なサン・アゴーネという教会があるのですが、そこがバロックのもう1つの騎士といわれたボッロミーニという人がいて、その教会があって、その2人が仲が悪くて、ベルニーニがそのボッロミーニの教会が倒れそうだとか言いますが、それはあてにならないと思うのですが、でもここにくれば、バロックを代表した2人のベルニーニとボッロミーニの彫刻があるということで、ここをゆっくり見ていただきたいと思います。
ここまで来たら後は隣のパンテオンですよね。神殿と普通訳すと思うのですが、このパンテオンがまた大変なところなのですね。私ももちろん大好きなのですが、紀元前に作って、紀元後118年にできたと言われるのですね。パンテオンですから神殿なのですが、現在はサンタ・マリーアという教会ですよね。表からユニークな建物で写真撮るのに非常にいいので、あそこでお茶飲んだりしているのですが、そんなところもぜひ見ていただきたいのですが、紀元ゼロ年後の建築物としてはローマでは一番原型をとどめていると言われています。すばらしいなと思います。
それで、すごいのですが、この中に入ると、ちょうど丸天井がありますよね。光が差して神秘的な雰囲気がするのですが、その丸天井がこういうふうにグッグッグとそっているわけですから、これがレンガだという、このレンガというのは、先ほどからご案内している古代ローマ帝国の1つの大発見と言われるのですね。私たちはローマに来ちゃってますけど、ローマに来る前はイタリアの歴史はエトルスコがありますよね。エトルスコ文化。紀元前7世紀8世紀です。大変な歴史ですよね。そのエトルスコの門で有名なのが、ご存知ペルージャですよね。あそこにエトルスコの門という巨大構築物が、今でもしっかりと残っています。あれほど大きな石をガンガンガンガン積み立てている。レンガは使ってないのですね。で、このローマ帝国になってレンガができたから、今私がご案内しているパンテオンの丸天井のこれができて、ぐぐっとそって、何も支えがないのですからね。下からの支えはありませんから。これができて、あそこに大きな丸天井があって、日が差しこむと。もちろん雨が降れば入りますが、それもこの紀元後になってのローマ帝国ということがここでもう出てくるのですね。それは前のエトルスコとは違うということを聞くと、なるほどと、こんなふうになるのではないかと思います。
そんなことをして、このパンテオンもちろん中へ入れますし、そしてパルテノンという意味は全能に捧げるというギリシャ語らしいのですが、すばらしいこの建物があると。中には有名なラファエロとか、ヴィットリオ・エマヌエル2世の墓もちゃんとあります。
ともかく今ご案内したように、市内でもローマ時代の貴重な、ほとんど完全といわれる形を残しているのがこのパンテオンです。
それから、パンテオンまで来たのですが、パンテオンの横に、皆様通な方はご存知だと思うのですが、有名なバールがあるのですね。イタリアはバールの旅といいますが、有名なタッツァ・ドーロ、金のタッツァというのですが、ぜひ行っていただきたいのですが、私もコーヒー好きですからしょっちゅう行くのですが、昔は、あそこでカッフェ・ペル・ファボーレと言って注文すると、バリスタと言うのですかね、昔はバリスタなんて言葉は使わなかったですが、ともかくこうやってカッフェを作っている方がカッフェを作って、いくつズッケロって聞きますよね。答えると、それをこう入れて、そのままスプーンを入れてサービスしたと思うのですよ、昔は。ですけど、今はこういう時代ですから、カッフェといっても、がっがと作ってぱっと置くだけですよね。ズッケロは自分で入れろということですが、昔はともかく、イタリア人は砂糖大好きですから、あそこでスプーンの入ったコップを見て、それで自分が飲んで美味しい美味しいと言ってでてきたという。もちろんスペイン階段の方へ行けば、カフェ・グレコなんていう大変なクラシックな立派なカフェもありますが、もしパンテオンまで来たら、タッツァ・ドーロへ。ローマ子がいるところですね。ローマでも上からいくつというくらい美味しいのではないかというバールです。
このようにして、私が特にお勧めしたかったファルネーゼ宮、ルネサンスを見て、それからカンポ・ディ・フィオーリで庶民の生活を見て、そして、パンテオンでそれこそ紀元0年の話まできました。
