第355回 イタリア研究会 2009-12-08
イタリアチーズ 歴史とロマン
報告者: 本間 るみ子
【橋都】
皆様、こんばんは。イタリア研究会の橋都です。今日は、今年最後のイタリア研究会例会となりますが、通算第355回になります。先月はガリレオ・ガリレイ、今日はチーズの話とバラエティに富んでいるところが、このイタリア研究会の良いところですけれども、今日は「イタリアチーズ歴史とロマン」という題で本間るみ子さんにお話をしていただきます。皆さん、よくご存じだと思いますが、本間るみ子さんは、フェルミエの代表、チーズ研究家であります。もともとチーズの輸入会社のチェスコに入社されましたが、1986年に日本発の本格的なチーズ輸入会社フェルミエを設立されまして、フランス、イタリア、その他、ヨーロッパ各国からのチーズを輸入して、われわれに提供して下さっているわけです。フランスチーズ鑑評騎士の会からオフィシエ、グランオフィシエ、チーズ熟成士という、それぞれ称号を取られております。そのほか、97年には国際農業見本市のチーズ部門の審査員に日本人として初めて選ばれました。そのほかに、チーズプロフェッショナル協会の副会長、フランス農事功労賞受賞者協会の理事などをされております。ご著書といたしましては、『チーズ図鑑』、『チーズで巡るフランスの旅』、『パルミジャーノ・レッジャーノのすべて』などがございます。ご経歴からもわかりますように、日本でのチーズの研究、そしてその他、皆さんにチーズの素晴らしさを広めるという、そういう活動において第一人者ということは、皆様はよくご存じではないかと思います。今日はその中でも、イタリア研究会ということで、イタリアのチーズにつきましてお話をしていただくということになりました。それでは、本間さん、よろしくお願いします。(拍手)
【本間】 皆さん、こんばんは。今日は私の大先生たる馬場先生もいらっしゃいますので、ちょっと話しづらいですけれども、そして皆さん非常にイタリアに詳しい方が集まっていらっしゃる中で、「歴史とロマン」なんていう題名を付けたことに「どうしよう」と今思いました。今日はチーズなしで話をしなければいけないということも、また、2時間も長い時間、退屈せずに話ができるかな、間が持つかなと心配ですが、私の経験や今までイタリアを訪ねてきたお話などを交えながら、イタリア全土を巡る旅を皆さんとしたいと思っています。
私は86年に会社を始めたときは、フランスチーズを中心に輸入をしておりました。そのころは、イタリアチーズが今日のように、たくさんは入っていませんでした。もちろん、チーズの王様として有名なパルミジャーノはすでにありましたが。当時、そのパルミジャーノを輸入したいのですけれども、当初はお金がなかったという理由で輸入ができなかったのです。
というのは、パルミジャーノを飛行機で運ぶには高すぎますし、船で運ぶには、最初にちょっと長い間お金を寝かせなければいけないために、余裕がまったくなかったからです。会社を始めて3年後にやっとイタリアに出掛けまして、そしてやっと、パルミジャーノを買うことができました。といっても、数玉だけでしたが。
初めて出掛けた89年からイタリアとの交流が生まれて、それから毎年必ず行っていますが、本当にこの間に、随分イタリアは変化をしてきました。89年の頃というのは、欲しくてこっちが手を出していても、なかなか売ってもらえない。イタリア人は商売気がないのかなぁ、と良く思ったものです。それに比べて、フランスはパリに大きな市場がありますし、しかも飛行機もよく飛んでいますので、輸入がとても簡単です。でも、イタリアから生鮮食品を運ぶというのはすごく難しくて、苦労しました。それは今も続いています。イタリアチーズを揃えて販売するような専門の会社がないためです。さらに、イタリアから物を運ぶのは、案外と高くつくのです。
なぜかと言うと、北のほうは空港も多いし、競争が激しいので安いフライトが見つかるのですけれども、イタリアは競争相手がいないせいか、意外と強気なのです。また多くの飛行機会社が入り込む隙間もないせいか、非常に高い運賃を払わないと輸入ができないのです。しかも、南のチーズというのはローマ止まりで、ミラノまで持ってくるためには、輸送費もかかります。商売熱心ではないということも理由ですが、輸送が簡単ではないという理由から、いろいろなチーズを少しずつしか集めることができないものですから、いまだに苦労しています。
現在フェルミエでは、各地方のチーズを少しずつ買って、それを全部ミラノに持ってきてもらって、そこで1つのグループを作って輸入するというシステムを取っています。皆さんが、イタリアのチーズを「割高かな」と感じるのは、日本に到着するまでのコストがフランスなどに比べると割高になってしまうので、仕方ないのです。
私がイタリアチーズを輸入するようになったのは89年ですから、もう20年がたちましたけれども、皆さんのイタリア研究会は30~40年ですか?
【橋都】 もうそれ以上になります。
【本間】 すごいですね!!ここ30年の間に、明らかにイタリアファン、特に若い女性たちのファンがたくさん増え、イタリアに出掛ける人も増え、そしてイタリアンレストランが増え、嬉しいことに、手軽にワインやチーズも買えるようになってきましたが、この急成長を見てきていらっしゃる方が多いと思います。
たしかに、10年くらいの間にレストランの数が増えたために、チーズの需要も増しました。そしてイタリア料理を勉強しに行く人たちが増えたこともあり、特に北イタリアには、どこの小さな町にさえも、日本人のコックさんが修行されています。各地で活躍された日本人たちがやがて、帰国して、地元の食材を欲しがるだろうということもあるので、私たちもなるべく珍しい食材を捜し歩くようにしています。
89年から毎年のように訪ね歩いていて、気がつけば20年以上経ってしまったのですけれども、そのときに「せっかくイタリアにこんなに足しげく通っているのだから」と思って、『チーズで巡るイタリアの旅』という本を出しました。でも、もう絶版になってしまいました。図書館だったらまだ残っているかもしれませんので、ぜひ読んでいただきたいと思います。
その本は、興味あるチーズをピックアップし、田舎のチーズを巡り歩き、いろいな人たちと出会って感動した話や珍しいチーズの話を書きました。その頃からだったと思いますが、チーズ業界は狭いですから、さらに多くの人たちと知り合い、おいしい情報がどんどんと入るようになりました。
本を書くことが楽しくなったせいか、次に、「DOPのチーズたち」という本を出しました。イタリアには法律で定められているチーズ、DOPのチーズがございます。ちょっとこのマークを見ていただけますか?これはEUで定められている原産地統制保護マークというマークです。見たことありますか?
【男性1】 そういうのはないです。
【本間】 EUで決められたマークなので、次回はチェックしていただきたいですね。
このマークというのは、その前はワインでしたら皆さん、DOCとかDOCGとかワインを知っている方が多いのではないかと思います。実は1992年にECからEUになったときに、こういったマークがヨーロッパのマークとして決められました。
そして96年、イタリアはいち早くこのマークを導入しまして、それまでDOC(ドック)と呼ばれていたチーズをすべてDOP(ドップ)にしてしまったので、今はDOPと呼ばれています。
マークの色は黄色と赤ですけれども、もともとはブルーと黄色の色でスタートしました。2009年5月からこの色に変わりました。イタリアは、こういった新しいことにかけてはすぐ取り入れてしまう国民ですよね?
このDOPのマークができたときに、イタリアのDOPを調べたら、それまでDOCのときというのは、20種類ぐらいしかなかったのが、DOPが96年にいきなりドーンと増えて30種類になったのです。30種類のチーズの中には、聞いたこともないチーズがいっぱいありました。私は本当にイタリアチーズを知っていると言っても、まだ本当に有名なものしか知らなかったのです。
96年にそのDOPがスタートしたのと同時に、1997年にスローフードのチーズのお祭りが行われました。このブラのチーズ祭りはピエモンテの小さな町ブラで2年に1回行われます。奇数年がブラ、偶数年がトリノで開催される「サローネ・デル・グスト」です。
ヨーロッパのDOPチーズが集合するというのですから、これはこの目で確かめたいと思いました。97年にヨーロッパのDOPのチーズ(ちなみにフランスのチーズはAOPと言いますけれども)が揃うという話は興味津々でした。このマークのチーズが130種類ぐらいブラに集合する、と聞いたものですから、「これは行かないといけない」と思って初めてブラに出掛けました。
フランスのチーズは馴染みがありますけれども、そのときに見たものは、そのほかの国のチーズはまったく知らないものが多くて衝撃を受けました。しかも、会場がイタリアの聞いたこともないような、片田舎に集合しているので衝撃を受けました。
そこで、「とにかくイタリアにいるからイタリアのチーズをとりあえず全部見て帰ろう」と思いまして、そのときに出会ったのが、スローフードエディションが出版している「ヨーロッパのDOPチーズ」の本です。ラッキーな事に英語版も出版されていたので、すぐに購入したのですが、当時のEUで保護された130種ほどのチーズが紹介されていました。それが、何といまだに役に立っている本なのです。イラストだけの本でしたけれども、イタリアのチーズもその他の国のチーズも紹介されていて、それは目からウロコでした。
その衝撃の出会いの後に、私が決意したのは、イタリアのDOPのチーズを探す旅に出ることでした。もちろん、イタリアに住んでいるワケではありませんから、時間はかかりましたが、DOPに登録されているすべてのチーズを巡り、そして、まとめたのが『DOPのチーズたち』という本です。
今日の皆さんにお配りした資料は、ここから抜粋してコピーしました。でも、この本も実は2,000部しか印刷しなかったので、今は1冊もなくなってしまいました。今は、新たにDOPが30から、あと4種類増えまして、34種類になっているので、今、新しく取材をしなおそうと思って始めているのですが、イタリアはとても難しい国で、日本にいるとまったく情報が入りません。インターネットで調べようと思ってもなかなか簡単ではなく、これは現地に行って聞くしかないのですけれども、現地に行っても誰に聞いていいかわからないのです。
5人聞いて3人同じことを言ったら、信じようと思いますけれども、イタリアの国民性なのか、親切はいいけれど、みんな違うことを言うということがあって、誰を信じていいか不安になってしまいます。この本を仕上げたときも、巻頭言には言い訳になるのですが、「この本は書いたけれども、これが完璧ではない」と書きました。
また、法律は変わるもの、と理解したほうがラクですよね。言い訳と言いましたが、「これはもしかしたら途中で変わるかもしれないし、聞いたけれどもこれは嘘の情報かもしれない。でも、今、私が知っているすべてのことを書きました」と言えば、皆様もきっと納得して下さると思います。
新しく出版したいと思っているDOPは、去年ぐらいから少しずつ調べ始めているのですけれども、これが本当に難しいのです。イタリアはすごく大きな機関がありそうでなかなかない、というところでこのDOP、例えばイタリアの人たちに「DOPのチーズが34種類ありますね」と、DOPを持っている人たちに聞いても「ああ、そう」と言われます。つまり、自分のことは語れるけれども、ほかのチーズのことはみんな誰も興味がないというか、これがきっとイタリアのいいところでしょうね。
イタリアは、統一してからまだあまり年数が経っていない若い国です。それまでは、やはりイタリア人というよりもそれぞれの地域の色が強すぎて、そこのことは一生懸命勉強して知っていますけれども、「ほかのところはいいじゃない、どちらでも。あまり自分の生活とかかわりないから」という感じなのかなと思っています。
前置きが長くなりましたが、イタリアのチーズを幾つか写真も入れてきましたので、皆さんに見ていただこうと思います。皆様にお配りしたのはイタリア地図です。画面ではカラーで出ていますけれども、皆様の頭の中にはイタリア地図はすでに入っていると思います。
