第336回 イタリア研究会 2008-04-24
地域づくりの新潮流~スローシティー・アグリトゥーリズモ・ネットワーク
報告者:建築家 松永 安光
第336回イタリア研究会(2008年4月24日)
演題:地域づくりの新潮流~スローシティー・アグリトゥーリズモ・ネットワーク
講師:松永安光(建築家、近代建築研究所所長、東京藝術大学大学院非常勤講師、前鹿児島大学教授)
司会 今日はイタリア研究会第336回の例会、本年度はじめての例会ですけども、ようこそおいでくださいました。
今日は松永安光先生に、地域づくりの新潮流~スローシティー・アグリトゥーリズモ・ネットワークということでお話をお願いしてあります。
それでは、まず簡単に講師の松永先生のご略歴をご紹介申しあげたいと思います。松永先生は建築家で、鹿児島大学の前教授、現在は東京藝術大学大学院非常勤講師で、近代建築研究所というところの所長でいらっしゃいます。先生は1941年、東京のお生まれで、1965年に東京大学工学部建築学科をご卒業になりまして、72年にはハーバード大学のデザイン学部の大学院を修了されております。芦原義信建築設計研究所、SKM設計計画事務所などを経まして、鹿児島大学教授に就任。現在、東京藝術大学大学院の非常勤講師をしておられます。著作には、後ろで今日販売しておりますけども、「地域づくりの新潮流」という本をお書きになっておられます。そのほかに、「建築入門 世界名作の旅100」。これは建築の彰国社から出ていますけども、そのほか多数の著作があります。
我々に、スローフードという言葉はずいぶんなじみがでてきたと思いますけども、スローシティという言葉を聞くのはおそらく初めての方がかなり多いのではないかと思います。どういうものなのか、非常に興味がありますけれども、この新しい潮流について松永先生にお話を頂戴することにしたいと思います。それでは、松永先生、よろしくお願いします。
松永 ただいまご紹介にあずかりました松永でございます。私はイタリアのことはまったくよく知らない人間でありまして、このような皆さんの前でお話をするというのは、本当に神をも恐れぬ暴挙というか、そういうことでありまして、平にご容赦願いたいと思います。いろいろ間違ったことも申しあげるかもしれません。
ただ私、建築家でありますけども、大学に教職を得ましてから、大学の先生というのは教育だけではなくて研究もしなければいけないということを知りました。元々は設計の教育だけやればいいかなと思って行ったのですが、研究もやらなければいけないということなので、何をテーマにしようかなと思ったのですが、やはり、まちづくりというか、そういうようなことをやりたいと思いまして、その研究を続けてまいりました。その一環として、その先ですね。もう少し、まちはまちなのですが、その外側のところをどうにかしなければいけないと思うようになりました。
特に私は東京に事務所がありますものですから、鹿児島に毎週飛行機で通って教えていたのですが、両方の都市を見ますと、非常に格差が開いています。皆さんご存知の通り、地方格差というのがございまして、地方をなんとかしなければいかんといろいろ考えていたら、ちょうど今日みえています陣内先生のお書きになった「小さなまちの底力」という本がありまして、イタリアへ行くと、2000人くらいの人口の小さな町でも非常に元気にやっているというのを読みまして、これはやはり見に行かなくてはいかんと考えるに至りました。
鹿児島あたりだと、人口10万くらいの都市もあるのですが、4~5万とか、その辺がみんな元気がないのですね。もうおれは駄目だとみんな考えている。もう東京に全部やられちゃったというようなことをみんな言っているのですよ。僕は、それはおかしいと思っていました。イタリアでは人口2000、3000のまちがでみんながんばってやっているのに、おかしいじゃないかなと思いまして、たまたま鹿児島のある篤志家がやっている財団から研究費をもらって、そういうまちに行ってみようということになったわけですね。
そのときに参考にさせていただいたのが、今日やはりおみえになっている石田雅芳さんのお書きになられたスローフードの本でした。その中のちょっとした部分にスローシティという話が出ていて、スローシティってなかなかいいネーミングだなと感じました。イタリア人はネーミングがうまいのですかね。citta slowというのですね、イタリア語では。それで、その実態を見てこようということで、その研究費を使って見てきた成果がありましたものですから、その一端をちょっと今日お話申しあげる。これは本当に釈迦に説法でみっともない話なのですが、ご存じない方もおられるかもしれませんので、お耳汚しになるかもしれませんけれども、よろしくお願いしたいと思います。
簡単にいいますと、このスローシティ、あるいはcitta slowは、皆さんたぶんご存知のスローフード運動から派生したもので、90年代の終わりごろにこういうコンセプトが生まれたのですね。基本的にはここにいくつか列挙したように、プレジディオといわれるいわゆる特色あるスローフードを供する場所ということです。
だけども、人口5万人以下ということに限りまして、小さい都市でないといけないということをいったわけですね。そこに私は実は興味をひかれたのですが、人口が大きくては駄目、小さくていいということが非常にいいなと思ったのです。
しかし、すごい田舎町で留まっていたのでは駄目だと先進的な環境政策を取り入れている。ISOとか、あるいはアジェンダ21とか、こういうようないわゆる環境的な基準を取り入れていくことを目指しています。
それから、車を排除しているのは当然ですが、ITの積極的導入がなされていて、どこの町に行っても、例えば、Wi-Fiというワイヤレスでコンピュータをつなげるシステムがあったり、あるいは、各行政がホームページをちゃんと完備して、世界に発信しているというようなこととかがあるのですね。
で、もう1つイタリア人がなかなか鋭いと思ったのは、このスローシティ憲章というのを作りまして、それで、認証評価をするというシステムを作ったところですね。要するに、認証料を財源として、こういう運動を継続することができるというシステムを作った。なかなか賢い家元制度と思うのですが、スローフードもそうですね。お墨付きを与えて、それを認証してやる。認証して評価を与えるというそれを、日本だとJISとかJASとかいろいろありますけども、民間のそういうNPO団体がこういうことをして、認証する。それによって、評価を高めるということもありますが、ある種のシステムを動かして、組織的に継続して、運動を続けることができるというようなことで、認証評価システムを作った。
スローシティはドイツにもありますし、イギリスにもありますし、あるいは、南米のほうにもあるしという格好で、全世界にこのコンセプトは広がり、認証してくださいというところがたくさん押しかけてきているのですね。
この認証をするのには審査しなければいけないのですが、人間が限られているので、その辺の事情はたぶん石田さんが非常に詳しいのだろうと思うのですが、認証するということはとても大変だと思うのですね。。で、私が行ったときには、今スローシティは50以上あるのですが、ちょっと足踏みしていると言っていました。ロシアやベトナムでもスローシティと言わせてくれというようなことをいっているのだけど、なかなかそこまで出かけていって、それを検証するというマンパワーが確保できないというようなことは言っておりました。おいおいその話をします。
スローシティの哲学というのは、もちろんこれはスローフードと共通するものがあるのですが、効率優先とか、速度偏重のライフスタイルというものを否定するというところがまず根幹にありますね。
アメリカ生まれの商業主義的なロハスという運動もそういうことを言っているわけですが、やはりイタリアのほうがもう少し哲学的なバックがあるような気が私はします。
それから、世界標準化への抵抗ですね。標準化に抵抗しているのだけど、今言ったような認証評価するということによって、ある種標準化されてしまうというようなところはなくはないわけですが、それに対してグローバリゼーションに対する抵抗をすると主張しています。
それから、生活の質ですね。質の尊重。いい生活とはどういうものかということを根本から考えて、そういう質を高めるということを重んじたいということを言っています。
で、地域特有の文化の発見。そして、そうでありながら、世界の最新情報へのアクセス可能性を確保するというなど、そういう先見性を持っている。それから、世界への直接の情報発信をすることも目指しています。
今のこのネット社会では、どんな僻地であっても、一挙にインターネットで発信することができますので、例えば、日本の、特に地方都市などでは、うちは田舎じゃけんとか、そういう言い方をするのだけど、それは逃げ込んでいるだけで、そこからネット発信すれば、田舎も東京もへったくれもないわけなので、全部等価なのです。イタリアでも、すごい僻地のところから直接発信できますから、ここのところを重視しているのはなかなかいいと思います。
それから、教育機能の重視ですね。これはスローフードでも言われています。要するに、黙っていれば子供とか若い人たちは、楽したいですから、かまないですむようなやわらかい食べ物とか、あるいは、脂っこいものが好きです。揚げた物とか、フライドチキンとか、世界各地みんなそういうものを好むわけです。イギリスの給食なんかもみんなファーストフード化しているとかいろいろ言われていますが、そういう中で、どちらかというと、スローフードというのは、申し訳ないけどあまりおいしくないのですよね。正直言って。おいしいものもあります、もちろん。だけど、だんだん人の嗜好に合わなくなって、そして、絶滅危惧種みたいになっているような食品が、スローフードと言われているようなところがありますので、そういうようなものの、味わい深さとか、そういうことを学ばせるには、子どものときから食育をして、舌を慣らさせるとか、例えば、魚だったら骨をとるのは面倒くさいというのだけど、やはり骨の周りの肉のほうがおいしいよというようなことを感じさせないといけないので、そういう教育を非常に重視するという、その点が結構おもしろい。
