イタリア学習社会の歴史像

第378回 イタリア研究会 2011-12-21

イタリア学習社会の歴史像

報告者:法政大教授・東京大学名誉教授 佐藤 一子


・日時:12月21日(水)19:00-21:00

・場所:東京文化会館

・演者:佐藤 一子 法政大教授・東京大学名誉教授 専門 社会教育学・生涯学習論

(略歴)

東京大学教育学部教育行政学科卒業、東京大学大学院教育学研究科教育行政学コース(社会教育専修)修士課程・博士課程修了

1976年より埼玉大学教育学部、講師・助教授・教授、1993年より2007年まで東京大学教育学部・大学院教育学研究科教授、2007年4月より現職

(主要著書)

『イタリア文化運動通信』(合同出版1984年)

『文化協同の時代』(青木書店1989年)

『生涯学習と社会参加』(東京大学出版会1998年)

『NPOの教育力』(編著、東京大学出版会2004年) 

『現代社会教育学―生涯学習社会への道程』(東洋館出版社2006年)

『イタリア学習社会の歴史像―社会連帯にねざす生涯学習の協働』(東京大学出版会2010年)    

・演題:イタリア学習社会の歴史像



【橋都】 皆さん、こんばんは。イタリア研究会運営委員長の橋都です。今日は年末でお忙しいところ、また、お寒いところ、イタリア研究会の第378回の例会にようこそおいでくださいました。今日は、法政大学キャリアデザイン学部教授・東大名誉教授の佐藤一子先生にご講演をしていただきます。演題名が「イタリア学習社会の歴史像:アソチアツィオニズモを基盤とする学習文化活動の展開」ということでお話しいただきます。こういうテーマは恐らくイタリア研究会378回の中でも初めてのテーマではないかと思いますけれども、非常に重要なテーマではないかと思います。

 それでは、佐藤先生のご略歴をご紹介したいと思います。佐藤先生は、東大の教育学部教育行政学科のご卒業で、大学院で教育学研究科の教育行政コースで修士・博士課程を修了されて、その後、埼玉大学の教育学部の教授、東大教育学部の教授を経て、2007年から現在の法政大学の教授をされております。ご専門が今日のテーマの社会教育学、生涯学習論というところがご専門で、昨年、『イタリア学習社会の歴史像―社会連帯に根差す生涯学習の協働』という、大変大部な著書を発行されまして、私もこの本物をはまだ読んでいませんが、この本の紹介を読んで非常に面白そうだということで、佐藤先生に今日ご講演をお願いした次第です。

 イタリア独特のこうした学習社会というのが形成されているわけですが、それがどういうところから来て現在どういう状況にあるかあるかということをお話しいただけると思っております。それでは、佐藤先生、よろしくお願いします。(拍手)



【佐藤】 皆さん、こんばんは、初めまして。このような大きな会議室であるならパワーポイントを用意してくればよかったと思いました。細かいレジュメで申し訳ありません。ちょうど本を出した後、いろいろな書評をいただいておりまして、その書評がきっかけでお招きいただけるような研究会がこのところいくつか続いておりました。


イタリア成人教育研究にとりくんだきっかけ

私のイタリア研究はもう35年近くになるのですが、このイタリア研究会という存在を存じませんでした。しかも学会とかご専門の方々の集まりではなくて、本当にイタリアが好きで興味があってお集まりになっている研究会だと聞いてとても驚いていますが、まさに皆さま方のこの三百数十回の歩みは生涯学習そのものだとびっくりしているところです。

私は今ご紹介いただきましたように、子どもの教育ではなくて大人の学びをテーマとした研究領域を専門にしています。大人の学びですから、例えば経営学部に人材養成という分野がありますが、そういう職業に関する職業訓練や経営教育というものももちろん大人の学びに入るのですが、それだけではなくて、コミュニティの中でのさまざまな自主的な学習活動、文化レクレーション活動、創造的な文化的表現活動、そういうものが一般に社会教育・生涯学習と呼ばれているものとして、日本でもかなり幅広く活発に大人の方がさまざまな学びの機会を持っておられると思います。それだけではなくて、それがある種のビジネスになって語学教育やいろいろな資格を取るための教育など、お金を出して身に付けるような学習機会というのも実は学校を終えた後にいろいろ幅広くあるわけです。それから、職場の中で行われている研修や、あるいはその職場組織が何か体質の改善を迫られるときに、新たな異業種の人たちと交流するという、そういう異業種を通じて学び合うということも成人教育の範囲に入っているわけです。

そういうことで、私の専門とする領域は専門というにはあまりにも幅が広くて、自分でも日本の社会教育、生涯学習のこともいろいろやっているのですが、大変重要であるけれどもどう迫っていいか分からないような研究分野であり、自分自身、常に初心者のような気持ちでおります。

イタリアにおける大人の学び、イタリアの成人の教育を研究対象にすることになったのは、大学院を終終わってオーバードクターで少しうろうろしている時期でした。その当時、イタリアの教育を研究対象にするという人はほとんどいませんでした。それで、イタリアを教育学として研究すると決めてから間もなく、学術振興会の留学の試験を受けたのですが、「今まで美術とか建築とか歴史とかという人たちばかり送っていたから、あなたみたいに変わった分野を研究する人を今度は是非送りたい」という特別枠のような感じで、イタリアの教育研究ということで派遣されることになりました。そのときは33歳ぐらいでしょうか、学振の試験にパスして、イタリアに留学したのが35歳でした。

その頃から、イタリアのほとんど誰もやっていない教育という分野について、しかも先ほど言ったように、成人教育が極めて広範な領域であって、自分自身がイタリアに飛び込んで一体どういうことをやればいいのかという本当に間口の広いところで悪戦苦闘しながら、ようやく集大成として去年の暮れに『イタリア学習社会の歴史像』という本をまとめることができました。本当に一生がかかってしまったという思いがあります。


ご存じの方もおられると思うのですが、成人教育に比較研究という領域があるのですが、イギリスとアメリカの比較研究が中心です。イギリスとアメリカは成人教育の母国と呼ばれております。学校教育以上に成人教育が活発な国でその研究、あるいは英語の文献は読まれることが多く、社会教育学が日本でも戦後早くから取り組まれたその当初から「英米モデル」ということが言われてきました。その英米モデルは何から始まっているかというと2つの源流があります。1つは大学のユニバーシティ・エクステンション。今、日本でいう大学開放講座のような、大学が社会に門戸を開いて、自分たちの持っている知的な資源を市民に対してさまざまなかたちで開放して社会貢献を行っていくという、これがイギリスとアメリカの成人教育モデルの重要な源流になっています。

もう1つ、特にイギリスモデルとして知られているのが労働者教育です。それはマルクス・エンゲルスが描いたような近代産業社会の成立の中で、膨大に輩出された学歴をまったく持たない労働者階級、本当に貧困で不衛生な生活と長時間労働に従事している人々が労働者としての人権を要求し、学びということを最初に始めたことが実は義務制学校が設立されるよりも前に「教育は慈恵ではなく権利である」というイギリスの労働運動の主張が世界を動かしていったということです。それによって、20年ぐらいしてからだんだん義務教育制度が作られるようになったので、その義務教育制度で子どもが学ぶ前にロバート・オウエンなどの労働者教育運動もあるわけですが、成人がみずから学習をするというアダルト・スクールといわれるものが労働組合の運動や社会的なボランティアをベースに広がっていった歴史的過程があります。それがもう1つの成人教育の源流を形作っていきました。

日本と英米を比較するときによくいわれることは、その2つとも日本では極めて弱いということです。その2つとも大正期に少し花開くのですが、明治維新、『坂の上の雲』の時代ですが、ほとんど成人教育には目が向けられないままに、先に国家が義務教育制度ということでかなり高い教育水準で学校を整備していきます。それから、労働組合による教育活動については、大正期に少し発展する中で大阪労働学校などの労働者教育の場が創られていきました。それが協同組合運動などにもつながっていきまして、社会福祉やセッツルメントというものを生んでいきます。このような運動は日本でもイギリスタイプの潮流の影響を受けていたのですが、いずれも早い時期に治安維持法でつぶされていきます。

