古楽とその展開-イタリアを中心に

第364回 イタリア研究会 (2010年9月22日)

演題:「古楽とその展開-イタリアを中心に」

講師:辻 康介(古楽の研究家・演奏家)


【橋都】 皆さん、こんばんは。イタリア研究会の橋都です。今日は第364回のイタリア研究会例会にようこそおいでくださいました。今日は、古楽研究家で歌手でいらっしゃる辻さんに辻音楽史を講義していただくということになっております。

 演題名が「古楽とその展開-イタリアを中心に」ということですが、副題がついております。「CDを聞きながら時空を行き来するDJ音楽史講座」ということです。

 それでは、辻さんのご略歴をまずご紹介します。

 辻さんは国立音楽大学の楽理科を卒業された古楽の研究家・演奏家です。ユニットとしてはネーモー・コンチェルタートという古楽のグループで活躍されておりまして、CDもたくさん出されておいでです。そのほかにもいろいろな音楽会その他の活動で、盛んに古楽を皆さんに楽しんでいただくという活動を続けておられる方です。

 今日は特にイタリア研究会ということで、古楽とその展開をイタリアを中心にたくさんのCDを聞きながらみんなで楽しもうという企画になっております。

 それでは辻さん、よろしくお願いします。(拍手)



【辻】 皆さん、こんばんは。この間パーティーのとき、最後でちょっと歌わせていただきました。古楽をいろいろな形でアレンジして歌っております。今日は、今ご案内いただきましたようにCDをたくさん聞いていただきながら、古楽というジャンルを皆さんにお楽しみいただきたいと思っています。

 古楽を聞くという方はどのぐらいいらっしゃいますか。古楽のコンサートによく行く方は。お1人。3人。さすがイタリア研究会、4人!古楽のCDぐらいは持っているかなと言う方は?コンサートはなかなか皆さん行かないんですね。古楽というのはあまり聞かないという方はどのぐらいいらっしゃいますか?今日はパソコンも使わないしプロジェクターも使わない大変は古臭いシステムですが、古楽は、古い音楽と書いて「こがく」と読みます。古楽はまだマイナーなジャンルでもあるんですけれども、クラシックの音楽のジャンルに入るわけです。

 「古楽」の意味するところ:1つにはとても古い時代の音楽。例えばヨハン・セバスティアン・バッハより前です。バロック時代以前ということで、1700年代よりも前の音楽を主に古楽といいます。今やCD屋さんにはこの古楽とか、イタリア語では〓ムジカ・アンティーカ〓ということになりますが、そういう売り場もしっかりありまして、実はそれなりにファンという人たちも多いんです。ですけども、まだまだそうそう知られてはいません。例えばヘンデルの音楽、ヨハン・セバスティアン・バッハの音楽というのはどこかしらで何かお聞きになっているかもしれません。

 1993年、とある古楽のCDが世界中で3カ月で25万枚売れたというものがあります。それをまず最初にお聞きいただきましょう。


<グレゴリオ聖歌Puer natus est>シロス修道院合唱団「グレゴリアン・チャント」(1973/EMI/TOCE-14201)


 これはお手元の資料に1つ不思議な楽譜のようなものがあります。Pと書いてあるやつです。そのPという字が左に書いてあるやつなんですが、それがこの曲の楽譜でございます。歌詞が書いてあります。みどりごが私たちのために生まれたというクリスマスの歌です。

 いかがでしょうか。これがかの有名な「グレゴリオ聖歌」といいまして、93年に25万枚売れたときはどこかのロックバンドのライブが終わってからBGMとしてこの音を使ったんだそうです。そうしましたら世界的に大変なブームになってしまいまして、しかしこの「グレゴリオ聖歌」はもともとは教皇グレゴリウス1世という人がまとめたのだと、伝説としてはそういうふうになっているのですが、実際は8世紀、9世紀、10世紀、そのあたりにまとまってきたものと言われています。

 西ローマ、ローマ西方教会で使う音楽として、ローマの〓西〓教会ということでそこでカトリック教会の正式な音楽というふうになっているんです。ラテン語で歌われています。1960年代ぐらいまではこれが正式なカトリックの音楽だったわけです。つまり修道士とかお坊さんたちが日々の聖務日課であるとか、ミサの中でこういう音楽を使って歌っていたわけです。

 この音楽の特徴は、このようにユニゾンでみんなで1つの旋律を歌っているというものなんです。そして、そこにPと書いてあります資料ですけれども、これが実は楽譜です。この資料をよく見ていただきたいのですが、楽譜といいましてもちょっとこれは変わった楽譜で、まず4本線が引いてあります。そこに四角い模様が、線がついているやつとか、つながっているやつとかがありますけれども、こういう楽譜。これはもしかしたらイタリアに旅行なさっていろいろな教会とか、特にバチカンとかに行くと、この手の楽譜というのをご覧になったことがあるかもしれません。4本線が書いてあります。ですから、これは一応音楽の楽譜でこの線に応じて音が高くなっているわけです。私たちが普段目にしている五線譜のもともとの形です。

 しかし、そこには同時に何かにょろにょろとした変なものがご覧になれると思います。実はこれはネウマ譜といいまして、もともと歌詞が書いてあって、その歌詞を歌うときにその横あるいは上のところにこんなふうなものが目印として書いてあるというようなものなんです。

 実はこのぐにゅぐにゅのネウマが今ここには2種類ぐらい書いてあります。つまりこれは実は〓Puer natus est〓という、この「グレゴリオ聖歌」と言われている聖歌の楽譜が3種類書いてあります。1つはこの4線、4つの線の楽譜です。その上に1つにょろにょろのネウマ譜、その下にもにょろにょろのネウマ譜があります。

 これはヨーロッパの音楽の歴史の中で最も古い楽譜のものに入ります。問題はこのにょろにょろのほうなんですけれども、これは横線がありませんので実際どのぐらいのどういうメロディーで歌っていたのかというのが、このにょろにょろを見ただけでは分からないです。しかし、これはお坊さんたちはもう既に知っている曲といいますか、口から耳へというか耳で覚えてみんなで毎日毎日歌っていたわけです。毎日の聖務日課は夜中とか朝早くにあって、そこでもこういった聖歌あるいは詩篇を歌いますので、とにかくそれを覚えるしかないということなのです。

 ただ現在にも幾つかの写本でこういうふうに、どんなふうに歌っていたかというのが何となく推測がつくような、いろいろこういうにょろにょろマークが残っています。これはそれぞれに形に名前がついていたりしまして何となく分かるわけです。

 しかし、ヨーロッパの音楽というのは、実はこの楽譜があるというのが大変な特徴で、そのおかげで今私たちもこうやっていろいろな音楽に接することができます。

 それはさておきまして、この「グレゴリオ聖歌」というのがありました。そして皆さん古楽について、バロック音楽とかいろいろなイメージがあるかもしれません。ちょっとそれを整理しながら実際に音をいろいろ聞いていただきたいと思うのですが、次にお聞きいただく曲はいわゆるアカペラというものです。

 「グレゴリオ聖歌」がこういうふうにお坊さんたちだけが楽器を伴わないで、全然楽器を使わないで演奏されていました。今度はそれをポリフォニーといいまして、いわばソプラノ、アルト、テノール、バスというふうにボーイソプラノ、教会ですので男だけで、それよりちょっと低いアルト、そしてテノールのパートがいてバスがいます。これで楽器を全然使いません。例えばシスティーナ礼拝堂というところはアカペラの音楽の聖地だったといいます。あそこではいつもアカペラで歌うのだと。いわゆる合唱という形でございます。

