No. | 開催日 | 講演者 | 講演タイトル |
526 |
2024-12-11 | 大江 博 | 日本vsイタリア 日本人vsイタリア人 |
525 |
2024-11-17 | 水谷 彰良 | 美食家ロッシーニ ~フィクションから真実へ |
524 |
2024-10-19 | ディエゴ・マルティーナ | 俳句をイタリア語で詠むー翻訳が活かす『言葉の間(あわい)』 |
523 |
2024-9-20 | 濱口 和久 | 日本がイタリアの防災対策から学ぶべきこと |
522 |
2024-8-24 | 奥田 耕一郎 | ファシズムの建築をいまどうながめるか《difficult heritage》と20世紀の建築 |
521 |
2024-7-13 | 高城 靖之 | ジョルジョ・デ・キリコ 謎に満ちた作品と生涯 |
520 |
2024-6-25 | 岡田 幸司 | パルミジャーノ・レッジャーノとパルマ産生ハムーD.O.P.のお手本から見えてくるものー |
519 |
2024-5-20 | 横山 淳一 | 美味と健康増進をオリーヴァ樹の恵みに求めてーイタリアに学ぶー |
518 |
2024-4-13 | 水野 千依 | ルネサンスの肖像と詩芸 ~ 生と死のあわいで |
517 |
2024-3-30 | 市川 嘉一 | イタリアでもトラム・ルネサンスの動き:世界の動向から探る |
516 |
2024-2-20 | 上野 真弓 | ミケランジェロ、彫刻の変遷と『最後の審判』の背景にあるもの |
515 |
2024-1-26 | 高田 和文 | 反逆する道化:ノーベル賞劇作家ダリオ・フォーの喜劇 |
514 |
2023-12-14 | ヤコポ・トリーニ | イタリアデザインの秘密 |
513 |
2023-11-20 | 芦田 淳 | イタリア憲法裁判所の特徴とその役割ー近年の動向も踏まえて |
512 |
2023-10-17 | ロレンツォ・アマート | 大地の讃歌ー日本の陶器をイタリア美術と比較して |
511 |
2023-9-26 | 加藤 磨珠枝 | ローマ教皇とカピトリーノ美術館 |
510 |
2023-8-23 | 石田 雅芳 | スローフード運動の展開 |
509 |
2023-7-30 | 香原 斗志 | イタリアのオペラ上演の現状と歌手たち |
508 |
2023-6-27 | 栗原 俊秀 | 移民・難民の遺体と法医学:死者の『名前』を取り戻すために |
507 |
2023-5-26 | 村木 数鷹 | 今日なぜマキャヴェッリについて語るのか−昔も今も(Then and Now) |
506 |
2023-4-19 | 島村 菜津 | 空き家率75%の山村を再生させたアルベルゴ・ディフーゾ |
505 |
2023-3-26 | 土屋 淳二 | イタリアの健康寿命と「生活の質」を考える |
504 |
2023-2-9 | 宮嶋 勲 | イタリアワイン豊かさの背景 |
503 |
2023-1-13 | 羽場 久美子 | ロシア・ウクライナ戦争とアメリカの世界戦略−いま何が起こっているのか? |
502 |
2022-12-3 | 桑木野 幸司 | 魅惑のイタリア・ルネサンス庭園−水の庭園ヴィッラ・ランテを中心に− |
501 |
2022-11-15 | 土肥 秀行 | Pasolini 100(チェント)−いまなぜパゾリーニか |
500 |
2022-10-23 | 和田 忠彦 | 作家とイタリアの街を旅して−私の半世紀 |
499 |
2022-9-24 | 遠藤 芳英 | ローマにある食料・農協関係の国連機関の活動と各国の思惑 |
498 |
2022-8-26 | 押場 靖志 | ファシズム時代の映画を訪ねて−ロベルト・ロッセリーニの三つの《三部作》 |
497 |
2022-7-30 | ラウラ今井メッシーナ 柴田瑞枝 | 『天国への電話』のテーマと意図―死者の世界と生者をつなぐ想像力 |
496 |
2022-6-24 | 大崎 さやの | 啓蒙期イタリアの演劇改革−ゴルドーニの場合 |
495 |
2022-5-16 | 土肥 篤 | イタリア語の叙法と文法 |
494 |
2022-4-18 | 木村 純子 | イタリアのテリトーリオ戦略ー農業による地域活性化ー |
無料講演会 |
2022-3-29 |
民岡 順朗 |
イタリア語の語源を探る(続編) |
493 |
2022-3-19 |
パントー・フランチェスコ |
日本と比較したイタリアの感情的コミュニケーション |
492 |
2022-2-19 |
宗田 好史 |
イタリア歴史都市の半世紀ー観光客と移民 |
491 |
2022-1-18 |
小野塚 拓造 |
ポンペイの発掘品とその魅力−特別展『ポンペイ』の見どころ |
490 |
2021-12-15 |
辻 昌宏 |
バロックオペラの愉しみ |
489 |
2021-11-18 |
藤谷 道夫 |
ダンテ『神曲』の時代を超えた先見性 |
488 |
2021-10-16 |
堀 賀貴 |
細部が語る都市・建築の歴史『古代ローマ人の危機管理』 |
無料 講演会 |
2021-9-29 |
小山 太郎 |
イタリアのデザイン思考とデザインマネジメント〜モーダ・プロンタ(既製服)・高級車の事例から〜 |
487 |
2021-9-18 |
小山 太郞 |
イタリアのデザイン思考とデザインマネジメント |
486 |
2021-8-24 |
秦泉寺 友紀 |
戦後イタリアの食と社会変容―1950・60年代を中心として |
485 |
2021-7-9 |
マルコ・ファヴァロ |
自転車競技人気、1日にしてならず~自転車産業という視点からイタリアの近代史を見つめる~ |
484 |
2021-6-12 |
エドアルド・ジェルリーニ |
カンツォーネの誕生とその遺産:フェデリーコ2世の宮廷における詩の世界 |
483 |
2021-5-13 |
民岡 順朗 |
イタリア語の語源を探る(3,000語の独自分析):イタリア語から英独仏西露などの共通祖先『印欧祖語』に遡って分かったこと |
482 |
2021-4-17 |
大島 悦子 |
コロナ禍のイタリア:この1年を振り返って |
無料 講演会 |
2021-3-30 |
栗原 俊秀 |
イタリアの漫画(fumetto)の世界へようこそ |
481 | 2021-3-9 |
小谷 眞男 |
イタリアのインクルーシブ・バイリンガルろう教育 |
480 | 2021-2-13 |
橋本 勝雄 |
なぜ現代小説を読むのか ~2000 年から始めるイタリア小説~ |
479 | 2021-1-7 |
藤井 泰子 |
蝶々夫人とわたし |
478 | 2020-12-8 |
陣内 秀信 植田 曉 |
オルチャ渓谷のフィールド調査ー田園の価値の再発見 |
477 | 2020-11-7 |
押場 靖志 |
フェリーニとは誰だったのか? |
476 | 2020-10-22 |