日本の場合は、国家からの開明的な教育政策と、それから、軍国化による自由や表現を奪っていくファシズム体制の下で、戦前の日本にイギリスモデルもアメリカモデルも十分に根付かないまま、戦後教育改革のもとで社会教育が位置づけられます。しかし、農村的な社会教育の伝統があり、戦後も成人教育というのは実は教育学の中でなかなか大きな領域を占めることなく1970年代頃から生涯学習の時代になって広がってきたという経緯があります。社会教育という分野を知らない人たちも何となく生涯学習という名前には親しんでいる時代になってきているわけです。そのような戦前戦後の歴史、そして英米との比較、ヨーロッパ成人教育の先進的な流れというものを学んでいきながら、英米以外の外国はどうなっているのかということを素朴な関心として持ったということがイタリア研究にとりくむ背景にあります。

先ほど言いましたイギリスの労働者教育運動、それから労働組合やセツルメントという流れについて、ちょうど大学紛争のときでしたが、私たちの大学院のゼミで労働者教育研究をテーマにしており、私自身もあちこちの労働組合に行って教宣部の門をたたきまして、労働者を教育する活動を労働組合からヒアリングをするようなことを、東大の社会教育のゼミナールでとりくんでいました。そこで、英米以外の国々でこういう活動をしているところがあるのではないかということを、指導教員の宮原誠一という方と話しているときに示唆されました。宮原先生が「フランスとかイタリアのことはほとんど知られてないから、語学は大変ですが、しっかりイタリア語を勉強してやってみなさい」ということで励まされました。それで、イタリア語がこんなに難しい語学であることをあまり考えないままに、イタリアに飛び込んでしまったということがそもそものきっかけです。

結果的には、英米モデルとはまったく違うイタリアの学習社会の発展構造をこの目で見聞することになり、それから、歴史的な研究の面白さにだんだんのめり込んでいき、35年があっという間に過ぎてしまいました。



『イタリア文化運動通信』の刊行

前置きが長くなりましたが、レジメの「はじめに」というところで、全体を捉えていく上でのきっかけや視点のようなことが書いてあります。イタリアに留学して帰ってきてすぐですが、『イタリア文化運動通信』という本を1984年に刊行しました。これはすべてがヒアリング調査によってイタリアの生の姿を伝えているという本です。当時としては随分反響がありまして、これがきっかけでいろいろな日本の文化団体や労働団体、特に協同組合の関係の方々と、イタリアということを媒介項しながら対話するような研究会に数多く参加することになりました。

今言いましたように、私は労働者教育ということを切り口としてイタリアに行ったのですが、行ってみると、労働者の教育も大変活発にとりくまれていたのですが、それ以上に面白かったのが、つまりこれは日本の社会教育という概念・捉え方を自分なりに覆すことになってしまったのですが、文化運動という領域がイタリアの場合は非常に広がりをもっているということを印象づけられました。

その文化運動、主として市民のスポーツや芸術文化活動を中心にした、あとでご紹介するARCI(アルチ)、イタリア文化レクレーション協会という、現在でも100万人を超える組織でサークル運動をやっている全国協議会と出会いました。その中には今、日本で紹介されているスローフードのとりくみもあります。アルチ・ゴーラという、食育というよりは食を楽しむ団体ですが、その団体の活動として北部から始まったのがスローフード運動です。郷土色の良さや、食材にこだわる、ゆったりとした時間を食事でみんなが楽しむというライフスタイルが、イタリアでは文化運動のジャンルから発信されているわけです。

芸術文化や地域文化運動自体が、1980年代当時の日本では、ほとんど社会教育としては取り組まれておらず、地域文化という言葉自体もまだ日本では熟していない時代でした。そのときにイタリアの文化運動の長い歴史、歴史が長いだけではなくて、市民や労働者の主体的な運動を通じて、サークルの自由や表現の自由などの問題が提起されていました。例えばARCIの中にゲイという組織があります。アルチ・ゲイという、ホモセクシュアルな運動ですが、そういうものも人間の生き方の自由ということで、このARCIの中に組織されていました。

労働者教育というのは、労働運動が社会を動かしていくキーパーソンとして、担い手としての労働組合が大きな役割を果たす活動であり、そのことに興味を持って私はイタリアに行ったのですが、行った結果、職場の組織だけではなくて本当に一人一人の表現活動やライフスタイルや地域の文化やスポーツを楽しむとか、ありとあらゆることが主体的なサークル活動、表現活動として追求されているという社会の実態に触れて衝撃を受けました。

日本の社会教育がどこまでそうした自主的な文化活動を本当に後押しできるような支援の政策を作っているのだろうかと考えさせられました。さかのぼっていけば、やはりレジスタンスの問題、戦後イタリア憲法制定の問題、そして、あとでお話しするような60年代・70年代の低学歴の労働者たちの学びの要求などの歴史的な蓄積があります。その文化運動を支えている歴史的な要因・主体的な要因というものがあまりにも大きいので、帰国後、とりあえずルポルタージュのような形で『イタリア文化運動通信』を書きました。

これはもう本当に一個一個、団体の1つ1つ丁寧に追っていかなくてはいけないなという気持ちで、むしろ留学したことがきっかけになって、ようやくイタリアの普通の市民たちの学びの実態、文化創造の実態に自分が生涯かかわっていくことになるのではないかということを思いながら帰ってきたわけです。

留学中、いくつかの出会いがありましたし、思想や理念などということで啓発されることがいろいろありました。その1つに、舌をかみそうですが、「アソチアツィオニズモ」という言葉がありました。このアソチアツィオニズモというのは、アソシエーションシップやアソシエーショニズムという英語に該当する言葉です。英語の辞書で引くと連合主義などという──もともとは心理学的な意味内容の連合というのもあるようですが──社会的にも連合主義というような訳語が出ている字引もあります。団体と団体とがいろいろ連携する、今の日本でいうネットワークという言葉に近いのかなと受け取ってはいたのですが、このアソチアツィオニズモという考え方が、イタリアの国家統一をマッツィーニたちがリソルジメントで進めていく、近代国家成立期にすでに根づいていたということです。つまり、人々が団体生活、日本で言う憲法上の結社の自由という、その結社という言葉がフリーダム・オブ・アソシエーションということになるのですが、それを骨格として社会を作り上げていくという考え方が、リソルジメント時代からいろいろな団体の広がり方の中で共有されていきました。

ですから、労働団体もあるけれども、農業団体も市民団体も文化団体も、みんなそれぞれが社会生活を営んでいく上で、個人ではなくて集団としての活動の自由を得ていくことが、真に民主的な国家を建設していくことになるのだという、このキーワードにぶつかってずっと考えてきたことが私の研究の重要な視点となったといえると思います。

それを象徴しているのが「人民の家」、カーサ・デル・ポポロという、今はARCIのサークル拠点ですが、1840~50年代ぐらいから人民の家が広がっています。単にレクレーション活動をするためのものではなくて、相互扶助であったり、抵抗することであったり、連帯することであったり、みんなが楽しむことであったりという、自分たちの連帯の拠点、日本でいうとクラブハウスに似ているのかなという感じもしますが、ある意味で社交的な側面、そしてその人民の家を作る当初は富裕な階級が慈恵的に寄付を出して、その地域の市民たちのたまり場を作っていくということで、ブルジョワジー階級も設立当初は人民の家にかかわっていました。

19世紀末頃からだんだん社会運動勢力が強くなるにしたがって、労働者であったり、左翼的な政党であったりという人たちが、この人民の家に集まってさまざまな活動を広げていく拠点となっていきます。日本で使われるたまり場という言葉もピッタリしませんし、公民館は行政が作っているのでそれもピッタリしませんし、これに類するものはなかなか日本では見当たらない気がします。地域へ行って、ある都市へ行って、そこでさまざまな市民活動を調べようと思ったときに一番情報が入手できるのが人民の家です。そのために私は随分あちこちの人民の家に訪問することになって、それが近代から現代までずっと続いていることに、あらためてイタリア民衆生活の発見をしたという思いでした。

一番最近のデータ、2000年代半ばぐらいのデータで、人民の家はサークル拠点といっていいと思うのですが、5000カ所ぐらいあるわけです。イタリアは人口が日本の半分の6000万人ですので、数字を言ったときに「必ずそれを2倍してください」と言います。つまり、日本でいえば人民の家が1万カ所あるということです。日本は公民館が1万8000館あって実は中学校よりも数が多いです。しかし、人民の家は全部寄付で、自分たちが出資して成り立っています。協同組合の店舗みたいなものですが、物は売っていません。コーヒーを飲んだり、レストランがあったり、いろいろなスポーツ活動やレクレーションをしたり、また、会議室もある建物ですので、そこで物が売り買いされているわけではありませんが、まさに共同出資で建てられた地域のクラブハウスで、どちらかというと庶民的な人々、労働者や農民を核とした活動が行われている場所です。