それだけではなくて、後で話しますけど、教育という機能というのは、田舎町で教育施設を設けますと、学生が来たりして、にわかに若い人の人口が増えるとか、特色ある教育をすることによって、そこが何かのメッカになるとか、そういうようなことはありますのでとても面白い。これからの町づくりとか、地域おこしのためには教育というものが一つの機能を持つのではないかということを、私はつくづく実感しました。
citta slow、あるいはスローシティに認証されますと、こういうロゴマークを使っているのですね。スローフードのロゴマークは皆さんご存知の通り、カタツムリが右を向いているのですが、それに対して、citta slowのほうは左向きに向いていて、からの上に町が乗っかっているのですね。これがcitta slowのロゴマークです。
実はそのcitta slowに認証されるためには、今日はあまり時間がないから全部言いませんけど、クライテリアがありまして、それによって評価するわけですね。これをみたしているということで、何点以上取れればそれを認証しようと、こういう話になっております。結構おもしろいことがいろいろありますね。でもわりあい普通かなというところもあります。けれども、これを全部満たすというのは結構大変だろうと思います。こういうものが定められているというわけですね。
スローシティというのは、元々スローフードの世界大会というか、そういうものが何年かに1度、隔年だったかな、ありました。ある年、それぞれ州が違いますけれどもブラ、グレーヴェ・イン・キアンティ、、オルヴィエート、ポジターノの市長さんたちが意気投合しまして、こういう食べ物の話だけではなくて、我々の町の町づくりにこのスローフードの哲学を応用できないだろうかというようなことを、90年代の終わりですが、話し合いました。まずとりあえず我々としてスローシティという運動を立ち上げようではないかということで、この4つの都市が発起人となってはじまったのです。その中でとりあえずやってみようということで、1番最初にやったのは、このグレーヴェ・インキアンティなのですが、これはフィレンツェからキアンティ街道をずっと南のほうへ下がっていったところにありまして、キャンティクラシコを作っているような小さな町の中の1つなのですが、そこをとりあえず最初にやってみて、それから少しずつ増えてきていったわけです。その知恵袋というのが、このオルヴィエートのチミッキさんという市長だった。もう今は市長を辞めていますが、この人が非常にまとめることがうまい方で、チミッキさんがいろいろなものを系統立てて整備して、その後進んでいったということになります。
その中でブラ、これはスローフードが始まった町です。ピエモンテ州のトリノの少し南にいったところですかね。アルバの近くです。皆さんたぶんご存知だと思うのですが、たいした都市ではありません。人口2万8000人くらいの。どちらかといえば、トリノのベッドタウンというようなまちです。かといって、やはり歴史もありまして、これからお見せしますけども、結構古い歴史的な建物もございます。カルロ・ペトリーニがこの町のジャーナリストだったと思います。ここで、例えば、石田さんの本に書いてありましたが、ゲリラ的に放送局を開いてしまうというようなことをやったのがブラですね。
そこをとにかく発祥の地だから行ってみようということで、出かけていきました。これがベルナルド・ヴィットーネという建築家が作った市役所です。19世紀にできたものだったと思います。イタリアの町ではだいたい市役所というのは歴史的な建物が多いですが、そういう立派なものです。ベッドタウンといいながらも、やはりこういう歴史のある建物がありまして、これは典型的な町並みですけども、だいたい中庭型になっていて、街路に面して建物が並んでいて、このトンネルをくぐっていくと、中が中庭になっているという形式ですね。そういう町づくりはイタリアに限らず、ヨーロッパでは多いわけですが、そういう町ですね。
その中にスローフード協会の本部がありまして、これは道に面したところ。これは売店になっています。いろいろパブリケーションがありまして、デザインが非常にいいのですね。さすがイタリアで、スローフード運動というのはロゴマークも格好いいし、字もいいし、非常にデザイン的に優れたクオリティのある、本なんかも本当にきれいで、スマートな運動。日本で市民運動というと、こういうものが非常にダサいですね。それが私は非常に情けない。もう少しデザインにお金をかけてもらいたいと思いますけれども。
この中庭のところに本部がありまして、三階建ての建物なのですが、その中にレストランがあります。それが非常においしい。ボッコンディヴィーノというレストランなのですが、メニューを開きますと、そこにカタツムリマークがあって、それがスローフード認定品なのです。全部イタリア語なので、何がどれなのかよくわからないのですが、とにかくそのカタツムリマークのやつをできるだけたくさん頼もうといって、我々が4人のグループで行ったものですから、いろいろなお皿を頼みました。、
これは有名なこの地方のスローフードでサルチッチャ、サルチッチャというのはソーセージのことですかね。生ソーセージですね。これは生肉なのですね。生肉のソーセージと、これが白いもので、これはラードですね。ラードをいったん溶かしてからハーブを入れてもういちど固めたものだと思うのですよ。。そして、それを生ハムのように薄くスライスしたものですね。これ最初食べたときになんだかわからなくて、ものすごくおいしいのですね。とろけるように。ものすごくおいしいので、いろいろ聞いたら、ラルドと言うのですよ。ラルド、そうか、ラードのことかと。ラードをこんなにひとかたまり食べたら、メタボのかたまりみたいなものだと思ったのですが、聞くところによると、脂身というのは、ゼラチンでできているそうで、コラーゲンが多いそうなので、メタボもあるけど、コラーゲンもとれるし、でも本当おいしいですね。皆さん、食べた方もいらっしゃると思いますが、日本のイタリアンレストランでは食べられないのではないかなと思いました。
これはたぶんイノシシ肉の煮込みだと思います。それから、これはちょっとタタキみたいになった子牛の肉ですね。たぶん皆さんのほうがご存知だと思います。これはジビエですね。なんか卵のこういう、卵焼きみたいなものが必ずついてくるのですね。脇にそういうものが添えられているというのも、どうもこの辺のスローフードらしいです。
実は石田さんを通じてインタビューを申し込んでいたのですが、本部へ行っても誰もいないよと言われました、。そこでブラのちょっとはずれのところに、ポレンゾという小さな村がありまして、そこへ行きました。そこにこの大きい建物がありました。これはもともとこの地方が独立国であった当時サボイヤ王家のワイナリーだったのですが、廃墟になっていたのを、スローフードの人たちが手を入れまして、これを食科学大学、要するに食の科学の大学にしたわけです。これは大学院とカレッジの両方で、学部が3年、大学院が2年なのだそうです。大学院のほうはパルマのほうにあるそうです。ここにあるのはいわゆる大学に当る部分ですね。世界中から学生を集めて、そして、ここで食に関するあらゆることを学ばせるということで、料理学校ではないのですね。食に関する科学をやるということで、非常に面白いカリキュラムができていまして、特色としては、世界の食の現場に、修学旅行ではないですが、行くというのを義務付けています。例えば、日本の築地に来るとか、そういうようなこともやっているという話を聞きました。私たちが行ったのは2年前ですが、そのときはまだ学年進行で、卒業生は出てないと言っていましたけれども。
ここには実は4つの機能がありまして、今言った学校と、それから、ワインバンクというのがあって、ほかにホテル、そして、レストランがこの辺にあるのですが、この地下がセラーになっていまして、そこがワインバンクといわれるものになっています。
ワインバンクというのはどういうことをやっているかというと、普通、銀行というのは預けると利息が来るのですが、逆で、預かり賃を払って、ワインをここで熟成してもらうのです。つまり、あなたのところのワインをうちに預けませんかという招待状みたいなものをここが発行します。ここで熟成し、10年とか15年預けると、かなりプレミアムがついて、非常に高くなるというわけです。預かり賃はだいたい16%、つまり100本預かると16本はうちのほうでいただきますよというわけです。でこれを保管料とするというようなことをビジネスとしてやっている。
聞くところによると、日本でも日本酒でやっているところもあるということです。。あるいは、焼酎でも、そういうこともあるそうですが、私はこの話を聞いたとき、非常にイタリア人は商売うまいなと思って感心しました。
こちらの奥のほうがレストランですね。ここがメインの入口になっていて、ここにいるのがジャコモ・モヨーリさんという方で、非常に知的な方です。全日空の機内誌に連載されていて、イタリアの未完成のワインというのを書いていますけれども、ヴィーニディタリアというイタリアのワインの格付けの本が毎年出ているそうですが、それの編集員の1人でもあるし、スローフード協会の国際理事ということで、日本スローフード協会の名誉会長とか、なにかそんなことをやっていると思いますが、非常にすばらしい方で、日本茶が大好きで、急須を集めておられるそうです。この人はイタリア語しかしゃべれないので、英語の通訳の方を通していろいろお話を伺うことができました。非常にすばらしい方です。
で、先ほどのワインバンクがこれですね。イタリア各地から無名のワインが集められています。モヨーリさんが言うには、もう完成してしまったものはあまり興味がない。ちょっと何か欠けているけれど、でも特色のあるものに僕らはかけたいというのです。おそらくここに預かって、1つのステイタスができれば、それからたぶんブレイクして、メジャーのものになるということを期待しているのだろうと思います。
大学の部分は、もう非常に古い歴史的な建物なのですが、中はモダンなデザインですね。イタリア人得意のデザインで、すばらしい。これは図書室ですが、すばらしい空間ですね。その中でコンピューターを使って、世界中と情報交換しながら、食科学の研究をするというような環境になっております。日本もそういうのができるといいですね。
これはポレンツォという村の中心で、本当にもう寂れたところでご多聞にもれず、過疎でどうしようもなかったところを、少しずつ手を入れて、教会堂も修復したりなんかして、今ではここは結構な観光地になりつつあります。