イタリアはよく「日本と比べて日本とよく似ている」というふうに言われますけれども、本当に海に囲まれて真ん中に山が走っています。面積でいうと、ちょうど北海道だけないぐらいです。本州に2つの島。北海道を抜いた四国と九州というように考えると、共通点が見つけやすいような気がします。
イタリアの首都はローマですが、チーズは断然北のほうが中心になります。日本も同じですが・・。しかも北でも、どちらかというと、フランスの国境地帯、ピエモンテ地方が中心地域になります。先ほど言ったブラという町も、ピエモンテにありますが、もともとこのあたりはサボイヤ家として栄えましたので、フランス側のサヴォワ地方辺りと非常によく似ていると思います。
ここがトリノです。トリノはフランス的な街並みが美しい町ですね。このあたりからヴァッレ・ダオスタ、サヴォイア家はこのあたりから、フランスのサヴォワ一帯を治めていたわけで、チーズにも共通点をみることができます。
それから、これを見ていただくと、スイスの国境辺りもスイスとよく似たチーズが存在しています。そして、オーストリアの国境はやはりスイスの続きですので、山の地域のチーズが多く、このずっとアルプスの地域のチーズというのは、これはみんな無骨で硬くて、素朴すぎて魅力に欠けるチーズかもしれないですね。そして、一見すると、とてもよく似たチーズが多いのですけれども、彼らはそれを、この土地の名物のポレンタと一緒によく食べます。もちろんそれだけではなく、大事な栄養源ですから、チーズはなくてはならない存在でした。山に暮らす北の人たちの消費は、圧倒的に多いと思っています。
ところで、イタリアは県で分けますと103もあって日本に比べても、多すぎますね。イタリアの県というのは、ほとんど県名と県庁所在地とほぼ一致していますので、分かり易いというのも特徴です。日本の県も大体一致しているところが多いですけれども。
ですから、大体大きな都市というのは県庁所在地であり、その周りの地域が広がっていると考えると、多分詳しい方はイタリアの都市名をほとんど空で言える方も多いかもしれないですね。
さて、再びピエモンテに戻りましょう。ピエモンテは広い県ですけれども、特にチーズの生産地は、クーネオ県が中心になります。ブラも実はクーネオ県にあります。ここにはDOPに指定されるチーズが実に多い。たとえば、ブラ、ラスケーラ、カステルマーニョ、ムラッツァーノなどです。この隣のアスティというと、「ああ、この辺りは甘口のスパークリングワイン「アステティスプマンテがあるな」とかすぐわかると思います。
北はアオスタ州です。ここはスイスに抜ける道があります。4000メートル級の山がそびえてリゾート地としても知られています。ここではフォンティーナというチーズがつくられ、スイスのフォンデュとは異なりますが、フォンドゥータという卵と牛乳がはいった濃厚なソースのようなフォンデュがつくられます。
またピエモンテに戻りますが、ロンバルディア州と近いピエモンテ州のノバーラ県はゴルゴンゾーラが大量に生産されています。実は、ゴルゴンゾーラはロンバルディアの生まれですが、第2次世界大戦後は生産の中心がノバーラ県に移っているのです。もちろん、今でもロンバルディアでも作られていますが、ノバーラが中心地になっています。
ロンバルディア地方の北部はスイスとの国境ですので、北のほうに行きますとコモやレッコといった観光地があります。この辺りは表皮を洗う四角いチーズ「タレッジョ」のようなチーズが作られています。タレッジョのホンモノを探すとなると、タレッジョ渓谷産が最高ですが、大量に生産されるのは、ミラノに近い近代的な工場で作られたものが多いのです。ですので、本物を求めるなら、タレッジョ渓谷産を指定して下さい。
タレッジョがつくられるあたりは、プレ・アルプスになりますが、スイス国境の美しい町、ソンドリオ県はまさにアルプスの美しい山々が臨めます。この山には昔からつくられてきた幻のチーズが存在しています。チーズ通の方はご存知かも知れませんが、「ビット」と呼ばれるチーズで、時には3年もの、4年ものというように、長期熟成させられます。とても高価なチーズですが、それでもなかなか入手できない人気のチーズです。
ピエモンテやロンバルディアは、チーズの種類が多い地域ですが、となりのトレンティーノ・アルト・アディジェやフリウリ・ヴェネツィア・ジュリア州、またヴェネト州は、DOPに数えられるチーズは少なくなっているかなと思います。とはいっても、たくさんチーズを食べる地域であることには変わりません。有名なチーズとしては、アズィアーゴやモンターズィオがあります。
イタリアの穀倉地帯といったほうが良いかもしれませんが、ポー河に沿って豊かな地方が、エミリア・ロマーニャです。一番イタリアの中で豊かな地域といってもいいかなと思います。なにしろ、お金持ちが多いせいか、立派な家がたくさんあります。スタンダールの小説「パルムの僧院」で有名なパルマですが、食に関係する人なら、すぐにパルミジャーノの故郷だということが分かります。また、生ハム(プロシュート)の故郷でもありますね。サッカーに詳しい方でしたら、最初に中田選手が行ったところがパルマのチームでした。熱狂的なファンなら当然ご存じですね。それから、パルマは2年に1回ですが「チブス」と呼ぶ大きな食の見本市が開催されているところです。
エミリア・ロマーニャ州はピエモンテ、ロンバルディア州を通り、イタリア一の大河ポー川が通り、アドリア海側に注いでいます。水が豊富であれば、豊かな穀倉地帯が出るのは当然です。果物や野菜などの畑もたくさん。麦畑があり、そして牧草地帯があります。
かつて、豊かな土地を求めて、南の人たちはどんどん北へ北へと出稼ぎに行った結果、ここのあたりはチーズの大産地になりました。実は、プロヴォローネと呼ばれる大きなソーセージのようなチーズは、元を正せば、南でつくられている良く伸びるチーズ「カチョカバァッロ」が元です。
さて、チーズの王様に君臨する「パルミジャーノ・レッジャーノ」を語ったら、ほんとうに深いのですが、生産量でいいますと、「グラーナ・パダーノ」のほうが多いのです。
「グラナ・パダーノ」はキッチンのハズバンドと呼ばれていて人気者。パルミジャーノ・レッジャーノほど、高級ではないので家庭でも気軽に使えるという利点があります。
最近、日本でも不景気が続いているせいか、けっこう高級レストランでもパルミジャーノ・レッジャーノを使用せずに、グラナ・パダーノを使っているところも多いのですよ。この二つのチーズは外見は同じですが、外皮に刻印された文字をチェックしたら一目瞭然。ぜひ、本物が使われているかどうか、確かめて下さい。
いずれにしても、グラナ・パダーノは国民的な人気で、年々生産量を伸ばしています。そして、生産量の2番目がパルミジャーノ・レッジャーノです。
イタリアのDOPのほとんどが、北部で生産されています。3番目に位置するのがゴルゴンゾーラ。3位までが北部で、やっと4位に登場するのが、「ペコリーノ・ロマーノ」です。そして5番目が「プロヴォローネ」です。
話があちこちに飛んでしまいました。さて、こちらの画像をご覧下さい。イタリアの北のほうは牛が圧倒的に多いのですけれども、中部から南は羊が多くなります。もちろん山羊もいますが、羊の国と言ってもいいほど羊が多いのです。
北部はほとんど牛が中心ですが、ピエモンテの田舎の方の人たちは、いくつかの家畜を飼っていると、一年中ミルクを出すということで、飢えることがないためヤギも羊も牛も飼って暮らしていました。トスカーナの田舎もそうですけれども、混合放牧を行っている農家もあります。
この写真は、ピエモンテの羊のチーズ「ムラッツァーノ」です。羊は非常に従順な家畜です。ですから、群れになって行動を起こします。ヤギはどちらかというと自分勝手なのです。ヤギは群れないのです。自分で勝手であちこち行くので。ヤギを飼うというと本当に、ヤギもたくさん飼われていますけれども、羊を飼うところが多くて、羊は人間にとっては毛も採れるし、肉にもなるし、ミルクも採れるということで、遙か古来から大事に育てられてきました。
この写真は放牧中のヤギです。アスティの丘で飼われているヤギですけれども、ブドウ畑の斜面の狭い土地で山羊を育てているのが分かりますね。イタリア人から聞いた話ですが、昔からヤギのミルクは貴重で、「赤ちゃんが生まれたらヤギを飼いなさい」と言われていたそうです。山羊の乳は脂肪球が小さく消化しやすいことや、一番母乳に近いので、赤ちゃんにとっては優しいのでしょう。牛乳ですと下痢をしたりするのは、カゼインと呼ばれる、中のたんぱく質の組織が大きくて、お腹がゴロゴロしたりするという人もいるかもしれないですけれども、ヤギのミルクは非常に優しいので、赤ちゃんのときからヤギのミルクを飲ませると良いと言われるのです。
イタリアだけに限らず、ギリシャとかトルコとかも、飲料用の乳は今でもヤギ乳で、牛乳が広く普及してきたといっても、中近東やアフリカでは今も山羊は大事に飼われているのかなと思います。
これは山羊乳製の「ロビオラ・ディ・ロッカヴェラーノ」です。ひとつ300グラムほどで、家庭で作られています。他にも、代々家庭で作ってきたチーズが幾つかあります。イタリアでトーマと呼ばれる大きくて丸いチーズがあるのですけれども、トーマというと大きな丸いチーズ、少し小さくなると「トゥーマ」といったり、もっと小さいと「トミーノ」といったりするのです。形によって呼びかえられますけれども、トーマと呼ばれるのは、フランス側に行くとトムと呼ばれるチーズがあるので、ルーツが同じだということが分かります。
フランスのサヴォワ地方では、「トム・ド・サヴォワ」とかいう、表皮がグレーのカビに覆われたチーズがあります。イタリアサイドは、「トーマ・ピエモンテーゼ」、あとはヴァッレ・ダオスタには「ヴァッレ・ダオスタ・フロマッゾ」という似たチーズがあります。
名前は違いますが、同じルーツを歩んできたことが分かります。
これがブラの会場です。4日間のイベントですが、とにかく土日はすごい人が小さな町に集合します。テントでは作り手たちが店をだしていますし、町の中のレストランでは、
おいしい料理を提供してくれます。
1997年から始まり、6回目のイベントが、今年も9月にありましたので、行ってきました。でも、今年はちょっと不景気のせいか、2年前に比べると少し規模が小さかったような気がします。2年前が最高潮で、本当にイタリアに東南アジアやモンゴルかネパールからもチーズが集まって来ていて、あとはヨーロッパ各地のチーズやアフリカからのチーズもありました。
参加される人たちにとっても、ここに持ってくると自分たちのチーズが認められるわけですし、新しい出会いがあることを願って、イタリア以外からも多くの人たちが出展するのです。出展者だけでなく、世界中のチーズの人たちが集まる楽しいお祭りです。
各ブースは美しくみせる工夫をしていますが、その中でもひときわ目を引くのが、ペッピーノ・オッチェッリ氏のブースです。ピエモンテでは本当に有名な方で、自分たちの消えてなくなりそうなチーズを何とかこの世に残していこうという、本当にまさしくスローフードの精神のもとに、自分のチーズ工房に、周りのチーズを作ってきたお母さん方を80人も集め、そして自分の家で、伝承されているチーズを作って再現してもらったというのです。その中から「これはいいな」と思うものを何種類かレシピをきちんと起こして、自分の会社のブランドで売り出したところ、大ヒットしたわけです。
中ではクルティンとかパーヤというような、クルティンはイタリア語でカンティーナのことを、要するにカーブのことを言うのだそうですけれども、クルティンというのはネズミに食べられないように天井から吊るして熟成させたというようなチーズです。これを作って、非常に可愛い名前のものを作ってヒットさせているので、彼らは今ニューヨークでもとても有名な人になりました。
ブラでも一番ブースがきれいです。これはオチェリさんのブースですけれども、「こんな石みたいなチーズが売れるのかな」と思ったりするのですけれども、美しく並んでいるので、初めてだときれいとは思わないかもしれないのですけれども、これはテストゥン??石頭と意味でしょうか??石頭というようなチーズがあったりとか、ソーラーというチーズは靴底という意味があったりとか、本当に食べるものとは思えないようなチーズが美しくディスプレイされているのには驚いてしまいます。