中村 浩子 |
19世紀のロングベストセラーレシピを健康長寿に生かす |
475 | 2020-2-10 |
小林 満 |
ガリレオ・ガリレイと宇宙像を描くイタリア文学 |
474 | 2020-1-28 |
北村 暁夫 |
南北イタリアにおけるイタリア移民の世界 |
473 | 2019-11-14 |
池上 英洋 |
レオナルド・ダ・ヴィンチ没後500年 最新の研究と試み |
472 | 2019-10-28 |
小林 勝 |
フィレンツェのアヴァンギャルド 〜ムッソリーニとプレッツォリーニ〜 |
471 | 2019-9-6 |
コッラード・モルテーニ |
1930年代のイタリアの対日文化活動とプロパガンダ |
470 | 2019-8-30 |
佐藤 徳和 |
カルチョの国のスポーツ、そしてラグビー |
469 | 2019-7-31 |
磯部 泰子 |
イタリア食文化をマーケティングする |
468 | 2019-6-18 |
原田 亜希子 |
近世の都市ローマ−ローマ人のローマを探る |
467 | 2019-5-21 |
マルティーナ・ディエゴ |
ウンガレッティにおける生死の詩情 |
466 | 2019-4-23 |
山手 昌樹 |
イタリア鉄道の歴史1839−2019 |
465 | 2019-3-7 |
井内 美香 |
都市とオペラ:ミラノという街が生んだオペラの殿堂スカラ座 |
464 | 2019-2-18 |
坂口 尚隆 |
イタリアに勤務して感じたこと、考えたこと |
463 | 2018-12-19 |
渡辺 晋輔 |
ルーベンス展—バロックの誕生 |
462 | 2018-12-7 |
伊藤 亜紀 |
不変にして、定まらず—“アッズーリ”の源流 |
461 | 2018-11-6 |
水谷 彰良 |
ロッシーニの芸術とその特質~没後150年を記念して |
460 | 2018-10-8 |
石井 元章 |
長沼守敬研究の成果と課題:新発見の作品を中心に |
459 | 2018-9-3 |
飯塚 隆 |
ルネサンスと古代ギリシャ彫刻 — 「ミケランジェロと理想の身体」展を見ながら |
458 | 2018-8-10 |
駒形 克哉 |
アルテ・ポーヴェラ(貧しい芸術)とルチャーノ・ファブロの作品について |
457 | 2018-7-27 |
宝生 和英 |
文化交流の本当の意義:能楽から見た世界 |
456 | 2018-6-21 |
湯上 良 |
記録を守り、記憶を伝えるイタリア |
455 | 2018-5-22 |
渡邊 康男 |
イタリアでの設計活動を通して |
454 | 2018-4-11 |
福島 良典 |
イタリア政治の行方 |
453 | 2018-3-23 |
栗原 俊秀 |
お行儀作法のルネサンス |
452 | 2018-2-19 |
鈴木 正文 |
イタリアでかっぽれ |
451 | 2017-12-20 |
林 寛治 |
55年前のローマ遊学記 |
450 | 2017-12-8 |
ジュゼッペ・パズィーノ 林 直美 |
1940年代のナポリ |
449 | 2017-11-18 |
ガエタノ・コンプリ |
切支丹屋敷の初めから映画“沈黙”に至るまでの歴史:小説と史実 |
448 | 2017-10-2 |
水野 千依 |
フラ・アンジェリコの絵画−読書・記憶・瞑想 |
447 | 2017-9-21 |
小川 光生
|
“カルチョの国”イタリアを知る |
446 | 2017-8-21 |
青木 純 |
カンツォーネ・ナポレターナの黄金時代 |
445 | 2017-7-14 |
松山 修平 |
イタリアでの生活と制作から思ったこと |
444 | 2017-6-19 |
陣内 秀信 |
海洋都市アマルフィとそのテリトーリオの空間構造 |
443 | 2017-5-19 |
河村 英和 |
外国人画家たちが育んだローマとナポリ近郊の風景・風俗絵画の世界 |
442 | 2017-4-21 |
小畑 恒夫 |
ヴェルディのオペラ:ヒロインの魅力 |
441 | 2017-3-15 |
伊藤 武 |
現代イタリアにおけるポピュリズム:5つ星運動を中心に |
440 | 2017-2-17 |
小林 明子 |
ティツィアーノの生涯と作品 |
439 | 2017-1-18 |
道原 聡 |
イタリア空軍パイロットアルトゥーロ・フェラリンの偉業と「2020年東京-ローマ間帰還飛行」プロジェクト |
438 | 2016-12-2 |
シルヴィオ・ヴィータ |
ヴァチカン図書館の概要と日本との交流の歴史について |
437 | 2016-11-21 |
西本 晃二 |
西欧ルネッサンス再考 |
436 | 2016-10-17 |
樺山 紘一 |
女王クリスティーナとローマ |
435 | 2016-9-27 |
樋渡 彩 |
ヴェネツィアの近代化 新たな「水都」の構築 |
434 | 2016-8-19 |
和田 忠彦 |
ウンベルト・エーコとは何者だったのか |
433 | 2016-7-8 |
岡田 哲史 |
建築家としての私とイタリア |
432 | 2016-6-21 |
ティツィアナ・アランプレセ |
自動車業界のイタリア女性のStory |
431 | 2016-5-27 |
横田 さやか |
イタリア舞踊史―19世紀から21世紀における“イタリアの”バレエとは? |
430 | 2016-4-6 |
川瀬 佑介 |
ルネサンスを超えた男カラヴァッジョ――生涯、作品とその影響 |
429 | 2016-3-11 |
小林 明子 |
ボッティチェリの生涯と作品 |
428 | 2016-2-29 |
中村 浩子 |
“カテリーナ・デ・メディチがフランス料理をつくった”は本当か |
427 | 2016-1-26 |
ベルテッリ・ジュリオ・アントニオ |
日伊交流の暁(1866-1880) |
426 | 2015-12-8 |
栗原 俊秀 |
文学作品が描く「移民」の今昔 |
425 |
2015-11-12 |
青木 純 |
カンツォーネ・ナポレターナの特徴と歴史 |
424 |
2015-10-30 | 土肥 秀行 |
アルゼンチンのイタリア人―マローネとヴィタ=フィンツィ |
423 | 2015-9-29 | 坂田 肇 |
イタリアの飲食事情 |
422 | 2015-8-6 | 加藤 浩子 |
ベルカントからヴェルディへ−21世紀のヴェルディ歌手たち |
421 | 2015-7-9 | 高山 博 |
フリードリッヒ2世の十字軍 |
420 | 2015-6-23 | 宮澤 崇史 |
旅するロードレース |
419 | 2015-5-25 | 船橋 幸彦 |
イタリアと日本の服の違い |
418 | 2015-4-18 | マリアンジェラ・ラーゴ |
100%幸せですか?明るく生きる天才イタリア人の秘密 |
417 | 2015-3-16 | 渡辺 晋輔 |
グエルチーノとイタリア・バロック美術 |