これがファシズム体制の下では国家にとって怖い組織・場所になっており、結局、ムッソリーニはこの人民の家を封鎖して、権力的に暴力によって労働者・運営者からそれを奪い取って国有財産にしました。いかにその人民の家とファシズムというものが厳しい対抗関係にあったかを物語っていると思います。もう火をつけられたり、めちゃめちゃに壊されたり。それを今度はムッソリーニの体制下で、ファッショの家という名称で自分たちが使います。それはそのまま戦後に国有の施設として移行したので、その人民の家を最初の出資会員のサークルが買い戻すのに10年も20年もかかったと言われているわけです。ですから、徴用で国家に押収されてしまったものをまた出資の会員が買い戻すという、そういう共同出資をして自分たちの居場所を作って、地域の貧しい中での生活の扶助や医療生協のような活動をやっていた人民の家もありますし、農協のような協同組合をやっていたところもありますし、それがだんだん戦後は文化レクレーション活動の拠点になっていきました。

 一口で市民社会という言葉がありますけれども、そういうイタリアの市民社会を動かしている担い手たちにとっての具体的な共同生活の場といえます。つまり、社会生活の場を、アソチアツィオニズモというさまざまな団体が一緒になってやるということと、それのシンボルといいますか、みんなが集まる場所としての人民の家という、この存在が日本の市民社会との違い、あるいは日本の社会教育という、行政が作り出している地域の教育との違いというものを表わしていると思います。こうした民衆的な共同空間に本当に驚きを持って出会ったことが『イタリア文化運動通信』を書く際に重要なテーマになりました。



イタリア学習社会の特質と課題

イタリアと日本との対比を歴史的に考えていくということが、本当に遅々とした歩みですが、その後三十数年の私自身の仕事になってきたと思います。そういう経緯があり、2010年にライフワークをようやくまとめることができました。

この学習社会という言葉、ラーニング・ソサエティという英語の訳で、これは国際的に共通語になっています。日本ではそんなに学習社会という言葉は使わないと思います。生涯学習というと、自分が一生かかっていろいろなことを学んでいくという、個人のイメージで捉える生涯学習が日本の場合は一般的だと思います。

イタリアでももちろん個人の学びは機軸にはありますが、その生涯学習という言葉を使わずに学習社会という言葉で私が捉えたかったのは、やはり学校中心社会としてあまりにも教育制度が一元的に捉えられすぎている日本と対比してみると、ありとあらゆる社会の団体活動や市民活動や文化的な活動がみんな学習の手段といいますか、資源になっている、そういう社会の姿というものを捉えたかったということがあります。

それともう1つは、「何であなたは教育学なのにイタリアをやるんですか」ということを何度も聞かれたのですが、イタリアは一般に非常に低学歴の国です。レジメに表が出ております。これは2004年の国の統計で、15歳以上の年齢層の学歴です。ですから義務教育を終了した年齢の国民の年齢層ごとに見た学歴です。これで見ますと例えば、60歳以上の年代ですと、小学校以下が67%です。そして、20代の後半、今は日本で普通に大学を出て社会人となっている人たちがもう5割近くいる世代だと思いますが、この世代で中卒が3割、高卒で47%ということで、大卒は1割です。日本と比べると、だんだんイタリアも高学歴はしているものの、学歴社会といえるような実態はイタリアにはありません。移民の方たちも含みますが、それだけ働いている人たちの学歴が低くて、いわばきちんとした学校教育を受けていない人たちが非常に多い社会です。

皆さんはイタリアへ行き来されて「信じられない」という気持ちになると思うのですが、イタリアの人々は非常に文化的に高度であり、インテリジェンスがあり、ものづくりの水準が高かったりします。それでは、あのイタリアの持っている文化・芸術・ものづくりの水準というのは一体どこから来ているのでしょうか。実は、学校教育が社会の中であまり大きな役割を果たしていない社会ということになるのだと思います。

日本の場合は、学校教育のいい面もむろんたくさんあると思いますが、悪い面もたくさんあると思います。イタリアの低学歴社会と比較すると、やはり学歴社会・学歴信仰、大学を出なければ職がないという社会に日本がなってしまったことが、果たして子どもや青年にとって幸せな社会であるのかどうか。例えば私立大学の学生たちは、年間100万を超える授業料、4年間で400万円もかかっています。それから、自費で親が留学させるという例もたくさんあります。ですから、大学だけで500万くらいかかっています。そのうえ大学にたどり着くまで1000万ぐらいかけていると言われているわけですから、それだけお金をかけて自分の子どもに教育をつけさせているのに、本人の知恵や力は一体どうだろうかと、大学の教員でありながら、そしてお金をいただいている立場でありながら、イタリアと比較したときに日本の学歴社会のいい面だけではなくて、非常に空洞化した面といいますか、形だけ底上げされていることの矛盾も感じてしまいます。

イタリアで80年代、90年代に多くのヒアリングをしていたわけですが、イタリア人の労働者の面接をすると、ほとんどの人が中卒です。日本でも東大の社会教育研究室で労働者教育ゼミナールに参加していた頃、会いに行った労働者はほとんど中卒の労働者でした。鉄鋼労連などに行って、君津製鉄所や尼崎鉄鋼などを訪問していたのですが、60年代末頃は、まだ中卒の労働者が教宣部長をやっている時代でした。そのイメージがそのまま70年代、80年代のイタリアにつながるのですが、日本はご承知のとおり70年代にはもうほとんど高校全入社会になっていくわけです。80年代・90年代には大学進学へとなって、現在は50~60%が大学へ進学するという社会に変わっております。

イタリアは今現在、高校卒業がまだ9割を切っています。地方によって少し違いますが85~87%です。これもEUに統合されて何とかイタリア人の学歴をアップしないとEUという国際市場の中で仕事を見つけることができないということで懸命に高学歴化を図ってきた結果です。高校卒業がまずは社会の目標で、日本とは本当に桁違いに学歴というものに到達するのが困難な社会です。そういう社会であるにもかかわらず、イタリアに行ってみると非常に豊かな文化があり、楽しいいろいろなことがレクレーション活動として行われています。一体これはどういう文化、どういう人々の知識として説明したらいいのだろうかということが最初の留学の時から興味がありました。こうして時間をかけて成人教育の研究にとりくみ、三十何年があっという間に過ぎてしまったということです。


今、一番大きくイタリアが直面している問題はEU統合だと思います。90年代に入ってイタリアは率先してEUの一員になっていくわけですが、実はEUというのはよく多様性のヨーロッパと言いますけれども、イタリアも強烈な地方色といいますか、地方文化としての独自の歴史を持っており、それは当然ローマ帝国以来の、ルネッサンス以来のさまざまな先進文化を持っているわけです。

EUのレベルで見たときに、そういうイタリアがヨーロッパ文化の根源をなすという捉え方が一方でありますが、今お話ししてきたような教育や文化水準で見ると、やはりドイツ、フランスがあり、北欧社会があり、非常に高い水準を持っている北中欧諸国と比べたときに、イタリアは南欧圏、南の国ということになるわけです。ギリシャ、スペイン、ポルトガルと南欧圏が並んでいるわけですが、その中でイタリアの文化資源、文化遺産というものはもう断トツに大きいということは言うまでもありません。しかし、やはり教育というのはどちらかというと経済や人材にかかわる指標で見ることになりますので、そうするとイタリアというのは本当に遅れた国というように、南欧の国々はみんな遅れているという烙印(らくいん)を押されるようになって、多様性のヨーロッパの中でイタリアは教育という面から見ると本当に矛盾だらけの国というようになっております。

日本はずっと追いつき追い越せで明治以来やってきた国なので、欧米諸国に対する後進国としてすごく無理をしながら今日まで来ているわけですが、EU統合によって今イタリアにこの20年間迫られている問題は、自分たちの独自の文化を大事にしながら、そういう地方性を保持しながら、どうしたらEU加盟国として共同経済市場の中で力を発揮していけるのか、あるいは若者の就業を確保していくことができるのかということです。今はやはり学校教育の問題がイタリアのなかで大きくなりつつあります。そういう変化が、この20年あまりのEU統合過程で出てきていると思います。

