オペラの解釈と準備

第375回 イタリア研究会 2011-09-19

オペラの解釈と準備

報告者:ソプラノ歌手 ディミトラ・テオドッシュウ


【橋都】 皆さんこんばんは。イタリア研究会運営委員長の橋都と申します。今日は第375回のイタリア研究会の例会ということになります。

今日は皆さまご存じのように、素晴らしいスピーカーをお迎えしております。ボローニャ歌劇場の世界的に有名なソプラノ歌手のディミトラ・テオドッシュウさんです。よろしくお願いします。(拍手)

それでは簡単にテオドッシュウさんのご紹介を申し上げたいと思います。今日の講演の題名は「オペラの解釈と準備」ということですが実際の講演それから質問につきましては、通訳をしてくださる静岡文化芸術大学の高田和文先生に後で簡単に説明をしていただきたいと思います。高田和文先生です。(拍手)

テオドッシュウさんはギリシャのお生まれです。1996年にアテネで『ラ・トラヴィアータ』のヴィオレッタでデビューされました。その後イタリアでボローニャ、パルマの歌劇場における『アッティラ』のオダベッラ役で大変注目を集めました。今回は10回目の来日ということになります。イタリアではボローニャ、トリノ、トリエステ、パレルモ、ローマ、フィレンツェ、ナポリ、ピアツェンツァ、ブレシア、ジェノヴァと本当に一流の歌劇場で主役を歌っておられます。

テオドッシュウさんの特徴はソプラノドラマティコということで非常に高く、しかも強い声が出せるというわけです。ですからお得意な役も、例えば『ナブッコ』のアビガイッレ、これは大変な難役として知られていますけどこうしたものとか、『第1回十字軍のロンバルディア人』のジゼルダ、こういった他の人がなかなか歌えないような役を歌って評判になっている方でございます。

今日は「オペラの解釈と準備」ということで、その第一線で歌っておられるテオドッシュウさんのお話をお伺いできることを大変楽しみにしております。なお講演中に録画、録音はご自由だということです。またパーティーで一緒に写真を撮るというのは結構ですけれども、食事中の写真とかそういうものはご遠慮いただきたいということでございます。

それでは最初に、高田先生から簡単に今日の会の進め方を説明していただいた後にテオドッシュウさんにお話を始めていただきたいと思います。それでは高田先生、よろしくお願いいたします。


【高田】 先ほど打ち合わせをしまして、テオドッシュウさんの方から、テーマはもちろん「オペラの解釈と準備」ということですが、できるだけ皆さま方から質問をいただいて、それに答えるような形で進めていきたいということです。最初に簡単にテオドッシュウさんにお話をしていただきますけれども、それは短めに切り上げて、是非いろいろとご質問をしていただいて、それに答える形で進めていきたいということです。


【橋都】 ちょっと一言忘れていました。今回の講演では、イタリア研究会の牧野さんに大変お世話になりましたので、ちょっと牧野さん、立ち上がって。(拍手)

それからいつものことですけど、三笠会館さんにはイタリア研究会は大変お世話になっております。今回も谷社長、宮本さんにも大変お世話になったことを一言付け加えておきたいと思います。それでは「Could you start?」。

【テオドッシュウ】 まず、この会にお招きいただいたことに御礼を申し上げます。日本は言ってみれば、私にとっては第三の母国と言えるぐらいに大変近しい国になっています。12年ほど前から毎年日本に来ていて大変よい経験をしております。日本のお客さんはとても温かく、しかも熱がこもっていて、そして公演に対して非常に満足してくれます。私のキャリアの中でも日本での公演はそういう意味では大事なものでした。

今日のお話のタイトルは「オペラの解釈と準備」ですが、私自身は声楽の教師とか一般的な意味での先生というわけではないので、進め方としてはむしろ皆さん方との会話というか対話を通じていろいろな質問に答える形でこの会を進めていきたいと考えています。恐らく皆さんは歌手の実際の生活も含めていろいろとご質問、あるいは単純な興味がおありになると思います。何でも結構ですので質問をしていただきたいと思います。

