美術の中のヴィーナス ウルビーノのヴィーナス展を楽しむ

第335回 イタリア研究会 2008-03-31

美術の中のヴィーナス ウルビーノのヴィーナス展を楽しむ

報告者:国立西洋美術館研究員 渡邉 晋輔


第335回イタリア研究会(2008年3月31日)

演題:美術の中のヴィーナス ウルビーノのヴィーナス展を楽しむ

講師:渡邉晋輔(国立西洋美術館研究員)

 

司会  皆さん、こんばんは。イタリア研究会運営委員長の橋都です。今日は少しお寒いところ、また、花見の誘惑に負けずに、ようこそイタリア研究会へおいでくださいました。

 今日はちょうど向かいの国立西洋美術館でウルビーノのヴィーナス展という展覧会が行われていますので、それにちなみまして、国立西洋美術館研究員の渡邉晋輔先生に「美術の中のヴィーナス ウルビーノのヴィーナス展を楽しむ」という題でご講演をしていただきます。

 それでは渡邉先生のご略歴を簡単にご紹介したいと思います。渡邉先生は1972年のお生まれで、東京大学文学部博士後期過程の中退で、専攻はイタリア美術史です。著作には「西洋版画の見方」、あるいは、ご存知の方も多いかと思いますが「ジョットとスクロヴェーニ礼拝堂」という大変すばらしい本を出版されております。

それから、西洋美術館で立て続けに、キアロスクーロ展、それから、イタリアルネサンスの版画展という、どちらかという玄人受けのする展覧会ですけれども、大変すばらしい展覧会を企画されました。

今回はウルビーノのヴィーナス展という、もう少し一般受けのする展覧会を企画してくださったのです。今日はその「ウルビーノのヴィーナス」を中心として、美術の中のヴィーナスということでお話をお伺いいたします。

 それでは、渡邉先生、よろしくお願いします。



渡邉  皆さん、こんばんは。渡邉です。今丁寧にご紹介頂きまして、付け加えますと、ジョットの本は確かに私書いたのですけれども、全く売れてなくて、皆さん買ってください。1冊買うと、私に70円くらい入ってくるようになっているようです。

あと、展覧会が、私、西洋美術館で今出ているのが3回目になります。過去の2回は、今おっしゃっていただいたように版画の展覧会でして、全くこれまたお客さんが入らなくて、西洋美術館史上、おそらくお客さんが入らなかった展覧会ベスト5に2つとも入っているのかなというような展覧会です。今回突然なんかお客さんがたくさん入る展覧会になってしまいまして、いろいろなところから講演してくださいとか呼ばれるわけで、なんというのでしょうか、なんか田舎から都会に出てきた人の気分というか、何か少々戸惑っております。

本日は、そういう私の戸惑いも感じつつ、でもこの展覧会についてお話しようと思っております。

今日お話しますのは展覧会の紹介なのですが、この展覧会がどういう展覧会かまず最初に申し上げますと、もう題名でウルビーノのヴィーナス展というふうになっている通り、「ウルビーノのヴィーナス」という名作ですね。それを紹介しようというのが1つの趣旨になっています。

「ウルビーノのヴィーナス」という絵は、皆さんご存知かもしれませんが、ティツィアーノというイタリア、ルネサンス、もっと言ってイタリア美術そのものと言っていいかもしれませんが、それを代表する画家の1人なわけです。そのルネサンス、あるいはイタリア美術を代表する画家の更に代表作が、この「ウルビーノのヴィーナス」というわけですね。

今までこの「ウルビーノのヴィーナス」というのは、ウフィツィ美術館にあるわけですが、ウフィツィ美術館を留守にしたこと自体が本当に数度しかないわけです。何回か正確な数字は忘れてしまいましたが、3回くらいだったように思います。そのウフィツィを留守にしたすべてがヨーロッパの中だったのですね。だから、たぶん陸上で移送したのだと思います。ヨーロッパ以外、アメリカを含め、ヨーロッパ以外に出たというのが今回初めてになるわけです。それくらい非常にめずらしい機会だということです。

そういうことで、展覧会の1つの見所といっては、なんと言ってもこの「ウルビーノのヴィーナス」を見ることができるということです。

2番目に、私たちが意図したことというのは、この機会にヴィーナスという図像について日本の皆様に知っていただこうということです。ヴィーナスというと、日本人は全員知っている女神だと思うのですね。西洋の古代神話の中で、おそらく最も名前の知れた女神ではないかと思います。

ただ、それほどよく知られているヴィーナスなのですが、では、そのヴィーナスがいったいどういう人だったのか。神話の中でどのような存在で、そして、美術、絵画や彫刻、工芸の中でどのように表現されてきたのかということは、案外知らないのではないでしょうか。ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」とか、その程度はすぐに思い浮かぶのですが、実はヴィーナスを題材にした作品というのは本当にたくさんあって、そして、「ヴィーナスの誕生」だけではないですね。本当に豊かな図像がヴィーナスという女神の背後にはひろがっているわけです。これを皆さんに紹介したいと、そういうふうに思ったわけです。

会場でも、古代からルネサンス、そして、バロック初期までというふうに、だいたい時系列にそって紹介しておりますので、今日も古代からだいたい時間軸に沿って紹介していきたい。古代でどのようにヴィーナスの像が生まれて、ルネサンスでどのように復活したのか。その流れの中でどういうふうに「ウルビーノのヴィーナス」という作品を位置づけることができるのか。そして、そうした表現がバロック初期に至るまで、どのように継承されていったのか。そういったことをお話したいと思います。


それでは、電気を消していただけますか。

まず最初に、ヴィーナスはどういう人なのか、どういう人なのかというと神様なのですが、について簡単にまとめました。

ヴィーナス、ヴィーナスというふうに言うのですが、実はヴィーナスの誕生を巡っては、2つの説というか、言い伝えがあるわけです。この画面を見ていただくと、1つ目、ホメロスを巡って、ゼウスとイオネ、つまりユピテルとユノーの娘。ようするに、普通に男女が交わってできた女の子というわけです。

これを後でもう少し詳しく言いますけれども、アフロディーテ関連もそうですね。地上的なアフロディーテといいます。地上的というのは地上的な仕方で子供が生まれたというのですね。

もう1つは、ヘロドトスなんかが言っていることなのですが、クロノスという神様が切り落とした、そのまたお父さんのウラノスの生殖器が海の中に落ちて、その精液の泡から生まれた女神だという説です。ウラノスというのがギリシャ語で天という意味なのだそうですが、だから、天からそのまま男女の接合なくして生まれた女神ということですね。ですから、「アフロディーテ ウラニア」、天上のアフロディーテなどというふうに言われております。

出身地なのですが、キプロス島というふうに言われています。キプロス島というのは、ここですね。更にもっとたどると、シュメール文明とか、そのへんまでヴィーナス、もしくはアフロディーテの先祖というのはいるのですが、より直接的には、このシリアの辺りで崇拝されていた女神が、このキプロス島に輸出というか、もたらされて、更にここからこのギリシャ世界全体へとこのヴィーナス、アフロディーテへの崇拝が広まったと言われています。アフロディーテというのはヴィーナスのギリシャ語名ですね。正確にいうと、ヴィーナスがアフロディーテの英語訳なのですが、アフロディーテがギリシャ語で、それがローマ世界に行くとウェヌスになって、それを英語訳するとヴィーナスという構図ですね。

そういうことです。最初にこの東方の世界で崇拝されていた女神がこのキプロス島にもたらされて、そして、ギリシャ世界にわたって、そして、その後、古代ローマへともたらされていく、そういう構図を覚えておいてください。

先ほど申し上げたヴィーナスの誕生の1つを描いたのがこの絵ですね。皆さんご存知、ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」です。ちなみに、今回の展覧会も、最初はいろいろ政治家とか入って、政治的な動きの中で決まるのですが、最初の第一候補はこの絵だったのですね。絶対貸してあげないと言われて、「ウルビーノのヴィーナス」になったと。私はその辺はあまりかかわってなかったのですが。

ここで、このヴィーナスは先ほど言ったように、ウラノスの生殖器が海の中にポチャリと落ちて、その泡の中から生まれた。そういう存在として描かれているわけです。で、ここがヴィーナスが岸辺にちょうど着いたところですね。この岸辺こそキプロス島です。

先ほど言ったとおり、生まれの説に2通りあるわけですね。そこから地上のヴィーナスとか、天上のヴィーナスというふうになるのですが、そこから、哲学的にも彼女の性格を2つに分けようというふうな動きがギリシャの世界で出てきます。

それを最も議論したのがプラトン、皆さんご存知の哲学者のプラトンなのですが、地上的なアフロディーテの方は、ようするに普通の仕方でできた女神ですから、魂より肉体に、そして、女性にも男性にも関係するというふうに意味付けられました。より私たち一般に近いというか、物質に近いというのでしょうか。

で、もう片方のほう、天上のアフロディーテというのは、要するに、肉体と関係なくして生まれたわけです。ですから、魂により近いような存在とされたわけですね。そして男性だけに関係する存在とされました。