そして、ここまで来ちゃいましたから、今私が歩いているこのコースの最後なのですが、有名なムゼオ・ナツィオナーレ・ロマーノ・パラッツォ・アルテンプスという博物館があります。これもこの間行ってきたのですが、非常に立派なムゼオです。本当にローマには多くの博物館があって、駅前にもきれいな博物館があって、オーディオの設備もいいし、色々な博物館がありますが、私はできたらこのムゼオ・ナツィオナーレ・ロマーノ・パラッツォ・アルテンプスはぜひ行っていただきたいのです。
それで、ここは何があるかなというのですね。これは、ルドヴィシコレクションと言って、色々な方が昔コレクションをしたわけですが、特に紀元前5世紀のルドヴィシの玉座、王の座、玉座と書くのですが、女性が水を浴びているという仕草があって、石板のところに彫刻になっているのですが、それがすごくよくできているわけですね。細かい髪の毛とか、洋服のひだとか、それで、左右から助けられて出るという、それだけの彫刻なのですが、これが私は40年以上前に行った時は、ローマの大使館の方から、これだけはと言われて、これを見に行ったのですが。それが今場所が変わって、ここに今ご案内しているムゼオ・ナツィオナーレ・ロマーノ・パラッツォ・アルテンプスに入っているのですね。昔はローマの国鉄の駅の前にあったのですが、今はこっちに、私が今ご案内したルーティングのパンテオンの横に来てしまっているのですが、これは大使館の人からもすごいものと昔は言われたのです。でも、残念ながら今の私たちはこういうことを言わないのですね。時代の流れと言うか、価値観と言うか、あるいは世の中にいっぱい見るものが多くて忘れられるのか、ちょっと私その点わからないのですが、かつては大変なものと言われるものがここにあります。ぜひ行って下さい。建物もすばらしいし、彫刻もすばらしいです。
そして、今私がご案内しているこういうかつてと言われたというものはイタリアにいっぱいあるわけですが、特にこれもそうなのですが、皆さんご存知だと思うのですが、有名なリアチェの剣闘士という彫刻があるのです。青銅の。リアチェというのは南イタリアですね。そこの海岸から出てきた青銅のすばらしい、これも紀元前3世紀か4世紀だと思うのですが、それが出たのですね。最近もそういう話ありましたが、漁師の方がとられて、それで、例のイタリアの国立修復所へやって、大統領が見て、大変な人気になったリアチェの剣闘士。今でも南イタリアへ行くとそれがあります。
そのリアチェなのですが、リアチェというのは土地の名前ですが、私がこの政府観光局に働いていた頃、リアチェの剣闘士が修復なったということで、うちはローマ本局から指示をもらって、東京と大阪で一般紙と女性誌に、特別新聞記者会見を私しゃべったのをよく覚えているのですね。それほど当時大変だ大変だということがあって、今はリアチェのこと言う人もいないですよね、ほとんど。なんかそんなことがあって、価値観というのはどういうふうに流れるのかということを私はなんか不思議な気がするのですね。
それで、何を今ご案内したかというと、結局今は愛知に踊るサテュロスが来てますよね。あれはやはり紀元前にあれだけのものができたということは、当時の技術としては大変なことだと思うのです。後、材料をあれだけ均一で薄いものをとるとか、そういうことがあって、もっともっと注目されるべきものが、今のその踊るサテュロスもそうですし、今ご案内したリアチェの剣闘士もそうですが、イタリアはたくさんあるのですが、なかなか私たち日本人の、ちょうど忘れるというか、そんなような雰囲気もあるのではないかと思って、私は残念だと思っている作品が、これは青春の思い出で私は追っかけてきたのですが、このルドヴィシの玉座がすばらしいものだと思います。ぜひアルテンプスを見てみてください。
ということで、ファルネーゼから、カンポ・ディ・フィオーリ、ナボーナ、そしてパンテオンから、そして今のアルテンプス、そしてもし行きぬきにタッツア・ドーロのカッフェと、そういうところに今いったわけですが、これをアルテンプスのところまで行ったら、すぐ北側が有名な、ローマにいくつかある、私たちは簡単に銀座通り銀座通りと言ってしまうのですが、ヴェネト通りがまず銀座でしょうね。それから、コンドッティなどもそうでしょうけど、たいへんなショッピングストリートですが、そういうところの1つにヴィア・デル・コルソというのがありますね。