それからオペラの準備というのは大変難しいといえば難しいし、あるいは場合によっては大変簡単なこともあります。ただオペラの仕事は非常に多くの部門の作業が関わっており、大変複雑であるということは確かです。歌手にもさまざまなレベルがあるので、それによってオペラに向けての作業が難しいこともあれば、比較的簡単なこともあります。ともかくさまざまな分野、領域が関わっているのでご質問も恐らく多岐にわたると思いますが、そういう意味ではなかなか難しい仕事だということは言えると思います。

マイクを通した方がいいと思いますので回しますので、何でも結構ですのでご質問のある方からお願いできればと思います。どんな質問でも結構です。簡単な答えやすい質問、あるいは答えにくい質問どちらでも結構です。難しい質問でも易しい質問でも結構ですのでお願いいたします。

 

【橋都】 一番答えやすい質問で、テオドッシュウさんはどうしてソプラノ歌手になろうと思われたんですか。

 

【テオドッシュウ】 オペラ歌手になるというのは私が6歳の頃からの夢でした。父親が大変なオペラの愛好者で、しかも父親はオーケストラの指揮者になりたかったわけです。ただし当時のいろいろな事情があって、残念ながら父親自身は音楽の道に進むことができませんでした。そこで恐らくその夢を私に託すような形で伝えたのではないかと思います。

父はとても厳しい人でした。オペラに初めて見に父親に連れて行かれたときも、ある日の午後突然、まだ私は6歳だったのですが、「さあ、今日はオペラに行くぞ。」と言ったのです。私自身はオペラのことは何も知らなかったので、初めてそういうところに行くのに、よく分からなかったので気が重いところがありました。ただ、父親は有無を言わせず私を連れて行ったわけです。

ところが劇場に一歩入ったときに、そのとき上演されていたのは『トロヴァトーレ』というオペラですが、私はまるで魔法の世界に引き込まれるかのようにその舞台に魅了されてしまいました。そしてオペラ劇場を出て私は父に、私は将来その『トロヴァトーレ』に出ているヒロインのレオノーラになる、つまりオペラ歌手になるということをはっきりと言いました。

それからまだ父親とのエピソードが続くのですが、連れて行かれた2つ目のオペラが『トラヴィアータ』、『椿姫』だったわけです。そして同じような劇場を出たときに、私は父親に今度はもう一つ私は自分のやりたい仕事を見つけた、それはつまり『トラヴィアータ』のヒロインのヴィオレッタをやることであると。

そこで父親は、確かにレオノーラとヴィオレッタは2人いるけれども、それは仕事としては同じことで別のことではなく、ソプラノ歌手という仕事なのだと説明をしてくれました。そしてオペラとはこんなものだということを父親が説明をしてくれました。

それから父親の友人に劇場の案内係の人がいて、天井桟敷の上の方の席ですけれども融通してくれて、いつでもオペラを見ることができたわけです。12歳の頃には週3回のペースでオペラを見に行っていました。オペラを見に行くという点では、子供として大変いい子であったと思っております。

ところが残念なことに、実際にオペラ歌手になるために勉強をすると様々な困難があり、なかなかそれがうまくできなかったわけです。そこで別のもっと着実な仕事を見つける必要性に迫られたわけです。

そしてもっと現実的な仕事に就こうということで、私は大学で経済学を勉強しました。しかし歌手になるのは自分の天職であるとずっと考えていたわけです。大学を卒業して、その卒業祝いにチューリヒに旅行をして、そこで私の最初の歌の先生に出会ったわけです。その先生はミュンヘンで私のうちの近所に住んでいて、そこで歌の手ほどきを受けることになったわけです。

私は電車の中でウォークマンでオペラを聴いていたのですが、その先生は若い子がクラシック音楽、それもオペラを聴いているということでとても不思議に思って、どうして?と質問したわけです。私はそのときに、実はこうこうこうで本当はオペラ歌手になりたかったけれども、家の事情で父親が歌手ではない別な仕事をということで、残念ながら夢を諦めたと話したところ、その先生は声楽の先生なので、よければ私のところに来てともかく声を聞いてみようということになったわけです。そのとき以来、声楽の教育を受けるようになったのですが、それは私が25歳のときでした。アテネで『トラヴィアータ』でデビューしましたが、それは29歳のときでした。こんな経過をたどって子供の頃の夢がようやく実現したということです。

ご質問をしていただいてありがとうございます。それほど簡単にすぐに答えられるような内容でもないのですが、私のキャリアにとっては大変重要なことなので嬉しく思います。

 

