第302回 イタリア研究会 2005-06-30
機能と美をブランドに込めて消費者を魅了するイタリアのビジネス
報告者:小林国際事務所代表 小林 元
第302回イタリア研究会(2005年6月30日)
報告者:小林 元(小林国際事務所代表)
「機能と美をブランドに込めて消費者を魅了するイタリアのビジネス」
司会 皆様こんばんは。302回のイタリア研究会をこれから開催したいと思います。本来司会は臨時事務局の橋都先生にお願いしているところですが、今日は出張の関係で私市井といいますが、臨時に司会を勤めさせていただきます。よろしくお願いいたします。
本日の会を始める前にご連絡ですが、このイタリア研究会の生みの親のお1人であります元一橋大学の竹内啓一先生が25日に72歳でお亡くなりになりました。謹んでご冥福をお祈りしたいと思います。
それでは本題に移りたいと思います。本日は小林国際事務所代表の小林元先生、先生とお呼びしてよろしいと思いますが、お招きして講演をお願いすることになりました。お手元に先生のプロフィールのレジュメがございますが、群馬県前橋市のお生まれでございます。慶應義塾大学の経済学部をご卒業後、東レに入社されまして、その後37年間に渡り海外事業一筋に勤務されております。1990年にはミラノのアルカンターラ社に二度目の出向、通算でミラノに13年余り勤務されております。トップマネージメントを勤められまして、同社をイタリアNo1の中堅企業と現地経営誌に評価されるまで育て上げると共に、イタリア日本人商工会議所の副会長も勤められました。1998年にはアルカンターラ社を育成した貢献に対し、東レの社長賞を授与されております。2004年にはイタリア政府よりマルコポーロ賞を授与されました。現在は小林国際事務所の代表、東レ研究所の特別研究員、文京学院大学大学院客員教授、および早稲田大学大学院、青山学院大学、横浜市立大学等の非常勤講師等を勤められておりまして、非常に今日はお忙しい中をお時間を割いて、イタリア研究会のために講演をしていただけることになりました。それから、小林先生の著書”人生を楽しむイタリア式仕事術”(日経ビジネス文庫)を受付のところに用意してございます。1冊600円でお分けいたしておりますので、先生の興味深いお話が盛り込まれた本をぜひお買い求めいただければと思っております。
それでは前置きが長くなりましたが、小林先生、今日の講演の方、よろしくお願いいたします。
小林 小林です。今日ここに呼んでいただいて、イタリアについて話をしろという背景には、去年の秋、私全く期待してなかったのですが、イタリア政府、正式に言うと、イタリア文化会館から、非常に名誉なことですが、マルコポーロ賞というのをいただきまして、それは、私6年前にイタリアから帰ってきたのですが、イタリアの中小企業、つまり世界で今いわゆるラグジュアリーブランド、有名ブランドとして名を馳せているイタリアのファッションブランドがいくつかありますが、それを生んだ北イタリアの中小企業のビジネスモデルというのを、日本のビジネスはたくさん学ぶことがある。特に地方の産地ですね。空洞化が激しい、地方の産地がビジネスモデルとして学ぶことがたくさんあるよということをいってきました。
2番目に、今日本の大企業を含めて、ブランドというものが非常に大事だというので、世をあげてブランドブランドと言っていますね。そのブランドのいわゆるブランディングポリシー。どうやってブランドを作るのかという意味において、イタリアのラグジュアリーブランドがどういう過程を経て、どういうコンセプトで生まれてきたのかということに、今大変日本の企業が興味を持っていまして、私もいろいろな所で講演会に引っ張り出されています。3つめの関心は、イタリアのファッショングッズというのは非常に日本で広く受け入れられているわけですが、それを生んでいる背景には、北イタリアの非常に豊かなライフスタイルがあるということを気づき始めている日本の人々が結構いて、私も13年半住んでいたということもあって、特にただ住んでいたのではなくて、イタリア人を600人くらい使って、さきほどご紹介がありましたようにかなりいい企業に育て上げたので、実際あそこでイタリア人の中に入って、北イタリア人、特に私が相手にしたのはミラネーゼですが、ミラネーゼの仕事の仕方、ライフスタイルというのはいったいどういうものなんだと。どうしてああいうブランドが出てくるのかと。ということに関心が相当広がっている。
その1つの例として、私に朝日カルチャーセンターでイタリア人のライフスタイルを講演してくれという依頼が来ておりまして、私もやろうかと思っています。そういった3つの観点で私は北イタリアに学べということを言ってきたのですが、それは、イタリア政府にとってみたら歓迎すべきことなのでしょう。マルコポーロ賞を選考した人のリストを見ますと、全く日本人に任せていて、非常に著名な人の名前が並んでおり、こんな人の目に留まったのかというふうに私もちょっとびっくりし、光栄なことだと思っております。そういうこともあって、イタリア研究会から、一度お前話せということだと思います。
受賞の対象になった論文は、北イタリア中小企業の産業集積がどうとか、学問的なことが書いてあるので、そういった学問的なことを今ここで言うよりも、むしろもう少しここではビジネスだけではなくて、もっと広い視点からイタリアに興味をお持ちの方が集まっておられると思うので、もう少し一般化して、おもしろおかしく話をしたいと思っております。
そういった意味で、まずお手元の、2年位前になりますが、日本経済新聞の経済教室という欄がありますが、そこにイタリアに学ぶ産地再生というのを私が日経新聞に頼まれて書いたのですね。それが私のイタリアのビジネスに関する考え方を非常に包括的に説明していると思うので、これを簡単にご説明させていただきます。
ここでいっているのは、OECDというパリにある国際機関のデータを使って、1995年を100として、2000年、つまり日本が失われた10年と言われる中に入る後半の5年間の間に、産業別に日本とイタリアを比較した表を作ってみたのですね。全製造業で見ると、この期間に日本は例えば2000年で5.1%増えているのに対して、今イタリアは6.9%増えている。
その中身ですが、1,2,3,4,5がいわゆる伝統産業と言われるものですが、それと6,7の金属機械、それから8,9,10のいわゆる電気製品、IT機器分野別にみると非常に特徴がありまして、8,9,10のいわゆるハイテクは、これは日本が圧倒的に伸びて、イタリアは負けこんでいる。特にオフィス器具は非常に減っている。
1,2,3,4,5、これらはいわゆる伝統産業ですが、この期間をとってみると、織物ではイタリアはほぼ現状維持で、アパレルはさすがに9%ぐらい減っている。皮革も10%くらい減っている。日本はそれに対して3割くらい減っているのですね。日本の方がやはり影響を非常に受けている。空洞化が起こっているということですね。
木工製品も日本は大幅に、29%減っていますが、イタリアはむしろ16%も伸びている。食料品に至っては、日本は現状維持に対して、イタリアは11%増えている。
非常に面白いのは、金属製品、機械設備は、金属製品だと日本は11%減っているのに対し、イタリアは7%増えている。機械装置は、日本がちょっと減っているのに対して、イタリアは9%増えている。