 次にお聞きいただく曲は「アヴェ・マリア」。Ave Maria grazia plenaという受胎告知のところで、カトリックの人は皆ロザリオの祈りとかで祈る歌詞によるものですけれども、それも実はこの「グレゴリオ聖歌」のメロディーがありました。「グレゴリオ聖歌」の「アヴェ・マリア」というのがあるんですが、この曲は最初ソプラノのパートが歌い始めます。そしていろいろなパートに「グレゴリオ聖歌」のメロディーがちりばめられていっています。

 これは1500年代のトマス・ルイス・デ・ビクトリアというスペイン生まれの作曲家で、ローマ・バチカンで活躍した人の曲です。従ってこの人は自分で新しいメロディーを書いたわけではないんです。今、作曲といいますと私たちの場合はオリジナルの新しいメロディーを作るのが作曲で、人のメロディーを勝手に使ったりすると著作権法違反みたいなことになってしまいまして、よく歌謡曲の世界ではそういうことが問題になりますよね。でも、似たような旋律というのはあるので、法律では例えば5小節ぐらいまでだったら同じメロディーでも同じと言われないんだそうです。それ以上になるとこれは同じ曲だということで著作権が発生したりとか、いろいろな問題があります。しかし、昔は「グレゴリオ聖歌」をはじめとしてみんながよく知っているメロディーを使って、それを実際いろいろな形でアレンジするというのが作曲家の仕事でした。

 では、その「アヴェ・マリア」をお聞きいただきましょう。


<Ave Maria>La capella reial de catalunya/Jordi Savall ''Tomas Luis De Victoria, Cantica Beate Verinis'' (1992/ASTRE'E/E8767)

 

いかがでしたでしょうか。とても神聖な響きですね。グリークラブとか合唱をやっていた方はいらっしゃいませんか?いますね。少ないですね。僕は実は高校生のときにこういう音楽をやろうと思って、この曲は結構有名な曲で、この人はスペインの人でグレコなんかと同じ時代になるんですけれども、なかなかイタリア人にはない、その時期としてはわりと先進的な響きをもった人で魅力的な人です。

 合唱団ではアカペラというのは大変な技を要することでもありまして、今はポップスでもアカペラのグループとかがありますけれども、古楽の一つのイメージはこのアカペラなんです。ピアノとかがない分だけむしろ純正な響きで、残響の多いイタリアの教会の中でこの響きが鳴っているわけです。

 実は古楽の長い歴史の中で、教会音楽がイコールアカペラというのは特にイギリス人たちの演奏では好まれていました。というのは、例えばこの「アヴェ・マリア」という楽譜は、実際はみんなパート譜なんですけれども、楽譜に書いてあることというのはこの5本の線と音譜記号があって音譜が書いてあり、歌詞が書いてあります。これは例えばソプラノのパートだったらソプラノというふうに書いてあります。実はそれだけなんです。ですので、この楽譜を見れば当然みんなアカペラで歌うわけです。

 ところが、何も書かれていない、歌詞と音譜しか書いてない楽譜だったんですが、昔の人たちは実際は教会で楽器をたくさん使っていました。さっきちょっと楽譜の話になりました。ヨーロッパの音楽は楽譜があったおかげでこうやって世界中に広まっていまして、今皆さんがオーケストラの楽譜でも何でも手に取ってみます。ヤマハとかに行くと売っています。開けますといろいろなことが書いてあって、こういうふうにソプラノのパート、ここはホルンのパートとかと書いてあるだけではなくて、ここはどの楽器を使うかというのはこと細かに書いてあります。あるいはここで強く弾くとか弱く弾くとかそういうことも書いてあります。少なくとも、この曲はどんな楽器のために演奏する曲だということはみんな書いてあるわけです。それが何百年たっても世界中どこに行っても、間違えずにみんなその楽器でそれを演奏することができます。

 しかし、「グレゴリオ聖歌」じゃなくても昔の古楽といわれる時代の楽譜というのは、いちいちそんなふうに細かく楽譜に楽器が指定されて書いてありませんでした。実はよく調べてみないとそこでどんな楽器が使われていたのかというのは分からないんです。今のこの曲の演奏はアカペラで演奏しました。しかし、例えば1607年にシエナの大聖堂でオルガン奏者をやっていたAgazzariという人が、とある本を出しました。その本は何かと言いますと、ベースのパートのパート譜を見てその上で演奏する方法、ちょっと専門的なことなんですけれども、そこではどのような楽器を使うかというのがこと細かに書いてあります。

 例えばそこにはヴァイオリンもあります。それからさっき始まる前に聞いていただいていましたハープという楽器もあります。それから何といっても一番たくさん使われていたのがリュートという楽器で、マンドリンみたいな形をしていますけれども、どちらかというと琵琶に似た構造でアラビアのウードに近い楽器です。それから、トロンボーンというのがあります。そしてさらにヴィオラ・ダ・ガンバといってチェロみたいな形をしていますけれども、実は大小さまざまな音がある擦弦楽器です。それから、〓シターン〓という楽器があります。イタリア語でceteraというんですけれども、これは金属弦が3本張ってあって小さい腹が付いていまして、ちょうどトルコとかに行ったときにサズというのがありますけど、あれにちょっと似たような形で早弾きを得意とする楽器でした。それからリコーダー、横笛があります。

 ほかにもいろいろな音のする実にさまざまな楽器がありました。それをこのようなアカペラの音楽と思われるような楽譜を見ながら、みんな演奏していたんです。少しだけその中でヴィオラ・ダ・ガンバが一緒に使われているものを聞いていただきましょう。今と同じトマス・ルイス・デ・ビクトリアという人が作曲した「〓O magnum misterium〓」というクリスマスの曲です。よく聞いていただきますと、パートに楽器の音が入っています。


<O magnum misterium〓>

La capella reial de catalunya/Jordi Savall ''Tomas Luis De Victoria, Cantica Beate Verinis'' (1992/ASTRE'E/E8767)


 こういうふうにちょっと響きが変わってくるんです。実際はソプラノ、アルト、テノール、バスという合唱の楽譜しかありませんので、インストの人たちはそれぞれのパート譜を見ながら同じ旋律を弾いているんです。だから、実はアカペラだけが教会の響きではないということです。もちろん、さっき言い忘れましたけれども、オルガンという楽器は大小さまざまなオルガンが使われています。この演奏は主にヴィオラ・ダ・ガンバが使われていますが、演奏している人はジョルジュ・サヴァール、ジョルジュというのはスペインではホルツ・サヴァールというのでしょうか。「めぐりあう朝」という映画とかでも有名になりましたけれども、ヴィオラ・ダ・ガンバの第一人者という人です。ヴィオラ・ダ・ガンバの貴公子というよりは王様みたいな人です。

 今は1500年代の音楽をお聞きいただいているのですが、その中で面白い楽器を1つ紹介したいと思います。音から聞いていただきましょうか。これがまた音がとても小さいというか低いので。


<ラケットの演奏>David Munrow/The Early Music Consort of London ''Instruments of the Middle Ages and Renaissance'' (1973-4/YAMANO/YMCD-1031_2)


 いかがでしょうか。気に入った人。これはラケットという楽器です。実際、大体このぐらいの大きさですかね、円筒形をしていまして、もちろん木でできています。大小やや大きさに差があるんです。これもソプラノ、アルト、テノール、バスのように下の方は大きい楽器、上のほうは小さい楽器で弾いているんですが、みんな低いので何が何だかよく分からなくて、なかなか愛嬌のあるいい楽器です。