416 | 2015-2-21 | 佐々木 巌 |
地中海式ダイエットと和食への影響 |
415 | 2015-1-28 | 馬場 康雄 |
「自由主義イタリア」 l’Italia liberale について |
414 | 2014-12-16 | 長本 和子 |
イタリア料理人OTTIMO育成法 |
413 | 2014-11-17 | 伊藤亜紀 |
盛装アマゾネス−サルッツォのマンタ城壁画「9人の英雄と9人の女傑」の紋章と服飾− |
412 | 2014-10-15 | 桑木野 幸司 | 初期近代イタリアの百科全書的庭園 |
411 | 2014-09-24 | 辻 昌宏 | はじめにリブレットあり |
410 | 2014-08-22 | 小林 明 | イタリア外交の秘話 |
409 | 2014-07-25 | 彦坂 裕 | EXPOとイタリア |
408 | 2014-06-11 | 秋山 聰 | デューラーとイタリア |
407 | 2014-05-23 | 和田 忠彦 | ことばの窓からみえる世界-須賀敦子の場合 |
406 | 2014-04-21 | 小山 吉亮 | ファシズムと「不完全な全体主義」 |
405 | 2014-03-24 | 前川 佳文 |
壁画保存修復の世界 -イタリア芸術の偉大さとルネッサンス |
404 | 2014-02-07 | 粉川 妙 | イタリアのDOPの歴史と仕組み |
403 | 2014-01-17 | 石鍋 真澄 | 支倉常長の旅,肖像画の謎 |
402 | 2013-12-20 | 村松 真理子 | ダンヌンツイオに夢中だった頃 |
401 | 2013-11-29 |
Giorgio AMITRANO |
あるイタリア人の個人的体験としての日本 |
400 | 2013-10-06 | 青柳 正規 | イタリアと私 |
399 | 2013-09-26 | 香原 斗志 | 生誕200年,ジュゼッペ・ヴェルディの虚像と実像 |
398 | 2013-08-05 | 宮嶋 勲 | 料理とワインを通してみるイタリアの豊かな多様性 |
397 | 2013-07-25 | 鈴木 国男 | ヴェネツィアのカーニバルと演劇 |
396 | 2013-06-14 | 池上 英洋 | レオナルド派と神秘思想―作品調査の現場から |
395 | 2013-05-24 | 桐山 登士樹 |
デザインと対話による日本とイタリアの 新たな関係づくり |
394 | 2013-04-12 | 村上 信一郎 |
死産だったイタリア第二共和制 -ベルルスコーニ / モンティ / グリッロ- |
393 | 2013-03-18 | 水野 千依 | ラファエロの芸術- -展覧会によせて |
392 | 2013-02-19 | 白崎 容子 |
ピランデッロの短編について -カオス・シチリア物語を中心に- |
391 | 2013-01-18 |
Valeria Lazzaro |
今のイタリアにおける日本文化 ~アニメからジャニーズまで |
390 | 2012-12-07 | 河村 英和 | イタリアのホテル建築にまつわる歴史と文化 |
389 | 2012-11-29 | 石田 憲 | ファシズム体制と「リーダーシップ」 |
388 | 2012-10-25 | 金沢 百枝 |
イタリア中世美術の楽しさ -シチリアと南イタリアの古寺をめぐる- |
387 | 2012-09-09 | 山田 高誌 |
ナポリ銀行歴史文書館史料から浮かび上がる 18世紀の音楽家たちの活躍と生活 ~モーツアルトが憧れたオペラの都の実情 |
386 | 2012-08-14 | 藤澤 房俊 |
ムッソリーニの子供たち -ファシズム体制下の少国民形成について- |
385 | 2012-07-24 | 村松 真理子 | タブッキののこしたもの |
384 | 2012-06-25 | 藤原 章生 | ギリシャ、イタリア、フクシマ |
383 | 2012-05-29 | 田辺 健 | わがイタリア人生60年 |
382 | 2012-04-06 | 粉川 妙 |
イタリアとブタ ~ブタを取り巻く文化と食習慣(ガストロノミア)~ |
381 | 2012-03-10 | 中益 陽子 | イタリアの公的年金制度-イタリアは年金天国か |
380 | 2012-02-28 | 山中 律子 | 私の(子連れ)イタリア料理修行 |
379 | 2012-01-27 | 村松 真理子 |
ダンヌンツィオと日本ー友則、雷鳥、三島? (報告書ではなく速報です) |
378 | 2011-12-21 | 佐藤 一子 | イタリア学習社会の歴史像 |
377 | 2011-11-17 | 古澤 智裕 | 欧州債務危機 |
376 | 2011-10-25 | 栗林 芳彦 | ヴェネツィアをマーケティングする |
375 | 2011-09-19 |
ディミトラ・ テオドッシュウ |
オペラの解釈と準備 |
374 | 2011-07-28 | 藤谷 道夫 | ダンテにおける《4項類推》と《空間転写》 |
373 | 2011-06-07 | 佐々木 雅幸 | 創造都市ボローニャへの招待 |
372 | 2011-05-30 | 藤井 慈子 | 古代ローマ時代のガラス |
371 | 2011-04-22 | 松浦 一樹 |
ベルルスコーニ現象:イタリア戦後政治の終結と 民主主義の危機 |
370 | 2011-03-09 | 三浦 伸夫 |
女性にとって数学はどのような意味があるのか? 18世紀イタリアの女性と数学 |
369 | 2011-02-14 | 松本 敦則 | イタリアにおける中国企業の台頭 |
368 | 2011-01-13 |
フランチェスコ フォルミコーニ |
世界を魅了するイタリアファッション |
367 | 2010-12-12 | 芦田 淳 | イタリアの議会と選挙 |
366 | 2010-11-17 |
ダリオ・ ポニッスィ |
ベルゴレージとの空想的遭遇 |
365 | 2010-10-21 | 池田 健二 | イタリアロマネスクの建築と藝術 |
364 | 2010-09-22 | 辻 康介 | 古楽とその展開-イタリアを中心に |
363 | 2010-08-24 | 渡辺 晋輔 |
カポディモンテ美術館展をたのしむ -16・17世紀のローマとナポリの美術 |
362 | 2010-07-27 | 白崎 容子 | 地獄の底のジャンニ・スキッキ |
361 | 2010-06-29 | 長神 悟 |
イタリア語の辞書と文法書の歴史 -初期の著作を中心に- |
360 | 2010-06-06 | 高田 和文 | イタリア演劇と日伊の演劇交流 |
359 | 2010-04-23 | 中川 良隆 | ローマ水道が世界帝国を作った。そして江戸は? |
358 | 2010-03-30 | 紫野 均 |
「街並みの美学」再考 -イタリアにおける近代都市の形成過程をめぐって |