私自身がかかわってきたこの70年代・80年代・90年代を見るだけで、イタリアの歴史的な変化はもう本当に劇的なものがありまして、さまざまな問題、さまざまな側面を学習社会という切り口から見ていかなければ捉えられない問題がたくさんあります。その都度、労働運動との接点や文化運動の展開をみたり、学校教育の問題を考えたり、中小企業のさまざまな雇用の職業訓練の現場に行ってみたりということで、実にあちこち首を突っ込みながらようやく1つの像を結んだ地点で『イタリア学習社会の歴史像』をまとめました。

まとめた途端にこの像はまだ仮の歴史像であって、またこれから自分が同じぐらいの年限をかけられるのであれば、次の20年・30年でまたまったく違う像を作らなければならないのではないかという、一定の到達点であると同時に、それが通過点に過ぎないのではないかという気がします。巨大な歴史像を対象にしながら人間のできることというのは本当に限りなく小さいものだという思いをかみしめています。



民衆教育・成人教育・生涯学習

イタリアを語るときに、今、人口が日本の半分ということを申しましたが、高齢者人口の65歳以上で見ると今は大体2割近くになっていて、ほぼ日本と同じです。ヨーロッパ全体の中では一番加速的に高齢化が進んでいる国です。それから、外国人が370万人、約6.5%、難民も含めると7%近く、これは日本の3倍いるということです。日本に置き換えると800万人近い外国人がいることになります。外国人の占めている比重が大きい国です。

それから今、日本で道州制ということがよく語られますが、イタリアには20の州があります。州の人口は大体300万規模ですので、日本の県の大きさを州と呼んでいることになります。県が110、それから驚かされるのは末端自治体のコムーネの数です。日本でいう市町村にあたりますが、8100もあります。つまり、日本に置き換えると1万6000もの市町村が存在している国ということです。今、日本はもう1700台になっておりますので、市町村の持っている生活圏はイタリアの場合は驚くべき狭さで、自治共同体といいますか、狭い生活圏で地方自治というものが考えられています。さらに人口10万人以上のコムーネは45しかありません。ローマとミラノだけは例外ですが、有名なボローニャやフィレンツェも40万を切るぐらいのコムーネですので、大規模都市はほとんどないということです。点々と小さいコムーネが歴史的な街区を中心にまとまりのある生活圏を構成しているという地理的状況があります。後に非営利セクターが法制化されたときに、そういうコムーネと非営利セクターが互いに密着した官民共同といいますか、行政と市民社会の協働を作り出していきますので、その辺がとても見えやすいです。市民社会と言ったときの地域の範囲が非常に狭くて、そこに歴史的に団体活動が積み重ねられています。しかし、イタリアでは多くのイタリア人は学校と行政をばかにします。「何も機能してない」と言います。イタリアは制度が駄目な国で、民間の人を見るとすごく素敵な人たちがたくさんいるという印象も持っているわけです。


私の著書では、イタリアの成人教育について、近代史以降を大きく3つの段階に区分して捉えておりまして、それはイタリア語で使われる成人教育の用語の変化に対応する3つの時期区分となっています。

近代以降、長く「民衆教育」(educazione popolare)という言葉が成人教育の世界、つまり大人の学びを表わす言葉でした。建国以来1960年代までずっと一貫して、民衆教育という言葉が広く使われています。これは何を意味するかというと、1つは、政府の責任で義務教育学校に行けなかった人たちを夜間の学校で学歴を取らせるという、いわゆる成人教育の用語では学校補完授業というのですが、夜間小学校と夜間中学校です。これは公教育省の民衆教育事業です。これに対して市民社会で民衆教育は何を意味するかというと、まずは識字教育運動です。字が読めない人たちがたくさんいます。学歴が非常に低いので、60年代まで成人教育団体は大人に字を教える(識字)活動ということで、南の半島の先から島、サルデーニャやシチリアのところで民衆教育センターのようなものを作って、そこで夜間に大人の労働者や農民を集めて読み書きを教えるということを長年続けてきましたので、住民との密接した関係を築いてきています。

しかし、民間団体が大人に文字を教えるということは単なる読み書きを教えることではなくて、生活要求をくみとり、地域社会を良くする要求にこたえるという生活的文化的な課題と一体化しています。ですから、公教育省と民間の識字団体は常にその点で対立しています。読み書きさえ教えて小学校卒業資格──卒業にも試験がありますが──その力をつけさせればいいというのが公教育省の側の考え方です。民間団体はそうではなくて、「識字というのは自らを向上させる、地域の主体となっていく市民を育てることなんだ」ととらえています。この対立が本当に100年近く続いていたのがイタリアの成人教育の基本構図なのではないかと思います。

そういう非常に苦しい実践的な努力がイタリアの中で蓄積されていた頃、1960年代にユネスコが成人教育として取り組んだのが識字運動でした。というのは、膨大な開発途上国の非識字の状態があり、現在でも非識字人口は世界の9億~10億人に達すると言われています。特にアジアは非識字人口の多い大陸になるのですが、そのユネスコが音頭をとって世界中から非識字者をなくそうという戦略を60年代に立てたときに、一番参考にされたのがイタリアのモデルでした。

私は最初に成人教育の国際的なモデルは、アメリカの大学拡張やイギリスの労働者教育が源流だと申しましたが、実は国際機関で成人教育を中心的に推進しているユネスコが一番力を入れているのは識字であって、その識字運動の源流としてこのイタリアの長い、長い民間識字運動の歴史があるということは、日本ではほとんど知られていないことだと思います。ユネスコ識字委員会の専門家を数多くイタリアから派遣してきました。つまり、遅れた者が反対を向くと先頭になるという言葉がありますけれども、イタリアの成人教育の面白さというのは、まさに遅れている低学歴社会だったけれども、グローバルに見ると実はイタリアが一番先頭にいるということになると思います。

そういうことに気がついてイタリアという国を見るとすごく面白くて、つまり、地中海に突きだした半島ですが、世界中に移民を送っているわけです。皆さんは、アメリカにいるイタリア移民やドイツで働いているイタリア移民などという、たくさん移民の物語が作られているのでご存じだと思いますが、そのイタリアがまさに地中海の、――少し日本列島と似たような島国のような感じで地中海に突き出しているのだけれども――実はイタリアのコスモポリタニズムといいますか、世界的なネットワークはこの移民の流れが作り出しているということが特徴的だと思います。

1950年代に成人教育の国際会議が開かれるようになり、イタリアのローマで1951年にユネスコと協力して国際会議が開かれます。そこでアメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、南米などのいろいろな国からの報告が持ち寄られていますが、これらの国々にイタリア人が移民に出ています。イタリアの面白いところは、識字の団体が移民先へ行って教育活動をしていることです。イタリアの市民団体はそれぐらい力があって、どんどん海外の移民先へ行ってイタリア人を教育することをやっています。そういう意味で、ただならないコスモポリタニズム、つまり、ローマ帝国もルネッサンスもすごいのですが、そうした精神の大きさというものが、いわば民衆が自ら学ばなければ、自ら文字を身につけなければ生きていけないという市民社会の底上げのところでも非常に強いインターナショナリズムがあって、この識字運動が民衆教育の時代に展開していたということがあります。

その後、成人教育という用語、これはユネスコが率先して使ってきた大人の学びのネーミングですが、60年代頃からしばらくイタリアでもeducazione degli adultiという用語で使われていました。今もその成人教育という言葉は使われていますが、EU統合の中で好んで使われるようになったのがformazioneという用語です。これは生涯学習というふうに訳されており、英語のライフ・ロング・ラーニングを訳した言葉といわれておりますが、フォルマツィオーネというのはそのまま人間形成という言葉に当たるわけです。この人間が形成されるという概念は実はギリシャ哲学にさかのぼります。ということは、今イタリアで問題にされているのは全人的な教育です。技術面や精神面、市民社会の政治主体になること、そうした全人性の発達という意味で、ギリシャ哲学以来の人間形成という概念がEU統合時代に積極的に使われるようになりました。

このように3つの用語で見たときに、イタリアの学習社会を規定しているニーズといいますか、そこで行われている教育的な営みが非常にダイナミックに変化してきていることを捉えられるのではないかということで、私の論文の中でこの3つの用語に象徴される時代の変容を意識して時代区分を設定しています。特に、フォルマツィオーネ、全人的な教育ですが、労働の教育と市民としての教育を統合するという考え方があると思います。

