二大政党連合から二大政党へ -イタリア2008年総選挙-

第338回 イタリア研究会 2008-06-20

二大政党連合から二大政党へ -イタリア2008年総選挙-

報告者:名古屋大学法学部教授 後 房雄


イタリア研究会第338会例会(2008年6月20日:東京文化会館)

「二大政党連合から二大政党へ -イタリア2008年総選挙-」

名古屋大学法学部教授  後 房雄


(注:当日のレジュメと配布資料は文末にあります。)


司会 今晩は。本日は橋都委員長が学会のため欠席いたしますので、私・猪瀬が代わって司会をつとめさせていただきます。では、第338回のイタリア研究会を開催いたします。今日の講師をつとめていただくのは、名古屋大学大学院法学研究科教授の後房雄先生です。皆さんにご案内したように、演題は「二大政党連合から二大政党へ -イタリア2008年総選挙-」です。後先生は、今年の4月に行われたイタリア総選挙を現地で視察されるため、10日間ほどイタリアにおいでになったそうです。先生のご経歴を簡単に紹介させていただきます。先生は1977年に京都大学法学部を卒業されました。その後、82年に名古屋大学の大学院法学研究科博士課程単位取得退学、同年に名古屋大学の法学部の助手になられました。84年に助教授になられ、90年に教授に昇格されました。ご専門の分野は政治学、行政学、NPO論、ご研究のテーマとしては、名古屋大学のHPに書かれていることを申し上げますと、自治体経営改革、行政-NPO関係、日本とイタリアの現代政治などです。また、日本行政学会、日本政治学会、日本NPO学会に所属されています。主なご著書としては、1990年に世界書院から出された「グラムシと現代日本政治」、1994年に窓社から出された「政権交代のある民主主義」、また1998年には大村書店から「<オリーブの木>政権戦略」、その他にもご著書が多数おありです。では、先生、よろしくお願いいたします。



後 紹介いただきました名古屋大学の後と言います。この研究会では多分、もう10年近くになると思うのですが一度、<オリーブの木>政権の頃、お話をさせていただいたような記憶があります。今回、この4月に現地に参りましたイタリア総選挙を中心にして、私の場合は、日本政治とイタリア政治を比較しながら見ておりますので、日本もちょうど今、ねじれと言うことで次の展開がなかなか興味深い状況ですけれど、それと少し比較しながらお話したいと思います。時期的には大体1993,4年が出発点になります。イタリアと日本で、両方とも小選挙区制と言う新しい選挙制度を導入したのが一年違いで、イタリアが93年、日本が94年だった訳ですが、それからそれぞれ4回ないし5回、総選挙をしてきています。その経過を主に対象にしながら、日本政治、イタリア政治を比較しながら、お話をさせていただきたいと思っています。

 今回、特にイタリアの総選挙では、タイトルにもしましたが、二大政党連合から二大政党へと言う方向で、かなり新しい動きが出てきました。そんなに簡単に実現する訳ではないのですが、かなりはっきりその方向が出てきたと言う意味では、次の段階に向かう面も出てきたかなと思っています。その辺を中心にしてお話をして行きたいと思います。

 お手元には資料をいくつかお配りしておりますが、綴じている順番で行きますと、一枚目の左、中日新聞、こちらでは東京新聞にですね、「ねじれ国会」と言う特集の時にイタリアとの比較でお話した部分をまとめてもらった記事です。実はイタリアでも、後で少し具体的にお話するのですが、上院と下院では多数派がずれるんじゃないかと言うことが非常に事前に語られていたんですね。例えば、下院では中道右派が多数を取る可能性が高いと言われていたのですが、上院では中道左派の方が勝つ可能性があると。もし多数派が上院と下院でずれてしまうと、日本でも二院制の問題がありますけれど、イタリアの場合、両院の権限が日本よりもっと対等なものですから、とにかく両方で首相の指名や予算や法律が可決されないと成立しないのです。日本の場合はまだ、総理大臣の指名は衆議院の優越と言うことで、ずれても衆議院で指名された方が総理大臣になる。また予算も参議院で否決されても、衆議院の可決が優先する。ただ法律の場合は、両方で可決されないと成立しないと言うことで、日本でも大問題になっている訳ですね。まあ、一応総理大臣、予算、条約は何とかなるのですが、しかし法律が通らないと、その予算の執行上、色々と支障が出てきます。ここは今、民主党を中心に野党が参議院の多数を確保していますので、そこで否決されて、色んな法律が通らないと言う状況に現になっている訳です。こう言う状況が、イタリアでも出てくるんじゃないかと、そうなったらどうするのかと言う議論がかなり、事前には行われていた訳です。そう言うこともあって少し新聞でお話したものを持ってきました。

 それから、右側の図ですね。これは話の中でも出てきますが、上の表は1946年が憲法制定議会の選挙なんですが、48年以降は下院の選挙結果を、これは完全比例代表制ですので得票率がほぼこのまま議席の配分にもなると見ていただければ、大体の政党の勢力図がわかる訳です。92年までがその比例代表制の選挙でして、93年に小選挙区制が導入されまして、94年からは新しい選挙制度になってきております。その下は、その選挙制度が変わる前後に、十いくつかあった政党がかなり大きく離合集散して行った時の関係図です。非常に複雑ですけれども、段々右の方を見ていただくと、二大勢力的な方向で単純化されて行ったのがおわかりだと思います。これはかなり小選挙区制の効果というのが如実に出ている訳ですけれど、ただこれは政党連合と言うことで、ひとつの政党に合併する訳ではなくて、選挙の前に協定を結んで、いわば同じ候補者名簿を出すと言うことなんですけれども、一応、陣営対立は二大勢力と言う方向になって行った経過です。

 そのあと、今回の選挙がらみの新聞記事等をお配りしておきました。イタリア語を読まれる方が多いと思いますので、また後で見ていただければと思います。○2はですね、選挙前の世論調査で大体どんな支持率があったかと言うものの変遷です。事前の段階で上から三つが中道右派、その下ふたつが中道左派と言うことで、ちょっと色塗りになっていますが、比べていただくと、大体6~7%くらい中道右派がリードすると言うのが事前の世論調査だったのですが、これが大体ほぼ似たような本番での結果にもなったと言うことなんです。

 その次の2枚は、4月の13,14が投票日でしたので、翌日15日の朝刊、ラ・レプッブリカとコリエーレ・デッラ・セーラの一応全体の結果が集約されている記事を2枚付けておきました。下院で行きますと、中道右派が46.7%、中道左派が37.7%で、9%差ですね。これが3枚目、4枚目です。4枚目の記事の右のところにレナート・マンハイマーと言う、これは政治学者で、良く選挙分析等で、雑誌や新聞などに良く出てくる研究者の方ですが、短いながら大体、全体の特徴を分析している記事が入っていますので、またあとで見ていただければと思います。

 その後5枚目の記事は2,3日あとのラ・レプッブリカの記事なんですが、最近の選挙では出口調査が日本でも恒例化していますが、今回の総選挙の出口調査の結果分析です。出口調査の意味は、ひとつは投票締め切りと同時に大体の結果がわかると言うことなんですけれど、もうひとつ役に立つのは、票の流れが非常に分析しやすくなると言うことなんですね。出口調査と言うのは、要するに投票所から出てきた段階で、どこに投票したんですかと聞く訳ですね。嘘をつく人も勿論いる訳ですが、流石に事前に聞くよりは、実際に投票して出てきたところで聞かれると、大分まあまあ、みんな本当のことを言う確率が高いようなんですけれども、実は今回も前回もかなり出口調査と実際の結果がずれてしまいまして、新聞の特派員の方たちはかなり大変な思いをしたんですね。今回も、特に上院では中道左派が勝つんではないかと言う出口調査だったんですが、実際に開いてみたらかなりの差で中道右派が勝つと言う結果になったのです。さきほどのねじれ問題が、出口調査の段階では本当に起こるんじゃないかと言うような状況だった訳です。まあそう言うようにずれることもあるのですが、大体早く結果がわかるということでは良いのですが、同時に前回どこにいれましたかとか、そう言うことも合わせて聞ける訳ですね。そうしますと、前回どこにいれた人が今回どこに入れたかと言うような形で、どの党からどの党に票が流れたかが実は分析出来るデータになるんですね。この記事は今回の各党の得票の中でよその党からどれくらい票が来たのかと言うことを、それぞれ分析した資料です。特に右下にツリー図みたいになったのが一つあります。La Sinistra Arcobaleno(虹の左翼)と言う、民主党よりラディカルな左の諸勢力が作った統一名簿だったんですが、そこが、実は下院では議席を得るためには4%以上の得票がないと議席がゼロになってしまうと言うハードルがあったんですが届かなかった。共産主義再建党などが中心で緑の党なんかも含めて、それなりに場合によっては10%位行き得るような連合体で、あえて民主党と組まずにやっても議席を得られるであろうと思っていたところが、予想に反して4%を割って議席ゼロと言う状態になってしまったんですね。ですから上院も下院も民主党と言う中道左派の大政党が一応、今回負けはしましたけれど、30数パーセント取ったんですが、それより左側の政党は一切議席ゼロになってしまった。これは戦後イタリアにおいてはかつてなかったことですね。と言うことで、左翼は議会外勢力になってしまったと言うような言われ方もされていましたけれども、それが何故起こったのか。つまり本当は10%位ある票がどこに流れたんだろうかと言う、その辺の分析がこの資料で出来ると言うことなんです。あとで少しまた言及しますけれども、このような資料を見ながら、お話を聞いていただければと思います。


 それでまずレジュメの方が2枚ありまして、1から6まで項目を立ててありますが、中心は4,5のあたりですので、他のところはなるべく簡単にお話をして行こうと思います。この1のところで書いたことは選挙制度の問題の基礎知識のようなことです。これは、この10年位の日本政治、イタリア政治を見る時には、やはり非常に重要な要因です。つまり、イタリアの場合で言うと、ずっと完全比例代表制で、10%の投票率を得れば10%の議席、足切りはありませんので、本当に1%以下でも1議席や2議席は取れると言う選挙制度ですね。なので、非常に政党の数が多い、議席を得る政党の数が多いと言うのがイタリアの特徴だった訳ですね。日本も、かつては中選挙区制と言う選挙制度をずっと取ってきていました。これは要するに、都市部だと大体4議席から6議席くらいの定数が各選挙区に割り当てられていて、投票する有権者は1票だけ投票出来ると言う仕組みです。そうすると1位になれなくても4位とか6位までは当選しちゃう訳ですね。そうするとどう言うことが起きるかと言うと、小さな政党でも勿論1位や2位にはなれなくても、4位とか、5位とか、6位になれれば、一応1議席取れると言うことになる訳です。そのため、小さい政党でも全国的にはそこそこの議席が得られると言う結果になるんですね。これは比例代表制とちょっと仕組みが違って、非常に日本独特の制度だったんですが、効果としては比例代表制に非常に近い選挙制度で、準比例代表制に分類されていた訳です。こう言うことで、日本でもかつては社会党が野党第一党だった訳ですが、それ以外にも共産党とか公明党とか、それから民社党とか、いくつか小さい政党が存在していた訳ですし、新自由クラブとかいくつか新党の小さいのが登場したりもしていました。と言うことで、日本もイタリアも、そう言う割と小さい政党でも議席が得られるようなタイプの、比例代表制的なタイプの選挙制度で戦後ずっとやってきた訳です。