357 | 2010-02-28 | 橋本 茂樹 | イタリア郷土料理探訪記 |
356 | 2010-01-22 | 岡田 温司 | マグダラのマリアとは何者か? |
355 | 2009-12-08 | 本間 るみ子 | イタリアチーズ 歴史とロマン |
354 | 2009-11-20 | 表 實 |
近代科学の父・ガリレオの業績: 天文学を中心として |
353 | 2009-10-20 | 青柳 正規 | イタリアでの発掘40年 |
352 | 2009-09-20 | 野口 昌夫 | イタリア都市の諸相―中世シエナの都市計画 |
351 | 2009-08-20 | 佐川 美智子 | 銅版画家としてのピラネージ |
350 | 2009-07-20 | 石橋 典子 | イタリアの格差社会 |
349 | 2009-06-20 | 辻 昌宏 | イタリア現代詩を読み解く3つの鍵 |
348 | 2009-05-20 | 弥勒 忠史 |
究極の宴、バンケットへようこそ: ルネッサンスイタリア宮廷の饗宴 |
347 | 2009-04-20 | 岡本 太郎 | 映画祭を通して見た現在のイタリア映画 |
346 | 2009-02-20 | 牧野 宣彦 | イタリアの歌劇場と音楽史跡 |
345 | 2009-01-20 | 戸倉 蓉子 | イタリアの幸せになるインテリア |
344 | 2008-12-20 | 松本 千城 | イタリア経済-停滞の構造 |
343 | 2008-11-20 | 山田 順 | ローマの地下世界-カタコンベ研究の現在 |
342 | 2008-10-20 | 机 直人 | 地中海に於けるイタリア・ビーチの魅力 |
341 | 2008-09-20 | 小佐野 重利 | 「ジョットの遺産」展にちなんで |
340 | 2008-08-20 | 橋都 浩平 | Giro d'Italia イタリア一周自転車レース |
339 | 2008-07-22 | 陣内 秀信 |
プーリア地方の海洋都市とその再生 ガッリーポリとモノーポリ |
338 | 2008-06-20 | 後 房雄 |
二大政党連合から二大政党へ -イタリア2008年総選挙- |
337 | 2008-05-20 | 香原 斗志 | プッチーニの女性観 |
336 | 2008-04-24 | 松永 安光 |
地域づくりの新潮流 ~スローシティー・アグリトゥーリズモ・ネットワーク |
335 | 2008-03-31 | 渡邉 晋輔 |
美術の中のヴィーナス ウルビーノのヴィーナス展を楽しむ |
334 | 2008-02-29 | 西村 善矢 | 中世の城塞集落を巡って |
333 | 2008-01-20 | 京藤 好男 | デカメロンの楽しみ方 |
332 | 2007-12-20 |
田村 信之 小野 壮彦 |
イタリアサッカーの魅力 -イタリアに於けるサッカーの現状 |
331 | 2007-11-28 | 金光 真理子 | サルデーニャの民俗音楽 |
330 | 2007-10-24 | 池上 俊一 | パスタとイタリア人 歴史的考察 |
329 | 2007-09-26 | 樺山 紘一 | パドヴァ;なぜこの小さな町が世界を惹きつけるのか |
328 | 2007-08-30 | 民岡 順朗 | 都市を癒す-イタリアに学ぶ修復型まちづくり |
327 | 2007-07-20 | 高橋 利安 | イタリアにおける国民投票の歴史 |
326 | 2007-06-20 | 増山 暁子 |
イタリア異界物語 -ドロミーティ山地の伝説は生きている |
325 | 2007-05-25 | 酒井 章 | プリモ・ウオモの黄金時代 |
324 | 2007-04-23 | 郷 富佐子 | イタリア映画と政治 |
323 | 2007-03-23 | 石井 元章 | 青年ミケランジェロの見たヴェネツィア |
322 | 2007-02-28 | 土屋 淳二 |
現代イタリアにおける若者のライフスタイル・ 価値観をめぐって |
321 | 2007-01-20 | 上野 隆幸 | 現代イタリアの移民問題 |
320 | 2006-12-15 | 土肥 秀行 | パゾリーニの詩と映画 |
319 | 2006-11-20 |
コラッド・ モルティーニ |
イタリア経済の現状 |
318 | 2006-10-14 | 佐々木 毅 | マキアヴェッリと政治の見方 |
317 | 2006-09-20 | 遠藤 芳英 |
国連食品規格委員会におけるイタリア特産品 (オリーブオイル,パルメザンチーズ)を巡る紛争の背景 |
316 | 2006-08-08 | 岩壁 義光 | 日伊修好通商条約の締結 |
315 | 2006-07-20 | 関根 勝 | 狂言と西洋古典劇-東西文化融合の試み |
314 | 2006-06-23 | 村上 信一郎 | ベルルスコーニのイタリア |
313 | 2006-05-20 | 川手 一男 | イタリアワインの魅力 |
312 | 2006-04-21 | 水谷 彰良 | サリエリとモーツァルト |
311 | 2006-03-20 | 工藤 裕子 | イタリアの『連邦主義』と日本の道州制をめぐって |
310 | 2006-02-15 | 池上 英洋 | イタリア美術の苦難の歴史と修復の哲学 |
309 | 2006-01-19 | 水野 雅文 | イタリア精神医療の光と影 |
308 | 2005-12-20 | 三森 のぞみ | アッシジの聖フランチェスコ |
307 | 2005-11-20 | 石鍋 真澄 | ピエロ・デラ・フランチェスカ |
306 | 2005-10-20 | 田之倉 稔 | ファシズムと文化 |
305 | 2005-09-20 | 秦野 るり子 |
バチカン、その仕組みと謎 -非キリスト教徒の視点から |
304 | 2005-08-20 | 押場 靖志 | 『輝ける青春』とイタリアの今 |
303 | 2005-07-27 | 渡辺 真弓 | パラーディオのヴィラをめぐる旅 |
302 | 2005-06-30 | 小林 元 |
機能と美をブランドに込めて消費者を魅了する イタリアのビジネス |
301 | 2005-05-19 | 鈴木 正文 | 旅としてのローマ散策 |
300 | 2005-04-16 | 松浦 保 | イタリアと共に50年 |
299 | 2005-03-20 | 井関 正昭 | イタリアの新しい美術の眺望 |
298 | 2005-02-15 | 牧野 宣彦 | 写真で見るゲーテの「イタリア紀行」 |
297 | 2005-01-20 | ピオ・デミリア | ベルルスコーニにおけるイタリア |
296 | 2004-12-20 | 朽見 行雄 | イタリアワイン紀行 |
295 | 2004-11-20 | 楠田 正義 | イタリアの中小企業文化政策 |
294 | 2004-10-20 | 白崎 容子 | イタリア文学史「超入門」2 |