だから、愛にもいろいろありますが、地上的なアフロディーテというのが、より肉体を対象にしたような愛だとするならば、こちらは魂を求めるような、そういう愛、そういうふうに愛という1つの概念を、アフロディーテという存在を借りて、2つに分けて考えるわけですね。男性だけに関係するというのは、要するに、男女の間だと、肉体の要望というのが交わらざるを得ないわけですね。男と男の間だったら、魂に直結するような愛というのが可能なのだというふうに考えるわけです。今で言うプラトニックラブですね。私たちがプラトニックラブというと、ちょっと元々の語源からすると離れているということです。

このように、文学の中で、あと、昔の哲学の中でも、アフロディーテ(ヴィーナス)の性格が様々に議論されて、どういう存在なのかということが提示されていったわけです。

そういう中で、美術表現の中に表されたヴィーナス、アフロディーテの像というのも、様々なタイプとして表現されるようになります。更に彼女はなんといっても愛の神様、美の女神ですから、こういうふうな裸体の表現として、そして、愛と美をセクシャルに表現するような、そういうポーズが考え出されるようになるわけですね。

今日のスライドで何も表記がない場合、タイトルが書いてない場合は、今回の展覧会の出品作になっております。詳細が知りたかったら、展覧会に来てください。ぜひ会場で本物をご覧ください。

例えば、これ「メディチのヴィーナス」というものですが、ここで作者は、片手で胸を押さえて、もう片手で下腹部を押さえるような、そういうしぐさで彼女を作っているわけですね。あたかも水浴をしていて、そこで突然男の人の視線を感じて、はっと立ち止まっているような、そういう女性像としてヴィーナスを表すわけです。

こちらは、サンダルを脱いでるヴィーナスなのですが、もう少しエロティックな感じ。サンダルを脱ぐというのは、多少エロティックな感じがあるのだと思うのですが、そういうような表現をするわけです。

こうした2つの像に対して、この真ん中の像というのは、これ「アルルのアフロディーテ」という方なのですが、ちょっと性格を異にしている。自分の胸や、あるいは下腹部を隠すようなしぐさを全くしない。もっと堂々とした感じの、男性的といっていいのでしょうか。むしろ精神的といっていいのでしょうか。そういうようなヴィーナスの姿を表している。

こういうふうにして、昔の人たちが想像したヴィーナスの姿というのを、美術家たちはさまざまなタイプとして、持ち物とか、あるいはポーズを与えて、美術作品として表現していったわけです。

で、そのようにして、古代の作品はいろいろ展開していくのですが、残念ながら今回の会場には、それほど古代の作品は充実していません。実はあと10点くらい来るはずだったのですが、南イタリアのある有力な美術館が土壇場になってキャンセルしてきまして、結構がたがたになってしまったのですね。1月の半ばくらいのことでして、大変私は困ったのですが、混んだ会場だとかえって会場が空いていていいかもしれません。ともかく会場に行って、自分の目でお確かめください。


 古代が終わると中世という時代が来ますね。そうすると、古代の神様というのは、キリスト教によって抑圧されていくわけです。キリスト教のイエスとかマリアとか、そういうのが基本的には美術の主題として定着していくわけですね。

非常に中世の中でも珍しい作例というのがこの写本でして、極めて珍しいことに、ここにヴィーナスが描かれているわけです。さらに、ヴィーナスが裸体として表現されているのですね。中世において裸体というのは、まず普通は表現されることがなかった。表現される場合はどういうふうなものとして表現されるのかというと、罪のシンボルとか、そういう汚らわしいものとして表現されることが多かったのですけども、ここではなんとヴィーナスが裸体として表現されている非常に珍しい例なわけです。

主題はというと、これは「パリスの審判」という、あとでスライドが出てくると思いますが、ここはもう2人の女神ですね。この2人とヴィーナスが、自分の美しさを比べあうという有名な物語です。で、審判するのがこのパリスですね。だから、ここでヴィーナスは裸になってパリスを色気で買収しようとしていたという、そういう場面が描かれております。

これは中世の有名な裸体の表現でして、先ほどの私の本の中に図版が出ております。これはジョットのスクロヴェーニ礼拝堂なのですが、その最後の審判の図ですね。この辺に裸体がたくさん出てくるわけです。この辺がちょうど右のスライドなのですが、これがなんなのか、もう見ておわかりのとおり、罪人が地獄でいろいろな責め苦にあっていると、そういう場面なのですね。こちら側が天国に行く人で、こちらが地獄に落とされる人です。

こういうふうにして、中世では裸体というのは罪の意識とともに描かれていたということです。

さて、このヴィーナスをはじめてとして、古代の神々が復活した時代こそルネサンスなわけです。ルネサンスというのは、文芸復興とか言いますけれども、何が復興したのかというと、いわずとしれた古代の文化なのですね。

ここで象徴的な例として、この2枚のスライドをお見せしているのですが、こちら先ほど見ましたね。こちらは、ロレンツォ・ディ・クレーディというルネサンスの画家の作品です。見て、あれと思われると思うのですが、2人がほとんど同じポーズをとっているわけです。左右は逆転しているのですが、片手で胸を押さえている。そして、もう片手でこの下腹部を押さえている。こういうふうにして、ルネサンスの画家は、古代の彫刻とかを一生懸命研究するわけです。そして、ヴィーナスにふさわしいポーズ、持ち物とかいろいろを研究して、自分の作品として表現しようと、そういうふうな試みをしていくわけですね。

で、これは大変すばらしい作品なのですが、ちょっと本筋とはずれますが、大変面白い点があります。実際会場に行ったら、よく近寄ってご覧ください。このスライドでは全然わからないのですが、こういう輪郭にそって、小さな穴がたくさん開いているのですね。穴というか、点々が見えるわけです。それはなんなのかというと、ヴィーナスの図像とは関係ないのですが、この画家が作品を描くときに、最初に紙に下絵を描くわけです。で、下絵を、これは確か板絵なので、板だったと思いますが、板の上に置いて、その輪郭線にそって針でつついていくわけですね。その下書きを、この板に転写したあとが、すごく克明に残っている。当時の画家の技法を知るうえで、大変珍しくて、とても見本になるような例だと思いますので、ぜひご覧ください。

この絵はヤコポ・デル・セッライオという人の絵でして、今お見せしたロレンツォ・ディ・クレーディの作品の隣に置いてあります。先ほどからずっとヴィーナスの性格が2つに分けられて古代では表されたと言いましたけれど、ここでもヴィーナス、あるいは、愛を巡る2つのあり方というのが表現されているわけです。

これは連作なのですが、しかも場面はつながっているのですが、2つの愛の様相というのが描かれている。それを端的に示しているのがこの人なのです。キューピッドですね。こちらはキューピッドが山車の上に乗って、弓矢をびゅんびゅん放っているわけです。皆さんご存知の通り、キューピッドの弓矢に当ると、当った人は恋に落ちてしまうわけですね。ですから、こちらの山車は、いわば愛の凱旋。愛が何よりも人の上に立っている。そういった図像を示しているわけです。ここに兵士とか、おじさんとか、お姉さんとか、いろいろ繋がれてますけども、どんな人であっても、愛の矢は避けることができないと、そういったことが描いてあるわけですね。

一方こちらは、愛といってももう少し慎み深い愛のほうが描いてあります。上に乗っているのは、いかにも慎み深い感じの女性。ここで、好き放題していた愛というのが、ここに鎖でつながれて、よく見ると、羽をむしられたりとか、ぼこぼこにされているわけです。こういうふうにして、より節操のある、慎み深い愛の側面と、もう少し違う、より奔放な愛と、そういったものが対比されて表されているわけです。

ごめんなさい、ここに違うスライドを入れたのですが、実はここに、見えないかも知れませんが、女の人が表されてまして、この2人が先ほどのロレンツォ・ディ・クレーディとか、あるいはボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」とかと同じく、片手で胸を押さえて、もう片手で下腹部を押さえるという、同じポーズをとっているのですね。だから、当時の美術家たちが、いかに古代の表現というのに目を奪われて、そして、それをまねしたのかというのがよくわかる例だと思います。

その愛の様相というのは、当時の画家たちにとって非常に関心をそそるテーマでした。当時の人々、インテリたちには大変おなじみのテーマだったのですけども、ティツィアーノも他の絵の中で、愛について描いています。これは「聖愛と俗愛」という彼の代表作の1つですけれども、こちらが聖愛、聖なる愛、ですから、より天上と接した愛です。魂を対象にした愛というのでしょうか。ですから、こちらに表されているのは、天上のヴィーナスですね。こちらが俗愛。俗愛というのはちょっと名前としてふさわしくないと。あまりきちんと対応しているとは言いがたいようにも思いますが、先ほど言った地上のヴィーナスですね。より地上の物質的な愛に関係している女神。ですから、後ろを見ると、よく見えないかもしれませんが、ここに兎がいたりするのですね。兎というのはヴィーナスの持ち物の1つでもあるのですが、多産さとか、そういうことを象徴します。だから、地上の肥沃さとか、多産さとか、そういうのがこちらに表示されている。そして、この2つの愛が補完しあって、1つの愛の全体としてのテーマがここに表されているということですね。