 それがですね、93年にイタリアで小選挙区制を主体にした選挙制度に大きく転換をした訳です。日本も94年に例の細川非自民政権の下で、政治改革と言うことで、やはり小選挙区制を主体にした選挙制度に変えた訳ですね。これで、ちょうど日本とイタリアが期せずして、ほぼ同じ時期に小選挙区制型の選挙制度に転換した。このことが日本政治とイタリア政治を非常に大きく変えてきている訳ですけれども、その狙いとか意義が何だったのかと言うことを少し振り返った上で、その後の展開を少し辿ってみたいと言う訳です。

 みなさんも多少ご記憶の方もいらっしゃると思いますが、選挙制度をどうするかと言う議論の時に、特に日本では、小選挙区制と言うのは非常に評判の悪い選挙制度だったわけですね、戦後一貫して。これはどうしてかと言うと、1950年代、56年位ですかね、今の民主党の幹事長の鳩山さんのお祖父さんにあたる、鳩山一郎と言う自民党の初代総裁の政権の頃にですね、戦後が終わって憲法の改正と言うのが自民党の当時からの目標だった訳ですが、ただ憲法を改正するためには、日本国憲法の規定によると衆議院と参議院のそれぞれの3分の2で憲法改正の発議をすると言うことが必要なんですね。両方で発議されたら、国民投票にかける、その国民投票の過半数で承認されれば、ようやく憲法改正が実現する。こういう非常にむづかしい改正手続きになっている訳ですね。ところが、3分の2で憲法改正の発議をする、これは普通なかなか難しいことなんですね。まあ比例代表制で言うと、3分の2の得票率など西側ではかつてないでしょうし、北朝鮮とかでないとあり得ない訳です。ですから、本当を言うとこれは恐らく、憲法改正をする場合には主要な政党が合意するかたちでやりなさいと言う趣旨だと思うんですよね。ところが、これを自民党が単独でやろうしたので非常に強引なことになったわけです。それが、小選挙区制の導入だったのです。小選挙区制であれば、これは1議席ずつ各選挙区で争う場合にですね、1票でも多い方に1議席と言うことになります。ですから、極端な話、すべての選挙区で自民党が51%を取れば、まあ他の政党も出ますから、相対第一党でも良いんですが、話を単純にするためにAとBの二つの政党しかない場合ですね、51%でかろうじて勝ったと言う場合でも、全国のすべての選挙区で自民党が議席を独占する、つまり51%の得票率で100%の議席を得ると言うことも理論的には可能である。この制度を入れればですね、自民党が第一党にさえなれば、全部と言わないまでも3分の2の議席を取れる可能性がある。そう言うことで、憲法改正のための3分の2の議席を得るために、いわば強引に小選挙区制を入れたい、そう言う小選挙区制導入を試みた訳です。これは、当時の日本の国民からすると憲法改正、特に9条についてはですね、やはり戦争直後と言うこともあって、国民の多数派はそれを守りたいと言うことだったものですから、その9条を変えるための選挙制度改革が小選挙区制だと言うことで、そのふたつがいわば頭の中で結び付いた訳ですね。その9条を変える憲法改正はけしからんと言う話と、それをやるための小選挙区制はけしからんと言う話がそのままドッキングして、その小選挙区制と言うのは何か民主主義に反する非常に悪い選挙制度だと言う、大体そう言うのが刷り込まれてしまったと言うのが、実は日本の独特の経過なんですね。でもこれはよく考えてみると変な話でして、イギリスはずっと小選挙区制でやってきている国ですし、アメリカも基本的にそうですね。カナダもそうです。実はフランスも80年代からそうなっていますし、イタリアと日本とドイツを除くと、基本的に先進国は大体、小選挙区制なんですね。小選挙区制が民主主義でないと言うことになると、イギリスも民主主義でないし、アメリカも民主主義でないと言うことになってしまう訳で、これは誰が考えてもおかしいですね。だから、その小選挙区制が民主主義ではないと言う話はいくらなんでも本当はおかしいんですが、日本の戦後の文脈では何となくそう言うことになってしまったわけです。

 日本でも、実は戦前は小選挙区制が良いか、比例代表制が良いか、まあ大体、代表的な選挙制度はその二つになるんですが、そう言う論争がありまして、それで美濃部達吉と言う有名な憲法学者が、都知事をやった美濃部さんのお父さんにあたりますが、比例代表制を主張していた訳です。それに対して、吉野作造と言う大正デモクラシーの旗振りをやった政治学者は小選挙区制を主張すると言うことで、そう言う論争が日本でも戦前あった訳です。この時に美濃部達吉のほうが吉野作造より民主主義者だとか、そんなことを言ってもしょうがない訳でして、その両方とも民主主義を前提にどちらの選挙制度がよいかと言う論争をしていた訳であって、小選挙区制が民主主義に反すると言う話はそもそも日本でもなかったんですけれども、戦後の1950年代の憲法改正とドッキングしたために、その後の日本では小選挙区制はタブーになってしまった、そう言う経過が実はあった訳ですね。で、まあそう言うこともあって、92,3年、日本でも選挙制度の改正の議論になった時には少しそう言う議論もぶり返したんですけれども、今回はそう言う話とはかなり違って、選挙制度としてどちらが良いのかと言う議論に一応なって、結果として小選挙区制を実際に導入すると言う結論になった訳ですね。

 イタリアと日本の場合、そうは言っても長らく比例代表制でやってきていますので、イギリスのように全部の議席を小選挙区制で選ぶと言うのではなくて、イタリアの場合は25%は比例代表制を残す、残りの75%の議席については小選挙区制でやると言うことですね。そうすると25%分で小さな政党も議席をちょっと得られると言うことになります。日本の場合は、300と200で4割の比例代表制部分を残すと言うことで、その後、それはまた更に180にまで減りましたので36,7%位にまでなっていますが、それだけ比例代表制部分が残っていますので、そこの部分については小さな政党でもうまく何パーセントかの得票で議席を加えられるので消滅はしていない、そう言う緩和措置を両方とも入れた訳です。しかし、基本は小選挙区制ですね、そんな選挙制度に両方とも転換したと言うことになります。


 ここで強調しておきたい点は、憲法改正にとって良いかどうかと言う話とはちょっと別に、民主主義にとってどっちの選挙制度が良いのか悪いのかと言うこと、もっと言うと、良いのか悪いのか言うよりは、ここに書きましたように、選挙制度によって民主主義のタイプが違ってくると言うことです。つまり、分かりやすく言うと、小選挙区制型の民主主義と比例代表制型の民主主義と言うのがある、だから両方とも民主主義なんですね。まあ民主主義と言うのは要するに、ちゃんとした選挙で政権担当者を選ぶと言うことなので、これを廃止しようと言う話はいくらなんでも先進国では起こらないので、そう言う意味では民主主義は民主主義なんです。ただ、同じ民主主義と言ってもいくつかタイプがあるんですね。実は選挙制度は民主主義のタイプを左右するという非常に大きな意味を持つと言うことです。ではどんな違いが出てくるのかと言うことですが、ここで民意のタイプ、民主主義のタイプと言うことで、三つ位タイプを挙げておきます。

 一番よく言われたのは、比例代表制と言うのは5%で5%の議席、10%で10%の議席なので、民意を非常にちゃんと反映すると、まあ「鏡のように反映する」と言い方をよくされたりする、だから即、民主主義的なんだと。それに対して小選挙区制では、51%で100%の議席になったり、49%の得票率があっても議席はゼロになったりする。これを民意が歪むと言う風に批判するひとは批判していた訳です。これが正しいかどうかと言うことなんですが、実はここに誤解があって、この比例代表制の場合に言ってる民意は、どの政党を支持するか言う民意ですね。たしかに、政党支持の民意は、比例代表制では鏡のように議席に反映される、しかし小選挙区制では非常に歪む。しかしですね、実は民意と言うのは何種類かある。その民意が何種類かあるかと言うのは、こういう譬えをすると分かりやすいと思うのですが、アンケート調査をする場合を想定した時にですね、選択肢をどう設定するかで、アンケート調査の結果と言うのはかなりずれるんです。つまり、例えばイエスかノーかの二択で答えて下さいと言う場合のイエスと、そうだ、ややそうだ、どちらとも言えないとかいう風に例えば五択にしたとします。五択にした場合のイエスと言うのは大分減りますよね。つまり、その時にアンケートに答える側の民意って言うのはどこにあるのか。実は固定した民意が各人の中にある訳ではないのです。つまり二択と言う選択肢を示された時の自分の意思はこれだし、五択で五つ選択肢を並べられた時の自分の答えはこれだと。つまり選択肢との関係で初めて自分の意思と言うのは決まる訳です。そういうことと関係なく、何か自分の中で固まった民意がある言う風に考えがちなんですが、実は選択肢を見せられて初めて、そういう中から選ぶならこれだと言うことで、それぞれのひとの民意が実は表明されるんですね。

