EXPOとイタリア

第409回 イタリア研究会 2014-07-25

EXPOとイタリア

報告者:ミラノ万博日本館企画委員長 彦坂 裕


第409回例会

・日時:2014年7月25日(金)19:00-21:00

・場所:南青山会館2F大会議室

・講師:彦坂 裕 ミラノ万博日本館企画委員長

・演題:EXPOとイタリア

 

【橋都】皆様、こんばんは。イタリア研究会運営委員長の橋都です。それではこれから第409回のイタリア研究会の例会を始めたいと思います。皆様も、既にご存じかと思いますけれど、来年の5月から10月の間、ミラノで万博が開かれテーマは「食」ということが決まっております。そこには、日本からももちろん出展があるわけですけれど、それについての今日のお話です。

 講師は、彦坂裕(ひこさか ゆたか)さん。ミラノ万博の日本館の基本計画策定委員会の座長務めておられます。ご経歴をご紹介いたしますと、彦坂さんは、東京大学工学部都市工学科のご出身で、修士課程を卒業された後、株式会社スペースインキュベーターの代表取締役を務めて、千葉大学の講師もしておられます。これまで万博関係では、2005年「愛・地球博」日本政府館のクリエイティブ統括ダイレクターを務め、2010年の「上海万博」では、日本館のプロデューサーを務められました。今回のミラノ万博で、日本館の企画の中心となって、活躍されて、これからも、日本館の企画を中心になって担当されている方です。

 これまでに著書としては、「シティダスト・コレクション」「建築の変容」「バロック的」「音の百科事典」など多数ありますけれども、建築、都市工学だけにとどまらず、そういった非常に広い分野でのご活躍をしておられる建築家あるいはクリエイターとお呼びした方がよろしいかもしれませんけど、そういう方です。来年のミラノ万博、我々も大変楽しみにしておりますけれども、それについてお話をお願いしたいと思います。それでは、よろしくお願いします。


【彦坂】皆さん、こんばんは。今ご案内があった彦坂です。橋都先生とは、このミラノ博日本館のサポーターというのを約百数十人、全国にいらっしゃるのですが、ご一緒させていただいています。その関係で、今日、呼んでいただきまして、ミラノ万博について、日本館について話せということだったんですが、内容的には今、画面に出ているサイト、上がミラノ公社のサイト、下が日本館のサイトなのでご参照ください。

 現在、日本館は、とくに業者選定の最中であったりするためなかなかその企画内容を公表できない諸事情がありますけれども、そのなかでも、なるべく出すような形でこのサイトは作られています。上の方は、これは日本だけではなくて、ミラノの万博全体がどんな感じになっているのかが、一応アクセスしていただければミラノ博の全貌がわかるという状態です。

 今日もそうですが、イタリア研究会の、これはよくこちらでやられるんですか。


【橋都】イタリア研究会、そうです。


【彦坂】これは、農水省の共済会館なので、テーマと関連ありますね。ミラノ万博の日本館出展は農水省と経済産業省の2省が初めて組んでやっている万博なので、そう意味からしても、結構、縁があるのかなという気がいたします。

 最初に、少し皆さんにご案内したいことがあります。ミラノ万博のテーマは「食」とか「農」です。食とか農がテーマになっている万博というのは、万国博覧会という制度が始まって164年間経ってますけれども、これが初めてです。普通は科学技術や芸術、明るい未来とか、人類の進歩と調和というのがありましたけど。食あるいは食の生産ということを基幹に据えたのは、今回初めてになります。

 皆さん、世界に7ヵ国、美食の国があるってご存じですか。美食大国ですから、当然、アメリカなんか入ってませんよ(笑)。それは皆さん、ぴんとこられるでしょうけれど。これには異論があると思います。それぞれに国には最高の料理、特殊な料理含めて最高の料理が本当においしいものがあるんだと思うんですが、やはり高級な料理も庶民的なものも、ものすごいバラエティがあって、その国に行くと、たいへん食文化が楽しめるという意味も含めた美食の国というのは、7ヵ国あるというふうに言われています。

 イタリア、フランス、それからヨーロッパではベルギーです。あと4ヵ国は、ほとんどアジアに集中しています。一つは日本、それから中国本土はなくて、台湾がそうなんです。それから香港。これも香港といっても、私がこの話を聞いた時は、まだ香港は今のような中国の傘下ではありませんでした。それと、今暴動が起こっているタイですね。この7ヵ国が世界の美食大国であると。これは私が30年以上前なんですが、たまたまシンガポールで、リ・クアンユー(李光耀)さんにお会いしたときにうかがった話です。彼は大変な美食家なんですね。だから自分がシンガポールに帰る前には、必ずこれらのどこかの国に寄ってから帰るんだ。旅の最後というのはうまいもの食わないと幸せな感じがしないと。あなたは、日本に帰るから別にいいんだというようなことを言われていました。その美食大国であるイタリアがあって、しかも美食大国である日本が出展するということもあり、今、イタリアでも、日本の出展は大変期待されているようです。 日本人だと、真面目なので、スケジュール前倒しにして早く申請をして早く着工するでしょう。他の国は現在全くやっていない。ということもあって、そういう意味でも喜ばれています。

 この前、ミラノで聞いたのですが、イタリア人が外国の食事を食べるというのは、大体、日本食のことをいうらしいんです。他にも中華料理とかいろいろあるじゃないかと思ったんですが、外国の飯を食いに行くという時は、日本食を食いに行く。しかし、皆様ご存じのとおり、イタリアで日本食を経営している80%ぐらいはもう中国人もしくは韓国人なんですね。ですから、本当の和食かどうか疑問ですが、そういうことを考えると非常に複雑な感じがいたします。

 実は、昨年12月に和食が世界遺産に登録されました。基本は、懐石料理とおせちです。懐石というのは日本の食文化をトータルに示せる本格的な日本食。おせちというのは、各家庭がそれぞれ趣向を凝らして、とくに発酵食品とかそういうものを使いながら、保存性のいい食べ物を、しかも見てくれも素晴らしい料理です。

 今ヨーロッパで、とくにフランスでは「出汁(だし)」が注目されています。だしっていうのは、小魚とかきのことか昆布とかとりますけれど、割と鰹節でとりますよね。私と同じ委員やっている服部幸應(はっとり ゆきお)先生が言われていますが、鰹節というのはモルディブで生まれた。モルディブで生まれて琉球に来て、それから日本に入ってきた。琉球の時に、青かびをつける。青かびをつけることによって、これが素晴らしい風味と奥行きが出て来た。しかし今、EUは青かびがあるので、日本の鰹節を輸入できないという事態になっている。

 だしをとるには、軟水じゃないと取れません。京都は基本的に軟水です。ヨーロッパは、軟水はヴォルビックしかない。ヴォルビックですら、京都の軟水から比べて非常に硬い。だから、我々が、例えばここの中で、レストランやりましょうとかなんとかいっても、いろいろ調達レベルでものすごいハードルがある。やっと、和牛の一部が解放されたとか、皆さんもご存じの通り、やっぱり、東日本で原発事故がありましたから、海産物を仕入れるのも限定がつく。かなり厳しい状態になっておりますが、だしだけでなく、よく言われるのは、魚の血抜き。世界で一番生食文化があるのが日本。ですから食物の管理や流通、保全技術もすごい。発酵食品はいうまでもないですね。これほど発酵食品に多様性がある国はほとんどないです。それから、和菓子。和菓子というのは油を使わない。ですから、そういうところに、日本食は健康だという印象を皆さん持っています。

 それを作る生産の基盤である農業を考えてみても、日本の緻密な水田の水路計画とか、田畑の計画というのは、環境維持に非常に役立っている。漁業もそうです。今、世界中で、魚を食べるようになりましたけれど、魚食文化が一番定着しているのは日本ですよね。漁業で、例えば鰯を獲る。鰯を獲って、次の年に獲る人が、決してその量が減らないような形で今年の鰯を獲るというのを、サステナブル(sustainable)と言います。よく環境で、サステナビリティ(sustainability)とか、サステナブルな社会を求めてとかいいますよね。ササステナブルというのは、漁業言語です。それをもっとも体現していると言われていたのが、日本の漁業です。

 さらに年中行事や神事と食が結びついている。地鎮祭なんかでやって、神饌がありますが、お酒とか米とか水とか野菜とか、そういうのを神に供えますよね。そういう宗教的なものとも絡んでいる。それから郷土料理もすごい、地酒もある。一方、カップラーメンやインスタント食品など、とにかく世界の食事情に対して寄与している。イタリアでもおいしい、それから郷土料理とかローカリティを重視する。向こうではスローフード系になるんですけど。というようなことでも日本と親和性が高く、かなり期待されているというような状況であります。

 次に、万博ですが、皆さん、万国博覧会といっても、まあ何かそんなのがあるなという感じでしょうけれど、第1回は1851年、ロンドンでありました。それからずっと、戦争で一時途切れたりはしましたけれど、現在に至っています。万国博覧会というのは基本的に「登録博」と「認定博」という二つの種類に分かれます。