本当に皆さんに食べていただけないのがとても残念なのですけれども、こういったピエモンテに行くと、ブラに行くと、もうとんでもないチーズに出会えるという楽しみもあったりします。
これはブドウですけれども、ブドウのシーズンも終えて、そしてあとはちょっと北のほうのヴァッレ・ダオスタに行きますと、フォンティーナというチーズが今度は存在します。あとは、これはヴァッレ・ダオスタ・フォティーナとか、あとはヴァッレ・ダオスタ・フロマッツォというチーズがあります。
ヴァッレ・ダオスタというのは、ちょうどモンブランのイタリア側、モンテ・ビアンコのイタリア側で、4,000m級の山が連なっているところです。ですから、ヴァッレ・ダオスタというのは1つの州で1つの県しかない。イタリアで唯一、州と県が1個しかないというのはそこだけで、一番狭いのです。ですけれども、観光で潤っている州だと思います。
たくさんの人がスキーに訪れますし、自治州ですけれども本当にチーズを作り、あとはラードとかも作っていますし、ワインなんかも作っていますけれども、ここにたくさん行く人がいるのです。彼らはこのチーズで何を作ったかというと、フォンデュータを作って、そしていろんな人に広めたところ、ピエモンテの人たちも食べますけれども、このフォンティーナはフォンデュータで出てくることが多いかなと思います。
チーズフォンデュと、スイス側やフランス側のフォンデュとは違っています。非常に牛乳で溶いたような意外とこってりしたもので、どちらかというとお肉の付けあわせだったりとか、フォンデュータの上に白トリュフをササッと切ってスライスして食べたりという食べ方をするので、パンを付けて食べるスイス風のフォンデュとはまったく違うものになります。いずれにしてもこのフォンティーナというチーズは、それだけで非常に有名になったチーズであると思います。
そして、これを見ていただくと、これは、ヴァッレ・ダオスタというのはスイスと同じルーツを持つということがわかります。スイスは一番近いところは、ヴァレーといいます。まるでヴァレー州のヴァッレ・ダオスタというのは、同じルーツを持っていて、メスの牛を闘わせます。あとはこういったホルンなんかも同じルーツを持っていて、同じような祭りが行われていることがわかります。
これは村の会場で見た、ヴァッレ・ダオスタの会場です。そして、本当に間近に山が迫っていますから、こんなきれいなところでチーズが作られています。
イタリアの山のチーズは何メートル以上と決められますけれども、アルペッジョと呼ばれると非常に高価なチーズになっています。例えばフォンティーナ。普通のフォンティーナとフォンティーナ・アルペッジョというのがあって、アルペッジョは1,200メートルぐらいのある程度の標高の高いところで夏の間だけ作るものをアルペッジョと呼んで区別しています。
その代わりにピエモンテなんかですと、ブラやラスケーラあとはカステルマーニョというチーズがあるのですけれども、全部これはアルペッジョと呼ばれるものに関しては、ちょっと1ランク高くなっています。
これは、向こうの方に牛舎があってチーズを作っているのですが、ちょうど搾乳を終えた牛たちが最後の放牧地に出るところです。こういうふうに非常にいい景色で、ここでは何があるかというとアグリトゥーリズモですから、夏の間いろいろな観光客の人をここでチーズ料理でもてなすというところです。イタリアはチーズだけではなくて、各地でアグリトゥーリズモが盛んですので、どこに行ってもそういった地元の料理を味わえるという意味では、本当に旅をしていて楽しい地域なのではないかなと思います。
さて、これがアグリトゥーリズモの中です。ここはレストランだけしか行っていないのですけれども、チーズを見学させていただいたあとここで食べました。チーズは地下室のセラーでフォンティーナですけれども、アルペッジョのものを熟成して、そして冬が来て雪が降る前に、全部これは麓へと降ろして熟成業者に売ってしまいます。
ですから、彼らは夏に作ったチーズは全部引き取ったら、あとは麓に帰ってゆったりと暮らすという、本当に自分たちの作ったチーズを食べさせているおじさんですけれども、豊かで素敵ですね。
これはちょっとこってりした、山の料理らしいもので、フォンティーナにポレンタを混ぜて、上にこってりとした生クリームをかけたような料理でした。こういったものを、寒い地方ですので、非常に栄養価の高いものを食べさせるということで、必ず山小屋では出される非常に素朴な一品でした。
そして、これは麓に降りてきたところですが、大体昔は貨物列車が通るトンネルというのはいたるところにあります。イタリアだけではなくてフランスやスイスに行くと、廃線になったトンネルを利用しているところが多いですね。あと、戦争中の要塞もよく熟成室に使われています。
また、ワインの熟成室に使われていることも多いかなと思います。これは昔トロッコ列車が通っていたあとをフォンティーナの熟成業者が買い取って、熟成させているわけですけれども、これでチーズに白いカビが付きますので、塩水で磨きながらある一定の期間が経ってから販売していくわけです。今でも、製造者と熟成業者がうまい具合に手をつなぎながら協力し合っているという状況が続いています。
イタリアの旅の話ばかりでは、時間がなくなってしまうし、試食がないぶん、少し時間もたっぷりとあるので、ここで少し日本の話をしようかなと思います。
皆さん、年齢層がいろいろな方がいらっしゃいますが、チーズを初めて食べたのはいつですか、と聞いていいですか?チーズを初めて口にしたのは?プロセスチーズでもいいです、あるいはイタリアのチーズでもいいですけれども。子どものときを思い出していただきたいのですけれど、あまりチーズはなかったですよね?プロセスチーズは食べていたと思いますけれども、それでも、種類は少なかったと思うのです。
日本では、チーズもワインと同じように成長してきましたけれども、一人当たりの消費量がものすごく少なかったということと、戦後になって日本にプロセスチーズ製造が始まりますけれども、戦前はなかったといっても良いかも知れない。あるいは、本当にアメリカの兵士が持ってきたものを食べたとか、そういう人はいたかもしれないですけれども、普通は手に入らなかったはずです。
ちなみに、日本に「チーズの日」というのがあるのですけれども、知っている人はいますか。はい、いました、何人か・・。11月11日がチーズの日です。11月11日はチーズの日以外にもいろいろとあります。実は今日、私は19歳~20歳の、服部栄養専門学校の学生にちょっと話をしてきたのです。彼らはまだ20歳になっていないので、大体東京オリンピックも大阪万博も知らないので、本当に最近の話をしなきゃいけないのですけれども(笑)、皆さんはきっと知っていらっしゃる。万博もオリンピックも知っていらっしゃる年代の方が多いのかなと思いますので、話はし易いです。「11月11日はポッキーの日じゃない」と騒ぐ人は誰もいないですね。
【会場】 (笑)。
【本間】 大体若い人は「ポッキーの日」と言うのですけれども、11月11日は一番古いものは、ボタンの日だそうです。ボタンを縫うときに11と縫うのでボタンの日で。あとは、それから鮭の日でもあるそうです。魚編に十一と書くので、お魚関係、漁業関係者は「これは鮭の日だ」と言います(笑)。でも「チーズの日はなんで11月11日なの」と疑問を持たれるかもしれません。ボタンもポッキーも鮭もみんな11という形から生まれましたけれども、チーズは全然関係ないことになります。実はチーズというのは、昔日本にチーズがあったというところから生まれています。日本語でチーズは何と言うか。
【男性2】 醍醐。
【本間】 醍醐
【男性2】 と思います。
【本間】 そうですね。醍醐も乳製品です。日本語でチーズを表す言葉は、大体古い話だと、蘇(そ)というふうに言われています。蘇(よみがえ)ると呼ぶのではなくて、(そ)と呼びます。また、酒編に禾編を書いた酥(そ)、パソコンでもなかなか出てこない字なのですけれども、その(そ)と呼ばれていたものが西暦700年ごろに存在していたといいます。文武天皇のころです。西暦700年のころというのは、戦争もなく豊かな時代で、朝廷に蘇(そ)を献上する儀式が行われたのが、今の暦に直すと11月だったということから11月をチーズの月と決めました。11は語呂合わせですが、「11月をチーズ月間、11日をチーズの日と呼ぼう」ということで、今から18年前、1992年に定められました。
チーズの日ができた背景は、チーズをもっと普及させたいという日本チーズ輸入普及協会のメンバー達が集まって決めました。毎年毎年プロモーションすることによって、マスコミに取材してもらったり、雑誌にチーズ特集を組んでもらったりすることによって、徐々にチーズが普及していったわけなのです。
チーズの日を制定したと同時にだんだん普及していくわけなのですけれども、その西暦700年の蘇(そ)というのは今のチーズとはまったく違うもので、おそらく中国からやってきたので、湯葉のようなものであったであろうと言われています。
つまり、牛乳を沸騰させると上にたんぱく質が固まります。それを集めて丸く??ちょっと甘いと思うのですけれども??したものを、本当に朝廷の人たちだけが食べることができる、非常に栄養価の高いものとして納めていたのであろうと言われます。チーズがあったと言うことは、牛を育てるための牧場もあったのです。でも残念ながら、400年ほど続いたらしいのですが、その歴史も戦国時代とともになくなっていき、日本から蘇(そ)というものは消えてしまいます。
日本人の生活の中で、近年まで乳製品を採ることもなければ、肉食もなかったはずです。鳥を撃って食べるとかそれはあったかもしれないですけれども、基本的に農耕民族ですから、お米を食べ、魚を食べるということで生活を営んできたのです。
とる
日本にチーズが最初に伝わったのは、おそらくオランダからだと思います。日本に最初にきたのは、「フランシスコ・ザビエル」。スペイン人ですけれども、ポルトガル船が来て鉄砲が伝来して、キリスト教を広めようと思いましたけれども失敗してしまいます。それでキリスト教の弾圧された時代にも、唯一日本に来ることを許されたのはオランダ人でしたので、オランダの人たちは自分の国のチーズを船の底に積んで持ってきては食べていたと思います。そのチーズこそ、ゴーダチーズなのです。
意外と知られていませんが、日本で一番食べられているチーズで、国産でもたくさん作られているのはオランダから伝わったゴーダチーズであり、ゴーダチーズが日本人にとってのチーズの味の基本になっています。
鎖国が解け、そして文明開化となった明治時代になってから、日本にやっと修道院が建てられ、宣教師たちは牛を連れてやってきます。彼らは、バター作りを始め、チーズの製造を始めるのです。戦前にはすでに北海道でトラピスト修道院を始め、いろいろなところでチーズ作りが始まります。でも、交通手段がないので流通はしませんでしたから、おそらく自分たちだけのために食べていたと思うのです。
その後、日本の会社が修道士たちからチーズ製造を学び、ヨーロッパのチーズ作りが日本でも行われるようになるのです。でも、チーズが広まる前に戦争になってしまいました。その結果、全部工場は閉鎖されてしまったのです。戦後、チーズ製造は再開されず、プロセスチーズが導入されることになりました。ですから、私たちが食べてきたチーズというのは、プロセスチーズでした。戦前にあったはずのナチュラルチーズは結局定着せず、高度成長期にはプロセスチーズが流通していきます。日本人は、乳製品を取らないのでカルシウムが圧倒的に不足していたため、もっと乳製品を取るようにと、PR活動も行われました。
「欧米人並みに強くなるためにはどうしたらいいか」ということで、厚生省は各学校??まだ学校給食は昭和22年ぐらいからですけれども??奨励して、脱脂粉乳を皆さんも飲まされた世代の方もいるかもしれませんね?脱脂粉乳から始まり、学校給食では今でも牛乳を1人1本子ども達に飲ませています。
今日本人に必要なのは牛乳3本分と言われますが、学校で半分は必要カルシウム分を採れるように、チーズ、ヨーグルト、牛乳を飲むという形で、子どもたちは学校給食でカルシウムを採っているわけです。