今の裏にあたるところですが、元のたぶん修道院だったと思うのですが、そこは食科学大学の学生寮になっています。でも、学生だけでは埋まらないので、そこもホテルにしてやるというようなことをやって、工事中でした。
そこを見て、モヨーリさんのお話を伺って、非常に深い感銘を受けたものですから、その後、そこからレンタカーで南へ下がって行って、チンクエ・テッレに向かいました。ご存知の世界遺産、モンテロッソ・アル・マーレとか、ヴェルナッツァとか、有名な村が5つあって、チンクエ・テッレというのはその意味だそうですが、どんなものだろうと思って、これスローシティではないのですが行ってみました。
チンクエ・テッレは非常に寒村だったわけですが、船でしかアプローチできない。実はこの裏山のところに高速道路が走っていまして、そこからものすごい坂道で降りてこられなくはないけれども、とても怖くて、ちょっと大変なところなのですが、あるとき鉄道が通りました。ほとんどトンネルしかない鉄道ですけれども、それから結構観光地になって、今に至っているという話であります。その入り口に当るところに、レバントという小さな町があります。これはチンクエ・テッレの手前に当るところですが、、この山の向こう側がチンクエ・テッレのモンテロッソ・アル・マーレがあるのです。われわれが行ったのは9月の末ですが、泳げるような暖かいところです。ここが実はスローシティです。スローシティの認証を受けてから、この町は見事に復活したということで、結構知られているのですね。これは発起都市ではなかったのですが、非常に興味深い。海岸はこんな感じですが、場所はここですね。こちらはモンテロッソ・アル・マーレ、こちらはチンクエ・テッレのその入り口のところに当るのですが、こんなところですね。
スローシティになってから、ここはアスファルトの道だったのを全部はがして、これを石畳にしました。こういうところに看板とかいろいろなものがついていたのですが、全部とって、昔風の町並みに作り直して、写真には写っていませんが、ところどころ、にせの窓を描いている。、イタリア人はこれが得意ですよね。窓のないところに窓を描いてしまう。そういうのがたくさんあって、非常に面白い町になっていて、これ夜ですが、非常に賑わっている。スローシティのおかげさまだという感じですね。土地の値段も上がって、いい面と悪い面があると思いますが、そんなことがありますね。
地魚があったりして、食の面でも非常に特色のあるものをサービスして、ここでのスローフードはガタフィンケールというオムレツですね。ハーブ入りオムレツというのが、ここのスローフードだそうで、トレッキングが非常に盛んなのですね。ここから先ほど言ったチンクエ・テッレまでこの山を越えて、このブドウ畑のところを歩いて向こう側へ行くというのが、非常にほかのヨーロッパ人が喜ぶので、そういうイベントをやりまして、そうすると、こういうところの農家でスローフードが食べられるというようなツアーをやったりして、非常に人気があって、盛り上がっているということですね。
ここの駅がすぐ後ろにあるのですが、そこらへんにマンションがどんどん建っています。ジェノバから電車ですとたぶん1時間以内で行けるのですね。だから、通勤圏内というくらいの感じのところなので、不動産価値が非常に高いということで、どんどん発展しているというふうに聞いています。
これがチンクエ・テッレですね。この山の中にトレッキングルートがたくさんありまして、ここの特徴は、海岸に段々畑がたくさんあることで、その段々畑でブドウを作っているのですね。そのブドウが特色のあるブドウらしいのですね。非常に乾燥しているところなので、甘みが強いのでしょう。そのワインが結構有名なワインだということですね。細々とやっていたのですが、ここに来て、その段々畑の景観が世界遺産の対象になったのです。日本でもそういう段々畑はあちこちにあるのですね。例えば、四国の南のほうとか、日本中あちこちに段々畑はたくさんありますので、みかん畑とか。例えば、近場でいうと、小田原の近くの根府川とかは段々畑なのですが、そこにみかんが植えられています。景色はだいたいこんな似たようなものなのです。ただそれをうまく日本で、スローシティではないけど、そういうことで、売り出すことができたはずなのだけれども、まだ誰も気がついていないということで、悔しいというか、残念だと思うわけですね。こういうところで岩の上に建物があったりすると、とたんにイタリア風な感じになってしまうわけです。日本でも根府川とか、あるいは、真鶴のように、こんなところがたくさんありますから、うまくこうやって利用すれば、特色のある景観を作って、多くの人に喜ばれることもあると思います。
それから、これは鉄道の駅なのですが、、鉄道が地上に顔を出したところに駅があって、そこは要するに入り江になっているところですから、そこに漁村があると。そういう作りになっていまして、その汽車はとても込んでいまして、すごくたくさんの人が乗っていました。
これがその段々畑ですね。これは上り下りが結構大変なのですね。上のほうまでやっていますから、農作業は非常に大変で、日本でもそうですが、ちょっと簡単なケーブルか何か走らせて、それで、いろいろと省力化を図っているわけですが、基本的にはどうでしょう、趣味でやっているような感じですね。これだけではちょっと食べていけないのではないかなという気はします。これはそこで売っているワインですね。裏に写真が貼ってあったりします。
この人たちは漁師さんなのでしょうね。でも、なんか味がありますね、やはりイタリアの漁師さんは。日本の漁村とやはりちょっと景色が違いますね。ようは日本の漁村、今何の特色もないわけですが、なんか特色ある景観を日本でも作れればいいなと思います。陣内先生から、南イタリアのほうでは、漁村を逆にうまくやって、こういうのをペスカツーリズモといって、民宿ですね、そういうのをやっているのだという話を伺いましたけども、ここは漁業をそういうものにしてやっているのではなくて、半農半漁でやっているような感じですね。
さて、これがスローシティ1号のグレーベ・イン・キアンティという町です。だいたい人口1万ちょっとという感じです。イタリアでも市町村合併があったと思うのです。コムーネがいくつか一緒になって、1つになっているというような格好だろうと思うのですが、ここはその辺の中心地ということです。
ここで特徴あるのはこの三角の広場で、こちらの写真の手前のほうが実は市役所があるところで、奥に教会ですね。両側にアーケードがありまして、その内側にお店がたくさん入っているというわけです。
この時間帯では車が入っているのですが、ある時間になると、車はここの中に進入禁止になって、ここは本当の広場になってしまうということで、裏に大きな駐車場があるのです。小さな小川がこの道の裏側にありまして、その小川の向こう側に市営の駐車場があるという格好になっております。
で、面白いのは、場所としては、フィレンツェがあって、グレーベ・イン・キアンティ、シエナが1番南のほうにあるのですが、この辺にあるのですね。
ここでインタビュー。これは中橋さんといって、陣内先生のところの卒業生で、当時ナポリ大学の博士課程におられたのですが、もう卒業されて、いますが、その方が通訳してくださいました。この人は市会議員ですね。非常にインテリで、日本では、そう言っては申し訳ないですが、市会議員の中にも志のある人もいるのですが、その辺の市会議員で哲学を語る人などというのはあまりいないと思うのですよ。なぜこう違うのだろう。すばらしい、もう滔々とわが市はどうしてこうなったのだというようなことをいろいろ話してくれるのですね。
まわりは、キアンティクラシコのできるところですね。よく見ると、多分皆さんのほうがよくご存知かもしれませんが、いろいろなものが植えられています。ブドウもありますけれども、ワインのコルクの栓も作らなければいけませんから、コルクの木が生えていたりして、それから、オリーブがあって、ブドウはともかくとして、あまり同じものだけ作ると、連作障害が起こるからといって、ひまわりとトウモロコシを代わりばんこに植えているとか、何気なく見ている景色なのですが、よく見ると、これを読み解くことができるようです。もう少しそれを勉強していればそういうことがわかったのですが。
ところが、これは市会議員から聞いたのですが、例えばこういう農場がありますね。もうほとんどみんなが放棄してしまっていた。60年代くらいですかね。ところが、イギリス人がやってきまして、これはいい景色だといいました。イギリスの風景画というのは、ふるさとはみんなイタリアなのですね。もう絵のようだと。当たり前ですよ。本物ですから。で、それを二束三文で売っていたのだそうですよ、当時。もう喜んで買ったと。我も彼も、我も彼もといってやってきて、ずいぶん買ったそうです。そうしたら、今度はアメリカ人が来たとか、ドイツ人が来たとかということで、何かこういうイタリア人が見捨てたものを、外国人がみんな買ってくれたのだと。そうするうちに、値段も上がってきて、イタリア人もやはり、そうか、ふるさとはそんなに価値があったのかということで、今度はイタリア人がそれを見直そうということで、先ほどのスローフードを導入したりして、スローシティということをやろうじゃないかという話にだんだんなってきたそうです。
最初はやはりかなり打ちひしがれていたところだったものですから、もう駄目だと。みんな捨てて逃げようという感じの町だったと言っておりました。だけど、外国人がそんなに評価してくれるということで、自信を持つことになったということですね。それはあちこちみんなそういうふうに言っていました。
この景色、僕らが見るとすごくいい景色だけど、イタリア人にしたらうんざりするくらい毎日見ているわけですから、ここから早く逃げ出したくてしょうがなかったような景色だというふうに思われたのだろうと思います。だけど、今はスローシティで、違うというようなことを言っておりました。
で、実はこれ、市がかなり力を入れているワインセラーでありまして、ここは観光名所の1つになっていまして、セラーですから地下なのですが、こんなに大勢人がいて、もう世界中からたくさん人が来て、テイスティングをやっています。これは自動販売機みたいな、プリペイド式のカードでやります。値段によって、いいワインだと何ポイント取られるというような格好でやる。日本にもあると聞きましたが、おつまみなんかがあったりして、結構にぎやかにやっているところがあります。