 登録博というのは、大きい万博というふうに考えてください。大体、会期も半年ぐらいあります。認定博というのは、会期は短い。大体、3ヵ月が多いです。もちろん半年になるものもあるけれど、大体3ヵ月。しかもテーマは、非常に限定されて入場者数も少ない。日本でいえば、大阪万博と愛知万博が登録博で、その間にあった沖縄海洋博、つくば科学技術博、大阪花博というのは認定博になります。ミラノはその意味では登録博に位置付けられています。

 万国博覧会は、イギリスでは、「グレイト・エクスポジション」と言います。これがヨーロッパにわたると、ヨーロッパは英語じゃないですけれど、「ユニバーサル・エクスポジション」になります。アメリカにいくと、「ワールド・フェア」というふうにいわれたりします。

この万博を扱っている条約機構はBIE (Le Bureau International des Expositions)という組織があります。昔の万博、例えば19世紀の万博の頃は新聞もあるかないか、ラジオもない、テレビもない、インターネットももちろんない、何もないところで、世界のすべてがそこにあるという非常にショッキングな体験だったわけですね。今の万博っていうのは、情報を知ろうと思えば、何でも取れちゃう。自分が行ってもいい。そんな中での万博に、目新しいものを集めたりなんかしたってしょうがないというような、いろいろなこともあり、1990年半ばにBIEが決議を出しました。これからの万博というのは、地球、人類共通の地球環境問題、地球に起こっている問題というものをともに考えようと、そういう場にしていくんだという決議が行われました。それの最初が愛知万博です。愛知万博は、「自然の叡智」というテーマでしたけれども、従来の国威発揚型のそういう万博とは違って、市民参加もあり、いろんな人たちがそこで地球の問題を考える万博になった。その最初が愛知万博で、1500万人入場者数予定だったのが、2200万人来て大成功した。

 その次の認定博、「水と持続性」というのをテーマにしたサラブサラが2008年に小さい万博をやった。2010年には都市をテーマにした上海万博という、史上最大の万博がありました。大阪万博は6400万人集めたんですが、6400万人というと、今の1年間の羽田空港の乗降客数です。上海万博は7000万人でした。 上海の後に、よす(麗水)、ここで生きてる海岸線、生きてる海洋をテーマに、小規模の万博が2012年にあった。

 その次がミラノ万博です。正確にいうと「地球に食糧を、生命あるいは人生にエネルギーを」というのがテーマで、来年2015年開催予定です。

 この後、2017年にはカザフスタンのアスタナで、未来エネルギーの万博が開かれる予定になっています。その後、東京オリンピックがある2020年に、ドバイで大きい万博があります。

 先ほど、地球環境の問題とか人類共通の問題を考えるということですから、このミラノの万博もそうですけれども、単においしいものが並んでいるとか、美食の博覧会ではまったくない。美食といった方が人は集まりやすいとは思います。だけど、本当はそうではない。

 今、世界に10億人以上飢餓の人がいます。それから10億人以上、飽食で病んでいる人がいます。それから、食糧というのはロジスティックというか、運ぶ段階で3割以上失われます。

 さらに食物廃棄の問題もあります。世界で一番食べ物を捨てているのは日本です。コンビニの弁当、消費期限が終わったら、ぱっと捨てちゃうでしょ。食べれるのに捨ててる。一方、食べれない人がいるという状況が同時存在している。もう一ついいますと、地球温暖化の問題があります。IPCC(International Panel on Climate Change)という気候変動に関する政府間のパネルがありますよね。

これによると、2100年には地球の平均温度が4.8度上がります。それを2度以内にする、そのためには何をすればいいかっていうのを議論している。これは2000年比に対してなんですが、1度上がるとどういうことになるか。異常気象が起こります。日本でも最近、ゲリラ豪雨、竜巻が起こった、雹が降った、とかありますね。これ全部そうですよ。1度上がるとこれぐらいのことはすぐ起こる。2度上がるとどうなるか。食糧がどっと減産します。3度上がると、生物多様性がほとんどなくなります。4度になると、食糧をめぐる安全保証の問題が世界中で起こると言われています。宗教によってもない、イデオロギーでもない、食べ物を得るために戦争が起こる。それが今2100年に4.8度といわれています、つまり、そういう問題を背後に抱え、一方で、また食べられない人がいて、一方で飽食の人がいて、捨ててるやつもいて。そういうものに対して世界中の人びとに持続的に、安全にいかに食糧を届けさせられるのか、ということが本当のテーマです。入口として、美味しいものはありとかですね、そういうものがあってもいいとは思うんですが、そういうふうに考えていただくといいかなというふうに思います。

 ということをベースにこのサイトを見ていただくと、よくわかると思います。


<サイトの指示後、サイトを使用しての説明>

 イタリアの万博です。こっちにE42と書いてありますけど、「エスポスツィオーネ・ウニバルサーレ・ディ・ローマ」(Esposizione Universale di Roma)の頭文字をとって「EUR」でエウルという、今ローマの南にエウル地区ってありますよね。常設博覧会場です。何でこれを並べたかというと、ミラノ万博というのは、イタリアの最大の万博になります。本当は、こっちの方がもっとでかい万博だったんですが、戦争で頓挫しました。イタリアはでかい万博だめなんですよ。これは不思議。まあ皆さんは、そうだろうなと思われる方いらっしゃると思うんだけど、フランス、イギリス、アメリカ、日本、などは国あげて万博を支援し盛り上げる。絶対やんないよね、イタリアね。何度も公式式典に出ましたけれど、出てくれるのはせいぜいロンバルディア州の州知事ですよ。ミラノ万博もどうしてもロンバルディア州の祭りという感じです。つまり、イタリアというのは、サローネ文化もありますし、街全体も展覧会場のようだし、各種展示会もしょっちゅうやってるわけですよね。国あげて今さら何やるのみたいな話があるし、それから大体、国なんか信じてない。あるのは地域であり、自治的な都市です。そうなると、国家をあげてというのはほとんどなくて、唯一、このムッソリーニ(Benito Mussolini)の時のエウルがそうだったかなということで、ちょっと挙げました。

 昔の1000リラ札です。皆さん、懐かしいなと思われる方いらっしゃるかと思いますけど。これマリア・モンテッソーリ(Maria Montessori)が印刷されています。マリア・モンテッソーリは素晴らしい教育家です。今モンテッソーリ教育って多いんですけども。その人が見ている風景というのは、その人の人生を支配し、その人の思考を支配するんだ。時として、その人が見た風景というのは、その人の人生を突然変異のように変えてしまう。その人といいましたけど、彼女は幼児教育の専門家ですから、子どもたちに適用したわけですね。園児とかちっちゃい子、子どもとか難しいものを見せてもわかんない、どうでもいいというんじゃなくて、子どもに本物の部分、万物万象を見せる。それが記憶に蓄積される。ひょっとしてそれが現像しないかもしれない。だけど、30年後に突如、現像するかもしれない。世界的なアーティストになるかもしれない。ということを言った教育者です。

 この方の、いろいろそんなに本があるわけじゃないんですが、なるほどと思いました、まず今日はイタリア研究会の方々ですから、イタリアについては、皆さん私なんかよりも数倍ご存じの方ばかりだと思うんですが、私が見たイタリアというのを、一応最初のエピソード的に、こんなこと考えているやつがしゃべってるというふうに考えていただいても結構ですけれども、ちょっとお示ししたいということもあってこの人を出しました。

 エピソードは10個あります。まずスケール。僭越ですが、昨年、いろんなもののスケールサイズ、大きさをまとめた『夢みるスケール』という本を作りました。もともとは、だいぶ前に、小さい息子に、ものの大きさを伝えたいと思ったのがきっかけです。人間というのは、自分の人体寸法というのは定規なんですけれど、必ず皆さん、何かサイズに関する尺度を持ってらっしゃるんですよね。その中で、いったいイタリア的なものってどのくらいあるんだろうというのを、もう一回、自分の本をひっくり返して、見て並べたものをエピソード1とします。

 実は、これはローマの地図で、左は17世紀のジョヴァンニ・バティスタ・ノッリという人が描いたちょっとゲシュタルト(Gestalt)的なローマの地図です。真ん中が、18世紀のジョバンニ・バティスタ・ピラネージ(Giovanni Battista Piranesi)という人が描いた図なんですが、これはちょっと、古代ローマを彼なりに復元したので、架空のものです。こちらは現代のローマ。パンテオン(Pantheon)という有名な施設の位置だけ同じです。これが大体200メーターというところから、ちょっと入っていきます。 以後、私が描いた図をスケールの尺度にしますが、緻密な絵を描かれる橋都先生の前ではお恥ずかしいかぎりなんですが、寸法を比べてるだけとしてご理解ください。ダビデ(David)像。ダビデ像は、4メーター30センチから4メーター10センチぐらいです。フィレンツェのシニョリーア広場(Piazza della Signoria)にレプリカが建っていますよね。あれを覚えていると、大きさを考える尺度になる。横倒しにすると大体車の長さですから。そういうようなものです。