 ここに吹き口がついていまして、実際はこの中に管がいっぱいぐるぐるとめぐっているんです。ファゴットとかそういうものの先祖に当たるような、ダブルリードの楽器がついています。こんな楽器もあります。実は、ルネサンスというのはきりがないほどいろいろな楽器が発明されています。そういう楽器をいろいろご覧になりたい方は、私が出ています〓ジョン・グルル・ボン・ミュージシャン〓というグループのコンサートに来ていただけると、そこにもいっぱい楽器があります。

 例えばこういう傘の柄のような形をした、今みたいなビービーした音の出る、リコーダーように吹く楽器があったり、それも大小いろいろあります。あるいは本当に牛の角か何かをくり抜いて笛になっているものとか、そういうものもありまして、しかもそれが一体どの曲のどういう場所で使われていたかというのは、実はそのころの時代の楽譜には書いてないわけです。ですので、クラシック音楽といっても、古楽というのはそういうよく分からないところがあります。いわば今の演奏家のファンタジーに任されているというわけです。クラシック音楽はここでこの楽器を使うというのが普通ははっきり分かっていて、例えばオルガンのための曲とかヴァイオリンのための曲というんですけれども、そうはいってもこの時代の昔々のクラシック音楽は、実はそれが分からないというところがあります。そして楽器は山ほど残っているわけです。



 表には書いてないんですが、1個新しいものをお聞かせしましょう。古楽の中でも最も有名なのは、例えばヨハン・ゼバスティアン・バッハの音楽です。「トッカータとフーガニ短調」というのがあります。あれも誰でも知っている曲で、あれを聞きますとオルガンの壮大な響きというのが思い浮かべられるわけです。ところが、あの曲はもしかしたら、もともとオルガンのために書かれた曲ではないのではないかという説があります。これは昔からありまして、どうも音を見てみるとヴァイオリンなどの弦楽器のために書かれた曲なんじゃないだろうかというふうに思われるということで、昔からヴァイオリンの人があの曲を弾くことがあったんだそうです。

 ではヴァイオリンのための楽譜が、バッハが書いたなり当時の人が編曲したものが残っているかというとそういうわけではなくて、オルガンの楽譜しかない。そこで現在のヴァイオリン奏者たちはそれを元の姿に戻してみようというとで多少のアレンジをして、そうしないとあれはオルガンの2本の手と足が付いていますから、それをそのままヴァイオリンで弾くわけにはいかないので、うまいことアレンジしてそれを弾いてみようと試みているわけです。

 今日はその1つの試みになっているものをお聞かせしたいのですが、この演奏の特徴は、実はこの人はオルガンと同じキーのまま調を変えないで、音の高さを変えないでやっています。普通はオルガンの曲なのでそれをヴァイオリンで弾くときは、ヴァイオリンで弾きやすいキーに変えているんです。4度ぐらい音を下げて演奏するのですが、この人はわざわざオリジナルのままでやろうというわけです。

 このヴァイオリン奏者を紹介しますと、エンリコ・オノフリというバロック・ヴァイオリンの人でちょうど今日本に来ているんです。別に頼まれて宣伝しているわけじゃないんですけれども、僕もよく通訳とかこのCDの翻訳とかもしたのですが、縁があって、この間も話をしていましたら彼のヴァイオリンはもちろんバロック・ヴァイオリンと呼ばれる古い時代のヴァイオリンで1700年代の楽器なんですけれども、100年ぐらい誰も触っていなかったままの楽器と言われています。それをもらったというんですね。誰が作ったか分からない楽器なので値段も何もつかないんですけれども、とてもいい楽器だったというわけです。

 ちなみにヴァイオリンの場合は特に弦が、昔はガット弦といいまして羊の腸をゆでてよって作っていたんです。それが第二次世界大戦後になってスチールの弦を張るようになりました。そのおかげで強い大きな音も出るようになったのですが、楽器はそのためにテンションを高く弦を引っ張らなければいけないということで、かなり改造を加えていくんです。

 ですので、例えばStradivariusとかAmatiとかGuarneriとか昔の楽器が今残っていて何億という値段がついていますけれども、ほとんど場合それは途中で改造が加えられています。彼の、誰が作ったか分からない楽器は、幸いほとんど誰も触っていなかった楽器ということになります。もちろん今のバロック・ヴァイオリン奏者、古楽器のヴァイオリンを弾く人はなるべくオリジナルの昔の姿にヴァイオリンを戻したり、昔の楽器をどこかから探してきて演奏するんです。

 それでは、それを聞いていただきましょう。彼はわざわざオルガンの調のまま弾いていますので随分高い音で弾いているなという感じです。

<トッカータとフーガニ短調BWV565>

Enrico Onofri ''THE SECRETS OF BAROQUE VIOLIN'' (2009/Anchor Records/UZCL-1003)


 この演奏は素晴らしくて、このままずっと聞いていたい感じなんですけどもだいぶ時間がたっちゃいましたので、29日に上野文化会館で彼のコンサートがありますのでよかったらぜひ。チケットはだいぶ残りが少ないらしいですけど、本当にお勧めのコンサートです。本当にこの人はすごく天才的な人です。

 彼はこのようにこだわってそのままでやったというわけです。でも、そもそも古楽の場合は何の楽器で演奏していたか分からないというのがたくさんあるわけです。ですので、いろいろな試みがあるわけなのですが、例えばアカペラの音楽も実はアカペラじゃなかったんだよとなってきますといろいろな想像力がかきたてられます。

 また、一世を風靡した音をお聞かせしましょう。ヒリヤード・アンサンブルというイギリスの随分老舗のアカペラコーラスです。ものすごく厳密なハーモニーを作るので、80年代ぐらいから出てきたときは大変な衝撃だったんですけれども、彼らがヤン・ガルバレクというサックス奏者と演奏しているのがあります。このサックスの人はノルウェー人で作曲家でもありまして、ECMというレコードレーベルからほとんどの作品を出しているんですが、60年代の末にいわゆるフリージャズというのをやっていたのです。彼がヒリヤード・アンサンブルと一緒に演奏している曲があります。

 曲は先ほどアカペラを聞いていただきました1500年代のスペインの音楽です。すごくきれいなアカペラの世界が展開するのですが、そこにサックスで勝手に旋律を入れてしまったというものです。サックスという楽器は、19世紀にサックスさんという人によってベルギーで発明された楽器ですから、これはさすがにシエナの大聖堂とかシスティーナ礼拝堂では響いていなかった楽器です。しかし、根本的にはそもそも楽器指定のない音楽ですからこれもありかなと思うのですが、もちろん彼はソプラノ、アルト、テノール、バスという4つの正譜以外のパートを勝手に作って演奏しています。


<〓Parce mihi domine〓>

Jan Garbarek/The Hilliard Ensemble ''Officium'' (1993/ECM/445 369-2)


 いかがでしょうか。これもまた大ヒットして、つい最近このアルバムの第2弾が出まして早速クラシックのヒットチャートの1位に…1位はあの辻というピアニストがダントツ1位かもしれないですが、ジャンル別かもしれませんが相当上のほうに上がってきているオフィチウムというCDです。これは古いほうのものです。

 このあとも、こんなふうに実は古楽というものがいろいろな人たちに刺激を与えているという例をいろいろお聴きいただきますが、今のはまたものすごい残響の中で、サックスの倍音、高い音をいろいろ駆使して演奏する人らしいんですけれども、とりわけ修道院のものすごい響きの中で録音しているものです。