さて、ヴィーナスはこのほかにもいろいろなジャンルの作品に登場します。ここでお見せしているのは、ルネサンスの写本芸術で最も美しいといわれている作品の1つで、今回の展覧会に出ているわけです。これはモデナから来ているのですが、絶対貸してくれないよねとかフィレンツェで話していて、一応聞いてみようかと電話したら、貸してくれちゃったという、大変ラッキーだったのですが、ぜひ会場でじっくり間近でご覧ください。本当にすばらしい写本です。

さて、ここのヴィーナスが何を表現しているか。これがヴィーナスですね。何を表現しているかというと、ヴィーナスというのは英語でもそうなのですが、金星の意味でもあるのですね。で、ここでは金星としてのヴィーナスが表現されています。ここにはてんびん座とおうし座、要するに今頃の季節ですけども、たぶんその辺の季節に金星が天空で、黄道と言いますけど、その上に位置しているのでしょうね。だから、ヴィーナスはこの季節の星だというわけです。

で、こちらの神で何が書いてあるかというと、このヴィーナスに影響された人々が、どのような行動に走るのかといったことが表されています。例えば、ここ愛し合っていますね。愛の女神だから当たり前のことですよね。あと、音楽を奏でたりとか、そういった行動にヴィーナスは影響を及ぼすというふうに考えられていたわけです。

さて、この辺からだんだん私たちは「ウルビーノのヴィーナス」に近づいていくわけです。当時のヴィーナス、今まで、例えば、前のヴィーナス、裸で表現されていましたけれども、裸のヴィーナスというのはまずなかなか表現できないものだったのですね。今でもそうですけれども、例えば、今の「ウルビーノのヴィーナス」展のポスターとか、看板とか、裸の女性がたくさん出てきますけども、一般の方から、裸の女性をポスターに使うとは何事かという苦情がすごくたくさん来てまして、そういうものなのかなと思ったりするのですが、それは昔も同じでして、裸の女性を公共の空間に描くというのは、なかなか問題があったというのです。

これは、実は非常にプライベートな空間で観賞されたものなのですね。こういう長持ですね。カッソーネといいますけども、ここにふたがありまして、このふたをぱかっと開けると、こういうようなちょっとエロティックなヴィーナス像が描かれていたわけです。こういう長持というのは、当時は花婿が、結婚する際に注文して、新居に持っていったものです。当時の結婚というのはなんのためにするのかというと、子孫を残すためなのですね。ですから、子宝に恵まれますようにというような意味合いをこめて、こういう多少というか、かなりというか、エロティックな図像が描かれたわけです。

これもそうですね。これがどういう用途で描かれたのかというのは、多少議論があるのですけども、おそらく寝室に描かれたのだろうと思われています。この絵の面白いところは、ここでキューピッドがなんか盾を持っているのですね。よく見ると、真ん中で真っ二つに分かれている。これは、どっちがどっちかわかりませんが、新郎と新婦の両家の家紋なのですね。それがこの結婚によって、1つになりましたよということが示されているわけです。ここでヴィーナスが登場するのですが、この2人の間に子供が、特に男ですね。男の子供が産まれますようにというような意味合いが、こうした絵にはこめられていたわけです。

ちなみに、古代には横たわるヴィーナス像というのはほとんどなかったのですね。文献の中でも、文学作品とかでもほとんど登場しない。こういう横たわるヴィーナス像という図像は、ほとんどルネサンスの発明といっても過言ではないわけです。

特に先ほど言ったような、これはそうでもないのですが、長持のふたの裏側というのは、極めて長細い画面を必要とするわけですね。そういうところに横たわるヴィーナスというのは、構図上、極めて合致する図像だったのだろう思われます。

こうしたカッソーネ、長持の裏側に描かれたような横たわるヴィーナス像の延長線上に、「ウルビーノのヴィーナス」が位置するというわけです。

せっかくですので、ここから、皆さんも難しい話でお疲れでしょうから、この展覧会の途中というか、準備のとき、この絵がどのように運ばれてきて、どのように展示されたのかということをご紹介したいと思います。

ここから始まるのですが、これは西洋美術館の前庭ですね。ここにこういうトラックで運ばれてくるわけです。こういうトラックは、空調完備で、温湿度も調整されているのですね。で、成田から今やってきて、箱を下ろしているところですね。これが確か「ウルビーノのヴィーナス」の箱だったと思います。

こんな感じですね。この日は晴れていたからとてもよかったのですが、雨だと、大変気を使って、本当に困るわけです。

これは完全にバックヤードですけども、こういう荷物を運ぶための専用のエレベータがありまして、これで地下に下ろしていくわけですね。

ここで会場に着いたところです。展覧会に行かれた方はおわかりだと思うのですが、この辺に「ウルビーノのヴィーナス」はかけられることになるのですね。

ただ、美術作品のうち、特に絵画というのは、運ばれてきてすぐに開けてはいけないということになっているのですね。すぐに開けてしまうと、温湿度が調整されないで、急激な変化に絵がさらされてしまうわけですね。ですから、運んで来たらだいたい24時間おいて、そこで温湿度を慣らさせて、それから開けるというような、だいたいユニバーサルスタンダードになっているわけです。

これは、この1つの前のスライドから1日もう開いたわけですね。これから箱を開けていきましょうというところです。

とても重いのですね。私なんかとてもじゃないけどこの中に加われないような、大変な重さです。

これが今横になったところですね。この人は読売新聞のカメラマンの人です。

ここで最初の上ぶたを開けたところですね。開けると、こういうふうに発泡スチロールがつまっているわけです。どんどん開けていきましょう。1個取り出すとまだあるわけですね。これが内ぶたになっています。

こういう大事な美術品というのは、先ほど言ったように、温度と湿度の変化を最小限にしなければいけないので、だいたい二重箱になって来るわけです。1つふたがあって、もう1つふたがあって、その中に絵が入っているということです。

ちなみにこういう箱というのは大変高くつくものでして、イタリアではいくらくらいするのか知りませんが、日本で西洋美術館の作品を貸し出しますよね。だいたいこのくらいの箱を作りますと、1つ数十万くらいするのではないでしょうか。もちろんその経費は借りるほうが持たないといけません。

今この内ぶたをとったところですね。

ここでようやく絵が出てきたというところです。

たまに間違えた作品が送ってきてしまったりするのですね。今回も、こういう大きい壷がありまして、1番最初の部屋なのですけれども、それから開けたわけです。そうしたら、最初に開けたその壷が違う壷でして、みんなで怒り狂って、イタリアに連絡して、至急本物の作品を送ってこさせて、ぎりぎりで間に合いました。

これは、これから作品を出そうかなとしているところですね。

今出して、上からチェックしているところです。このおじさんは、ウフィッツィの人で、ウフィッツィの展示の責任者ですね。建築家なのですが。

これ立てて、裏をチェックしようとして、これ私です。

これ後ろを見ているところですね。これが修復家の方で、こちらがフィレンツェ側の修復の責任者ですね。

ここで、裏側にこういう板が、白い板がはまっていたのですね。この板の下どうなっているのとか、とれるのとか、つい聞いてみたら、じゃあとってしまおうかという話になりまして、別にとってくれとは言ってなかったのですが、とりました。後で元に戻したのですが。

「ウルビーノのヴィーナス」の裏はこういうふうになっているのですね。「ウルビーノのヴィーナス」は今までに2回修復されています。1回目が19世紀で、2回目が1996年でしたかね。非常に最近です。2度目の1990何年のときの修復というのは、あまりたいしたことしてないのですね。たぶんそのときにこの木枠は新しくしたのだと思います。

19世紀のほうの修復はかなり強烈な修復でして、ここに布が見えますけども、これも19世紀の布なのですね。後ろから布を当てているわけです。更に、昔の修復というのはよくやるのですが、アイロンをかけてしまうのですね。熱した鉄で後ろからアイロンをかけてしまう。そうすると、確かに絵肌というのはきれいになるのですが、なんかつるりとした感じの、のっぺりとした感じの印象に変わってしまうわけです。「ウルビーノのヴィーナス」でも、皆さん会場でごらんになったらおわかりだと思うのですが、多少のっぺりした感じの印象を受けると思います。おそらく描かれていた当時は、もっと奥行きのある、でこぼこした絵肌だったのではないかなと思います。

これはチェックの続きをしているところですね。僕も仕事をしているように見えるのですが、全然そんなことないのですね。たぶん全く関係のない話をしているのだと思います。もちろん追い詰められると仕事するのですが、だいたい何の関係もない話をずっとして、時間が過ぎていくという、我慢比べみたいなところがあるのですね。

点検が終わりまして、これからかけようかと言っているところですね。大変気を使いまして、何度もやり直ししたりとかしています。ここにガラスを後ではめるための支柱が出ているのですが、そういうのも絵を傷つけないように、こういうふうに布で包んだりとかしていくわけです。

今ここで一応展示が終わったというところですね。


ここまでで展示風景なのですが、次に「ウルビーノのヴィーナス」について見て行きましょう。

この絵については、いろいろ問題があるわけです。例えば、この人が誰なのか。それが1番大きい問題なのかもしれませんが、ぱっと見ると、本当にヴィーナスなのと疑いたくなってしまうわけですね。ですから、この絵がじゃあいったいどういうふうな文脈の中で生まれてきたのかというのを見て行きますと、例えば、この辺は、こちら、パルマ・イル・ヴェッキオというという人の絵ですが、この辺をたぶんティツィアーノは参考にしたのではないかなと思われます。