日本の生涯学習にはあまり労働の教育への視野は入ってきていません。それは、職業訓練あるいは経営教育という言葉が使われているだけで、人間が人間として学び続ける、生涯にわたる学びによってみずからを高めていく概念そのものが、日本の場合は、イタリア的な意味での市民社会と労働社会の架橋を見出せていないのではないかと思います。

その後、低学歴構造はずっと大幅に改善されてEU水準に近づきつつあるのですが、それでもイタリアは高校が5年制のため卒業することは大変です。小学校が5年制、中学校が3年制、高校が5年制です。大学は昔は5年制でしたが、改革されて3年制になりました。しかし、5・3の次に5があるため大学への距離が遠いです。5年制高校というのは日本でいう旧制高校のような感じがそのまま維持されてきていますので、やはりこの段階で中途退学する人がイタリア社会ではまだかなりいます。経済的な事情で中途退学する人が多いので、今もって8割のところの大台で何とかヨーロッパ水準に追いつこう、EU全体が85%を目標水準として掲げているので、何とかそこへ到達しようというところに低学歴との戦いというのはきているわけです。ところが、経済が悪化して、それから移民がどんどん入ってきます。ですから、ある意味いたちごっこといいますか、移民の教育にもエネルギーを取られております。先ほど数字で示したような実態があります。

日本は閉ざされた島国で、移民の人たちはほとんど日常の私たちの教育や文化の世界に入ってきません。その中で日本の中流階級の子弟は大学をどんどん目指していくという、日本の場合はモノカルチャーになっているわけですが、イタリアの場合は移民を世界に送り出していて、また世界中から移民が来ています。その混沌とした多文化のもとで学びというものに取り組んでいかなければならない。この社会の複雑性とグローバル化の中でのイタリアの変容を通じて、教育という切り口からいろいろな問題が見えてくるということです。



社会的協同組合・非営利セクター

『イタリア文化運動通信』を書いて以来、日本の協同組合の方々が非常にイタリアに興味を持っていろいろな接点ができたということを先ほど申しました。『イタリア学習社会の歴史像』では、特にアメリカの有名な政治学者のロバート・パットナムの『哲学する民主主義』を援用しています。それはコミュニティとアソシエーションに関するイタリアの実証研究です。イタリアは民度が高いとか、市民社会に非常に濃密なネットワークがあるとか、お互いに助け合うという地域社会が崩壊せずに存在していて、いってみればアメリカと対照的な社会として描き出されています。ここでパットナムが用いているソーシャルキャピタルという概念は、私がずっと使っていたアソチアツィオニズモそのものを指しているということで、今回はパットナムが注目したソーシャルキャピタルと、イタリアが伝統的に近代以来築いてきたアソチアツィオニズモを重複させながら非営利セクターの問題を分析しています。

法制化されているものとして社会的協同組合法とボランティア基本法、それから社会活動を推進する団体に関する法の3つがあります。中でもこの社会的協同組合はほかの国にないユニークな協同組合です。事業協同組合の一種ですが、社会的弱者を救済するということを目的にしており、もともとは社会連帯協同組合と呼ばれた組合です。ですから、イギリスなどでいうソーシャル・エンタープライズ、社会的企業という言葉がありますけれども、似ているようで少し違います。

社会的協同組合は自治体の支援を受けて、その地域社会の中で、例えば日本でいうと自閉症、精神障害の方、ハンディキャップを持った方、移民の方、アル中の方、服役をして出所してきた方など、さまざまな社会的弱者を支援することを目的にしています。社会的協同組合の事業として支援サービスを提供する、あるいはハンディキャップをもつ人々自らが就労する機会を提供できるようにすることが法に定められています。どのようなサービスをやっているのかを表に示していますが、文化的なもの、それから、社会教育的支援という──この社会教育的支援という言葉も日本の社会教育とだいぶ違う実態があります。主としてハンディキャップを持った人たちを教育という手段によって支えていきます。特に子どもたちを対象とした活動が多く、日本でいういわゆる心的な外傷を負った子どもたち、社会にうまく適応できない子どもたち、両親がいなくなってしまったといった困難を背負った子どもたちを支援していくということで、社会教育的支援という目的をもつ社会的協同組合が数多く作られています。それから、宿所提供支援が比較的高い数字を示していますが、これはホームレスであったり、移民であったり、難民であったりという人々を対象にしています。

一言で言って、今まで日本でこうした社会的弱者は障がい者という単一のカテゴリーでくくられて、生活保護世帯もほかの国に比べると比較的少ない国ということで、日本の場合はやはり豊かな国のイメージが強かったと思います。それに比べるとイタリアは底辺層として、多様な社会的困難を抱えた人々や移民がたくさんいる社会なので、もともとボランティア活動が活発でキリスト教的な考え方の人たちも多く参加しており、こうした団体活動が非常に幅広く作られてきた経緯があると思います。

日本も、今まで自分たちが1億総中流などと言ってきたことが、2000年代に入ってその捉え方が誤っているという自己認識がなかなか持てないままにきてしまって、2000年代の半ば以降急に生活保護世帯が増えていたり、急に派遣で雇い止めになってしまった人たちがワーキングプアとして自立できないとか、そうしたことがいろいろ言われるようになりました。

国際的な現象で見れば、ヨーロッパではそういう社会的困難層は移民や青年や低学歴の人たちに幅広く存在していた貧困問題で、日本は大企業社会、1億総中流社会という自己イメージによってあまりしっかり見ようとしてこなかったのだと思います。ですから、ニートやフリーターなどが出てきたときも「何、いつまで自分の好きなこと探しているの?」だとか、今はそうは言いませんけれども、自分探しをやれるお坊ちゃまのようなイメージが長く続いて対応が遅れたと思います。虐待にしても、離婚の問題にしても、日本の場合に何かその辺がまだ対応が真正面からできていないという状況がありますが、イタリアの社会的協同組合は70年代頃から運動的に発展してきて、法制化されるのが1991年です。市民社会の崩れやほころびや末端を支えていく上で非常に大きな社会勢力になりつつあるといえます。今、この分野で働いている方で20万人ぐらいが有償労働者として働いておりますので、従業員数としても相当数になっているといえるのではないかと思います。



青年の自立過程の困難とグローバル化

イタリア研究にとりかかった頃、私はイタリアという国は非常に日本と違った国、いつまでも低学歴で、いつまでも南北問題が解消できなくて、南のほうに行くと青年に職がない国とずっと思っていて、日本とイタリアの違いということばかりを意識してきたのですが、2000年代に入ってこの研究をまとめる中で、「いや、もしかすると日本でも同じことが起きつつあって、イタリアが取り組んできたやり方というのは、日本にとって本当にこれから参考にしていくべき、先ほど一番後ろだと思っていたのが裏返しすれば先頭ということがグローバル化の中の日本でいえるのではないか」と思うようになりました。

しかし、イタリアのアソチアツィオニズモや市民の自発的な活動の蓄積に対比しうるものは、日本ではまだまだ弱いと思います。イタリアは確かに経済危機に陥っているようですが、そういう面でイタリアの底力というもの、あるいはこうした底辺部分で試行錯誤してきているいろいろな団体の力というのが、これから力を発揮していくのではないかなと思っております。

日本との比較で非常に興味深いと思って表をひとつ引用しています。これはトスカーナ州で青年がなかなか自立できないということをずっとフォローしている社会学の調査の数字です。青年の自立過程が遅れていてなかなかできないということを5つの指標で捉えていて、これは全国の調査とトスカーナの調査と、あとはヨーロッパ全体でも似たような社会学の調査が幅広く行われています。学校を完全に修了したという人が、日本でいうと大卒に当たる21歳~24歳という年齢層で見ると、イタリア全体では半数にいっていません。20代後半にいっても7割です。30代にいっても80数%ということで、結局は学校を完全に修了しない中退や、ブラブラしている、働きながらずっと延ばしているという中ぶらりんの、つまり自立できない、区切りがつかないという青年が、私たち日本の青年では22歳で期待するところが、日本に比べてこの数字は、イタリアの青年の移行過程の困難さを示す数字ではないかと思います。ましてや、安定的な就労状態は20代後半の年齢層でも5割少しということです。半分の青年は30代になってようやく4分の3ぐらいが完全な就労状態になるという数字が出ています。両親の家から独立したという数字はもっとひどいです。20代後半でもトスカーナでやっと3割ということです。つまり、お金もないし結婚もしていないから親元で過ごしている青年が非常に多くて、30代前半でも65%近くがやっと自立できる状況ですので、3分の1は親との同居が続いています。