イタリアはファッショングッズが強いというのは言うまでもないのですが、今や、ご存知ですか、今イタリアで一番輸出額が多いのは機械設備なんです。次に食料品ですね。いわゆるファッショングッズと言われる1,2,3は、やや足踏みかやや減少傾向にある。特に、これは1995年から2000年の数字ですけども、その後の数字、特に昨今、皆様お聞きになっていると思いますが、イタリアの生産地は今年1月からの中国からのヨーロッパに対する輸出のクオータがなくなったので、昨年比6割とか、倍増えている品目がある。というようなことで、影響を受けているという記事が出てますが、これについては、この間日伊ビジネスグループのビエラ産地の会長が来ていましたので、久しぶりに彼に聞いてみましたら、打撃を受けているのは中級品なのだと。高級品であるビエラは、中国の品の流入にほとんど影響を受けてない。糸とか織物の中国向け輸出が増えている。ビエラ全体の生産高は減っているのだけど、それはむしろユーロ高の影響だと。ユーロが高すぎて、競争力がそがれている。中国は今大きな脅威になっていない。むしろ、プラート産地とか中級品のものを作っていたところが影響を受けている。最近ご存知のように、EUと中国の間では、中国側の自主規制というのが成立しましたね。急激な増加をおさえるのが目的です。
したがって、私が今まで言って来たことは、伝統産業の今言ったテキスタイル、アパレル、革製品についても、ことラグジュアリーブランド、高級品については現在も言えることであって、ただ中級品についてはやはり相当影響が起こるであろうと。つまり、日本が90年の半ばから中国品の輸入によって相当大幅な日本の産地の空洞化が起こったようなことが、イタリアの中級品を作っている産地については起こるだろうと。その具体的な数字はあと1年くらい待てば統計として出てくると思います。イタリアの競争力の源泉である高級ブランドの競争力というのは、基本的に失われていないと私は考えています。
ではイタリアの中小企業の競争優位の源泉はどこにあるのか。イタリア人の産業人が、中小企業の人が好んで言う言葉ですが、日本人はものを売っているだろうと。ビジネスというのはものを売るというふうに思っている。アメリカ人もそうだ。英国人もそうだ。ところが我々はものを売っているのではない。消費者に供給するのはものではない。ものを媒介として、我々のライフスタイルとか、生きる楽しさ、つまり見て美しいとか、身につけて非常に着心地がいいとか、それから、買ってそれをいろいろ組み合わせてワクワクする楽しみ、そういうものを消費者に提供するのだ。
工業化社会のビジネスモデル、つまり20世紀、我々が一生懸命やってきたのが工業化社会ですが、そのビジネスモデルというのは、生産者は消費者が好むはずだという機能を盛り込んだ製品を大量に作って、販売促進によって大量に市場に押し出して、消費者に買わせる。とにかく大量に作るのですから、販促で良いと思い込ませて大量に売ってしまわないと在庫品が残ってしまうわけです。その製品は汎用品、汎用品というのは一般に用いられる品ですから、誰にでも良いように設計されている。
ところが、先進国は80年代の、国によって違いますが、半ばくらいからもの余りの時代になって、消費者の行動はもう誰でも持っているものはいらなくて、自分が持っていて楽しいもの、個性が表現できるものを買うというふうに変わってきているのです。イタリア人はこうした市場の変化を彼らの感性で敏感に感じ取った上で、自分たちがルネサンス以来継承してきた美の感覚を商品に組み入れたのです。これにより生きることの楽しさを消費者に提供するという、今までの産業革命以来の工業化社会とは全く違う新しいビジネスモデルを私はイタリアの中小企業は作ったのではないかというふうに思っています。脱工業化、情報化社会の21世紀の新しいビジネスモデルではないかと思います。
それを具体的に説明するために、私はここに、これ皆さんごらんになった方もおられると思いますが、一昨年日本でイタリア年があったときに、横浜の美術館にポーランドからやってきて展示されていましたね。レオナルド・ダ・ヴィンチの白てんを抱く貴婦人 チェチリア・ガッレラーニの寓話的肖像画、これは例のルドヴィーコ・イル・モーロ、ミラノ公国の王様の愛人をレオナルド・ダ・ヴィンチが描いた絵だと言われていますが、なぜ私がこれをここに取り上げたかと言うと、ケネス・クラークという有名なルネサンスの美術史の英国人の先生の本に書いてありますが、レオナルド・ダ・ヴィンチというのは2つの要素を、彼の絵には2つの要素を持っているといっています。
ヴィンチ村からフィレンツェに出てきて、20歳代の前半くらいまでは、フィレンツェに当時支配的だった考え、つまり自然現象を、数理的な体系に置き換えることがルネサンスの精神だというそういう考えに深い影響を受けた。彼はご存知のように自ら死体を解剖したりして、人間の体というのはどういう構造になっているのか、自分で身を持って身体を切り開いてやったわけですね。この絵には、これ私の解釈ですが、例えばこの少女のこういう指のところ、本当に静脈とかそういうものが脈うっているのが見えるようだ。彼の解剖学の成果だと思います。
ところが、レオナルド・ダ・ヴィンチはある時点から考え方が変わってくる。美術というのは美しくなければいけないという考えを持つようになる。それを表わすために、彼は、ご存知だと思いますが、スフマートという画法を自ら考え出して、自分の指でこういう肌に塗っていく。彼のこの絵を、X線で分析すると、彼の指紋が出てくるのです。つまり、人間の情感を表すためには、従来のような筆ではなくて、手で絵の具をおいている。この様に彼の中には非常に論理的に、理性によって物事を論理的に分析しているという科学的な考え方と、もう1つ、論理的には分析できない、感性というか、人間の情感というものとの2つの面が共存していると。ルネサンスの精神というのは、その2つのものがバランスをとって存在している。人間の脳は、右の脳が情感、左が知と言われていますが、つまり両方の脳をちゃんとバランスよく使っていたのですね、ルネサンスの時代は。
ところが、詳しく話すことはそれだけでまた別の講義が必要なのですが、一言で言うと、ルネサンス時代の終わり頃になると、ご存知のようにイタリアは列強に分割されて、国としての勢いが非常になくなる。ルネサンスの精神のこの理性の方を取り出して、文明を築いたのがイギリスであり、フランスであり、ドイツであると言うふうに私は考えています。それがデカルトの思想を生み、ベーコンの思想を生み、産業革命を生んでいった。つまり、人間をして人間たらしめているのは理性があるからだと。それをどんどん押し詰めていった。その押し詰めた結果が、産業革命を生み、それがアメリカに行って、フォーディズムを生み、現在日本にもグローバリゼーションのモデルとして押し寄せているわけです。そこで今起こっていることは何かと言うと、本来人間というのは、理性と感性のバランスがあって、ルネサンスにはそれがあった。ところが、理性だけ取り出して、ようはものの文明、ものを大量に、コストを安く、そしてクイックデリバリー、つまり納期を早くすることがいいことだと言うので、ビジネスを押し進めてしまっている。結局今起こっているのは、大量消費による資源を使いすぎて、ある人はあと30年くらいで石油資源がなくなるとか、大気汚染とかいろいろ言われていますが、そういう問題も起こっているし、大体消費者自身が、大量に作って、値段を下げて、安いよ安いよというだけではあきあきした。安いだけではもう買わなくなっている。少し値段が高くてもいいから、何か楽しい、癒される、美しい、そういうものを欲しいというふうに消費構造が変わってきたのではないかと思います。