 これはダヴィンチ(Leonardo Da Vinci)の「受胎告知」です。これは寸法が2メーター15センチの98センチ。僕はダ・ヴィンチの受胎告知というのは割と好きなんですが、それが頭の中にあると絵の感覚で他の絵を見る時、定規になる。

 これは、両方ともミラノの北のコモという街にあります。上は、サンテリア幼稚園。。これはピカソ(Pablo Picasso)の「ゲルニカ」。ピカソのゲルニカは、高さが3メーター50の横が7メーター80ですから、このくらいに収まってしまう。これは、カサ・デル・ファッショ(Casa del Fascio)、ジュゼッペ・テラーニ(Giuseppe Terraghi)という方が両方とも設計したんですけれど、それと14メーターぐらいの高さのビルです。これは現存してます。こういうのものが建物を考えるときに定規だったなというんで、思い出して載せてます。

 ここにあるのはヴィチェンツァのテアトロ・オリンピコ(Teatro Olympico)というパラディオ(Andrea Palladio)が作った劇場、もともと野外劇場を屋内化したような劇場です。これは間口が20メーターぐらいなんですね。これは厳島神社の鳥居。これが岩瀬家という、五箇山の合掌造りですね。下にあるのはロッキード・スターファイターなんですが、大体、戦闘機って18メーター前後なんですよ。であるので、「ガンダム」とか「鉄人28号」って、大体18メーターで作ってある。中に入れると、こんな感じ。これはダ・ヴィンチの「最後の晩餐」です。

 こんな比較をしているんですね。これ、ミラノのガエリア(Galleria Vittorio Emanuele Ⅱ)です。30メーターくらい天井高があります。これ原発の原子炉。これサマラのミナレット。これミラノのガレリアは十字形で、幅員14メーターで110メーター、190メーターで十字形になって、ドゥオモ広場につながっている。あのドゥオモの高さって、108メーター。500年かかって造った。これ息子に聞いたんですが、今日、公開のアメリカの「ゴジラ」の身長が108メーター。だからあのドームの高さだという定規になります。

 これは橋です。ポンテ・ベッキオ(Ponte Vecchio)とか、リアルト橋(Ponte di Rialto)。これは錦帯橋、これは御茶ノ水の聖橋。これは先程ご案内したパンテオンです。直径43メーターの球が内接します。

 いかにイタリアには私の中の定規が多いかということですね。これは、カプリ島にあるマルパルテ邸(Villa Malaparte)という住宅です。これはピサの斜塔(Campanile di Pisa)、55メーターぐらいあります。太陽の塔って70メーターあるんですよ。福島第一原発の3号機、こちらは46メーターぐらいなんです。

 これは、僕が割と好きなアルド・ロッシ(Aldo Rossi)という建築家、もう亡くなりましたけれど世界劇場という20数メーターの移動型の劇場ですね。奥にいるのが「クイーンエリザベス2世号」。

 これは、ここの下に、ローマのミケランジェロ(Michelangelo)が作ったカンピドーリオ広場(Piazza del Campidoglio)があるんです。ここからローマ市街が一望できます。広場の楕円の長径が、大体、長径が60メーターぐらいあるんです。ここにあるのは、国際宇宙ステーション、これサッカーコートぐらい。108メーターの70数メーターですから。これナスカのハチトリとか、比べると大体こんな感じで、ああなるほどというのがわかります。

 スケール比較ははまると面白いですと(笑)。これは、ウッフィツィギャラリー(Galleria degli Uffizi)ですね、上は三十三間堂です。ギャラリーは140メーターあります。これはボロブドール、これは出島で、こちらはイージス艦で、ミラノの郊外にガッララテーゼというさっきのアルド・ロッシという方が造った集合住宅がありますけれど、それがこれぐらいの長さです。

 これはパリのヴォージュ広場、これはイタリアのシエナのカンポ広場。これはサンマルコですね。それから、ポンペイのフォーラムがこんな感じ。こちらはサンマルコ広場、浅草の仲見世、アメ横、軍艦島、香港の九龍城、伊勢神宮の殿地がならんでいます。大体、このスケールを知っていると、ああこれと比べるとこうだというのが、我々の世界で結構やることなので、イタリア的なものがいかに多いかというのがよくわかります。

 これはサン・ピエトロ寺院(Basilica di San Pietro)ですね。実は、万博でいいますと、ここの球と尖塔のあるのが1939年ニューヨーク博覧会のテーマ館とシンボルタワーです。この球は、1967年のモントリオール博のバックミンスター・フラーのガラスのパビリオンですね。こっち側は架空の計画です。これは、今オーランドにあるエプコットセンターの宇宙船地球号ですが、それとサン・ピエトロが並ぶとこんな感じというのがわかると思います。上に浮かんでいるのはヒンデンブルグ号で、大体こんな感じですね。

 一方、これが先ほど言ったE42、エウル。こちらが大体、2.4キロ、1.7キロぐらい、400ヘクタールぐらいあるんですね。東京の銀座1丁目から8丁目がこれくらいに入っちゃうぐらいの大きさです。

 これは紫禁城です。EURと同じぐらいでかいのは、アウシュビッツのビルケナウ強制収容所です。

 都市比較ですが、これはフィレンツェ、こっちはニューヨークですけれども、やっぱりパターンのみならず、生活圏のスケール感が、

だいぶ違うなというのがよくわかればというのがまず。いかにイタリア的なものが、そういうスケールの定規になるものが多いかということです。

 次にエピソードの2番目ですが、廃墟と書きましたけど、歴史と一緒に暮らす。隣に廃墟があって、そこで生活をしているというのが、非常に僕は魅力的かなと思って、そういう写真を入れました。

 廃墟ではありませんが、結構旧い、17世紀、時としては14世紀ぐらいのものも含めてあって、その中に現代的なものが象嵌されている。これは廃墟の横に道路が通ってる。我々はこうした歴史的なものはむしろ非日常的なものとして、特殊に観光で訪れるとかしますが、そうではなくて、横にいつもいるわけです。だからそういうところが非常に面白いなと思います。

 これはヴェネチアですが、事態は同じです。

 エピソード3、空間の劇場化。イタリアの街、イタリアの建物は写真撮って、人がいなくても絵になるんです。これフランスだと、人がいないとちょっと調子悪い。イタリアは空間自体が劇場の舞台のようになっている。これはヴァチカンにあるベルニーニがつくったスカラ・レジアという遠近法がかかった宮殿です。こちらはチボリにあるヴィラ・デステ(Villa d’Este)ですけれども、こういうのに関しては、イタリアはもう素晴らしい。イタリアが建築的に世界を席巻したというのは、古代ローマの時とルネッサンスからバロックの時ですが、これは本当にルネッサンスからバロックまでの時に、こういうものが生まれています。

 我々はそういうのに憧れていくわけですね。これなんかも、普通の街の風景ですよ。でも、絵になる。こういう庭もそうです。さっき言ったカプリのマルパルテ邸です。

 これは、イタリアに有名なフェルナンド・ビビエーナという人がいます。17世紀の人ですけれど、親子4代にわたる舞台装置家なんです。いろいろなこの街並みを舞台として造るわけですね。こういう人たちって、結構多くて、さっきのパラディオのテアトロ・オリンピコというのは、大体街が舞台の背景になっています。街自体が劇場の空間になっている。これはフィリッポ・ユヴァーラという人ですけれども、こういう広場に面したところに、〓ショウファサードというものをとりつけ劇場化します。あえて、廃墟のようなものも作る。それは先ほど、廃墟と一緒に暮らしているというのと非常に近い感覚で、こういう舞台をつくっていくというのが非常に特徴的だなというふうに思います。

 4番目、ピラネージ。ピラネージについてはもう言うことはないでしょう。古代ローマの擁護者ですよね。いかに古代ローマが素晴らしかったかということを喧伝していくわけですが。

 これなんかも、ひとつのシーンですね。

 先ほど、ちらっと出た地図というのは、この中の一角です。これはテヴェレ川(Fiume Tever)を中心にに、ほとんど彼が独創的に、古代ローマというものを再構築した例ですね。

 5番目は未来派です。18世紀のピラネージから、いきなり20世紀の未来派に飛ぶのは、19世紀っていうのは、ほとんどイタリアって、影が薄いんですよね。19世紀のイタリアって面白いという人もいるんですけれども、まず産業革命がない。ないと言ったら怒られますけれど、イギリスやフランスに比べて、圧倒的にその辺が違う。

 未来派は1910年代に生まれました。首謀者は、マリネッティ(Filippo Tommaso Marinetti)という人で、象徴派の詩人ですが、最初に宣言文出したのはフィガロ、それからイタリアの新聞に出したわけですね。未来派というのは実は二つあって、ロシア未来派ってあります。ロシア未来派はちょっと説話的で、イタリアの未来派と違う。イタリア未来派の特徴は、まず電気。これは、ある意味、エネルギー。動力エネルギーというものに対してイタリアっていうのは、ヨーロッパの中で水力発電は頭抜けてよかったわけです。