イタリアはアモーレの国で、恋をして若者たちが楽しそうにしている国なのかなと思うとそうではなくて、住む家も確保できないで、いつまでも両親の生活力に頼っているような青年像が表われています。結婚して所帯を持ったのが大体それに準じて、子どもが生まれたという数になると30代でようやく4割です。少子高齢社会と日本でもいいますけれども、イタリアもヨーロッパで有数の少子高齢社会になりつつあります。

ご存じのイタリア映画の中で出てくるイタリアの家族というのはもう大家族です。子どもが5人も6人もいて、ちょうど戦前・戦後直後の日本のような風景が、イメージとしてリアリズム映画の中でありますが、今の青年は結婚もしないし子どもも持てないという、まったく核家族どころか単身家族が急増しているという実態にあって、非常に厳しい生活を送っていることがわかります。

ヨーロッパ全体の中で、今、EUは若者の就労のための移動を進めているわけですが、イタリア人の若者は語学的な面でもハンディがあり、イタリアを離れて就職することがなかなかできにくいという国の1つに挙げられています。では、イタリアの国内での就労はというと、今は1,000ユーロ世代といわれていますが、1月1,000ユーロ、つまり、今の日本円とユーロの関係でいうと10万円や11万円という生活です。日本でも15万円ぐらいでワーキングプアという問題が出てきておりますけれども、早くからイタリアの場合はそうしたワーキングプアの問題が出てきていて、自立が遅れているということがあります。

ボローニャで知り合ってお宅にもお伺いしたシニアのご夫妻は、日本にも遊びに来たことがあって、お父さんもお母さんも働いていらっしゃるご家族でした。20代後半のお子さんが2人いて、その2人のお子さんの住居費用を全部親が持っているというので驚きました。とても中堅的なしっかりとした勤労者の家庭のように見受けられたのですが、お子さん2人は自力で家を持つだけの働き口がなくて、アパートを親が借りてあげているという家族で、「これがイタリアの健全な市民の生活実態なのかな」とびっくりしましたが、この統計を見るとそれが現実だということが分かります。

イタリアは南部社会、南北問題が歴史的にずっとあって、大家族で貧乏な中でもたくましく家族愛豊かにということでコミュニティも成り立ってきたわけですが、現在見られるイタリアの家族は非常に追い詰められていて、実は虐待や殺人や凶悪な犯罪などが急増しています。決して、昔からイタリアは安全な国とはいえませんでしたが、そういう家族の中の犯罪がすごく増えているという実態も指摘されております。ということで、コミュニティが壊れつつあるということがとても日本と似ています。たどり着く経緯は違うような気がしますし、確かに異文化の国ではあるのですが、結果は非常に似ているということを考えさせられます。

一方で、非常にボランタリズムが強くて、レジメの右の写真の上のほうですが、これは地域の公共図書館で平和運動を語り合う青年たちが場所を自由に使えるような空間になっていて、こんな明るい顔をした若者達が難民を支援するプロジェクトをしています。このような国際的に開かれたボランタリズムというのは、まだまだ日本ではこれからという感じがします。一方で今お話ししてきたようなグローバル化の中で中小零細企業が主軸のイタリアの地方経済が非常に疲弊していて、特に高学歴化すれば就労できるということでEU水準の教育を努力してきたこのイタリア社会で青年の就労がなかなか難しく、一方で移民がどんどん入ってくるということです。

この下の写真はフィレンツェ郊外で、フィレンツェからバスで20分ぐらいの所にある生涯教育センターに行ったときの、外国人の識字学級といいますか、外国人の初等の教育をしているのですが、ここで授業を受けているのは中国人の子どもや若者です。このフィレンツェ郊外で移民率が7%、その大半が中国人です。今やよほどのブランドでない限りイタリアの革製品はほとんど中国人が作っているという実態があります。その中国人コミュニティとのあつれきもあります。そうした伝統的な手工業はイタリアの誇りだったわけですし、技術もイタリア人が丹念にデザインを含めて作ってきたわけですけれども、やはり安かろう悪かろうの市場に観光的に売られる製品はどんどん変わってきてしまっていて、誇りあるイタリアのファッションやこうした手工業の製品が今は崩れてきています。トップクラスの高いレベルのものはさすがに保っていると思うのですが、この底辺ではどんどんこのようなかたちでコミュニティが変容している様子、この2つのコミュニティの顔ということで象徴的な写真かなと思って、皆さまにお見せしたいと思ってここに貼っておきました。


大変早口で時間も少し予定よりも超過しましたが、私自身の捉えてきたイタリア、教育や大人の学び、地域の学び、文化という視点から捉えてきたアソチアツィオニズモと、低学歴で大変な中で諸団体が協力して蓄積してきた市民社会の文化的な営みのようなところをご紹介させていただきました。長時間ご清聴ありがとうございました。(拍手)



【橋都】 佐藤先生、どうもありがとうございました。先生のお話をお聞きしていろいろ腑に落ちるところがあったのですが、例えば、映画の『Cinema Paradiso』の中で、名前は忘れましたが、中年のおじさんが試験を受けに来て、子どもがこうやって答えを教えてやる場面などを見ると、まさに先生のお話に腑に落ちた感じがします。


【佐藤】 最近は、社会的協同組合の映画がシネスイッチでだいぶ評判ですね……。何というタイトルでしたっけ。『みんなしあわせ』じゃない……。


【A】 原題が『Si Puo Fare』です。


【佐藤】 そうです。


【A】 そのシネスイッチで見たときには『人生、ここにあり!』という……。


【佐藤】 そうです。何かすごく違う訳になっているので、私はなかなか……。Si Puo Fareというのは「やればできるさ」という意味です。これはメンバーのほとんどが知的障害者の社会的協同組合で、病院の先生もいらっしゃいますが、イタリアの場合は70年代に精神病棟開放の運動があって。


【橋都】 そうですね。はい。


【佐藤】 それでこうした社会的協同組合がすごく発展して、『Si Puo Fare』の映画に出てくるような、最後のほうはパリからも注文が来るというような展開でした。しかし、1人は自殺してしまいましたね。


【橋都】 そうですね。


【佐藤】 そのようなイタリアの姿が、映画のなかでも通じてくるものがあると思います。


【橋都】 イタリアはもう世界中で一番先進的といいますか、精神科病棟をなくしたというのがどこの国もやっていないことですが、それもこういうもののバックグラウンドがあるからできたということが非常によく分かった気がします。

 いかがでしょうか。ご質問のある方は。はい。お名前を言ってからお願いします。


【松浦】 今日はどうもありがとうございました。私は実は東京外国語大学でイタリア文学を専攻しておりました松浦洋子と申します。ただ、この研究会には学生時代から入っていますので、もうだいぶなるのでずっと勉強を続けているわけですが。やはり少しここですごくパッと気になったというか、イタリアの生涯学習社会を考えるときに、やはりカトリック、中世以来の修道会の影響というか、その伝統というのはすごく大きいと思います。2番の社会的弱者支援、ソーシャルキャピタルというところで、やはり中世以来のカトリック修道会のそういう思想的なものというか、その生涯学習社会に、こうした支援も含めて学習していきましょうということは、やはりカトリックや修道会の力というものがあると思います。少しこの件については、トマス・アクィナス研究者の稲垣良典先生も生涯学習ということに少し触れていらっしゃいますが。先ほど全人教育ということを、ギリシャ哲学……。やはりそこ考えるとカトリックや修道会のそういう活動やそうした思想的なかかわりに関しては先生、どうお考えになったか是非お伺いしたいと思います。


【佐藤】 一問一答でよろしいですか。


【橋都】 どうぞ。


【佐藤】 プラスマイナスの両面あると思います。つまり、近代国家が成立したときに、イタリアは小学校のドロップアウト率がものすごく高くて、なかなか日本のように義務教育が普及しませんでしたが、その学校の運営に地方の修道会が多くかかわっていて、そういうキリスト教の地域組織がいわば荒廃した社会、教育ということに本当に目を向けないという、いわば迷信や神の教えというところさえあればいいということで、近代化・科学化に対する積極的な貢献をしていない問題がありました。