293 | 2004-09-20 | 高橋 友子 | 14世紀フィレンツェの火災と消防団 |
292 | 2004-08-20 | エンリコ・デクレーパ | イタリアの大学改革 |
291 | 2004-07-20 | 篠 利幸 | ヴェネツィアの居酒屋文化バーカロ |
290 | 2004-07-20 | 岡村 喬生 | オペラとセックス |
289 | 2004-06-00 | 白崎 容子 | イタリア文学史『超』入門 |
288 | 2004-05-14 |
カリオ・デル・ ヴェスコーポ・ サルバトーレ |
サルデーニャ・シチリア―私の考える世界 |
287 | 2004-04-00 | 八木 宏美 | イタリア地方行政のE―ガバメント度の現状 |
286 | 2004-03-26 | 片桐 頼継 | レオナルド・ダ・ヴィンチの素顔 |
285 | 2004-02-00 | 林 茂 | イタリア式 少しのお金でゆったり暮らす生き方 |
284 | 2004-01-30 | 稲川 直樹 | ブタマンテ |
283 | 2003-12-08 | 宗田 好史 |
イタリアの世界遺産事情 -ベルパエーゼの文化的景観という視点 |
282 | 2003-10-31 | 稲垣 京輔 | イタリア人と企業・起業 |
281 | 2003-09-18 | 横山 淳一 |
地中海型食生活のすすめ -内科医から見たイタリア料理 |
280 | 2003-08-27 | 小佐野 重利 | VERONAの国際ゴシック |
279 | 2003-07-17 | 池谷 知明 | ガエターノ・モスカの政治理論 |
278 | 2003-06-13 | 篠 利幸 | 田園から見たイタリア アグリトゥリズモの旅 |
277 | 2003-05-15 | 山本 仁 | イタリアの治安情勢と警察活動 |
276 | 2003-04-11 | 前之園 幸一郎 | ピノッキオとイタリアの子どもたち |
275 | 2003-03-20 | 勝田 由美 |
イタリアにおける子宮摘出 -マリアローザ・ダラ・コスタ 『医学の暴力にさらされる女たち』を中心に |
274 | 2003-02-19 | 本村 凌ニ |
ローマ社会における(パンとサーカス)剣闘士を めぐって |
273 | 2003-06-13 | 陣内 秀信 | シチリア(新刊に寄せて) |
272 | 2002-12-05 | 村山 重信 | イタリアチーズの奥深さ |
271 | 2002-11-14 |
ロマーノ・ ウルピッタ |
(私の書いた)ムッソリーニ |
270 | 2002-10-18 |
Corrado Molteni |
日本・イタリアの経済行動比較論 |
269 | 2002-09-02 |
ダリオ・ ポニッスィ |
トリーノの魅力 |
268 | 2002-07-10 | ロベルト・マッジ | ベルルスコーニ政権1年を考える |
267 | 2002-06-13 | 澤井 繁男 |
『心臓を食べる話CUORE MANGIATO』の深層 -魔女の姿と女性論 |
266 | 2002-05-27 | 高田 和文 | ダリオ・フォーと現代イタリア演劇 |
265 | 2002-04-17 | 竹森 俊平 | 日本がイタリアから『経済』について学ぶべきこと |
264 | 2002-03-25 |
シルビオ・ マルケッティ |
今日のイタリア ヨーロッパ統合の歩みの中で |
263 | 2002-03-14 | 宮川 秀之 | 私達の歩んだ道 イタリア生活42年 |
262 | 2002-01-15 | 永竹由幸 | ヴェルディ・イヤーを締めくくる |
261 | 2002-01-29 | 宮下 孝晴 | 白てんを抱いた貴婦人をめぐって |
260 | 2001-12-01 | 小長谷 正明 | マラリアはローマの友達 |
259 | 2001-11-22 | 押場 靖志 | イタリア映画大回顧展に寄せて |
258 | 2001-10-26 | 宮下 規久朗 | カラヴァッジョの魅力 |
257 | 2001-09-19 | 安田 侃 | イタリアでの彫刻家生活など |
256 | 2001-08-29 | 青柳 正規 | 世界遺産 ポンペイ展 |
255 | 2001-07-08 | 関 孝弘 |
知らざれるイタリアの音楽家 -ガルッピ、チマローザなど |
254 | 2001-06-22 | 千葉 とき子 | イタリア 石の文化 |
253 | 2001-06-07 | 岩崎 慶市 | イタリアの財政構造改革 |
252 | 2001-05-25 | 伊藤 武 | 近年のイタリアの政党制の変化を考える |
251 | 2001-05-11 | 石鍋 真澄 | ヴェネッツィアの絵画展 |
250 | 2001-04-27 | 高梨 光正 | イタリア・ルネサンス展 |
249 | 2001-03-16 | 武谷 なおみ |
プリマドンナの《声》をひろう -マンマ・シミオナートとの対話 |
248 | 2001-02-22 | 馬場 裕 | 国際スローフード運動について |
247 | 2001-01-19 | 在原 勝 | ヴェルディオペラとイタリアのベルカント |
246 | 2000-12-04 | 瀬木 博基 | 経済を中心に見たイタリア社会 |
245 | 2000-11-25 | 大江 靖雄 | ウンブリア州に見るアグリツーリズモの現段階 |
244 | 2000-11-06 | 野沢 寛夫 | 日本人コック養成顛末記・食材の話 |
243 | 2000-10-19 | 山口 修一郎 | 岐路に立つイタリア・カルチョ |
242 | 2000-09-30 | 高山 博 | 中世シチリアの異文化交流 |
241 | 2000-07-12 | 遠藤 嶂 | ベネトンとイタリアファッション |
240 | 2000-06-19 | 井田 邦明 | イタリアと演劇論 |
239 | 2000-05-19 | 丸山 兼也 | イタリア産業界の将来 |
238 | 2000-04-20 | 小松 久也 | ローマ・文化会館は1日にしてならず |
237 | 2000-04-20 | 植村 邦 | イタリア共産党研究の視点 |
236 | 2000-03-14 | 青木 昭 |
システィ-ナ礼拝堂とミケランジェロ -修復13年のレポート |
235 | 2000-02-22 | 須藤 祐孝 | 15世紀フィレンツェとサヴォナローラ |
234 | 2000-01-00 | 金子 一也 | 世界に広がったイタリアオペラ |
233 | 1999-12-14 | 林 茂 | イタリアワインを楽しむ |
232 | 1999-11-18 | 桜井 悌司 | フィエラ、モーダ、カルチョ イタリアを理解する鍵 |
231 | 1999-10-21 | 藤川 鉄馬 | ユーロ誕生とイタリア経済 |
