第368回 イタリア研究会 2011-01-13
世界を魅了するイタリアファッション
報告者:在日イタリア商工会議所会頭 フランチェスコ フォルミコーニ
制作中
【司会】 それでは、定刻になりましたので、イタリア研究会第368回の例会を開催したいと思います。お待たせいたしました。運営委員長の橋都先生が所用で遅れてみえるため、今日は私、運営委員の市井が代わって司会を務めさせていただきます。
今日はゲストスピーカーに在日イタリア商工会議所会頭のフランチェスコ・フォルミコーニさんをお迎えいたしました。皆さまにお伝えしてあるタイトルは、「世界を魅了するイタリアファッション」ということで、特に女性の方々にはたまらない内容だと思います。一刻も早く聴きたいところですが、その前にフォルミコーニさんのプロフィルを簡単にご紹介させていただきたいと思います。
フォルミコーニさんは、1964年、イタリアのマルケ州アンコーナの近くでお生まれでございます。名門のミラノボッコーニ大学を卒業されてからわが国の文部省の奨学生として一橋大学で2年間勉学をされました。その後、イタリアの大手銀行バンカ・ナツィオナーレ・デル・ラヴォーロに1992年から2007年まで勤務されておりまして、この間にドイツのハンブルクに3年、香港に7年間駐在の経験がございます。その後、2007年から2009年までイタリアのサフィロ社に日本法人のチーフ・ファイナンシャル・オフィサーとして勤務、2009年からは、皆さまよくご存じのようにジョルジオ・アルマーニ・ジャパンの副社長を務められております。昨年の2月、在日イタリア商工会議所の会頭に選出されました。それから、もう一つ、ミラノボッコーニ大学の日本の同窓会の会長もフォルミコーニさんが務められております。日本語にとても堪能で、日本の文化にもとても造詣が深い方人であります。今日はイタリアファッションの魅力を余すところなくうかがい知ることができると思います。それでは、フォルミコーニさん、よろしくお願いします。(拍手)
【フォルミコーニ】 ありがとうございます。何時ごろに話を終わらないといけないですか。
【司会】 8時半ぐらいをめどに。
【フォルミコーニ】 分かりました。頑張って8時半まで一応質問を含めて終わらそうとします。
まずは、あけましておめでとうございます。せっかく1月ですので、一応。また私が覚悟したのは、15日までは皆さんに「あけましておめでとうございます」は言うつもりですけど、それから本番の新しい新年に入ろうと思っています。それで、市井さんは、私のプロフィルを短くても非常にきちんと説明しましたので、そんなに……。1つのスライドを用意しましたので、同じ内容ですので、これはスキップしてもいいです。
逆に一応、話の内容に入る前に少しだけ在日イタリア商工会議所の説明をさせていただきたいと思います。もちろん在日イタリア商工会議所は、イタリアの企業とイタリアと関係ある企業のイタリアの商工会議所、日本の商工会議所です。イタリアの関係はもちろん強いですけれども、皆さん、ご存じだと思いますが、イタリアの商工会議所のシステムは、多分、商工会議所として世界で初めてできたところです。イタリア語では、Camera di Commercio e Industriaという商工会議所で、〓商業〓だけではなくて、工業も一応入っていますが、イタリアだけではなくて、イタリアの各町には自分の商工会議所がありますが、あとは世界中にたくさんありますので、〓アッスカメレエステロ〓という機関ですけれども、全部の外国のイタリアの商工会議所の団体になります。だから、在日イタリア商工会議所はイタリア商工会議所のシステムとつながって、日本で活動しますから、イタリアだけではなくて、イタリアはEUのメンバーですので、日本では欧州ビジネス協会というものがあって、それも一応、商工会議所と関係して、結局、日本では在日イタリア商工会議所は何をやっていますか。メンバーは、今のところ170社ぐらいで、30人は個人のメンバーですが、このメンバーのためだけではなくて、東京のオフィスと、最近開いたのは大阪のオフィスもありますが、展示会の参加をしたり、その展示会の参加は、もちろんイタリアの中小企業の参加とか、全部の組織をしますが、それとマーケット分析とか、ネットワーキング、それが一番楽しい活動ですけれども、大体イベントとか、ディナーとか、毎月の〓トレビュー〓があって、機会として何かつくって、皆さん、ビジネスマンだけではなくて、普通の外人も日本人も結構来ますので、そこで何か飲みながら、イタリアの関係の物を食べながら、イタリアンレストランで話をしたりとか、ビジネスの話をしてもいいし、ビジネスでない話でもいいし、非常に楽しいネットワーキングの仕方です。そして、いろいろなセミナーも組織しています。例えば、去年、私が一番面白かったセミナーは、コーヒーテイスティング、エスプレッソテイスティングのセミナーがありました。非常に勉強になりました。イタリアのエスプレッソテイスターの協会の会長が来て、日本で、一応どういうふうにエスプレッソは飲めるとか、そういう説明をされましたので、非常に面白かったです。20人だけ参加しましたけど、本当に良かった。春は1つだけだったけど、ほかのもたくさんありました。そして、ビジネスイタリア語の講座とか日本語の講座もありますし、イベントの中にガラディナーとかもよくありますから、興味があればホームページを検索してみてください。日本語のページもありますので。
そして、私の勤め先はジョルジオアルマーニジャパンですから、一言だけ、この会社について少しだけ説明しようと思っています。まず、これはアルマーニの銀座タワーです。日本のアルマーニ社の本社です。2007年にできた建物です。すべてアルマーニの店舗とオフィスとレストランもありますし、スパもあります。設立は1987年の10月14日です。ちょうど24年目ぐらいです。そのときアルマーニグループは伊藤忠と組んでジョイントベンチャーをつくりました。あのときはまだジョルジオ・アルマーニとエンポリオ・アルマーニはブランドだけではなくて、会社として分けていましたから、95年に一応、一緒になりました。そして、2002年は多分弊社の一番大事な年です。なぜかというと、そのとき伊藤忠の資本関係が終わって、100%その会社はジョルジオ・アルマーニ、〓ミランエスピリエーリ〓のものになりました。ある時から私たちの足で日本の市場でも走ることができました。
それで、現在、従業員は550人ぐらいです。これは先月末の数字です。もちろんリテールだけではない、卸のビジネスもやっていますけど、主にリテールですので、全国の店舗の数は結構多いです。
そして、今日の話に入る前にどんな話をするとか、ちょっとアウトラインを見てみましょう。まずは、イタリアンファッションの現状。イタリアンファッションの状況はどうですか、元気ですか、元気じゃないですか。ちょっとこの話をしてから、イタリアとファッションの初期の歴史。一応、私は何の話をしても、大体歴史から始めることが大好きです。なぜかというと、歴史を理解できたら、現在のことがもっと分かりやすくなると思いますから。このイタリアの歴史は結構長いですので、非常に短くします。でも、ファッションでも一応歴史があって、その関係も面白いと思います。
それから、ファッションの生産地と生産場所の地方化、これはどういう意味ですか。何が言いたいですか。私がここで言いたいのは、まずはイタリアのファッションはもちろんイタリアで誕生して、イタリアで生産が始まったけど、その生産はだんだんほかの所に行ってしまった。でも、もちろん何か残ります。デザインが残るとか、ブランドによって、メーカーによって、物によっても生産がまだ残っていますけど、一般的にはイタリアは高い国になっていますから、その生産はほかの国に移動していますので、この地方化という意味で少し話をしたいと思います。
そして、これは面白い話かもしれない。イタリアのファッションブランドの現状です。今のファッションブランドはどんな感じですか。イタリアのファッションブランドは本当にイタリアのものですか。ちょっとその話をしたいと思います。
最後に日本とファッション。日本は、多分世界で一番ファッショナブルな国だと思います。皆さん、ファッションが大好きです。本当に私が昔から、若いときからいつも都会、街を歩いたら、ヴィトンの店の前に列があって、その列の90%が大体日本人で、その店に入ったら、ルイ・ヴィトンのかばんとか物を買ったりとか、そして在庫がなくて、待ち時間が2年間、3年間あっても一応は注文していたから、あのときは本当に感動しました。そこまでブランドの物を買いたいのは本当に日本しかないと思いますので。だから、日本とファッションはどんな関係ですか。今いろいろな新聞とか雑誌とかの話を聞いたら、今この〓ハニモン〓はもうだいぶ終わっていますと書いてありますから、だからこれは本当に一時的な危機か、長期的な〓サヨナラ〓か、少しだけ話をしたいと思います。