なぜイタリアの商品が80年代90年代日本に広く受け入れられたかというと、このレオナルド・ダ・ヴィンチの絵にあるように、イタリアの製品が持っている機能、つまり理性が考え出してものと美というものがバランスしたものに、日本の消費者も魅せられた。私の感じでは、日本人の本質の中には、感性とか美というものに対する本質的なものがあると思うのですね。イタリア製品が我々の中に潜在している感性を呼びさました。それが今日本でイタリアブームが起きている理由ではないかと私は解釈しています。
ではイタリア人の言う美とは何かという、これは非常に難しいことなのですが、我々は美というと、なにか見てデザインがきれいとか、外観的な美というふうに考える。私がイタリア人と13年間、正確にはこのアルカンターラという会社は、本社がミラノにあって、100人くらいのイタリア人がいて、工場に500人くらい、中部イタリアのウンブリアというところにいまして、そういう中で私はミラノで100人のイタリア人の中で日本人として1人いたのですよ。だから、本当にイタリア人の中でもまれにもまれたと思うのですが、1つ私がおやっと思ったのは、いわゆるベッラという言葉、これは朝出勤して、100人の従業員の中で女性が30~40人いますかね。とにかくやたらと女性を褒めますからね。イタリア人というのは。ケ ベッラということは廊下でもいたるところで聞きますが、我々が考えている美しいという概念とどうも違う。
それを感じたのは、私帰国してからのことですが、ある中京地区のトヨタさん傘下の機械メーカーの人たちが、今イタリアで非常に伸びている機械の産地をぜひ見たいと。その産業集積地はエミリアロマーニャに主としてあるのですが、そこにツアーを計画して、しかも一緒に行ってくれというので、行ったことがあるのですね。そこの工場へ行って、まず社長が出てきて、イタリア人特有の非常にうまいプレゼンテーションをして、そして、工場の中に入っていったらまず社長が自慢するのは、ノストラ マキナ エ ベッラというのですよ。機械がベッラというのはどういうことだ。機械を見たって別に鉄がかたまってあるだけだ。別に美しいと思わない。で、ベッラはどういう意味だと言ったら、ベッラというのは、デザインや色が、つまり外見が美しいとかそういうことだけではなくて、その内面がいかに活性化して、個性的に動いているかどうか。つまり人間で言うと、彼女はベッラというのはもちろん外見もあるけれども、内面から湧き出るような個性の美しさがあることをベッラというのだと。だから機械も、その機械が非常に個性があって、生き生きと回転している。人間なら楽しく仕事をしている。楽しく生きている。それをベッラと言うのだと。
したがって、どうも我々が考えたベッラとは違うなというふうに思ったのです。そこで1つ例を申しますと、私がアルカンターラという人工皮革の、これは東レが開発した人工スエード、日本でエクセーヌと呼んでいますが、これを70年代の初めに東レが開発して、それは大変なハイテクなのですね。技術が生まれて30年も経つのですが、ヨーロッパ、アメリカのメーカーも今日までまだ似たものを作れない。それほどハイテクなのですね。
何がハイテクかというと、人間の髪の毛の100分の1とか、細い繊維を開発したのですね。この物語は今年の1月18日にNHKのプロジェクトXで放送されましたが、例によって窓際に追い詰められて、1度は失敗した人々が成功したという物語になっているわけですが、これを2年くらいかかって70年代の初めくらいにものになってきたのですね。
何に使ったかというと、スエードですね。動物の皮のスエードは皆さんご存知だと思いますが、あれをポリエステルの極細繊維を使って、非常にスエードに似たような構造の一種の織物状のものを作ったのですね。
それを日本の国内でまず売ってみたのですが、日本はああいうスエードを使う装いの文化というのはほとんどありませんから、ほとんど反響がない。パリコレで一時華々しく取り上げられたけども、これも量的にまとまった売りにはならない。アメリカにトライしてそこそこ売れたのですが、アメリカのマーケットというのは皆さんご存知だと思いますが、量はある程度売れるけども、値段が余り通らないマーケット。当時社長をしていた人間が、これはやはりヨーロッパへ持っていくことだ。特にイタリアに持っていって、イタリアの高級革製品を作っている人たちに商品開発をさせて、イタリア人に売らせる。これしかないなというので、やったのです。
その当時は、70年代というのはイタリアは鉛の時代と言われて、銃弾の時代。銃弾飛び交う極めて社会不安のひどい時代ですね。工場を作るのはかなり大変でしたが、とりあえず工場を立ち上げて、75年から売り上げた。
ところで、そのとき私は、まだ出張ベースですけど、たびたびイタリアへ行きました。イタリア人のアルカンターラのトップマネージメントに雇った男から私は次のようなアドバイスをもらったのです。イタリア人はご存知のように仕事のときはもう言いたい放題言いますけれど、プライベートのことになると結構、特に北イタリアの人はシャイなのですね。同僚ということもあったと思います。小林さんちょっとお願いがあるのだけど、非常に言いにくそうに、3つばかり装いについてお願いがあると。なんだと言ったら、まずその背広、私はミラノにしょっちゅう行くようになったので、それまで、当時課長だったからせいぜい4~5万くらいの背広を着ていたのだけど、ミラノへ行くのが多くなったよねと思って10万くらいの背広をこれでも新調して着て行ったつもりなのだけど、彼曰く、その背広はおそらく日本製でしょう。その背広はちょっと会社に着てくるのはかんべんしてくれないかと。日本のトップクラスの毛織物で作ったつもりでした。なぜだと言ったら、とにかくあなたが着ている背広は美しくないと。何が美しくないのだと言ったら、まず見て肩の線のシルエットが美しくない。それから袖が短い、それから素材が悪いけどプアだ。じゃあ何がいいのだと言ったら、とにかくテーラーを紹介するからそこで仕立ててくれと。素材はウールの120番手か150番手にしてくれと。私は繊維の会社にいたけれど、ウールの120番手とか150番手なんて知らなかった。そんな身分でもなかった。彼の言うテーラーに行ったら、120番と150番手というのは絹みたいなウールです。
2番目、靴下が短いと。とにかく脛の高いところまでの靴下にしてくれと。しかも、綿で細番手にしてくれ。日本のは短いでしょう、大体。脛が見えるというのは、イタリアでは最低なのだそうです。
それから3番目はネクタイ。ネクタイは、僕はイタリアのネクタイというのはプリントの派手なものと思い込んでいた。ところが、ミスター小林見てくれと。我々が付き合うミラノのトップエグゼクティブ、誰も派手なプリントのネクタイはしてないよ。無地の非常に地味な。全く無地ではない、よく見ると柄がある。だから、ネクタイもそういうふうにしてくれと。