230 | 1999-10-13 | 森口 寿雄 | |
229 | 1999-09-17 | 末吉 考州 | グイッチャルディーニについて |
228 | 1999-07-16 |
ジュリアーノ・ デルベーロ |
イコンに読む聖書 |
227 | 1999-06-22 |
コンラッド・ モルティーニ |
イタリア経済の現状 |
226 | 1999-06-10 | 斎藤 実 | 司法と政治-構造汚職摘発の裏にあるもの |
225 | 1999-05-06 | 越川 倫明 | エルミタージュ美術館 イタリアルネサンス絵画 |
224 | 1999-04-16 | 陣内 秀信 | アマルフィ調査報告 |
223 | 1999-03-12 | 岡村 崔 | ミケランジェロを撮る-ローマ30年の軌跡- |
221 | 1999-02-18 | 西川 恵 | イタリア戦後社会と知識人-断絶から和解へ- |
220 | 1999-01-11 | 小川 秀樹 | イタリアの中小企業 |
219 | 1998-12-07 |
ALESSANDRO. G.GEREVINI |
イタリアにおける吉本ばなな現象 |
218 | 1998-11-17 | 長尾 重武 | レオナルド・ダヴィンチとミケランジェロ |
217 | 1998-10-15 |
Giovanni Capannelli |
ユーロ誕生における構造変化 |
216 | 1998-10-12 | 小林 元 | 北イタリアから学ぶもの |
215 | 1998-09-11 | 五井 憲子 |
西暦2000年を迎えるヴァチカン -ヨハネ・パウロ2世の業績 |
214 | 1998-07-11 | 水野 雅文 | イタリアのメンタルヘルスシステム |
213 | 1998-06-06 | 後 房雄 | 「オリーブの木」戦略と日本政府 |
212 | 1998-05-08 | 篠 利幸 |
イタリアの新しい旅のスタイル -アグリトゥリズモ |
211 | 1998-04-02 | 工藤 裕子 |
第2共和国(へ)の政治改革 -ヨーロッパ統合とイタリア分離の中で |
210 | 1998-02-25 | 平川 祐弘 | ウルビーノ ルネサンスの人と芸術 |
209 | 1998-01-23 |
Riccardo Amadei |
オペラよもやま話 |
208 | 1997-12-10 | 田中 俊郎 | EU統合-現状と課題=イタリアの貢献 |
207 | 1997-11-21 |
Zandro Appetitiz |
イタリア経済と「ユーロ」をめぐる問題 |
206 | 1997-10-31 | 英 正道 | イタリアにおける日本95,96年 |
205 | 1997-09-00 | 井口 勝文 | トスカーナのチェントロ山岳都市 |
204 | 1997-07-09 | 江島 正子 | マリア・モテッソーリの教育とは |
203 | 1997-06-25 | 田中 千世子 |
イタリア都市の歩き方・番外編 -イタリア映画の今・最後にバゾリーニ |
202 | 1997-05-22 | 西本 晃二 | 最近のイタリア、ホットな話題 |
201 | 1997-04-11 | 河野 靖夫 | イタリア経済の常識・非常識 |
200 | 1997-03-06 | 陣内 秀信 | サルデーニャの町と田園-聖と俗の空間 |
199 | 1997-01-17 | 平井 晋二 | 今年のイタリア政局展望 |
198 | 1996-12-20 | 村上 信一郎 | もしイタリアが一つの国でなくなるならば |
197 | 1996-11-15 | リア・ベレッタ | 幕末のイタリア人写真家 フェリーチェ・ベアート |
196 | 1996-11-25 | 丸山 武勇 | |
195 | 1996-09-13 | 小林 敏明 | プロ-ディー内閣の実績と今後の展望 |
194 | 1996-07-26 | 諏訪 康雄 | イタリアの雇用は改善されるか |
193 | 1996-06-28 | 佐藤 和子 | イタリア・デザイン |
192 | 1996-05-24 | 早川 淳 | 日伊ビジネスと現状と問題点 |
191 | 1996-04-19 | 岡本 義行 | イタリアの中小企業 |
190 | 1996-03-15 | 大内 伸哉 | 国民投票の労使関係への影響 |
189 | 1996-01-19 | 橋本 剛俊 | 現代イタリアヴァイオリン製作事情 |
188 | 1995-12-15 | 米坂 ヒデノリ | 漂白する魂の痕跡 |
187 | 1995-11-24 | 堀 新介 | 不思議の国イタリア |
186 | 1995-10-20 | 小里 仁 | 最近のイタリア内政について |
185 | 1995-09-22 |
サルバトーレ・ カリオ・デル・ ヴェスコヴォ |
サルデーニャとサルデーニャ人 |
184 | 1995-07-14 | 植村 峻 | 明治のお雇い外国人 キヨッソーネの業績 |
183 | 1995-06-23 | 小林 敏明 | この1年のイタリア内政-混沌なる世界 |
182 | 1995-05-26 | 相良 信 |
日本とイタリア -第2次大戦前夜から終戦の頃まで |
181 | 1995-04-21 | 馬場 裕 |
イタリア食文化の旅 -イタリア食文化の新しい動き- |
180 | 1995-03-17 | 篠 利幸 | イタリア写真紀行 |
179 | 1995-01-18 | 内藤 健三 | シェイクスピアとイタリア |
178 | 1994-12-16 | 神谷 傳造 | |
177 | 1994-11-18 | 甲斐 紀武 | 研修制度を中心とした外国人労働者問題 |
176 | 1994-10-21 | 竹内 啓一 | |
175 | 1994-09-30 | 森田 秀男 | |
174 | 1994-07-15 | 小島 晴洋 | イタリアの社会保障制度-年金を中心として- |
173 | 1994-06-17 | 楠田 正義 |
イタリア内政雑感 -革命は如何にして成就したか- |
172 | 1994-05-20 | 馬場 裕 | イタリア食文化の動き |
171 | 1994-04-15 | 市井 勇人 | 開港-明治期の横浜とイタリア |
170 | 1994-03-25 | 都丸 修一 |
混迷のイタリア政治 -戦後体制は終わったけれど |
169 | 1994-01-28 | 金高 雅仁 | イタリアのマフィア |
168 | 1993-12-17 | 金倉 英一 | 都市国家とイタリア |
167 | 1993-11-18 | 高田 和文 | イタリアにおける演劇活動への公的助成について |
166 | 1993-10-22 | 大内 伸哉 | 最近のイタリアの労働事情 |
165 | 1993-09-17 | 森田 秀男 | 連立大国イタリアの実験 |
164 | 1993-07-10 | 山沖 義和 | |