 楽器の話をもうちょっとお届けしたいのですが、古い音楽と書いて古い時代の音楽が古楽なんですが、先ほど言いましたようにヴァイオリンひとつとっても時代とともに変わっていっています。ですので、例えばブラームスが使っていたころの楽器、ヴァイオリンはどうだったのだろうとか、ベートーベンのピアノは実際はどうだったのかというと、今ある楽器とはもう全然違うものだったんです。

 特にピアノは新しいシステムができると、例えばペダルというものがついて残響が伸びます。そうなりますと、それで工業製品として特許ものなんです。それで新しい楽器ができましたから、ベートーベンさん、何か曲を作ってくださいと言って、鍵盤の数も違ったりいろいろな違いがあるので、それに合わせてどんどん曲を作っていくということが常に行われていました。

 例えばある時代はダブル・エスケープメントというシステムがありまして、アップライトピアノではできないんですが、グランドピアノの鍵盤の先でハンマーで弦をたたいています。その弦をたたいたハンマーが戻ってくる前に先に鍵盤が戻ってきてもう1回それを弾き直すことができるんです。つまり、そのシステムで早弾きができるということだったりするんです。とにかくいろいろな開発があって、燭台が付いていますよとかいうだけじゃなくて、場合によってはモーツァルトのトルコ行進曲なんかはピアノにシンバルとか太鼓が付いていた、そういうピアノがあったとかいう話もあります。

 次にお聞きいただく曲はエリック・サティです。

 エリック・サティは19世紀の末、20世紀の頭の人ですけれども、サティが作りました「サラバンド」という曲です。この「サラバンド」は1887年の曲ですけども、使っているピアノは1855年にできたピアノです。ですから現役のその当時のピアノです。ピアノを作った人はエラールというフランスの製作家です。エラールという人は1752年の生まれでハープなんかも作っていたんですけれども、ショパンが3種類ピアノを持っていたうちの1つはエラールという人のピアノでした。そのほかにもベートーベンとかハイドンとかそういう人も、このエラールのピアノを使っていました。

 結構微妙なんですけれども、皆さんのサティの「ジムノベティ」とかの音楽のイメージとはちょっと雰囲気が違うかもしれません。あまり分からないかもしれないんですが、ちょっと聞いてみてください。


<サラバンド>

Patrick Cohen ''Satie'' (1998/GLOSSA/GCD 920508)


 どうでしょうか。何か普段のサティと違うなと思った人はいますか。思いますか。やっぱりちょっと音がアンティークの楽器で弾いているような、壊れてるんじゃないかなと思うかもしれませんが、そんなことはないです。とても柔らかい音がするんです。おなじみの曲もたくさん入っているんですけども、「サラバンド」という曲です。「サラバンド」は、バロック時代の舞曲で実際に踊るための曲でした。その後の時代の人たちも「サラバンド」とか「アルマンド」も皆そうです。

 メンデルスゾーンとかレスピーギもそうですし、ブラームスもサティも大変な古楽マニアだったと言われています。ブラームスはたくさん楽譜を持っていましたし、メンデルスゾーンはヨハン・セバスティアン・バッハの「マタイ受難曲」、ずっと忘れられていた音楽を再演した人でした。サティは「グレゴリオ聖歌」に大変注目した人でした。今、音楽には長調と短調の2つがあり、モーツァルトなんかも皆それで、2種類の調べで分けているんですが、「グレゴリオ聖歌」の世界は少なくともそれが8つ、長短以外に8個あるというふうになっていまして、そういうことにフランス近代と言われる人たちが着目した、そういう中で最先端をいっていたのもこのエリック・サティです。



 最近は例えばブルックナーとかシューマンとかいった音楽も昔の楽器で演奏してみようという動きもたくさんあります。ですので、古楽というのは必ずしも古い時代の音楽だけじゃなくて、もともとの音を再現してみようという発想でもあるんです。そういう意味ではとてもアカデミックといいますか、ちょっと博物館のお仕事みたいな面もあるわけです。しかし、それによって全然音楽はイメージが変わってくるんです。楽譜があるにもかかわらず、なかなかそのままの姿は残っていません。

 特に60年代とか70年代はアンティークマニアのイギリス人たちの手によって、古楽というのは大変な復興をしました。ですけれども、楽器だけではやはりその音楽は戻ってこなかったのです。実はそれだけでは魅力がまだ十分に出ていなかったという面もあります。というのは、やっぱり音楽の発想というのがありまして、クラシック音楽のミュージシャンは楽譜が非常に大事なんです。楽譜に何でも書いてあるという前提ですから、昔の楽譜と違って現代の楽譜には強弱も何もすべて書いてあります。つなげて弾くのか切って弾くのかということも細かく書いてあります。しかし、昔の楽譜にはそれは書いてありませんから、私たちは今それをどうするかというと、例えば昔の人が音楽についていろいろ論文とか教科書みたいなものを書いていますので、それを読んでみたりするんです。どういうときにどういうふうに演奏するかということです。

 でもそれは古い時代だけじゃなくて、例えばツェルニーという人:ベートーベンのピアノの先生だったかな…ピアノを習ったことがある人はいらっしゃいますか。いますね。最初にハノンをやってソナチネというのがあって、それからいろいろな教本を作った人の名前の中にツェルニーという人がいます。あの人の本の中には、例えば36分音譜というのがあって、それがずらーっと音譜が並んでいますと、強弱をつけましょうというときに36個の音があって、そこでクレッシェンドを、つまりだんだん音を大きくするといった場合、この音とこの音は当然音の大きさが違うんですけれども、この音とその隣りの音もちょっと違うしその隣りの音もちょっと違うしその隣りの音も、とにかく36段階で音の大きさの違いがあるんだということを書いていたりするんです。それを一体どうやってやるんだというような試みも、古楽の音楽家というのはやっています。

 さらにもっと大胆な発想があります。それは、1つは端的に言うと即興演奏です。クラシックは基本的には楽譜に全部細かい音も書いてあります。協奏曲のカデンツァの部分も、実際にはもう誰かが書いた楽譜を弾くことが多いでしょう。とにかく楽譜がすべての音楽に思われています。それに対してジャズというのは、大体のコード進行ともとのメロディーが決まっていて、それが場合によっては大変な調整も何もないフリーなところにもいくぐらい、いろいろな形でみんなアレンジします。別にそれは大層なコンサートじゃなくても、普通にバーでちょっと1曲とかホテルのラウンジで弾いているピアニストも、ジャズの場合は即興演奏をしています。しかし、クラシックはそれはやらないというのが普通はそうだし、現実問題大体そうです。

 ところが、昔の時代には即興演奏というのは非常に当たり前のこととして演奏家に求められていたものでした。これはさっき申しました1607年にシエナの大聖堂のオルガン奏者のアガッツァーリの、演奏家のための教科書の表紙です。そこに実際に楽器の絵が描いてあります。このような実にさまざまな楽器、しかもこれはバスの一番低いパートを見ながら弾くんです。低音のパートを見ながら弾くのにヴァイオリンとか高音の楽器を弾くパートまで書いてあります。何かというと、それは低音のパートを見ればほかのパートがどういう音を弾くかというのは、いちいち楽譜が書いてなくても分かるだろうということです。ちょうどジャズとかポップスのミュージシャンがコードネームが書いてあるだけで、ほかの音が全部分かるのと同じように、1607年バロック時代の初期と言われているイタリアでオペラが生まれたころの時代ですが、そういう即興演奏をさんざんやっていました。実はこの教科書もそういうふうに即興の教科書でもあるんです。