ローマの銀座通りがありますが、このヴィア・デル・コルソは、今ご案内しているヴェネトにしろ、ショッピングストリートなのですよ。コンドッティにしろね。そこの一角ですから。そこに今私たちはこのアルテンプスのムゼオから出てずっと歩くと、ヴィア・デル・コルソに出るのですが、その出る一角が本当にこんな古いローマが残っているかと思われる古い下町風景なのですね。それで私たちはローマの下町というと自動的に川向こう思いますよね、トラステベレ。私はそんなことないと思うのですが、今私たちがいったこのアルテンプスを出て、ヴィア・デル・コルソに行くところがそういう下町の雰囲気がいっぱい残っています。私もこの間行って驚いたのですが、本当に朽ちるか崩れるかなというような建物でおじさんが1人で床屋さんをやって、こう窓を拭いて、絵になるのですね、ああいうのが。本当にローマらしいと思ったのですが、そういう下町の雰囲気が残っている。それを出ればもう若い方にしろ、日本人が走り回ってヴィア・デル・コルソをショッピングしているのですね。あまりにもその違いに私もびっくりしたのですが、紀元前の建物を見たり、何とか見て、その隣に突然、下町の隣にヴィア・デル・コルソがあるということで、この比較も面白いと思って、私はここでびっくりしました。
このようにしていくつかお話したかったルートはそこでこのアルテンプスで終わりなのですが、なかなかファルネーゼからここまでというコースは普通の方は行かないと思うので、ぜひこのルートを楽しんでいただきたいと思います。
ローマは世界一というものをたくさん持っているのですね。そして、私たちはローマへ行くとそれを見ているのだけど、ちょっとそんなつもりで見なかったなということが多いのですが、2つだけご案内しますね。
ローマはオベリスク、塔の数が世界一なのですね。ローマはオベリスクの町。13以上あると思います。そして、去年、国連の機関のFAO食糧機関の前にあったオベリスクがエジプトに帰りましたよね。世界的なニュースになりましたが。あれはムッソリーニが略奪ということないでしょうけど、戦争勝利記念だったと思うのですが、その前はみんな2千年3千年のオベリスク、塔があるのです。そして、塔というとわかりやすいご案内としては、ピアッツァ・サンピエトロ、バチカンですね。そのサンピエトロのまん真ん中にすごい立派なのがありますよね。あるいは、先ほどから何回も出ているスペイン階段の上のほうにもあります。スペイン階段の近くにもありますけども、そのようにして、ローマは世界で最高のオベリスクの町です。ぜひそんな目でもローマを見ると面白いのではないかと思います。
それからもう1つ、これ大変なことなのですが、凱旋門があります。一番最初にご案内したフォロ・ロマーノ、そしてコロッセオのところも立派な凱旋門がありますが、あれも、昔のままの門があるのですね。そして、もちろん名誉、なにか行政的にすごかった、あるいは戦争で何処かの国に勝って奴隷をたくさんつれてきたとか、そういうことに関して造るものですから、凱旋門という言葉を使うのですね。そして、ローマ帝国時代には40あったのです。残念ながら今40はないです。今確か4つはあると思うのですが、でもあれだけ2千年以上の建物でしっかりしたアーチがあるのはローマだけです。この間もその話をしたら、鈴木さん、すごいアーチを見てきましたと。どこですかと言ったら、パリですというのですね。あれは何年前なのですね。全然時代が違います。私はびっくりしてしまったのですが。後、結構何回もお話しましたが、紀元ゼロとか、なんでそこでゼロ年が入るのだとかね、ローマに行くとすぐ前と後という言葉を使うわけですが、前後はどこで決めたのですかとか、そういう方たちが若い人に非常に多くて、ちょっと私たちも説明難しいなと悩んでいるのですが。
ちょっと話はずれましたが、特にこのオベリスク、そしてこの凱旋門ということも、そんな目で見るとまたローマを違った見方ができるのではないかと思います。
それと、私たちは残念ながら短い時間で観光するわけですが、今のイタリアの観光の傾向は、やたらと予約システムが多いのですね。それわかりますよね。ワーッと一度に人が行ったら、向こうも交通整理できないでしょうから、予約した人、予約してない人ということでわかるのですが、なんか観光しにくくなったなというのも事実なのですが、この予約で一番有名なのが、例のミラノの最後の晩餐ですよね。レオナルド・ダヴィンチ。予約システムは定着してきたと思うのですが。