163 | 1993-06-18 | 団 名保紀 | |
162 | 1993-05-28 | 松浦 保 | |
161 | 1993-04-23 | 平野 新介 | |
160 | 1993-03-19 | 戸口 幸策 | 14世紀のイタリア音楽 |
159 | 1993-00-00 | 藤沢 房俊 | |
158 | 1993-00-00 | 竹内 裕二 | |
157 | 1992-00-00 | 秋山 余思 | |
156 | 1992-10-23 | 大木 博巳 | デ・ベネデッティとフィアット |
155 | 1992-00-00 | 大村 裕主 | イタリア・ウオッチング序説 |
154 | 1992-07-13 | 浅尾 新一郎 | イタリアから観た国際情勢 |
153 | 1992-06-12 | 石井 美樹子 | イタリアと聖母マリア |
152 | 1992-05-22 | 藤井 盛夫 | |
151 | 1992-04-17 | 朽見 行雄 | フィレンツェの職人と伝統的な手工芸品 |
150 | 1992-02-14 | 田村 貞雄 | 新日鉄のイタルシデルへの技術援助を通して |
149 | 1991-12-20 | 寄保 博幸 | イタリアの対外援助政策 |
148 | 1991-11-00 | 竹内 啓一 | |
147 | 1991-10-18 | 松浦 千誉 | イタリアの離婚 -その統計的な実態- |
146 | 1991-09-13 | 井口 泰 | イタリアの外国人労働問題 |
145 | 1991-07-10 | 太田 佳明 | 伊太利亜経済の現状と金融制度改革 |
144 | 1991-06-00 | 須賀 敦子 | |
143 | 1991-05-15 | 柴山 恵美子 | 育児休業制度 - イタリアと日本 |
142 | 1991-04-14 | 真柄 秀子 | 正当とアイデンティティ |
141 | 1991-02-21 | 落合 俊郎 | イタリアの教育に何を学ぶか |
140 | 1991-01-25 |
フェルナンド・ メゼッティ |
1993年以後のヨーロッパとイタリア |
139 | 1990-12-21 | 馬場 裕 | カンツォーネの生い立ちと現状(3) |
138 | 1990-00-00 | 丸山 元喜 | |
137 | 1990-00-00 | ボスケット | |
136 | 1990-10-23 | ウルバーニ | イタリアの政治構造 |
135 | 1990-09-21 | 陣内 秀信 | ヴェネツィア - 水上の祝祭都市 |
134 | 1990-07-20 | 巽 高英 | イタリアの内政問題について |
133 | 1990-06-22 | 中埜 栄三 | 生物学領域における日伊交流 |
132 | 1990-05-16 | 春山 修 |
複式簿記の祖述者ルカ・パチョーリとイタリアの 租税制度 |
131 | 1990-00-00 | 岩本 純 | |
130 | 1990-02-16 | 長手 喜典 |
イタリアはどう変わったか ~EC統合への対応からファッションまで~ |
129 | 1990-01-19 | 安部 俊二 | イタリアにおける会社経営~滞在20年の経験~ |
128 | 1989-12-22 | 山口 浩一郎 | 最近のイタリアの労使関係 |
127 | 1989-11-17 | 高下 一郎 | 受動的革命の原像 |
126 | 1989-10-00 | 清水 文夫 | |
125 | 1989-09-22 | 中澤 佐市 | イタリア経済の近況 |
124 | 1989-07-28 | 伊藤 昭一郎 | 80年代のイタリア共産党 |
123 | 1989-06-30 | 森田 秀男 | イタリアの政治と政治風土 |
122 | 1989-05-19 | 中村 隼夫 | 日本人にとってのこれからのイタリア |
121 | 1989-04-17 | 岡本 義行 | イタリア経済の現状 |
120 | 1989-02-24 | 田之倉 稔 | ピランデルロとシチリア - シチリアの演劇的空間 |
119 | 1989-01-00 | 上村 忠男 | |
118 | 1988-12-23 | 丸山 優 | イタリア「統合EC」の生産拠点に |
117 | 1988-11-24 | 大木 博巳 | 最近のイタリア経済事情 |
116 | 1988-10-21 | 井関 正昭 | 日伊交流の問題点:美術を中心として |
115 | 1988-09-16 | 松田 充史 | イタリアにおけるビジネス体験 |
114 | 1988-07-00 | 団 名保紀 | |
113 | 1988-06-00 | 三島 和夫 | |
112 | 1988-05-00 | 中西 哲之 | |
111 | 1988-04-00 | 市井 勇人 | |
110 | 1988-03-00 | 大堀 哲 | |
109 | 1988-02-00 | 千田 剛 | |
108 | 1988-01-00 | 藤沢 房俊 | |
107 | 1987-12-00 |
ロベルト・ マッジ |
|
106 | 1987-00-00 | 比沢 一行 | |
105 | 1987-00-00 | 谷口 清作 | |
104 | 1987-00-00 | 栗田 宏一朗 | |
103 | 1987-00-00 | 田中 千博 | |
102 | 1987-00-00 | 藤井 盛夫 | |
101 | 1987-03-00 | 松浦 千誉 | |
100 | 1987-02-20 | 竹内 啓一 | |
98 | 1987-01-00 | 団 名保紀 | ドナテッロとその新事実 |
97 | 1986-12-00 |
ヴィットリオ・ ヴォルピ |
日伊経済関係の問題点 |
96 | 1986-11-00 | 柳沢 修 | 最近のイタリア事情 |
95 | 1986-10-00 | 川手 一男 | イタリア・ワインの話 |
94 | 1986-09-00 | 作田 穎治 | 産業政策とイタリア |
93 | 1986-07-00 | 岡本 義行 | イタリア経済は変わったか |
92 | 1986-06-00 | 馬場 裕 | カンツォーネの生い立ちと現状 |
91 | 1985-00-00 | 柳田 武三 | 最近のイタリア政治・経済情勢 |
90 | 1985-00-00 | 陣内 秀信 | 広場の文化史 |
89 | 1985-00-00 |
コラッド・ モルテーニ |
伊経済専門誌に見るイタリア経済の実態 |
88 | 1985-00-00 |
アレッサンドロ・ ラーリン |
イタリア人商社マンからみた日本の商社 |
87 | 1985-00-00 | 平野 新介 | イタリア:政情と民情 |
86 | 1985-00-00 | 竹山 博英 | シチリアの風土 |
85 | 1985-00-00 | 浮田 博良 | イタリアからの輸入促進 |