 次にお聞きいただくのは世俗の音楽で「Ancor che col partire」という曲です。別れるのがとてもつらいんだけれども、別れというものが戻ってきたときにとても素晴らしいので私は1日に何千回も別れたいという曲です。これは大人の歌です。ルネサンスのどっちかというと高級娼婦たちの館に、芸術家とかお金持ちとか、もしかしたらお坊さんもそうかもしれませんが、いろいろな人たちが集まって、そういうところでやっていた音楽の1つです。マドリガーレと呼ばれるものですけれども、そういう大人にしか分からない歌詞みたいなものがイタリア語の場合は結構巧みにそれが隠されているんですが、多分日本の長唄とか小唄にもそういう部分があると思うのですが、そういう大人のラブソングです。

 そうはいっても、楽譜とか響きは先ほどのシスティーナ礼拝堂の音楽とあまり変わらないです。ですからぱっと聞いたときは、大層神聖な音楽かと思うんですが、そう思いきやとんでもない大人ソングということで、ちゃんとやっぱりソプラノ、アルト、テノール、バスというふうになっています。ところが、これは演奏の中で即興演奏しているんです。

 即興演奏はどういうことをするかという基本は、この時代は例えば「ラーソー」と音が2つありました。「ラーソーミファソラー」と音譜、そういうメロディーがもともとあります。そのときに「ラーソー」といくんじゃなくて「ラーソラソラソラミミミレミー」とか「ラーソラソファミレミー」とか「ラーソラソファミファソー」とか「ラーソラソラソラ…ソー」、ラからソにいく間に音をいっぱい入れていくんです。これをDiminutioneという、細かくする、細分化していくというんです。

 これはお配りしている楽譜をせっかくなので見ていただきたいのですが、これが今からお聞きいただく「Ancor che col partire」ですが、最初に一番上に音譜が書いてありまして、次に線があります。縦線がばんと1小節区切ってあります。その次に音譜が2つ書いてあります。2分音譜みたいのと全音譜みたいのと。この音譜をどういうふうにアドリブで即興演奏をやるかという教科書なんです。2つ目の箱に入っている2つの音をどうやってやるかという例が、その隣りの細かい音符の連続です。こういうふうにやりましょう、しかもこれを歌でやるんですけど、そういうサンプルとなっています。ですので、ソプラノ、アルト、テノール、バスとあったら、例えばソプラノのパートの人が、みんなは普通に歌っているんだけど、ソプラノだけは細かい音をいっぱい歌っているみたいなことが起こってくるんです。

 でも、それはその1つの旋律の中なんですけれども、もう1つの即興演奏のパターンとしては、このベースのパートを弾いているというか、どこのパートでもいいんですが、ヴィオラ・ダ・ガンバのようなヴィオラ・バスタルダという楽器がありまして、一見チェロみたいな形をしているその楽器で弾くんですが、この人は今度は自分のパートを細々とやっているだけじゃなくて、さらに人のパートまでいって上下に暴れまくるということもやっていたりします。

 次にお聞きいただく演奏は、ヴィオラ・ダ・ガンバと歌が1人です。もともとの楽譜としてはソプラノ、アルト、テノール、バスという合唱団の人がそのままアカペラで歌えるような楽譜なんですけれども、実はいろいろな楽器で演奏していたわけです。しかもそれを即興でいろいろアドリブを加えながら演奏していました。さっきみたいに変な音の楽器もたくさんありますので、想像を絶するようないろいろな音がしていたかもしれません。ただ、これが結構ヴィオラ・ダ・ガンバでエレガントにその大人の歌を歌っています。

 ちょっと聞こえづらいのでよく聞いていてください。時々細かい音をやっている人がいます。


<Ancor che col partire>

Paolo Pandolfo ''improvisando'' (2005/GLOSSA/GCD P30409)


 ちょっと分かりづらいので通な楽しみみたいになってしまうんですけれども、これもそれこそ生演奏で見ていただきますと分かりやすいですが、1人だけ細かい音をやっているんです。元の曲を当時のそれこそ貴族たちは皆知っていて自分たちで歌ったりしているわけです。その中で達者な人だけがこうやって、もちろん楽譜に書いてなくてその場で自分たちで即興演奏をやっていたということです。

 ちなみにこの1日に何回も死にたいみたいなテーマの詩というのはたくさん昔はありまして、もしかしたら詩の専門家の方はよくご存じかもしれませんけれども、それは結構好まれて音楽にされた題材でした。今の演奏はPaolo Pandolf(ヴィオラ・ダ・ガンバ)でした。

 古楽の世界はさっきお話ししたようにオランダとかイギリス人のアンティークマニアから復活したみたいなところがありまして、それが1990年ぐらいからイタリア人とかスペイン人もたくさん演奏しました。そうしたら、特にイタリア音楽に関しては、実はこんな音楽だったのかと随分新しい演奏も出てきたりしたのです。その中でちょっと面白いアルバムがあります。

 これはイタリア人のテノール歌手が歌っているんですが、一緒に歌っている女性はタンゴの歌手なんです。それからバンドネオンの人がいまして、それプラスいろいろな昔のヨーロッパの古楽器ということです。今からお聞きいただくのは、要するに古楽器にバンドネオンが入ってしまったという演奏です。ですが、曲は今お聞きいただきました「Ancor che col partire」と同じ曲をあえて聞いていただきましょう。


 これもやはり即興演奏というのがメインになっています。骨格は同じなんですが、バンドネオンの人だけが1人で即興しています。ただし、彼は多分別に古楽を一生懸命勉強したというわけではないんです。アルゼンチン流なのかどうか僕にははっきり分かりませんが、バンドネオンで何回別れても楽しいという曲を演奏しているわけです。ちょっと聞いていただきましょう。やはりヴィオラ・ダ・ガンバが一緒に演奏しています。


<Ancor che col partire>

La Chimera ''Buenos Aires Madrigal'' (2003/M・A/M063A)


 どうですか。

【橋都】 意外と合ってますね。

【辻】 意外と合ってるんです。意外と合ってるんですね。バンドネオンとかアコーディオンで古楽の曲を演奏してしまうというのは実は結構ありまして、後でまたもし時間があったらその辺も聞いていただきたいと思います。ただ、この即興は古楽の専門家から言わせると、この人の流儀で勝手にある程度やっちゃっているという感じなんです。これは本当は違うという見方もあるわけです。しかし即興は即興で昔も即興ですから究極的には何をやっていたか分からないというところもありますし、本質的にはこれは全くオーケーと、あとは皆さんが聞いていただいたときにどう聞こえるかという楽しみなわけです。

 なかなかかっこいいですね。これは「ブエノスアイレスマドリガーレ」というタイトルがついています。



 古楽は楽器を頼りにして昔の音楽の姿というのが分かってくるわけですけれども、じゃあ、声というのはどうだったんだという問題があるんです。声は、言ってみればオリジナル楽器のままほとんど残っています。国によって随分違いますけれども、ちなみに山田耕筰が向こうに行って勉強して帰ってきたときに発声の教科書を書いているんですけれども、彼はイタリアにはイタリアの声、ドイツにはドイツの声、フランスにはフランスの声とみんなそれぞれ違う声があるのだから、日本人も日本のいい発声というのを考えないといけないんじゃないかということを書いています。もちろんその後日本の声楽界では決してそうはならなくて、イタリアの声で日本の歌曲、日本の耕筰の歌を歌うという大ざっぱにはそういう傾向になっているわけですけれども、そんなことも言っています。