やがて、プロセスチーズに馴染み、最初は「石鹸みたいで嫌だ」という嫌いな人も多かったのですけれども、チーズ好きな人の人口も増えてきました。そして、日本にいろいろなブームが来ました。チーズケーキのブームが来たり、ピザのブームが来たり、チーズ蒸しパンもありました。だんだんとチーズに対する抵抗もなくなり、いろいろな外食産業も入ってきて、一気に花開くというのはさっき言った、ずっと万博のあとなのです。
昭和39年の東京オリンピックの頃はまだそんなにチーズは入ってきていないです。そのあと、1970年に大阪万博がありました。チーズはまだまだの時代です。私が初めて就職したのが、年がばれてしまいますが、1977年なのですけれども、万博からだいぶたった頃でした。そのときはまだ羽田空港に少しだけ、チーズが輸入されていました。まだ成田が開港していなかった時代です。輸入されたチーズは、紀伊国屋さんや明治屋さんに並べられましたが、かなり高級品でした。
その頃はまだレストランは多くないですが、マキシムでは扱っていたはずです。でも、イタリアチーズはまだなかった時代です。粉チーズは、オランダのエダム粉を使っていたのではないかと思います。なにしろ、イタリアは商売熱心ではありませんから、やっとこれから始まるという時期が、70年の終わり頃でした。
1970年の終わり頃に、やっとイタリアとの取引が始まり、輸入された粉チーズを食べました。それは、かなり劣化していたのだと思うのです。あまりおいしいと感じませんでした。粉になった状態で、長期間船に積まれてくるのですから、いい状態を保つのは無理だったと思います。それから、だいぶたってからですが、本当のブロックのすり立てのものを食べて「ああ、これが本物かな」とわかるまではだいぶ時間がかかったように思います。たった30年くらいですが、歴史を振り返ると、私もチーズとともに成長をしてきたと思います。
いずれにしても、蘇(そ)の時代から見ると、あるいは本当にオリピックや万博のころから見ると、今本物の時代がやってきていると実感できると思います。
ところで、イタリアの人たちは、移民としてアメリカに渡っていきましたので、アメリカではたくさんイタリアのチーズがどこでも買えるようになりましたし、特にたくさん移民が渡った南の人たちはペコリーノのチーズをたくさん積んでいったわけです。あるいはパルミジャーノなんていうのも硬いですからどんどん積んでいって、日本に入ってきたチーズはイタリアからダイレクトではなくて、ピザもすべてアメリカ経由でした。ですから、本当のモッツァレラチーズなんて使うわけもなく、日本では溶けるチーズであれば良かった時代が、70年代の後半です。たくさんのピザ屋さんができましたけれども、とにかく安いチーズを使いますから、イタリアのチーズはまったく使わないのです。オランダチーズも高級なのでオランダチーズも使わない。
では、どこのチーズを使うかというと、最初はデンマークのチーズを使っていますけれども、デンマークのチーズも高級だからだんだん使用されなくなり、一番輸送距離の短く低価格のオーストラリアとニュージーランドのチーズが使われるようになりました。私たちが手軽に食べることができる冷凍のピザはほとんどが、オセアニア産ということになります。また、プロセスチーズの原料もオセアニアが多いですね。
今日、輸入されているチーズの統計をみると、イタリアレストランやフランスレストランが多く、その分チーズの需要があるように感じますが、輸入されているチーズの7割はオセアニアなのです。
正直伝えてがっかりされた方も多いかも知れないですね。「何だ、微々たるものしか入っていないんだな」ということがわかるぐらい、チーズの輸出国というのが、実はほとんど南半球のオーストラリアとニュージーランドの人たちがたくさんチーズを持ってきて、それを細かく砕いてシュレッドチーズにして、冷凍ピザに乗せて売っていると、そういう状況なので、本物を食べていないことになるわけです。
随分話がそれてしまいましたけれども、イタリアのチーズの話に戻しましょう。先ほど見ていただいた珍しいチーズ「フォンティーナ」なんていうのは限られたもので、おそらく数字にも載っていないかもしれないです。私たちは輸入していますけれども、本当に限られたレストランにしか売っていませんし、これがスーパーやデパートとかで買えるということは、ないかもしれないですね。
もしかしたら、一番手に入りやすいのは「ゴルゴンゾーラ」だと思います。ゴルゴンゾーラというチーズは、イタリアチーズのおそらく一番の優等生かもしれないです。
チーズ好きでしたら、世界三大ブルーチーズをご存じかも知れません。フランスの「ロックフォール」、イギリスの「スティルトン」、そしてイタリアの「ゴルゴンゾーラ」。これは世界三大ブルーチーズというように言うわけですけれども、実は一番初めに日本で有名だったのは、エリザベス女王が来日した頃は、スティルトンでした。「イギリスの高貴なブルー」というように言っていたのですけれども、それからだんだんフランス料理のレストランが主流になってくると、今度は「ロックフォール」が騒がれます。「羊の乳で作るロックフォールこそがブルーの王様だ」とか、チーズの王様に等しいというぐらい「ロックフォール」がもてはやされましたけれども、その両方とも、イギリスもフランスも残念ながらブルーチーズ好きを増やすことはなかなかなかったのです。
本当に通の人の一握りの人たちだけが「おいしい」と言われますけれども、ほとんどの人が「え、こんなブルーを食べて体にカビが生えないの?」と言うぐらいで、今から20~30年前にブルーチーズを好んで食べる人というのはいなかったわけです。ブルーを食べる人たちは、酔狂だとか、物好き、変わり者と言われるぐらいブルーチーズは敬遠される存在だったのです。このブルーチーズを一気に増やした英雄がこのゴルゴンゾーラです。このゴルゴンゾーラを使った料理、つまりリゾットやパスタのソースとして、そのまま生で食べるのではなくて料理で出てきたことによって、もう「ゴルゴンゾーラのリゾットがおいしい」とかいうように、そういう若い女性の心をつかんだら、こんなに強いことはないです。
今の日本のマーケットを動かすのは若い女性です。若い女性か、宣伝効果の強い主婦です。だから男性はなかなか出てこないのですけれども、ほとんど女性の力によって、女性たちが「おいしい」と言ったら「じゃあ食べてみようか」と男性が付いて食べてくるというそういう世の中ですので、その女性の心をつかんだがためにこのゴルゴンゾーラは急に伸びたのです。
チーズ全体をみてみると、20年ぐらいの間に少しずつ消費量は増えて、全体の消費は3倍ぐらいになっているのですけれども、ゴルゴンゾーラに関して言えば、20年ではなくて、本当に伸びてきた10年ぐらいの間に見ても4倍以上という伸びをしています。
ゴルゴンゾーラには二つのタイプがあります。手前は「ドルチェ」と呼ぶカビが少ない甘口タイプ、奥のほうが「ピカンテ」と呼ばれる辛口タイプです。もちろん、ブルーを克服させるのですから、甘口のほうが圧倒的に人気です。伝統は辛口のほうなのですが・・・。
ブルーチーズの歴史は「自分のところが最初だ」とみんな言います。フランスの「ロックフォール」は2000年の歴史がある、と言うのでしょうけれども、ゴルゴンゾーラの人は「別に物まねをしているわけではなくて、たまたま作っていたらカビが生えたのだよ」と言います。
これは、カビの生える環境というのは必ずあるもので、チーズの作り方というのは、まずミルクに凝固させる酵素を入れて固めます。先ほどちょっと日本の歴史を話しましたけれども、もっと歴史を遡り、チーズの起源について話をしましょう。
チーズが登場するのは、紀元前6000年前ぐらいまで行きつきます。それは人間がやっと、野生だった羊とかヤギとかを「これはおとなしいものだから」と家畜化したところから歴史がスタートします。それまでお腹が空いたら狩りに行って捕って肉を食べるという生活から、今度はいつも家畜を飼っていれば、子どもを生ませてミルクを搾って好きなときに食べられる。だから、家畜は冬を越えられなければ、冬の間に、冬になる前に肉にして塩漬けにしてとっておくとかしていたわけです。今でも豚肉の歴史はそうです。赤ちゃんを産んだものをだんだん、どんぐりではないけれども、いろいろなものを食べさせたら11月は屠殺(とさつ)の季節ですから、冬になる前に屠殺(とさつ)して、次の子孫を残すものだけ残しておいたら、肉に全部していきます。昔のカレンダーをみると、フレッシュなお肉は12月にしか食べられず、あとはだんだん加工品を食べていくという、サイクルでした。
羊もそうして子どもを産むものだけ残して、毛を刈るものだけ残して肉にしていくという歴史があったわけです。昔からその子羊、つまり子どもを生むということは、これは家畜の世界でいうとメスしか必要がないのです。赤ちゃんを産むということでメスだけ、今もそうなのですけれども、オスに産まれてくるとだいたい2週間で肉になってしまう世界なのです。皆さん、人間でよかったですね(笑)。
【会場】 (笑)。
【本間】 でも、本当にメスは高く売れるのです。だから、大人になってもメスの肉は軟らかいので高いのです。ですから値段の差がぐっと開きます。オスは筋肉が付いたりするので硬いので、というので早く赤ちゃんのうちに肉にされたりしてしまうのですが、そのときに、ミルクを飲んだばかりの羊が、解体したときに胃の中のミルクが固まっていたというのが、チーズの発見の歴史です。
つまり、赤ちゃんがミルクを固めたのです。人間や哺乳動物は、まず産まれてすぐに飲むのは、おっぱいを飲みます。そうすると、お腹の中で飲んだミルクを徐々に固めるのです。ですから、人間もそうですけれども、赤ちゃんはおっぱいを飲んだあとに背中をポンポンと叩いてあげるとゲップをすると、すでにチーズになって固まって出てきます。まさしく、あれがチーズなのです。
紀元前6000年ぐらい前から、人間は赤ちゃんの胃袋にミルクを入れると、ミルクが固まって、それを例えば少し脱水して、重しを乗せて固めて、塩でもしておくと長くもつということを見つけたのです。
チーズの発見がどこだったかは不明ですが、おそらく山羊や羊を飼っていたところでは、解体した子羊、子ヤギの胃袋のミルクは固まっていたのですから、これが、歴史につながって行くのです。このチーズの歴史をうまく伝えるアラビアの民話があります。それは・・・アラビアの商人が羊の胃袋??これは水筒ですけれども??赤ちゃんの胃袋の中にヤギの乳を入れて持ち歩いていたところ、飲もうと思ってサッと口を開けたところ白い塊と透明な液体に別れていた。これは、でもその旅人は「どうしようかな」と思ったのですけれども、白い塊を食べたら空腹が満たされ、透明な液体、これはホエーと呼ばれますけれども、これを飲んだら喉の渇きも癒せて満足できたのです。こうして、紀元前から守られてきたチーズがいろいろなところで発展していくのです。
チーズ作りの基本は、昔から変わりません。仔牛や仔羊の胃袋から抽出した酵素で乳を固めたら、最初の段階のチーズができます。それを細かく砕いて型にいれて重石をしたら、硬いチーズになります。カードを大きくカットして型に入れてあげれば、軟らかいチーズになるのです。チーズ製造はちょっと専門的ですので、ここでは話は省略しますが、山岳地帯では、長く持たせるために、なるべく水分を抜いて硬いチーズを製造します。逆に、平地ではすぐに食べられるような柔らかいチーズが多いのです。
現在ゴルゴンゾーラなど、ブルーチーズはカビの元をいれますが、起源をたどれば自然に発生したものです。ゴルゴンゾーラの歴史をお話すると、かつて、アルプスで放牧した牛たちを途中で休ませながら麓に帰ってくる途中にゴルゴンゾーラ村に辿りついて、牛が非常に疲れていたのか、人が疲れたのかわからないですが、休ませました。夜乳を搾り、凝乳酵素を入れてカードを作り、翌朝、また乳を搾ってカードをつくって、その二つを混ぜ合わせたところ、カビが発生したというのです。冷たいカードと熱いカードを交互にいれるので、中に隙間ができて、カビが忍び込んで出来たと言われます。当時は、ストラッキーノ・ゴルゴンゾーラと呼んでいました。ストラッコは疲れたという意味ですけれども、牛も人間も疲れていたからでしょうか?