こちらはジョルジョーネの「眠れるヴィーナス」という絵なのですが、全体的な印象はおそらくこの絵を参考にしたのだろうと言われています。実際、ジョルジョーネはこの絵を描いたときに、途中で死んでしまうのですね。死んだ後、この絵を完成させた人こそ、ティツィアーノだったわけです。だから、ティツィアーノにとって、この絵というのは非常になじみのある絵だったわけですね。だから、この絵の構図をかなり借りている。ただし、外からヴィーナスを当時の館の中に移したというのが非常に大きい点ですね。あと、これは今見えませんが、昔はここにキューピッドが描かれていたのです。で、ティツィアーノはそのキューピッドを省いてしまうわけですね。キューピッドを省いて、犬をここに付け加えた。そうすることによって、この女神がぐっと現世的になるわけですね。ぱっと見た感じでは、ヴィーナスだか誰だかさっぱりわからないという絵になったわけです。

こうしたヴェネツィアにおける横たわるヴィーナス像というのは、もっと前をたどりますと、違う作品へまいりまして、こういう古代のカメオですが、こうした作例も参考にしているのではないか。ヴィーナスではなくて、ヘルマフロディトスという男性器と女性器両方持っている、男性と女性のあいのこというか、あわさってしまったのですね。そういう存在です。あるいはこちらは、ヴェネツィアの人たちには大変知られていた作品なのですが、「ポリフィロの夢」という本の挿絵なのですね。ここでヴィーナスが寝ていて、サテュロスがその眠っているヴィーナスを発見する。こうした図像が、ジョルジョーネとか、ティツィアーノの横たわるヴィーナス像に大きい影響を与えたのだろうと見られています。

この書いてあるのは、皆さんのためではなく、僕が参考にするためなのですが、ここに今言ったように、ヴィーナス、この人がヴィーナスだと示すための記号のようなものがないのですね。要するにキューピッドがいないのです。あと、室内に描かれている。こういうことから、いったいこの人は誰なんだろうかという大きな問題が生じてくる。今までいろいろな説が言われているわけなのですが、例えば、ティツィアーノの愛人ではないかとか、あるいは、注文主グイドバルド・デッラ・ローヴェレという人なのですが、その人の母親ではないかとか、あるいは、グイドバルドの妻である、あるいは、ヴェネツィアの高級娼婦である、いろいろ言われているわけです。ただ現在、だいたいみんなが一致しているのは、実際の絵のモデルになったのは、その辺にいるヴェネツィアの娼婦だったのではないかと言われています。その根拠になるのは、非常に単純なことなのですが、他の絵との比較なわけです。これ「美しい女」という題です。これピッティ宮殿のパラティーナ絵画館というところにあるのですが、この顔、「ウルビーノのヴィーナス」と全く同じなわけです。こういうところから、おそらくこの女性は、ティツィアーノのお気に入りのモデルだったのであろうということですね。

ちなみにこちらの作品は、これを注文したグイドバルド・デッラ・ローヴェレという人のお父さんが注文した作品なのですね。ここから想像たくましくするのですが、グイドバルド・デッラ・ローヴェレはこの作品を注文した、あるいは、ティツィアーノのアトリエで見たときに、こちらのこの絵を想像しなかったわけがないのですね。父親が持っているこの服を着た女の人、その同じ女の人を僕は裸で持っている。そういうところに、彼の父に対する対抗心というか、そういうのがなかったわけないんじゃないかというふうに私は思っています。

これも同じモデルを使った絵ですね。いろいろ描いているわけです。もしこの人が結構身分の高い女性だったら、そういう人を勝手にこういうふうないろいろな絵のモデルにするわけがないのですね。だから、実際のモデルにしたのは、その辺の身分の低い女性だったのではないかと思われているわけです。

これいろいろ文字書いてありますが、私の参考のためです。ただ問題は、その誰かということではなくて、そこにいったい何を投影していたのかということだと思うのですね。ですから、いってみれば、この絵という舞台の中で役者がいるわけです。このおそらくはその辺の娼婦であったであろう若い女性、その人がこの絵の中で何を演じているのか。それがこの絵を解釈する際には非常に重要になるものと思います。

大きく分けて、3つかなり有力な説があります。1つは、ヴィーナス。「ウルビーノのヴィーナス」ですからヴィーナスですね。スライドに書いてあるプラスマイナスというのは、その説にとって都合のいい場合はプラス、悪い場合はマイナスなのですが、ヴァザーリという人がいまして、ほぼ同時代の人です、ティツィアーノと。その人がこの絵を見て、ヴィーナスだと言っているのですね。この女性は薔薇を持っている。薔薇というのは、ヴィーナスが必ず持っている花なのですね。あとここに、ミルト、あるいは、ギンバイカともいいますが、その鉢植えが植わっている。で、ミルトというのは常緑樹なのです。常緑樹ということで、永遠の愛の象徴ということにされるのですね。そこからヴィーナスと関連付けられるようになった。これがヴィーナス説にとって非常に重要な点です。

一方、ここに先ほど言ったように、キューピッドがいない。そして、室内に描かれているというところから、ヴィーナスではないのではないかというふうにも思われる。

2番目、これはただのポルノなのだというような説もある。注文主のグイドバルドは、手紙の中で、「裸の女は…」というように言っているわけです。ヴィーナスならヴィーナスと言うだろうと思うのですけれども、ただ、手紙の言い回しにすぎないのではないのというような意見もあるわけです。あと、こういう象徴ですね。犬も愛に対する忠実さとか、そういうものの象徴とされているのですが、そうした点を無視してしまっていいのだろうかというような意見があります。

3番目、奥さんを投影しているのではないか。グイドバルドには14歳の奥さんがいたのですね。だから、ここに奥さんの姿を重ねていたと考えていても、全然不思議はないわけです。先ほど言ったように、横たわるヴィーナスというのは、最初はカッソーネという長持の裏ぶたに描かれていたわけですね。カッソーネが何のために作られたのかというと、結婚の際に作られたわけです。そういう伝統を考えると、ここに奥さんが描かれているというのは、大変妥当な解釈のようにも思われる。ただ、彼が結婚したのは4年前のことなのですね。なぜ結婚から4年もたって、この絵を描かせたのかというような疑問点も残っているわけです。

あともう1つ、結構有力な説なのですが、当時、14歳という年齢がどういう年齢だったのかというと、セックスができる年齢というふうにされていたわけです。つまり、子供を受胎することができる年齢というわけですね。ということで、妻がこれから子供を受胎するということを願ってこの絵を描かせたのではないかというような説もあります。

実際当時は、美しい女性の絵を見ながら子供を宿すと、生まれる子供は大変美人になるとか、結構まことしやかに信じられていたわけですね。そうすると、寝室にこういう絵を飾っておくというのは、大変機能的な面があったというふうにも考えられるわけです。

ただ、現在結構主流というか、私もそう思うのですが、そういう説は、この絵が誰を表しているのか。何を表現しているのか。1つに押し込めること自体がおかしいのではないか。絵というのはいろいろな解釈の可能性があって、いろいろな解釈が1つの絵にこめられている。それこそが絵の魅力といえるのではないだろうか。そういうふうに最近では言われているわけです。

そういうふうに、絵を1つの解釈に閉じ込めるということはしないで、この絵自体を楽しむ。そういうふうなことがこの絵の最も大きな特徴だったのではないかというふうに思うと、そこからもう1度この絵を見直してみようというふうに思うわけです。

私は思うのですが、この絵は、構図として非常に優れているように思うのですね。ここからこの絵を邪心なくというか、無垢な目で見直してみる。特に、ティツィアーノがどのようにこの構図を研究して、絵を見る人にこの女性を魅力的に見せようとしたのか。それを少し見てみたいと思います。

まず、ぱっと見ていろいろ気づくことがあると思うのですが、女性がこちらを見ているわけですね。見た瞬間に、僕たちはこの絵の中の女性と目が合う。それが1つの大きな特徴ですよね。目が合うことによって、何かこの絵の中の人物と個人的な関係が生まれたかのような、そういうような気がするのではないでしょうか。

で、このスライドではなかなかわからないかもしれませんけれども、実際この絵を前にすると、現実的な感覚というのでしょうか。そういうものを非常に強く感じるのです。絵というのは、知覚を通してみるものですよね。目によって楽しむものです。でも、この絵を前にすると、むしろ触覚が刺激されるような、あるいは、嗅覚が刺激されるような、そういったところがあるのですね。薔薇が1番前に描いてあって、いかにも香りが強そうであるとか、あるいは、シーツがちょっとごわごわした感じだなとか、この女神の肌が非常につやつやして柔らかそうだとか、この髪の毛がふわふわして、何か肌の上で波打っていて、もう本当に触れるかのような、そういう現実的な感覚、それをティツィアーノはここで細心の注意を払って、見る人に訴えようとしたのではないか。そういうふうに思うわけです。

で、そういう現実感覚をここで強調する工夫というのが、絵の中にはいくつもあるのですね。今言ったような個々の描写というのはもちろんなのですが、もう1回よく見てみましょう。まず非常に重要なのが、この後ろのカーテンのような、敷居のようなものです。この敷居によって、このベッドの空間と、その後ろの部屋の空間というふうに、絵の中の空間が2つに分かれてますよね。だから、絵を1つの画面、1つの空間として見るのは、この場合は間違いであって、絵の中には2つの空間が生まれていると考えるべきなのです。