では、話の内容に入って、イタリアンファッションの輸出の現状を見てみたいと思います。ここではどんな質問ですか。イタリアンファッションは本当に優秀な業界ですか。私はちょっと……、さっきも個人的に話をしたら、「イタリアのファッションはすごく優秀ですからいいですね」と言われていますけど、実際は本当にそうでしょうか。どうでしょうか。数字を見ると、もしかしてイメージとはちょっと違うことが出てくるかもしれない。そして、イタリアとファッションブランドは、日本で本当に異常に〓成果〓しています。それは本当ですか。本当に〓成果〓していますか。今日皆さんが着ているものはブランド物ですか。チェックするつもりではないですけど、多分そうではないかもしれない。本当にどの程度まで成功しているとか、数字から返事が出るかどうかはちょっと分からないですけど、これが簡単なイタリアンファッション関係の部門の数字です。これが〓2001〓年から2005年まで、数字はちょっと古いかもしれないけど、こういうテーブルはアップデートがあまりされていないから、後で2009年の数字もありますけど、一応イメージするために利益と生産金額とか、これは〓レゲ〓原価ベースで、そして輸出・輸入。輸出・輸入の残高と国内売り上げがありますね。企業の数字、そして従業員。企業の数字以外と従業員の数字以外は、全部100万ユーロのベースで、だからユーロで計算されています。2001年は、一番元気な年じゃなかったですけど、でもスタートとしては、例えば利益を見ると611億ユーロぐらいでした。2005年を見ると100億ぐらいになりました。これは特別に不景気で〓思わなかったし〓、毎年-5、-4%、-3%ぐらいの程度で利益は下がっていました。生産金額も、2011年度を見ると、大体同じパーセントで437億ユーロまで下がっています。あとは、〓モノインとモノアウト〓を見ると、輸出と輸入を見ると、一応、輸出はほとんど同じぐらいですね。あまり変わりない。2003年はちょっと下がっていましたけど、でも、輸入はやっぱりアップになっています。面白いですね。イタリアはアパレルとかファッションのものを作っていますから、輸出ではなくても、輸入は増えています。どういうことですか。だから、〓ゼンダカ〓を見ると、ちょっと〓ゼンダカ〓は幅が小さくなっていますね。それで、国内売り上げも384億ユーロから326億ユーロまで下がっていますから、やっぱり輸入があっても国内市場は大きくなっていないです。だから、この輸入はどこに行きますか。本当に、結局イタリア人のためには、もうイタリアでは物を作っていなくて、やっぱり外国から入っているんじゃないですか。この数字を見たら、やっぱりこの感じですね。
企業の数字も見ると、幾つぐらいの企業がありますか。イタリアは、2001年はファッションの、アパレルだけではないですけど、アクセサリーとか皮製品とかも全部含めて73,000社ぐらいありましたけど、5年後には12,000社がなくなりました。一緒になったこともあったかもしれないけど、ほとんどなくなりました。その意味です。従業員も、これは1,000人ベースだけど、61万人ぐらいから52万人ぐらいまでいきました。だから、部門としては間違いなく小さくなっています。
イタリアの織物とファッションを含めて最近の数字を見ると、もっと悪くなっています。今、売上高は約〓463〓億ユーロぐらいになっています。だから、前の年から-15%です。もちろん2009年は難しい年だったから、それはあり得ますけど、輸出も一応-20%ぐらいになっています。結構厳しい年でした。それで、ファッションの関係と織物の関係の企業も数字はまだ減っています。-3%。大体毎年3~4%ぐらい減っています。従業員も、2009年と2008年とを比べると、-5%になっていました。だいぶ数字は減っています。
それで、簡単に計算したら、会社の平均の人数は小さいですよ。9人ぐらいです。だから、本当にイタリアのファッション関係の会社とか織物関係の会社は非常に小さいです。中小企業。本当に小企業です。これが今現在の数字のイメージですけど、日本の輸入を見ると、タイトルはイタリアファッションですけど、一番上にある数字は、イタリアから日本へのすべての輸入です。これが、通貨が変わって億円になりますけど、8,000億円ぐらいからリーマンショックもあって、いろいろあって、結局3,000億まではいっていないです。これは半年ですけれども、倍にしてもやっぱり2009年と2010年は同じぐらいですね。非常に少なくなっています。もちろんこの数字は円ですので、ユーロのレートが変わった影響もありますね。例えば2006年は、ユーロと円のレートは146円でしたけど、去年の平均レートは121円でした。今は108円ぐらいだと思いますけど、これは結構影響があります。
これは全体の輸入ですけど、そのうちファッションはどのぐらいですか。2006年を見るとファッションは半分までいかないけど、半分に近いですね。やっぱりイタリアからファッションは多いです。ファッションでないものは大体食材とか、機械は少ないですけど、車はもっと少ないです。
それで、このシェアは43%だったけど、現状だったら28%、良くなっても30%ぐらいあります。リーマンショックの後で、ファッションは部門としては非常に厳しく影響がありましたね。でも、イタリアから日本にいくファッションのものは多いですか、少ないですか。すべてのファッション関係のイタリアの輸出の中で、日本のシェエアは、2006年は5%ぐらいでした。そんなに日本は大きくないかもしれないけど、去年は4%ぐらい。だから、5%から4%ぐらい、そんなに落ちてないかもしれないけど、これがすべての数字だから、例えばアルマーニグループの中で日本は世界の第3市場です。第1はヨーロッパです。第2はアメリカで、第3は日本です。シェアとして、日本は20%までいかないけど、近いです。今、中国がだいぶ近くなっていますけど、でも、まだ中国は第4です。
これが現在のイタリアのファッションと日本の関係のイメージですけど、それをもう少し詳しく分かるためにちょっとステップバックして、イタリアのファッションがいつ生まれたとか、どんなものだったとか、ちょっと後ろを見てみたほうが、多分後で理解しやすくなると思います。
では、取りあえずはこの歴史の話をすると、何のことみたいですか。イタリア人は本当にいつでも完璧なドレスアップをしていますけど、それは昔からですか。最近のことですか。古代ローマ時代からブランドはありましたから、今のブランドは、もしかして昔からあるかどうか、アルマーニさんは75歳ですけど、そんな古くまでいかないですけれども、古代ローマファッションはどんなファッションでしたか。まずは古代ローマの地図を見てみましょう。あの時代、一番大きい街は……、これはそのときの世界の東の部分の地図です。それで、一番大きい街、都会はローマでした。だから、こっちが人口も一番多かったし、やっぱり服の必要も、ローマはほとんど中心でしたから、結局、北アフリカからまずはコットン。だから、ここからコットンの材料が入って、そして〓中近東〓からウールですね、これがそのとき一番大きい貿易のチャンネルでした。
それで、古代ローマの人たちはこういう感じの服を着ていました。これがイタリア語で、昔ラテン語でトガという服、着物ですね。これが昔の非常にお金持ちの格好でしたけど、トガの種類はたくさんありました。そのときから、服からどんな人とか、どんな生活をしているとか、どんなポジションにある人かがよく分かっていました。これは女性用のトガのレプリカですけど、面白いのは、ジュエリーも結構使っていました。そのときから黄金とかこういうものもありました。これもローマ時代のほかの形の服です。赤は古代ローマ人がすごく好きだったので、大体赤とか白が結構多かったです。そのときは、〓ここまで〓じゃないけど、アクセサリーも非常にたくさん作っておりました。これが昔の古代ローマの国会議員の制服として、大体このトガは、赤のストライプがありました。大体2つで。これを見るとやっぱりすごく大事な人とか、お金持ちとか、パワーがある人は服からよく分かっていました。例えば古代ローマの移民の服と比べると、これはよく見たことがあると思いますけど、教会でマリアさんの服は大体こんな感じでしょう。これがユダヤ人のあのときの伝統的な服でしたね。比べてみてください。この女性とこの女性ですね。やっぱり服からすぐにどんなポジションで社会の中にあったかがよく分かっていました。これはユダヤ人の男性のアウトウエアです。これもこれと比べると、靴からも分かると思いますけどね。だから、あのときからファッションは非常に大事だった。例えば北ヨーロッパとか、パワーを持っている人は何か特別な物を持たないと、特別な〓アシ〓とか何かあったんですけど、イタリアでは、古代ローマでは大体服で分かっていました。
東ローマ帝国と中世期のファッションは、もちろんあのときは非常に暗い時代だったので、あまりローマ時代と変わっていなかった。もしかして、ローマ時代と比べると貧乏だったかもしれない。これが、ほとんどすべてここはモザイクの絵図ですけど、大体女性はちょっと地味な服を着て、男性は大体田舎で働いていたから服は短くて、冬でも大体はだしかサンダルで働きましたけど、お金持ちは、ローマ時代みたいな同じ感じの服を着て、もちろん軍人は軍人の制服とか。ここは大体アクセサリーとか、これは昔の国王、これは多分〓アラレンガ〓のモザイクだと思いますけど、この感じで、一応力がある人たちはいつも〓映像〓を取られました。だから、中世期とローマ時代のファッションはそんなに変わらないですけど、時代と同じぐらいに、多分微妙には暗くなったかもしれないです。
あとはやっぱりルネサンスの時期になると、イタリアのデザインの誕生です。本当に建築家とか。そういうときにイタリアのデザイナーは、もちろん服だけのデザインではないです。大体そのときは主に織物のデザインでしたけど、そのときはだいぶイタリアで始まっていました。またそのときの地図を見ると、ローマ時代とだいぶ変わっていますね。イタリアはいろいろな小さい国に分けてあって、経済と貿易の中心は、こっちのほうはフランスとかスペインとかイギリスとかオランダにだんだん代わります。だから、コットンの輸入とかウールの輸入は、非常にこの〓アロー〓は小さくなっていますね。それで、大きい〓アロー〓はやっぱりこっちのほう、アメリカから金とか、いろいろなものとか、材料とか、もう貿易が始まっていたから、だから織物とかは大体こっちで生産していたけど、でも、ルネサンスの文学論を読んだら、ほとんどみんな、国王たちとか、大事な人たちとか、作家とかは大体服で、服を作るためにイタリアに行きました。特にフィレンツェとか、ベニスとか、ローマとかへ。