そういう産業的背景も含めて、電気っていうものにものすごく従容します。それからもう一つは、飛行。空を飛ぶ。それからもう一つは、スピード、速度。この3つを運動の中核に据えた、非常に短かったけれども素晴らしい運動であったと思います。

 建築的には、サンテリアとか、キアットーネとかいろいろいます。実作ないです。唯一、サンテリアがスケッチしたやつで、それをさっきのテラーニという人が実施設計をやって作った、戦没者慰霊碑という30メーターぐらいの高さなんですが、コモ湖の入口に、ヴォルタ博物館(Tempio Voltiano)の隣にあります。

 実はこれ、たまたま「速度と都市」ということで、別のレクチャーの表紙です。ポール・ヴィリリオというフランスの学者の人の論旨を基幹にしてたんですけれども、未来派がスピードをやってるもんですから、この中に未来派も出てきて、随分、私も使わせていただいているという参考例です。ここにドロモスってありますけど、ドロモスというのはギリシャで、若い人が走ってますけれども、走る人、若い人、活力のある人をドロモスっていうんですね。だから速度学ってドモロロジーというんです。イタリアにドロミテ航空ってあるでしょ。ルフトハンザかなんかの子会社。同じ語源です。

 6番目は、グラフィズムをもつ広告芸術いうことですね。さっきのこれがカサ・デル・ファッショなんですが、こういうグラフィックを非常にうまく使って、これは街の計画のすべて含めて、こういうものをハイスタイルな芸術として使う。これは20世紀のイタリアで流れると合理主義ということなんでしょうが。そこの人たちのものに多いです。

 これなんかもそうですね。これはいくつかのファシズムの展覧会とか、ブリュッセル万博ですけれども、こういうイタリア館なんか見てくると、ものすごく、グラフィズムに支配されている。そこがまた、ある意味、洗練されているというふうに映るところもあります。

 そのグラフィズムが別の方にいくとですね、こういう形而上的なものにすっといくというのがあって、これが7番目ですが、有名なのは、キリコですね(Giorgio de Chirico)。キリコの絵、それからマリオ・シローニの絵。これなんかはそうです。ピエロ・ゲラルディというのは、大体、フェリーニ(Federico Fellini)の絵のセットをほとんどやっている人なんですが、そんな感じのものも多い。

 現代建築家でいうと、先ほどから再三出ているアルド・ロッシという人が、その辺に近い。形而上的風景を作るということは目的ではないんですけれども、建築をもう初原的な言語に解体してもう一回作り直すんだというような試みです。で、結果としては、やっぱりこんな風景ができてしまうというのがあり、私も随分影響を受けているものです。

 8番目がアヴァンギャルド。ここでは、スーパースタジオというアドルフォ・ナタリーニが指導しているグループを出しますが、60年代、70年代からラディカルデザインとして知られている。そのうち皆さんご存じのソットサスとかメンフィスとか、そういうデザインの先進的なところに繋がってくわけですが、そういう試みが随分ありました。

 まあ、こういう感じですね。これは実作です。実作というか、

 9番目、手作り。手作りの職人性みたいなのがあってこれは日本に似ていますよね。手作りということと職人性ということに関しては、イタリアはかなり突出していると思います。ちょっとこれはあまり写真では揃えられなかったんですが、人間の心理に触れる奥深い優れたもの出しています。

 エピソード10で最後。政治的形象。政治的形象とは言いましたが、ここに出ているのはほとんどムッソリーニの時代のものばかりです。トリエンナーレの会場とか、ヴィットリオ。ムッソリーニが立つ場所ですね。ここがコロセウムです。設計はテラーニ。

 これは、ダンテウム(Danteum)計画。これもジュゼッペ・テラーニです。都市のど真ん中に文化施設を置くというのは、ものすごい戦略的意味があって、ドイツ空軍もアクロポリス爆撃しなかったですよね。それからベルリンでツォーという動物園、都市のど真ん中にあります。都市のど真ん中に世界中の、ひょっとしたら敵国になるかもしれない象徴的動物を全部集めて、文化的環境を作る。要するに抑止力になる。そういう文化的なベクトルと、もう一つはドイツにあるルドルフ・シュタイナーという人が作っているゲーテアーヌムというのがありますね。これはヒトラーが敵視してたところなんですが、ムッソリーニはそれをも取り込んで、うちはダンテだということで、文化施設を都心に計画した。実は結局できなかったんですけれども、テラーニが構想を描いたものです。

 最後、これは和解通り。これは1937年、サン・ピエトロ寺院を上から見た定点観測です。これ現在、テヴェレ川の横、大体ここから400メーターぐらいで川まで行きます。ムッソリーニの時代に、いちばん大変だったのはヴァチカンと和解することだった。ヴァチカンと和解するために、サン・ピエトロ寺院をローマ都市計画に組み込むんだというようなことでさんざんやった結果、できたのがこれです。で、和解通りと言われていますね。実はこれは、今だとああという感じで、ここから団体バスで来るような空間なんですが、本当は、この中世、近世の狭い路地からここの空間に出た時って、本当に素晴らしかったと思う。こうなったとたんに、ある意味で、ここの空間性が失われたというように言われている。

 歴史が身近にある。芸術が身近にある、政治が身近にある。我々は、歴史というとどこか神社仏閣、芸術というとどこか美術館行きましょう、政治になると、どこか国会でやっているとか議会でやっている。そうじゃない。自分の生活に寄り添っている、だから、カフェで政治談議をし、芸術談義をし、当たり前なんです。どちらがいいということではないと思うんですが、そういう特質があるという国で、我々は日本館を出展するわけですね。 ということで、次、万博について、簡単にご説明します。

 万博というのは、国際的イベントシステムと呼ばれています。国際的イベントシステムとは何かというと、超法規的な措置がとられる。それから、もう一つは国際レベルでマスメディアの露出がある。この二つが特徴的です。これによって何ができるか。一つは、そのイベントを行うことによって、地域開発とか都市開発、インフラができる。それから新しい産業が生まれる。新しい芸術の形態とかライフスタイルが生まれる。新しい業際価値だったり、人材交流が生まれる。ツーリズムが促進される。経済波及効果がある。結果として、近代化と情報開示が行われる、というのが国際イベントシステムです。

 1964年のオリンピックの時には、皆さんご存じのとおり、新幹線ができて、首都高速ができて、原宿の表参道ができて、そういうインフラ系ができると同時にたくさんの民事施設ができましたよね。だから本当は、今のインフラできたところはオリンピックなんかやらない方がいいんです。新しい開発途上の世界で、まさにやるべきなんですけど、そういうイベントシステムがある。

 この典型的なものが、万国博覧会、近代オリンピック、ワールドカップ、F1なんですね。それぞれ条約機構があって、万博はBIE、オリンピックはIOC、ワールドカップはFIFA、F1は、FIAというのがあります。この中で、しかしワールドカップとF1というのは選抜ですから、各国が出られるわけじゃない。予選勝ち抜いたものしか、最後出ないです。

ところが、万博と近代オリンピックというのは、その場で各国が全部出る。やはり近代化の国際イベントシステムとしては、この二つかなというのがあります。もう一ついうと、万博以外はみんなスポーツなんですよね。スポーツというのは、ここまで行くまでに予選やるでしょ。世界大会とか。だから盛り上がるんですよ。万博はそういう予選ないですから、突然始まって、えっやってたのみたいな話が随分多いんで、その辺、我々苦労するところではあるんですが。まず、そういうようなシステムであるということです。

 そのBIE、パリに本拠地があります。1928年にできた組織ですね。

 これですね、私と一緒に写っているのが、今、事務総長をやっているヴェセンテ・ゴンザレス・ロセルタルスというスペイン人です。「愛・地球博」の時に、パビリオンで金銀銅メダルを作ったんです。これは、実は1958年、ブリュッセル万博まであったんですが、戦争でずっと中断していた。それが2005年復活した。これは審査員が集まっているところなんですが。皆さんが、オリンピックで金メダル、銀メダル、銅メダルといってるのは、元々万博ですから。万博が最初で、それからオリンピックが真似したという状態なんで、万博では、やっぱりやるべきだろうということで、これをもう一回復活させたんです。ミラノでも当然あります。

 産業革命・動力革命・情報革命・環境革命と50年ごとに、荒っぽくいろんな技術革命があって、その中でこれ、メルクマールになる万博なんですが、いろんなものが生まれてきましたよというようなことをちょっとここでお知らせしています。

 万博は会場というのがあって、パビリオン建築、展示空間というのがハードであります。さっき言ったインフラの整備とか、業際価値というのがあるんですが、この会場は、今のテーマパークとかアミューズメントパークというのは、ほとんど万博がモデルになっています。

 パビリオン建築では、総合的なデザインとしては、プレハブだったり鉄骨技術だったり、いろんな寄与をしましたし、要素では、例えば、搬送技術、エレベーターとかエスカレーター、みんな万博ですからね。そういうようなものが生まれてきた。