重要なことは、当時の館で、このようなベッドの置き方というのが絶対にされることがなかったということなのですね。ベッドを割合部屋の中心のようなところに置いて、しかも後ろにこんなスクリーンみたいなのを置くというのは、当時の屋敷、貴族の館では、絶対にないことだったのです。

ということは、ティツィアーノはここで架空の舞台を作っている。架空の舞台を作って、なぜその架空の舞台を作ったのかといえば、この絵の空間を、現実的に見る人に見せるように、そういう工夫として、この架空の空間を作っていると考えるべきなのです。

では、このスクリーンがあることで、どういうような効果が生まれるのか。先ほど言ったように、絵の中の空間が2つに分かれますね。こちらの空間を見てみると、前景と比べて圧倒的に先ほど言ったような現実感覚が少ないわけです。なんかこれ触れそうだなとか、匂ってきそうだなとか、そういうものが全くないですよね。

あと、後ろの空間は、遠近法に従って描いてある。いかにも図式的な絵なのですというような描き方がしてあるわけです。片や、前景の空間というのは、そういうのが全くないです。

そうすることによって、絵の中の2つの空間が、奥のほうの空間と、私たちがいる本当の現実の空間に挟まれて、ここに1人の女の人が横たわっているベッドがあるんだ、こういうふうに見えてくるわけですね。この本当の架空の空間というのがあることで、ぐっとこの手前のベッドの空間というのが、現実の空間へと近づいてくるわけです。

そして、この女神は、こちらをじっと見つめているわけですね。言ってみれば、この絵の中の手前のこの空間というのは、額縁の延長線のような、そういう空間の性格を持っているわけです。私たちがいて、普通は絵の中の空間。こういう2つの空間の対立として、現実の空間と、絵の中の空間というのを、私たちは考えるわけですけれども、ここではそうではないのですね。私たちの空間でも、絵の中の空間でもない第3の空間というのがここに表現されている。この現実と虚構とのはざまにこそ、この裸の女性が横たわっている。それを、ティツィアーノはおそらく表現したかったのだろうというふうに思われるわけです。

もう1つ、ここに犬が寝てますね。ぱっと見るとまったくおかしくない話なのですが、よく考えると、ここで犬が寝ているというのは、とてもおかしいのです。なぜおかしいのか。なぜなら、絵の中のこの女性は、絵を見ている人に気づいているわけです。なぜ人間が気づいているのに、犬が気づかないのか。全然番犬としての機能を果たしてないのですね。

では、こういうシチュエーションで、犬が寝ているというのはどういうシチュエーションなのだろうか、というのを考えると、犬が寝ている場合、それは見ている人が、この犬にとって非常に親しい間柄の人だったという仮説が成り立つわけですね。もし犬があまり見たことのない人がここに立ったら、真っ先にこの犬は吠え掛かっているわけです。そうではなくて寝ているということは、この絵を見ている人というのは、この女性が横たわっているこの空間にしょっちゅう遊びに来ている人。ひょっとしたら犬にとっての飼い主なのかも知れない。要するに、絵を見ている人というのは、この女性の恋人なわけです。だから、絵を見ている人と、この絵の中の女性というのは、単なる絵を見る人と、絵の中のモデルという間柄ではなくて、非常に個人的な恋愛感情によって結びついた関係なのだということがわかるのですね。

こういうふうにこの絵の中には、非常に細かい計算がなされているのです。ついでにいいますと、このスクリーンのここの線というのは、だいたいが面の2等分線なのですけれども、ちょうどこの女神の下腹部の辺りにあたっている。こうすることによって、女神の官能性というのは、非常に際立っているわけですね。

こういういろいろな工夫を凝らした現実感覚というのが、この絵の最大の魅力なのではないかなというふうに思っています。

これはティツィアーノがもっと後に描いた絵ですが、ここでは犬がちゃんとわんわん吠え掛かっているのですね。だから、絵を見る人というのは、このヴィーナスがちょっと距離があるのだなというのがわかるわけです。確実にこれは画面のこちら側を向いてわんわん吠えているわけですね。

ついでに、これは私の想像なのですが、先ほどの「ウルビーノのヴィーナス」というのは、どういうふうに展示されていたのかなと思うわけです。普通私たち現代では、絵というのはそのまま壁に展示しているものなのですが、ああいうエロティックな絵をそのまま壁にかけていたものかなと。ひょっとしたら、絵の前にカーテンがかけられていたのではないか。実際、ティツィアーノはこちらの絵では、半分カーテンをわざわざ絵の前に描き加えているわけです。この絵の中で、残念ながらこれ白黒ですが、カーテンというのは、絵の中の存在でもあって、絵の外の存在でもある。いってみれば、騙し絵的に描かれているわけですね。

ものすごく時代は下りますが、ここでフェルメールもドレスデンの絵でちゃんとカーテンを描いているのです。ここでもこのカーテンというのは、騙し絵として描いてあるわけですね。

このカーテンの存在によって、絵の中の空間というのは、現実の世界にぐっと近づくわけです。いってみれば、これがつなぎ役になっているのですね。絵の中の空間と、現実の空間。ここで私たちの視線はふっと絵の中に引きずり込まれる。そして、このカーテンと、絵の中の空間というのは、当然のことながら、同じ空間の中に入ってますから、私たちは絵の中の空間へとずるずると入り込むことができるわけですね。

「ウルビーノのヴィーナス」を見てみると、後ろにカーテンみたいな、スクリーンみたいなものが描いてあるわけです。この絵の前に本物のカーテンがかけられていたと仮定すると、がらがらっとカーテンをあけると、絵の中にもう1つカーテンのようなものが描いてある。そうすると、いっそうこの女性の現実感というのが際立ってくるのではないか、そういうふうに思うのですね。そういうような、いってみれば遊びのような、絵を巡った遊びのようなことがなされていたのではないかなというふうに想像しています。


さて、「ウルビーノのヴィーナス」は、横たわる裸婦像の金字塔のような存在として栄誉を受け続けるわけです。いろいろな要素があるのですが、絵自体が大変すぐれていたというのは当然なのですが、ティツィアーノという画家の存在が非常に大きかったのですね。いろいろな国王に寵愛されて、例えば、ハプスブルグ家の国王の専属の画家になったりとか、画家としては名誉を極めた存在だったわけです。

後世の画家たちというのは、そういう過去の巨匠に挑戦していくわけですね。わざと同じような構図を使って描いて、ティツィアーノに俺は匹敵するだろうとか、それよりすごいだろうとか、そういうふうにして、自分の腕前というのを見せつけようとするわけです。

ベラスケスがこの絵を描いたときに、ティツィアーノの横たわる裸婦の絵、「ウルビーノのヴィーナス」かどうかはわかりませんが、それが念頭にあったことはまず間違いがないというふうに思います。ここでベラスケスが、ティツィアーノのああいう現実感覚、いかに絵の中の存在を現実的に描くのかというのに、一生懸命挑戦するわけですね。彼は1つの小道具を使います。それがこの鏡ですね。この絵を見る人は、男性が想定されているのですが、この辺を見るわけですね。女性の身体をなぞっていく。突然ここで、鏡の中に映った女性の顔と出くわすわけです。当然はっとするわけです。そういう驚きというのをベラスケスはこの絵の中で意図している。そういうふうにして、鏡というものを使うことで、絵の中の女性と、絵を見る人というのをつなげる。そういうふうにして、絵の世界を現実へと近づける。そういうふうな工夫をここでしているわけです。

もう1枚、大変有名な例なのですが、ここでマネの例をお見せします。これが、「ウルビーノのヴィーナス」を元にしているというのは一目瞭然ですよね。女性が横たわっていて、絵の真ん中にスクリーンのようなものがきている。そして、重要なのは、ここに黒猫がいるのですね。おそらく見えないでしょうけど。先ほど、犬がいましたよね。こちらでは、猫がいる。先ほどは、犬が安心しきって寝ているのですが、ここでは猫が毛を逆立ててこちらを見ているのです。こうすることによって、絵を見る人と女性の関係というのが、先ほどの「ウルビーノのヴィーナス」とこの絵では全然違うのだなというのがわかるわけです。

実際、ここではただの、ただのというか、高級娼婦が描かれているわけですね。マネはおそらく「ウルビーノのヴィーナス」を念頭におきながら、それを否定して、新しい表現を模索しようとしていたのだと思います。

「ウルビーノのヴィーナス」の表現というのは、先ほど見たように、遠近法によって後ろのほうは構成されていて、奥行きがあるわけです。奥行きの中に、この手前の女性が位置している。そこが面白いのですが、マネは奥行きに当る部分をすっぱりと黒く塗りつぶしてしまうわけですね。そして、その前にいる侍女も黒人にわざわざして、絵のこの平面性を際立てているわけです。

で、先ほど僕が「ウルビーノのヴィーナス」の絵の中の空間というのは、2つにわけられている。絵の奥の空間と、より現実の世界に近い手前の空間というふうに言いましたけれども、マネはその手前の空間だけを採用して、さらにそれをよりぺっちゃんこにするのですね。この例えば女性の肉体の描き方、さきほどの「ウルビーノのヴィーナス」は、丹念に陰影法を使って、立体感を与えていくわけです。でも、マネはここでそれを一切否定するのですね。