 ですから、声は地域差もあります。それから時代によっての違いもあります。例えばさっきアカペラの歌を聞いていただいたときに、皆さんは何となくなるほどというか神聖なもの、ちょっとしたボーイソプラノみたいな感じの響きもあったかもしれません。しかし、実際はよく分からないですよね。世俗の音楽だってもしかしたらとんでもなく、想像を絶する声だったかもしれません。例えばさっきラケットの音を、ビービービービー鳴っている音をお聞きいただきました。あれが今のクラシックのオーケストラ、例えばモーツァルトとかそういう音楽にはそういう音は入ってないわけですから、そこでとりわけ世俗音楽ではどうだったんだろうかというところで1400年代の音楽を1つお聞きいただきましょう。

 これも1992年の録音ですけれども、やはりイタリア人としては古楽を演奏し始めたわりと最初の世代の人たちのものです。これはもともとの楽譜が残っているんですが、先ほどの著作権の話じゃないですが当時流行していた曲があって、それは旋律だけがあるんですが、それをソプラノ、アルト、テノール、バスというようなみんなで歌える形にアレンジしたものです。

 またこれがちょっと、「ある朝恋人が私を起こしてくれて馬のあぶみを乗っけて、そうしたらとても楽しいことになるよ、この浮気女め」みたいな、女の人がある朝恋人に起こされるというまたまた大人の歌なんですけれども、それを聞いていただきましょう。「Sine Nomine」という名前の、名前なしというイタリアのグループの演奏です。

<D'un bel matin d'amore>

Sine Nomine ''La vida de Colin'' (1992/Quadrivium/SCA021)


 どうですか。ちょっとベルカントとは違う世界でしょう。この当時イタリアに来ていた音楽家というのは、大体フランドルのほうからやってきた音楽家がローマとかフィレンツェで活躍していたんですけれども、そのときイタリアの民衆の音楽というのはどうだったんだろうかということです。歌手は北方からも、フランドルからも歌手がやってくるわけですけれども、一方でイタリアにはイタリア人たちが広場とか家で歌っているわけです。その人たちの歌はどうだったのだろうかというのは、何も証拠は残っていないんです。ただこのミュージシャンたちは、今残っているイタリアの民謡の幾つかのメロディーが、この時代の楽譜に書き残されているメロディーととてもよく似ているところに着目しました。

 つまり、楽譜があるから昔の音楽が残っているんですが、その楽譜に書かれている音楽というのは、1つは修道院で書かれた音楽と、それから宮廷での音楽です。それが印刷されたりという形で残っているわけですけれども、民衆の音楽というのは全然跡形もないわけです。ところが、その書かれている楽譜に残っているメロディーが、現在のイタリアの例えばトラッドと言われている民謡に似ているとしたらどういうことなんだろうかというと、実は楽譜に書かれていない音楽も案外そのまま残っていたという可能性もあるわけです。それを使って昔の作曲家たちが曲というふうにして、ポリフォニーにしている。だったらば声も、民謡の声で歌ってみるのもいいんじゃないかという考えです。

 もちろん宮廷には宮廷、教会には教会の声があったわけです。ですけれども、例えば身分がひっくり返る祭りとかがありますよね。1日だけ、〓ロバ〓の祭りみたいな王さまがわざと広場に出てこじきのまねをしてみたいな、そういう発想で宮廷の人たちが民衆のまねをして演奏したり歌ったりすることも大いにあります。しかも内容がそういう詩だと、しかもメロディーも民衆音楽に似ているということで、彼らはわりとこういうことを大胆にやってみたわけです。

 そういうふうにトラッドといいますか、伝統音楽とか民族音楽みたいなものから古楽のミュージシャンが大変な影響を受けてというか、インスピレーションというと聞こえがいいですけれども、それをちょっとまねしてやってみるということが結構あります。

例えば私たちはアカペラの音楽、システィーナ礼拝堂でアカペラで歌っていた教会音楽がどういう声だったのかというのは、実ははっきり分からないのです。何となくボーイソプラノみたいなイメージがあるかもしれないのですが、実はその証拠はどこにもないわけです。そこで、例えばこういう声を聞いてしまうと、「もしかしたらこれか!」という気持ちにもなる例をお聞かせしましょう。これはコルシカ島の伝統音楽です。コルシカ島に残っているポリフォニーということなんですが、宗教曲も残っているんです。例えばキリエというのがありまして、ミサ曲に使うような曲も残っています。今聞いていただくのは「Asperges me」というヒソプの葉っぱで私を洗ってくれればという曲です。もちろんそのまま宗教音楽としても残っているような曲ですが、こんな声で歌っています。


<Asperges me>

E voce di u cumune ''Corsica, Chants polyphoniques'' (1986/Harmoniamundi/901256)


 なかなかいいでしょう。アスペルジェス・メというのは、潅水式というのをミサの前にやったりしますので、そのときに歌う音楽なんですけど、今のラテン語の歌詞とはちょっと違っていて多分コルシカ語みたいなものも入っているんです。

【橋都】 これは実際にコルシカの人が歌っているんですか。

【辻】 そうです。この間あるコルシカのグループも日本に来ていましたけれども、こういう音楽が伝わっているんです。男だけで合唱をやるというのが。サルデーニャにもまたなかなか素晴らしい歌声が残っていますけれども、これはコルシカの例でした。

 実は、古楽と言われているミュージシャンたちは、僕も含めてこういうものにも結構いろいろな影響を受けながらやっています。

 1つ宗教曲をお聞きいただきましょう。これも1500年代の宗教曲です。ですから、教会でも演奏していたでしょう。でも、もしかしたら実際はその宗教曲は必ずしも教会だけではないです。特に聖母マリア崇拝という中で、例えばギルドの集まりで夕方仕事が終わったらみんなでお祈りをして歌うとかいう状況もあったわけです。この曲はやはりイタリア人の演奏ですけれども、やっぱりマリア賛歌です。


<Salve virgo regia>

Ars Italica ''Musica del XV secolo in Italia'' (1991/TACTUS/TC40012201)


 これは楽器も実はいろいろ使われていまして、よく聞いていただくと何かかちゃかちゃかちゃかちゃやっているものもあったりします。これはさっきのアカペラの声の世界とは随分イメージが違うと思います。ちょっとした地声みたいで、これでオペラの先生のところに行ってレッスンでこんな声を出したらすぐ怒られそうな、駄目だと言われそうですけどね。実はこれも1つの試みでした。

 イタリアに限らないんですけれども、伝統音楽とか民族音楽を復活させようという動きがいろいろな形でありまして、それをいわゆるフォークシンガーというかそういう人たちがやってきた時代というのがあります。60年代とか70年代とかいうところになるんですが、その中の1人の歌手を紹介したいと思います。

 これはLucilla Galeazziという人で、1977年ぐらいから活躍しています。お聞きいただく曲はなかなかいい曲で、「Era una notte bella, cantavano I prati, ce scanviavano mille baci promessi e mai donati」みたいな明るい夜だったという「Era una notte chiara」という歌詞で始まってくるんです。「Sembrava che il mare la terra e il ciel s'andassero a sposare」ということで、この演奏では実はラウネンダスという楽器が使われています。これはサルデーニャ島に伝わっていますアシで作るんです。アシの管を3本束ねましてそれでずーっと吹くんですけれども、循環呼吸をするんです。ここら辺に空気をためて、要するに人間が息を出しているんですけれども絶対に途絶えることがないようにそれをやっています。そういった伝統音楽のミュージシャンを呼んできて一緒にこういう曲をやっているんです。曲自体はこのLucilla Galeazziという人のオリジナルの曲です。