彼等にとって美ということはものすごく大事なのです。美とか、いわゆるクルトゥーラ、文化、やはり一番大事なことは美しいということ。美しいというのは外見が美しいだけではなくて、人間が充実して生き生きしている、そういうことが一番大事なのですね。イタリア人にとって。ということがわかりました。
これは第1のショック、プライベートのショックですが、2番目のショックは仕事で起こったのですね。作っているものはこういう、これはイタリア人のプレゼンテーションだから非常に美しいのだけど、これは織物ではないのだけど、不織布と呼んでいるこういうものをこの会社はイタリアの工場で作って、一番初めに衣料用で売ったのですね。衣料用途に売るということは、半分イタリアのアパレル、半分ドイツとかヨーロッパのアパレルのメーカーに売ったのですね。
どういう製品になるのかというと、ここに書いてあるようなコートですね。それから、ブルゾンとかコートといったもの。これがミュンヘンでやったファッションショー、ここに書いてあるでしょう。1983年、ミュンヘンでやったファッションショーの写真です。
これを、先ほど言いましたように、アメリカで衣料用途である程度成功をおさめていたので、アルカンターラ社でこの素材をイタリア人のスタッフに見せたときに、やはり彼らもまだ入ったばかりで素人でしたから、アメリカである程度売れていたならば、ヨーロッパでも同じ用途に売ろうと。
何をアピールして売るのかというのに対して、やはり我々が日本とかアメリカでアピールした、つまり人工スエードのメリットというかアドバンテージというのは何かというと、しわにならない。例えば飛行機に乗って12時間ミラノに行っても全然しわになりませんし、それから、虫がつかない。人工皮革ですから。それから、自宅の洗濯機にぶち込んでも洗えると。クリーニングがいらない。こういういわゆる製品の機能性ですよね。機能性をアピールして我々もこの素材を売ろうとしたのです。
イタリア人社長およびマーケティングスタッフは、機能性を表に出して売るのだったら、それはゲルマンだと。つまり、ドイツ、オランダ、スウェーデン、オーストリア、スイスのチューリッヒよりの人たち。
そういうことでやりまして、76年から売り始めまして、83年まで8年間は非常に成功をおさめたのですね。それはただし機能性を売るときにおいては今までのビジネスモデル、つまり産業革命以来の商品に機能性を考慮して安く大量に売るというモデルでやってきた。ところがこのドイツ市場も商品が83年頃からさすがに飽和状態になって、あまり買わなくなったのですね。
じゃあどういう手を打とうかというところで、我々日本人がが考えたのは、値段を下げるということでした。アメリカでは、10ドルだった。ヨーロッパでアルカンターラ社のイタリア人が設定したのは20ドルです。当時240円だから、メーター5千円の値段。業界の常識では非常に高い価格です。それでも衣料用途で飛ぶように売れた。
もう1つ言うのを忘れてましたけど、アルカンターラというブランドは、81年だったか、ドイツの広告代理店が毎年発表している、西ドイツにおけるブランド知名度ランキングで、100位の中で2番目になったのです。1番目がコカコーラ。ヨーロッパ人で中より上の人だったら知らない人がないくらいのブランドの知名度をイタリア人は築き上げたのですね。その過程は時間がないから今日は省きます。
で、我々は値段はメーター当り5千円と高い。高すぎて使えないというアパレルメーカー、あるいは靴メーカーがいるということを我々は知っていたので、今日日本でなお優勢な、大量に売るためには値段を下げてもやむをえないという典型的な大量生産、大量販売のビジネスモデルの考え方でイタリア人に提案したら、イタリア人の反対にあったのです。値段に手をつけたら、この極めて高いラグジュアリーの位置に確立した我々のブランドというのは、もう2~3年で地に落ちてコモディティになってしまう。値段は下げない。
じゃあどうするのだと。操業度は100%から60%近くまで下がっている。そうしたら彼等は、別の用途に売ろうと。別の用途というのはなんだと言ったら、家具と車の内装。
じゃあ今度は何をアピールして売るのだと言ったら、彼らは機能性ではない。そこで出てきたのが美という言葉です。この商品の持つ美しさだと。つまり私の話の一番初めに言ったあれです。
では美しさとは何かと言ったら、彼らは色だと。もう1つはタッチだと。これ我々の業界の言葉で風合というのです。それは、83年ですから、ちょうど70年代にイタリアの今をときめくラグジュアリーブランドがちょうど立ち上がってきて、80年代になって輸出を始めて、これはいけるというめどが出てきたときだったのですね。アルマーニ、マックスマーラ、ヴェルサーチなど。だからひょっとしたらいけるかもしれないという思いはありました。実際は3年4年かかったのですが、衣料分野で第1次アルカンターラブームとすると、80年代後半に第2次アルカンターラブーム、家具。そして第3次アルカンターラブームというのは今車で起こっています。これを起こしたのですね、イタリア人が。
彼らはなんで色なのだと、なんでタッチなのだと聞いたら、今までのヨーロッパの高級車のシートとか、天井、サイドは天然の皮革だった。ところが天然の皮革というのは動物の皮だから、どうしても脂っこい。脂っこいのは嫌なんだと、我々は。だけどそれに代替する高級素材がないから我慢していたけれども、これは合成繊維だからクールだと。これはもう間違いないというのですよ。
色。これも同じことですね。今までの素材というのは天然皮革だから、天然皮革というのは太陽の光に当たると変色するのですね。それを防ぐために、色をつけるときに顔料で染色するのです。そのために、いわゆるパステルカラーとか、いわゆるイタリア人の好きなセピアカラーとか、ああいう地中海の色が出ないのです。ところがこれは合成繊維だから何の色でも出るじゃないかと。パステルカラーが出る、しかもそれを組み合わせられるということは、小林さんあなたにはわからないかもしれないけど、大変な武器ですよと。
では彼らが3年4年かかって作ったものをお見せします。見れば一目瞭然です。
これがアルカンターラですね。この中間色、グリーンとブルー。この中間色は天然皮革ではなかなかでない。しかもこの中間色を組み合わせている。これを日本の有名な家具デザイナーに見せたら、うーんとうなって、小林さんこれはすごいよと言っていました。
中間色を組み合わせるというのは実は難しいのだと。しかも、この渦巻きの形というのは、イタリアの中世からルネサンスの教会とかそういうところの家具の伝統のフォルマをちゃんと踏襲している。その上で、極めてハイテクの素材を組み合わせるという、イタリア的な古い伝統と革新との組み合わせだ。
有名な家具メーカーとアルカンターラで共同開発した家具で、これはやはり中間色のグリーンを使っている。しかも、プロの日本のデザイナーに言わせると、この部分は木ですが、この木の使い方が極めて人間工学的な成果を取り入れていると。だから、イタリア人は単なる思いつきの感性だけではやってない。こういう機能、科学の成果というのはちゃんと取り入れている。しかもこの木目とアルカンターラ素材の色の調和というものをきちんと図っている。こういうことだと思います。