そしてもう一つの大事なポイントは、古代ローマ帝国はなくなったけど、ほかの帝国が始まりました。キリスト教、バチカン。バチカンの中に神父さんたちがたくさんいます。考えてみてください。神父たちの制服とか、ミサの制服とか、普段の制服とかは、ほとんど全部すべてローマで生産されています。今でも神父さんのためだけの店はたくさんローマにあります。あのときは今よりももっともっと大事だった。なぜかというと、神父さんは宗教だけの力ではなくて、本当に政治的な力を持っていましたので、だから非常に大事なことだったんですね。あのときの感じは、この〓リブレーヤ〓という服でしたから、非常に豪華な生地が使われて、ローマ時代と比べると靴もだいぶ出ています。靴も革製品とかすべてイタリアのものはそのときからたくさんあります。
そして、ルネサンスのとき世界の力のスイッチは、地中海からもう少しだけ左のほうに代わりましたから、スペインとかフランスとかにいきましたけど、でも〓絹の道路〓は、絹はやっぱり〓中近東〓からヨーロッパに入っていましたから、どうしてもイタリアを通らないと駄目だったから、そのときは絹の工場とか絹のファッション関係の会社はだいぶ出ていました。どんな道だったの、絹は。もちろん〓中近東〓からヨーロッパに入りますね。まずはシチリアに入りました。数年間全く、50年間ぐらいシチリアだけは一応絹は〓扱って〓、ノルマン人は、北ヨーロッパからシチリアに来ていた人たちはよく使っていましたけど、でも、ヨーロッパまでいかなかったですよ。やっぱりあのときはコットンとかウールのものはまだ非常に人気があったし、特に女性はシルクが好きだったけど、あまり人気がなかったです。知られなかった。それでこういう大体〓扱って〓いた会社、今、私は会社と言っていますけど、会社の意味はそのときはまだなかったです。家族の活動とか家族の仕事でしたので、3つ、4つの大きい家族がそのときシチリアから、これも商売のためもう少しだけ北に行きました。フィレンツェに移しました。それで、フィレンツェに移すと、やっぱりフィレンツェはもうちょっとヨーロッパに近いし、非常に絹の物は人気になって、本当にブームでした。ブームになったら、やっぱりフィレンツェはまだヨーロッパから遠いですよ。結構この中にたくさんありますから、もう少しだけ北のほうにいかないといけなかったので、だからトスカーナから、ルッカから特にコモまで行きました。それで、コモで一応こういう家族は落ち着いたから、本当に今でもコモは絹の物がすごく有名です。もともとルネサンスのときから始まりました。
ちょっと時間がないから走らないといけないですけど、バロック時代から生産の〓タコメ〓まで見ると、服は豪華からだいぶ変わっていましたけど、もちろんこういうものを作るために非常にたくさんの時間がかかったし、お金もかかったから、アパレルの関係者の人たちはいつも元気だったね。経済的にも本当に豊かな家族でした。
それで、1900年に入るとやっぱりこういう工業で、もう本当に手作りではなくて、機械で一応作るものになったから、私のおばあちゃんもこんな感じの絹の工場で働いていましたので、本当にこの写真は実はうちにあった写真でしたので、私のおばあちゃんはいないと思いますけど、ほかのものは全部もうちょっと昔ですけど、これは多分1920年代ぐらいだと思います。
そして、産業発展とかがどの程度までイタリアで進みましたか。これはファッションだけの話ではないですけど、イタリアは、ほかの国と比べるとヨーロッパでは結構遅れていました。これが例えば一応、産業の力とかを比べるだけの数字ですけど、例えば1900年のイギリスの状況を100と定義しても、イタリアはそのとき17だった。非常に遅れていました。ドイツはもうイギリスの半分ぐらいだったけど、フランスは40ぐらいだったけど、ベルギーはフランスよりももっと進んでいましたね。あとはアメリカも非常に進んでいました。それで、戦争の前の状況を見ると、イギリスは15%アップになりましたけど、イタリアはそこまでいかなかったです。20とかね。それで、イギリスはアメリカにちょっとパスされましたのでね。
こういうことで何が言いたいのかというと、イタリアはほかの国と比べると非常に遅れていましたから、やっぱりこういう発展できる部門とか、機械とか、電車を造ったり、ほかのものをつくるための機械とか、それも多かったですけど、イタリアは遅れていました。一番遅れている……、やっぱり部門とかはアパレルでした。だからほとんどこれはアパレルです。さっき見た写真のお金では17%いきましたけど、イギリスはもう1900年には非常にほかのものも始まっていましたから。こういう遅れは、今はもちろん小さくなっていますけど、もともとの意味は同じです。
これはイタリアの地図で、みんなご存じだと思いますけど、19世紀の産業的な開発はどこであったとか、それを簡単に言うと、もちろん北イタリアの織物産業とかだから、羊毛とか、コットンとか、絹とか、これが〓マルパダーナ〓、デモンテとロンバルディアの間とか、ベネトのビチェンツァとか、フィレンツェとか、ローマとか。それで、これが織物だけど、織物と一緒にやっぱりファッションはアクセサリーも必要ですから、このアクセサリーの工業は大体、近いですけど、例えばアイウエアとかのベネットとか、カドーレの地区とか、ジュエリーとか、フィレンツェとか、ビチェンツァとか、アレキサンドラの近くとかで、革製品とかはもちろんフィレンツェです。
同じ所で、結局戦争があってから、一応イタリアのファッションブームは始まりました。だから、あまり動かなかったですよ。こういうファッションの世界で、イタリアでは。だから、北イタリアは有名な会社、あのとき、この話はもう40年代ぐらいの話ですけど、GFT、グルッポフィナンツィアリオテシレ、今はもうない会社ですけど、長く一番大きいアパレル関係のグループでした。あのときだったらもしかしたら財閥みたいなものだったけど、すごく大きい会社で、そして、フィレンツェのほうはそのときから例えばグッチ、そして、〓メイトメザー〓の小さい企業だから、本当に一番細かい仕事をするテーラーたちとか、よくフィレンツェに今でもありますけど、小さい企業とかが昔は残っていました。その小さい企業から大きい企業のジャンプまではそんなに難しくはなかったですよ。あとは靴のほうはエミリオ・プッチとか、最初のところから。
あとは、ローマ。ローマはあまり工業的なところはイメージしていないと思いますけど、本当にバチカンとかキリスト教とかのおかげでいつも何かありました。例えばフェンディとか、〓ソラリアフォンターネ〓、今は有名じゃないけど、昔は非常に、最初のイタリアのオートクチュールだったんですね。あとはブルガリとか、全部ローマです。
そしてまたアパレルのほうはグルッポンマルゾットがビチェンツァのほうでありました。そして、アクセサリーの中にアイウエアとか、眼鏡とか、サフィロ。サフィロは1901年に設立した会社です。今イタリアの、世界第2のアイウエアのブランドメーカーですが、第1はルクソティカですけど、〓いわゆるちょっとサフィロの場合〓ですが、ルクソティカは1976年に設立した会社です。だから、あまり歴史は長くないですけど、サフィロは非常に昔からありました。
そして、そういう地区から昔のブランドと今のブランドの成功のステップは、そんなに遠くなかったですね。イタリアのブランドは、皆さんご存じだと思いますけど、たくさんありますよ。これがすべてではないですけど、やっぱりどこのブランドがイタリアのブランドとか、どこが成功したとか考えると、たくさんありますよ。グループ、ターガスとか、クリツィアとか、フェラガモとか、グッチとか、ゼニアとか、エッゾとか、これが一番高級なブランドからもう少しだけカジュアルなブランドまで、ベルサーチとか、フェレとか、ブリオーニとか、トッズ、ディーゼル、トラサルティ、リプレイとか、それからジーンズには〓ラテールワ〓とかね、そしてスポーツ用品は、ディアドラ、エレッセ、そして靴は、エミリオ・プッチ、ホーガン、フラテッリ・ロセッティ、ポリーニ、セルジオ・ロッシとか、あと、またスポーツはフィラとか、ロットとか、たくさんありましたね。このブランドは全部一緒じゃないですよ。だから、高いと安いとか、カジュアルと高級、エレガンスのと分けると、やっぱり各ブランドは自分のポジションをちゃんと取っていますね。例えばアルマーニ、グッチ、プラダは一番高くてラグジュアリー、エレガントのものですけど、少しだけもうちょっと下がって、例えばフェンディとかベルサーチ、フェレとか、そしてフェラガモ、バレンチノ、エトロ、クリツィア、ブリオーニ、全部自分の位置を取って、自分の成功ができましたね。だから、マーケットの中のポジショニングも非常に良かったと思います。これは私がしたポジショニングですけど、皆さん、自分の感じで〓ヘグ〓こともできると思いますけど、もちろんスポーツ用品はだんだんもう少し安くてカジュアルなものになりますけど、本当にこういうイメージを見ると、非常にうまくすべての市場の上に各ブランドが成功できました。