この経営者は実は肉屋なのですが、ご存知の方もあるでしょう。フィレンツェに住んでいる方は時々行かれるかも知れないのですが、ファロールニという肉屋で、この肉屋、日本で言えば江戸時代くらいからずっと続いている肉屋さんで、この生ハムが名産なのですね。このファロールニに、世界中から本当に大勢の人が来ています。特にアメリカ人がここの肉が好きらしいですが、このハムとかそういうものが輸出されています。こういう1万人くらいしか人がいないところの肉屋さんに、世界中から注文が入るという。それがすばらしいことだなと思います。
その生ハムのもとになる豚はこれです。チンタセネーゼというのですが、チンタというのはこの帯のことをいうのだそうですね。わたしはイタリア語ができないのですが。セネーゼというのは、シエナの、ということだそうです。この豚はシエナ地方の地豚だったそうですよ。鹿児島でいえば黒豚みたいな。ところが、普通豚は1年で大きくなるのですが、これ1年半かかるのだそうです。で、非常に効率が悪いので、絶滅に瀕していたそうです。ところが、やはり肉がおいしいのですね。1年半かかるだけあって。それで、やはり昔の味を出すにはこの豚でなければ駄目だというので、いろいろと復元しまして、今専用の牧場を作って、そこでこの豚で生ハムを作って売っているのがファロールニなのですね。鹿児島の黒豚みたいな感じです。
実は、今のグレーベ・イン・キアンティの近くのパンツァーノ・イン・キアンティに、有名なもう1軒の肉屋さんがあって、ダリオ・チェッキーニというのですがこれも伝説的な人物です。この人はいわゆるフィレンツェ風のビフテキ、Tボーンステーキ用の骨付き肉を長年商っていたのですが、BSE騒動の時代、骨付きの肉は危ないから、出荷してはいけないといわれたもので、自分はそれでずっとやってきた人間なので、それだったら、私は死んだも同然だというので、ビフテキ用の肉をお棺に入れて葬式をやるさまをテレビで全国放映したものだから、一躍ヒーローになりまして、キャンティにいるダリオはすごい国民的英雄になったというふうに私は聞きました。そのテレビを見たことないのでわからないのですが、彼はダンテの神曲を朗々と唱えながら、肉をおろしているのだそうです。そこまで足を伸ばせなかったのが非常に残念だったのですが、名物男の肉屋さんだそうです。面白いですね。イタリアというのはすごいところだなと思いました。田舎の肉屋さんがそうやって世界的なヒーローになれる。
これはオルヴィエートですね。たぶん大勢の方が行かれたことがあると思いますが、ローマとシエナの間くらいにありますかね。ローマに近いほうですか。6500人くらいが丘の上に住んでいますね。で、このオルヴィエートという町は、2万人くらいの人口だと聞いております。
実はこの丘がどうやってできたかというと、ここから何キロか離れたところに、ボルセナ湖という大きな真ん丸い湖がありまして、イタリアで2番目に大きな湖だといっていましたけども、そこが大噴火をしまして、ものすごい火山灰がまわりに散ったのですね。その後だんだん侵食されていって、残ったのがここの丘だということで、こういう丘になっちゃったということなのです。
これは火山灰が積もったところなので、非常に掘りやすいのですね。この中に実は蜂の巣状に穴が開いていまして、時々地面がばっと落ちるんです。非常に面白いところですけれども。
ここもスローシティで、ここの元の市長がチミッキさん。これが非常に知恵者だという話なのです。ローマがあって、オルヴィエート。これはウンブリア州ですね。トスカーナではなくてウンブリアなのですが、ウンブリアというのは私もよく知らなかったけども、ウンブリ人という、エトルリア人と非常に仲の悪かった人たちがいたところだから、ウンブリアというのだそうですが、これがボルセナ湖ですね。これはまた別の州ですが、とても美しい湖でしたね。
オルヴィエートはさすがに立派な市役所で、会いにいくと、こういう立派な、これ市議会議事堂ですけども、そこでいろいろインタビューに答えてくれる。この人は女性の秘書みたいな方ですが、Uターン組ですね。ローマに働きに行っていたのだけど、やはりオルヴィエートに帰ってきたということですね。この方は市会議員。
先ほど言ったチミッキさんというのはこの方です。スローシティ協会の前の会長だった方です。非常に戦略的に考えていまして、この後にたぶん出てくると思います。
これは有名なオルヴィエートのドゥオーモですね。ゴシック様式だと思いますけども、非常に美しい聖堂で有名な建物です。
ここは丘の上の町なので、車も上がっていけるのですが、基本的にはカーフリーということで、車がないところ。その代わり、公共交通として、エスカレーターがあるのですね。エスカレーターも地面の上を走っているのではなくて、トンネル状になったエスカレーターですね。たぶんアッシジとか、そういうところもこういうのがあるのだろうと思いますけれども。こういうようなルートでエスカレーターが走っていまして、ドイツの会社がこれを作っているのですね。だいたいウンブリア州のほとんどでそこの会社が独占的にやっているのだという話を聞きました。公共交通の1つですね。町はこんな感じですね。崖があって、下を見下ろすと。
ここで我々はB&Bという、今イタリアで非常にブレイクして民宿に泊まってみました。B&Bというのは元々イギリスの言葉ですから、イギリスが有名で、ドイツなんかにもあるみたいですけども、イタリアはそんなになかったのかな。よく知りませんけれど。試してみたら、非常によくて、町家のなかで泊まることができるのですね。我々4人グループで借りまして、そして、自分たちで自炊しました。私料理好きなものですから。これはルッコラと有機トマトですね。それから、これは骨付きのビフテキです。買ってきて、料理して、おいしかったです。自分で土地の食材を買ってきて、自分で料理して、自分で食べられる。調味料も買ってきたのですが、食器とか、あるいは、こういうオーブンとか、そういうものは全部完備していますので、何の心配もなく、例えば、1週間とかこういうところへ滞在していたら、とても面白い生活が楽しめる。非常に安いわけで、とてもよかったと思います。
これは、もう少し北のほうのトスカーナの特産ですが、キアーナ牛のビフテキ。キアーナ牛でないビフテキは、フィレンツェ風とは呼ばせないと言っているそうですが、体長3メートルあるすごく巨大な牛なのだそうです。真っ白い牛で、これもやはりほとんど絶滅していたのを、戦後に復元して、現在こういうふうに育ちあがったということらしいです。だけど、非常に珍しい牛だそうです。
つぎに、先ほど言った教育の話なのですが、15世紀くらいに作られた修道院を改造した市立の病院が歴史的な建物だったので、近代的な医療には向かないということで、これが出て行った後に大改装しまして研究センターとして活用することにしました。これはその中の部屋ですけれども、それぞれの部屋にコンピューターなどを備えて大学や、教育機関に、貸すという商売を始めたのですね。
で、例えば、アメリカのカンザス州立大学とか、あるいは、ローマ大学とか、あるいは、近くのペルージャの大学とか、そういうようなところの生徒たちを、ある期間このまちに住まわせながら、この教室を使って、教育をするというような協定を結ぶわけです。もちろん賃貸料がはいるわけですが、それに加えて、先ほどいった6500人の町の中で、若い人がある人数がずっと暮らしているということで、町が活気づく。経済効果もあるということで、これを1つの町おこしの手段としている。これも一種の教育施設なのでオルヴィエート大学なんて呼んでいましたけれども、大学があるのではなくて、大学の施設があって、部屋貸し業をやっている。それをチミッキはやはり考えたのですね。なかなか頭のいい人だなと思って、私はつくづく感心しました。
先ほど言いましたように、オルヴィエートというのはああいう目立つところにありますから、中世の時代しょっちゅう攻撃にあっていたのですね。そうすると、篭城しちゃうわけですが、兵糧攻めにあうのです。そのときに食糧となったのが、実は鳩なのですね。これは崖の中腹で、横から穴を開けますと、今格子がはまっていますけれども、鳩は出入り自由なものですから、洞窟の中に小さく人が鳩の巣を作ってやったのですね。壁に無数に窪みがあるのですよ。そこに鳩を住まわせます。そうすると、鳩が外へ行って、えさを食べて、ここへ帰ってきて卵を産んだり、夜寝たりするわけですが、それをつかまえて食べれば、鳩の肉も食べられるし、卵も食べられる。オムレツも食べられる。いくら兵糧攻めにあっても平気だという、非常にスマートな考え方で使っていたというのですよ。じつに面白い話だなと思いました。ちなみにここの名物料理はやはり鳩のローストかなんかだったのですね。食べてみたいなと思ったのですが、鳩肉というのはめちゃくちゃ高いのですね。
これがその辺の猪、私たちが行ったのが秋だったので、あちこちに猪がいまして、散々食べました。これはパスタですね。ニョッキですね。これは桃のコンポート、甘く煮て、その上にチョコレートをかけたというか、虫歯が痛くなるようなドルチェですね。そういうものがありまして、非常においしそうだったです。
これは有機栽培した野菜とか果物だけ売っている高級スーパーですね。売っているものがみんなちょっと小奇麗になっていまして、我々はここで買って、料理したわけですが、イタリアでもやはりそういう有機栽培のものを尊ぶ人もいるというわけですね。
最後のポジターノですけれども、皆さんたぶん行かれたと思います。アマルフィの隣の小さな町です。人口2000人くらいですね。非常に小さな町ですけれども、この景色で世界的に有名な、セレブがたくさんやってくるリゾートですね。
しかし、問題はここに大勢観光客が来るのですが、その出す廃棄物、それから、汚水。これをどうしているのだということがまず1番聞きたかったことですね。恐ろしいことに、廃棄物についてはカンパーニャ州全体の問題ですが、ご承知のとおり、お正月から大騒ぎになっています。マフィアのようなカモッラ団がゴミ集めをやっていたのが、政府と喧嘩して、オレはやめるということになって、誰もとらなくなってしまったので、ああいうことになったのだと聞いています。ゴミ集めが大変ですね、こういうところは。