これをやりまして、3年くらいかかったのですが、その過程については話すとこれまた1時間や2時間かかるのだけど、それは飛ばしまして、80年代にアルカンターラの家具ブームが来た。たちまちフル操業になってしまった。90年代は車。まずイタリアのランチャーテーマというのが取り上げた。それから、南フランス用途向けにプジョー、シトロエンが取り上げる。それからスペインのセアットが取り上げた。
それからちょっと置いておいて、90年代の半ばからは、アルプスの向こう側のアウディ、ボルボ、BMWなどがアルカンターラをほとんど使うようになって、今ヨーロッパへ行くと、このヨーロッパの一流の自動車メーカーのカタログの中にアルカンターラバージョンというのが必ず載っています。
実はそれを見て、日本のメーカーが去年1月、あのトヨタさんがアルカンターラというブランドで大々的に宣伝を始めた。リラックスのための贅沢、3つのアルカンターラバージョンというのですね。つまり、私に言わせれば機能機能できた、機能という意味ではおそらく世界一でしょうけど、日本の自動車メーカーは、この間までやはり美というものを無視できなくなった。
そういうようなことを、じゃあビジネスモデルとして多少私も今は一応学者の端くれということになっていますから、多少理論的なことを言わないと、あいつ大学の教員というのはうそじゃないかと言われるかもしれないので、少し学術的な話をします。ビジネスモデルから見た第3のイタリアと従来型との比較。第3のイタリアというのは、中部、北部の、今世界のラグジュアリーブランドを生んでいる中小企業というふうに理解しておいてください。このビジネスモデルを比較してあります。
2番目の商品特性はすでに説明したように、今までのモデルというのはコモディティだった。誰にでもよいもの。イタリアの商品というのは特定の人によいもの、色、スタイル、使い勝手の良さ、遊び心をかきたてるものなどの美だと。
対象マーケットは、今までのはマスマーケット。第3のイタリアはニッチマーケット。顧客層を限定する。消費者に提供するものは生きることの楽しさ、今までのビジネスは商品を提供する。メーカーが作り出すものは、彼らが言うのは、今までの概念だと商品を作り出すのがメーカーだ。いや違うと。新しいマーケットを作るのがメーカーなのだ。我々は家具のマーケット、車の内装のマーケットを作り出した。商品設定の根底にあるものは、今までのビジネスモデルというのは生産者優位の発想だった。消費者は好むはずだという機能を押し付けているのではないか。商品設定は得てして自分の生産体制、マスプロダクションに都合の良いものになる。つまり、作るものが消費者を上から見ているのではないか。
それに対して、彼らは消費者優位の発想。本当に消費者が求めているものを作る。小ロットや特別仕様にも応じると。消費者のニーズを先取りして、新しいライフスタイルを提案する。消費者を同じ目線で見ている。あのアルマーニでさえ、ご存知だと思いますが、商品のアイデアが出てこなくなると、自分は町を歩くと言っています。町の中でヒントを得る。やはり常にマーケットの中に入っていくのです。
生産体制は、今までのモデルというのはできるだけ品種を少なくして、大量に、しかも見込み生産をするというところが非常に大事なのですね。見込みを大量に売りたいから、例えば、販売計画、販売店から上がってくるのが100だと言うと、トップマネージメントが120にしろ、ということがしばしば行われてきた。結果として売れ残る。
そうではなくて、イタリアの場合は、多品種を少量、受注生産する。注文があったものだけ生産する。もちろんキャンセルがあるから売れ残るということはありうるけれども、今日本のアパレルのマーケットご存知ですか。日本のアパレルのマーケットは18兆円と言われているけど、正価で売れるものは6割くらい。4割くらいは値段を下げて売る。つまり、実際の需要量より多いものを供給しているのです。供給過剰ですね。その挙句の果て、じゃあ3割か4割はどこへ行くかと言うと、値段を下げて売るか、途上国に流すか、ものによっては埋めたり、焼いたりしている。私はこういう生産モデルは遅かれ早かれ許されないのではないかと思います。つまりこんな資源のないところで何兆円というものを無駄にしている。そういうことはただ繊維だけではなくて、あらゆるところで起こっている。ところが、イタリアは基本的に受注生産だから、もちろん値下げ品というのが数%起こります。でも3割というレベルではない。
今までのモデルは消費者が欲しいときにはいつも商品が手元にあるようにと。いわゆる松下幸之助さんが言った水道の哲学。欲しいといったときに商品がそばにある。マーケットにあるようにしなければいけない。ところが、イタリアのラグジュアリーブランドはご存知のように売り切れというのを平気で言うでしょう。売り切れと言われると、そんなにいいものなのかともっと欲しくなる。だからそういう形でうまく消費者の心理を、非常に高級イメージをかきたてているわけですね。
それから、生産の方式は基本的に日本もまだメジャーなところは流れ作業ですよね。ところがイタリアは、今日本で評判になっているセル方式を相当取り入れている。職人によるセル方式。つまり、1人の職人が完成品をやってしまうということ。それからマンパワーに対する考え方は、どうしても今までのビジネスモデルというのは人の手を使うのは遅れているという思想、マニュアルどおり効率よくものづくりするのが良い作業者。
ところが、イタリア人の工場へ行くとわかりますけど、彼らは機械がやれることには限界がある。先ほど言った美しいもの、着心地のいいものとか、そういう感性を取り入れた商品をできるのは人間の手しかない。機械ではできない。それは職人が手でやると。
だから、これも服の例になりますが、ご存知のように、日本の服というのはどんなにいいブランドでも、最後の検査はハンガーにかけておしまいですよね。ところがイタリアは実際に人間が着てみるのですね。日本の服というのはハンガー美人というあだ名がある。ハンガーでは良いけれど、着てみるとやはりしわになる。
イタリアの高級ブランドというのは、試着係というのがいて、1日何着と決めて、実際に着てみて、ちょっとここしわがよっているといったら、職人になおされる。なぜかというと、着心地のいいとか、形が美しいとか、そういうことが自分たちの商品の生命だ、競争力の源泉だというふうに考えているわけですから、そこに必要な職人、労務費というのは、日本人は無駄だと考える。ところが彼らはそれが競争力を生んでいると考える。人間の労働に対する考え方が根本的に違う。
それから、独創的なデザインは、異なった考え方の知を共通の場で研ぎ澄ませて、感性の客観化を行うことによって生まれる。知の創造というのは、今、学会、世界的にも学会では重要なテーマになっている、いわゆる知の集積とか、知をいかに活用するかというテーマです。今日はこの点については私は詳しくは述べませんが、イタリア人の中に入って13年いて、とにかく日本と違うのは、異なった考えを持つことはいいことだ。日本の会社のミーティングで見られる、部長さんがおっしゃったようにとか、他人に迎合するような意見が非常に多いけど、まずイタリアでは聞いたことがない。いや俺は違うということを主張する。俺が違うというと、なんで違うんだ、お前が違うともう喧々諤々の議論をいやになるほどするけれども、しかし一応意見があるというやつには全部言わせる。意見を言わないやつはばかだというようなことですからね。徹底的に議論して、トップマネージメントが決めたらもう意見の相違は一切言わないで、明日からどういう仕事の分担でどうやるかというのをすぐスケジュール作ってやりますね。私はイタリア人の中に入ってこうしたビジネスの進め方に慣れるのに数年かかりました。彼らは人は異なって当然なのだと。だから、どんどん言う。相手が自分を攻撃してくる。それから相手が違う考えを言うのもまた当然。だから、聞くことは聞く。だけどそれに対して反論するのも自由。言いたいことを全部言い合って、ベストと思ったものを決めるのはトップ。決めたトップは責任を持つ。非常に割り切っていますね。