それから、予約で有名なのはピサの斜塔もそうですよね。昔は、40年前は入れて、もう30年以上工事で入れなくて、5年位前からまた再開して、ピサの斜塔今では登れるのですが、あれも予約制度というふうにいっていますね。
それから、最近日本でもかなり知られてきたのですが、フィレンツェのヴァザーリの回廊という、アルノ川をこえている橋です。2階ですね、あそこ。橋の上にこっちとこっちをつないでいる回廊があって、私はまだ入ったことないのですが、自画像がたくさん、すごいコレクションがあるということで、大手の旅行業者さんも、うちのツアーはヴァザーリの回廊を完全予約、お客様は心配なく入れますということで謳っている会社あるのですが、あそこも予約制度ということで、非常にきびしいということを聞いています。
それから今私たちのいるこのローマですが、ドムス・アウレアという皇帝ネロの遺跡というのですか、私も見てきましたが、大変な巨大な遺跡というのですかね、2千年の遺跡がこのコロッセオの反対側にあるわけですが、よくこんなとこ今まで入れなかったなと不思議なところなのですが、大変な遺跡なのですが、このドムスも予約ですね。
そして、最後にこれからご案内しますが、ボルゲーゼ公園の中の有名なガレリア・ボルゲーゼですね。ボルゲーゼ公の残したすばらしい博物館。これも予約なのですね。私ももちろんこのボルゲーゼも行ってますし、今ご案内したドムスも行ってますが、両方とも体験的にはその場で入っちゃったのですね。ですから、いかにもイタリアらしいといえばイタリアらしいのですが、今入れるならすぐ入っちゃいなさいよとグラッチェと入ってしまうことあるのですが、またこれが明日とか何時間後というとなんか色々コンピュータを見てやったと思うのですが、私はドムスもガレリアもそのときに入りました。ちょっと行ってみるだけの価値はあるのでぜひそんな見方で、予約制でも、ミラノだけは無理だと思うのですが、行ってみるのもイタリア観光いいのではないかと思います。
今日ご提案したかったカンピドーリオと、それからファルネーゼ宮、この2つをぜひ皆さんに本当のローマということでご案内したかったのですが、最後に新しいローマということをご案内して、それで終わりにしたいと思います。
今までともかく大変なこの歴史歴史ということを私たち見てきたのですが、今これからご案内するのは、ローマ観光局がとても力を入れている新しいローマなのですね。私もこれ全部見に行きましたけども、まずはローマは7つの丘といいますが、つい最近1つ丘ができたのですね。8つの丘ができた。これ大変なことなのですが、これは北にあるボルゲーゼ公園の、東京で言えば日比谷公園みたいなものでしょうけども、ローマにある非常にすばらしい公園なのですが、そこに気球ができているのですね。気球というとドイツだとかスイスなんかでいっぱい町の中飛んでいるのですが、イタリアはそういうことはないのですが、ここにはその気球があって、気球の下に、こういう籠の部分ですね。30人くらい乗って、下から持ち上がるのですが、これ150メートル、大変高さがあるのですが、いっぺんそこで止まってます。ということはヒモで繋いでいるのですね。ですから、うーんとあがっていって、ずっとぐるぐる見て、ローマを上から見れるということで、8つ目の丘がローマの気球。それがこのボルゲーゼ公園ということで、何回も説明してますが、ローマの高台はないと。1つは先ほどご案内しましたが、ヴィットリアーノというローマのおへその俯瞰はかなりいいと思うのですが、もう1つは私はローマで俯瞰するのは、バチカン市国のサンピエトロ教会ですね。あそこのテラスはいいんじゃないかと思います。あそこのながめはすごいので、それでご存知のように、すごいクーポラまで歩きますけど、あれはたいへんなとこなので、私も1回行って大変な労働だったのですが、そのうんと手前、7人の聖人の彫刻がありますが、あそこまでは行けますから、あそこから下を見るというのは、ローマのパノラマかなり得した気がします。何でも海外旅行は高いところに上ると思うのです。