【高田】その他何かありますでしょうか。

 

【橋都】 ではそれと関連した質問ですが、世界中にオペラ歌手になりたい女の子は100万人いると思うのですが、いつ自分に歌手の才能があるということを自覚されたのでしょうか。

 

【テオドッシュウ】 2番目の質問も大変単純なのですが、しかし大変深い意味を持つ質問だと思います。確かに夢を持つということと、それを実現するというのは別なことです。オペラは私に子供の頃、全く現実の生活とは違う別の世界を見せてくれたわけです。現実には私の家は大変貧しい家庭で、しかも父親が病気を抱えていて、経済的にも非常に苦しい生活をしていました。そこでオペラは私にとって一つの逃避といいますか、現実から逃れる世界でもあったわけです。きょうだいは4人いたのですが、暮らしていた部屋の中に舞台のようなものを設定して、そして歌劇場で見たオペラの背景を想像しながら歌を歌って、オペラの劇場で聴いた歌を歌うことをよくしていました。

ただし12歳、13歳の頃ですから、そのときに本当に自分に歌の才能があるかどうかは全く分からなかったわけです。ただしそれは前にも申し上げたように、私にとっては魔法の中の世界のようなもので、憧れの世界だったわけです。

そしてだんだん成長して、学校でいろいろな行事があって、歌を歌ったり音楽を演奏することを始めました。学校のコーラス部で一緒に歌を歌ったということもありますし、芝居を演じることもありました。こういう形で少しずつ歌というものに対して、自分自身が自覚していったのだと思います。

母の方はオペラのレコードを3枚持っていました。シュヴァルツコップ、テバルディ、ロバータ・ピータースです。そして私はそれをしょっちゅう聴いて、自分でも真似て歌っていました。これも私と歌の関係では大事なことだったかもしれません。

それから13歳のときに学校で新聞を見ていたときに、女性の写真が大きく載っている記事がありました。実際にはそのときに亡くなったマリア・カラスの記事だったのですが、それはとても大きな写真だったのでとても印象的でした。うちに帰っていろいろと大人の人に聞いたところ、これこれこういう人で素晴らしいソプラノ歌手であるということを知ったわけです。そして母の友達にイタリア人の人がいて近所に住んでいたわけですが、その話を聞いてカラスのレコードを貸してくれたのです。それは『ランメルモールのルチア』のレコードで、しかも相手役はステファノ、それから指揮がカラヤンという。それからもちろんルチアはマリア・カラスという歴史に残る大変な舞台のレコードだったわけです。

そんなようないろいろな事柄があって、また私の前にもう一つ新しい世界が少しずつ開けていって、そしてそれがその後の声楽教師との出会いにつながっていったのではないかと思います。

ここまででもかなりいろいろなエピソードがあって長い話なのですが、それでも本当に歌手になれるのかどうかは分からなかったわけです。ただしオペラへの強い情熱、愛情をずっと持ち続けていたことは確かです。

それから実際に初めての声楽の先生に出会って、レッスンを始めてから6カ月から7カ月ぐらいの間はようやく声が少しずつ出るようになったという状況で、本当に歌手になれるのかどうかはまだ全く分からなかったわけです。

1年ぐらい経ってようやくオペラ歌手に向いた声が出るようになってきたわけですけれども、それでも私としては単にオペラ歌手になるというだけではなく、ベルカント唱法の典型的な声であるリリコな声といいますか、例えばベッリーニとかドニゼッティが歌えるような歌手になりたかったわけですけれども、それについて自分なりに自信を持つことができたのは1年以上経ってその後のことです。そういう経緯があって、ようやく今のソプラノ歌手という仕事をしているわけです。

これは本当に神様に感謝したいと思うのですけれども、天からこういう声を与えられたということ、それからオペラの中でも私が今歌っているようなレパートリーに向いた声にしてくれたということで、私は本当に二度神様に感謝したい気持ちでいます。

 

【高田】 よろしいでしょうか。また別な質問があれば。

 

【Q】 (イタリア語で会話)

 

【テオドッシュウ】 イタリア語で直接質問をされるということですけれども、その方が怖い質問が来るかもしれないです。

 

【Q】 (イタリア語で質問)

 

【高田】 今の質問を簡単に言いますと、歌手というのはオペラの登場人物に命を与えそれをいきいきとさせるということだけれども、それと歌そのものの美しさがどのように関わっているかということです。