イタリアの合弁会社の英国人の社長が言ってたけど、英国ではこうはいかない。トップが決めても後で俺の意見は違うから知らねえといって非協力的な奴が多い。ポイントは、北イタリアの人々は、地中海的な感性。つまり、美、生活を楽しむ。これは地中海的なもののいいところを持っている。言いたいことを言う個人主義も、これも地中海的なもの。ただ、トップが決めたらみんなで協力してすぐやる。これはやはりアルプスの向こう側のゲルマンの共同体主義が色濃く北イタリアに影響を与えているというのが、私の見解です。そのことは私の本に詳しく書いてありますので、興味がある方は読んでください。
次のマーケティング。これも説明すると長いのですが、ようは日本のいわゆる流通というのは非常に多段階になっていますね。ものを作った人の間に卸しとか商社とか。それに対してイタリアは、非常にそこが単純化されているということ。単純化するのはコストを削減するという意味もあるけれども、最大の目的は自分で小売までやって、消費者の意向を瞬時にとらえる。今ポスとかという文明の利器がありますから、そういうことで自分のビジネスにすぐさま反映する。そうじゃないと、彼らが作っているものは非常にファッショナブルなものですから、変わるというリスクがあるわけですね。だからリスクがあるからこそ、小売の動きを自分で捕らえる。それから、受注したものしか作らない。見込みは極力作らない。ということで自己防衛しているというふうに私は思います。
それから、このブランド戦略ですね。これが今日本のビジネス界でも大変な重要なことですが、今までの日本のビジネスのブランドというのは、大量に作ったものをマスメディアを駆使して大量に買わせるという手段の1つにすぎない。だから、ブランド戦略とか、マーケティング部というのは大体日本の企業を見ればわかるでしょう。だいたい部でおしまいですよね。昇りつめても部長です。
ところが、イタリアの中小企業にとってこのブランドというのは、企業で最重要課題なのです。つまり企業が考える生きることを楽しむライフスタイルを、ブランドを通じて消費者に提案し、これに共鳴した消費者がその商品を購入して、限定会員制のクラブに参加すると。これによって他社との差別化を図る。いまや企業の顔であって、企業戦略上最重要課題、ということです。
これを私は実践しているのがゴーンさんだと思います。ゴーンさんというのは、コストカッターとかいろいろ評価もあるのですが、少なくともブランドについては彼はヨーロッパ的な、アメリカとは違うヨーロッパ的なブランド戦略をとっていると思います。そのブランド戦略はやはり日産が考えるライフスタイル、日産が考える戦略というもの、メッセージというものをブランドを通じて消費者に伝えている。だから、ご存知のように日本の社会では先ほど言ったようにマーケティング部とか、ブランド、あるいはデザイナーというのはせいぜい部長クラスしかいなかったのを、ゴーンさんは常務、デザイナーを常務にまで引き上げた。
僕は日産の幹部の人に聞いてみると、ゴーンさんというのはいわゆる技術部から上がってくる機能的な設計のアイデア、それからデザイナーから上がってくる2つがあると、徹底的に議論させるけど、最終的にはゴーンさんは、もめたときはデザイナーの意見を取る。なぜなら消費者にデザイナーは近いから。そう言うそうです。そういう考えはなかったでしょう、日本のメーカーに。
やはり僕はゴーンさんというのは、血筋はレバノン人、国籍はブラジル、高等教育はフランスで受けているけど、やはり僕は彼は地中海のこの美の感性というものと、それから、フランスで教育を受けたから、このロジック、機能性と両方持っている男だというふうに私は評価しています。
それから、最後に、ビジネスモデル別に見た商品設計。これは最近話題になっている藤本先生のアーキテクチャ論を使って、アングロサクソン型と日本式経営と第3のイタリア型を比較した図です。アングロサクソン型のビジネスモデルというのは、強い本社が、本社の指示通りのものを現場に作らせる。現場はその指示に従う。市場も比較的弱い。作ったものを流し込む。日本は、比較的本社が弱くて、現場が非常に強い。強い現場が機能性第一の商品設計をして、それを現場主義で品質のいい、コストの安いものを作って、それをマーケットに押し込む。ところが第3のイタリア型というのは、本社が非常に強い。そして、ものを作る現場も職人が発言力を持っていますから、相当強い現場主義が働いている。それが、強い本社と現場が一体化している。もう1つ非常に違うところは、消費者が個性的で、非常に強いということですね。その個性の強い消費者に、メーカー側が生きることの楽しさを、ブランドを通じて提案する。それに共鳴した消費者が限定会員のクラブを形成して、1つの共同体を作る。それがブランドだと。
もう1つ大事なことは、イタリアの消費者の背景には、強いコミュニティのライフスタイルがある。このコミュニティというのは、ご存知のように中世以来の北イタリアの自治都市の伝統は脈々と生きているということですね。
北イタリアのコミュニティにおける人々のライフスタイルの特徴については、先ほど言った本に詳細に書いてありますが、一言で言うと、これはルネサンスの伝承ですが、人間的に生きる、ウマーノということですね。人間的に生きる。仕事も生活もまず個性的でなければいけない。しかも徹底的に議論した後、ボスが決めた後には、その方針には従ってチームワークを尊重する。それから、シンプルイズベストですね。アルマーニなんかシンプルアンドピュアと言ってます。それから、自然との共生ですね。こういうライフスタイルの中から、彼らは豊かな週末と、それから夏休み1ヶ月を、本当に自然の中に家族と共に帰って、仕事の垢を落として、そしてその中からもう1度頭を空っぽにして、本来人間があるべき姿、本来人間が使うべき商品のオリジナルなアイデアがまた出てくる。
だから私非常に面白いと思ったのだけど、夏休みの終わったあとの会議というのは非常にいいアイデアが出てくるのです、イタリア人は。決して1ヶ月頭空っぽでバカンスしているのではない。彼らも1週間くらいは仕事の垢が抜けないらしいです。2週間目くらいから本当に空っぽにして家族と友達とばか騒ぎをする。そしてやはり最後の週くらいになると仕事のことを考えるらしいです。これはまあエグゼクティブのことですよ。
そんなことで申し上げましたけど、この辺で一度。後は質問を。
司会 どうも、小林先生、今日は貴重な非常に興味深いお話をありがとうございました。ではこれから先生に質問をしたいと思いますが、質問のある方、挙手をお願いいたします。