こういう状況ですけど、最初、少しだけ地区の話をしましたので、そこで戻って、この質問にちょっと答えたいと思います。現在、イタリアファッションは本当にイタリアのものですか。最初のイタリアのブランドの誕生を見ましたけど、今はどうですか。イタリアのどこでファッションはまだ生産されていますか。少しだけ最初の地図に戻りましょう。これが今現在の地区の、イタリア語で言うと、〓ディストレッティ・インダストリアリー〓だから、本当にあそこでほとんどそんなものしか作れないところですね。皆さん、多分、日本の福井県の鯖江市の例を考えたほうがすぐ分かると思いますけど、日本の眼鏡の95%は鯖江市で生産されています。これがこの感じです。本当にビエラは、ビエラの企業を見ると、多分90%のビエラの企業はウールとかコットンとかスポーツウエアを作っています。コモは絹とかヤーンとか、だからネクタイとかね。プラートはフィレンツェの近くの街ですけど、コットンとかウールとか織物で、そうしたらアパレルとか。ボローニア、フィレンツェは、皆さんが大体イタリアに行くとき、靴とかかばんの買い物をしたい場合はどこに行きますか。大体ボローニアとフィレンツェですね。そしてマルケ州は私の生まれた州ですけど、革製品とか靴とかがすごく強いです。そしてビチェンツァは、コットンとかウールとか織物、アパレルはもちろんありますし、金もあります。ジュエリーとか。カドーレ州はイタリアの鯖江市、イタリアの福井県ですよ。寒くて天気も似ていますけど、アイウエアとか、だからフレームとかサングラスとか、世界の85%のブランド物のサングラスとアイウエアは、カドーレで生産されますか、されましたか、ちょっと少しだけ待ってください。
その〓成果例〓は、どの会社が成功できたとか、ビエラはフィラとか、ロロ・ピアーナとか、エルメネジルド・ゼニアとか。そしてコモは絹物では〓ラッティ〓というブランド。ミラノ、フィレンツェのほうがたくさんのブランドがありますから、これが国際ファッションセンターとしてミラノ・ファッション・ウイークはフィレンツェの〓ビッディモーダ〓とかローマ〓アジカモーダ〓とか、この展示会も毎年2回ぐらいあります。ボローニアとフィレンツェはグッチですね。フェラガモとか。ボローニアは〓マネリナダッジョ〓とか、マルケ州はトッズとか、ホーガンとか、チェザレ・パチョッティとか、そしてビチェンツァは、グルッポマルゾット。グルッポマルゾットの中にいろいろなブランドがありますから、マルゾットのブランドも一応イタリアで持っています。カドーレはルクソティカ、これは眼鏡。ルクソティカ、サフィロ、マルコリン、デリーゴ、これは多分すべての世界のアイウエアのブランドの4つのメーカーです。
こういう会社が成功して、生産も外国にだんだん移ることになりました。だから、この〓太陽〓はだんだん小さくなっていますね。ビエラから中国、トルコ、北アフリカ、南アメリカまで、そしてコモから大体中国とインドに生産地も移しました。それで、プラートは面白いですよ。プラートから中国にもちろんいきましたけど、そしてチャイニーズプラートまで。チャイニーズプラートは何ですか。プラートに行った人は多分よく分かると思いますけど、行ってない人たちのためにちょっと説明します。今現在、プラートの人口は18万7,000人ですけど、一応、登録されている中国人は1万1,500人です。実際住んでいる中国人は2万5,000人です。本当に見られないですけど、工場の中で24時間働いている人たちがずっといます。イタリア語はしゃべれないし、外に出ないとか、学校に行かないとか。だから、本当に中国人のおかげとか、せいとかちょっと言えないんですけど、プラートから生産は外国にあまり移っていなかったです。中国人がプラートに行きました。それで中国の値段で一応生産します。皆さん、今イタリア人はすごく怒っています。「ああ、中国人がたくさんいますので、私たちのために仕事がない」とか、もう本当に厳しいと思いますけど、多分、今度の選挙でプラートの市長は初めて中国人になるかもしれない。本当にこの可能性です。政治家とか。地方テレビですけど、プラートで中国のテレビもやります。でも、皆さんはメリットを見ないです。本当に中国人のおかげでプラートの地区の生産コストはだいぶ下がっています。だから、イタリアの会社も外国に行くよりも、じゃあ、プラートで生産しましょう。だから、一応プラートでまだ今はアパレルとファッションの関係の生産はたくさんあります。結局、何の〓例〓ですか。皆さん、イミグレーションはあまりよろしくないでしょう。外国から来る人たちは迷惑でしょう。本当に社会的な問題がたくさん出ますけど、でも、長い目で見ると、例えば今の日本を考えてください。今のコストは日本では非常に高いですよ。だから、車のメーカーもできるだけ中国で生産したいけど、もしこのコストのベースが下がったら、下がる理由はもしかして外国から来ている人たちのおかげかもしれないけど、下がったら非常に、まあ、外国に行く必要もないんじゃないですか、日本で生産しましょう、もしかして外国と比べると少しだけまだ高いかもしれないけど、でも、いろいろなリスクもないし。実際、ハーバード大学でこういう議論を考えている経済学者も今います。本当に理論的にも本も出ていますし、イミグレーションがどういうふうに影響できるか。このことを考えると、プラートの例は非常に面白いと思います。でも、イタリアではプラートはプラートだけです。ほかの街はそういうことはありませんでしたから、例えばボローニアとフィレンツェから中国、ルーマニアとか、南東アジアまで生産が移りましたので、マルケ州から中国、ルーマニアにもいきましたね。もちろんアパレルのところで大体同じですけど、アイウエアもカドーレから中国とか東ヨーロッパまで移りました。
さっき多分ここで見たビエラ。ビエラは、アパレルのため非常に大きい地区です。どんな影響がありますか。例えば織物産業の会社の数字を見ると、2005年は947社ありましたけど、現在は729社になりました。従業員は、2002年に2万5,000人だったけど、現在は1万3,000人だけ。その1万3,000人の中に3,000人はモビリティーという形の契約があります。これは日本にはないと思いますけど、みんな多分イタリアのことを勉強しているから聞いたことがあると思います。〓カッサインテガツィオネ〓という形です。結局、5人か20人、ちょっと覚えてないですけど、以下の大きさの会社は、もしトラブルに入ったら、自分の従業員は会社に来なくていいと言って、でもその従業員は、会社側ではなくて国から80%の給料はもらえます。その時期は1年までです。だから、結局1年まではうちにいて仕事に行かなくて、給料は少し下がっていますけど、でもその給料を払うのは国です。これがモビリティーです。今現在、1万3,000人の中の3,000人はこういう状況です。だから、本当に失業率の数字の中に入ってないですけど、本当にこれは失業率です。でも、それが入っていなくても、現在は失業している人たちの中でビエラでは61%が40歳以上です。非常に難しい状況です。だから、これが地方化の影響と言えるかもしれないけど、例えば生地の生産も非常に下がっています。2000年に3,600万メートルから2008年に3,000万メートルまでなりました。本当に残念なことですけど、社会的にもこれが一番特にイタリアの大きい問題になっていますね。社会的にも、政治的にも、本当に経済的にも非常に難しいことになっています。
ちょっと話が暗くなりましたので、イタリアのブランドの成功の例とかを少しだけ話しましょう。ちょっと長くなるかもしれないけど。まずは私の会社の、一番知っているから、少しだけお話ししましたのでそんな長く話さないんですが、ジョルジオ・アルマーニという会社、グループ、ブランドですね。一応、70年代にスタートしました。アルマーニさんは、そのときランバンのメゾンのデザイナーでした。独立したのは1975年でした。ジョルジオ・アルマーニ株式会社の設立は、この日でしたから、考えると、本当に35年間だけの歴史ですが、アルマーニグループの中に今5,000人以上が働いています。それで、80年代はエンポリオ・アルマーニのブランドが始まりました。後で質問が出てくるかもしれないけど、ジョルジオとエンポリオの違いは何ですかとか、たまにエンポリオはジョルジオの弟かと聞かれますけど、そうじゃないですよ。エンポリオのイタリア語の意味は「何でも屋さん」です。何でも売っているお店ですけど、エンポリオ・アルマーニとジョルジオ・アルマーニは、ファーストラインとセカンドラインでもなくて、ジョルジオ・アルマーニは、大体ファッションとして一番ラグジュアリアスな物を売っています。それで、ファッショナブルなものになるとエンポリオになります。だから、エンポリオとジョルジオのお客さんの年齢はちょっと変わっていますね。ジョルジオは40代から50代まで、エンポリオは30代から40代まで。例外もたくさんありますけど。
ジョルジオアルマーニジャパンは80年に設立して、そして、ジョルジオアルマーニパシフィックの外国にも一応オープンして、ほかのブランドもコレッツィオーニとジーンズの誕生が90年代です。それで〓20年代〓にエクスチェンジ、ジョルジオアルマーニカーザ、それで、2002年にミラノのヴィア・マンゾーニにあるフラッグシップストアのオープンを〓出した〓。それは世界のファーストのアルマーニのフラッグシップストアでした。今現在、世界で3つのフラッグシップストアしかないです。ミラノ、ニューヨークと東京です。東京は2007年11月7日、ニューヨークは2008年、それで去年4月にアルマーニホテルドバイをオープンしました。だから、ファッションからだんだんトータルライフスタイルブランドに移ります。アルマーニグループは、今イタリアファッションの中で本当に成功している例です。