だから、マネはティツィアーノのまず空間の構成、絵の中の空間の構成というのをよく理解していた。それを継承しながら、ティツィアーノの絵をいったん否定して、新しい絵画をここで作ろうとしている。そういうふうに思えるわけです。

さて、会場にはもう1枚「ウルビーノのヴィーナス」と同じ部屋に有名な絵が飾ってあるのですね。こちらなのですが、これは、ミケランジェロが素描を描いて、その素描を元に、ポントルモという画家が描いた絵です。こちらはティツィアーノが描いた絵で、ヴェネツィアの絵ですね。こちらはミケランジェロの素描を元にポントルモが描いたフィレンツェの絵。

ここで、ヴェネツィアのヴィーナス像とフィレンツェのヴィーナス像というのがいかに違うのかというのがよくおわかりになるのではないでしょうか。一言で言ってしまえば、不自然なのですよね。実際当時から言われているのですが、ミケランジェロは男性の肉体に乳房をつけてヴィーナスを作ったとか言われていたわけです。

では、なぜミケランジェロはそういう女性を描いたのか。おそらくもっとヴィーナスの理知的な側面というのでしょうか。象徴的な側面に着目したのではないかと思います。愛の女神ではあるわけですね。そうすると、愛というのは、女性だけにかかわる存在ではない。寓意として見た場合は、愛というのは女性と男性に等しく影響を及ぼす概念なわけですね。

であるならば、ここで、ヴィーナスを女性の身体として描くのはおかしいのではないか。男性でもあり、女性でもあるような肉体として描くのが本筋なのではないか。そういうふうにおそらくミケランジェロは考えたのではないかと思います。

あと、ここにいろいろな象徴、あきらかに象徴だなこれはというようなものが描きこまれているわけですね。実際、これは悪徳とか、こちらは愛の物質的な側面に苦悩する男性像であるとか、いろいろ言われているわけなのですが、そういうふうに、あたかもミケランジェロは愛という概念を図式化するような形で、この絵の中で表現しているわけです。こ ちらにはそういう側面は全く感じられないですよね。こういうところでティツィアーノとミケランジェロ、あるいは、フィレンツェとヴェネツィアの表現が、どれほど異なっているのかということがお分かりいただけるのではないかと思います。

あちらに1つ面白い絵がありまして、遠くの方見えないでしょうけど、ここに布が描いてあるのですね。これ実は修復前の写真でして、今会場に飾ってある絵は、ここが、布がとられています。この布というのは、後世の画家が描き加えたものなのですね。ちょっとエロティックすぎるから、描き加えてしまおうといって、ここに描いたわけなのですが、割合最近の修復で、それが取り払われたというわけです。

で、今見たティツィアーノの作例と、ミケランジェロの作例。これ2つの非常に大きなお手本というのでしょうか。規範というのでしょうか。それとして、大変名声を誇るわけです。こうした作例を元に、いろいろな画家が、いろいろなヴァリエーションを描いていくわけですね。

これはアッローリという画家の作品なのですが、あきらかにミケランジェロの作品を元にして描いていますね。

こちらは、ティツィアーノの作品です。ティツィアーノとミケランジェロというのは、当時から互いに非常にライバル心を燃やしていたのですね。フィレンツェの代表選手と、ヴェネツィアの代表選手というのでしょうか。互いがどういう作品を作ったのか。どういう表現だったのか、というのはすごくチェックしているわけです。

で、ティツィアーノは、先ほど見たミケランジェロの素描に基づくとありましたが、そのミケランジェロの素描そのものを目にする機会があったのですね。そこですぐにミケランジェロがどういうヴィーナス像を作ったのかというのを理解するわけです。それに対抗するために、自分の表現を少し変えて、新しい作品を作っていく。これはその例なのですが、あきらかにこの女性の肉体が変わっていますよね。先ほどはもっとすらりとした女性だったのですが、もっと肉感のある女性になった。これはあきらかに先ほどのミケランジェロの女性像に影響を受けているのですね。影響を受けながらでも、本当のミケランジェロ、ミケランジェロではなくて、ヴェネツィア的というのでしょうか、ティツィアーノ風に描き加えてあります。これはこういうキューピッドとヴィーナスの関係なんかは、やはりミケランジェロを学んだ成果が現れているわけですね。

ついでにいいますと、ここに水差しに入った薔薇がありますが、こういう表現というのは、画家にとって腕の見せ所だったのですね。光がどのようにこの水差しに当って、それが屈折して、どういうふうに光を通すのかとか、そういうところで自分の腕の高さというのを表現しようとしているわけです。


また話が続いたので、実際の、現実の写真にします。

先ほどは展示風景だったので、今度はフィレンツェに出張したときの写真をいくつかお見せして、どういうふうに出張に行って、私たちが仕事をしているのか。全部はお見せできませんが、多少お見せします。

私は去年半年間フィレンツェへ行ったのですね。たまたま在外研修制度というのがあって、それに展覧会が幸か不幸か重なってしまったために、フィレンツェに行ったのですが、展覧会の仕事をずっとしていたわけです。で、その間に、向こうの美術館監督局というところへしょっちゅう行って、いろいろ話を重ねて、展覧会の実現へ向けてきたのですが、1回帰ってきまして、これ12月に出張したときの写真です。これはウフィツィの収蔵庫の中なのですね。皆さん絶対に行くことないと思うのですが、結構大きい収蔵庫がありまして、今カタログ業者の人と、こちらは展示業者なのですが、1つ1つ作品を見て回るわけです。見て回って可能なら、長さを測って、どういう大きさなのかとか、どういうふうに展示するのかとか、いろいろ見ているところですね。

こちらはパラティーナ絵画館、ピッティ宮殿の中にある美術館ですが、今昼間なのですが、中は真っ暗なのですね。これが学芸員ですね。1つ1つ部屋を進むたびに、真っ暗な部屋を電気をつけて進んでいくわけです。そして、お目当ての美術作品のところまで行くのですね。

ここもたぶん観光に行っても絶対に行かないところだと思うのですが、美術学校なのですね、フィレンツェの。ここから今回石膏像を2つ借りているのですが、これ全部実物大の石膏像なのです。芸大にもこの辺はあるのですが、例えば、ここにダヴィデがいますね。これも実物大の石膏で、たぶん直に型を取ったのだと思いますね。こういうところに行って、待っている間この辺ふらふら歩いてみたりしているのですが。

ここはなかなかおもしろいところで、リッカルディアーナ図書館という、フィレンツェでも大変有名な図書館です。ヨーロッパの図書館という感じのところですよね。写本がこの辺にたくさんあったりするのですが。

ここで、この子はここのバイトの女の子で、自費でわざわざやってきたのですが、何か写真撮ってますよね。実はこの天井というのは、非常に有名な天井でして、こういう絵が描いてあるわけです。これは、ルカ・ジョルダーノという画家なのですが、代表作の1つですね。こういう美術史を代表するような作品の下で勉強できるわけですね、向こうの人は。

このおじさんは先ほども出てきましたが、フィレンツェ側の修復の担当者、点検の担当者ですね。この人はフィレンツェにある中央修復研究所という研究所にいまして、たずねていったわけです。当然僕らは仕事で行ったのですけれども、それも事前に言ってあるのですね。まったくわかってなくて、見学しに来たのかとか言って、大変我々は困ったのですが、まったく仕事がはかどってないということがわかりまして、こちらは読売新聞のイタリア人の社員の方なのですが、ちょっと怒ってますね。まあ無理やりというか、その修復の現場に案内されて、いろいろ見て回っているわけです。こちらはフラ・アンジェリコで、こちらはジョットの作品なのですけれども、大変それはそれで面白いのですが、彼もいろいろ言いましたけれども、いい人で、私の友人なのですが。

これは「ウルビーノのヴィーナス」とまったく関係ないですが、向こうの修復のプロセスがわかるので、お見せします。

この辺が今洗浄が終わったところですね。この真っ黒いところが洗浄が終わってない部分です。特にこの指のところとか見ると、いかに修復で絵を洗うと見違えるようになるのかというのがおわかりになると思います。

これだけですね。もう1回展覧会の会場に戻ります。今までで私たちは古代からルネサンス、そして、「ウルビーノのヴィーナス」の部屋まで行ったわけです。残るいくつか部屋はあるのですが、ここでは、ヴィーナスとアドニス、あと、パリスの審判というヴィーナスを巡る2つの非常に有名な主題をフューチャーして、いろいろ作品を集めました。

まず1つ、ヴィーナスとアドニスという部屋なのですが、こちらが今回来ている絵です。ティツィアーノの作品なのですが、元々はこの作品を描いたのですね。ティツィアーノは自分のところに大きい工房を持っていて、更にものすごく需要の大きい画家だったので、バンバン大きい絵を描かせるわけです。その1枚がこれなので、大してレベルは高くないのですけども、この人がヴィーナスで、この人がアドニスですね。ご存知の方も多いかも知れないのですが、アドニスにヴィーナスは恋をしてしまうわけです。アドニスは狩りが大好きだったのですね。狩りに向かうのですが、ヴィーナスはその危険を察知して、行かないでくれと懇願しているのです。でも、結局アドニスは狩りに出かけていって、猪に突かれて死んでしまうと、そういうお話ですね。