質問 最近銀座とか丸の内、イタリアのブランドがいっぱいで日本のブランドの店があまりないと思うのですが、今のお話を聞いていると、感性の問題とかなんとかは、結局かなり民族性という問題ではないかという感じを受けたのですが、日本人というか、日本の会社ではそういうこと、ああいう銀座とか大手町辺りに、イタリアのアパレルブランドにならんで店をはるのはちょっと無理なのでしょうか。それとも、こうしたらこういうものは十分できますよと、その辺を教えていただければと思います。
小林 追加して説明するとよくわかると思うのですが、ものを作るというのは、一次元の世界と、ちょっと難しい言葉だけど、ニ次元の世界と三次元の世界があると思うのですね。一次元のは繊維で言うと糸。二次元の世界というのは、これはいわゆる部品です。糸というかこれは素材。繊維で言うと糸。二次元の世界というのは部品。最近ではモジュラーというようなことも使っている。繊維で言うと織物。三次元というのは、これは製品なのですね。最終製品。これはアパレルなのですね。アパレルというのは服ですね。イタリアが競争力で一番強いのはここなのですね。日本は、この素材が強くて、この織物もかなり強い。製品は弱い。なぜかというと、日本の糸というのはさっきのように極細繊維、世界に冠たる糸を出すように、ヨーロッパ、アメリカのメーカーはできないようなものをどんどん作っているのですね。織物も、日本の織物というのはまだまだ相当競争力がある。日本の地方産地の職人がまだがんばっていますから。ところが、この日本のアパレルは何をやっているかというと、ここにアパレルの業界の方がいたら反論があったら言って欲しいのだけど、日本のアパレル業界は何をやっているかというと、ミラコレパリコレのファッションが出たらその日にもうコピーをとって見本にしている。似た素材、似たものを作っている。そしてそれを大量に作って、雑誌とかテレビに俳優さんを使って、これが今シーズンのファッション、ですよと。小売店で店員が何を言うかと言うと、これが流行ですよと。みんな買っています、私も買いました、と言うそうです。そういう売り方をしているのです。ところがイタリアは、この第三次元で一番強いというのはなぜかというと、先ほど言ったように、自分たちの、まさにご質問のリージョナルな、地域の、自分たちの文化をのせているのです。ライフスタイルというのは地域の文化です。イタリア的な生き方というのをのせているのです。ブランドを通じてメッセージを発信している。日本の製品にはそれが希薄でしょう。だから、日本の消費者は飽きてしまっている。それと大量にやりすぎている。こんなことしていたら中国にやられるのも当然でしょう。イタリアのアパレル業界は先ほど言ったように、ラグジュアリーのアパレル業界は中国製の輸入品にほとんど影響を受けていない。中級は受けていますが。なぜラグジュアリーが受けてないかというと、優れて地域の文化をのせているからです。これは中国と競合しません。私は日本のアパレル業界の幹部に言っているのは、なぜ日本の文化をのせて、世界にアパレルを売らないのだと。今私も中国へ行ってびっくりしたのだけど、メイドインジャパンに対するイメージはものすごく高いですね。政治的な活動とは裏腹に。
質問 先ほどトヨタなどでも美とは何かということをとても勉強なさっているというお話でしたが、そして10年先を見ながらそういうことでお勉強しているということでしたが、具体的にはどのような方法で、どのようにお勉強しているか教えていただきたいのですが。
小林 日本の江戸時代の伝統的な美をすごく勉強しているのだと思います。日本は室町以降は独自の文化を出してきています。外部との関係が途切れて、文化が発酵したのですね。日本的に発酵した。そこには世界に誇れる文化がある。その1つは、皆さんご存知でしょう。日本の浮世絵が、あの誇り高いフランスの画壇の基調をがらっと変えてしまったのです。印象派というのを生んだのは日本の浮世絵ですよ。それから、ヨーロッパのいろいろなお城に行くと、必ずといっていいほど日本の伊万里がたくさん飾ってあります。貴族の館とか。あれだけ日本の焼き物というものがヨーロッパを席巻したのですよね。だから、日本は江戸時代には世界最高水準の文化レベルに達していたのではないか。それを明治になって富国強兵のために全部古いものは忘れろというので、つぶしてしまっている。だけどまだ我々の感性の中には残っている。それを呼び覚ましたのがイタリアの文化だというのが私の持論なのです。イタリア人の私の友達なんか見ると、日本をおとずれてくると、やはり奈良、京都とか、萩とか、倉敷、金沢なんかの文化を見て驚嘆すると共に、これはイタリアよりも優れているものさえあるよと言っています。それをなぜもの作りに生かさないのだと。あなたたち何しているのとさえ言っています。アメリカばかり追いかけて。
質問 すばらしいお話を聞かせていただいて、私も少しイタリアを見て思いを持つことがあるのですが、1つ質問したいのは、南イタリアのいろいろな人がファッション界に進出するという話を最初の方に書いていたと思うのですね。
小林 ヴェルサーチは南の人ですよね。
質問 ヴェルサーチだとか、フェラガモなんかもそう書かれてましたね。
小林 フェラガモはフィレンツェですよね。
質問 要するに南イタリア人の感性というのを、先生がミラノとウンブリアあたりにおすみになっていて、しかし話を聞くと、感性の部分で相当南部のイタリア人の地中海の感性というのが商品の土壌となって、それぞれ特色があって、今言われているのは確かに日本のローカルの文化、それと同等のところがあると思うのですが、南イタリアの評価を聞かせていただきたいですね。南部イタリアの産業に与える貢献度。
小林 ベーシックなところでは、非常に貢献していると思いますよ。南イタリアは。なぜかというと、北イタリア、僕はこの本の最後のところで、北イタリアは地中海文化と中部ヨーロッパ文明の幸福な結婚であると言っている。北イタリア人のライフスタイルの根底はやはり地中海人だと思いますよ。なにかというと、やはり人生を楽しむ。これもう地中海そのものです。それから美、美しく生きる。それから自然との共生。で、僕は下部構造と呼んでいるのだけど、下部構造の上に上部構造が乗っかっている。上部構造はやはり中部ヨーロッパからの影響だ。それもあまり北のほうのヨーロッパではなくて、隣接したオーストリアとか、チューリッヒとか、それから南フランスの影響ですね。その地域というのはご存知のようにカルバンを生んだ地域ですよね。カルビニズムの考え方。つまり、一生懸命働いて神に認められるという精神ですよね。そういう考え方が北イタリアには浸透していると思います。特に僕はコモの人やビエラの人々と付き合って非常に感じますよ。皆さん信じられないかもしれないけど、イタリアの中小企業の人、私が一緒に働いたアルカンターラの管理職の人というのは、むちゃくちゃ働いて、私がついていくのが大変だった。すごいですよ。そうじゃなかったらあの様ないいものができるわけがない。あの個性的で、しかも使ってみるとわかるけれど、5年10年使ってもいいものでしょう。決してすぐ壊れるものではない。彼らを見ると、やはり下部構造はおっしゃる通り南イタリアですよ。南イタリアの生活を楽しむという考え方が我々にはないでしょう。ないとは言わないけど、希薄でしょう。抑えろ抑えろで生まれ育ってきたから。だけど、こういう人生を楽しむ生き方というのはあったのかと。夏休みとか、ウィークエンドとか。それから、会社も、少なくとも僕が経験したアルカンターラでは8時以降は家へ帰ります。奥さんと子供と必ず夕飯をつきあう。