もう一つの例は、多分皆さんは知らないかもしれないけど、モンクレールという会社。ダウンジャケットを知っているかもしれないけど、もしかして皆さんがロゴを見ると、これはフランスのものと思っています。もともとフランスのものでしたけど、2003年からイタリアの会社になっています。後でちょっとお話ししますけど、イタリアファッションのものはだいぶ外国にいっていますけど、これは逆に……。ちょっと時間がないので全部説明できないけど、一応この会社の最初は92年に設立した会社ですけど、レネ・ラミヨン、フランス人が設立した会社です。なぜ「モンクレール」か。彼の〓首都の街〓はモナステ・デ・クレモン(Monastier de Clermont)だったから「モンクレ」、その字を取ってモンクレールをつくりました。最初に非常にテクニカルな物、本当に山登りする人たちの物を作っていましたけど、ターニングポイントは、本当に変わったところは1972年でした。ダブルダウンジャケットからシングルダウンジャケットに替わりました。ダブルダウンジャケットは、ダウンですけど、ダブルになりますから、例えば私が着たら〓ミシメの人形のように〓見られると思います。こんな感じになります。ダウンがシングルだったら私も非常にスリムに見えますから、だから非常に成功できたと思いますね(笑)。それで、80年代にもう少しだけファッショナブルな形になって、80年代は、皆さんは多分知らないと思いますけど、パニナリ〓スイダイヤル〓、パニナリ(Paninari)という言葉を聞いたことはありますか。80年代のイタリア人の若者の中に一つの世代ができました。英語で言うとイタリア人のヤッピーです。若くて、お金持ちで、ミラノの道を歩くとすぐ分かりました。なぜかというと、皆さんがモンクレールのジャケットを着ていました。ちょっと面白いから写真を見せようと思っていますけど、この感じでした。私はあのときボッコーニに通っていましたけど、大体高校生はこんな感じ。みんなモンクレール。そして、雑誌も出ていたし、物まねもテレビでも出ていたから、非常にモンクレールはこの世代の制服になっていましたから、すごく成功できました。それで、2003年は一応イタリアの〓レゴロフィーニ〓さんに一応買収されて、この方は非常にビジネスのセンスがある人だから、有名なデザイナーを呼んだらそのブランドは非常に有名になって、売り上げもだいぶ伸びていますね。今日本でも結構人気になっています。これは一つの例として。
最後の例はデッラ・ヴァッレグループ。デッラ・ヴァッレグループというと、トッズとホーガンの会社です。これはマルケ州で50年代にデラヴァッレのお父さんが設立した小さい靴のメーカーの会社で、本当に小さい、うちの地下で作っていた会社だったけど、70年代にディエゴ・デッラ・ヴァッレというブランドの販売が始まりました。ディエゴ・デッラ・ヴァッレは彼の息子で、息子が3人いたから、一番年下の息子の名前を選んでブランドをつくりました。そして、このディエゴ・デッラ・ヴァッレは若かったからまだ経営していなかったけど、外国によく行っていました。一回ボストンだったかな、アメリカに行って、彼がアメリカのその街の電話帳を読んで、JPトッズという名前がすごく目立っていた。この名前はいい名前だったから。本当にそうですよ。これは本当の話です。じゃあ、新しいブランドをつくりましょうと、JPトッズとあったね。最初はJPがついていたけど、後でJPが抜けましたけど、今トッズは、多分イタリアの靴の銘柄では一番人気があるブランドです。本当に名前はカジュアルで選ばれたけど、彼もだいぶ営業のセンスがあって、イタリアでも結構有名人になりました。オピニオンメーカーとしても考えられますから。2002年にフィオレンティーナのサッカーチームの買収をして、彼の会社の売り上げ、〓レラバレルート〓は非常に伸びていますね。2007年の7,700万ユーロから2009年は8,600万ユーロまで、非常にこういう厳しいときでも結構売り上げは伸びています。この会社も今サックスというアメリカのデパートのチェーンの9%も持っています。
なぜ彼らが成功しているか。このディエゴ・デッラ・ヴァッレと話したときに一応言われたのは、日本語で翻訳していますけど、利益と関係〓セイズ〓は、靴の生産は外国に地方化しないで、イタリアのマルケ州にキープします。本当に彼らのトッズのクロコの靴は、店の上代は言わないですけど、原価を考えると、大体1つのクロコの靴は1,500ユーロぐらいの原価です。1,500ユーロ。上代は多分、店で3,500ユーロぐらいになります。非常に高いです。もちろん利益が出ますけど、もしそのクロコの靴を中国で生産されたら、原価は半分ぐらいになりますね。だから、彼らにはこれはすごくおいしい話ですね。中国に移っても良かったんじゃないかなと思いながら、いや、利益は下げても、マルケ州の芸術だから、マルケで生産を続けます。やっぱりこういう考え方とかこういうやり方はだいぶお客さんにも移っていますので、今、多分並んでいる、ローマを歩いたら、例えば私は先週ローマにいたから、ちょうどバーゲンの始まったときで、並んでいた店は2つだけだった。ヴィトンじゃなくて、プラダではなくて、アルマーニでもなくて、トッズとホーガンの店だった。だから非常に伝わっています。
ちょっと時間が厳しいから早くいかないと。イタリアのファッションブランドの状況に、今3つの話をしましたけど、本当にうちはイタリアブランドですか。この質問に簡単に答えると、そうではないです(笑)。ファッションの大事な国は、●ないから、やっぱり世界中でイタリアとフランスとスペインは非常に大事だったから、ブランドを考えるとやっぱりイタリアはたくさんありますし、フランスも有名なブランドがたくさんあって、スペインはちょっと遅れていましたけど、バレンシアガとかロエベとか、あとはアメリカのダナ・キャランとか、マーク・ジェイコブスとか、ステラマッカートニーとか、イギリスも一応ありましたけど、これが80年代と90年代初めの状況ですが、今と考えると、この国を見ると、個人のブランドで残っているのが本当に少ないです。2つの大きいグループが始まりました。PPRグループとルイ・ヴィトンモエヘネシーグループですね。2つともフランスのものですが、このグループの中にグッチ、ボッテガ・ヴェネタ、セルジオ・ロッシとかイヴ・サンローラン、ブシュロン、このPPRはピノーという家族が経営しているグループですが、ステラマッカートニー、アレキサンダー・マックィーン、バレンシアガとか、ルイ・ヴィトングループはルイ・ヴィトンをもちろんやっていますし、あとはクリスチャン・ディオールとかケンゾー、ロエベ、フェンディ、ダナ・キャラン、マーク・ジェイコブスとか、最後に誰に、今バレンチノが入りましたけど、バレンチノはちょっと状況があまり分かりにくいですけど、バレンチノ本人はマルゾットグループに一回売って、マルゾットグループはこのブランドを非常に安く買いました。それから、マルゾットグループはアメリカのヘッジファンドに売りました。非常に高く売れましたから、すごくマージンが高かったですけど、今は多分もう一回買いたいみたいです。バレンチノはあまりうまくいっていなかったから、まだ値段が下がっていますけど、こういう金融的な話はファッションとはあまり関係ないですけど、現在は一応この状況です。だから、ファッションの中に2つの大きいグループがあります。残念ですが、このグループは両方フランスのグループです。
最後のところに入ると、日本とファッションは、さっきおっしゃったとおり、本当に今どうですか。一時的な危機か、長期の〓サヨナラ〓とか、これは本当に説明とか返事をしにくいですけど、日本は本当に世界の2番目の大きな消費者マーケット、現在は劇的に変わってきていますね。日本の消費者は、以前のユニークな行動のパターンから新しいものに変わっています。本当に日本人の買い方の仕方とかは本当に変わっています。私側から見ると、皆さんはもしかして怒るかもしれないけど、少しアメリカナイズになっています。アメリカナイズはどういう意味かな。昔は、皆さんは時間を節約するためにお金を使っていました。時間がなかったからお金を使いましょう、いい物を買いましょう。今は逆です。お金を蓄えるために時間を費やします。これは皆さんがどう思うかちょっと分からないですけど、実際は本当にそういうふうになっています。日本の消費者はディスカウントショップに本当に走っています。多分、皆さんは覚えているかもしれない。去年の銀座のあの有名なフランスのジュエルメーカーのモーブッサンは、ちょっと特別なオファーをして5,000円で金のものを一応買えました。こういうふうに買えました。私はその朝は知らなかったんですけど、車でオフィスに行って、行けなかった、銀座で。多分2キロぐらいの列は、ニュースは初めて8時ぐらいにテレビに出ましたけど、うちはオフィスに行くのが9時15分ぐらいですけど、もう2キロ、3キロぐらいの列になっていました。皆さん、本当にモーブッサンを知らなかったけど、一応、ディスカウントがあるから、金の物を買えるから行きましょうという話になっています。これは非常に人気なことでしたから。
本当に皆さんは、特に若い人たちはうちからあまり出なくなったし、草食の世代の話もよく聞かれますけど、本当に昔と比べるとパターンは違っています。主な理由は、私が思うのは4つぐらいあります。
まずは、バリューを今はよく見ていますよ。昔はブランドのロゴがあれば何でもOKでしたでしょう。大きいグッチのロゴがあれば、ああ、グッチのかばん、買いたいです。今はそうではなくて、本当に何を買っているとか、この値段で本当にこの物がいいかどうかをよく見ていますね。皆さん、本当に店でもよく〓マジクモ検品〓しますね、この物はいいかどうか。これはいいことだと思いますよ。