ところで、現在DOP申請している、「ストラッキトゥン」というチーズがあるのですが、それがゴルゴンゾーラの原型だと言われます。ゴルゴンゾーラは、第二次世界大戦後に、いち早くアメリカに輸出されています。その後、ゴルゴンゾーラは軟らかいタイプが主流になっていきます。ですから、今日の人気のゴルゴンゾーラは、伝統的のほうではなくて、新しい技術によって作られたチーズです。1つ12キロもあるのですが、軟らかいですので、周りにすのこを巻いて崩れないようにして熟成をしています。そして、ちょうど日本に来るときはこれを8等分にします。縦に2分の1、それから4等分にして包装紙に包んで来ていますので、1.5キロのブロックで大体、レストランなんかにそういった形で売られることもあり、皆さんが買うときは大体200とか300グラムのポーションかと思います。ワインとも良し、料理にも良しということで楽しませてくれるのではないかと思います。
こちらは、タレッジョと呼ばれる、イタリアで唯一においの強いチーズです。フランスに行きますとウォッシュタイプと呼ばれて、表皮を塩水あるいは蒸留酒とかで洗うチーズがたくさんあります。フランスでそのようなチーズが発達するというのは、修道院と非常に関係していて、昔は柔らかいチーズに青カビが生えるのを防ぐために塩水で洗っていました。そうすると殺菌効果も非常にありますし、さらに、蒸留酒が発明されたこともあり、それで洗うことによって香りが良くなるということで、フランスあるいはドイツ、それからベルギーの辺りで非常に発展したチーズです。
イタリアではこのタレッジョの渓谷の辺りで、これはゴルゴンゾーラと同じようなカードを持ちながら、洗って熟成させるタイプのチーズです。中にはカビを生やさず、表皮はオレンジ色になります。ワインに良く合い、またイタリアチーズらしく、リゾットやパスタのソース、ポレンタにも良く合います。
さて、アルプスの麓の牛たちは、日本の牛とは顔が違います。日本ではホルスタインが多いですが、スイス国境のアルプスでは、ブルーナ・アルピーナといわれるグレーっぽい茶色の牛がいます。日本でも若干ですが飼っている人たちがいますので、ご存じの方がいらっしゃるかもしれないですね。日本ではブラウン・スイスと呼びます。ブラウン・スイスは英語ですから、日本の牛はアメリカから来たのが分かります。でも、原産はなんとスイスです!アルプスの少女ハイジの村の近くです。この牛は人気で、フランス語ですとブリュンヌと言います。イタリアですとブルーナ・アルピーナといって、特にこの北部のほうの地域にはよく見られる牛です。スイス原産の牛なのですが、非常にたんぱく質の含有量が高くて、チーズにするととてもいいチーズができるということと、山岳地帯に強い牛なので大切に飼っています。
この写真は、今年の9月に行って摂ってきたものです。タレッジョは何回も行っていますけれども、「タレッジョ渓谷でチーズを作っている人に会いたい」と思って出掛けました。ちょっと残念に思うのは、この山は観光客を受け入れられないのです。この山に登っていくのは、ここに住んでいる人だけ。立ち入り禁止の看板があります。普通の人が行けないので、ここに住んでいる人に連れて行ってもらったのです。一番おいしいタレッジョをつくる人というグリエルモさんは、地元では有名な方らしいのですが、仙人のような暮らしぶりです。こんな山の中で夏の間は生活しながらチーズを作っていました。
そして、作ったチーズを見ていただきましたが、これしかないのです。1日ほんの少量だけ、家族揃っての集合写真ですが、もう80歳近い人と、息子がなかなかあとを継がないので、お孫さんが次の代を担っていくということなのです。
彼らの事は、ある雑誌の取材を読んで知っていたのでいつか行きたいと思って、雑誌のコピーをずっとクリッピングしていたのです。それでやっと訪ねることができたので感動でした。とても、すばらしいところでした。でも、このチーズは流通することはないでしょう。
これは、アリゴーニ社ですが、まさにタレッジョ渓谷にある会社です。ここで熟成をしているチーズを私の会社では仕入れています。この写真は製造の様子です。タレッジョはこんな形で作っていて、カードはとても軟らかいです。型に詰めて成形。その後型から出した後に塩をして、その後カビが生えてくるために、表皮を何回もブラッシングをしていきます。こうすることによって、茶色の皮ができあがっていって、そしてにおいも独特のにおいがするようになります。
これもゴルゴンゾーラと同様に、リゾットとかのソースで食べたりしてもとてもおいしいチーズになります。イタリアの生産量は決してゴルゴンゾーラほどは多くないですけれども、とても人気のあるウォッシュタイプを代表するイタリアのチーズかなと思います。
さて、だんだん時間があと30分ぐらいになりますよね。今は8時ですか。
【橋都】 はい、そうですね。
【本間】 8時半までですか。
【橋都】 はい、そうです。
【本間】 じゃあ、いよいよパルミジャーノ・レッジャーノ辺りにいこうかなと思います。やはり、このチーズをなくしてイタリアチーズは語るなかれというチーズです。パルミジャーノ・レッジャーノ、でもイタリアは不思議なもので、専門のチーズ屋さんはピエモンテに行くと何軒かありますけれども、なかなかエミリア=ロマーニャから南のほうで専門のチーズ屋さんは見たことがないのです。必ず生ハムとかほかの食材と一緒に売っていて、チーズもこのようにたくさん並べて売っています。
パルミジャーノ・レッジャーノのサイズは年々大きくなっていて、今1つ平均が38キロもあります。これはパルミジャーノの工場ですが、もう行くたびに変化しています。進化しています、と言うべきですね。
実は、『パルミジャーノ・レッジャーノのすべて』というのを2年前に出版したのですが、無謀な計画を立てたため、4年もかかってしまいました。あまりにも、歴史は深く、知れば知るほど面白くなってしまいました。先ほど平均の重さが38キロと言いましたが、この大きさになったのも意外と最近のことで、20世紀になってからだんだん大きくなっていったのです。なんと、昔は平べったい形だったのですが、輸送に耐えられるようにだんだん大きくなっていきました。そういえば、私が初めてこの仕事をしていたころは、平均が30キロもなかったのに、38キロという巨体になりました。
この大きな鍋は1,000リットル入りでしたが、今は1,200リットル入れて作ります。大きく作るほうが確かに効率はいいわけですので、大きく作るように指導をしています。そのように、ここ十数年の間に、大きく変化をしていっているパルミジャーノですが、変わらない伝統があります。まずは昔ながらの銅鍋を使用すること。朝搾った乳と、前夜搾った乳を、広くて浅いプールのようなステンレス製のバットに流し、脂肪分を取り除いた2つのミルクを混ぜる。これがルールになります。もちろん殺菌はしません。
ですから、生の乳を使うというのが大きなチーズを作るときの原則になるのですけれども、殺菌に関しては、安全だとか危険だとかいろいろと議論されています。でも基本は無殺菌乳を使用することです。たとえば、ゴルゴンゾーラは熟成期間も短く軟らかいので今日では殺菌をしていますけれども、このパルミジャーノ用のミルクを殺菌したらこの味は生まれません。
この殺菌法を確立したというのは、ご存じの方が多いと思いますが、フランスのルイ・パスツールという人です。ルイ・パスツールから英語で私たちはpasteurization(パストリゼーション)という言葉が生まれましたし、日本語でもパスチャライズと言われていました。時々見かけることがある、「パスチャライズド牛乳」はパスツールから生まれた言葉ですね。フランス語はPasteuris_(パストリゼ)と言いますし、イタリア語では何と言うのでしたっけ?イタリア語も多分フランス語と近い言葉だと思うのですけれども思い出せません。この殺菌法が見つかったのが18世紀の終わりごろで、20世紀前後に牛乳が運べるようになったのと同時に殺菌法が一気に広まるのです。それまでイギリスで産業革命が起こらなければ、牛乳は搾ったところで処理される以外に運ぶことはありませんでした。
殺菌が当たり前になる前は、搾ったその場で飲むか、あるいは加工する、つまりチーズになる以外に方法はありませんでした。要するにミルクは食べるものであって、飲むものではなかったわけです。それが20世紀になり、新しい技術が導入され、各国に殺菌法が広がって行き、さらに輸送が簡単になったと同時に、いろいろな瓶入りやパック入りが発明されて、今は牛乳が大量に消費されるようになりました。イタリア人にとっては、コーヒーにミルクは入れるのに必要ですけれども、普段牛乳をガブガブ飲むということはないはずです。牛乳を飲むのは、アメリカ人と日本人なんていわれたりして・・。
また話がそれてしまいましたが、大きな銅鍋に、前日の夜と朝の乳を入れます。これは典型的なチーズ工場です。イタリア語でカゼイフィーチョと言います。製法は他のチーズと少し異なります。というのは、通常、乳を固めるためには凝乳酵素も入れるのですが、その前に前日に作ったチーズの残りのホエー(乳清)を入れて、乳酸発酵させます。それからやっと凝乳酵素を入れて固めるという、これはパルミジャーノチーズの独特の作り方になります。
これが、前日のホエーを熟成させているところなのです。けっこうな量を入れることがわかります。鍋には1200リットルの乳を入れることができます。凝固したら、鳥かごみたいに丸くワイヤーを張った専用のカードカッターで、これは「スピーノ」と呼ばれるものですが、職人がタイミングをみて、そっと鍋に入れて、そしてカードを壊していきます。これを機械化することは無理で、今でも職人が昔から変わらない方法で行っている作業なのです。でも残念ながら、パルミジャーノ・レッジャーノを作る工房はどんどん減っています。
昔は、といっても、そんなに昔ではないですが、1980年代は1,200軒もあったそうですけれども、21世紀になると700軒くらいになってしまい、今は450軒くらいになっています。2年前に本を作ったときに、すべての工房のリストを協会からいただき、かなり細かい作業でしたが、工場の番号とそれから住所も載せたのですけれども、悲しいことに、年々少しずつ消えていっています。
パルミジャーノ・レッジャーノは2年以上熟成させますから、その工場はなくなったとしても番号は消えるのは2年後か3年後なのです。この先も減少は食い止められないと思います。このパルミジャーノ・レッジャーノだけではないですが、イタリアのチーズの中で変化が起きていることは事実です。
またかつては、ほとんどの工房は夫婦単位で行っていました。1,200リットルの鍋の中に棒をいれて、中に沈んだ塊を引き上げるのですが、この塊はかなりの重さになります。水分をたっぷりと含んだ状態ですから、100キロ以上あります。その塊をまず引き上げて紐で縛ってから、2つに切って、麻布に包み紐で縛って吊しておきます。年々パルミジャーノ・レッジャーノは大きくなっているのですから、夫婦単位では無理で、今では男性たちの仕事になっています。
水分をある程度切ったところで、型に入れて形を整えます。何度も反転を行い、最終的には、太鼓型をしたステンレスの型に入れます。実は内型のところに、パルミジャーノ・レッジャーノ協会のロゴが入る仕組みになっていて、ここでしっかりと表面に模様が入る仕組みになります。ステンレスの型から出してから、飽和状態の塩水に入れてしっかりと塩をするのと同時に固い表皮を作ります。昔はこうやって上がプカプカ浮いてくるので、まんべんなく塩をするために、定期的にくるくると回していたのですけれども、現在ではかなり近代化が進み、このようにしてラックにいれて沈めています。こうするとひっくり返す必要もなければ、短期間で塩水に漬かります。昔は3週間以上塩水につけて置きましが、今はもう少し短くなっているようです。
そして最後は専門家が熟成業者を訪ね、熟成がきちんと出来ているかどうか、中に穴が空いていないかどうか、トントンと叩いてチェックします。問題がなければ、合格したと判断され、やっとパルミジャーノ・レッジャーノの称号が与えられるのです。それがこの焼印です。焼き印の現場を見学させていただきましたが、煙を立ててジューッと焼かれるので、カーヴの中は煙でもうもうになります。この焼印が押されてからやっと出荷ができるようになります。もし、この焼印をもらえないものは、表皮に印字されているパルミジャーノ・レッジャーノの文字が見えないように、表面の皮が削られます。