それはともかくとして、1番嫌なのは、汚水ですね。実は海岸の砂浜の下に大きい浄化槽がありまして、そこで処理しているというのだけれども、明らかにこれだけ多くの家の容量としては、小さすぎるのではなかろうかと思われます。その先はどうなっているのかと聞いたら、ここから100メートルくらい先に放流しているというのですよ。そうすると、海は一見澄んでいるのだけど、身体中がかゆくなりそうな感じがして、泳ぐのはやめようと思いまして、ちょっと怖い。
上水については、ご承知の方も多いと思いますが、裏山は 険しい崖で ものすごいところのように見えるのですが、実はその背後が牧場になっていて、ソレントに向かってずっとなだらかに下がっているのですね。向こう側に水があって、ここからおろしてくるからなんでもないのだということです。普通山の頂上から水が来るということは考えられないのですが、ここではそういうことができるというような話で、上水のほうはあまり問題ないのだけど、下水が問題だというようなことを聞きました。場所としてはこういうところですね。
この辺がアマルフィです。ソレント半島があって、ナポリから船で行くわけですけれども。あるいは車で行ってもいいのですが。回り込んでいって。先ほど言ったように、この辺が山なのですが、その向こうがなだらかに下りているという、そういう地形なのだそうです。
この方が副市長に当られる方ですね。この人もかなり哲学者で、これからは環境の時代だと、一生懸命いろいろな環境のことを考えてきたようです。スローシティを導入したのは、その環境的な側面で、先進的な試みをやっていきたいと考えているからだ、というふうに言っているのだけど、先ほど言ったような話がありますから、これは日暮れて道遠しというか、これから結構大変だろうなと思いました。しかし彼はなかなかの好人物でした。これは私のところの助手なのですが、ふたりは意気投合しまして、非常に面白い人でした。これは私の泊まったホテル。シーズンオフだから、結構安かったので、すばらしい景色で、1人で泊まっていて残念だったのですが、いいところですね。
これはここで食べた手長海老のリゾットです。できるだけいろいろなものを試してみました。これは手長海老とムール貝ですかね。太刀魚も食べました。
これはアマルフィなのですが、アマルフィは陣内先生の研究室でずっと継続的に実測調査をやられたので、通訳の中橋さんもそのチームの1人だったので、みんな顔見知りでした。こちらも最近スローシティになったのですが、ポジターノがスローシティで結構有名になってしまったものだから、悔しくて、こちらのほうが本家だというので、急遽俺たちもやるということでやったのだそうですが、やはりひとまねは身につかないというか、あまりスローシティらしくないし、その担当の人もいなくて連絡が取れなかったりして、結局市役所の対応はあまりいい感じではなかったです。もう有名だから、黙っていてもお客さんは来ますから、べつにいいやと思っているのではないかなという感じはしました。
この写真はうちの助手が長時間露光で夕方粘って撮ったのですが、本当にきれいな町ですね。
こういう子供たちがいたりして、イタリアは町もきれいで楽しいけども、やはり人を見ているのが楽しいですね。この写真は実は私が撮った写真ではなくて、私は建物ばかり撮っていたのですが、人ばかり撮っている人がいまして、我々の仲間で。飛び入りで、研究者ではないのですが、神田で仕事をやっておられる清水義次さんという都市プロデューサーの方がおられまして、一緒についてきたいというので、一緒に来たのですが、この方は人ばかり写真を撮っていて、後で適当に使っていいよと言われたので、見ると結構面白いのですね。夕方になるとみんなこうやってベンチに、町に出てきて、じいちゃん、ばあちゃんと話して、あるいは子供がいたりして、楽しいですね。ボナセーラとかいって、それだけは覚えたイタリア語ですが、セーラ、セーラとか言っていましたけれども。後になってみると、やはり建物の写真より、こういう写真のほうが楽しいですね。いつも反省するのだけど、行くとやはり建物の写真撮ってしまうのですね。
アグリトゥーリズモの話をこれからちょっとします。、皆さんご存知だと思いますけど、ミラノに実業家の宮川さんという方がおられまして、その方がアグリトゥーリズモをやっているところが、このスベレートというちいさな町でエルバ島が見えるようなトスカナの西海岸にあります。この町の片隅に宮川さんのやっているアグリトゥーリズモがあるのですが、このスベレートというところも、小さな町ですが、スローシティに認証されていまして、行ったら、誰も人がいないので、どうしたのだろうと思ったら、実は教会で、結婚式をやるというので、村人が全員教会に来ていたのですね。そっちの町のほうは無人だったのです。
アグリトゥーリズモというのは、篠さんという方がたぶんこちらでお話をされたのだと思いますが、有名ですね。イタリアには1万戸あって、年間200万人の人が利用している。でも、そのうちの25%が外国人、ということは、4分の3はやはりイタリア人の客だということです。この制度そのものについては、改めてご説明するまでもないと思いますが、条件が非常に厳しいですね。農業収入が50%超えるということと、既存の建物の修復で、しかも、伝統的なものでなければならない。これは陣内先生の本に書いてありましたけれども、運営主体は都市の実業家が趣味でやっているというのが多いというような話があります。
日本にもグリーンツーリズモとかなんかあるのですが、どうも建物がダサいですね。何か日本でデンマークやってみたりして、何考えているんだこの人たちは、とこう思うのですね。やはり、イタリアへ行ったらイタリア見たいじゃないですか。日本だったらやはり日本が見たいわけですね。だから、その辺はやはり、僕は田舎にいましたからよくわかるのだけど、田舎の人はそういうものを全然いいと思ってないわけですよ。だから、私が毎週見ている「人生の楽園」という番組があるのですが、土曜日の夕方6時くらいからですかね、団塊の世代が退職して始めた田舎の商売の話をやっている。民宿をやっている人がたくさんいるのですが、建物が全部例外なくダサいです。絶対あんなところには泊まりたくないと思うようなものばかり出てくる。それはなぜかというと、やはり、都会的センスがないのじゃないかなと思っています。プロデューサーがいないのですね。陣内先生が書いておられますけど、イタリアでは、やはり建築家とかがやっているものが多いのです。そういう、六本木ヒルズ辺りで仕事やっているような人が、田舎へ行って、自分が理想とする田舎の生活というのを実現する場を作るというのが、本来あるべきアグリトゥーリズモではないかなとわたしは思うのですね。グリーンツーリズムにしてもそうだと。そこの田舎に住んでいる人が、自分の生活をとにかくやるためにやっているのだったら、それは人を泊めるのではなく、本当に働いて農業やればいいわけで、都会の人をひきつけて、そして、そこである種交流をしたいとか、いろいろなことをやりたいというのだったら、やはり都会的なセンスをそこに持ちこまないと。都会の人が考えている田舎というのは、これは幻想の世界ですから、幻想の世界を作るということが大事だというのが私の考えなのですね。
ドイツ、フランスにも、アグリツーリズムというのは、あります。それぞれかなり盛んみたいですね。イタリアよりもむしろ盛んのように聞いております。まだそちらは行ってないので、ちょっとわかりません。
漁村ではペスカツーリズモというのが始まっているという話は、これは陣内先生から聞いたのですが、あまり評判よくないみたいですね。ネットで調べてみると。漁師が結構やらずぼったくりで、サンドイッチか何か食べさせられて、それで終わりだったとかで。やはりちょっとホスピタリティが足りないというか、そういうことがあるみたい。だから、まだ途上なのではないですかね。
アグリトゥーリズモの中では、さきほど言った都会的なセンスという意味では、有名なのがイル・ボッロですね。フィレンツェの郊外で、村1つ、廃村全部フェラガモの一族の人が買っちゃって、その村全体を使って、ワイナリーとか、こういうものをやっているわけです。これホームページから写真をダウンロードしたのですが、こういうものです。イル・ボッロって実は六本木にありますよね。イタリア料理屋兼結婚式場で、フェラガモがやっているのがあるのですが。
この村ですね。こういうふうに、変哲もないイタリアの山の中の寒村ですけども、うまくプロデュースすれば、これがやはりその地域、これはほとんど人がいなかったようですが、靴屋さんがあったりなんか、そういうのを後で入れて、何というか、ディズニーランドみたいなものですよ。本物で作ったディズニーランド。テーマパークみたいになっているわけですけども、滞在をみんな楽しんでいる。これから、やはり地方でこういうことをやろうと思ったら、やはりそういうセンスで勝負しないと駄目だと私は思います。
これはブリケッラといって、宮川さんのやっているアグリツーリズモです。宮川さんの奥さんは亡くなられたのですが、非常に慈悲深い方だったそうです。その方と、本当は4家族で共有していたのを、最終的には宮川家というか、その奥さんの一家がこれを買って、そして、いろいろな農業をやっておられます。宮川さんは70歳を超えているのではないかと思いますが、ものすごくエネルギッシュな方で、すばらしい方ですね。これブドウですね。こちらはオリーブです。こういうものを交互に植えたりして、この辺はコルクですかね。そういうようなもので、この農場全体を運営されています。やはり灌漑というか、水が1番大きな問題のようなことをおっしゃっていました。
宿泊施設は実はここにあるのですね。ちょっと村みたいな感じで。写真撮っている手前のほうは、母屋で最初にあった建物です。これも立派なものですが、こちらのほうに離れがありまして、トスカーナ風の作りの、黄色い壁で赤い屋根のやつが建っていまして、でも中はちゃんとしたお風呂場があったりして、すばらしい宿泊施設になっているわけです。場所はここですね。こちらのほうがピサですかね。ピサから南に下がってきたところですね。