あとは、うちで前よりも多く時間を過ごします。昔はみんな出掛けたら、「デパートに行きましょうか」と言われましたけど、今はあまり言わないでしょう。特に若い人たちはうちでネットを見て、それで時間を過ごしますね。
あとは、ちょっと違う買い物の仕方も、みんなできれば車に乗ってまとめて買い物をしますね。
あとは、健康と環境についての興味がだいぶ深くなっていますから、こういうものを買ったほうがいいんじゃないかなとみんな思っています。
この行動が変わった理由は3つぐらいあったと思いますけど、まずは不景気ですね。やっぱりお金がなくなっていますから、気を付けないとあまりなくなるし、まとめて買うし、できれば無駄にしない物を買いますね。
そして、若い者の行動が、さっき言ったとおり皆さん、若い人たちの場合、車を買うのを考えるよりも、うちで彼女・彼と一緒に時間を過ごしたほうが皆さんリラックスしているみたいですね。だから、ちょっと前と違いますね。
それで、法律の変更もありましたから、高速道路のコストも下がったし、一応、店でも自由に薬じゃないけど健康的なものも買えるし、〓ビンポイント〓がありましたから、車に乗ってどこかへ出掛けて、環境のものを買ったりとか、健康的なものを買ったり、それは皆さん両方していますね。
それで、有名なファッションブランドとか、特に外国の高級なブランドの興味はどうですか。これは去年の10月ぐらいに日本の新聞に出た話ですけど、2004年の日本人の質問された人たち、外国のブランドに興味がある人たちは、2004年は51%ぐらいだったけど、去年同じ質問をされたら32%が興味がありますと。だから、外国の高級なブランドに現在的に本当に実際興味はだんだんなくなっていますよ。いろいろな理由があります。さっき言った理由もあるし、日本製の物も、日本製のファッションも非常に良くなっていますから、それもあると思いますね。これは本当に実際のことですけど。
あと、私が思うのは、今の日本人の買い方に一番合っているファッションの企業は、やっぱりファストファッションというものではないか、そうじゃないかなと思っています。例えばファストファッション、よく聞かれますけど、ファッション関係の人たちでないともしかして分からないかもしれないけど、ファストファッションはファストフードと一緒にすることはちょっと違いますけど、まずは普通のファッションはどういうふうにシーズンごとに動くかを考えないといけないですけど、これはちょっと例として、例えば春夏シーズンがあるでしょう。秋冬とか春夏、次の年の春夏と秋冬がありますね。まず、ファッションブランドがアパレルのものを発注するのは、例えばこの春夏シーズン〓イチ〓の前に発注します。そして、大体よくみんなファッションショーを見ますね。例えばこの春夏のファッションショーがやはり6月にありますけど、何の服をそのファッションショーで見られるのかというと、その次の春夏のものです。だから1年前のものですよ。ごめんなさい、1年後のものです。ファッションショーの後に生産が始まります。それは1年ぐらいかけて、入荷は大体そのシーズンの前ぐらいに、例えば今1月でしょう、だから今、春夏のものは、一応私の会社に入っています。それは2011年の春夏です。その春夏のものは2010年の2月、3月ぐらいに一応注文しました。1年前は1年後の状況は分かりますか。難しいですね。結構、ガラスのボールが要りますね。あとは普通の販売をやって、もちろんバーゲンセールもあって、残っているものは倉庫に戻ります。サイクルは続きますけど、アウトレットとかで、まあ、ここまでにしましょう。
ファストファッションは、このサイクルはシーズンごとではなくて、もう本当に毎月同じことを行います。だから、ファストファッションの店に行ったら、毎月、物はすべて替わります。ウインドーも替わります。先月あったものは今月買いたかったらもうないですよ。だからみんな早く買わないと、すぐに、値段も安いし、本当にレジはスーパーマーケットみたいなレジになりますから、だから毎月小さい発注があって、ファッションショーもないけど、生産があって、入荷して、その次の月は売って、また倉庫に戻ります。毎月こんな感じで動きます。だから、皆さんは毎月店に行く気分になりますね。今、皆さんは安い物を買いたい。服をよく変更したいから、イメージの変更をしたいから、ファストファッションが今は一番合っていると思いますね。だから、現在の一番人気あるファストファッションブランドは、皆さんご存じだと思いますけど、ユニクロ、ザラ、フォーエバー21、ギャップ、〓ヤップマング〓、アバクロンビー&フィッチ、H&Mですね。
皆さん、多分、忘れていると思いますけど、最初のファストファッションが始まった会社はイタリアの会社でしたね。ベネトンと〓ステファノエレク〓、ベネトンは今どこにいっている? 皆さん、大体この質問は今ベネトンはどこですか、まだありますよ。でも、ベネトングループは、残念ですが、彼らは90年代にファッションの世界からだんだん離れて、ほかのビジネスに入りました。例えばイタリアの高速道路はベネトンが50%ぐらい持っています。テレコムとかインターネットの時代とか、いろいろなチョイスはあったけど、正しいチョイスはいつもじゃなかったし、でも、だいぶ離れていましたから、あれからベネトンはまだ人気がありますけど、これと比べると全然駄目です。でも、本当にベネトンは80年代に完全にファストファッションパターンで成功していました。
これは大体、日本のファッションのマーケットももちろんまだ大きいですね。もちろんさっき言ったとおり〓私の〓ブランドのためです。第三のマーケットですが、本当に前よりもこのマーケットの価値はだんだん少なくなっています。なぜかというと、本当に日本で営業したいブランドは、すごく高いコストを払わないといけないんです。例えば素晴らしいブティック、銀座、表参道は、まだ非常に家賃は高いですよ。コストが高いです。日本の消費者は、有名なブランドの物を買うときには一番上手なスタッフに販売されたい。だから、そのスタッフは一番うまいスタッフになって、一番高いですよ。だから、本当にコスト的にはまだマーケットは高いですが、でも利益は、売り上げはだいぶ減っていますから、これからいろいろブランドは、日本に関する考え方とかを多分変更しないといけないと思いますね。
あとは、もう一つ、今日は話が出なかった高齢化の話ですね。今ジョルジオ・アルマーニを買っている人たちが例えば50歳ぐらいだったら、あと10年間、60歳で引退して、多分ファッションブランドの服を買わないと思います。だから、そのお客さんは急になくなります。でも、新しい人たちは入らないから、将来的にはどういうふうになるか、そういうことは今の私たちの一番大きい頭の痛さの理由ですね。だから、本当にこれからイタリアンファッションのことを考えると、日本は高級なブランドよりも中程度ぐらいの、ミドルレベルぐらいのブランドの可能性があるマーケットになると思います。例えばフルラとか〓パトリシアペーベ〓、〓パトリシアペーベ〓はイタリアのファストファッションっぽいブランドですが、それとマンダリナ・ダック、それはアクセサリー、かばんとか、ガスはジーンズ、モンクレールとか、それだけではないけど、私が思うのは、これから高級なブランドよりも日本はこういうレベル、程度のブランドのほうが成功する可能性があると思います。
これでちょっと一応話は終わりにしたいんですけど、少し〓営業〓になりますけど、ごめんなさい、私はいろいろなことを言っていましたけど、もしかして私はすべて間違っています(笑)。私の意見ばかり言っていましたので、歴史の中に間違った人たちは本当にたくさんいましたから。例えばちょっと例として言わせてください。サダム・フセインのときには、サダム・フセインは絶対ウエポンのマスディストラクションを持っているとすごく完全に〓押収〓されましたけど、実際はなかったです。あとは、〓1895年にロールドケルビン〓という方は、絶対に機械は飛べないと言っていましたけど、それもちょっと大間違いだったので。それで、ビル・ゲイツは81年に640キロバイトは皆さんのために十分と言っていましたけど、皆さん、自分の携帯の確認をしてください。そして、IBMは82年にマイクロソフトを買収するために100ミリオンドルは高過ぎる。それは82年だったけど、今は誰か後悔していると思います。最後に、ミスター・ワーナー、ワーナー・ブラザーズの社長が1927年に言ったのは、「絶対みんな映画を見に来るときは人の話を聞きたくない。だからサウンドなしのムービーはずっと続きます」と言っていましたので、これも大間違いだったから、私はこの中に入りたくないんですけど、もしかしてその可能性もあるかもしれないから、本当に今日はこの話、ありがとうございました。(拍手)
質問があれば、本当に長くなりましたから、5分ぐらいですけど、どうぞ。
【司会】 最後は9時ぐらいまで大丈夫です。
【フォルミコーニ】 そうですか。
【司会】 フランチェスコさん、今日はどうもありがとうございました。ファッションの歴史から業界のことまで、いろいろと面白い話をありがとうございます。これから質問のある方、挙手でお願いできますでしょうか。
【フォルミコーニ】 皆さん、おなかがすいているかもしれないけど(笑)。
【フロアA】 今日は面白いお話をありがとうございました。私は南イタリアに非常に興味があるんですが、今日のお話にシチリアはちょっと出てきましたけれども、南イタリアとかはほとんど出てこないですね。これは何が、確かに歴史的なものだと思うんですが、ナポリとかという所文化の中心である都市もあるのに、どういうことなのかということをお教えいただければ。
【フォルミコーニ】 じゃあ、どうしたらいい? すぐに答えたほうがいい? それともまとめて答えたほうがいい?