これはもうパルミジャーノ・レッジャーノとしては、販売できないため、2級品として、もう名前は名乗れないですので、粉チーズ用で販売されていきます。皆様も購入される際は、ちゃんとパルミジャーノ・レッジャーノの文字があるかどうかを確認する必要があるのです。皮の部分は食べられないから、と中身だけだったり粉になったものを買ってしまったら、もしかしてそれは、2級品だったりする可能性は大です。気をつけましょう。
この美しい家は、昔のチーズ小屋です。パルマのほうに行くといろいろなところに保存された8角形の家がありますので、もし見かけることがあったら、覚えておいて下さいね。「パルミジャーノのおうちだな」と思ってください。
パルミジャーノ・レッジャーノの焼印の印の上には、3桁か4桁の番号が入っています。ここにあるのが、これが2320とか361とか、これは工場番号です。これが3けただったらレッジョ・エミリア県、4けただったらパルマかボローニャかモデナ県になります。この番号で追跡調査ができるということと、またここに印字された数字は、作った年号と月が分かるようになります。
また、協会が押している焼き印はいくつか種類があります。1つの押されたものですと、最初の検査で合格したもので、もう1つexport、あるいはextraと押されていると、これはもう1回検査を押したものなので熟成期間が長くなります。熟成によって値段が変わるのは当然ですね。一番安いのは「プリマ・スタジョナトゥーラ」。1年ぐらいの熟成です。日本では見かけることはないと思います。平均すると2年ものが流通していると思います。さらに高いものは36カ月だとか、5年とか6年とかもありますけれども、これを選ぶというよりは、信頼できるお店を知っていることかと思います。
いろいろとこだわる人が多いパルミジャーノ・レッジャーノですが、たとえば伝統牛の乳でつくるものは価格が上がります。たとえば赤牛、イタリアではヴァッケ・ロッセのパルミジャーノがあります。パルミジャーノ・レッジャーノの話は尽きませんね。
とにかく、表面の印字のあるものを塊で購入することをお勧めします。粉にしたものですと酸化が速いですから。できたら、使うたびにおろすのが一番おいしい方法かなと思います。お料理だけではなく、おつまみにも手軽ですから、あっという間に1キロぐらい食べると思いますよ。
とにかく、このパルミジャーノ・レッジャーノがいつ出来たのか、なかなかそれを教えてくれるところは少ないかもしれないですけれども、本当は作った季節もわかると「ああ、何年熟成、今は今日でどのくらいの熟成を経ているのだな」ということがわかって非常に面白くなったりします。
だんだん時間が短くなりましたので、急いで中部から南へ旅をしていきたいと思います。とはいえ、イタリアのDOP34種の、3分の2は北ですのでほぼ話は終わったも同然です。残りの3分の1が中部と南にあります。中部と南の特徴は、まず羊のチーズが多いことです。羊のチーズを総称してペコリーノと言います。ですからペコリーノのあとに地名をつければ、どこの産地が簡単に分かります。たとえば、「ペコリーノ・トスカーノ」、「ペコリーノ・ロマーノ」、「ペコリーノ・シチリアーノ」、それから「ペコリーノ・サルド」、サルドはサルディーニャです。その他にも地域ごとにペコリーノと付くのがいっぱいあります。羊のチーズはイタリアの歴史そのものといってもいいかもしれません。
もう1つがパスタ・フィラータ。つまりモッツァレラに代表されるカードを伸ばして固めたチーズです。この2つが南イタリアの中部から南の特徴です。それ以外のチーズはないといってもいいかもしれないです。北部のチーズとはまったく異なった南のチーズで、牛乳でできたチーズはすべてと言ってもいいほど、パスタ・フィラータのチーズしかない地域なのです、非常に面白いと思いませんか?
世界中から、たくさん観光客が行くトスカーナに行きますと、ペコリーノ・トスカーノというチーズがあります。1つ2~3キロの小さなチーズですけれども、とても人気のある羊のチーズです。これを赤ワインと一緒に食べたりします。今では一年中つくられますが、かつては冬は乳がないのでつくられなかったため、保存用にオリーヴオイルを塗っていたこともあります。もし、ご自分でも長期保存したいと思ったら、オリーブオイルをかけておくと長持ちします。あるいは、オリーブオイル漬けにしておいてサラダと一緒に食べたりするのもお勧めです。イタリアの人たちは空豆を生で食べますので、春先になると空豆と一緒に食べたりしますね。でも、日本のそら豆は固いですので茹でたり焼いたりして一緒に食べて下さい。とてもおいしいです。
これはトスカーナの小さな工房です。近くのおばさんたちが集まってつくっています。
パルミジャーノの場合は重たかったので男性が多いですけれども、小型のチーズの工房はほとんど女性たちです。昔ながらの方法で製造しているのがわかります。ホエーを抜くために、一生懸命型にギュッギュッと型の中に押し込んで入れていきます。後ろのほうに、完成したチーズが並んでいます。小さな熟成庫では、ふきんで磨きながら熟成していくわけです。
ところで、チーズ作りが終わったら、もう1つのチーズをつくります。南イタリアが特徴のチーズですが、「リコッタ」です。リコッタというのは、「再び煮る」という意味なのですが、チーズを作ったあとに残ったホエー(乳清)が、まだたんぱく質を含んでいますので、そこの中にもう1回ミルク、あるいは生クリームを少しだけ足すと上にブクブクと、まるで、おぼろ豆腐みたいに浮いてくるのです。それを網じゃくしですくってかごに入れてできあがったのがリコッタです。
日本でもパック入りのリコッタがたくさん売られていますが、本物にはなかなか出会うことはできないと思います。何しろ日本のリコッタは牛乳製が多いですから。一番おいしいのは、羊のリコッタ、もっと南にいきますと水牛のリコッタもあって、それがほんとうにおいしいのです。でも、大量に流通させるためには、北のほうで大量生産されている牛乳製のリコッタで我慢しなければなりません。現地で、この羊のリコッタのできたてを食べるとそれはそれは、甘くておいしいと感じると思います。ハチミツをかけて食べるのがお勧めです。だんだんお腹がすいてきましたね(笑)
ところで、このリコッタを一番たくさん食べるのはナポリのほうの人たちらしいですけれども、お菓子にしたり、あとはそれからパスタの詰めものにしたりとか。シチリアでは、「カッサータ」や「カンノーリ」に必ず使うのがリコッタです。これはリコッタの熟成です。かなり水分を抜いて塩をしっかりして、あるいはスモークをかけて、長期保存する方法があります。これを削ってパスタにかけて食べるのが南流です。
今日はDOPではないのですけれども、皆さんに「カチョ・ディ・フォッサ」を紹介したいと思い、ハガキを持ってきました。私の会社では毎月ひとつのチーズを決めてプロモーションしていますが、今月プロモーションの「カチョ・ディ・フォッサ」を持ってきました。これはペコリーノチーズを穴に埋めて熟成させるチーズです。どこにあるかというと、ソリアーノ・アル・ルビコーネと呼ばれる小さな村で、トスカーナの北のエミリア=ロマーニャの境の辺りなのですけれども、サンマリノ共和国のすごく近くです。これはセメントで固めていますけれども、この穴を掘って夏に埋めて11月に掘り出すという、不思議で、非常に面白いチーズです。
こんな感じで取り出しています。なぜこんなチーズが出来たのかというと、戦争があった昔、敵からチーズを守るために穴の中に隠したということが始まりだそうです。それが、おいしくなっていたというのですから、まさにタイムカプセルみたいなものです。
これは掘り起こしたばかりですから、べたべたしていて汚れています。こうして、きれいに掃除をして、もう真空にしてパックに入れますから香りが逃げません。形はいびつになっていますが、綺麗な布のパックにいれて出荷するのですが、急に高級チーズになってしまいます。ぜひ、皆さんハガキをあとで読んで下さい。このチーズは12月の楽しみのチーズ。毎年11月、12月になると輸入していますが、毎年出来具合が違うところも面白いところです。ユニークな歴史を思い出しながら食べるとよりおいしいですね。
日本ではすっかりと有名になった、パスタ・フィラータを代表する「モッツァレラ」についてお話しなければなりません。正式な名称は、「モッツアレラ・ディ・ブッファラ・カンパーナ」で、水牛のミルクからつくられます。モッツァレッラは、牛乳製もたくさん出回っていますが、本物は必ず、水牛のミルクで作らなければいけません。
水牛がナポリ周辺にいるのは、不思議ではっきりとルーツは分かりませんが、どうやらアジアのほうからやって来たのではないかと言われます。でも、南の、しかもナポリの周辺の湿地帯にだけ生息しているのはとても不思議です。
水牛のお乳というのは羊と同じぐらい脂肪分が高いのです。牛乳というのは脂肪分が3.5~4%ぐらい。たんぱく質も3%強ですが、それに比べて羊は7%以上の脂肪分があります。ですから、チーズを作ったとき歩留(ぶどまり)がいいのですね。同じ1リットルからできる量が多い。実はあまり知られていませんが、水牛も羊くらい非常に多いのです。脂肪分は7%以上あって、ミルクの量は水牛からたくさん搾れないのですけれども、歩留まりがいいのです。
水牛製のモッツァレッラは高価ですが、一度食べたら病みつきになる美味しさです。これは水牛です。実は水牛の良さが各地で認められて、ヨーロッパ各地で水牛を飼い始めています。とはいえ、DOPの産地はここだけです。水牛は泥んこの中にいます。どろんこで遊んだら、草原でのんびり。日本では馴染みがないですから想像ができないかもしれないですね。でも、実は最近、九州で水牛のモッツァレッラを作り始めた人がいます。最近テレビでも紹介されましたが、水牛が注目されていることが分かります。世界中で「水牛を飼おう」という動きが出ています。
いずれにしても、イタリアのこのモッツァレラは世界中に影響を与えた、先ほど「ゴルゴンゾーラがスーパースター」と言いましたけれども、実は、モッツァレラはもっとスーパースターかもしれないですね。このモッツァレラなくしてピッツァはあり得なかったですし、日本でこんなにピッツァが発展することもなかった。あるいは、かつてイタリアに住んでいた日本人にしてみたら、お豆腐を懐かしんでお醤油をかけて食べた話をよく聞きました。そのくらい、和風でも使えるのですから、日本でモッツァレラが発達した理由がわかります。でも、このモッツァレッラは牛乳製であって、水牛ではないです。
さて、こんな泥んこの水牛ですけれども、水牛は水が大好きですので必ず搾乳の前は全身シャワーを浴びます。水牛たちにとっても気持良さそうです。初めて訪ねた頃に、どうやって搾乳するのかと、私はちょっと心配したのですけれども、上から下からシャワーがでてくる仕組みになっているので、もしかしたら普通の牛よりも清潔かもしれないなと思いました。それで、シャワーを浴びたあとに搾乳をします。
モッツァレラ作りは、見ていて飽きることがありません。まず固めたカードを細かく切った中に熱湯を足していって、そしてこれをこねると糸を引く、本当につるつるのお餅みたいになります。お餅みたいになったところを──ほら、お餅みたいでしょ──開けて、そしてこうやって二人一組でちぎっていくのです。モッツァーレはちぎるという意味なのです。ですから、モッツァレラって、ちぎるという言葉からでき上がったものです。熱湯ですからやけどをするくらい熱いのですが手を冷やしながらちぎって、ポトンと塩水の中に落としたらもう食べられる。
昔は流通が、今日のように発展していなかった頃は、現地で食べる以外方法はありませんでした。日本で手にはいるのは牛乳製だけ。水牛のモッツァレラは食べられるようになるなんて夢にも思いませんでした。それが、輸送が発達したおかげで、短期間で日本に入るので、私たちは毎週おいしいモッツァレラを輸入することができるようになりました。
私の扱っているのは、サレルノ県の南エボリにあるマダイオ社のもので、自慢ではないですがほんとうにおいしいです。今日は火曜日ですから入荷日だったのですが、その週末には売り切れてしまいます。毎週入荷していますので、ぜひ一度食べていただきたいです。