 

【テオドッシュウ】 人物を表現する上で技術的な問題、例えば音楽であるとか歌、それを別にしてその人物の性格をどう観客に伝えるか、この辺は大変大事なことだと私は考えています。そしてそれについて自分の個人的な体験が非常に大事だと考えています。これはテクニカルな問題とは別な問題です。

例えば私自身が病気で入院していたとき、盲腸炎をこじらせてしまって大変な痛みが襲ってきました。ドイツで入院していたのでお医者さんもかなり厳しい対応をしたわけです。その痛みに耐えつつベッドから起き上がるという動作を日常でしていたときに考えたのは、こういう体験はオペラにどう生かせるのだろうかということです。そこで私がレパートリーの一つにしている、『椿姫』の中に同じようなシーンがあります。ですからその病院での体験の後は、実体験を基にして実際に舞台の上でそういうような動作をするということをしています。ですから個人的な体験は大変重要だと考えているわけです。

今のことは、個人的な体験を舞台での演技に生かすかということです。もう一つは、例えばこの『トラヴィアータ』の場合ですけれども、私は演技を学ぶために結核患者のいる病院を訪ねていって、患者さんたちを観察したわけです。そうすると色んな器具を付けて苦しんでいる姿を見ると、単純にヒロインのヴィオレッタがアリアを歌って、そしてまたどこかの椅子に腰掛けるというような軽い演技はできなくなるわけです。観察することによってヴィオレッタの心理状態が実際に大変良く分かるわけです。オペラでもそうしたものを踏まえて演技をする必要があると考えています。

それからもう一つの例は『オテロ』です。私が演じているソプラノのデズデーモナは、お祈りをしてそしてその後で殺されてしまうわけです。そのときに演出家の人は大変窮屈なカツラを付けさせたのです。頭にぴったりと張り付いたようなカツラを付けさせました。そして私が走って行って相手役のオテロの髪の毛を掴んで床に引きずり倒すというような演出をつけたわけです。そして倒した私を今度はベッドに連れて行ってそこで殺すという非常にリアルな演出にしたわけです。それを見た観客はその迫力にびっくりしたわけです。ですから単純にその人物の動きを表現するというのではなくて、演出家とか相手役それぞれが協力しながらその人物の表現をしていくことが大変大事だと思います。

もちろん私は歌手ですけれども、同時に演技者といいますか、俳優としても十分そういうことを心掛けております。まず技術的な問題、つまり声とか歌唱の技術はあるわけですけれども、しかしそれだけではオペラの歌手としては十分ではなく、やはりその演技が大変大事だと思っています。

ですからどんな人物を演じるときにも自分の経験というのが大変大事だと思います。これから歌手を目指す若い人たちに対して是非ともそういうアドバイスをしたいと思います。マスタークラスでレッスンを受ける若い歌手たちはほとんどがそこでただ歌うことだけを学ぼうとして、人物が感じていることをとらえようとしない傾向があります。もしかするとその人物の感情というものを自分で感じているのかもしれないけれども、今度はそれを十分表現することができないという人も多いです。もちろん私たちは1人でそのオペラに登場する人物のあらゆる感情を体験することは不可能ですから、自分の生活の中で自分が感じることをどのようにその人物に生かしていくかということを考えなければいけないと思います。つまりオペラの人物と同じような体験はできないけれども、生活の中での自分の体験をどの役にどう生かすかということを考えなければいけません。

 

【Q】 (イタリア語で質問)

 

【テオドッシュウ】 個人の体験とオペラでの表現という問題ですけれども、例えば、病院で見たことであるとか自分が体験したことはネガティブな体験です。しかしそういうネガティブな苦しい体験も全てオペラの表現に生かしていくことが大事だし、そういうことを心掛けて演じています。

だから私にとっては言ってみれば、オペラというのはサイコセラピーというか、心理学療法のようなものと言っていいのではないかと思います。とてもいい質問をありがとうございました。

 

【高田】 その他、まだありますでしょうか。

 

【Q】 私自身も音楽の勉強というか歌を歌っているのですが、デビューをしても完全に軌道に乗るのはとても難しいと思うのですが、ご自身で軌道に乗ったなと思うまでどのぐらいの時間がかかりましたかというのが一つ目の質問です。