 それから展示空間としては、様々なプレゼンテーションの形態が生まれてきた。それが新しい建築、新しいテーマパーク、新しいものにどんどんそのレガシーが受け継がれていくというところが一番大事だろうと思います。

 実はその万博というのは、その前の18世紀の風景式庭園だったり、19世紀の循環式近代公園だったりしましたので、ちょっとここの話だけ簡単にします。

 ここの線というのを近代化の線だというふうに思ってください。これは劇場的想像力のあり方を示しています。日本語と横文字がごちゃごちゃになって、ちょっと読みにくいかもしれません。それはお許しください。

 こういう遠近法がきいたやつ、一点から見るのに対して、これは明らかに違いますよね。回遊しながら体験をしていくと。大きく変わった時期というのがあります。これは遠近法を基盤にした空間ができます。ここはアソシエーションを基盤にした空間。アソシエーションというのは、日本語では観念連合と訳します。アソシエーションを基盤にした空間。これはイマジネーションが連続するんであって、空間はばらばらでいいんだということですね、これは歴史家からは、上がヒエラルキーのシステムで、こっちはパビリオンのシステムだというふうに言われています。万博が生まれたのはこれより後ですから、、この辺を基盤に生まれてきているということになります。

 もうちょっと俗っぽくわかりやすい例ですと、ディズニーランドなんかに行って、劇場に座って見ていますよね。そういうのももちろんあるけれども、ライドというのに乗る。ちっちゃいゴンドラみたいなヴィークルです。自分が動いてる。自分が動いていろんなところに行ってる。あれは、ディズニーが南カリフォルニアを自分で車で動いている時に、フロントガラスが劇場のプロセニアムアーチだというふうに彼は思いついたわけですね。

 ということで、そういう個別のばらばらなもの、でも観念的には連続しているものというのがいっぱい生まれていく、それがカタログになってきます。こういうのをファブリックといいます。ファブリックってCじゃないですよ。Cだと布地になります。QUES。通例、複数形で書きます。ファブリケイトっていう、要するに虚構なんですよ。何か意味を作り出す装置です。そういうものをこういう東屋だったり、こういう廃墟だったり、いろんなもの、そういうものが18世紀に大量に出てくるんですね。そういう目で、こういう例えば、東洋の庭なんかを見るとああなるほどそうなってるなというふうには見れるかもしれない。

 これはニューヨーク万博のポスターですね。1853年、1939年、もっと何回もやってますけれど、それの主会場を重ね合わせたものです。こっちは折衷式の庭、これゴシックですよね。これチャイニーズでしょ。これモスリムですよね。つまり本来、出会わないものがそこで同時に同じ場所で出会う。万国博っていうと、いろんなものが来る場所だから、本来、出会わないのが、そこに同じ場所に来るわけですよね。だから、そういうものと非常に近い性格をもつようになります。

 これは1867年、この時はパリで万国博があります。有名なパリのオースマン(Georges-Eugene Haussmann)の都市改造計画というのをお聞きになったことあると思いますけれども、今のパリがほとんど、その改造計画の上にのっています。その時の、実際の絵を描いた人が、アルファン(Jean-Charles Adolphe Alphand)という造園家です。当時彼は公園総監をしていた。この人が、これは劇場のプロセニアムのように、ビュット・ショーモン公園とかサンジャックの塔とか、自分が造ったものなんですが、そういうパビリオン、ファブリックでもいいですけど、そういうものを集めたような絵を描いた。それをパリの中にばらまいていくわけですね。それを結んでネットワークにして、近代都市を成立させるというような計画をやるわけです。そうすると、全体がもう博覧会場のようになってくるわけですね。ちなみに、ここセーヌ川で、ここ楕円がありますね。これがアルファンが指導した1867年のパリ万博の会場計画です。

 こういう形です。この時に、これはでっかいパビリオンなんですが、周りに小規模なパビリオンができてきて、初めてこういうちっちゃいものと、こういう大きいものができた。今の万博では、こういう大きな空間というのは、イベント広場とか催事場とかそういうところにしかないですけれど、当時は、こっちが主会場だった。それがだんだんこういうちっちゃいパビリオン型のものに移っていったという歴史があります。ちなみにこれは、モーターの形をしている。モーターというのは、この頃の最先端テクノロジー。これを廊下をこう一周すると、世界一周できるというような主会場の計画になってます。

 これは、テーマパーク、コニーアイランドですが、遊園地なんかもそういうような、本来異質のパビリオンがぱかぱか建っている。これだってぱっと見たら、どこかの万博会場といってもわからないですよね。

 これは、同じようなドリームランドですけれども、ドリームランドと1939年のニューヨーク博覧会というのはすべてのディズニーランドの元になってます。これは、例えば火災のスペクタクルとか、ベニスの運河とか、

スイスとか、もうちょっとエリア的、現在のテーマパークや幕張メッセとかなんかでやっているのと非常に似ているでしょ。

そういう一番初期的なやつです。これはちょっと20年代に壊れちゃうというか燃えちゃってなくなりますけれども、こういうものがありました。

 これなんかも典型ですね。全然関係ない建築のショウなんですが、設計者がビルの模型をかぶってるんですけれど、こういうふうにキャラクターをもつ、パビリオン自体がキャラクターをもって、ある舞台というか、ある中で成立してるという在り方は、典型的に万国博覧会の会場の在り方なんですね。

 これは別のニューヨークの俯瞰図で、1939年のニューヨーク博覧会のテーマ館の中で、この視点で見るというのは、実際にはとれないレベルなんですが、都市自体がそのようなものとして認識されていることがわかります。

 これは別の例です。1900年、パリ博でセーヌ川沿いにこういうふうに各国のパビリオンが並んだんですね。オーランドにあるエプコットセンターのワールドショーケースというのは同じような形になっています。


エプコットセンターです。さっきの球体、これ54メーターの直径のやつですね。それがいまや、ラスベガスのそれぞれのホテル、カジノというのが、それぞれ一つのパビリオンのように万博会場のようになっていると。しかも常設ですよね。

 これはディズニーです。

 よく、パリの六姉妹といわれる、要するにパリででかい万博が6回あったんです。最初のこれだけが、今、グランパレだとかプチパレといっているところ、科学博物館などがある、そこでやりました。後は全部、シャンドマルス。エッフェル塔がある近辺です。この後にこれがあって、その次にこれがあって、この89年にエッフェル塔が建ちます。90年、セーヌ川沿いを全部使ってやって、37年、戦争前で終わった。街と博覧会場というのが、同質のものになっていきます。

 今度のミラノは、ロウという、ミラノから電車で3つぐらいいったところなんで、ミラノサローネとかやってるところなんで、ちょっと離れてますけれど、東京でいうと幕張みたいなところですね。この時は、都会のど真ん中でやっているということです。

 同じように、これは万国博覧会ではなくて、どちらかというと、住宅博覧会。シュトゥットガルトに今も残っています。近代建築家たちが集まった、ヴァイゼンホフ・ジートルングというやつで、会場の計画の一端を見ることができます。

 これが先ほど言ったニューヨーク博覧会ですね。こういう球体になっている。だからちょっと見ると、エプコットセンターに非常に似ているというか、これをモデルにして造ったわけですね。

 これは大阪、懐かしく思われる方がいらっしゃると思います。これはどちらかというと、建築博覧会だったんですよね。

 「太陽の塔」です。岡本(太郎)さん。丹下建三さんが、お屋根を造り、岡本さんがこの穴を開けるにあたって、大喧嘩してどうやって決着つけたかって面白いエピソードがあるんですけど、これは後ほど時間があったらお知らせしようと思います(笑)。

 これが愛知万博です。「愛・地球博」の場合は2会場あって、これが青少年公園会場、これが瀬戸会場。前者154ヘクタールですが、ゴルフ場2つ分ぐらいです。こっちは日比谷公園ぐらい、大きさ15ヘクタールちょっとです。普通万博会場はフラットなんですよ。ここはフラットじゃないんで、ループをつくって、ユニバーサルに車椅子でも歩けるようにしているというものです。

この時、やっぱり画期的だったのは、エネマネ。エネルギーマネジメントの実験をやった。長久手の日本館ってあるんですけど、これは完全に新エネだけで動かしました。燃料電池と太陽光発電です。1200kVAぐらい。そういうようなエネルギー系のものをかなり入れました。

 これが上海万博ですね。日本館はここ。それから日本産業館はこっちです。これ黄浦江(ふぁんぷしゃん)という長江の支流なんです。川幅が600メーターある。都市河川てもっと短いんですよ。京都の鴨川とか、フィレンツェのアルノ川(Arno)って、80メーター級でしょ。セーヌ川も150メーターで、隅田川で200メーターですから、600メーターは互いに見えるけれどももうほとんど違う会場になってる。全体で330ヘクタールあります。330ヘクタールというのは、東京の新宿副都心4つ分。そのくらいでかくて、ここからここまで歩いているうちに倒れている人、何人もいました。百葉箱で38度という時が、上海の場合は、路面に近いところ45度ぐらいになるんですね。修羅場ですね。