ただこのちぎる作業ですが、今はほとんど機械化されていて、カードをさっきのように機械に入れるとポトンポトンと落ちてきて出来上がります。おいしいモッツァレラを見分けるコツは、ナイフを入れるとジューッとミルクが染み出てくるものです。かまぼこみたいなものを買ってはいけませんよ。
【会場】 (笑)。
【本間】 切ると硬くてミルクがジュッと出てこないような、これはちょっと悪いモッツァレラなのです。最上のものは、フレッシュ感がありミルクが口の中に入れてもジュッと感じるものを選んでいただきたいです。そしてこのパスタ・フィラータの親戚には、「カチョカヴァッロ」があります。また「スカモルツァ」もあります。他にもいろいろな、あとはシチリアに行くとラグザーノとかがありますけれども、みんなその仲間です。
カチョカヴァッロも、スカモルツァも、ラグザーノも牛乳製のチーズです。南には、羊の乳とパスタフィラータと言いましたが、水牛製のモッツァレッラ以外のパスタフィラータは牛乳製です。これはカチョカヴァッロの製造です。紐を架けるのは手作業です。DOPの正式名称はカチョカヴァッロ・シラーノと呼びますが、カチョはチーズ、カヴァッロが馬。二つ対に紐にかけて吊す姿が、馬の背中にまたがったような状態だったのでカチョカヴァッロと呼ぶようになりました。南イタリアのほうはチーズを、フロマッジョと言わないでカチョと言います。シラーノというのはカラーブリアのシーラの森からきたのですが、こんなに豊かな森が茂っていました。でも、聞くところに夜と、森林は伐採されて、昔は建材としてローマに持っていかれたので、カラーブリアのシーラの森は寂しくなったそうです。とはいってもこの深い森にはジプシーがたくさん住んでとても危険なところだそうです。南イタリアは危険なところがいくもありますね。
私は訪ねてから10年以上たつのですけれども、イタリアの南のほうに行けば行くほど不思議な出会いがあります。たとえば、今も伯爵家とか男爵家とかがありますね。このカチョカヴァッロは、男爵家だったように記憶しています。なにしろ、使用人がチーズを作っているのには驚きました。森に囲まれたすばらしい邸宅ですが、その庭の一角にチーズ小屋があるのです。
作り方はパスタフィラータですから、モッツァレッラと似ています。硬くなったカードを薄く切って、そこにお湯を足している。さっきのモッツァレラと同じなのですけれども、こうやってカードを練っていくとこういうようにだんだん糸を引くようになってきて、どんどんとこんな具合に・・・。
パスタ・フィラータ、「パスタ」はカード、チーズのパスタということです。「フィラータ」は糸という意味なので、糸状の組織ということで、まさしく糸状になっているのを確認できます。そして、今度は糸巻きみたいにクルクルと巻いています。巻いて、巻いて最後に丸め終わったら成型していくのですが、熱湯に付けながら成型をしていって出来上がったのがこちらです。
この方法を見て分かるように、カチョカヴァッロ・シラーノはまさしくモッツァレラの方法でできたということです。こちらが男爵様です。実はこの日に、ちょうど10年物のカチョカヴァッロをご馳走してくださって・・・。まるで儀式のような雰囲気になりました。中身はまるでパルミジャーノのようになっていてとてもおいしかったのですが、これは特別のチーズですね。10年物のカチョカヴァッロなんて聞いたことがありませんから。
さて、これはまた羊のチーズですのでペコリーノの種類と、この羊のチーズをつくった後につくるリコッタです。先ほども少し話しましたが、南のほうの人たちはリコッタを熟成させて、それをパスタにかけてよく食べますので、リコッタもフレッシュもありますけれども、熟成したリコッタもあるのです。
時間がだんだんとなくなってきましたので、サルディニアに行きます。
サルディニアは人間よりも羊が多い島ですね。山の中に行きますと、こういった昔ながらのチーズ小屋があります。ここで「フィオーレ・サルド」というものを作っていました。ところで、よく話題になる話ですが、虫の入ったうじ虫のチーズというのを聞いたことがありますよね?そのウジ虫チーズが存在するのが、サルディニアです。もちろんこれは法律的には販売は禁止ですが、どうやら密売はされているようです。行った人のみ食べることのできるチーズらしいのですけれども、食べたくはないですね。でも、怖いものみたさ、というか興味はありますね。
さて、これは、チーズを凝固させる酵素ですが、昔ながらの方法で胃袋から抽出しています。普通は胃袋から抽出したものでも、液体状になって売っているものを買ってくることが多いですが、さすがにサルデーニャは昔のまま。このチーズに関しては、自分たちで作ることが条件なのです。この吊してあるのが、乾燥した羊の胃なのです。これを細かく砕いてから、溶いて自分で凝乳酵素を作ります。
この小屋はいつの時代のものだろうか、と思えるほどのものでした。しかも、こんな小さな鍋で直火にかけて作っています。ミルクを固めた後は、普通ワイヤーとかカードを切る専用のカッターを使いますが、なんと、ここではすべて手で行っていました。なんと、手でこうやってかき回しているのです。かつて、チーズはこうして作っていたのだなというのだと思います。それにしても、この写真は10年前のものなので、今は近代化が進んでいるかも知れないですね。
カードが固まったら、鍋に板を置いて、その上にバケツのような形をした型をおいて、その中に、手でカードをギュッギュッと詰めて作っていくのですが、あまりにも時間がかかるのです。のんびりとしていて、のどかになってしまうような光景でした。このフィオーレ・サルドはたった3個だけしかできませんでした。これだけの鍋ですから、ちょっとしか作れないです。この後は、塩水に漬けて、それが終わったら、小屋の上の棚に乗せて、熟成させていきます。チーズ製造はいつも、直火ですから、上に乗せたチーズは、自動的にスモークの香りが移って、自然のスモーク香ができるという仕組みになっているわけです。
それにしても、サルディニアは不思議な島で、私は虫入りのチーズも現地で見せていただきましたけれども、あまりにもびっくりして、やはりあまり食べる勇気はないですね(笑)。皆さん、食べたことがある方はいますか?
ところで、サルディニアは他にも面白いものがありますね。これはパーネ・カラサウというパンです。チーズ見学のついでに、それも見に行きましたが、本当にこうやって風船みたいに膨らんだものをビリッと破って、そしてもう1回空焼きして出来上がります。
サルデーニャでは、チーズと一緒に添えて必ずこのパーネ・カラサウが出てきます。
今日はシチリアの写真を持ってきていないのですけれども、サルデーニャのチーズに似たものや、カラーブリアのチーズに通じる点が多いので、省略します。
ひとつ大事なチーズ、ラグザーノを説明します。シチリアに行きますと、彼らは、なんと、カチョカヴァッロとも呼んでいるのです。カチョカヴァッロからラグーザという町の名前が付いてラグザーノ。このチーズは四角くて、なんと、20キロもある大きな柱みたいなチーズなのです。
なぜそんなチーズになったのかと調べたら、やはりアメリカにシチリアからたくさん移民が渡ったときに、カチョカヴァッロはコロコロしていますから、船が進むとコロンコロンと非常にあっちに行ったりこっちに行ったりします。ですから四角く積んで、きっちり積めるように四角くしたのだそうです。
別名でスカルミ、階段という意味がありますが、愛称で呼ばれてきた歴史もあります。でも現地の人は「これはカチョカヴァッロだ」と言いますので、カラーブリアと同じような歴史があるんだなということがわかってきます。
かいつまんで話をさせていただきましたが、中部から南は、ペコリーノとパスタ・フィラータのチーズ。北のほうは硬くて丈夫なチーズと、あとは小さなチーズもありますけれども、牛乳製のチーズがほとんどです。北と中部、南部というのははっきりとした特徴が現れていたのではないかなと思います。
ざっとイタリアの旅をしましたが・・・でも、今日はチーズも何も食べず。
【会場】 (笑)。
【本間】 1時間半。皆様に少しずつでも食べていただけたら、もっと理解が深まったと思うのですけれども、とても残念で仕方ありませんが、続きは愛宕山にありますので、ぜひフェルミエにいらしていただきたいと思います。では、ありがとうございました。(拍手)
【橋都】 本間さん、どうもありがとうございました。
【本間】 ありがとうございました。
【橋都】 試食がないのが大変残念ですけれども。いかがでしょうか、ご質問がある方もおられるかと思いますけれども。よろしいでしょうか。それでは、僕から最初にちょっとお伺いしたいのです。
【本間】 はい。
【橋都】 先ほど「パルミジャーノの工房の数が減っている」というお話がありましたけれども、生産量そのものが減っているのか、そうではなくて集中されるという方向に向かっているということなのですか。
【本間】 そうですね。生産量は減っていないですけれども、ここしばらくずっと少し横ばい状況で……。
【橋都】 横ばいですか。
【本間】 昔はパルミジャーノのほうが生産量は多かったんですけれども、今はグラーナに完全に抜かれていまして、グラーナが伸びています。パルミジャーノは横ばい状況です。
【橋都】 わかりました。ほかにいかがでしょうか。
【質問者1】 チーズの家庭での保存法というのは、モッツァレラなんかはすぐ食べてしまうんですけれども、パルミジャーノとかペコリーノは結構置いてあって、冷蔵庫の中に一年中置いておくことがあるので。私は冷凍してしまっているのですけれども、それは邪道でしょうか。
【本間】 いや、悪くするよりはいいと思います。確かにパルミジャーノは私も冷蔵庫に結構忘れるぐらい置いておいたりするのですけれども、粉にしたときはやはり違うのですね。粉にすると冷蔵庫臭がずいぶん入っていて、「ああ、これはちょっとまずいな。しまったな」と思いながら、もうしょうがないかなと使うことがあるのですけれども、私も何種類もチーズを置いているのでつい、「パルミジャーノはいいか」と思ってポンと置いておくのが、やはり粉にすると「悪くなっているな」と思うときがありますので、もしあれだったら粉にした状態で冷凍にするとか。
【質問者1】 そうですか。
【本間】 それでも、硬いままでおろすのだったらいいのですけれども。冷凍しておろす、それでもいいかもしれないです。
【質問者1】 いいですか。
【本間】 いいです。
【質問者1】 邪道ではないですか。
【本間】 邪道、本当は「いけない」と言われますけれども、でも悪くするよりは私はいいと思います。あとは、それから注意しなければいけないのは、ブルーチーズ、ゴルゴンゾーラなどはやはり冷蔵庫に入れると色が変わるんです。ブルーの色が変わりますので、それは光を嫌っているのです。ですので、アルミで包むといいのですけれども、「ホイル臭が嫌だ」という人はちょっと無理ですけれども、チーズの味にすごく敏感な方は「ラップのにおいが嫌」「ホイルのにおいが嫌」「金属的で嫌だ」とかいう方は、専用のフィルムを買うしかないのです。それは私たちも扱っていますけれども、専用のフィルムでちょっと包んだあとに包むとにおいは納まります。ですから、専用フィルムで包む。とにかくゴルゴンゾーラの場合は専用のフィルムで包んだあとにアルミで包むと色は変わらないです。
【橋都】 ほかに、いかがでしょうか。
【質問者2】 チーズは、1種類でもなかなか大変だと思うのですが、クアトロ・ファルマッジというのが、ピザとかにありますね。僕もミラノにいる頃はそれを知って大変好きで、近所のスーパーのチーズ屋さんのおじさんに選んでもらったら、非常に向こうは喜んで、「これと、これと、これがいいよ」と言うので、仲良くなってよく食べていたんですけれども。日本へ帰ってきたら、日本でも結構あるのですね。僕は、あれは日本人にはとても合わないのではないかと思うんですけれども、どうしてそんなに日本で好まれるのでしょうか。まずそこが不思議なのです。