これが母屋にあたる部分ですね。向こう側に海です。これはティレニア海。エルバ島が向こうに見えている。ちょっと残念なのは、ここにいくつか工場がありまして、煙突が立っているのです。でも、非常に眺めのいいところで、海のほうに向かって、なだらかにブドウ畑が続いているというところです。宮川さんはワイン醸造組合の組合長をやっているのですよ。みんながやりたがらないのだそうです。日本人が組合長というのは問題がありそうだけれどみんながやりたがらないのでしょうがない。私が引き受けざるを得なかったと宮川さんはおっしゃっていました。やはり、ワインの醸造というのも結構駆け引きがあって、大変なのだということです。やはり、産地全体として名前をあげると、キャンティみたいに問題が起こる可能性がある。宮川さんの話では、キャンティはある時期、非常に信頼を落としたことがあって、アメリカのスーパーマーケットなんかで安売りされた時代があった。それで、後に黒い鶏の認証マークをつけるようになった。そして、品質を保つようにして、ようやく復活したのだよということでした。ここもこの一帯の産地としての、DOCGとか、DOCとか、産地、呼称などの政府の格付けがあるけれども、産地全体としてやはり品質を上げていきたいんだということは言っておられましたけれども、やはり、呉越同舟というか、いろいろな思惑があって、アメリカ資本の人が来たりなんかして、札束でひっぱたいて持っていっちゃうとか、そういうようなこともある。特に中国人が金持ちになって、ワインを飲むようになったのですね。13億人ががぶ飲みしますから、大変だという話はありますね。私も中国に行ったら、私は紹興酒が飲みたいのだけど、向こうの接待してくれる人が、共産党の官費で飲めるので、ワインにしろ、ワインにしろと飲まされましたけども、そういうところがあります。テイスティングした後、みんなで食堂で、ご相伴に預かりましたが、結構いい料理がでました。
スローシティ、あるいはアグリトゥーリズモについてよく見てみると、1つ1つは非常に小さいものだし、弱いものなのですが、それがネットワークのようなものになっていて、それによって非常に強力な組織というか、力を持っているというところに我々は注目しました。現在いろいろな科学の分野で、この複雑なネットワーク論というのが非常に盛んになっています。ネットワークのあり方というのがいろいろありまして、細かい話はこの場ではできませんが、これをうまく使うことによって、例えば日本においても、地域おこしに使えるんじゃないか。1つ1つは2000人とか、3000人とかという小さな自治体でも、こういうネットワークを構成することによって、強くなれるのではないかと考えます。
例えば、ネットワークというものの特性というのに、2つあるのですが、そのひとつがスケールフリー。ネットワークというのは、点とそれをつなぐ線でできていますが、1つずつのつながりの線の長さというのは全体の構成に全然関係ないわけですね。だから、中央とローカルという区別がなくなる。お互いに等価であるということがひとつありますね。例えば、東京が中心にあって、その下のほうに行くと、1番下に山間の限界集落があるというような、そういうヒエラルキーではなく、それらが全部相互にひとつの網の目のようになってネットワークというわけですが、そういう中ではスケール感がない。
それから、ネットワークを作りますと、その中のどれかが欠けても、全体が崩れることがないという特性があります。ロバストネスというのですが、その強さ、強靭さができると脆弱なビジネスのセーフティネットを作ることができるのですね。ネットワーク化することによって。
我々が見たところ、スローシティとか、アグリトゥーリズモ、ひとつずつの単体は、先ほど見たように変哲もない田舎町で、小さいものですが、それがネットワーク化したことによって、大飛躍を遂げたわけですね。そこのところを我々は注目すべきではないかなと思います。
スローフードはまさしくそのネットワークで、モヨーリさんは差異という言葉をよく使う、違いですね。お互いに同じものをネットワーク組んだって何も面白くないのだけど、ひとつずつに非常に特色があって、そこに差があると、その差異のネットワークができます。逆にいえば、その差があるというところのネットワーク、差異が価値を生むのだよというところを、やはり強調しなければいけないということなのですね。
だから、未完成でもいいよというのがモヨーリさんの考えですけども、未完成であるほうが逆にいいと。例えば、もう定評ができてしまったロマネコンティとか、ボルドーのシャトーラフィットロートシルトとか、そういうようになっちゃったらもう完成しちゃっているわけですから、先はない。そうではなく、これからのものがいろいろとネットワーク化することによって面白いと。そこのところを我々は目指すのだとモヨーリさんは言っているわけです。スローフードであり、スローシティであるというのは、その差というところを強調しながら、しかも、どこか欠けたところがあるというところに将来の可能性を見出すことができるということを彼は言っているのですね。
イッツアスモールワールドという有名な理論があります。友達の友達は友達だというので、6回その友達の友達をたどっていくと、世界中の人がみんな友達になっちゃうというのがスモールワールド理論。これ結構有名な理論なのです。複雑ネットワークのたとえ話でありますけれども、この理論はロジスティックス、つまり物流に応用されている。どこに物流拠点を置くかとか、ハブ空港をどこに置くかとか、そういうようなときにこの理論は結構使えるので今注目されています。確かに私が、学術書のカタログを取り寄せてみたら、ネットワークだけでたくさん本があって、日本人も結構論文書いているのですね。面白い分野だなと思っております。
アグリトゥーリズモのネットワークではわりあいヒエラルキーができているわけですが、インターネットがこれに絡んできて、これはイタリア政府のほうを向いているわけではなくて、お客さんというのは世界中にいるのですから、その世界中のネットワークの中に、個々の農家が入り込んでいるというところに、私は非常に可能性があると考えています。直接州政府とか、イタリア政府と関係なく、例えば日本にいる我々がそこの農家に予約を入れることができるわけですよ。今、ホームページを見て。こういうところに、私はこれからの可能性が見られると思っております。
それから、田舎の可能性についてお話したいと思います。わたしの著書の中に書いたのですが、日本の特に田舎といわれる第1次産業を中心とした地域の人たちが、非常に自信を失っているのだけれども、とんでもない。世界の人口は今60億ですかね、私の子供の頃は23億だったのですけども、めちゃくちゃ増えて、今世紀末には90億になるというふうにいわれています。
で、そうなると、明らかに食糧不足になってくるわけで、第1次産業にこれからみんなが注目するだろうと、その本に書いたのですが、現にその時点で、去年の秋ですけども、トウモロコシの値段が非常に高騰していました。漁村とか農村は、今じっと我慢していれば、いずれ反撃のときが来るよと書いたのです。都会の、六本木辺りでブイブイ言わせているような連中が、みんな食糧不足になって、飢え死にしそうになって、物乞いに来るに決まっているから、我慢して待っていなさいと。こう書いているわけですが、本当にそうなりつつありますね、現実に。
というのは、世界の市場で、例えば、穀物市場なんていうのがありますが、穀物市場にのっかっている食料というのは、わずか全供給量の4%だけで、それがシカゴ市場とか、そういうところに出ているだけです。後の96%は自分たちが作って、自分で食べているわけですよ。だから、4%しかないものが、上がったり下がったりしているのを一喜一憂することはないのだけれども、大部分は生産者がみんな食べちゃっているわけですから、例えば、自給率の低い日本みたいな国は、その4%を何とか確保しなかったら、我々は飢え死にしてしまうわけですから、非常に危機的な状況にあるということは言えると思います。
こういうことがありまして、第1次産業というのは、大きな変革期にあるのだから、地方とか、格差とか、なんかネガティブなことばかり考えないで、もう少しポジティブに物事を考えたらどうでしょうかと、こういうふうに本に書いているわけです。
鹿児島大学にいたときに、学生に、鹿児島県内でみんながっくり来ているから、これを元気付けるプロジェクトを作れという大学院の課題を出したところ、例えば、桜島、鹿児島に行かれると目の前にある大きな火山なのですが、そこを1つの観光拠点にしようという提案がありました。鹿児島は大都市で70万くらいの人口があるのですが、その目の前に宝の山があるので、それをうまく利用しようじゃないかという話で、桜島を丸ごと観光農業の場所にしようというわけです。とにかく食の循環をして、こういうことをやって、それぞれの現場でいろいろな体験ができるような場にその桜島を模様替えしようじゃないかというような計画案を出したチームがありました。
枕崎という有名な鰹節をつくっているところがありますが、2万6000人くらいの人口でした。今だいぶ減ってきて、2万2000人、どんどん減っていくというふうに言われているのです。しかし枕崎に戻りたいという人がたくさんいるのですね。だけど、戻れないのです。それを、枕崎コンシェルジュというものを作って、そういうひとたちが戻ってきていろいろなことをやれるような、そういう仕組みを作ろうというわけです。
驚いたことに、枕崎はそんなに人口が少ないのだけれども、医療機関が50か所あるのですよ。やたらと医療機関が多いというのは、鉄道の駅がありまして、高齢者がみんな車を運転できないので、鉄道でやってくる、それがみんな集まるので、医療機関が多いということです。だから、これをうまく利用して、ここの町に来れば、ありとあらゆる医療サービスが得られるよというようなことも売りになるのではないだろうかとか、いろいろなことをいって、枕崎をスローシティにしようというようなことを提案したグループがあります。
もう1つは、地方ではどんどんどんどん人口が減っていますので、これまであった学校が廃校になっていくわけですね。廃校の校舎、壊すにもお金がかかるし、放置しておけばやはり困るし、どちらにしても困るということで、これを何とかうまく活用する方法はないかということで、それを拠点として、そこにいろいろな関係者たちが力を合わせて、これをうまく利用した地域おこしのスキームを作れないだろうかというようなことを提案したわけです。詳しい話はこの場ではやる時間はありません。