土日は家族親族でご飯を食べる。夏休みは3週間家族水入らずで過ごす。こういう生活スタイルがあったのかと。僕も本当に度肝を抜かれたけど。そういう生活スタイル、そしてこういう美という考え方、これはやはり南イタリアですよ。それが下部構造にある。ヴェルサーチはレッジョ・カラブリアというかかとのところで生まれたのだけど、そんなところでお前服作りの才能があるのなら、はじめフィレンツェへ行けといってフィレンツェへ行った。フィレンツェへ行って4~5年いたら、これからはミラノだよとミラノへ行けと言われて、ミラノで花が咲いた。なぜ花が咲いたというと、これもこの本に書いてあるけど、彼はデザイナーをアシストするチームワークを、いわゆるビジネスネットワークを、ミラノで持つ事ができた。ところが、フランスのパリにはこれがないといわれている。ものづくりのネットワークというのはほとんどない。ファッション、プレゼンテーションの場がパリにはあるけれども。これは僕が言っているのではなくて、エレというフランスの女性記者が言っているのですから間違いないでしょう。だから、やはりミラノというのはビジネスネットワークがあるのですよ。これは僕はアルプスの向こう側の影響を受けていると考えています。
質問 よくイタリア人の創造性とか、個性のあるということは、確かに先ほども自分の町のライフスタイルを政治にこめているとか、そういうことにかかっていると思うのですが、日本人というのは非常にユニフォーム、制服制帽とかね。みんながネクタイを取っちゃったら取るとか。非常に画一的な形を好む。ところが、イタリアだと私もチラッと聞いた話だと、例えば幼稚園に子供が行くときに、その日どの服を着ていく、どのかばんを持っていく、どの靴をはいていく、これは子供が選ぶ。
小林 そうでしょうね。
質問 こんな小さい子が。自分が一番その日の気分で気に入ったものを選んで幼稚園へ行くと。その辺から、日本だと、幼稚園だとみんな帽子をかぶって同じスタイルでしょう。その辺から全然違ってしまっていると思うのですが、いかがですか。
小林 それはその通りだと思います。私聞いていたのでは、日本人の駐在の人で変わった人がいて、イタリア人の小学校に入れました。とにかく小学校高学年4年生から試験は半分くらい口頭試問になるというのですね。やはりこれは相当違いますよね。口頭試問は先生が言った同じことを言うのはあまり評価されない。なるべく自分の意見を言いなさいという訓練を受ける。それから、これもイタリアの大学に行っていた日本の先生から聞いたのだけど、大学卒業のときのドクター試験は、ゼミの担当の先生が書いたり言ったりしたことに反論を言う。それで議論をする、それが卒業試験だと。だから、そういう点でも、異なった意見をいかに、しかもオリジナリティのある意見を言うというのがいかに大事かと。そういう訓練を小さいときからやっている。もう1つは、これもこの本の中に書いていますが、会社に来る前にネクタイを選ぶのに、お前何分かけているのだとアルカンターラの部長に聞いたら、15分というのですよ。何をお前15分も考えるんだといったら、まずベットから起きて、今日のスケジュールはなんだろうな、あそこの場所に行ってお得意さんと、話題は明るい議題か暗い議題か、場所はどんなところだろう。午後は展示会がある。こういうことを考える。それから、カーテンを開けて今日の天気を見る。それからおもむろにひげをそりながら、ネクタイを決める。ネクタイを決めて、ワイシャツ、ズボン、背広、靴下、時計、ポシェット、めがね、これをどうカラーコーディネートするか。これ考えたら15分は経ってしまう。私が今大学で教えている若い人の中には、数年前ブームを巻き起こしたある製造小売の服は、安くて品質もそこそこいいのだけど、アウターに着ていると、それあの会社のものねと言われると、なんか安物ねと言われたみたいで、もうあの会社のアウターは買いませんという人が多いのです。インナーは買うけど。もう少し日本は豊かになっているのです。少し個性を出したいという機運が出てきている、確実に。だからそれをいかにうまく育ててやるか。ただ自分1人のファッションではなくて。僕はミラノの例を言うのだけど、これを言うと学生たちはうそーとか言うのですが、日本人の若い駐在員の奥さんが、ミラノに赴任して、そこそこ高級マンションに住みますよね。そこで洗濯物をベランダに干したら、もう管理人がすっ飛んできて、なにかイタリア語でわめいている。で、ばーっとはずしてしまう。帰ってきてだんなさんが管理人に聞いてみたら、ここミラノでは道路から見えるところには洗濯物を干さないという決まりがあるのです。ベランダの下のところか、室内で干すのです。それから、家を新築する、改築するのも、色、形が市の当局の許可がいる。ということは何を意味しているかというと、あの個性的な俺が俺がのミラネーゼも、全体の調和をはかるということにはものすごく注意を払っている。なぜそんなことまでするのかと聞いたら、小林さん、ミラノとか北イタリアでは中世からの自治都市の伝統がある。我々は自分たちの町というのは、自分たちで守らなければいけない。政府は守ってくれない。だから、自分たちが美しい町にするためには、言いたいことは言うけれども、こういう形の町にしようと決めたらそれを守る。という市民のマナーというかそういうのが厳然としてあるというのです。だから決して言いたいことを言って、勝手振る舞いが許される社会ではないということです。僕が言いたいのは、日本の若い人にはそういう個性的な芽が出てきているけども、やはりコミュニティのルールというのは自主的に、お上から言われるのではなくて、自分達で話し合って作り上げ、それを守るという生き方をしないといけないのではないか。そうことを僕は今言っているのです。わかってくれる人もいるみたいですよ。
質問 私もミラノに3年いたので、小林さんがおっしゃることは全く同感なのですが、一方で、イタリア人というのはどうしようもない、要するに泥棒が多いとか、あるいは物事がうまく進まないとか、そういうイメージが非常に日本人に強いわけです。ある程度事実のところもあります。それはどうしてかというと変なのですが、それがうまく行ってるというか、一部の人がかなりがんばってイタリアといういいイメージを支えているのだと思うのですが、その辺はどういうふうに。
小林 まさに一部の人ががんばっているのだと思うのだけど、ご存知のように70年代非常にひどい時代でしたよね。それが80年代にやはりコミュニティとか国というものを考えようと。クラクシーという人は悪い面もあったけど、スカラ・モービレを一部廃止したり、そういうようなことをやり、かつ90年代に中道左派とかテクノクラートの内閣ができましたよね。ああいう連中が比較的まともな政策を取って、国庫財政の赤字なんかも急激に減らしてユーロにはいったりしたのですが、帰ってきて6年たっているから間違ってるかもしれないけど、ここの所どうもちょっとイタリアの、いわばそういう良心的な人々の発言力というのが弱くなって、なんかちょっとイタリアが少しヨーロッパの中でのプレゼンスが下がってきているのではないかというような感じがして寂しい感じがしています。やはり一部のエリートにすばらしい人がいますね。エリートには嫌なやつもいるのだけど、一部のエリートはすばらしい。そういう人が国の表に出たときはいい。
司会 今日はどうもありがとうございました。