もう一方ではボランタリズムがあって、例えば捨て子を教会が引き取るというのは有名な、今日本では熊本の赤ちゃん病院というのがありますが、あれはもうイタリアでは中世からずっとやられていることです。そういう捨て子の救済や、フィレンツェの中心のドゥオーモのところに11世紀からある有名なキリスト教のNPOがあって、それは10台ぐらいの救急車を持っていて、NPOだけれども病気の人を救済するなどの活動をしていて、本当に献身的なものがあります。

ですから、いろいろな民衆から寄付があってその上にあぐらをかいているキリスト教会もあれば、そのように慈善といいますか、社会的救済のためにすごく革新的な活動をするキリスト教会もあるということで、両面があります。

特に識字の問題で大きくキリスト教会が変わったといわれるのは、解放の神学という流れが南米から入ってくることで、カトリック関係者も熱心に民衆教育に取り組むようになります。それはむしろバチカンからは敵視されて、たとえばドン・ミラーニという人のことを少し本の中で紹介しているのですが、民衆学校を作って、子どもたちの教育、ドロップアウトした子どもたちばかりを集めて、日本でいうフリースクールのようなものをやった神父さんがいるのですが、その人の実践は田辺敬子という人が翻訳しています。ドン・ミラーニは、バチカンの流れに対して異端的な扱いを受けて山の中に飛ばされてしまいます。システムとして神父さんは異動して赴任していきますので。教会はそのように強大な保守であると同時に慈善や人道主義などというところで先進でもあるという、イタリアのカトリック界というのは二面性を持って教育界にも影響を持っていると思います。


【松浦】 ありがとうございました。


【橋都】 私から1つ質問ですが、先生のお話を聞いて1つ思い出したことがあって、ピアニストのマウリツィオ・ポリーニという方がおられますね。彼はショパンコンクールで優勝して何枚かCDを出したのですが、その後に活動を休止して労働者のためにだけ演奏会をやっていたという記事を読んで、日本から考えると非常に不思議な気がして、それが彼の個人の意思でやったのか、あるいはそのような組織があるのかなということを以前から非常に不思議に思っていました。こうしたアソチアツィオニズモということで、芸術などに関しても活動がされているのかどうかを少しお伺いしたいと思います。


【佐藤】 60年代~70年代にポリーニのような人はたくさんおりました。デ・シーカも自分の『揺れる大地』をARCIが16ミリ映画に直して普及版として使うというので自分が一緒になってやっていましたし、ポリーニのように有名なピアニストでも休止して工場へ行って演奏したりということで、このイタリアの70年代というのは日本では学生紛争になったわけですが、イタリアの場合はやはり労働争議が広がったので、労働者の権利ということのために、中国ほどではないですが、いわばブナロードのようなことを自発的にやった超有名な文化人がたくさんおりました。

ですから、労働者と連帯することで自分たちの芸術文化の創造もあるのだ、という連帯感を芸術家のほうが自発的に自分から求めて、その生活の中に入ってそこから共に作り出す芸術でなければ、この国にとって意味がないのではないか、というところまで非常に労働運動のアピールに触発された知識人・文化人というのは当時大勢いました。ある意味ポポロという言葉が本当に国全体を揺るがした時代だったのではないかと思います。


【橋都】 ほかにいかがでしょうか。ご質問のある方は。はい。猪瀬さん。


【猪瀬】 どうも、大変面白い興味深いお話をありがとうございました。1つこの先生のペーパーで、3番目の「グローバル化の下での社会的危機も深まり」というところのお話ですが、これはここに表がございますね。トスカーナ市における青年の移行過程。これはトスカーナだけではなくて、ほかの地域も多かれ少なかれこうした状況だと思うのですが、私が1990年代の初めにイタリアにいたときに、まさにこの状況に近かったと思います。その後かえってまた移民が増えたり難民が増えたりして深刻になっているのではないかと思うのですが、この状況というのはずっとこのまま改善されないまま続くと、これを見ると子どもが生まれたという人が30~34歳で40%しかいないとか、これは今後どうなっていくと予想されますか。


【佐藤】 予想できませんね(笑)。それは日本の未来と同じだと思いますが、政策的な努力がEUレベルでどんどん出されているということは感じていたわけです。ですから、私の本の最後の章では、やはりEU政策の可能性に注目しています。一方、イタリア国内も南北問題で北と南の落差が大きいわけですが、ヨーロッパ全体も実は南北問題なのです。なぜすべて南北問題なのかわかりませんが、南を支援するということがEU全体としての重点的な施策だったので、90年代の半ばから2000年代にかけて非常に大きなファンドがイタリアやスペインに投入されていったわけです。

ところが、東欧が加入することによって南にばかりお金を回せなくなって、「もう、来年からはお金がこないよ」とイタリア人が語るようになったのが2007年ぐらいでした。ですから、トータルすると10年少しぐらいの間に集中的にいろいろなプロジェクトがなされて、そのプロジェクトの考え方や青年の就労支援は、本当に弱者を支援するためのいろいろな職業訓練や、学歴を上げるための施策や、語学の交流など興味深い政策がたくさん展開されました。それによって人材のレベルをアップして、ヨーロッパ全体としていわばアメリカや日本に対抗する生産力を作り出そうという戦略でEU全体が動いていたと思います。

しかし、その効果が出せないうちにやはり次々と不況の波に襲われるようになってきて、職業訓練を受けても実は職がないという感じになって、投入した効果、つまり学歴が上がったり訓練を受けたりということが、即そのままその青年の生活水準や就労の安定化に作用しないままに2000年代──2008年にリーマンショックの後に行ったときにイタリアの場合はもう8~9%の一般失業率になっていて、青年の場合は25~30%になりつつあったわけなので──まずはそのリーマンショックがすごく効いてしまいました。

その後にギリシャ危機がきておりますので、ダブルパンチでイタリアはもがいて、せっかくのEUの教育訓練によるスキルアップということで、人材を通じて生産力を高いものにしていくことが結局でききれないままに、ドイツやスウェーデンなどの先進国にいわばおんぶするといいますか、より大きな南北問題のなかで苦しんでいると思います。

ドイツなども今はとても大変になっていると思うのですが、EUに統合してみんなで力を合わせて弱いところを引き上げてというところまでは本当に、「そういうことを1つでも日本でやったら」と思えるようなことが次々あったのに、やはりその成果と今のグローバル経済の危機の深まりというのが、時間的にいうとうまくマッチングしないままに危機が混迷を深めているのかなと思います。ギリシャ危機以降というのを今年はまだ行って見ていないのでわかりませんが、本当にとても大変だと思います。


【橋都】 ご質問を。では、お名前と。


【一色】 一色と申します。興味深いお話をありがとうございました。すごく低レベルな質問ですが、私の個人的な感想としては、イタリア人はやはりすごく他人に対して、冷たい面もあるけれども情が厚いというか、温かいところがすごくあると思います。それは社会的協同組合がやはりずっと今まで続いていたり、先ほどの精神病棟の話もありましたが、移民に対しても怒りつつも手を差し伸べるところはすごくあるなと思うのですが、先ほど先生がおっしゃったように経済がどんどん悪くなっていって、そういうイタリア人的な文化のようなものもやはり変わってきていると感じられますか。私がいたのも随分前なので、住んでいるのと旅行で行くのとは全然見えてくるものが違うので、質問させていただきたいと思いました。


【佐藤】 本当に情の厚さというのは、日本でも東北の実態を見たときに、忘れられた古い日本というのは実は東北は広範囲に持っていたということに気づかされたと思います。かたちは違いますが、イタリアはもっとおおらかで明るくてすごく親切という国民性と、それからやはり観光が主産業ですから非常に陽気に人をもてなしてくれる国柄はずっとあったと思います。

底辺層が壊れてきていることによる犯罪の凶暴化や地域社会の困難の増大のなかで、それにたちむかう人々も数多くいます。社会協同組合などにとりくむ方々にお会いすると、本当に志が強くて信念に基づいて、人間というのはやはり人道的にこれだけ頑張れるのかというほどの努力をされている方たちがたくさんいらっしゃいます。そういう意味で、社会的協同組で働いている人たちなどには今もそうした強い志で、何とか社会の絆を強めていこうという生き方をしている人たちは多いと思います。他方で、私の本を書評してくださった都留文科大学の田中夏子さんという方は社会的協同組合の専門家ですが、「やはり今のイタリア社会の中で社会的協同組合ですらそのような信念でやっている人たちがだんだん少なくなってきて、自治体に依存して給料がもらえればいいという日常ルーティーンの仕事になっている困難な面も現れてきている」というようなことを書いていらっしゃっています。