 そうやって考えると選挙制度も同じなんですね。いま二択と言いましたが、実はひとつめに書いたのはまず二択の民意ですね。国民投票や住民投票、つまり飛行場を作ることに賛成か反対か、また産業廃棄物の処理場を作るのに賛成か反対か、これを民意で決めたほうが良いと言うことで、直接、その問題だけに限った投票と言うのを日本でもやるようになってきた訳です。まあ、日本ではまだ正式な制度になっておりませんので、その結果を尊重すると言う程度の拘束力しかありませんけれども。イタリアなんかでは国民投票の制度が具体的にあって、それでもう決まってしまう。そう言うのは当然、民主主義的なひとつの制度です。この場合の民意、飛行場を作るのに賛成か反対か、これはまぎれもなく民意ですね。そういう特定の重大問題についての賛否と言う選択肢を示された時の民意です。この民意は、誰が見ても厳然たる重要な民意なんですが、例えば比例代表制では歪められてしまうんですね。何故かと言うと、比例代表制ではそれぞれの政党が包括的な選択肢を出します。まあ選挙綱領を発表します。その中に色々な政策が書いてあります。理念や世界観みたいなものが書いてあります。その時にですね、例えば自分は自民党に政治的立場としては大体近い、だから自民党に投票したい。だけど唯一、原子力発電所だけはやめたい。しかしその自民党は原子力発電所は推進している。全般的には自民党の政治的立場に近いんだけれども、この原子力発電所の問題だけは賛成できないと言う時に、比例代表制で選挙をするとしょうがないですね、一番近いところに投票せざるを得ない。で、自民党に投票したとしますよ。そうしたら、あなたは原子力発電所に賛成したとみなされると言われたら、これは困る訳ですね。つまり、そういう全般的な政治的立場を表明する上では、比例代表制と言う、つまり政党と言う選択肢で投票すると言うのは非常にいいんですが、その特定の重大問題に対する賛否と言う民意はそこでは表明されない訳です。だから、そう言う問題は一般の選挙とは別に、ひとつの問題だけに限った国民投票、住民投票と言う機会を設けたほうがよいと言うので今、そういうことが行われるんですね。これも民意です。ですから、政党選択と言う民意と、重大問題についての賛否と言う民意、両方とも民意です。が、それはなかなか両立しにくいと言うことなんですね。ひとつの制度で両方とも反映するのは非常にむづかしいと言うことなんです。どっちが民主主義的かと言われても、これは一長一短としか言いようがないですね。まあ個別の問題についての賛否のほうが民主主義的と思われるかも知れませんが、しかし世の中の問題全部を毎回投票で決めると言うのも、これは流石に煩雑ですし、それに相互の整合性がとれなかったりする訳ですね。いっぱい高速道路を作るとか言うのに賛成しつつ、増税には反対だとか言うことにもなりかねないので、そういう意味で、単発の問題での国民投票、住民投票と言うのは良いところもあるんですが、それだけ政治が全部出きる訳ではない。と言うことで、政党を重視すれば、比例代表制と言うことになる。

 実は、小選挙区制が重視する民意と言うのはそれらと違うもう一つの民意なのです。これは政党と言う民意や個別問題の民意の両方をあえて犠牲にして、政権選択と言う民意を小選挙区制は重視しようと言うことなんですね。では政権選択とはどういうことかと言うと、例えば、議院内閣制を前提としますと、議会選挙をやって結果が出ます。比例代表制で言えば4割のところは4割の議席、3割のとこは3割の議席と言うことで、一応、政党に議席が配分されます。で、政党の得票率と議席数が対応してきれいな議会が出来たと一見思うんですけれども、実は議会と言うのはその後が重要なんですね。特に、議院内閣制で言うと、多数派が出来ないと総理大臣が選べない、内閣が出来ない。ですから多数派と言うのが非常に重要なんですね。ところが比例代表制の場合、ひとつの政党が5割と言うことは、西側ではほとんどありません。まあ、大勝しても精々、40数パーセントですね。ですから、必ず連立政権になるんです。その時にですね、4割の政党、3割の政党、2割の政党とか、色々な政党があるとします。で51%以上の多数派を形成しないと、議院内閣制は運用出来ません。ところが、どう言う政党とどう言う政党が組んで51%の多数派を作るのかと言うのは、順列組み合わせで、結構パターンがある訳です。これは、選挙結果によって一義的に決まらないのですね。そうするとどういうことになるかと言うと、その後の、これは戦後イタリアの場合、恒例行事になっていた訳ですけれども、政党間の協議が延々と行われる。完全比例代表制でしたから、先ほどの1ページ目の右上の選挙結果を見ていただければ分かりますように、第一党のキリスト教民主党ですら30数パーセントです。ですから、とても51%の議席には届かない訳です。で、色んな政党を引っ張り込みたいんですけれども、まあ色んな可能性がある。そうするとですね、大体、選挙後一か月くらいかかって、政党の書記長が集まって、お互いに色々な折衝をする訳です。だから、イタリアの場合は、小さい政党もそれなりの発言力が出てくる、51%の多数派を作るためには、自分らの議席もそこそこ価値を持つので、じゃ参加する代わりに大臣のポストを二つ寄こせとか、あるいはこの政策だけは呑めとかですね、そう言うことをお互いにやる訳ですね。その5つか6つ位の政党を束ねて51%になるような妥協を作るためには、こっちの大臣を減らして、そっちに入れるとか、まあ色々なことをやる訳です。そう言うことで、一か月位かかって、ようやく連立協定が成り立ったら政権が成立する訳です。


 しかし、有権者からすると、実はどういう連立政権が出来て、どういう政策で合意が行われたかと言うことがすごく重要なのです。なぜなら、それこそが実現するからです。選挙の時、何を言ってくれても、それはそのまま実現しない訳です。だけど多数派が出来て、多数派のその統一政策ですね、その政権政策に入ればですね、これは多数派が提案すれば議決される訳ですから。国民にとって重要なのは、要するに何が実現するかですね、その政権で。一番重要なのは政権、議会多数派なんです。どういう政党とどういう政党がどういう政策で一致して政権を作るのか、これはすごく重要なんです。で、その点に関しては、実は比例代表制の下では、有権者は一切、発言権がないんですね、見ているしかない。自分が一番良いと思った政党に投票して議席を与えた、あとはじっと見ているしかない。その選挙の時に掲げた政策のどれを犠牲にして、どこと組むかとかですね、そういうことについて一切、全く白紙委任なんですね。各政党の書記長が白紙委任されて、まあ勝手に妥協して政権を作る。なおかつ、議会の任期の途中でまとまらなくなったら壊してまた折衝する訳ですね。でイタリアの場合、何回も何回も5年間の議会の任期の間に、まあ一年毎位に定期的に政権危機が起きて、また妥協を組み直してやる。その間一切、有権者は何の発言権もない。つまり、一番、民主主義において重要な、どういう政権がどういうことを行うのかと言う、このことについて実は、比例代表制の下では有権者は政党に白紙委任をしている、有権者は政権の選択には全く直接関与出来ない。政党に白紙委任をして任せてしまうということですね。こういう弱点が比例代表制にはある訳です。

 実は、イタリアと日本は、その政権交代が戦後、ほとんど実現できてこなかったと言う問題を共通に抱えていた訳です。日本は自民党が第一党で政権を取っていたので非常にはっきりしていますが、イタリアも実はそうなんですね。キリスト教民主党は単独で政権を作ったことは戦後精々一回位あるだけで、ほとんど連立政権ですけれども、必ずキリスト教民主党を軸にした連立政権と言うことでは一緒なんですね。だから万年与党なんです。しかも、その連立相手も、左の共産党は冷戦の下では入れられない。右で言うとイタリア社会運動というネオファシズム政党は、イタリアでは実はここにもありますように最大8.7%なんて言う議席を取っていたりするんですね。しかし、そこも入れられない。共産党はまあ30%台、最高で34.4%と言うところまで76年に一回行ってます。で、どう言うことが起こるかというと、大体4割位の議席は共産党とネオファシズム政党が取っていますので、残り60%しか議席はありません。60%しかない議席のなかから51%の議席をかき集めないと多数派は出来ないと言うことですから、小さい政党でもかなり価値が出てくる訳です。で、キリスト教民主党も初めのうちは40%位行きましたから、一つか二つ入れれば良かったのですが、段々減ってくるに従って、入れる数がどんどん増えてきまして、1980年代になると、とにかく右と左を除いた全部の政党を入れて初めて51%になるという位まで追い詰められてくる訳ですね。この時期に少数政党の発言権が一番強まった訳です。特にイタリア社会党書記長のクラクシと言う政治家が影響力を強めた。まあ10%位だったんですが、しかしその10%も不可欠になってくる訳です。キリスト教民主党は不可欠なんですが、それだけではなく10%の社会党の票も不可欠なんですね。そうするとほとんどキリスト教民主党と対等な発言権なんです。実はこれが汚職に深入りをして、92年にタンジェントポリと言う、ミラノ、これはクラクシの本拠地ですが、そのミラノで発覚した汚職で、みんな色々と警察に逮捕されて告白する訳です。あの政治家も実はやっていたとか、芋づる式にほとんどの第一線の政治家が失脚するところまで広がって行った。これは冷戦が終わって、共産党を抑えるためには与党の汚職を見逃すのもしょうがないと言うのがなくなったせいもあり、ほぼ網羅的に汚職が摘発されてしまった。逆に言うと、汚職と言うのはそれほど構造化していた訳です。

 これは何故かと言うと、与党は絶対に野党にならない訳ですから、発覚しないんですね。つまり政権が代われば、代わったところが前の政権の悪いことを徹底して叩くことは非常に得策になりますから、叩きますよね。最近の韓国がそうです。大統領が辞めるたびにほとんど汚職で捕まっていますけれど、それは政権交代のひとつの良いところです。ところがずっと与党であれば、警察や裁判所まで含めて全部抑えられる訳ですね。実は92年に、今回の選挙でもディピエトロと言う汚職の時に活躍した検事が作った政党が結構善戦したんですが、今まではやはり汚職がちょっと発覚し始めてもあっと言う間に抑えられたんですね。特にローマの検察は政治の支配下にあったので、大体抑えられてきたんですが、タンジェントポリでは実はミラノの検察がかなり自主性を発揮したんです。それもやはり冷戦が終わったことによって抑えが緩んでいたと言うこともあったでしょう。それまではやはり絶対に政権が代わらない、万年与党の政治家を摘発すると言うのはほぼ不可能だった訳ですね。そのために、日本でもイタリアでも、ロッキード事件にしろ、また93年の政治改革の発火点になったリクルート事件にしろ、そう言うものが定期的に起こる訳です。これは起こると言うよりずっと起っているんでしょうが、定期的に発覚するんですね。発覚するのは定期的で、まあ恐らく毎日やっているのだと思いますけれど。