 これは、上海万博のイタリア館。こんな感じだった。

 ミラノ万博の敷地です。周りを堀で囲ってます。ここの大きな道とここの大きな道、十字に造って、こちらに池を造ったり、野外劇場を造ったり、こっち山を造ったりしています。これをはじめて見た時に、京都の町家のように見えるというんで比較してみた。これ京都の町家。実際の京都の町家のスケールを置くと、このぐらいちっちゃくなる。この大通り、デクマヌスという大通りなんですが、幅員が大体40メーター近くあります。この端からこの端まで、大体1500メーター。1500メーターというのは、ワシントンDCにあるスミソニアンモールの端から端までぐらい。だから全然歩けない距離ではないです。上海に比べて全然いいですよ。そういうような形です。全体も90ヘクタール強ですから、上海の4分の1。大きいといってもそのくらいのものです。というのがミラノの敷地になります。こっちに駅があってこっち側がサローネとかなんかやってる展示場の複合体になります。

 ちょっと戻って、1942年、エウル、先ほどでてきたやつの最初の絵です。こういうプランです。1942年というのは、ムッソリーニ政権20周年を記念してやったものです。この軸はずっとローマの中心に向かっているわけです。

 ここにアーチがありますけど、高さ250メーターあって、サン・ピエトロ寺院を軽々と跨げるぐらい大きいというふうに言われています。

 このイタリア文明宮とか、現在残っています。なかなか綺麗なファッションシティになってます。あの頃は、大体エウルだけじゃなくて、フォロームッソリーニ、今のフォロイタリコ。オリンピックもそこでやろうとして、新首都機能をそこに移す、それからチネチッタを作るとかですね、わりとムッソリーニ箱もの好きですから、そういう計画を練っていました。

 日本の1940年です。さっきの2年前。これは皇紀2600年にあたる、今のお台場の方、東京湾と横浜で博覧会やろうとしたんです。東京って万博はだめなんですね。内国勧業博とか、平和博はいいんだけど、大きい博覧会は軒並み失敗しています。明治の頃の日本大博覧会、これ失敗して、その代わりに明治神宮造った。その後に1990年代に東京フロンティアとか、青島さんが潰したやつがありますけど、東京は意外と万博に合ってない。

これのメインゲートは勝鬨橋になります。勝鬨橋から晴海通りから、今のトリトンスクエアのところが主会場になるというのをやりました。だからイタリアも日本も、オリンピックおよび万博両方、ずっと戦争でずっこけたというところは非常に似ていますね。

 万博の場合はどうしても未来ビジョンというのがれ求められる、こういうスケールの多様性とか、さっきのスピード、人工的な自然、記録を積み重ねていくこととか、これ一個一個やると長くなりますので議論は他に譲りますが、そういうものが見られるということです。

 もう少し建築よりに見ていきましょう。これが先ほど言いました、1851年のクリスタルパレスです。大温室ですね。これが非常に素晴らしいと言われてるドキュメントで、1937年のパリ万博です。こちらにスターリンのソ連館があって、こちらにヒトラーのドイツ館があって、火花散らしてる。この3年後に戦争に入るわけですね。だから代理戦争の景観になっている。政治のスペクタクルの場になってるということです。ちなみにこの37年の時というのは、スペイン館が「ゲルニカ」を出した時ですね。

 万博はさまざまなものを発明した。プレハブ。これはクリスタルパレス自体がそうですから。それからエレベーター、これは1853年にオーチスがエレベーターの実験をやっているところです。それから車椅子、2階建バス、イルミネーション。

 こういういろんなものを初登場させたか、もしくはそれを広めたというのがあります。 

 特徴的なのだけ簡単にご案内しましょう。まず大きな空間を作る。このクリスタルパレスがそうですよね。それから、日本でいえば、大阪万博の大屋根。ウイーンでもパリでも、とにかく大きな空間を作る。

 それから、鉄のストラクチャー。エッフェル塔が典型です。エッフェル塔というのは、鉄骨量7000トン使ってる。7000トンというのは、エレベーターとか、ここにあるジュール・ヴェルヌとかいうレストランとか、そういうのは入れてないですよ。鉄骨だけ7000トン。今、東京タワーは、3600トンですから。東京タワーはエッフェル塔よりやや高いのに、鉄骨量は半分なんですよね。だからあんなに繊細に見える。ちなみに、東京スカイツリーは、36000トンですから、東京タワーの10倍、鉄骨を使っています。真ん中のコンクリートの芯部を除いた重量ですから。そういう鉄の時代をつくったということです。ちなみに、東京タワーとクリスタルパレスの鉄骨量は同じです。

 それから、あらゆるタイプのアミューズメント、観覧車や水族館、コースター、欲望に対するいろんな装置を開発した。こういうのも万博です。

 街並みとかランドスケープに寄与する。これ先ほどのヴァイゼンホフ・ジートルングで、シュトゥットガルトに今も残ってるやつです。それからこれは、シカゴ博覧会、電気が初めて登場した時の万博です。このグランドスケープというのは、フレデリック・ロウ・オルムステッド(Frederick Law Olmsted)という、ニューヨークのセントラルパークとかボストンコモンを造った人です。その人がランドスケープをやって、これ色がちょっと橙ぽく見えていますけれど、真っ白い街を造ったんですね。真っ白い街を造ったがゆえに、アメリカの割と国会議事堂とか公共建造物などは白くなるという流行りもつくった。最初のモデルを提供したものでもあります。

 これは、建物がいろいろ装飾的なものを洋服のように纏った。1900年は、アールヌーボーという装飾様式ですから、そんな感じですね。25年になると、アールデコになります。そういうものも万博で出ました。

 いくつか先進的なモダニズムの建物のビジョンというのも万博で生まれました。代表的なのは、ル・コルビュジエ (Le Corbusier)のエスプリ・ヌーボー館、いま再構築されていますけれど、ミース・ファン・デル・ローエのバルセロナパビリオン、ブルーノ・タウトのガラスのパビリオンとか、こういったものがあります。

 先ほどのヴァイゼンホフ・ジートルングは集合住宅ですけれども、集約してあるということで、これは本当に行かれるとよいと思います。

 工業的なパーツで、全体的に何か語りかけるようなフォルムを作っているのも万博パビリオン。これは現在でも残っているブリュッセル万博の時のテーマ館でアトミウムというやつです。これは集合住宅で、アビタ67です。ヒルタウンのように見える。これはコルビュジェのフィリップスパビリオンですね。

 素材コンシャス。これはフジパビリオンですね。一番好きなパビリオンの一つです。というか、大阪万博は親父に連れて行かれたんですが、親父は芙蓉グループだったものですから、すぐここに行った(笑)。中味全然面白くないのね。ところが、建物が素晴らしい。50メーターの円を書いて、そこから半円を真ん中で書くんですね。この円の大きさ、長さをそのままにして、こうやっていくわけ。ちょっと袖がつり上がりますよね。それを実際、4メーター直径の空気チューブで力学的にやっていくと、だんだん傾いていくわけです。それをそのまま形にしたという。このために、多分、テント地縫合の二連のミシンではなくて、四連のミシンを開発したというやつです。

 これは、未完のパリ万博。1989年ですから、革命200年ですよ。この100年前にエッフェル塔がたってますから。その時に、地上に小さい会場2つ、それからあとはセーヌ川に浮かせて全部飛行船で場を作るという会場があったんです。当時、シラクが市長の時ですけれども、財政難で潰れた。

 だんだん情報とか映像とか光がパビリオンに代わってきた例です。これは20世紀後半です。

 エコフレンドリーと書きましたけれど、どちらかというと、環境対応型のパビリオン。

 実は、上海は消防審査会のためにつくったようなものなので、これがのっています。

 万博は球体が非常に多いです。ニューヨーク、造っている途中ですね。これ先ほど出ませんでしたけど、例のローマのエウルでの計画でこういうのがあります。それから、64年のニューヨーク博、これは大阪万博がモデルにした万博です。クイーンズでやった。これフラー・ドームでしょ。こちらはエプコットセンターの宇宙船地球号。

 こういう球体の建築、いろいろ構想はあったんですけれど、実際にできたのはパリ万博が初めて。球体といってもこの辺どうなってるかといったら、球体に見えるというやつです。

 ということで、我々もやってみようというんで、小規模ですが、球体造りました。これは今、上野の科学博物館に移設されました。廊下があって、直径が12.8メーター、ちょうど地球の100万分の1の大きさです。球の中で、球を全部を映像、シームレスの映像がつくという史上初の試みです。外は別に球体じゃなくてもいいんですけれども、外も球にしてやった例です。

 最後にちょっとミラノ万博の枠組を示しますが、基本計画の段階で、さまざまな要件をまとめたものです。

 大体、経済産業省と農水省がつくるとこうなるんですよ。僕ではありません(笑)。協力はしました。すごい複雑怪奇なものになっていますが、概念図として描くとこうなってしまいます。

 先ほどこれ大きな1500メーターのデクマヌス(Decumanus)という通りがあって、日本館はこの辺なんですけど、クロスする通りがあるというのは、昔のローマンタウンの作り方がそうなんですね。これはヨルダンのローマンタウンです。山を作ったり神殿作ったり、野外劇場作ったり、このパターンをそのまま現代都市に、ちょっとやり直したというものです。