<Era una notte chiara>

Lucilla Galeazzi ''cuore di terra'' (1997/MP RECORDS/MPRCD011)


 これがラウネンダスの音です。これはもちろん全然クラシック歌手の声じゃないわけです。これはなかなか素晴らしくて、実は日本に去年来ていたらしんだけど僕は知らなくて大変がっくりしたんです。

 時間がだんだんなくなってきたので飛ばしていきます。こういうシンガーソングライターというか普通の歌手の声、そういうすごい人を古楽のグループが招いてしまう場合があります。この人にも古楽を歌ってもらおうみたいなことが結構あるんです。そのうちの1つをお聞かせしましょう。

 やはり今の同じLucilla Galeazziが歌っています。しかも歌っている曲は彼女のオリジナルの曲で「Voglio una casa」という曲ですが、伴奏しているのはクラリネット1人を除いては全員古楽器です。1500年代とかに活躍した楽器です。


<Voglio una casa>

L'Arpeggiata ''All'Improvviso'' (2003/Alpha 512)


 いかがですか。もうまったくもってクラシックではないんですけれども、もちろん曲もクラシックではないですが、古楽のリュートとかハープという楽器を使っている演奏です。今、クラリネットが入ってきました。

 ちなみにこのアルバムのタイトルは「All'impovviso」ということで、即興演奏を主にしているものです。中には古い曲も入っています。

 ちょっとイタリアから離れて一瞬イギリスに行きます。これもポップスのミュージシャンが古楽の音楽を演奏して大変話題になったものです。聞いていただいてもしかしたら分かる人もいるかもしれないです。マイケル・ジャクソンなみに有名な人ですけれども、歌っている曲は17世紀のイギリスの曲です。このCDでは主にジョン・ダウランドの曲をやっているんですけれども、ちょっと聞いていただきましょう。リュートで伴奏しています。


<あのひとは言い訳出来るのか>

Sting ''songs from the Labyrinth'' (2006/Deutsche Grammophon/UCCH-1018)


 歌っている人を知っていますか。分かりますか。スティングです。これはスティングがジョン・ダウランドの曲を主に録音して、日本でもまたコンサートをやりましたけれども、これもちょっとしたびっくり仰天で、しかし考えてみると彼にとってはイギリスの古い歌というのは当然ながら自分のもともとの持っている歌ですから、何かしら必然性はあるわけです。

 リュートは結構がんがん即興演奏をしています。

 こういうふうにトラッドミュージシャン、トラッドとかポップスの音楽家・歌手が古楽をやるということが多くなっています。しかし考えてみますと、スティングにとってはジョン・ダウランドというイギリスの音楽がピンとくるわけだし、ということを考えると例えばナポリの人にとってナポリの昔の音楽というのは何だったんだろうかというところになってきますと、結構昔の音楽も今の音楽も変わらないんじゃないだろうかというところがあるのかもしれません。

 例えばタランテラというものがあります。タランテラは今でも南イタリアの人はすぐ踊りますよね。『ゴッドファーザー』でも、アメリカでパーティーのシーンがあってそこでアメリカの音楽を演奏しているんだけど、「タランテラを弾け、演奏するんじゃ!」と年老いたマフィアのボスがやって踊るシーンというのがあります。

 けれども、そのタランテラは1600年代にもう既にその記述があります。しかもそれはクモに刺されて狂ってしまったときにそのタランテラを踊ることでそれが癒やされるというんです。しかもクモの個体ごとによって、どの州のタランテラでどの地方のタランテラでやるか、治るかというのが違うんだというのを、例えば〓キルヒャー〓とかそういう人が書いているんです。

 そのタランテラを1つお聞きいただきましょう。これはPino de Vittorioという人を中心としたナポリの民謡歌いの人が古楽器のミュージシャンたちと一緒にやっているタランテラです。


<Sona a battenti>

Pino De Vittorio ''Tarantelle del Rimorso'' (2005/ELOQUENTIA/EL0603)


 ちなみに17世紀とかのナポリでは、ほかの国にも増してギターというものも結構使われていまして、スペイン風のギターとかいうものがありました。

 ちょっとバロック・ヴァイオリンの音が実はこの中に入っています。まったくもってこれは全然クラシックの音楽じゃないという感じですが、実はこの音が入っているアルバムは「Stabat Mater」というタイトルがついています。Stabat Materというのは今年生誕300年ですか、ベルゴレージの曲が有名でまさにこれにもベルゴレーシが入っているんですが、そのベルゴレーシと別のトラックにこの曲が入っています。

 このCDは本当に素晴らしいもので、このタランテラが終わりまして次に何が入っているかというと、やはり1700年代のナポリの写本に残っているスターバト・マーテルです。これは単旋律しか残ってないのか複数の旋律が残っているのかちょっとはっきり分からないのですが、ベルゴレーシのいわば原形と言ってもいいかもしれません。ちょっと原始的な「スターバト・マーテル」です。少年合唱団が歌っています。


<Stabat Mater>

Le Po_me Harmonique ''Giovanni Battista Pergolesi; Stabat Mater''(2000/Alpha/Alpha009)


 いかがでしょうか。これはベルゴレーシと同じ時代にナポリに残っている、手で書かれた楽譜です。また少年が歌います。少年じゃなくておっちゃんでした。もしかしたら「グレゴリオ聖歌」だってこういう声で歌っていたのかもしれないという考え方もあるわけです。ほとんど同じような音楽です。しかし恐らくはナポリあるいはほかのイタリア地域に残っているトラッドの音楽というものを考えながら、もちろんナポリの民謡歌い達が実際に歌っているという例です。

 「スターバト・マーテル」は十字架の下で嘆いているマリアの嘆きということで、マリア崇拝の中でもすごく盛り上がる曲なのですが、今この中で活躍して歌っていましたPino de Vittorio、彼はやっぱりナポリのものを歌っていまして、例えば僕がミラノにいたときにRoberto de Simoneという人のミュージカルを見ました。Roberto de Simoneって知っている人、聞いたことがある人はいますか?この人は作曲家なんですけども、ナポリのコンセルウ゛ァトーリオの学長だったりとかした人ですが、イタリアのナポリのカンツォーネとか昔の民謡をいろいろな形で復活させたというか、世に広めた人です。Compagna di canto popolare di Napoliというグループで有名なんですけども、それをやっていた人ですが、実はこの人はナポリ語のミュージカルといいますか音楽芝居をやっていまして、その中でたまたま見たものは聖木曜日の話で、「スターバト・マーテル」を少年たちがリハーサルしているんだけども、その中で1人歌のうまい子がカストラートにされてしまうとかそんな話があって、なにしろ全部ナポリ語なので話がよく分からなかったんですけれども、Pino de VittorioはそのRoberto de Simoneのグループの中にいた歌手の1人でもあります。

 これはまたいわゆるクラシックというかバロック音楽、Giuseppe de Majoというナポリのバロックの時代の作曲家が作ったオペラ、1725年のオペラなんですけれども、その中の曲をお届けしましょう。これは新鮮な魚はイワシであろうが何であろうが食べられるけど、古くなったらマグロだって何だって食うことはできないというたわいもない歌です。


<Quanno lo pesce _ vivo>

Capella dell de Turchini ''Cantate Napoletane del '700'' (2008/Eloquentia/DL0919)