 そう言う意味で、今回の政治改革の時にも、だから政治と金の問題が重要だと、それを何とかするのが政治改革だと言うことで始まった訳です。で、それが選挙制度の改正になったので、ずれてしまった、矮小化されてしまったと批判する人がいるんですが、これは実は大きな間違いです。政治倫理の確立を目指せとか、政治倫理法を作れとかと言う議論があったんですが、そんなことをやったって絶対に汚職はなくならいない訳です。より巧妙になるだけなんですね。政治家に倫理を求めたって、そんなのはごまかし方が上手くなるだけであって、意味がないことなんですね。だから、いくら説教をしたって、取り締まりをしたって、実はあまり効果はない訳です。これは今までに証明されています。一番効果があるのは政権交代なんです。自分らが野党になってしまうと言うことになれば、それは必ず発覚します。その緊張感がセーブする訳ですね。それしかないのです。だから、そう言う意味で「政権交代のある民主主義」をと、その当時、私なんかも言っていた訳ですけれども、イタリアや日本の政権交代が機能しない民主主義、これが戦後民主主義なんですね。それを政権交代のある民主主義に変えることは、実は汚職問題にとっても一番有効な対策なんです。そのためには実は比例代表制よりも、小選挙区制のほうが有効ではないかと言うのが、結果的に小選挙区制に両国ともに結論を出した大きな理由だった訳ですね。その小選挙区制と言うのは要するに、51対49で一議席とゼロ議席と言う天と地の違いをつけるんですが、これは何のためにこう言うことをやるのか。つまり、どの政党に政権を与えるかを非常に重視する訳です。つまり、政権選択と言う民意を非常に重視する訳です。で、その代わりに、負けたところは惨敗します。まあ犠牲、一種の弊害になる訳ですけれど、その代わりに何を重視するかと言うと、第一党になったら必ず過半数の議席が得られる訳です。と言うことは、その選挙後に交渉する必要がないのです。第一党になったと言うことが開票の日にわかれば、その段階で必ず安定多数をその政党は持つ訳です。もう政権が決まってしまう訳です。

 もっと言うと、有権者の側からすると、小選挙区で一議席しかない、そこで自分がAと言う候補者に投票するのか、Bと言う候補者に投票するのかは、これは政権を選ぶという意味を持つ。何とか言う候補者と何とか言う候補者がいて、選挙区が小さくなったので人柄で選びましょうみたいな解説がありましたが、人柄なんてどうでもいいんですね。何を選ぶかと言うと、その背後にある政党を選ぶんです。つまり、要するに小泉さんに政権を渡したければ、小泉さんが送り込んだ刺客に投票すればいいんです。郵政改革賛成だったら、そこに投票する。それがイヤだと思ったら、違うひとに投票する。これは、人に投票すると言う形を取って、要するにどう言う政権を自分は作りたいか、政権選択を表明する訳です。これが、実は小選挙区制の意味なんです。人柄で選ぶって言ったって、人柄のいいひとが国会に全員そろったところで、あとは何をしてくれるのか、それは友達を選ぶのではないので、人柄なんてどうでもいいんです。要するに政権を選ぶ訳ですね。

 そうすると、選挙の時に我々として一番欲しい情報は、この政党が政権を取ったら4年間何をするのか、中身が知りたいですね。で、マニフェスト(政権公約)と言うのが2003年から入り始めて、まあだいぶ定着してきました。地方の首長選挙でも正式に配れるように去年なりました。今までの公約と違うのは、これまでは例えば高齢者福祉を鋭意がんばりますというようなことを言ってですね、がんばりましたと言えば、それでいいというような話だったんですが、そうではなくて、例えば生活に不安を持っている高齢者が今3割いるとします。この3割を2割まで減らします。という形でなるべく数値目標と期限を付けて具体的な公約を立てるというのがマニフェストなんですね。そうすると4年間で3割を2割に減らすという目標を掲げて、まあ2割5分まで行ってもこれは半分しかやってないと言うことですね。いくら頑張ったと言っても半分しかやっていないと言うことです。しかし、まあ2割1分位まで減ったらですね、これはほぼ達成しただろうと許されるかも知れない。だから、同じ頑張ったではなくてですね、やはり達成したのか、達成しなかったのか、あとできちっと評価できるような形で出せと言う訳です。そういうものを一通りそれぞれの政党が政権選択のためのマニフェストとして掲げていて、首相候補というのも明示されていて、でどっちに4年間、政権をやらせたいか、自分の小選挙区の一議席をどっちに与えるかということで投票する訳ですね。それで多数を取ったところが、必ず国会の過半数の議席を得る訳です。で過半数の議席を得ていると言うことは、提案したら必ず可決されると言うことです。ですから、4年後に実施されていなかったら、それはさぼったということなんですね。必ず安定議席を持っている訳ですから、掲げたマニフェストを100%実現できるはずなんですね、そういう権力を与えた訳ですから。だから、その責任も100%4年後に問われると言うことで、4年後の選挙の時に、与党は前の選挙の時に出したマニフェストをちゃんと実施したのかをまず問われる。その上で、次の4年間についてどういうマニフェストを掲げるか、こう言う選挙になる訳です。これが小選挙区制型の選挙、まあ政権選択型の選挙ということになる訳ですね。でこういうのをイタリアと日本で、実は非常に重視しようというのが93,4年の政治改革であった訳です。


 ちょっと選挙制度の話が長くなりましたので、そろそろ具体的な話に行きたいと思うのですが、その前にひとつだけ、実は2006年のイタリアの前回の選挙の直前に、新聞なんかによりますとイタリアは2005年にもう一度比例代表制に戻したという報道がされたんですね。これは嘘です。比例代表制に戻したというのは一見正しいのですけれど、真っ赤な嘘なんですね。どういう風に2005年に変えたかと言うと、下院で行きますと、確かに比例代表制で投票すると言う風に変わったことは変わったんです。ですから、各政党が名簿を出すんですけれども、何が違うかと言うと、第一党になった政党には630分の340議席、大体54%ですね、そういう安定議席をまず与えると言うのがあるんです。つまり、比例配分しないんです。比例代表制的に政党に投票するんですが、議席配分にあたって最も重要な原則は、相対第一党に54%位の議席を、まず安定過半数の議席を割り当てる、残りの議席を残った政党で比例配分すると言うことなんですね。だから、これは要するに相対第一党に安定過半数の議席を与えると言う意味で、実は原理は小選挙区制と同じなんです。正に政権選択なんですね。2006年総選挙、実はこれも私は向こうで見ていたんですけれども、最終的な集計、全国一区で集計して、それで一票でも多い方に340議席が行くわけですね。で、この時は明け方まで票が分からなくて、結局2万4千数百票の差で中道左派が勝ったんです。4千数百万の票の中の2万4千いくらの差で、それで政権を取るか、野党になるかが分かれたんですね。まあ、そう言う結果になった、つまり、実は非常に小選挙区制的な選挙だったのです。負けたベルルスコーニは当然納得しないんで、そんな2万4千票差で負けたとか言われて5年間、野党なんていうのはとても耐えられないんで、数え直せと一週間くらい暴れていましたけれど。まあ、数え直したらどうだったか分かりませんけれど、しかし自分の政権の自分の内務大臣の下でやった選挙ですから、流石にあきらめましたが。しかし、つまり一票でも多い方に多数を与える原理だと言う意味で、実は小選挙区制型の選挙制度は続いていると言うことなんですね。

 ところが、実はこの時に、ねじれ問題の源となる問題が入ってしまったんです。どういうことかと言うと、上院も下院も両方とも、各政党に投票して、全国集計で相対第一党となったところにもう過半数の議席を与えてしまうことにしようと思ったんですが、実はどうも憲法に上院については州を基礎にして選挙をやらなければいけないという規定があって、全国集計はやってはいけない、それでは憲法違反になってしまうと途中で気が付いたんですね。それで急遽どうしたかと言うと、しょうがないので上院だけは、州毎に集計して、州毎に一票でも多い方に55%を与えるという風に、分割した選挙制度になった訳です。そうすると、これは非常に結果が予想しづらくなるんですね。つまり、前回の2006年は、下院は2万4千何百票差で中道左派が辛うじて勝ちました。こちらは議席が過半数行きました。しかし、上院は州毎なんですね。実は、全国集計してみたら、中道右派の方が票がちょっと多いんですよ。なんだけれども、州毎に多い方に55%という風に配分して行ったら、議席は2議席、中道左派の方が多い。全国集計の票は少ないのに、州毎に集計してみたら、数字のマジックで、議席は中道左派の方が2議席多いと言う結果になった。全国的に票がどうでも、州毎にいちいち集計してみないと本当の議席は分からないと言う、非常に予測のつかない選挙制度になってしまったんですね。そう言う意味で、単純に勝てば、票さえ多ければ、上院でも過半数を取れる訳ではないんですね。こうなると、小さい州で非常な大差で勝っても議席にさっぱり差がつかないので、結局、上院の場合、どちらが過半数を取るかというのは事前にはほとんど予測不可能なのです。憲法の規定のために上院と下院の選挙制度がずれてしまい、このために前回は辛うじて2議席で中道左派が上院も取りましたけれども、今回はわからないと言うことで、しかも、これも当日計算してみないとわからない、そう言うねじれ問題と言うのが同時に入ってきてしまったんです。

 それで、ちょっとはしょって4のところに行きます。4のところは、イタリアで93年に小選挙区制が75%の新しい制度が入って以降、94年、96年、2001年、2006年、そして今年2008年、5回選挙をやった訳ですね。イタリアの場合は、実はほぼ5回とも政権交代が起きたと言う非常にわかりやすい結果だった。その時の中道左派と中道右派の得票率をこういう風にちょっと集計してみました。先ほどの1ページ目の下の図はもうちょっと複雑にですね、各陣営にどういう政党が加わったかというものの一覧表の相関図みたいになっていますけれど、結局、イタリアの場合、政党というのが何と言いますか、影響力が強いんですね。日本の場合やっぱり、行政、官僚の役割が非常に大きい訳で、勿論、最近は多少政治家の発言力が大きくなってきましたが、戦後政治の中においてはですね、基本的には役人が原案を作って、国会でそれがそのまま承認されると。一時、大蔵省が作った予算案が国会で修正されて大騒ぎになったことがありましたけれども、本来は大騒ぎするほうがおかしい訳ですよね。役人が原案を作るのは、それはまあいい訳ですけれども、国権の最高機関である議会が修正して何が悪いのかという話ですよね。これはしかし、大蔵省が作った予算を国会ごときが修正するなんてあってはならないと言うことだったんですよね。で大騒ぎになった。と言うくらい建前上は、議会が国権の最高機関で国民主権だと言うことになっていますけれども、基本的には各省が原案を作ってですね、それがそのまま閣議決定されて、国会でそのまま可決されると言うことだったんですね。