 サイトにアクセスしていただくと、こんなのが出るのかもしれませんが、150ヘクタールとなってますけれど、実際は90数ヘクタールです。外側の道路を入れるか入れないかとかで変わる。2000万人を入れようとしていて、147ヵ国と国際機関が参加する。結構、こういうさっきテーマで言った「食の安全」とか「生物多様性」とか、サブテーマがたくさんあって、これ全部やらなければいけないということではないんですが、そういうのがテーマ構成になっています。アルチンボルドふうの野菜があったり、これは何か向こうが作ったキャラクターらしいですね。

 日本館はここです、端っこです。確か隣がロシアとサウジ、それからちっちゃいところがクロアチアで、向かい側がトルコだと思いましたけれど、そんな感じです。これがデクマヌスのところです。これはイタリアの本家本元のところです。地中海の山とかつくっているらしいですが、何かよくわからない。

 これが日本館で、日本館自体は建物は普通ですが、こういう四角い建物で、横を立体木格子が覆っている。本当は、構造体にすべきなんでしょうけど、構造体にするには構造許認可申請にかかってしまうというんで、とてもできないというので、ちょっとサンプルみたいになってます。この立体木格子は法隆寺とかやって、木がめりこみながら釘なしで構造体を形成するというタイプ、そういうのが若干装飾的に両側を覆っている構造になっています。

 1階と2階があって、1階から入ってシーンが1、2、3あって、今度2階に上がるんです。2階上がると、シーン4という劇場があって、それで外に出るとレストランとイベント広場があって出てくる。2階建の構造です。

 これがプランです。ここから入ります。さっきのこれが木格子ですね。ここから入ってシーン1、シーン2、シーン3となります。ここはバックゾーンです。

 シーン1というのは、日本の食を支えている農林水産の原風景とか自然とか、食物多様性とかそういうことをイメージ的にいうコーナーです。

 シーン2というのは、日本の食の多様性というものを、どちらかというとクローズアップしていくものです。

 シーン3は、もうちょっと植物工場とか未来的なデリバリー、ジャストインのデリバリーシステムとか、そういうようなものを語っていくところです。

 エスカレータで上がってホワイエ、ここはクールジャパンで、日本の場合だと食器とか箸とか、調度とか、そういうものが素晴らしいんで、そういうものをホワイエで飾る予定です。ここはちょっとまだよくわからないんで、本当に面白くなるのかとか今言ってるんですが、4Kを使った、ちょっとインタラクティブなシアターをつくっているようですが、どうなるかわかりません。

 これが終わるとここ出ていくと、屋外です。ここがフードコートになります。4つコーナーがあってフードコート。こちらに本格和懐石レストランがあります。ここがイベント広場。イベント広場って何かというと、都道府県が、例えば小浜市が来て若狭の箸をなんかやってるとか、そういういろんなことをやるらしい。静岡から来て茶葉を売るとか、そういうようなところになります。

 これ業者で決めてますので、公式に参加機関は、JETROになりますので、どうもこの本格和食が「美濃吉(みのきち)」になるらしいということは聞きました。

 さっき、下から入ってこう出てここから出ていくと言いましたけれど、このレストランとイベント広場は独立して外から入れるということで、こっちのスロープはそうなっています。さばくのは面倒くさいんですけど、そんな形になっています。

 画像悪いんですけれども、これがドイツ館です。イタリアはもう結構頑張っちゃってますから、頑張ってるわりには全然工事進んでないんですけど。出てます。これがラトビアですね。スイスはこういう敷地の中に、ちっちゃいパビリオンだけちょこんとこうやって回遊できるようにしてましたね。というのが周りの状況です。

 私が思うにはドイツは、素晴らしいパビリオン。要するに訴求の仕方が、よく考えられている。たまにちょんぼやりますけど、やはりドイツは素晴らしい。サウジは、金にあかして何でもやるから、普通は、我々だとオールジャパンで行くぞというわけですが、彼らはアメリカだろうがどこだろうが、いいもの全部集めちゃうんで、これはこれでおっかないというのがあります。宿敵はドイツとサウジということなんですが、まだちょっとはっきりはしておりません。

 というのが、今現在のところわかっている状況であります。これでおしまいです。なんかもう、話があちこち飛んじゃいました。どうもご清聴ありがとうございました。<拍手>


【橋都】彦坂さん、どうもありがとうございました。万博の歴史から、日本館の構成まで、お話しいただきました。いかがでしょうか。ご質問があれば、お受けしたいと思いますけれども。じゃあお名前からお願いします。


【市】初めて参加させていただきました市といいます。ミラノには90年代、7年ほど住んでました。非常に興味深いお話ありがとうございました。食と国民性ということでお聞きしたいんですけど。イタリア人は原則、毎日イタリア料理食べるし、中国人は中華料理食べるし、韓国人は韓国料理毎日食べてるということなんですけど、日本人だけ、毎日、カレー食べたり、中華食べたり日本食食べたり、あと一般の人がその各国の料理を作れるという、それをよく国民性というのはどこから来ているのかと。日本だけちょっと他の民族と違うんじゃないかというのを感じましたんで、その辺はどうですか。


【彦坂】ちょっとよくわからないんですが、あまりに食の多様性があるので、韓国とか、イタリアが多いといっても、日本の比じゃないでしょ。種類からすると。カレーも日本の中華も実は日本食ではあるのです。それからもう一つ、平均的にとると、田舎の人とか、ああやって朝ご飯、普通の日本の納豆となんか鯵の開きとなんか食べてる人、結構比率多いんですよ。確かに朝からカレー食ってるとかビフテキ食ってるとかいう人もいますけれど、他の国よりは、そういうところは確かにあるんだろうとは思います。外国行くと我々が非日本的なるものを発見しようとする。欲望がすごく。中国って違って、何か、中国的なものを発見する。だからどこ行っても中国料理食ってたりしますよね。我々は郷に入れば郷に従えじゃないけれども、何かその辺、何ていうのかな、割と欲望の在り方もそうなんですが、すごくフレキシブルな部分がありますよね。そこへもってきて、ものすごい多様性がある。いちばんすごいのは、自動販売機ですよ。世界の自動販売機並べて日本の自動販売機みたいに、もう仰天するぐらいの機能です。

 アメリカも大体、4つか5つしかないですよね。ロシアなんかは2つしかない。日本のって40いくつあるでしょ。温かい、冷たいなんて。それでまずそのイタリアも、今はイタリアは大丈夫でしょうけれど、昔、イタリアの自動販売機ってお金入れると戻って来なかったりするでしょ。そういうのないし。だから多分、民族が持っているわりと外行った時とか、新しいものが来た時にどういうものを求めるかということと、現状あるもの、目の前にあるものというものを比べた場合、何かやっぱりそういうふうになっていくのはある程度必然かなという気はします。あまりお答えになっていなくてすいません。1週間分の日本人、アメリカ人、イタリア人、それからソマリアの人、何を食べるかって並べるんですよ。写真撮ってというのがあって、日本だけがべらぼうに種類が多かったんですよ。アメリカは量は断然多かったんですが、種類は少ない。はっきりした理由はわかりませんよ。多分そのあたりではないかなという気がいたします。


【橋都】高橋さん。 


【高橋】高橋と言います。少し基本的なことをお聞きしたいです。まず、さっきちょっと出た想定で来る人は2000万と予定しているんですが、これでいいですか。


【彦坂】はい。そうです。


【高橋】空港はリナーテ空港(Linate International Airport)だけ使うんですかね、そうすると。どうやって入れるんだろうかと。つまりあそこはサン・バビラ(San Babilla)と結ぶバス以外何もないわけですよね、リナーテ空港は。マルペンサ(Malpensa Airport)から入れるのかしれんけど。あと、トリノ(Torino)に向かって高速鉄道をじゃんじゃん造ってるのは知ってるんですが、どういうふうにさばくんだって。つまり、あまり見たことがないパッサンテ(Passante ferroviario)という地下通っている列車をリナーテに繋げるのか、何かどういう交通アクセスをしてるんだろう。市内全体は今真ん中を全部潰して、要するにバスとか公共機関専用にしてタクシーとかね。両側の車道がどんどん1車線にしてくるというのは、かなりの街づくりをやっているようなんですが、どういうふうにアクセスをやるんだろうか。それで、あと考えられるのは、ガリバルディ(Garibaldei)がむちゃくちゃに作ってるから、あそこからみんなシャトルバスかなんかで運ぶのか。つまり、交通アクセスがどういうふうになっているか教えてほしいのと、それから日本企業で独自でパビリオン出すところがあるのかということを教えてください。