あと、女性の人口に対してオペラは男性社会かなと思うのですが、全部のオペラの中で女性の役が二役ぐらいしかなくて、その中の一役がソプラノの役なのですが、その中のヒロイン、プリマをやり続けるモチベーションをちょっと伺いたいなと思います。やっぱり調子の悪いときもあると思うのですが、その調子の悪いときから元の調子に戻していくような秘訣もあったら自分のために伺いたいなと思います。

 

【高田】 まだちょっと答えは続くのですが、このあたりで区切って言います。

 

【テオドッシュウ】 まずはデビューするまでが大変難しいと思います。そこに至るまでに大事なことは、正しい教師、あるいは自分に適した教師を見つけることです。そしてその教師が課す厳しい訓練を続けることです。技術的な問題というのは歌唱ですが、こういった問題をまず解決しなければなりません。そしてそれが解決された後、次に音楽的な側面です。音楽的な解釈は大変奥が深いですが、これを学ばなければいけません。

歌手は自分の家でといいますか、1人でたっぷり練習をするわけですが、目標としてはそこで150%の力を発揮できるようにしなければなりません。舞台の上では、例えば緊張したり不安だったり、周りには他の歌手もいるし指揮者もいるわけです。色んな他の要因があるので、自分が1人家で歌ったときには150%発揮された力が、実際の舞台では恐らく80%ぐらいになってしまいます。だから目標を高く設定して練習をする必要があります。

デビューに至るまでも大変ですが、その後もやはり大変厳しいものがあります。デビューしたからといってそれで全てがうまくいくわけではありません。むしろデビューの後で本当のマラソンレースといいますか、長い競争が始まると言えます。まずデビューで成功することは不可欠です。デビューの後も厳しい訓練、練習を続けていくことは当然必要です。どうしてもデビュー以後、好評に終わることもあれば不評に終わることもあります。これは自然なことで、そういうことを繰り返しながらだんだんと歌手の名前が一般に定着するといいますか、歌手として一人前というふうに認められていくわけです。

いいときもあれば悪いときもあるということの意味ですが、今日はうまくいかなかったけれども明日はうまく歌えるということではなくて、歌唱のレベルは常に高く保っておくことが大事です。ただし人間ですから精神的に色んなことがあります。例えば自分の息子が病気になったとか、夫と喧嘩をしてしまったとか、あるいは何か悪い知らせを聞いたとかいろいろなことがあるわけですから、そうしたことが精神的に歌手の心理に影響を与えて好不調が出てくるのであって、歌のレベルというのは常に高く保つようにしておかなければいけません。

それから男性の役、女性の役について、オペラの登場人物の中では男性の方が多いのではないか、女性の役はそれほどないというようなお話があったのですが、これについては色んな役を演じるからいい歌手になるというわけではないのです。例えば、ほんの五つぐらいの役を演じながら大変優れた歌手になった例があります。名前を挙げれば、アルフレード・クラウスであるとかミレッラ・フレーニといった歌手たちがそうです。

大事なのは自分にぴったりした役を見つけて、一番自分の力を発揮できる役を見つけることです。台詞の劇の俳優はかなり自由に表現をすることができますけれども、オペラの人物の場合は音楽ですでに決まった表現がなされるわけです。例えば、作曲家はこの場所でこの人は泣かなければいけないということをもうすでに決めているわけです。

先ほど個人の体験を役の表現に生かすというお話をしましたけれども、あくまでもそれはそうした制限の中で行うことです。ですから、自分に合った役を見つけることが大変大事だと思います。

それから大事な役をもらったときに、まず好きだというふうに思うことが大変大事だと思います。クレオパトラという役を私が最初にいただいたときには、この役に魅了されたわけです。そしてこの人物についていろいろと歴史的な、人生であるとかその背景を調べて、そして自分がこの役を演じるためにどういうことができるのか、自分の中にこのクレオパトラに通じるどんな要素があるのかというのを探ったわけです。楽譜を見るのはその後です。その後で楽譜を見ながら、音楽としてどんなふうに書かれているのか、表現されているのかというのを学ぶわけです。こういったプロセスで私は役というものをとらえています。

クレオパトラは女王です。皇帝ではないですけれどもローマの最高位にあるシーザーと対峙して戦うという設定なわけです。そこで〓トゥレーマ・オ・ローマ〓というアリアを歌うわけですけれども、ここで単純にこの歌を歌うだけでは表現ができません。クレオパトラが持っている大変大きな権力、そういうものを意識しているということをこのアリアで表さなければいけないわけです。つまりこの歌はシーザーに対して、お前はローマに帰れというような大変強い意志を示しているわけで、それを表さなければいけないわけです。

 

【Q】 調子が悪いときは?