 ところがイタリアは、政党が全権を持つんですね。ですから、逆に言うと行政というのは政治に非常に従属していて、特に比例代表制の下で、各党が各省庁にそれぞれ取り分を持っていて、例えばそこの職員に就職させるとかいうようなこともあります。それから、皆さんご承知の国営テレビのRAIですね、RAIも三つあって、RAI-1はキリスト教民主党の支配下にあり、RAI-2は社会党の支配下にあり、RAI-3は共産党の支配下にあるということだったんですね。で、予算を一番持っているのはRAI-1なんですけれど、まあ共産党にもそれなりにちゃんと配分されている。そういう形で、行政が植民地化されたという言い方もあるんですが、そういう意味で非常に政治主導と言えば政治主導なんですが、非常に矮小な利益誘導で政治主導、政党主導で、逆に言うと行政の自立性と言うか、中立性と言うのが非常に弱い。日本の場合、行政の自立性と言うか、中立性と言えばいいようですが、国民主権も関係ない、空洞化するくらいの行政主導。そこは対照的な国なんですけれでも、そう言う意味では、そのプラス、マイナスが、小選挙区制に転換したあとの政党の動きに実は如実に表れたんですね。と言うのは、イタリアの政党はそこで選挙制度の変化に機敏に対応した訳です。つまり、小選挙区制ですから、兎に角、第一党にならなくては議席ゼロなんですね。第一党になることが非常に大事です。ところが、今まで完全比例代表制ですから10いくつ政党がある訳です。そうしたら誰でも考えるのは、他の党と組んだ方が第一党になりやすい。小学生でもわかる話ですね。大きく右と左で中軸になるような政党、右ではベルルスコーニのフォルツァ・イタリア、左では旧共産党、これは1991年に左翼民主党と名前を変えていますが、この二つが中心になってそれぞれ同盟相手を集める訳ですね。とにかく第一党になれば一議席、一票でも負ければゼロ議席ですから、1パーセントの小政党でも実はすごく価値がある訳です。その1パーセントが向こうに行くのか、こちらに来るのかで2パーセント違う訳ですから。そう言う意味では、実は小選挙区制では単独で戦えば小さい政党は議席を得られませんが、政党連合に入ると言うことを考えると非常に交渉力は強くなる訳です。ですから、93年に新しい選挙制度が入った翌年に一回目の小選挙区制での総選挙がイタリアではありましたけれども、この時には三極になりました。基本的には右と左の二大勢力なんですが、中道派、旧キリスト教民主党の一部が負けを承知で第三極を作って戦いましたが、事実上の右と左の一騎打ちだった訳です。ですから、ほとんどの選挙区で候補者3人です。で、有力な右と左の候補者のどちらが当選するか、そう言う選挙になった訳ですね。それぞれが10いくつとか20いくつとかの政党をかき集めて、その代わりに各選挙区は候補者を統一すると言う訳です。政党は一杯ありますが、候補者は統一する、そう言う戦い方をした訳ですね。94年は、実は中道左派が事前には非常に強かったんです。特にキリスト教民主党、社会党などの旧与党がもう汚職でがたがたになっていましたので、旧共産党が一番汚職への関与が少なくて、左翼民主党と名前を変えたこともあって、左が一番強かったんですけれど、それに非常に危機感を感じて、ベルルスコーニが94年の3月の総選挙の直前の1月に、フォルツァ・イタリアと言う新党を突然立ち上げて、2か月位の間に第1党になる訳ですね、で勝った。そう言う選挙ですね。キリスト教民主党的でない新しい政党が、右からではありますけれど、政権を取ったと言う意味では、実質的な政権交代に近い選挙になりました。その時は、フォルツァ・イタリアと、ネオファシズム政党だったイタリア社会運動が、これも共産党と同じように名前を変えて穏健化して国民同盟になって、ベルルスコーニと組みました。それから北部では、北部同盟と言う分離主義の、北部だけ、特にロンバルディア州を独立させれば、実はヨーロッパで一人当たりGDPが一番高くなると言う位豊かなところなんですが、そこだけ分離してですね、現状では北部から取られた税金がみんなローマを通じて南部に流れ込んで、マフィアの資金源になっている、だから各州で財政的に独立採算でやるべきだ、そう言う分離主義を唱えてきた訳ですけれども、とにかく現状批判としては非常に支持を集めたのですね。この三党が組んで左派の優位をひっくり返したのが94年の総選挙だった訳です。


 96年は、実は2年間しか経っていないので繰り上げ総選挙なんですね。これは、今もちょうど揉めているようですけれど、北部同盟が連邦主義を入れろと言ってる訳です。ところが、国民同盟は南部に基盤を持っていて、政府、国の補助金なんかで食っている訳ですから、連邦主義なんかやられたらどうにもならない訳で、与党の中に連邦主義と絶対反対の両方が入っているんですね。その下では、とても連邦主義は出来ないと言うので、北部同盟のボッシと言う党首が造反を起こして、政権を離脱したのです。それで、結局、ベルルスコーニが勝ったのに8か月で政権を失ってしまった。この時に、左翼民主党は、当時ダレーマと言う党首が、北部同盟のボッシと今でも実はホットラインがあるようですけれど、ベルルスコーニなんかとやってても連邦制は出来ないから、中道左派はちゃんと連邦制をやるから出てこいと言って工作をした訳です。それで政権から離脱をさせて繰り上げ総選挙へと持って行ったと言うことなんですね。で、96年はどういう構図になったかと言うと、北部同盟は、本当は中道左派は組もうとしたんですが、結局そこまでは流石に行かなくて、その代わりに右とは組まない、北部同盟は単独でやる。そうすると右の三派連合は崩れて、二つだけになってしまったんですね。かなり弱くなってしまった。で、左の方は、今度は、最大限の政党連合を作って、特にプローディさんと言う、もともとはキリスト教民主党系の中道左派の経済学者だった人ですけれども、それを首相候補にして、最大限、連合の幅を拡げた。共産主義再建党と言う、共産党から左翼民主党になる時に原理派で残った政党とも、これは組めないんですが、「休戦協定」を結んだ。要するに、我々はある意味で敵同士だと、共産主義を守った側と捨てた側ですから我々は敵同士である、しかし、ベルルスコーニの方がより大きな敵だ、だからベルルスコーニに勝つためには一時休戦をすると言うので、「オリーブの木」中道左派連合と共産主義再建党の間で休戦協定を結んだのです。休戦協定とは言うものの、実は政党連合なんですね。つまり20~30の選挙区については、共産主義再建党の候補者だけを立てて、そこにオリーブの木からは候補者を立てない。その代わりに、残りの全部の選挙区では、共産主義再建党は候補者を立てない。で結局、完全に候補者を統一する、そう言うことをやったのです。その結果、45.4%対40.3%と言うことで、今度は中道左派政権、オリーブの木政権が誕生した訳です。この時に、ここで1ページの一番下の表を見ていただくと、96年のところに書きましたように、中道左派は45.4%で勝ったんですが、実は共産主義再建党はその中の8.6%だったんですね。と言うことは、共産主義再建党と休戦協定を結んでいなければ負けていたと言うことです。もう一つ、北部同盟は9.9%を取った。この9.9%が中道右派に入っていたら、それでもやっぱり負けていた。つまり、共産主義再建党と休戦協定を結び、なおかつ北部同盟を右の連合から外す、その両方があって初めて、際どく勝ったと言うのが96年の中道左派だった訳です。

 2001年は逆になりました。これは大体、法則的なんですけれど、要するに与党になると次の選挙では緩むんですね。色々な理由があると思うんですが、ただ緩むと言うだけではなくて、政権を一緒にやると違いが際立ってくる訳です。実際に政策を実現する段になると、意見の違いと言うのは、そう簡単には妥協できない。ですから、政権をやっている内に段々、内部対立が激しくなってくるんですね。で、次の選挙ではなかなか連合が組めずに、いくつか落ちたりする。しかし野党の方はですね、5年間ずっと野党な訳ですから、次はどうしても勝ちたい、多少、妥協してでも良いから最大限、連合を増やす。大体、そう言うことの繰り返しで、2001年は、今度はもう一回、中道右派には北部同盟が加わります。それで三派連合がちゃんと出来ます。中道左派の方は、再建党が今度は連合に加わらない。そう言うことで、非常に際どい差で、1.7%差ですね、今度は中道右派がまた政権を取り返しました。

 次に2006年、先ほどのようなちょっと選挙制度の変化はありましたけれど、一票でも勝てば過半数ですから、下院で見ると、中道左派は13党、中道右派は12党の連合を作って、それで一騎打ちをやって、全国集計で2万4千いくらと言う差、得票率にすると0.0何%と言うことになる訳ですけれども、この時は総力戦、右も左も両方とも最大限に連合を拡げて戦ったら、2万4千票しか違わなかったと言うことですから、実はこの10年位ずっと見て、結局その勢力関係は変わった訳ではないんですね。勢力関係はほとんど互角のまま来ているんです。ただ、要するに連合相手を狭くしたか広くしたかと言う、政党連合の作り方でもって勝敗が毎回、変わる。そう言う選挙がイタリアでは続いてきていると言うことです。


 これがイタリアだとすると、日本がレジュメの2ページ目の上にありますが、日本も同じように小選挙区制で基本的に勝敗が決まる訳ですね。ですから、これを見ていただくと、96年、2000年、2003年、2005年と言うことで、日本も4回、小選挙区制の選挙をやりました。それで日本の場合、4回とも自民党が勝ったんですね。非常に対照的な結果です。ところが、実は日本もと言うか、日本ですら、もし政党連合をちゃんと作っていれば、ほぼ毎回、野党が勝っているんですね。96年の1回目の小選挙区制の時に、自民党が38.6%で第一党になって勝ちました。野党第一党は新進党で28.0%、その時に実はもうひとつ、管さんと鳩山さんで新党、民主党と言うのを直前に作った訳ですね。そこが10.6%。新進党も民主党も共に、自民党では行政改革はできない、我々こそ行政改革をやれるんだと、同じようなことを言ってた訳です。もしこの時、新進党と民主党が組んでいれば、今は小沢さんと管さんは組んでいる訳ですが、与野党どちらも38.6%なんで、互角の勝負になった訳です。例えば、東京都のその時の数字を紹介しますと、比例区の部分の三党の得票を見ると、自民党と新進党と民主党は三党ともほぼ同じ得票率だったんです。ですから、比例の議席は3分の1ずつ取ったんです。ところが、小選挙区の議席は3分の2が自民党に行ったんです。何故かと言うと、三党は小選挙区の得票ではほぼ並んでいる訳ですが、与党の自民党がちょっとだけ上なんですね。で、第一党だけが議席を取りますから、3分の2の議席が自民党に行ったんです。本当は得票率は3分の1ずつなんですね。でも3分の2の議席が自民党に行ったのは何故かと言うと、同じ野党で自民党批判をしている新進党と民主党がそれぞれ候補者を立てるからです。これは一週間前にわかってたことなんですね。大体一週間前に世論調査をやりますけれど、自民党圧勝と言う各紙の予測が出ました。票を見てみると、与野党の票は接近している訳です。何故、議席だけ自民党圧勝なのか。それは民主党と新進党が共倒れしているからです。と言うのが一週間前にはっきりしている訳です。そしたら、イタリアだったら、その瞬間、新進党と民主党は手を組みますね。つまり2位と3位を争っても意味ない訳ですよ。1位と2位を争わなくては意味ないんです。そしたら、新進党と民主党がお互いに2位と3位で、その3位になっている側が2位になっている側に票を流すと言うことをすれば、一発でひっくり返りますね。東京都ではダブルスコアになります。そう言う意味では、一週間で十分、ひっくり返る訳ですよね、勝とうと言う意志さえあれば。しかし、その一週間、日本の政党は何もしない。自分たちの方が2対1で勝っているのに、議席は共倒れで負ける。その状態がわかりながら、一週間、何もしない。管さんと小沢さんが一緒に記者会見するだけで、恐らく変わったと思います。共に自民党を批判しているけれど、このままでは共倒れになってしまうと。有権者に対してですね、新進党と民主党の候補者が二人立っている中で、弱い方だと思うところはもう片方に票を流してくれと、これが自民党に勝つ方法だということを二人が言うだけで、恐らく日本の有権者は自主的にそう言うことをやりますよ。それだけで勝てたはずですよね。でもそう言うことをやらない。単独でも勝てるかも知れないとか言う希望的観測で最後まで行って、共倒れで負ける。これを毎回繰り返しているんですね。