【彦坂】交通アクセスに関しては、公社側の裁量案件でもあるので、私、まったくわかりません。公社の方のサイトの中で。どういうふうにロジスティックを組んでいるかっていうのを見るしかないと思います。2000万人というのは、大体、そうですね、ピークの平均というのが、だいたい1日30万人ぐらいかな。そういう算式があって、それに対して交通がどういうふうになるかとやってくはずなんですよ。どうしても行かない場合、ある拠点つくって全部、団体バスで送る。これ上海万博でもやりましたけれども。だから今のあるやつで全部いくって。だいたいやってみないとわからないというのが、途中でもうしょっちゅう軌道修正しているというのが常なので、公社の方のロジスティックなので、ちょっと私どもの方でよくわからないというのがあります。交通で言えば、マルペンサエキスプレスなど、徐々に整備されてはいるようです。

 それから、日本企業が出るかどうかというのは、多分ほとんど出ないでしょう。今、堺屋太一さんが、日本企業をまとめて何かをやろうという動きをやられています。この前まで堺屋さんとずっといっしょでしたけど。ただやっぱり、イタリアだと付加価値が高い産業、車とか、そういうのが、なかなかイタリアでやってもしょうがないなというのがあるらしいんですね。もちろん、味の素とかキッコーマンとか、食品産業系はありうるとは思いますが、まだ決まってません。企業だけで出展できるスペースというのは、用意はされています。だから、うまくこちらサイドがまとまれば可能性はあります。現在のところは、まだその公式には出てないけれども、多分、堺屋先生あたりのところがいちばん可能性があるかなというふうに思っています。


【高橋】入場料は。


【彦坂】いや、入場料はわからないな。


【橋都】他に。高崎さん。


【タカサキ】高崎と申します。最後に言われたライバルといいますか、ドイツとサウジだというお話ですが、ドイツは食はちっともうまくないと思うんですが、最初に言われた美食大国7ヵ国でね、とくにフランスとかとの比較というのはどうしてでないのかなと思うんですが。単にお金があったり、きちんとした建物造るということであったら、食の祭典、食をテーマにしたということとあまり関係なくなっちゃうんじゃないかと思うんですが。


【彦坂】みんなが食べれるという体験をもてるかどうかというのが一つありますよね。愛知の時もそうだったんですが、愛知のフランス館は三ツ星レストランをもってきていた。私も予約して何回か行きましたけれども、そういうふうに行くやつ、ややもすると会場内にいろんな国のレストランのゾーンがあるんです。パビリオンの中でレストランをもつかどうかっていうのは別。さっきドイツっていったのは、その食がうまいとかまずいとかって、あまりうまくないというのは面白くないというふうに思うんだけど、この地球環境問題とかそういうものに対してどう斬り込んでいくんだということに対しては、やっぱり、かなりドイツは面白いことをいってくるんではないかなと考えます。麗水(よす)の時もバラスト水という、要は海岸沿いの結構、浅瀬の領域をキーワードにして、海岸と海洋を保護するにはいかに未来技術と合体すればいいかというのを、明快にやってくわけです。ドイツの海岸線だとするとハンブルグとかあるけれど、そんなリッチな海岸線全然ないわけですよ。でもそういうところは、やっぱりすごいなという気はします。たまたま、私が2回ほど万博の審査委員をBIEと一緒にやってるもんですから、BIEの審査というのは、シームデベロップメントといって、要するにテーマをいかに展開したか、クリエイティブディスプレイの2種類あるんですけれども、かなり毎回、ドイツはいい点出し、審査はステアリングコミッティで戻って議論するでしょ。そうするとね、やっぱりちゃんとしてるとかね。。それでちょっとやだなというふうに思ってます。おっしゃるとおり、美食的観点からすると、まったく魅力がないような気はいたしますが。


【橋都】他にいかがでしょう、はい。


【マダ】マダと申しますが、今年はミラノで、伊東マンショの肖像画が発見されて、これをぜひ見たいもんだと。ただ個人蔵なので、貸してくれるかどうかわからないんですけれど。ところで来年がちょうど、伊東マンショたちが教皇に拝謁した430年なんですね。その頃、多分伊東マンショたちが初めてイタリア料理を初めて食した日本人で,ちゃんとしたイタリアワインを飲んだ初めての日本人じゃないかと思うんですね。その頃、日本では織豊政権の頃ですが、一体秀吉たちは何を食ってたのかというと、鶴を食ってたとかですね、そういう話があって。400年経って、イタリア料理とか日本料理がどういうふうに変わったのかというのを見ると非常に面白いかなと思って、その提案をしたんですが、誰も採り上げてくれないんで、幻になったのかなということで、ちょっとご披露だけしておきます。


【彦坂】それは、何かぜひやる機会つくりましょう。いや万博でやるよりも、むしろ例えば、もうちょっとゆったり見れるウェブサイトで深く入れる、そういうラウンドプログラムをこれから作るっていうのいっぱい出ますから。昔の経験だと、「愛・地球博」の時も、環境教育のプログラムというの、始まってからどんどん作り始めたりした時もありますから、そういう比較文化、料理芸術版みたいなものというのはわかりやすいですし、興味津々だと思うし。なかなかそういうのテレビ番組にもなりやすいようなものですよね。素晴らしいと思いますんで、ぜひもしご協力できるところあればやりたいなと思っています。


【橋都】他に、はい。


【猪瀬】猪瀬と申します。どうも大変面白い話、ありがとうございます。一つお伺いしたいんですが、このミラノのエクスポが、イタリアらしさというか、イタリアならではの万博になるというような、何ですか、イタリアはルネッサンスの国でありデザインとかファッションとか非常に創造性とかクリエイティビティに富んでいる国ですけれども、他と比較して、他の万博と比較して、こういうところが、非常にいかにもイタリア的だというような何かそういった特色とか、そういうものというのはあるんでしょうかね。


【彦坂】サイトプランは、さっき、今日との町家みたいなサイトプラントと申し上げましたよね。万博史上あれだけやったサイトプランって今までないんです。公社のコントロールうるさいですしね。結構、できあがると面白いものができるかなという期待はあります。それともう一つは、エクスポマークは、ベネトンがやったんですよね。だから色がこうなってる。随所にそういうのを使ったりするから、当然上海みたいにださいとかそういう感じではなくなるような気はします。ただやはり、ルネッサンスからバロックまでイタリアと比較しちゃうと、もうそれは結構大変かなという気はいたしますが。


【市井】いいですか。市井と申します。僕もミラノの万博に対する盛り上がりの度合いをちょっと伺いたいんですが、かつて、マリオ・モンティが首相だった時に、オリンピックの誘致を断念したようなことがありましたですよね。この財政難の時にやってられないということで。今、ミラノのボッコーリ大学の学生が30人来てまして、この間、ウェルカムパーティやったんですが、このエクスポが話題の中で、まったく出てこなかったんですね。僕が、来年エクスポ行くんだよと言ったら、ああそうというぐらいのですね。非常に冷ややかな反応しか出てこなかったので、地元の盛り上がりというのは、感じとしていかがでしょうか。


【彦坂】前回、起工式をやったんですね。起工式をやった時は地元の新聞社は、一応みんな来た。それは公社がどうも呼んだらしいんですが、どちらかというと、関係者はよく知ってるけれども、普通の人は何か全然知らんとか、まだそういうのはあるんじゃないかと。あと、イタリアらしいというところは、絶対、あれオープン間に合わないね(笑)。いいんですよ。日本は工期第一でしょ。何があってもきちっと間に合わせますよね。あちらできた時が工期終わったって、それ平気だから。だから、ちょっと考えれば、日本とかオランダとかドイツっていうのがおかしいのかなって最近では非常に思ったりしますよ。


【猪瀬】この間、ミラノに行ったんですが、ものすごい建築ブーム、高層ビルがだっと建って、ホテルもたくさんできて、だからイチイさんのお話はそれは確かにそういう人も多いんでしょうけれども、見れば万博に備えてやってる。さっきも道路、交通の話も出ましたけれど、そう思いますね。本当に違ってましたね。数年前と。


【橋都】他にいかがでしょうか。さっきの歴史のところですけれど、ローマの万博は実際にやられたんですか。


【彦坂】いや、だから途中、建設途上で終わっちゃったんです。


【橋都】ああ、建設途上で終わっちゃったわけですね。


【彦坂】でも、3分の1ぐらいはできたんですよ。


【橋都】ああ、そうですか。


【彦坂】でも、まだそのときの道路とか建物は残っています。


【橋都】あの巨大なアーチは完成したのですか.


【彦坂】あれはできてないです。


【橋都】ああ、なるほど。わかりました。他にございますでしょうか。まあ、万博というのは歴史を見ると、本来、出会うはずのないものが出会う場でもあるようなので、今回のミラノ万博でもそういうことが起こる可能性があって、大変面白いことが起こるんじゃないかという気もします。まあ、僕もぜひ行ってみたいと思うんですけど、宿泊はとても取れないぞと脅かされたりもしてますので、どうなるかわかりませんけれど、できれば10月までに行ってみたいなというふうに思っております。皆さんもそう思っておられる方多いんではないかと思いますけれど、チャンスがあればぜひ、ミラノでお会いしたいと思いますけれど。それでは、今日は彦坂さん、大変面白いお話をどうもありがとうございました。

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