【司会】 いや、もう答えてください。
【フォルミコーニ】 分かりました。本当におっしゃるとおり、南イタリアは素晴らしい所ですが、イタリアの経済発展の中に一番ない所です。もう本当にいろいろな本が書かれていましたし、いろいろな理論も出されましたから、なぜか。実際の問題は、もちろん経済の中心からいつも少し離れていましたね。本当に最近は、最後の300年、400年前ぐらいに世界の、ヨーロッパの経済の中心は北ヨーロッパだったから、〓中北〓ヨーロッパだったから、非常に遠かったですね。昔、ローマ時代は、シチリア以外は本当に農業しかなかったですね。シチリアは、場所的には地中海の真ん中ですので、本当に古代ローマ時代に一番豊かな地区でした。私たちは、今ファッションのことを非常にラグジュアリーと思っていますけど、昔はファッションよりも、アパレルよりも、着物よりも、やっぱり農業の商業が大事だったから、だから古代ローマ時代、シチリアは多分ローマ以外、古代ローマ帝国の中で一番大事なポイントだったけど、それから残念ですが、本当に経済のシフトがあって、だんだん南から離れていました。だから、今でもナポリはもちろんすてきな街ですけど、いろいろな発展の可能性よりもいろいろな経済の問題のほうが大事になっていますから、いつも南イタリアに行くと、特にナポリとかバーリへ行くと、何かイマージェンシーの感じがしますね。急に何かしないと問題ばかり発生しますから、あまり計画的なアプローチがされていなかったから、本当にアパレルとかほとんど企業がないですよ。ナポリのアパレルの部門は実際大きいですが、本当に偽物のアパレルです。まあ、●ですね。それは言いたくないんですが、本当にそうですよ。だから、もともと今は世界中で偽物の問題が非常に大きいですが、特に中国は中心になっていますけど、中国人の前には、多分20年、30年前ぐらいのナポリとか南イタリアのほうが世界の偽物の中心でした。だから、今そういう記録が●られたことはいいことだと思いますけど、でも、実際はまだ残っていますよ。本当にイタリアの経済のことを考えると、これがまだ一番大きい問題です。戦争が終わってから南イタリアの問題は全く解決されていないです。これからもいくらでもシチリアとか〓あれのアシ〓作っても、それが問題の解決ではないと思いますね。ちゃんと企業的な、政治的な決まりをしないと、本当に将来的に南イタリアは農業でも続けられないし、本当に難しいと思います。今の失業率は、南イタリアは非常にドラマチックですよ。40%ぐらいです。25歳までの人たちの失業率は60%以上です。みんな仕事がないから、だから普通のことじゃなくて、〓カーニング〓とか悪いこと、悪い……、まあ、いろいろ問題がありますね、本当に。そこまで言います。すみません。
【フロアA】 ありがとうございます。
【司会】 ありがとうございました。ほかに……。
【フロアB】 今日はありがとうございました。ブランドがどうやって確立されるかということを知りたいものですから、多分ご存じの方は多いんだろうと思いますけども、アルマーニの場合は何でそのブランドが確立したのか、何かブレークしたのか、それを教えてください。それともう一つ、すみません.、欲張りなんですけども、アルマーニのブランドは50歳ぐらいの後は高齢化すると、アルマーニ・ブランドからリタイアするとおっしゃいましたけども、今60歳ぐらいの人というのは非常に大きいマーケットだと思うんですね。日本だけではなく世界的に。でも、その人たちはどういうブランドを着たらいいのでしょうか。私が知らないだけなんでしょうか。それとも本当はあるんでしょうか。
【フォルミコーニ】 本当にこの質問をありがとうございました。私はいつもミラノに行くときこういう話ばかりしていますけど、たまに笑われます。質問に先に答えます。ちょうど1年半前ぐらいにミラノのバジェットの話をしに行って、それで今、実際の日本の市場の状況はこれですね。高齢化とかがありますから、皆さんはだいぶ、一番お金がある人たちは、ほかのアジアの国と違って日本では年上の人たちですよ。50代、60代の人たちが一番お金があります。若い人たちはお金がほとんどないです。中国、韓国、シンガポール、インドネシアに行ったら逆です。若い人たちがお金を持っています。年上の人たちはお金を持っていないんです。だから、日本のことを考えると、シニア用のブランド品をつくったらどうでしょうか。私はその提案をしましたけど、笑われました。本当に残念ですけど、もう本当にそんなことあり得ないとか、絶対……、特にファッションの世界は本当にグローバル的に考えている業界ですよ。デザイナーが考えているものは、イタリア人のためとか、アメリカ人のため、アジア人のため、全部同じものですよ。あまりローカライゼーションしていないですよ。私は15年間銀行に勤めていたから、多分ちょっと考え方が違います。私はグローバライゼーションのファンではなくて、ローカライゼーションのファンですよ。〓各所〓は、人は違います、文化が違いますから、この人たちのためを考えないといけないです。本当にコスト的にはもしかしたら良くないかもしれないけど、でも結果はすごく出ると思います。私が銀行のときは、北イタリアと中央イタリアと南イタリアの支店で訓練されましたけど、同じ振り込みのやり方は、北イタリアと中央イタリアと南イタリアでは全く違います。コンピューターの入力をするのは同じですけど、〓お客さんと話と〓、チェックの必要とか危なさとかが全く違いますので、同じ国ですよ。だから、どうやったら一つの服をでかいアメリカ人と小さいアジア人に合わせられるとか、私は特にファッションはローカライズで考えるほうが非常に価値があると思いますけど、残念ですが、こんな高級なブランドはその意見ではないですね。でも、その意見じゃないから、今例えばアルマーニグループの中で中国、韓国、香港だとかインドとかは非常に発展していますけど、日本は下がっています。それで良ければ何も言わないですけど、でも、後でバジェットの提案をするときはみんな文句を言いますので、本当に毎年売り上げが下がっていますから、どうしてですか、どうしてですね、私が言いたいですよ。なぜ日本人のための商品を作らないのですか。例えば眼鏡のことを考えてください。日本人の顔はヨーロッパ人と、欧米人と比べると、少しだけ広くて、鼻は低くて、だから同じ眼鏡を作ると合わないですよ。特にサングラスは日本では非常に売れていないです。文化のこともありますね。眼鏡で隠すのは良くないですけど、でも、実際はイタリア製のサングラスをフィットすると落ちます。だから売れないです。だから、ああ……。私はよく言われました。ニューヨークのタイムスクエアを昼に歩いたら、皆さんがサングラスをしています。渋谷を歩いたら、夏にみんなサングラスをしていないですけども、傘を差しています。だからローカライズしないと。でも、それもあまりいけなかった。
それで、最初の質問に戻ると、なぜ例えばアルマーニのブランドは成功できたとか、デザインがまずは大事ですね。だから、アルマーニ本人は、成功できたものはみんな知っていると思いますけど、男性用のジャケットです。「アメリカンジゴロ」という映画を見たと思いますけど、昔のジャケットは非常にストレートで、あまりフレキシブルじゃなかったけど、彼の考えたジャケットは本当にソフトで、着やすくて、体の形によく合わせたから、本当にブームだったね。今でもアルマーニが男性用のブランドと思われる理由はそれですね。だから、各デザインはやっぱり素晴らしいアイデアがあって、そのアイデアの上に自分の成功をつくりました。
あと、ファッションのものを買うと、本当に商品を買うだけではなくて、すごく感情的なものですよ。アルマーニのブティックに入る人たちは、大体ジャケットが欲しいから買いに行きますとかではなくて、何があるか見て、販売のスタッフと話して、合うかどうかがまず大事ですよ。合わなかったら買わないです。あとは見たら、これは着られるか着られないとかで、感情的には買いたいとなったら買いますけど、でも、多分そんなに物に興味は、100だったら50%ぐらい興味のことです。あとは感情的なエクスペリエンスなことですね。もしも、今日は知らなかったけど、大事なミーティングがあるからジャケットが要る、アルマーニのほうに行かないですよ。ユニクロのほうに行きます(笑)。だから、そういう一つの成功のアイデアの上に各デザイナーは自分の成功をつくります。それで、優秀なシーズンのデザインもあったし、駄目なシーズンもありましたよ。もう絶対売れないとか、今年は最低だとかよく言われましたけど、でも、自分のファンをつくれば、そのファンは一つのシーズンを好きじゃなくても、また次のシーズンはまた戻りますよ。さっき言った非常に感情的なことですから、好きだったら大体離れないですよ。本当に悪い経験をするときだけ離れますけど、それは多分成功の売り場だと思います。
【司会】 次は猪瀬イナセさん。