 2000年の総選挙の時はですね、今度は自民党が政党連合に先に踏み切った訳です。これは、例の森さんの首相の時で、神の国だとか何か色々なことを言った人ですよね。それで支持率が一桁位になってしまって、選挙運動には頼むからこないでくれと言われた位の首相だった訳ですね。絶対、勝てない。それで、自民党はどうしたかと言うと公明党と連合を組んだ訳です。公明党と自民党は、すべての選挙区で候補者を統一した訳です。その時に、自民党は現職の議員がいる小選挙区では、公明党がどうしても立てたいと言う場合には、公明党の候補者を優先して、小選挙区の自民党現職の国会議員は比例にまわして、そこの選挙区を公明党に渡した。その代わり他の選挙区では、公明党が自民党に票を入れるんですね。そこまでやって、それで公明党はですね、2000年を見ていただくと比例は13%の票があるんですね。その13%の中の11%を自民党に流した訳です。で、自民党は41%の得票率を得た。この時ですら、新進党はもう自由党になっていましたけれども、自由党と民主党と社民党と共産党、弱い野党が4人、候補者を立てる訳です。強い与党は、自民党が公明党と組んで戦う訳です。これで野党が勝てる訳がないですね。ここのところを見ていただくと実は、自由党と民主党を足しただけでも、38.6%ですから、もう自民党・公明党と2%位の差になる訳ですね。それ以外に、社民党と共産党の票が20%ある。もうこれは野党圧勝ですよね、ちょっと連携すれば。でも自民党が勝った。

 2003年、この時は当然、公明党と自民党は組んでいる訳ですけれども、自由党と民主党が合併をします。それで、36.7%まで行きましたけれども、それでもやっぱり7%位負けている。しかし、その時も社民党と共産党の票を合わせて12.9%ある。この12.9%と言う票は、要するに議席ゼロなんですね。つまり社民党や共産党は比例区では議席が得られますから、その比例区で社民党や共産党に投票したいと言う人は当然、投票する訳です。では、その人たちが、小選挙区で絶対に当選しない社民党や共産党の候補者に投票する意味があるのかと言うことですね。でも、そう言う候補者が立てば、しょうがないから入れますよね、自分の党の候補者だから。けれども、絶対当選しない訳ですから、そこでもし社民党や共産党が候補者を立てなかったとしても、彼らの議席には何の影響もないのです。比例でしか議席が得られない訳ですから。もし、小選挙区に社民党や共産党が候補者を立てなければ、ただそれだけのことで何が起こるかと言うと、共産党に投票に行った人は比例で共産党に投票する、小選挙区には共産党の候補者がいない、でも自民党には絶対投票しませんよね。恐らく民主党に投票するでしょう。もし候補者を立てていなければそうなる、恐らく民主党が勝つと思うんですが、その共産党がわざわざ立てれば、民主党に行くはずの票をブロックする訳です。これは、自民党の応援をしているようなものです。ブロックしなければ民主党に行くはずの票を、自分にとっては何のメリットもないのにブロックするために、自らの候補者を立てる。そのおかげで、自民党は勝てる。僕は毎回、共産党にとっては民主党政権より自民党政権の方がいいんですねとわざと言っている。そう言う行動を取っているんです。いやどっちも駄目なんだと言うんですけれども、行動は民主党政権ではなく自民党政権を作りたいと言う行動を取っているんです。中立はあり得ないんですね。こう言う小学生でもやらないようなことをやる訳ですね、日本の野党は。で、候補者を立てるのは権利だとか馬鹿なことを言ってる訳で、権利は権利でしょうけれども、政治的にはほとんど意味がないですね。むしろ小選挙区制の良さをスポイルするような行動を、つまり比例代表制的な行動をどうしても取ってしまうんですね。そう言う意味で、2003年も野党の方が得票率は大きいのに負けている。

 2005年、小泉さんが大勝した郵政選挙ですら、これを見ていただくとわかるように、野党が統一すれば勝っているんですね。確かに小泉効果で、43.8%から47.8%に2003年から4%位上がりました。けれども別に50%行っている訳でも何でもなくて、公明党まで入れて最大限に集めて47.8%なのです。と言うことは、残りが組んでいれば50%を超える訳ですね。あの時ですら、野党の方が勝っているんです。実は弱いから負けているのではなくて、連合を組まないから負けていると言うことです。これは、先ほどのイタリアの1%の政党ですら最後まで奪い合って、とにかく引っ張り込んで、それで2万4千票差でも勝つと言う、この行動パターンと比較した時に、どうしてここまで行動パターンが違うのかと言うのは、これは文化としか言いようがないくらいの違いですね。これはやっぱり日本の政党、特に野党の問題ですね。与党はやっぱり自民党の政権への執念と言うのは強いですから、公明党を引っ張り込んでと言うことをやった訳ですね。ですから、私がずっと政権連合を組むべきだと言うのは一応、民主党向けに言ってたつもりなんですけれども、自民党の方が先にそれを採用してしまって、民主党はいまだにやらない訳です。まあ困ったものなんですが、要するに野党は毎回政権を取れるチャンスがあると言う感覚がないんですね。何かホップ・ステップ・ジャンプとか言って、段々に大きくなろうと思っている、比例代表制的な感覚なんです。小選挙制の場合は、一発で取れるんですよ、毎回。だから、毎回、勝負しなくちゃいけないんです。それを、ちょっと伸びたから善戦したとか、阿呆なことを言ってる訳ですね。過半数を取れなかったら負けたと言うことです。それを善戦したとか訳のわからないことを言ってるんです。そういうことで、日本の政党の自己改革がないために、小選挙区制の良さが出ないまま4回きていると言うことなんですね。そうは言っても、流石に参議院では2007年に与野党逆転と言うことになった。公明党を入れてすらそうなってしまったんですね。あと衆議院選挙ではどうなるかと言うことですが、実は共産党が、私の忠告を受けた訳では全然なくて、流石に金がなくなってきたので、全小選挙区で候補者を立てるのを止めにしました、3分の1位に絞りますと言うことを発表した訳ですね。でも、これは格好悪いですよね。せめて、何と言うか、この政策を呑むならと民主党に対して条件を付けて、あえて我々としては自民党を負かすために候補者を抑えたと言った方が、政党として格好いいはずなんです。それを金がないから絞りますと言うような阿呆なことをやった。それですら、共産党が3分の1位に候補者を絞ると言うことが発表された翌日、朝日新聞でそれをもとに計算し直してみたら、それだけで数十議席ひっくり返るわけです。こう言う決定ですらそれだけの影響力を持つと言うことですね。つまり、共産党が5%の票を持っていることの意味は、本当は大きいのです。何故、政党として、交渉力として使わないかと言うことですね。ただ金がないから、たまたま候補者を絞ったらそう言うことが起きちゃったと言うのでは、全然ゲームに参加していないような行動パターンですね。それでもしかし、小選挙区制の場合、そう言う風に少しの政党の行動の変化が結果を大きく左右し得ると言うことです。逆に言うと、政党はそういう効果を意識して動くべきなんですね。そういう戦略的な動きを日本の政党は全く出来ない。新しい制度に適応できないと言うのは、1回や2回はしょうがないと思っていたんですが、もう4回もやって、まだゲームのルールがわかっていないと言うのはちょっと信じられないですね。一方、イタリアは一回目から熾烈な争いをやっている訳ですから、とても同じ制度とは思えない。そう言う意味では、非常に対照的な展開がその後、あったと言うことなんです。


 少し皆さんからもご質問等も受けたいと思いますので、最後に2008年の総選挙のことだけざっとお話をして、まとめたいと思います。2006年は2万4千票差と言う際どい選挙だった訳ですが、これは、両方とも最大限、連合相手を増やして、それでほぼ拮抗した勢力だったと言うことなんです。それが、今度また、繰り上げ総選挙になってしまったんですね。実は、イタリアの場合、小選挙区制になってから明らかに政権の持続期間が長くなってるんですね。まあ一番、典型的には、1996年に出来た中道左派のプローディ政権、オリーブの木の政権は、ともかくも5年間の任期一杯続きました。間にちょっと、首相を内部で代えたりと言うことはありましたけれど、基本的にその多数派は5年間、続きました。その後、2001年に、今度はベルルスコーニが復活をします。このベルルスコーニ政権も5年間、続きました。そう意味では、イタリアはそれまでほとんど1年毎に政権が変わっていたことから言うと、ベルルスコーニ政権が5年間、続いたなんて言うのは、明らかに大きな変化である訳ですね。右も左もそれぞれ、かなり長期にわたって政権を担うと言うことで、その意味で二大勢力の構図が成熟してきたと言える訳です。ただ、その連合相手が10いくつで非常に多いと言う問題が一つあります。実は、今言ったように、選挙で勝つためには兎に角そうやって連合相手を増やすと言うことは、戦略的に非常に有効だった訳で、日本に比べてはるかにまともな動きなんですけれども、しかしやはりその問題点もあって、政権を実際に担い始めると内部対立が非常に障害になるんですね。確かに、マニフェストを作る時に、その連合に入るにあたって、そのマニフェストに同意して、首相候補にも同意して、そう言う協定を結んで選挙をやる訳ですから、以前と比べれば、選挙後に連立を作るのに比べれば、選挙前に作って、その上で有権者は選ぶと言うことですから、比例代表制の時よりは良いんです。が、選挙前に協定を結んだとしても、選挙を経て勝った後も、やっぱり考え方が違いますから、内部対立は起こるんですね。1996年に出来た中道左派政権、プローディさんの政権も、2年間でプローディさん自身は首相を辞めてしまいます。その後、何年かEU委員長をやって、2006年にまた戻ってきて、もう一回勝つんですけれども。2年で何故辞めたかと言うと、その当時、EUの通貨統合にイタリアが第一陣で参加出来るかどうか、そのためには財政赤字をかなり減らさなければならないと言うことで、その条件をクリアーするのはほぼ絶望的と言われていた訳です。それをプローディさんはかなり強引にやって、何とか第一陣でユーロ統一に間に合った。これはかなり大きな成果だった訳ですけれど、その代わりに色々な支出を削らざるを得ないと言うことになる訳ですね。増税にもなる。それに対して、例えば共産主義再建党からすると、それは本当は認められない、しかし最初の2年間は仕方がないと言うことで、忍耐していたのですが、それで2年間経って何とかユーロ加入がOKになったと思った瞬間、もう耐えられない、翌年の予算を編成する過程で、福祉のカットとか増税とか言うのは認められないと言うので内閣不信任案賛成になってしまう訳ですね。それで、その時は一応、多少の組み換えで、政権自体は中道左派の政権が続きましたけれども、何かと言えばそうやって与党内での対立で政策が進まないと言うことがずっとつきまとった訳です。