それから、2つ目なのですが、テベレですね。テベレクルーズがやっとできたのです。フランスのパリは有名ですね。中でシャンソンを聞かせたり、食事をしたりという、すごく完備しているのですが、イタリアはこれがなかなか色々あってできなかったのですが、最近はかなり本腰を入れて、もうそれは絶対つぶさないと市の観光局も言ってますが、このBattello di Romaといって、テベレの川下り。時間帯によっては中で食事が取れます。2つのクルーズがあるということです。私も体験してきましたが、この目線で見るということがなかなかないものですから、ちょっとものめずらしさという点ではいいのではないかと思います。
一応この新しいローマというのは、8つ目の丘と今ご案内したこのミニクルーズなのですが、先ほど博物館のところで触れましたが、ガレリア・ボルゲーゼという大変立派な博物館があるのですね。私たちは何も美術の専門家ではなくて、なかなか抵抗ある方もあるかと思うのですが、あれだけのところに行ってこれを見ないというのも、私何回も行って、行くたびにびっくりするのですが、そのくらい超一級の作品があるのです。カラバッジョという大変な画家がいたわけですが、そのカラバッジョの作品がセクシーと変な言葉ですが、カラバッジョ自体もそんな方だったと思うのですが、カラバッジョの作品とか、バロックの神様と言われたベルニーニの作品もあります。そんなことで、私は2度目、あるいは初めてでも、このガレリア・ボルゲーゼというのは要注意ではないかと思います。作品を見るということで、非常に難しいのですが、でもあれだけのボルゲーゼ公のパラッツォ、昔の彼らの立派な宮殿だと思うのですが、その宮殿をこれだけ後世の人間にコレクションにして、文化的な啓蒙をしているわけですが、世界的に見てもたいへんな博物館です。ぜひローマに行かれたら、この3番目の新しいローマというのは、このボルゲーゼと、それから気球と、そして川下りなのですが、この3つともローマ観光局が一押しに押ししてるのですね。このガレリア・ボルゲーゼ、日本人の方あまりいらっしゃらないのですね。私たち政府観光局もあまり言わなかったし、バチカン博物館とかいろいろありますが、見るものもたくさんあるのでなかなかこれも紹介できなかったのですが、でも一番先に申し上げたように、日本人の方の滞在があまりにも少ないと。1泊、そのうちの半分が自由行動で、後の3時間がガイドさんと回ると。それで真実の口と、スパーニャと何とかということで、もっともっと宣伝して欲しいということで、私も皆さんの前で今日お話させてもらったわけですが、本当はバチカンということもあるのですが、バチカンのことで、最近も法王のコンクラーベがあって、皆さんいろいろ情報あると思うので、今日はバチカンは触れませんが、お話したカンピドーリオ、そしてファルネーゼからのスタート、この2つのルートはローマを見るときにこんなローマがあるかということで、ぜひお役に立つのではないかと思うので、今日お話をさせていただきました。
どうもありがとうございました。
司会 鈴木さん、どうもありがとうございました。あえてバチカンをはずしたローマ散策ということで、ローマの風景が目に浮かぶような案内だったと思います。皆さん、ローマに行かれた方も、経験ない方もあるかと思いますが、せっかくですからローマに非常に詳しいすずきさんに何か質問なりありましたら、ぜひお受けしたいと思います。いかがでしょうか。
質問 藤原と申します。今日はありがとうございました。私もローマは好きで、1週間はいないと寂しいなと思っているのですが、泊まるホテルの地区でやはりローマの楽しみ方というのは変わってくるのではないかと思うのですよ。何かお勧めの地区があれば。
鈴木 私やはり自分で個人でも行きますから、パッケージツアーではないので、非常に大切なことなのですよね。ですからどうしてもテルミニの左にナツィオナーレとか、団体の方の顔を見たくないとか色々なお客さんいらっしゃいますが、便利さを考えて、自分で20キロのカバンを引ける距離というのはここなのですよね。それで、30分おきに列車が、ここから一番また遠いところに着きましたよね。このぎりぎりのところから要するに空港まで行くわけですよね。自分でやるわけですから、それを考えたら、私は地図で行くとテルミニの左、それでこっちからすぐ動けるというのが、しょうがないと思うのですね。もちろん銀座へ行けば、エクセシャルはじめ、並み居るファイブスターいっぱいあるわけですが、それができなかったら私はどうしても駅の近くになってしまうのですね。個人で行くときは必ずここを予約しちゃうのです。