これは私自身がかかわったプロジェクトです。海の中の魚というのはほとんどとりつくしてしまってとれないので、陸上で養殖場を作って、工場みたいにしようというわけです。なぜ漁業が駄目かというと、後継者がいないのです。この間も海で何人かの人が死にましたけども、ああいうのを見てしまうと、若い人はとても怖くて海には行きたくない。そこで、もっと近代的な工場みたいな格好で漁業ができないだろうかと考えたのです。畑で稲作ったり、トウモロコシ作ったりするのと同じように、そういう畑みたいなもので、魚を養殖できないだろうかというようなことを鹿児島大学の水産学部の先生が考えました。この案のキモは海藻を使って海水を浄化するという画期的なアイデアです。陸上でやる場合に1番問題なのは、水が汚染されることです。魚を飼っていると、金魚を飼ってみてもわかりますが。水ををどうやって浄化するかということが最大の課題となりますが、海水の場合そこに海藻を入れると、それが炭酸ガスなどを吸収して、酸素を出すわけです。水の中の不足しがちな酸素を供給し海藻を使って浄化するというようなシステムを、閉鎖循環型というのですが、そういうようなシステムでやれば、結構年間売上高を多くとれ、しかも無菌でできますので、非常にいいというわけです。これを計画しまして、いよいよ地元の人たちを説得して、はじめようかなと思っていたところ、この行政が、南さつま市というのですが、市長以下反対しまして、この計画案はぽしゃってしまった。結果、このベンチャー企業を始めようという人たちとは、今長崎のほうでこれをやろうと考えています。長崎のほうはぜひ来てくださいということになりました。養殖を巡る話には非常に面白い話がいくつもあるのですが、それは質疑応答のときにお話しするくらいにします。これはそのシステムです。エコ養殖。門脇秀策先生という先生が考えたのですね。実際にこれやっているのです。外海のほうでやっているのです。しかし陸上ではやってないのです。ブリの養殖をやっているのですが、ブリを養殖していますと、炭酸ガスが出て、窒素が出て、燐が出る。これは海を汚染するのですが、これを海藻に吸収させて、海藻が多くなる。この海藻をアワビが食べるわけですね。そして、そのアワビがフンをするわけです、食べた後。それが下に落ちていったところを、このナマコが食べて、ナマコが大きくなるわけです。あるいは、緋扇貝という貝がいるのですが、こ
以上で終わりますが、非常に雑ぱくなお話だったので、足りないところがあると思いますので、ご質問があったらどうぞ。
司会 どうもありがとうございました。それでは、質問がございましたら受けたいと思いますけど、いかがでしょうか。
質問 はじめての話が多かったので、大変面白く伺いました。2つばかり質問したいのですが、スローシティの概念、最初に哲学も含めてお話がありましたけども、お話を聞いていて感じるのは、やはり、町おこし、町づくりということが優先されているような感じがいたしましたけど、いかがでしょうか、というのと、もう1つは、ネットワークの話が後半にありましたけど、ネットワークの意味がよくわからないのですが、情報を発信して、町を知ってもらうということなのか、営業戦略として、お客が来てくれるように考えているというのか、どういう意味なのかなという、その2点をお願いします。
松永 最初、イタリアではスローシティを町づくりの手段として考えているのかと考えました。これには私も非常に興味がありまして、行政の人たちに会って、話を直接聞いていったわけですが、先にそれがあったわけではないと言われたのです。やはり市民がどうやって、文化的で、健康で、すばらしい人生を送ることができる町にできるかということがまず原点にあるとみんなが言うのですよ、異口同音に。それの手段として、スローシティというようなものを利用すると。実はアジェンダ21とかISOとかほかにも様々なシステムがあるわけです。そういうものも、それを目標としているわけではなくて、それによって、その町がある環境のクオリティを保つことができるを目標として、そういう手段としてこれらをを使うという。考え方があるので、スローシティというコンセプトとかそういうのはあくまでも、手段として考えているというのです。一義的にはまず市民の幸福ということがあるということは、もう常に皆さん言っておりました。我々はスローシティに興味があるから、スローシティのことばかりを聞きました。スローシティとはなんぞやということを研究するために行ったわけですから、そのことを追求しましたけども、今回皆さんにお話しするとき際も、そこのところをたぶん皆さん知りたいだろうと思ってお話しているわけで、市民のことをないがしろにしているというつもりはございません。
それから、複雑ネットワークの話は、宣伝とかそういうことではなくて、そこに住んでいる人たちが、誇りを持てるということが非常に重要だと思うのです。みんな自信を失っているわけです。日本の特に地方都市。みんなとは言いません。中にはそうではない人もいるかもしれないけど、かなりの方たちが、自分たちはおいてけぼりをくっていると思っています。六本木辺りでブイブイ言わせている奴らが最先端を行っていて、我々は山の中で限界集落なんて呼ばれてしまって、後期高齢者なんて呼ばれて、さげすまれているというふうに皆さんお考えなので、いやそうじゃないよと。あなた方は主役になれるのだよといいたいわけです。要するに、ネットワークの中ではそういうような誇りを持てるということがまず大事ではないかと考えます。それは陣内さんの書かれた「小さな町の底力」という本でかなり強調されていて、小さい町に住んでいる人たちも、自分たちに誇りを持っているというところが、やはりイタリアの人の違うところ。イタリアでもいろいろありますから、全部がそうだとは思いませんけども、そこに例としてあげられているような町について言えば、そういうこと。我々が見に行ったスローシティもそうだよと。そういう話です。
司会 他にございますでしょうか。それでは、僕から1つ質問したいのですが、先生のお話にありましたけど、やはり、地方の人が都会人の幻想を理解してないということが僕もいつも感ずることなのですね。ですから、彼ら自身がそれに気づくよりも、先生は都会人がプロデュースするほうが効果があるというようなお話をされたとおもうのですが、そのあたりいかがでしょうか。やはりそれは都会人がプロデュースすることによって、都会人の幻想を満足させることができるという、そういう形になっていくのでしょうか。
松永 私自分自身が建築家で、ここにも建築家の林さんがいらっしゃいますけれども、建築家という職能からして、やはり潜在的にある欲望というか、そういうものがあります。物理的な存在として、空間として表現するのが我々の職能なものですから、そういうものを作ることは専門家なのですね。だから、例えば、住宅の設計を頼まれた場合に、皆さん漠然と考えていることを我々は具体的な空間として提供して差し上げることができる。アグリトゥーリズモというときも、その快適な生活が送れる場を作ろうという志においては、出発点は同じなのですけども、それを実際の場に置き換えるところの作業が、要するに素人ではやはり無理なのではないかというのが私の考えですね。やはり、そこはプロフェッショナルが、地方にも建築家はいますから、そういう人がやればいいのですが、やはりそこには世界的な視野が必要で、例えば、ここにおられる方たちのような海外経験が非常に豊富な人たちとか、そういう物事を相対的に見られる人がそこにかかわってこないと、独りよがりになってしまいます。「人生の楽園」に出てくるようなのものは、だいたい思い込みが強くて、囲炉裏があって、上からつって鍋やっているような、そういう世界しか知らない人がそれやるから、相対化ができないのですね。いや、そうじゃないよといいたい。例えば、僕が1番思うのは、例えば、料理。漁村へ行ったら地のものを食べさせようなんていって、それは殊勝な心がけなのだけど、刺身と、焼き魚と、なんとかというもう決まりきった料理しか出てこない。そこで思い切って、じゃあイタリアンでやってみたらどうだろうかとか、もっと別の発想からプロデュースすればよい。例えば、あそこのアグリトゥーリズモへ行ったら、フレンチで迎えてくれたとか。だいたいアグリトゥーリズモは食事を提供しませんけれども、近くにそういうレストランがあったりします。山形にはイタリアンレストランを、地の野菜でやっているところがあるというふうに聞いていますが、そういうようなものを、やはりそれが相対化できる人が必要ではないかなと考えます。都会の人とは限らないと思いますね。
質問 日本の、先ほど市会議員の話がありましたが、どうもやはり地域コミュニティの考え方が、日本では成熟してないので、なかなかスローシティみたいなものが目覚めにくいのかなという感じがしたのです。例えば、温泉地でおかみさん連合なんかが頑張っているようなところが、湯布院とか、黒川温泉とか、出てきてますけど、どうも基本的にはやはり地域コミュニティとしての町とかが未成熟かなと思います。だんだん合併して、大きな市になってしまうと、ますますぼけてしまうために、日本の場合にはそれを進めるのが難しいのではないかなという気がするのですが、いかがでしょうか。
松永 私イタリアの政治のことはあまり詳しくないから一概に言えないですが、イタリアの場合にはもちろんコムーネという単位がありまして、これが非常に強力な1つの組織体になっているので、そこで合意が図られるということで、でも結構内紛があったりして、国自身がああやって選挙で大騒ぎしているようなところですから、なかなか合意を得るのは大変だろうと思います。だから、オルヴィエートのチミッキさんも非常に頑張ってよくやったと思いますが、基本的にはどうやら左翼的な人がやっているような気がしますね、スローシティについていうならば。私はイタリアが非常にユニークだなと思うのは、いわゆる中小企業というか、協同組合というか、そういうようなものが非常に盛んで地域の産業が協同組合のような組織でいろいろなことをやっているというふうに聞いているのですが、その辺は政治の専門家の方がいらっしゃるでしょうから、そちらから伺ったほうがよいと思います。ちょっと私が読ませてもらった本にはいろいろそういう事例が書いてあったので、今後も時間が許せばもう少しそういうことも考えたいなと思っています。だけれど、日本でもやはり志ある人がいなくはないです。