 それが2006年においてはより顕著になってしまって、実は2006年はある言う意味ではそうした政党連合の極致でしたから、勝った中道左派の方も結局、共産主義再建党ももう休戦協定とも言わずに完全に中道左派連合の中に入ったんですね。それでヴェルティノッティと言う共産主義再建党の党首は、選挙後に下院議長になりました。ちょうどその時、大統領の改選にあたっていた訳ですけれども、その時に選ばれた大統領はナポリターノと言う旧共産党の指導者です。旧共産党の指導者が大統領で、下院議長で、それにダレーマさんと言う、これはプローディの後で首相もやっていた人ですが、その人が外務大臣兼副首相に入っていると言う状況だった訳ですね、2006年の総選挙の後と言うのは。そう言う意味では、共産党が完全に普通の政党になって行ったと言うことの表われでもある訳です。しかし、党首を下院議長にして、それで何とかなるかと思ったんですが、それでも共産主義再建党は、政策的にはやはり具体的なところになると納得出来ないということが一杯あるんですね。結局、去年、プローディさん達のカトリック中道左派と左翼民主党が合体して、民主党と言う大きな政党を作ったのです。その初代党首でもある、ローマ市長をやっていたヴェルトローニと言う政治家がいるんですが、彼が選挙後のインタビューですけれども、この2年間と言うのはほとんど毎日のように左派から脅しにあっていたようなものだという言い方をしたんですね。つまり、それを通すんだったら政権を離脱するぞと言うような脅しを、ほとんど毎日のように受けながらの政権運営だったと言う訳なんですね。結局、最後の引き金は、ヨーロッパ中道連盟とか言う小さな政党が最後、プローディさんの信任投票に反対して、それで多数を得られずにプローディさんが辞めてしまって、繰り上げ総選挙になった訳です。きっかけはそれなんですが、その政党が主な問題ではなくて、やっぱり一番左の政党との政治的な対立がずっと足かせになって、しかも特に上院では二議席差ですから、政権運営がやっぱりできないと言うことで、それで繰り上げ総選挙になったんです。まあ、そう言うこともあるので、今日のタイトルにもあった二大政党連合から二大政党への動きに踏み切る訳です。選挙に勝つ上では、政党連合と言うのは非常に有効で、左右それぞれ2回ずつ選挙に勝って、政権交代のある民主主義にすると言う当初の目的は達成された訳ですね。日本は達成していないのですが、イタリアは達成したのです。

 今、イタリアの政治と言うのは次の課題に行くべき時期です。つまり、政権交代も重要ですが、政権交代をして出来た政権が掲げたマニフェストをちゃんと実現できる安定政権である必要がある。その点では、政党連合と言うのは非常に不安定な基盤です。そこで、そこを強化する方法はないかと言うことで、今回敢えて、左翼民主党とマルゲリータと言うプローディさん達の中道左派カトリック勢力が合体して、民主党と言う政党を作った訳ですね。基本的に、その民主党単独で選挙を戦うと言う宣言をかなり早い段階でヴェルトローニがしたんですね。これは、選挙上は非常に不利ですよね。それぞれぎりぎり1%でも取り合って勝敗を争ってきた中で、我々としてはもう連合はしない、確かに民主党は一番大きい政党として合体しましたが他にもある訳で、そことは組まない、特に左派とは組まないと言うのですね。共産主義再建党以下、ずっと一番政策的に対立してきた左派とは組まない、そう言うことを明確にした訳です。実は右も左とおなじようなことを考えていた訳ですね。右も北部同盟が入ったり、出たりと言うようなことで翻弄されてきたので、ベルルスコーニも統一保守党を作りたいと言う意図はもともとある訳です。それを左の方から言いだして、我々としては民主党単独で戦うと言ったことによって、それならと言うことになって右も、国民同盟とフォルツァ・イタリアとで「自由の人々」、Popolo della Liberta’と言う単一名簿を今回作った訳です。そこと北部同盟とで連合を組んだのですが、一応フォルツァ・イタリアと国民同盟との間で単一名簿を作ると言うところまで、右も統一政党の方に歩み出したのです。しかし、流石に北部同盟と同じ政党になるのはあまりにちょっと異質なものですから、右の方はまだ単一政党にまではちょっとなかなかならないと思いますけれど、左の方はそう言うことでほぼ単一政党で不利を承知で戦う、これはやっぱり一種の賭けです。国民も政権が不安定だと言うことは意識している訳で、安定政権を作るために敢えて連合を組まないと言う選択に、ひょっとしたら爆発的な支持が来るかも知れないと言う狙いで、これは一種の賭けなんですね。負けたとしても、勝つだけ勝ってまた不安定な政権になるよりは、負けるとしても敢えて、安定政権が出来るような条件で選挙を戦った方が良いと言う選択をヴェルトローニがしたと言うことなんです。まあ実際は負けてしまったんですが。そう意味では連合を組んだ方が勝ったことは勝ったと言うことはありますが、しかしそれによって、右の方も恐らく近々、正式な統一政党にフォルツァ・イタリアと国民同盟が多分なると思われますし、そこと北部同盟が組むと言うところまでは単純化すると言うことが、大体動きとしては見えてくる訳です。そう言う意味では、二大政党連合と言う時代から、左右ともに単一の政党を作って、それで小選挙区制を戦うと言う方向への転換点に、後から見てですね、2008年の選挙はなる可能性があると言うことだろうと思うんですね。そう言う意味で、イタリア政治は10年位経って、次の段階に行き始める兆しが今回は出たのかなと思います。

 日本の場合、依然として、当初の政権交代と言うことすら出来ていなくて、ようやく今その直前まできていると言うことですね。逆に言うと、その代わりと言えば何ですが、一応その政党連合の代わりに、自由党と民主党が合併してしまうと言う形で民主党が出来ていると言うことですね。そう言う意味では、政権交代は出来ないんですが、二大政党の方向ではそれなりに来ているとも言える訳です。これで、一応、政権交代が起こればですね、二大政党化の動きもありつつ、政権交代も起こると言うことになる訳ですけれども、自民党と公明党が組んでいる中で、果たして民主党単独で勝てるのか、今だに予断を許さない。まあ、自民党の支持率、福田政権の支持率がこれだけ落ちていますから、可能性はかなり高いと思いますけれど、そうは言ってもこれまでのように、やはり野党の票を足せば勝っているけれども、それぞれが共倒れで負けてしまう、それを繰り返す可能性だってある訳ですよね。そう言う意味でやはり、少なくとも社民党や共産党との間できちんと一定の連携を組んで、やってみなくてはわからないと言うのではなくて、ちゃんと勝てるだけの構図を作って選挙に臨むと言うように本当はすべきだと思います。でも、先ほど言ったように、共産党の方も金がないからと言う理由でしか、そういうことはしないと言う状況、そうは言っても候補者を絞ることにはなっていると言う非常に中途半端な状況、そう言うのが日本の動き、状況なんですね。まあ、イタリアと比較することで、日本の政治がいま直面している課題と言うのがそれなりに明らかになるのではないかと言うことで、お話をしました。だいぶ端折りましたので、少しご質問等を受けながら、あとは補足をさせていただきたいと思いますので、一旦、私の話はこの辺で終わりとさせていただきます。どうもありがとうございました。



司会 後先生、どうもありがとうございました。今の話をお伺いして、目から鱗が落ちると言うか、私なんか非常にわかりにくかったイタリアの政治の流れ、あるいは小選挙区制と比例代表制、それぞれの民主主義が頭の中できちんと整理された気がします。特に日本との比較も、極めて鮮やかに、両国のそれぞれの特色と言うか問題点が非常に分かりやすく、素晴らしいお話でした。それでは、今の先生のお話にご質問をお受けしたいと思いますので、どなたでもどうぞ。


質問 千葉大学の石田と申します。会員ではなく、情報をいただきましたので、今日、参加させていただきました。今日のお話、色々な論点があったかと思いますけれども、2点ほど。小選挙区制にすると二大政党制になって良いことが起きるんだと言うお話だった思うのですが、いくつか、そう言う中で解決されるであろうとおっしゃった点で、透明性の問題と言うのを多分あげられたんではないかと思うんですね。それは、かつてのいわゆるボス交で決まっているような形態と言うものを、多分そこで打開できる、あるいは比例代表制で一般的に言われる白紙委任で、有権者が選択できないところで政権が形成される、こう言うことがなくなると言う風なお話だったのですが、ただ、これは実際、イタリアや日本のこのいわゆる小選挙区制になってから、必ずしも克服されているとは限らないことも多いような気がするんですね。まさに、とりわけて中道左派政権のイタリアで不満の大きかったのは、やはり内部で色々な形でやりとりがあって、実際に有権者の方でわからないと言う話ではあるし、それから当然、右派の方でも、先ほどご説明になっていた北部同盟をめぐる、あるいはそれ以外の場合においての連合内の対立と言うのが大きい。これは有権者の関係のないところでやはり起きている。その点では必ずしもそこで透明性が増したとは言えないし、マニフェストが出されて、それは政権戦略に合ったんだとおっしゃったが、実際にそれが本当に反映されて連合政権が展開されているようには必ずしも思えない部分も多いような気がいたします。それは日本に関してもつい最近、福田首相と小沢氏の間で大連合構想が突然生じてくると言うようなケースを見てもわかるように、これは必ずしも透明性を担保するようなシステムになっているのかと言うことになると、どうもそうではないような印象を私は受けるんですね。この点について、どのようにお考えかと言うのが第一点です。それから、第二点は、今日、実はお触れにならなかった部分で、小選挙区制型の問題で、恐らく極端に振れる危険性を持つと言うのは、メディアクラシーの問題ではないかと思うんです。パルティートクラツィア(政党支配体制)と言われた、確かに政党間における利益誘導選挙ではなくなったかも知れないけれども、メディアを介して、非常にポピュリスティックな形での投票行動を左右する。これは、当然のことながら、日本でも小泉政権がそうでしたし、あるいはベルルスコーニがしているメディアクラシーと言われるような現象とは、まさに二大政党であるが故に非常にポピュリスティックな形でこうした選挙運動が展開されてしまった。この問題は恐らく、日本やイタリアに限らず、全世界的に現在、やっぱり問題になっていることだと思うんです。で、こうなってくると、無論、比例代表制および二大政党型の小選挙区制のどちらが良いか、一概に言うことが出来ないのは当然でありますけれども、今日のお話の中では、どちらかと言うと小選挙区制と言うのは本当に良いんだと言う話の方に力点が置かれていたように思いますので、この2点に関してどう言う風にお考えでいらっしゃるのかと言うことをお話いただければと思います。