【本間】 そうですね。クアトロ・ファルマッジは別に4つでも5つでもなんでもいいのですけれども、余っているチーズを適当に入れたらおいしくなるという感じなのでしょうけれども(笑)。きっとみんな日本人はわがままですから、「そんなに使っているのだったら食べたいな」というような、1つよりも4つのほうがおいしそうに聞こえますね。意外とチーズは混ぜ合わせるとおいしくなったりするので、「ゴルゴンゾーラがちょっとある、こちら側にタレッジョもある。じゃあ一緒にしてしまおうか」と溶かすと、それなりの味は楽しめるからかなと思います。だから、私もそう思いますけれども、あると「ちょっと頼もうかな」と思うようなメニューかもしれないですけれども。
【橋都】 ほかにいかがですか。では、辻さんから。
【辻】 ペコリーノなのですけれども、ペコリーノ・トスカーノと、ペコリーノ・ロマーノで、僕も何回も経験しているわけではないのですけれども、なんとなくペコリーノ・ロマーノのほうが塩辛い気がするのです。
【本間】 塩辛いです。
【辻】 それは食べ方というか、まずお伺いしたいのは、作り方に違いがあるのか、それから食べ方として標準的な違いがあるのかをお伺いしたいのですけれども。
【本間】 作り方も違います。食べ方も違いますと言ったほうがいいでしょうか。両方とも違うのですが、ペコリーノ・ロマーノというのは先ほど言ったように非常に生産量が多いチーズで、これはイタリア人がアメリカに移民したと同時に大量に作られたチーズで、ローマの近郊でできました。イタリアチーズの中で一番古い歴史があります。
ローマ建国のころ、建国の父と呼ばれるロムルスが狼に育てられ、羊の乳を飲んだという歴史があるので、そのときに、すでにペコリーノ・ロマーノが登場するのです。そのくらい古いものなのです。その時代からつくられてきたのですが、あまりにもしょっぱいチーズ、といっても、昔のチーズはみんなしょっぱいです。
ペコリーノ・ロマーノはもちろんですが、その南のチーズ、シチリアとかサルディニアのチーズもすごく塩辛いのは、さっきお話しましたが、現在は塩水につけますが、もともとは、塩水に漬けるのではなくて、チーズの上に塩の塊をドボッと乗せておく。チーズ全体にも塩をまぶして、それから更に上から乗せるのですから、ものすごくしょっぱくなります。でも、こうして作ることによって長持ちさせたんです。そのようなチーズだからこそ、長い船旅にも耐えて、アメリカまで運ぶことができたのです。ペコリーノ・ロマーノも意外と組織はボロボロと崩れやすく、パルミジャーノ・レッジャーノみたいに粉にして食べるほうが多いです。トスカーナでつくられるペコリーノはしなやかなで切って食べるチーズですが、ロマーノは崩れやすくパスタにかけて食べるのに最適です。といっても、今日では、生産の中心は9割以上がサルデーニャです。残念ながらローマではほとんど作られていません。
昔は保存させるために塩をたっぷりとしましたが、時代の流れから、「あまりしょっぱくしてはいけない」という風潮になりました。塩辛いですが、料理に生かせば良いのです。
たとえば、ローマ生まれのパスタ「カルボナーラ」や、もう少し南で生まれた「アマトリチャーナ」は、ペコリーノでなければいけないと言われます。それを知らずに、パルミジャーノ・レッジャーノなどを使うレストランも多いのですが、ペコリーノを使ってこそ、コクが出るわけです。
【質問者3】 どうも、面白い話をありがとうございました。1つ伺いたいんですけれども、チーズ屋さんでチーズを選ぶときに、自分の手で、指で触れないですね。普通、ガラスのケースなんかに入っている。
【本間】 はい。
【質問者3】 「自分が見て熟成度がわかるのだ」とその人は言っていたのだけれども、そういうことというのはあるのですか。
【本間】 いや、私はわからない。見ただけでは、わかないと思います。日本では目安になるのは賞味期限。「これは賞味期限が近いから熟成しているかな」とか、「まだこれは若いかな」とか。あとは店員さんに聞くしかないのですけれども、海外は裸で置かれますから、手で触って確かめます。みんな、平気で触ったり、押してみたり、するのですけれども、日本ではそういうことは衛生法で禁止されていますから出来ないですね。
チーズを裸で置いているということはまずないですし、チーズの熟成具合を言うのでしたら、イタリアはあまりないのですけれどもフランスのカマンベールなんかですと、フランス人は「必ず横を押してみなさい」と、「側面を押してそれで熟成具合を見なさい」と教えてくれます。でも、日本ではそんなことは出来ません。とにかく、お店の人に任せて大丈夫だと思います。勝手にお店に入って、箱を開けて押したりしたら、これは買わなければいけなくなりますね(笑)。これはそのまま置いておけなくなりますので。ですから、見ただけでは分からないと思います。
たとえば、外皮の色が変化してくるものは、真っ白から、少しずつ黒ずんできたり、ちょっと色が付いてきたら熟成したというのがわかりますけれども、簡単にわかるものではないと思います。
【橋都】 ほかにございますか。
【質問者4】 また馬鹿馬鹿しい質問なのですけれども、豚の乳製品は聞いたことがないのですが、豚からチーズとかを作るとかということはあり得ないことなのですか。
【本間】 豚のおっぱいを見たことがありますか。豚は子だくさんでほとんどミルクを出さないのです。
【質問者4】 全部子どもが飲んじゃうのですね。
【本間】 飲んじゃうし、ミルクがおそらくチーズに向かない。
【質問者4】 向かないですかね。
【本間】 たくさん搾れたとしても、向かないかも。
【質問者4】 脂肪が低いとか?
【本間】 脂肪もそうですが、たんぱく質もありません。人間の母乳もそうですけれども、ほとんどが乳糖なんです。
【質問者4】 乳糖なんですか。
【本間】 甘いのです。乳糖が多いと固まらないのです。
【質問者4】 そうですか。どうもありがとうございました。
【本間】 だから、あとは牛ではなくて馬とかロバもそうなのです。馬とかロバも乳糖が高いので、馬乳酒とかはモンゴルで作りますけれども、チーズにはならないです。
【橋都】 いかがでしょうか。
【本間】 ちょっとごめんなさい(笑)。
【橋都】 大御所から質問が。
【本間】 怖いですね(笑)。
【質問者5】 今日は、結構なお話をありがとうございました。本当に初歩的な話なのですけれども、ソット・ヴォートで、真空パックのやり方の問題なのですが、イタリアで例えばパルミジャーノ・レッジャーノやなんかを真空パックにしてもらうと、かなりいい状態で持つのですが、日本で切ったものを日本のマシーンでソット・ヴォートをかけると、それがどうもイタリアみたいに持たないということで今まで経験してきたのですけれども、最近いい機械ができたのでしょうか。
【本間】 ないです。イタリアに行ってやってもらうしかないと思います。本当にイタリアの真空機の技術は素晴らしくて、私も何年前でしょうか、パルミジャーノ・レッジャーノを玉で輸入してから、日本で全部カットしてから、包装してラッピングして売っていたのですけれども、イタリアで真空されたもののほうがずっと状態がいいのです。それで実験したのです。イタリアで真空にしたものを3カ月後に食べたり6カ月後に食べたりしても変わらないので、何が違うのだろうかと。日本でかけたものが駄目なのです。
何が違うのかと思ってイタリアに行って見てきたら、イタリアの真空パック機というのはチーズに熱をかけないで真空にする技術がすごく発達しているのですけれども、普通の真空機というのは熱をギュッとかけるのでいったん周りが溶けたりして味が変わってしまいます。日本の真空機はまだ熱がかかるもので、私のところにもありますけれども、日本で真空をかけて売ったら、そんなに長い間おいしい状態を保つのは難しいと思います。
ですから、イタリアのように長期に3カ月とか6カ月というような賞味期限を付けられないです。
イタリアの真空機に入ったパルミジャーノ・レッジャーノを買ったら、それをポンと捨てないでその中にまたもう1回戻してくるみ直すと長持ちします。不思議なのですけれども、包装されている材料が違うのかなというぐらいです。購入された方に、私たちはお客様に「真空パックのその紙すらも捨てないように」と言っています。
こんなに苦労しているのですから、イタリア製の真空機を輸入するといいのかもしれないですね。
【質問者5】 ありがとう。
【橋都】 では、もうお一方。
【質問者6】 チーズといえば雪印しか知らなかったのですが、大変参考になりました。勉強させていただきましたが、素人なのでちょっと変な質問をさせてもらいますが、チーズの生産に携わっている人がイタリア全体で何名ぐらいなのか。それからその生産力を、あるいは生産額にしたらどのぐらいなのか。輸出はその何%ぐらいなのか。これは変な質問なので、ちょっと答えられたらでいいのですが。
【本間】 非常に難しい、いや、調べないと答えられないです。何人と言われるとちょっとわからないですね。
【質問者6】 「ワインと比べるとどうかな」と今思ったものですから、質問させてもらいました。
【本間】 ワインはどうですか。馬場先生ご存じですか。
【馬場】 わからないです。山の中でご夫婦が作っている現実がとりあえずあるわけですから。何人で……、非常に難しいのではないのでしょうか。
【本間】 わからないですよね。
【質問者6】 そうですか。わかりました。それで、関連してまたつまらない変な質問ですが、このイタリアの人がほとんど、もしかして自国で食べてしまっているのだとしたら、健康面の影響は全然ないのか、例えば高血圧の人などは塩分をたくさん摂ってはいけないと言いますよね。そういう中で、チーズをいくら食べても高血圧の人に悪影響はありませんか。
【本間】 どうでしょうか、そういった文献が、もしお医者さんがいるのだったらちょっと教えていただきたいですけれども、お医者さんがいますから教えていただきたいですが。
【橋都】 やはり、いくらチーズでも塩分は塩分ですから、摂りすぎればそれはもう高血圧のもとにはなると思います。
【本間】 では、イタリア人は高血圧の人が多いのでしょうか。
【橋都】 高血圧は結構いるようです。高血圧の研究は結構盛んです。ただ、日本と比べて高血圧の患者が多いかどうかというデータは僕も持っていませんので、よくわかりません。
【本間】 一番世界でチーズを食べる国民は、実はギリシャ人なのです。年間に、日本人が2キロしか食べていないところを26キロから27キロ食べます。次に多いのがフランス人で25キロぐらい食べています。イタリア人は、実は北の人はたくさん食べるのですけれども南の人が少ないので、平均すると17kgぐらいだったと思います。
スイスやドイツ人も良く食べますから、それよりもイタリアのほうが少ないと思います。とにかく、ヨーロッパ全体では消費は多いです。イタリアでも北部の人たちはフランス人並に食べているはずですけれども、健康を害したからチーズを食べないという話はあまり聞いたことがないです。
私は今日たまたまちょっとお昼にフランス人と会っていたのですけれども、フランス人のまだ2歳になろうとしている子どもに、ちょっと渋谷店でチーズを150グラム買ったのですけれども、なんとそれをパッと開いて全部与えていたので、私はびっくりしました。少しずつちぎっては口にいれてあげていたのですが、気がつけば全部です。こんな小さな子供の頃から、こんなに食べていたらチーズは無くてはならない食べものになると確信しました。
【橋都】 それこそ、新石器時代からチーズは食べられていたということですから、それだけもう歴史が全然違うわけですね。
【本間】 そうですね。
【橋都】 日本でチーズが食べられるようになったのは本当に第二次世界大戦後からだと思いますから。本間さんの話のように、向こうは1万年近く食べているわけですから、全然歴史が違うと思います。
【本間】 そうですね。だから、フランス人に言わせると「ワインを飲んでいるからいいのだ」と言うかどうかはわかりませんけれども、いずれにしても、チーズがあって逆にバランスがとれた食事。チーズなくしてやはりイタリアの食は考えられないわけです。必ず料理のチーズというものはつきものなので、どんな料理にも、どんなおうちにもチーズがあって、そのままで、お料理にと気軽に利用していますし、リコッタはお菓子にもなるし、メインにもなるし前菜にもなるしということで、本当によく食べる国民だと思います。
【橋都】 どうもありがとうございました。それではもう一度、皆様拍手をお願いしたいと思います。(拍手)
【本間】 皆様、ありがとうございました。