ちなみに、ティツィアーノは、このアドニスの作品を最初にハプスブルク家のスペイン国王のために描くのですね。そのときに添えた手紙というのが面白いものがありまして、その前にティツィアーノはこちらの絵を送っているのですが、この間私は女性を前から描いた絵をあなたに送りましたので、今度は背中から描いた絵を送りますと。そういうふうにして、いろいろ工夫を凝らして、女性をいかに魅力的に、エロティックに描くかというのを、いろいろ考えていたわけですね。

一方、こういう絵を描いたというのは、彫刻に対する対抗心というのも透けて見えるわけです。彫刻というのは、360度いろいろなところから見えますよね。絵というのは1つの方向からしか見ることができない。で、ティツィアーノはこういうふうに女性像をいろいろな視点から描くことによって、絵だっていろいろな角度から描けるのだ。だから、彫刻より絵のほうが優れているのだというふうなところをアピールしているわけです。それもまた彫刻を主な仕事としたミケランジェロに対する対抗心の表れという側面もあるわけですね。

こちらはパリスの審判。先ほどもありましたが、この3人が自分の美しさを比べるわけです。黄金の林檎というのをパリスに渡して、誰が1番美しいか選んで頂戴というわけですね。選ばれたのがヴィーナスという人です。こういうものは、出産盆とか日本語で訳しますが、だいたいは結婚のときのお祝いで贈ったものなのですね。結婚と、ではこのパリスの審判の図像がどういうふうに絡み合うのかというと、まず1番美しい女性をパリスが選んだ。美しい女性を花婿が選んだ。そういう関係があるわけですね。もう1つは、ここでパリスがヴィーナスを選んだことで、後々トロイア戦争というのを引き起こすわけです。だから、うかつな決定をしてしまうと、後で大変なことが起こってしまうよと、そういう教訓的な意味合いもあった。そういう2つの意味合いがこめられて、こういう作品は、結婚のときのお祝いとして選ばれたわけです。

これは先ほど出てきましたね。これもこの辺にパリスの審判という図像が描いてあるわけです。

ここからは、16世紀の半ばから後半にかけてのいろいろなヴィーナス像というのが展示されているのですが、これはジャンボローニャの彫刻でして、昔は庭園の噴水として使われてきたのですね。管がビューとあって、この辺からたぶん水がジョボジョボ出てきたわけです。あたかもここでヴィーナスが水を絞って、その絞った水がここからぽたぽたたれている、そういう仕組みになっていたわけですね。

ヴィーナス像というのはこういうふうに、宮廷とか、そういう中でいろいろな機能を果たしていったわけです。これは宮廷にかかっていたタペストリーですね。ここでも牛とか羊とか描いてありますが、これは星座ですね。その星座と、金星としてのヴィーナスというのがここで表されているわけです。

これは素描なのですが、フィレンツェの町中で行われたパレードですね。そういうのの山車とか、あるいはこちらは劇の衣装ですけども、そういうのの下絵も展示してあります。

あとこちらは、フェラーラの宮廷の天井画として描かれたものです。よく見ると、鳩が、しかも覗き込むように描かれていたりとか、こういうふうに宮廷とかの中で、ヴィーナスの図像というのはいろいろなふうに表現されていったわけです。

あと、同時に展示されているのは、こちら古代彫刻なのですが、それを使って、どのようにルネサンスの画家たち、芸術家たちが、自らの表現を作り上げたのかという例も展示してあります。もうそのままですよね。こういうふうにして、古代の人間というのは勉強していたわけです。

これもそうですね。

あと、これも大変ウフィツィ美術館の中で重要な作品でして、アンニバレ・カラッチという人のヴィーナスの絵なのですが、こういう絵を見ると、ティツィアーノの作例、表現というのが、いかに後の画家たちに影響を与えたのかというのがおわかりになるのではないかと思います。

あと1つ面白いのは、ここに子供が舌を出しているわけですね。舌を出すジェスチャーというのは現在にも残っていますが、もとをただすと、非常に猥雑なジェスチャーだったのです。それがここに描いてあるということで、この絵全体のそういうセクシャルな雰囲気というのを高めているわけですね。

これが最後のスライドです。これは、会場の中の一番最後に飾られている作品なのですが、面白いことに、絹の布に描かれているのですね。当時、絹の布に油絵が描かれるということは非常に珍しかったのです。ではなぜ絹の布なのかというと、絹の布というのは非常に軽いわけですね。ではここで、軽い布というのがなぜ必要だったのかというと、この絵は実はもう1枚違う絵のカバーとして作られたものなのです。たぶんこの辺にちょうつがいか何かがついていて、ぱかっとこの絵を開けると、この下にもう1枚別の絵があったのですね。おそらくその絵というのは、この絵の持ち主の愛人の肖像画とか、そういうものだったのではないかと思われます。

面白いのは、この絵の中にも1枚絵が描かれているのですね。キューピッドがその絵を見たがって、カーテンを開けようとして、ここでもカーテンが描かれてますね。カーテンを開けようとしているのだけども、この女性、これは賢明の寓意なのですが、それがやめなさいといって、もう1度カーテンを閉めようとしている。だから、この絵の下にある本物の絵というのでしょうか。エロティックなのかもしれないし、ともかく秘密がある絵というのを見たい。でもそれは、見てはいけませんよ、見ないのが賢明ということですよということを表した絵なのですね。

ここで展覧会の作品は終わります。今スライドで見た作品というのは、展覧会の作品の本当にごく一部なのですね。皆さん実際に会場に行かれて、もっといろいろなヴィーナスの姿というのを楽しんでいただきたい。それで、ヴィーナスを通して、いかに西洋の人たちが愛という概念を表して、そして、女性の美しさというのをいかにヴァラエティに富んで描いたのかということを、感じ取っていただければと思います。

以上で講演を終わります。



司会  渡邉先生、どうもありがとうございました。古代からのヴィーナスの伝統、それをルネサンスの画家たちがどのように工夫して取り入れたか。そしてまた、「ウルビーノのヴィーナス」の空間構造と言えばよいのでしょうか,そういうことについてお話いただきまして、大変面白く聞かせていただきました。どなたかご質問ございましたら受けたいと思います。


質問  「ウルビーノのヴィーナス」で、後ろの部屋に女中さんみたいな人が2人いますよね。これは他の寓意的なものに比べて、非常に現実的というか、具体的であって,なぜああいうものを描いたのかがどうしてもよくわからない。他の絵には決して見られないのではないかと思うのですが、その辺について教えていただけますか。


渡邉  実際ご指摘のとおりです。確かにそうなのですね。おそらく1つには、ああいう人がいることによって、現実的な感じというのが増すのではないかと思います。実際に貴族の館で1人の女性が裸になって、侍女たちがその女性に傅いている。そういった美女を巡る日常の1こまのような感じというのが描かれているのではないかと思います。あとは、面白いことを言っている学者がいまして、2人の侍女のうちの1人が、カッソーネ、長持のふたをこういうふうに開けて、中を覗き込んでいるわけですね。カッソーネの中には、先ほど言ったように、非常にしばしば横たわる裸体のヴィーナスというのが描かれていたわけです。そうすると、カッソーネの中を覗き込む女の子というのと、横たわるヴィーナスの絵を見ている絵の前に立っている私たちというのが、同じ行為をしているわけですね。そういうところで、何か画家の意図みたいなことがあったのではないか。そういうことを言っている人もいます。絵の中の侍女というのは、確かに非常に興味深いモチーフで、なんらかのティツィアーノの意図が働いたのではないかなとわたしも思っています。


司会  僕から1つ質問なのですが、ティツィアーノとミケランジェロの関係というのは非常に面白いですけど、ヴァザーリを読むと、ティツィアーノはもっとデッサンをやればよかったのだと、何かちょっとけちをつけるようなことを言っていますね。そしてミケランジェロも同じことを言っているとヴァザーリは言っているのですが、これは妥当性がある程度あるのでしょうか。そう考えると、ティツィアーノのデッサンはあまり見たことがないような気もするのですが、その点どうなのでしょうか。


渡邉  実際のティツィアーノのデッサンというのは、もちろんミケランジェロとか、ラファエロに比べて、非常に少ない。ただやはり残っているのですね。それを見るととても上手なのですね。上手だというのは間違いない。ただフィレンツェ的美術の考え方とは、やはりかなり遠いところにいた人で、1つ面白い点は、ヴァザーリがあの記述を書いたとき、つまり、ミケランジェロがティツィアーノの才能をほめながらも、でもあいつは素描のセンスがないなと言った、そういう記述を描いたときは、ヴァザーリがミケランジェロ的なヴィーナス像というのをたくさん描いて、それをヴェネツィアのマーケットで売り込もうとしていたときだったのですね。だから、ヴァザーリがミケランジェロに言葉を借りながらティツィアーノをけなして、フィレンツェを持ち上げているというのは、実は自分の販売戦略に非常にかなっている。これは結構本気で言われていることでして、たぶんそういう意図もあったのではないかなと。もちろん自分がフィレンツェの人間ですから、しかも、ミケランジェロの直系の弟子だったわけですね。だから、自分の名声を上げる手段として、ティツィアーノをけなしたという側面もあると思います。