後 ありがとうございました。最初に民主主義のタイプと言うことで、小選挙区制型なのか、比例代表制型なのかと言うことをお話したのですが、結局まあ、一長一短なんですよね。それで、一長一短だとすると、その選択と言うのは、それぞれの国のそれぞれの時代において見た時に、その一長一短はどうなるんだろうかと言うことの判断になってくると思うんですね。つまり、ある国のある時期においては比例代表制のメリットよりも小選挙区制のメリットの方が大きいとか、そう言う判断でどちらを採用するか、多分、そう言うことだと思うんですね。今日、私がそこを単純化してお話したのは、イタリアにおいても日本においても、いわゆる比例代表制型の問題点がずっと蓄積していた93,4年の時点で敢えて選択するとすれば、小選挙区制型の選択の方が良かったのではなかったかと言う趣旨で、絶対的に良い悪いと言うよりはむしろ、その時点での選択としては小選挙区制型を選択したことの方が正解だったのではなかったかと言う趣旨でお話をした訳です。そうすると、当然ながら、小選挙区制型の民主主義のマイナスは承知の上で選択をしたと言うことになりますし、また逆に言うとせめて小選挙区制のプラスはどれほど実現したのかと言うことで、今のご質問があったと思います。その小選挙区制のプラスで言うとやはり、かなり出ていると私は思うんですよね。これはまあ、ただ程度の問題だと思います。透明性の問題と言うのも、これは基準を何に置くかと言うことですが、要するに選挙が終わってから、完全に有権者がもう全く発言できないところで政権をめぐってあれこれやると言うのに比べると、まず、選挙前にああだこうだやる訳です。一応、そこでマニフェストをどうするかと言うことを巡って、選挙前にやる。選挙前にやった上で、その結論に対して有権者は選択すると言うことなので、これはやはり、有権者の発言は聞く形になっていると思うんですね。問題は、それがなかなか選挙後100%守られないと言う問題が、先ほど言ったように確かに起こるんですけれども、これもしかし、全く何もないのに比べれば、選挙の時にそう言う構図で、そう言うマニフェストで戦ったと言う枠はやはり効くんですね。ですから大きくは崩れにくいと言うことがあります。また、前だったら、与野党、完全に入り乱れて、何でもありになったかと思うんです。しかし、イタリアの96年選挙を見てもですね、確かに造反はありましたけれども、中道左派はやはり5年間やっているんですね。大きく右からバンとこう引き抜いてとか言うような形にはなっていない。そう言う意味で、程度の差はあれ、かなり比例代表制の時代に比べると、透明性とか有権者の政権へのコントロールと言うのは効き始めているのではないかなと言うのが、透明性の問題についての私の印象です。それから、メディアクラシーの問題は、これは恐らく、比例代表制、小選挙区制を問わず、現代政治の特色と言うことでその点が出てきていることだろうと思うんです。その時に、私自身はテレビの影響力みたいなことについても、ある意味でプラスの面が、特に日本政治を前提に考えると、かなり大きいと思うんですね。これはどういうことかと言うと、日本政治はどうしてもやはり個別の利益誘導みたいなことで、今まで政治家は動くし、有権者も交通事故をもみ消してもらったり、息子の就職を世話してもらったりするために議員を選ぶと言うことを、国政選挙でやってきている訳ですよね。それに比べれば、いくら大ざっぱでもTVでどういう印象かと言うので投票してくれた方がまだ良い、息子の就職で投票するよりは。これは比較の問題で、これは実は韓国なんかもひとつの典型で、日本もやっていましたけれど、選挙の時に買収なんかやっている訳ですね。それが、韓国でも大統領選挙が直接公選で行われるようになり、大統領候補自身が直接、TV討論をやるようになると言うことが起こり始めると、日当を払って集会に動員したり、買収したりと言うのがかなり減ったんですね。これは何故かと言うと、TVの直接討論で実際どうかということで、大きく票が左右される訳ですね。そうしたら、チマチマしたことをやっている位だったら、きちんと準備して、政策の勉強をした方がはるかに効果的だと言うことになります。それから勿論、TVはTVで色々単純化の問題などあるかも知れませんけれども、かつての政治に比べると、一回TV選挙にしちゃった方が、まだしもまともだと言うのがあるんではないか、と言うのが私の判断なんです。日本は首相候補の直接討論と言うのをまだやったことがないんですね。イタリアは実は、今回はベルルスコーニが拒否して出来ませんでしたけれども、前回2006年の時はプローディVSベルルスコーニで2回、ゴールデンタイムに1時間半、直接討論をやりました。これで有権者は政権選択の判断をするということになる訳で、これはアメリカでも今度また、大統領選挙でマケインとオバマでやると思います。これはこれで勿論、弊害もあるんですけれども、かつての日本のチマチマした買収とかなんとか言う選挙に比べると、まだしも一歩前進ではないかなと。ポピュリズムの問題についても、かつてとの比較で言えば、日本の場合は小選挙区制型のメリットすら使い切っていないと言う点が大きいと思いますので、せめて小選挙区制のメリットが十分出るところまでこれを使いこなした上で、さらにそれをどう改善するかと言う話にした方が良いんではないか。そう言う意味で、イタリアなんかとの比較で言うと、何とか最低限、小選挙区制の導入で狙ったこと位は、政権交代を明確に行うことでクリアーすべき段階にまだあるんではないかなと、これが大体の私の印象です。


司会 どうもありがとうございました。他に何かご質問のある方があれば、あと2,3問お受けします。


質問 二つ質問があるのですが、一つはイタリアでは当選してから政党を鞍替えすることは出来るんでしょうかと言うことと、もう一つは自民党には共産党が全選挙区で立てられるように画策するような、そんな知恵者はいなかったのでしょうか?例えば、供託金を下げておくとか、裏金を出すとか。


後 鞍替えは、イタリアの場合、多分、比例代表制の時からあまりないんじゃないかと思いますね。と言うのは、やはり政党というものの存在感が良くも悪くも強いんですね。ですから、個人的に鞍替えと言うよりは分裂するとか合併するとかと言う、政党単位でグループ単位で動くと言うのがイタリアの場合、多いんですね。


質問 法的に禁止されているとか言うことはないんですか?


後 法的には禁止されていないと思います。ただ、流石に選挙の時はその政党で当選しながら、別行動を取ると言うことは自体、政治的にはかなり批判されるでしょうけれども、無効になるとか言うことにはならないと思います。ただ、イタリアでは政党としての行動パターンが基調なので、あまり個人的にどうこうと言うのは、そんなに多くないと思います。もう一つ共産党のことなんですけれど、これはお互いそうなんですよね。お互い相手を分裂させれば有利になるし、自分の方の結束を固めれば有利だと言うことで、お互いそう言うことなのです。ですから、自民党が共産党を使うというのもありだと思います。実際は、ほっておいても民主党の邪魔をしてくれてるわけですが。それよりもイタリアの場合、やはり共産主義再建党であっても、ベルルスコーニ政権が良いのか、自分たちは反対であるけれど左翼民主党政権が良いのかということで言えば、どちらも一緒だとは言わないんですよね。やはり、それは相対的にはまだ左翼民主党政権が出来て、批判しながらの方がまだ良いと言う真っ当な判断をしますよね。だから共産主義再建党と言う非常に原理主義の政党ですら、日本の共産党より現実的な判断をするという風に言ったらいいと思います。そういう意味では、お互いに右・左ともに、政権を取るということを第一目標にしてどういう行動を取るか、そこはかなり徹底されていると思います。

 日本についてですか?どういうことですか?


質問 共産党が全区で立てている限り、自民党は安泰ですよね。ですから、自民党が共産党が全区で立てられるように供託金を下げておくとかいうのは、政策的に正しいことですか?


後 それはそうですね。それはあり得るんでしょうが、そういう話はあまり聞いたことがないですね。ただ共産党はほっておいても候補者を立ててきましたからね。


質問 そうすると、ますます自民党が有利になる。


後 もちろんそうです。共産党が候補者を絞ると言った段階で、じゃ供託金下げてあげようかと言う政治家が出てきてもいいとは思いますが、そういうのはないようですね。


質問 事実関係だけで結構ですが、投票率は何パーセントくらいで、傾向はどうなのかというのが一つと、外国人労働者の投票権はどういう条件であるのかということです。


後 今回の投票率は80.0何パーセントくらいですね。80%はクリアーしています。前回に比べて2~3%低くなっていて、趨勢としてはかつては90%台だったので、下がってきてはいます。外国人労働者の投票権はわかりませんが、在外イタリア人については、2005年の制度改正で被選挙権も導入されました。かつては比例区で選挙権だけは一応あるということでしたが、今回は議席はアジア1議席とかアメリカ3議席のように選挙区を設定して、そこに向けて選挙活動をする。10数議席ずつ上院・下院に議席配分されています。これが結構大きくて、特に前回2006年の上院は2議席差で中道左派が勝ったのですが、実は国内では議席は少なかったのです。ところが、海外選挙区の議席をほとんど中道左派が取ったのです。ベルルスコーニが何故それを入れたのか、本人は外国にある選挙区では愛国心が高まるので自分に有利になるだろうと考えていた節があるのですが、逆に出ました。外国にいる人は皆、ベルルスコーニでは恥ずかしいと思っていたという結果になったのです。それで2006年は海外選挙区では中道左派が圧勝しました。


司会 まだ色々とご質問があるかとは思いますが、だいぶ遅くなってまいりましたので、この辺で終わらせていただきたいと思います。後先生、今日は大変ありがとうございました。


■当日のレジュメ

■配布資料1

■配布資料2

■配布資料3

■配布資料4

■配布資料5