質問 どうもありがとうございました。私はルドヴィシの玉座をどうしても見たくて2度目に参りましたときに、案内書には場所が変わったということも書いてなくて、最初にあったところを訪ねましたけど、そこの館の係の方に聞いてもわからなくて、やっとそのアルテンプスというところを、本当にどうしてもそれを見なければ帰れないと思いまして見に参りました。でも入口でそのルドヴィシがあるかと言っても係の人はわからなくて、そしてミュージアムショップの人に聞きなさいと言われまして、やっと間違いなくそこにあるということがわかったのですが、そのアルテンプスというのはどういう意味なのですか。
鈴木 もしかしたらボルゲーゼさんみたいに建物を昔持っていた方の名前じゃないかと思います。私それ調べてないので、申し訳ありません。
質問 カタログ、図録があれば買ってきたのですが、最近できたのでしょうか。
鈴木 これ今の博物館かなりよくできてますよね。ショッピング、お土産コーナーが。
質問 絵葉書がなかったものですから、絵葉書を買えなくて、結局後から友人が行ったときにデジタルカメラで撮ってきたのをもらいました。
鈴木 わたしもそうでした。すみません、私も色々書いてきたのですが、建物の名前表記がないもので、すみません。
質問 猪瀬といいますけど、ユーロになって、全体に物価が上がったという話なのですが、いかがですか。大体の感じとしてどのくらい上がった?
鈴木 やはりイタリア人も裏切られたと思っているでしょうし、私たちも残念ですが、やはり相当ひどいと思いますね。カフェの値段にしても、交通、イタリアは交通機関安かったのですが、昔より高いということだと思います。ちょっとパーセントはわかりませんが、実際高いと思います。ホテルもやはり、残念ですが。サービスに比べてちょっとイタリアのホテルは高いんじゃないかという気はします。
質問 いい話をありがとうございました。2つほどあるのですが、1つはその予約システムで、大体入れないので、ローマのドムスとかファルネーゼはもしかしたら無理かもしれませんが、そういうところは何日前にどういう格好で予約できるのですか。
鈴木 歩き方なんかでかなり詳細に出ていますが、極端な話2日前でもいいんですよ。空いていれば。ですから基本的にいつということではないんですよね。ですから、1ヵ月後に。
質問 電話でいいんですか。郵送、葉書でとか。
鈴木 それはないんじゃないですか。今ほとんど電話かメールじゃないですか。ミラノもドムスも確か。
質問 もう1つは、お話にあったようないろいろな見所、これ観光協会のほうでパンフみたいなのを出しているのですか。
鈴木 これは私の頭の中なのです。
質問 どうして出さないのですか。
鈴木 私が考えたのを見ていただきたいと思って、それでやはり観光というのは先ほど言ったとおりルートだと思うので、このルートはぜひということで私が考えました。
質問 ルートではなくて、個々の見所。
鈴木 これが私も向こうのガイドさんにかなり食事をおごって聞きだしたこともあるし、長年の蓄積というか、一生懸命、コンピュータに全部大変な資料が入っているのですが、ですから、これ少しずつ出してはいるのですけどね。今地球の歩き方、すごくいいんじゃないですかね。
質問 今ご案内いただいたルートというのは、やはりずっと歩いていける。
鈴木 歩きです。
質問 中島といいますが、初めてのイタリア個人旅行にローマを選んで、約1週間くらいいたのですが、一番最初苦労しました。それで、市内のバスの乗り方なのですが、我々東京とか横浜だと駅の名前が書いてあって、次の駅はどこだと書いてますね。ローマの駅はそれが何も書いてないのですが、それについてはローマの市内の観光の担当者から何とかしないといけないとか、そういうあれは全然でないものですか。
鈴木 それ慣れきっちゃっているのですね。例えば最低コロッセオとフォロ・ロマーノくらいは日本語で掲示を出して欲しいとかね。でも彼らもそういう発想がわからないらしくて、今おっしゃられた指摘もそうなのですが。
司会 本当に豊富な経験から、自ら考え出した観光ルートということで大変ためになりましたが、本当にありがとうございました。
鈴木 特別これを私が作ったわけではないですが、その場所の特色みたいことが、結局貴重な時間ですから、ぜひ見ていただきたいということでちょっと考えてみました。もしこれがこの次のなんか参考になったら、こんなありがたいことはありません。