質問  こういう絵を描くことに対して教会は攻撃しなかったのでしょうか。


渡邉  そういう絵は、少なくとも16世紀について言えば、かなり奥まった場所にあったわけですね。一般の人の目に触れるようなところではなくて、貴族の屋敷の、しかも相当奥まった寝室、もしくは寝室に通じる小さな小部屋にかけられてあったものなので、そこまではおそらく教会は踏み込んでこなかったのではないかと思います。ただ、同じようなものを版画として描いてしまった人もいるのですね。ジュリオ・ロマーノの原画を元にして、マルカントニオ・ライモンディが版画にして、しかもそれを、まさにセックスをしている体位そのものを描いてしまったのですが、その場合は、マルカントニオ・ライモンディは捕まえられて、牢屋に入れられたりとかしました。もう少し時代が下ると、17世紀に入ると、もっと教会からの締め付けというのが強くなります。そうすると、興味深い記述というのが残っておりまして、「ウルビーノのヴィーナス」の重要な前提なのですが、なぜ「ウルビーノのヴィーナス」というかというと、最初ウルビーノという町にあったからなのですね。17世紀にウルビーノからこの「ウルビーノのヴィーナス」はフィレンツェにやってくるわけです。さて17世紀にはどういうふうに展示されていたのかというと、ちょうど胸と股間が見えないように、絵のまん前にもう1枚絵が置かれて、重要なところが見えないようになっていたのですね。それは当然教会の側からの圧力があったものと思われます。あと、先ほどお見せしましたけれども、ミケランジェロがそれを描いて、ポントルモが油絵にした作品、それにも布が描き加えてあると申しましたが、やはりそういうのも、おそらくは教会の側からの圧力というのがあったのではないかというふうに思われます。


質問  妙な質問かもしれないのですが、この絵がなぜウルビーノの娼婦ではなく、ウルビーノのヴィーナスと言われるのかというのは、これはただ単に美しいからということでしょうか。


渡邉  1番重要だったのは、ヴァザーリがまずこの女性はヴィーナスだと書いたというのが重要だと思うのですね。あと、娼婦そのものを描いた絵というのは、やはりそれほどないわけです。あと実際のところ、絵の中に薔薇が描いてあるということで、ヴィーナスというのが妥当なのではないかなと。ヴァザーリ以降の人たちは思ったのではないかと思います。


質問  よくこの大作が日本に来たなと思いまして、それには大変なご苦労があったことと思います。それで、こういう大作がその国からよその国に出るときには、見返り条件に、相手国の大作を出すことが往々にしてあるのですが、今回のこの絵の場合、見返りに日本から何か出すという条件はついているのでしょうか。


渡邉  それはございません。どこまで言っていいかわからないですが、もちろん見返りみたいなのはあるのですが、文化交流というのが目的になっていまして、文化交流にもいろいろなやり方があると思うのですね。1番簡単なのは、今おっしゃったように、イタリアから重要なものが来たら、日本からも何か重要なものを出すというのが、おそらくまっとうなやり方だと思うのですけども、今回はそうではなくて、まず日本側がいくつかの重要なフィレンツェの作品について修復費を出す、これが1つです。あとは、シンポジウムを開催する、これが2つ目。これは一昨日行われました。これは日本側の研究者と、イタリア側の研究者というのを東京に集めて、それでシンポジウムを開催して、その報告書まで日本側の経費、具体的には読売新聞の経費なのですが、出す。これが2つ目。3つ目は、それに関連していますが、何人かのイタリアの学者を日本に呼んで、日本の大学等で講演をさせると。その経費を出す。そういうような契約になっています。ただ、例えばルーブルとか、具体名を言うとなんなのですが、大変重要なというか、有名な美術館の作品の展覧会をすると、ものすごいお金を要求されたりするわけなのですが、今回は大変良心的というか、イタリア側がかわいいというか、お金はそんなに向こうも気にしてない。かなり無垢な感じの企画になっています。


質問  こういう美術品を輸送するとき、運送保険はかけるのですか。


渡邉  保険は大変重要な問題でして、もちろんかけます。もちろんその負担は借りる側の負担になるわけですね。で、基本は、絵でいいますと、壁から絵をはずした瞬間から、会場に行って、戻ってきて、ふたたび壁につけるまで。完全な保険をかけることになっています。美術品の保険というのは、当然その他の保険に比べれば、掛け率というのは安いのです。何%か忘れてしまいましたが、たぶん0.1%とかそのくらいだったような気がします。ただその0.1%の基準となる保険評価額というのが、とんでもなく高いわけです。例えば、こういう重要な作品「ウルビーノのヴィーナス」の保険評価額はもちろん言えないのですが、100億円とかということはあるわけです。普通にはないですが、非常に重要な作品だったら、あってしまうわけですね。100億円の0.1%がいくらになるのかというと、1000万円なのですね。だから、1点の絵の保険金を払うだけで、1000万円かかってしまう。展覧会というのは、1点だけですむということは普通はないので、もっとたくさん借りますよね。そうすると、300億円分の保険評価額になってしまった場合、たぶん3000万ではすまないですね。0.1%ということはないと思うので、5000万とか、莫大な金額になってしまうわけですね。少し質問から脱線してしまうのですが、それを現在なんとかできないかと考えるわけです。主要な欧米の国は、それを国家が補償するという制度があるのですね。国家補償制度というのですが、日本はそれがないのです。めったに美術展で事故が起こるとか、盗まれるということはないわけです。たぶん絶対にないと言っていいくらいないのですが、だから、国家が補償してまったくおかしくないと普通は思うのですが、何かいろいろ問題があって、日本ではそれが実現できていない。だから、そういう保険の掛け金を払うために、入場料を多少は上げなければいけないという側面もあるわけです。


司会  なるほどという感じの説明ですね。他にご質問はございますでしょうか。


質問  ヴァザーリの名前が出ましたけれども、今のようなメディアとか渡邉先生のような評論家がそうたくさんいない時代に、絵の評価とか、噂とか、当時はどういうようにして決まったり、定着していったのですか。


渡邉  やはり具体的な批評家というのはいなかったかもしれませんが、まず当時の絵というのは貴族のためのものです。貴族あるいはかなり階級が上の聖職者だと思うのですが、そういう人たちというのは、生まれからしてそういう美術品があふれた環境にあって、日常から、いろいろ哲学的、文学的、あるいは芸術的な議論というのを交わしていたわけですから、そうしたサークルの中で、自然とその画家の評価というのは決まってきたのではないかと思います。あと、もう少し時代が、もう少しというか、ほんのちょっとですが、下りますと、例えば、フィレンツェは、非常に目の肥えた、しかも辛らつな批評をする市民が多い町というふうに当時から言われていたのです。例えば、1つ町中に彫刻が作られますよね。設置される。そうすると、すぐにその彫刻をほめたり、けなしたりという詩が書かれて、それがその彫刻にばしばし張られるのですね。そういうところで自然と、この場合は彫刻家ですが、彫刻家の評価というのは定まってきた。1番有名な例は、フィレンツェのヴェッキオ宮殿の前に、「ヘラクレスとカクス」という作品があるのですね。それはバンディネッリという人が作ったのですけども、それが作られて公開されたときは、轟々たる非難の嵐で、後々まで語り草になったくらいすごい批評をされたそうです。あと、画家、もしくは彫刻家、つまり芸術家の側も、そういう一般の風評、批評というのを、利用する側面があるのです。わざと近くに置かれている彫刻と似たような題材をとったりとか、似たようなポーズにしたりとか、そういうことをするのですね。そうすることによって、それを見た人の批評というのを導き出して、その中で自分がこっちより優れている、自分の作品のほうがすごいだろうというのを見せようとする。そうすることによって、自分の名声を高めようとするような、そういった面もあったようです。


質問  大変面白話をありがとうございました。この絵が最初、ウルビーノの貴族が注文したと。それで、できあがって、その貴族の所有だったわけですよね。今日、ウフィツィ美術館にある。その間、誰から、いつ、どういう経路をたどって今日に至ったかというのはわかっているのですか。


渡邉  それはわかっています。私は詳しく調べてないのですが、ウルビーノのデッラ・ローヴェレ家というのがまず注文するわけですね。この家はウルビーノにあったのですが、そこにはその他いろいろな有名な美術品があったのです。ただ、あるときに、17世紀だったと思うのですが、デッラ・ローヴェレ家が途絶えてしまうのですね。つまり、男の世継ぎがいなかった。そこで、最後の生き残り、ヴィットーリアという女性がいたのですが、その人がメディチ家に嫁いでいくのですね。だから、そのときに花嫁が持っていく持参として、主要な作品は全部フィレンツェに来てしまったわけです。そのときに、ウルビーノから来た作品の中に、ラファエロとか、ものすごくたくさんあったのですね。それがなかったら、ウフィツィ美術館は、もしくはピッティ美術館は、今ほど世界で主要な美術館にはなっていなかったと言われています。「ウルビーノのヴィーナス」は、その代表的な作品の1枚なのですね。


司会  それでは、もう1度拍手をお願いします。どうもありがとうございました。