 

【Q】 調子が悪いときはちょっと私の●なかったのですが、常に高いレベルという当たり前のことなのですが、その中でもやはり伸び悩みをする時期があると思います。そういうときは戻っていくまでにどのように●勉強●。

 

【高田】 好不調ということは、もうちょっと長いスパンでということですか。

 

【Q】 必ず必死に取り組んでいるときとか歌っていくときに、必ずぶつかる壁のときがあるのですが、そういう壁のときにどういう方法●。

 

【テオドッシュウ】 まずそれを乗り越えるのはともかく勉強をすることです。私は今でも舞台が終わるたびに先生のところに行って診断をするようにしています。というのは、舞台で歌うことには肉体的な状態であるとか精神状態が大変大きく作用するわけです。そして歌手というのは自分がうまくいったときのやり方でやろうとするのですが、なかなかそれを客観的に常に同じに保つことは難しいわけです。だから必ずデビューをして歌い続けている間に、公演が終わるごとにそういう診断を一つ一つして、勉強をしてコントロールしていくことが大事です。

先ほどの話はちょうど車の車検と同じようなもので、やっぱり定期的に何キロ走ったらそこで点検をするということが歌手にとっても必要であるということです。大抵の人が学校を終えてしまうとそこで学ぶことはもう学んだということで勉強をやめてしまう人が多いです。歌手の仕事は決してそうではなくていろいろな要因があります。精神的な要因もあれば肉体的な要因、年齢という要因も当然関係していきます。ですから車検と同じように定期的にチェックしていくことが大事です。

 

【高田】 それでは別の質問に移ってよろしいでしょうか。時間がもう来ておりますので、これで最後ということにさせていただきます。その他はまた懇親会の席でお尋ねいただければと思います。

 

【Q】 これまで色んな国のオペラ歌手の方と共演されたり、色んな劇場で歌われたと思うのですが、ギリシャ、イタリアからスタートされたテオドッシュウからご覧になったドイツ、あるいはフランスなどのオペラ歌手についてのご印象、あるいはオペラそのものについてのご印象とその共通点的なもの、あるいは文化、宗教的な背景から来る違い的なもの、その辺のところをちょっとお話しいただければと思います。

 

【テオドッシュウ】 まず最初に、私は母親がドイツ人ですので、ギリシャ人ですけれども同時にドイツ人でもあります。ドイツではほんの初期の短い間、オペラ歌手として仕事をしました。ただしドイツ流の演出とか美術があまり自分としては好きではなかったので、イタリアに移って仕事をすることになりました。おっしゃった通り私の歌手としての経歴の大半はイタリアで作られたものです。しかしその間も外国の色んな場所で仕事をしていますから、外国での仕事の経験は一応あります。

オペラの世界では、確かにドイツとイタリアではそれなりに分けられています。ドイツで仕事をする人はあまりイタリアでは仕事はしません。イタリアで仕事をする人は逆にドイツではあまり仕事をしないというやや分かれたような状況があります。他にも例えば、アメリカのメトロポリタンで仕事をする人もやはりそれなりにそこで主に仕事をするというように、ビジネスという理由もあるのでしょうけれども、分かれた状態でそれぞれ仕事をしているという状況があることは確かです。

ただフランスについては仕事の経験はないので、文化的に実際にどう違うかということについてはあまり私の方からこうだと申し上げられるようなことはありません。

 

【橋都】 ディミトラ・テオドッシュウさん、どうもありがとうございました。個人的な体験からオペラの解釈、どのように役作りをするかということも含めまして、大変面白いお話をしていただきました。それでは皆さん、もう一度拍手をお願いしたいと思います。(拍手)

それではこの後この部屋でパーティーを行いますので、準備ができるまでちょっと外でお待ちいただくか、あるいは1階にラ・ヴィオラという立ち飲みのバールがありますので、そちらで時間をお過ごしいただいても結構かと思います。