 これはクラシック、古楽です。バロック・ヴァイオリンですね。しかし歌っているのはさっきの民謡歌い、Pino de Vittorioです。

 いかがでしたでしょうか。こんなふうに実はクラシックと言われながらも古楽というジャンルは、古い音楽と書かれながらも大変新しい世界になっています。

 実は今日もうちょっとお聞かせしたかったのは、例えば坂本龍一という人を皆さんご存じだと思うんですが、その人が1986年に日本のダンスリーという古楽のグループと一緒に作ったレコードがあります。これは彼のオリジナル曲もあるのですが、リューティストのつのだたかしとか、今彼は平仮名で名前を書いていますが、まだ漢字で角田隆なんて書いてあって、それからヴィオラ・ダ・ガンバが平尾雅子さんという人も若いときに坂本龍一と一緒にやっているものとかがあります。

 それからアンダルシア、あっちのほうはアラブの音楽に当然強い影響を受けています。例えば13世紀、レコンキスタが盛んであったころに、「聖母マリアのカンティガ集」という曲があります。これは500曲の曲集でアルフォンソ10世が集めた曲集ですけれども、その中でなくなった肉が戻ってきたという曲をお届けしましょう。ただしこれはもうほとんどポップスになっています。ポップスですけれどもなかなか侮れない、当然アラブのさまざまな音楽の要素が入っています。ちなみにその「聖母マリアのカンティガ集」13世紀ヨーロッパのアルバムの中には、ほとんど聖母マリアの奇跡を、例えば刺さっていた骨が抜けたとか結構笑えるような話があるんですけれども、それからセファルディーというスペイン系のユダヤ人たちの音楽、それとアラビア語の音楽が入っているというものです。しかし、アレンジはなかなか今ふうです。


<Non sofre Santa Maria(聖母マリアのカンティガ集159・13世紀)>

Al Andaluz Project ''Deus et Diabolus'' (Gallileo Music)


 今上智大学の図書館に行きますとこれの写本を見ることができます。インターネットで検索してみてください。しかし、残っている楽譜はほとんど「グレゴリオ聖歌」の4線の楽譜と変わりません。むしろもっと単純です。つまり旋律1本しか書かれていないんです。古楽のミュージシャンはそれをもって、その時代に使われていた楽器、いろいろなものを考えながら、楽譜からは実はリズムもよく分からなかったりするんですが、アラブの音楽とかも考えながら新しい音楽を作っていくわけです。その1つの…しかも売れなきゃいけないという宿命があります。

 いかがでしたでしょうか。ちょっとこれもうるさいと思う方もいらっしゃるかもしれませんし、実はこのグループは結構古楽器も使っているんです。こういうふうに見えて実はリュートとかリコーダーとか、ハーディ・ガーディという民族楽器としても残っている中世に使われていた楽器、チェロみたいな楽器もこの人たちは使っています。

 そんなふうに古楽がいろいろな形で展開していまして、私自身もいろいろなことをやっています。この「聖母マリアのカンティガ集」もジョングルール・ボン・ミュジシャンという中世の放浪楽師の音楽のグループで、結構日本語の語りを入れながらやっていまして、そこに一緒に配りましたチラシに今度1万6,800円の入場料というコンサートがあります。これはコンサートだけじゃなくて中世のフランスを体験するという1日レクチャープラスいろいろなものがあるというコンサートで、中世の料理も体験するというものだったりします。


<きれいなねぇちゃんよ>

ビスメロ ''Vis Melodica'' (2008/DaNemo/KTDN001)

 

これは1617年の曲です。いろいろな形でアレンジをしています。ヨーロッパの楽器じゃない楽器もこういうところには入ってきています。イタリアならイタリア人、イギリス人ならイギリス人でそれぞれの何か必然性があって、古楽というものを新しい音楽に変えているということを何となく感じていただけたんじゃないかと思います。

 とにかくタランテラというものが1600年ぐらいから残っている限りは、タランテラはナポリの人たちにとっては今の音楽ですから、それでありながらかつ古い音楽で、そこにさまざまなヨーロッパの音楽学の研究というものもあって、そこからとてつもなく新しい音楽も生まれてきているわけです。

 まだまだいろいろすごい演奏がたくさんあるんですが、時間がなくなってしまいましたので、この辺で終わりにしたいと思います。どうもご清聴ありがとうございました。(拍手)



【橋都】 辻さん、どうも大変ありがとうございました。皆さんも今まで聞いたことがないような音楽をお聞きになれたんじゃないかと思います。質問があればお受けしたいと思いますけれども、いかがでしょうか。

 じゃあ、僕から1つ。イタリア文化の1つの特徴は地方性だと思うんですけど、古楽の世界でもやっぱりそういう地方性というのは非常に大きかったのか、あるいは宮廷間の交流というものがあって意外と均質な音楽でがあったのか、そのあたりはいかがでしょう。

【辻】 両面あると思います。実際は、例えばフランドルのミュージシャンたちも大変な距離を移動して、国の分け目も大きかったりもしますし、宮廷とか教会ではある種の共通したものはあったと思うんです。ただ作曲家の出身によって随分曲風が違うということもありますし、例えば「グレゴリオ聖歌」は無理やり統一して1つの曲集ということにしたのですが、それ以前には実はそれぞれの地域のいろいろな聖歌、例えばガリアならガリア、ケルトにはケルトが残っているんです。ですので、書かれていない部分としては、楽譜とか音譜になっていない部分では地方性というのはすごくあったと思います。

 特に声というもの、現代においてもイタリア人とイギリス人の声は全然違うし、日本とも違いますので、それが歌われている部分というのは随分違ったんじゃないかなと思います。

【橋都】 いかがでしょうか。

【質問者1】 どうもありがとうございました。日本にいると日仏学院なんかでよく古楽を使ったいろいろな催しがありますけど、イタリアのはあまり触れる機会がなくて、ヨーロッパ全体で見るとそういう研究はフランスが一番進んでいるんでしょうか。日本だととてもそういう感じを受けるのですが。

【辻】 実はそうとは限らないです。もちろんその時期とか専門にもよるんですけれども、例えばアメリカというのは音楽学そのもののベースがすごく進んでいて、いまだに多くの古い文献はアメリカの音楽学ソサエティのものを使っていますし、イタリアなんかは図書館はもちろん宝の山ですけれども、実はあまり整理されていなくてなかなかそれが分からないという状況もあります。

 フランスはもちろん研究もありますけれども、今はかなり、先ほど何人か聞いていただいたかなり旬なアーティストといいますか、結構大胆なアバンギャルドなことをやっている人たちも実はフランスにはたくさんいたりします。

 あとはそれぞれの地域のそれこそトラッドとの、ナポリの人がナポリの音楽を研究してナポリの歌を歌うとか、さっきの話ともかぶりますけれどもそういった地域独特の研究みたいなものがそれぞれあると思います。

 日本には例えば天正の少年使節とかそういうキリシタンと一緒にやってきた音楽とか、そういう研究課題もあったりします。

【橋都】 ほかのご質問はございますか。よろしいでしょうか。それでは辻さん、珍しい音楽と珍しいお話を、どうも大変ありがとうございました。(拍手)

【辻】 おまけの宣伝で、今かかっている曲は私のやっていますビスメロというグループのやつなんですけど、これは古楽器を自分たちでアレンジしているもの、古楽をやっている中世の曲もあります。それからオリジナルの曲もあるんですけど、考えてみるとあまりとっぴなことはやっていないような気もするんですが、なかなか珍しい音楽がたくさん入っています。1,500円ですのでぜひ買っていってください。どうもありがとうございました。(拍手)

? 終了 ?