【フロアC】 大変興味深い話をどうもありがとうございました。アルマーニさんもそうなんですけど、先ほどのお話でも世界のファッション業界をリードしているのがイタリア、フランス、最近、スペインということで、いずれも南ヨーロッパの国々なんですね。これはどうしてなんですか。例えば北のドイツとか、北欧とか、英国とか、日本とか、アメリカとかはあまりありませんけど、どうしてイタリア、フランス、スペインと、ここに集中するのか、その辺はどうお考えかということをちょっとお聞きしたいんですけど。
【フォルミコーニ】 面白い質問ですね。(笑)ちょっと例で答えます。イタリアで非常に優秀な建築家がいますね。有名な建築家。でも、イタリアで高い建物の建設はなかなかないですよ。なぜかというと、できないのです。法律の問題ではないですよ。50階の建物を造ると、いろいろな人たちが同じ程度で働かないと、例えば右のほうが早くいって、左のほうが進まなかったらもう本当にいけないでしょう。イタリア人はそれはちょっと苦手ですよ。でも、優秀なビッラのデザインができると、2階ぐらい3階ぐらいだったら、多分間違いない、イタリア人よりも上手な人はいないかもしれない。日本人は本当にすごく上手で、世界中から、同じぐらいですけど、やっぱり文化ですよ。ラテンの人たちはルーティンで動かなくて、ファンタジーとか〓ケアティビティー〓とか、ちょっと今まで考えていないことをやりましょうとか、皆さんがそういう自由さに、その自由さの環境があるように生まれたから、だから簡単にこのアイデアが出ますけど、逆にドイツとかイギリスとかは、ルールは非常に厳しいですね。厳しいルールの中に教育されている人たちは、やっぱり違うことを考えるのもないですよ。まずは価値がない。なぜかというと、私が違う方法で同じ目的を言ったら皆さんに変に思われる。イタリア人は、違う方法で同じ目的を言ったら、ああ、いいじゃないですか、と思われる。皆さん、非常にオープンですよ。逆にオープン過ぎるかもしれないから、ちゃんとルールは守れないかもしれないけど、でも、これはよく肩慣らしみたいですが、本当に実際は文化的にはそうですよ。だからこういうラテンの国は非常に〓ケアティビティー〓とかに関することに上手ですが、例えばアルマーニはたくさんの服を作りますけど、一つの大きい企業をつくったらいいんじゃないかと思いますけど、そうじゃなくて、たくさん小さい企業を持っています。それで、私がオペレーションのほうで働くと、各企業のラベルとか、例えば服の説明とかも全部違います。何で一つの……、全部ブランドマニュアルが一つのルールを作ったらいいんじゃないですかね。作れないですよ。みんな守れないです。こういう問題がありますから、だからこういう〓ケアティビティー〓が強い部門にスペイン、ポルトガル、イタリア、フランス。フランスは、フランス人もラテンですよ。彼らはもしかして認めたくないかもしれないですけど、本当にイタリア人と近いからね。だから、こういう所では歴史的に一番発生しやすかったです。あとは器用さとかね。昔、全部企業ではなくて、みんな手で服を作っていたから、イタリア人は日本人みたいに本当に器用ですよ。本当に細かいことまでうまく仕事ができるからね。一つだけですよ。二つと同じくしたらできない。だけど、素晴らしいことに作れますからね、だから本当にこれで多分有名になったと思います。
【フロアC】 ありがとうございました。
【フロアD】 どうもありがとうございました。さっきプラートのことを随分詳しくお話しいただいたんですが、もうちょっとしつこいようですけど、非常に心配をしているので、お尋ねしたいんですけど、第1点は、なぜプラートだけにが中国人がそうたくさん増えたのか、例えば行政のほうで特別の優遇制度があるとか、あるいは企業が随分中国人に買収されているということも聞くので、まずそこから始まって労働者を連れてきているのか、どういう理由なのかということが第1点。それから第2点は、中国人が入ってくると、ラボーロネーロが随分はびこっているんじゃないかという気がするんですけど、それが悪い影響を与えていないのかという点。それから3点目は、やっぱりイタリアンブランドを支える素材を作るプラートの企業は、中国人が入ってきたことによって本当に水準が守られているのだろうかという心配があるのですが、その3点についてお伺いしたいです。
【フォルミコーニ】 ありがとうございます。最後から始まったら、本当にそのクオリティーとかレベルは非常に下がっています。下がっていますけど、一応、アパレルとしてよりも生地の生産がプラートでは多いです。プラートのウールとかはよくありますから。だから、ちょっと前はプラートで作った生地は非常にレベルが高かったから、本当にイタリアのブランドはほとんど全部皆さんそこで仕入れして、服を作っていたのですが、最近はイタリアのメーカーはもちろんまだ残っていますから、そこで一応クオリティーとしては高いですが、オファーとして、非常に今はたくさんあります。高いレベルから、中国人が作っているひどいレベルまで、そのひどいレベルは大体外国に行きます。もしかしてまた商品としてイタリアに戻るかもしれないけど。だから、プラートの生産は前と比べると今は幅広くなりました。大体皆さんはよく分かっていますよ。あそこで中国人がやっていますから、安い物が欲しかったら〓レコリ〓で別に買わなくても、いっぱい不良品を作っても売れますから大丈夫ですね。そこで買いますと。そうじゃない場合は、ちょっとほかの会社で売っていますけど。あとは、もちろんラボーロネーロという本当に許可がない仕事はたくさん増えていますから、これは一番大事な問題ですよ。本当に何人ぐらいが住んでいるとかが分からなくて、子供たちもいますし、何歳からでも働いていますし、本当に状況的にも危ないですよ。なぜかというと、悪い病気だとかが発生したら誰も分からないから、皆さん隠さないから、本当にこれは一番のプラートの国民の心配です。経済的にあまりインテグレーションしていないけど、でも、社会としてはそんなに、初めは中国人は非常にクローズだったけど、最近はだいぶオープンになっていますから、でも問題は、本当に隠れている所で何人ぐらいが中にいて、そこで仕事をして、同じ所で寝たりとか、トイレもあったりとか、全く出ないから、皆さんは大体顔が白くなったりとか、光も入れないから、本当に異常な状況になっていますから。一応警察はだんだんチェックしていますけど、何かちょっと少しプラートについては数字もありました。ちょっと待ってくださいね。例えば去年の6月まで、そこにないですけど、警察は154ケースで3,000ぐらいの中国人を見つけて、許可なしで、全くパスポートもなしで入ってくる、どういうふうに入っているのかちょっと分からないですけど、見つけました。こういう今のプラートの警察の力で、多分毎年250ケースでチェックできます。工業とかね。でも、全然出ないですよ。だから、中国人は分かって、例えば今年は警察がここに来たら、あと2~3年間は来ないから、みんなあそこでまたやりますと。本当に今警察は、地区のコントロールができないぐらいの状況ですので、そしてイタリアの刑務所もいっぱいだし、本当に刑務所と人口が全く計画されていなかったと思います。だから、今非常に問題ですよ。イタリアの刑務所の中には6人の部屋の中に20人います。本当にリミットまでですよ。こういう状況です。
最初の質問は、何だったっけ。もう一回言っていただけますか。最初に聞いた……。
【フロアD】 なぜプラートだけが……。
【フォルミコーニ】 そうですね。プラート、そうですね。一つの面白い理由があります。ご存じかどうか分からないですけど、トスカーナ州は、昔からイタリアで政治的には赤い州だった。共産党の州の政府がずっと管理していました。70年代にたくさんの中国人の人たちが中国からトスカーナに呼ばれました。見に来てください、私たちの工業を見に来たら、とても中国でも発展できるとか、ちょっと政治的な関係をつくりまして、中国人はプラートのことを非常に知っていました。それで、70年代からプラート自体もそのときのイタリアの会社は中国からの輸入が始まっていました。輸入と一緒にたまに中国人も来て、中国人もプラートに残りました。最初に芸術的とか、商売とか、数人ぐらいです。本当にさらに遅れて多分200人ぐらいとか。それで、ご存じだと思いますけど、中国人は、大体中国人がいる所は中国人が来ますね。阪神とかは安全だし、一応、彼らの組織ができますので、こういうふうに大体コミュニティーは始まります。それで、数年間で300人ぐらいから3,000人になって、それから3万人とか、簡単ですよ。本当に数年だけで。ほかの街ともっと最初から距離をつくっていました。中国とか。でも、あまり興味がなかったかもしれないです。政治的には最初に興味があったからプラートでこういうことが始まったと思います。
【司会】 ちょっと時間も押してまいりましたので。
【フォルミコーニ】 そうです。
【司会】 それでは、このあたりでフランチェスコさんの講演を終わりたいと思います。もう一度拍手をでお願いします。(拍手)
【フォルミコーニ】 ありがとうございました。