田中さんには8月にお会いして、8月の後半にイタリアにまた調査にいらっしゃっているのですが、やはり急激にこの国際社会の経済危機の問題が、それを下支えしようとしてきた市民社会のヒューマニズムのような信念を押しつぶそうとするほど今は強くなっているのかなという危機を感じます。


【橋都】 ほかにいかがでしょうか。はい、どうぞ。


【篠原】 篠原と申します。2つお伺いしたいのですが、先生は先ほど、イタリアの教育制度を5・3・5・3とおっしゃいましたね。義務教育はどこまででしょうか。


【佐藤】 これはまたすごくややこしいのですが、最初は長いこ戦後の憲法では5年制小学校と3年制中学校の8年間を義務教育として規定されています。しかし、それをヨーロッパ水準に変えていかなければいけないということで……、日本だと、9年制義務教育の後、高校まで義務化するかしないかという議論になると思うのですが、イタリアは複雑です。5年制高校の最初の1年をまず義務化して、今最新の改革では前期2年間を義務化しました。ですから、5年制高校の前期2年までが義務です。ということは、そこでやめてもいいということです。

ところが、ヨーロッパ水準では、「18歳までの青年は労働市場に出さない」という別の規定があります。そうすると、義務教育ではないけれども、高校を2年でやめた人は残りの3年は労働市場に出られないので、その間は職業訓練を受けるという代替の措置で就労させないという別の義務制があり、高校に在籍しない場合は18歳まで職業訓練、または企業内の見習い労働に従事します。制度的には現在10年制義務教育制度になったので、日本より1年間多くなりました。EUの圧力がいかに大きいかということがわかります。

日本は何故高校を義務制にしないのかと思います。民主党が高校授業料の無償化ということを打ち出しましたが、それもできているのかいないのかという問題はあります。日本は実態的にいえばほぼ高校は義務化といってよい水準にあるのだけれども、無償の義務制にはなっていない、あくまで有償で進学は個々人の選択です。イタリアは10年制義務教育まで、去年、おととしあたりこぎつけたのです。そこのところは、大きな改革の真っ最中にあります。


【篠原】 どうもありがとうございました。それともう1つ、私は1970年(昭和45年)に初めてイタリアに行きました。それから3年間続けて行きまして、ローマやナポリに行くと、6歳か7歳ぐらいの子どもがたくさん「ペンを買え」とか「お金くれ」とか言って寄ってきます。そしてびっくりしたのは、ブローチのカメオの工場に行くと小さい子が働いているのです。それで私はマネージャーに「この子たちを学校に行かせなくていいんですか」と言うと嫌な顔をして、「カメオは小さいから、小さい子どもに彫らせるのがいいんで、大人になるとああいう芸術的なことはできないからこれは特殊だ」と言うのですけれども、非常にショックを受けました。先ほどの先生で、「小学校に学校に行けるのも非常にばらつきがあって、全部が義務的に行っていない」と。私も本当にあのショックは忘れません。今もそうなのでしょうか。


【佐藤】 ラヴォーロ・ネーロというイタリアの闇労働市場はもう本当に世界に名高いぐらいの建前と実態の違いというのがあって、どこでどのような仕事をしてお金を稼いでいるのかよくわからない世界があります。ですから、貧困というのも文字通りにはとれないのかもしれないということが逆に言えるのかもしれません。

私が80年代にイタリアに留学したときにも、今おっしゃったように、みんな道路で年端もいかないような子どもが物を売っている世界でした。今はそういうことはさすがに見られなくなりましたけれども、やはり中学校をドロップアウトしている子どももおりますので、そうした子たちは何らかのかたちで法の目をくぐって──もちろん、法は15歳までの就労を禁止していますが──働かざるをえないのではないかと思います。

また、役人と学校がイタリア社会でばかにされているというのは、コネ社会であったり、何でも建前と本音を使い分ける社会であったり、見て見ぬふりをする社会であって、南へいけば行くほど役人はそういうことには目をつぶるということが一般には言われていますので、アフリカ的な世界と北欧的な世界が同じイタリアの中で一緒に国といっているような不思議な社会です。

少年労働というのはなかなか実際にはなくなっておりませんし、移民に連れて行っている子どももいます。移民に入ってきている子どもの多くは就労しなければ生きていけないわけですので、そうした子たちも働いているでしょう。ここで写真に出ているような小さい子たちもみんな昼間は働いていると想像できます。

ですから、日本のように単一の民族で役所の目がなかなか盗めない社会になっていて、きちんと法を律儀に守るような社会―それでも不登校の子どもたちはたくさんいるわけですが、ましてやイタリアのように入り乱れていくらでも法の網の目を抜けられるような社会、無法とは言いませんが、立派な法治国家であってローマ法王がすぐ出てきたり国会ではとうとうと政治家が議論している姿と、この闇労働というような実態とが本当に1つの国の中であります。私も三十何年もイタリアを行き来しましたが、どこまでイタリアの本当のリアルな姿に迫れているのか、自分自身でも自信がないです。


【篠原】 ダブルスタンダードということですね。


【佐藤】 そうですね。だからこそ、したたかなイタリア人という感じもしますし、本当に人から物を盗むのも、人を傷つけずに巧みに盗む人たちがたくさんいるとか、生きるためのしたたかさや悪知恵の働かせ方というのは、やはりイタリアならではの社会というものはあります。

それと、先ほどのキリスト教の問題であったり、この人道的な社会運動であったりというのは、同じイタリア人として共存している、同じイタリア人なんだというところが面白いというか、人間というのは本当に計り知れないものだなということをいつも思います。


【橋都】 いかがでしょうか。もうお一方、どうぞ。


【B】 どうも、興味深いお話をありがとうございました。先生は日本の事情とイタリアの事情と両方ご存じでいらっしゃったので面白かったです。質問ですが、先ほどのお話の中のボランタリズムで、いろいろなNPOやさまざまな活動をしていて、その活動資金が寄付によって賄われていると、私も何となくそうだとは思うのです。翻って、例えば日本のそういうときに寄付というのは少ないような気がするのですが、日本人はそうしたところではケチでなかなか寄付をしないと思っているのですが、それが実際にそうなのかということと。それから、宗教の違いもあるかもしれませんがその違いは、例えば、日本人が寄付をしないという場合には、イタリアと比較しての差はどこから出てくると先生がお考えなのか教えていただきたいのですが。


【佐藤】 NPO法制が日本でできたときに、寄付というものをどのようにとらえるかという議論がいろいろありました。特に、神社や仏教のお寺になされている寄付は結構膨大です。そのお寺が幼稚園をやっているなどと考えると、向こうのキリスト教のような感じで、日本で私たちは日常あまり仏教徒や神教徒であると意識はしていませんが、神社のお祭りの寄付というのは町会で回ってきて皆さん寄付していますね。千円札を出している方も多いと思います。そのようなことを算定すると、実は日本が本当に寄付をしない社会といえるのかどうか、NPO法制ができたときに議論になって、なるほどと思いました。

イタリア人もお金のない方、ホームレスのような方が教会の門前で物乞いをされていて、そういうところにはやはりその教会のミサに入るときに寄付をする人はすごく多いです。ですから、それで食べている人たちは結構いますので、やはり教会と結び付いた慈善行為としての寄付というのがあって、その教会にある種対抗するような社会運動の中で人民の家のような仕組みが作られてきて、またもう1つの会費制の運動体になってきています。では、それが日本の場合はどうなのかというと、例えば、生協などの組合員の出資というのは実は結構膨大な額になっています。

ですから、本当に日本人が寄付をしない民族で、イタリアはそのようにみんなが寄付していると単純に理解していいのかどうかは、私は専門家でもないので分からないのですが、日本人もかなり寄付をする国民というふうに、日常性を振り返るとそうした側面もあるのかなという気がします。


【橋都】 佐藤先生、大変面白いお話をありがとうございました。質問にもいろいろバラエティーがあり、大変興味深い質問も続出した講演会であったと思います。では皆さん、もう一度佐藤先生に拍手をお願いしたいと思います。どうもありがとうございました。(拍手)