質問 楽しいお話をありがとうございました。ポジターノで汚水の話をされてましたが、地方の都市に都会から人が来て、賑わって、その後やはり問題点が出てくると思うのですね。日本の観光地でもそうですし、イタリアでも、世界遺産になったとたんにウワーッと人が押し寄せてきてしまって、地元の人たちの穏やかな暮らしが影響を受け、またその生活のペースが違ってくるということがあると思います。今年の2月にたまたまプーリアのほうに旅行したのですが、アルベロベッロなんかは、私は個人的にすごく好きでしたけれども、やはり観光客がものすごくて、それに対して地元の人たちが、どういうふうにしていこうかというような問題点が、発展途上の感じがあったのですね。そのチッタズローの企画というか、哲学を持ってらっしゃる方々が、ある程度まで行った後のことをどういうふうに考えてらっしゃるのかなというのが興味深いところなのですが。
松永 先ほどのよっつの町の中で、ポジターノだけは世界遺産だったのですが、後は世界遺産でもなんでもなくて、ただの田舎町なのですね。で、別に観光客が増えたわけでもないのですが、ただ、オルヴィエートの例のように、もともとの市立病院が古くなった。古くなったといっても、日本とは比較にならないくらい古いわけですが、15世紀なんて話ですから。それを要するに大学の教室として再利用するというようなことを、その中でやっていくというような、地道なことをやっているわけです。そういうところが僕は参考にはなろうかなという気がいたします。で、たまたまポジターノは昔から有名なところで、今に混雑が始まったわけでもなんでもないので、別にこれから観光客来て下さいとか、そんなこと言う必要も全然ないわけですから、どちらかといえばこの辺でもうバスは来ないでほしいとか考えています。あそこは夏に観光バスがたくさん来て、どうにもならないという話をしていましたので、そのうち入場制限とかやるかもしれませんが、だいたいホテルのキャパシティが決まっているから、それ以上お客は泊まれないのだろうと思うのですよね。
質問 大変興味深い話をありがとうございました。私は建築の仕事をやっております関係で、イタリアの一般家庭は結構見ているのですが、ブラという町は行ったことがないのですね。それで、この町でスローフード運動が盛んになって、スローフードの町ということになっているという点で、もし一般家庭の中で、特徴的なこと、例えば、キッチンが他と違っているとか、庭に何かがあるとか、もしそういう何か特徴が、先生の見る範囲で、感じられることがありましたら教えていただきたいと思うのですが。
松永 私は建築家だから、本当はひとつずつの建物に興味があるのだけれども、今回は町の政策とか、地域をどうやって元気づけるという政策とか、そういうところを主眼において見学して調査してきたものですから、1軒1軒の家までは立ち入ってはいないのです。ただ、我々が泊まったB&B、オルヴィエートの町のど真ん中にあるそれは、町家を改装しまして、5階建てくらいですかね。エレベーターはないから階段で上がったり下りたりするのですが、それを改造して、ワンフロアを貸すというような格好で、分けて住まわせているのですが、中を改造して、何世紀にもわたって同じ家に、たぶんいろいろな世代の人たちが今まで暮らしてきたのだと思うのです。その中で、やはりその時代その時代にあったようなふうにリフォームしながら使っていると思います。我々が泊まったところは現代風になっていまして、お風呂場もきちっときれいで、三角屋根の下でしたが、浴槽はこの1番低いところの足しか入らないようなところに入っているわけです。なかなかうまくなっていて、キッチンも先ほど写真にありましたが、最新の型のオーブンが入っていたりします。イタリア風のキッチンで、すばらしく、周りは古い壁とか残っているのだけど、水回りだけはきれいになっているというところは印象深かったですね。それと、アグリトゥーリズモのほうは、あれちょっとトスカーナ風の建物なのだけど、使っている部品はみんな工業生産品だったのですね。アルミサッシではないのだけど、スチールサッシなのだけど、グリーンで、黄色っぽい壁の中にグリーンの鎧戸がはまっているというような格好で、結構性能よくできていまして、きちっとできています。、結構快適だったとは思います。そんなことは気がつきましたけど、基本的には個人の家までは入っていません。
質問 ありがとうございました。2点だけ簡単に質問させていただきたいのですが、まず50くらいスローシティがあるというふうにご紹介いただいたのですが、イタリアの例を見ますと、ブラはのぞいて、後、グレーべインキャンティとか、オルヴィエートとか、ポジターノというのは、代表的な観光地でございまして、ご承知の通り世界中から観光客が押し寄せてきます。そういった意味で、スローシティにならなくても、そこの町は繁栄して、しっかりした財政圏もあると思うのですが、そうではなくて、もうどうしようもない、さきほど話に出た日本の限界集落というのは非常に問題になっていますね。それに近いような形で、もう人もあまり行かないような、住民ももう高齢者が多くて、産業も目立ったものがない、そういうようなところが、スローシティをやることによって甦ったというような事例がもしありましたらご紹介いただきたい。日本はどちらかというとそれが多いですね。伝統的な特色があるものよりも、もう本当に農村が崩壊してしまっているというような場合が多いので、日本の事例を考える場合、むしろそちらのほうが参考になる。それが第1点でございます。第2点は、ちょっとご専門が違うので、もしおわかりであればということでお答えいただきたいのですが、スローシティの哲学のところで、効率優先、速度偏重のライフスタイルの否定ということがありますが、イタリアよりも日本のほうが効率優先というのはものすごく進んでいるという感じがします。農業に対する保護というものに対して、ものすごい産業界から厳しい意見がありまして、我々1円でもコスト削減するように、血のにじむような努力をしているにもかかわらず、農業は補助金をもらってぬくぬくしていると言われます。実際にはヨーロッパやアメリカでも、大量の補助金を農業セクターが受け取っているわけですが、日本の産業界が、もうとにかく日本は農業なんかやらなくてもいいと。昨今は穀物が高騰しているので、ちょっとトーンダウンしていますが、ついこの間まで、フリートレードの世界で日本の農業は邪魔なだけなので、日本は農業やらなくていいから、買ってくればいいと。こんな非効率な産業は廃止してしまえというような意見もあり、本当に産業の効率優先というのは、日本は非常にシビアだと思うのです。そういった中で、イタリアにこういった哲学が芽生えるというのは非常に面白いのですが、その辺の背景なり、もしおわかりなら教えていただきたいと思います。
松永 最初、変哲もない村とか、辺境の地という話ですが、今回はちょうど辺境までは行ってないのですが、ただ、先ほどいくつか言いました、チンクエ・テッレの手前のところのレバントという町は非常に小さな町で、本当に寂れていたのですね。このスローシティの功績だけではないと思い、その自助努力によってだと思いますが、変哲もない町が、一種の観光地になりました。この場合には、ここが本当に観光地のとばくちのところですから、ちょうどそれでよかったのですけれども、そういうように変えることによって、繁栄というか何というかわかりませんけども、少なくとも元気は出てきて、活気のある町になったということは言えると思います。それから、スベレートについて言えば、たまたま宮川さんのアグリトゥーリズモがあるというだけで、お客さんを呼べるようなそういう力があるところではないわけです。少なくともほとんど限界集落に近いと思うのですけども、どういうことでしょうね。結構新しい住宅開発が市外のところで行われてきて、少しずつ人口は増えている。人口の推移を見てみたのですが、一時グーッと下がってきて、また上がってきているということがあって、やはり魅力的な町には人は戻ってくると。オルヴィエートで案内してくれた人も、自分はもちろんオルヴィエートなんかで暮らしていくつもりはなくて、ローマに就職したのだけど、収入はずっと安くなったかもしれないけど、やはり家族がいるところでまた暮らしたいといって、結構若い人ですが、戻ってきた。やはりそういうインフラというか、情報インフラみたいなものが完備してくると、そういう人が戻ってくるということがあります。今のスローシティというのは、二面あると思うのですよ。効率を否定する一方、情報的なインフラは非常によくして、環境水準も高くするという、そういう非常に先進的な面と、それから、やはりご指摘の部分と2つあって、それをうまく組み合わせてやっているというところで、また若い人がそれじゃあそこへ行こうと。そこに新しい産業が生まれる。そこで、例えば教育をすることによって、新しい特色ある教育をそこでやる。スクーリングをやるとか、そういうことによって、そこに職場ができて、そうすると、若い人が出て行かなくてもそこで食べて行くことができるとか、いろいろあるわけなので、ひとつのヒントには私はなると思います。
それから、2番目が、経済学の問題です。ここにも経済学者の方はおられると思うのですが、私は同級生の経済学者と大喧嘩しました。ちょうどこの本を書いていたときだったのですが、かれはFTAを否定するとは何事だ、フリートレードでいかなかったら駄目だというのです。日本は車を売って、そして、米は輸入すればいいのだと、そういうふうに言うわけです。私はこいつとはもう絶交すると思って、それまでは会って一杯やることが楽しみだったのですが、本当に顔を見るのも嫌になってしまいましてね。農民と経済学者を比較すれば、経済学者なんていなくても、誰も困らない。だけど食糧を作る人がいなかったら、我々は死んじゃうのです。だからといって、農民が、保守的なことを言ってやっているのがいいとは思わないから、やはり、カルロ・ペトリーニというスローフードを始めた人はなかなかの人物だなと思いますね。そういう哲学がほしいですね、人間はね。そこのところがわたしが1番感じたことです。行く前はイタリアを正直言ってあまり尊敬してなかったのですが。というのは、陣内先生に尽力していただいて、ナポリ大学の人たちと、いろいろ一緒に仕事をやって、もう金輪際この人たちとは会いたくないと思った経験もあったからです。。
司会 ちょうど時間となりましたので、今日の例会はこれで終わりにしたいと思います。もう1度皆様拍手をお願いします。