84 | 1985-00-00 | 参加者全員 | みんなでイタリアを語る夕べ |
83 | 1985-01-00 | 木村 裕主 | イタリアで考えたこと |
82 | 1984-00-00 | 田辺 健 | 北伊を中心としたイタリアの現状 |
81 | 1984-12-00 | 柴山 恵美子 | 70年代に見るイタリアの婦人問題 |
80 | 1984-11-00 | 松江 陽一 | イタリア映画あれこれ |
79 | 1984-10-00 | 松浦 保 | イタリアテレコムの現状 |
78 | 1984-09-00 | 小西 雄二 | イタリアの小商業の許認可制度について |
77 | 1984-07-00 | 松浦 千誉 | イタリアの養子制度 |
76 | 1984-06-00 | 福島 徳良 | イタリアの恩赦制度 |
75 | 1984-05-00 | 佐藤 三夫 | ルネサンスの人間論 |
74 | 1984-04-00 | 田林 均 | 最近のイタリアにおける社会治安情勢 |
73 | 1984-03-00 | 野田 隆夫 | 最近のミラノに生活して |
72 | 1984-02-00 | 竹内 啓一 | イタリア地理学とアフリカ |
71 | 1984-01-00 | 伊沢 久昭 | ECとイタリア経済 |
70 | 1983-12-15 | 藤川 鉄馬 | イタリア年金制度の問題点と改革の方向 |
69 | 1983-11-27 | 諏訪 康雄 | イタリア労使関係の近況 |
68 | 1983-10-27 | 馬場 裕 | カンツォーネの生い立ちと現状 |
67 | 1983-09-22 | 豊島 英彦 | イタリアにおける最近の石油事情 |
66 | 1983-07-14 | 柴本 芳郎 | ヨーロッパ経済の近況 |
65 | 1983-05-19 | 岩本 純 | 労働移動について |
64 | 1983-00-00 | 田口 時夫 |
イタリア学派の統計方法論について -イタリア統計学の特色をみる |
63 | 1982-00-00 | 諏訪 康雄 | イタリアの労使関係の近況-現地を見て |
61 | 1982-09-25 | 荻野 芳夫 | イタリアの教育制度について |
60 | 1982-07-24 | 竹内 真一 | イタリアにおける若者の最近の動向 |
59 | 1982-06-26 |
ロマーノ・ ヴルピッタ |
コンフィンドゥストリアの組織と活動 |
37 | 1980-05-22 | 萩原 愛一 | 現代イタリア社会への一視角 |
35 | 1980-01-24 | 岩本 純 | イタリア労働市場の二重構造について |
34 | 1979-12-20 | 伊藤 昭一郎 | 戦後イタリア共産党における党内対立 |
31 | 1979-09-27 | 黒須 純一郎 | リソルジメント秘密結社考 |
29 | 1979-00-00 | 山口 浩一郎 | 最近のイタリアの労使関係 |
28 | 1979-05-24 | 大西 克寛 | イタリアの議会制度と選挙制度 |
27 | 1979-04-26 | 河野 譲 | 続イタリア共産党における党内論争=1928-1943 |
25 | 1979-02-22 | 笛吹 明男 | イタリア電力事業の労使関係 |
22 | 1978-11-16 | 藤川 鉄馬 | イタリア経済危機の構造分析 |
21 | 1978-10-26 | 河野 穣 | イタリア共産党の党内論争=1921-1930 |
20 | 1978-09-28 | 星井 鉄弥 | 原子力発電とイタリア産業 |
15 | 1978-00-00 | 日向寺 純男 | 財政錯覚-イタリア財政学 |
13 | 1978-00-00 | 笛吹 明男 | イタリア電力国有化とその評価 |
12 | 1978-00-00 | 田辺 敬子 | 労働者の学習権と「150時間」 |
11 | 1977-00-00 | 堺 憲一 | イタリアの農業--過去と現在 |
10 | 1977-00-00 | 河野 穣 | 歴史的妥協と労働運動 |
9 | 1977-00-00 | 伊沢 久昭 | イタリアのエネルギー事情 |
8 | 1977-00-00 | 木村 裕主 | 現地に見たイタリアの近況 |
7 | 1977-00-00 | 伊藤 昭一郎 | 「サレルノの転換」前後 |
6 | 1977-00-00 | 山口 浩一郎 | イタリアの労働者生活-フレックスタイムとアブセンティズム |
5 | 1977-00-00 |
井上 隆一郎 吉田 寿男 |
貿易関係について |
4 | 1976-00-00 | 松浦 保 | 戦後におけるイタリア経済政策の推移 |
3 | 1976-00-00 | 諏訪 康雄 | 最近の労働協約改訂について |
2 | 1976-00-00 | 度会 勝義 | 国家持株会社組織の分析 |
1 | 1976-09-16 | 森田 雄二 | 最近のイタリアの政治事情 |
12月例会第2回(463回)
・日時:2018年12月19日 (水) 19:00-21:00
・場所:東京文化会館 4F大会議室
・講師:渡辺晋輔氏(国立西洋美術館主任研究員)
略歴:鎌倉出身。東京芸術大学と東京大学で学ぶ。専門はイタリア美術史。著書に『Art Gallery 1 ヴィーナス――豊穣なる愛と美の女神』(共著、集英社)等。企画した展覧会に、『ラファエロ展』『グエルチーノ展』『アルチンボルド展』等。
・演題:ルーベンス展—バロックの誕生
概要:国立西洋美術館で開催中のルーベンス展について、監修者が解説する。ルーベンスは17世紀、主に現在のベルギーで活動した画家だが、若い頃約8年間をイタリアで過ごし、終生にわたりこの地に愛着を持ち続けた。講演ではルーベンスがいかにイタリア美術を学んで自らの作品に役立て、そして彼の作品がどのようにして次世代のイタリアの画家たちに影響を与えたのかということを中心にお話しする。(渡辺晋輔)
463回イタリア研究会例会が開かれました。現在国立西洋美術館ではルーベンス展が開かれていますが、それに関連した内容で、講師は同美術館主任研究員の渡辺晋輔さん、演題名は「ルーベンス展—バロックの誕生」でした。
これを読んで「ルーベンスはフランドルの画家でイタリア研究会の演題としてはどうなの?」と思われた方もあるかもしれません。しかしルーベンスはイタリアに長く滞在した事がありますし、各国の画家やパトロンたちとはもっぱらイタリア語で通信していたくらいイタリア文化に精通していました。そもそも渡辺さんが企画した今回の展覧会が、これまで日本で開催されたルーベンス展とは異なり、ルーベンスとイタリアとの関わりを中心のテーマにしているのです。
渡辺さんが最初に強調したのが、彼がヨーロッパの絵画に与えた巨大な影響です。それは彼の生前から現在に至るまで、ずっと続いており、彼が忘れ去られた時代はありませんでした。これは稀有な事であり、彼の作品のレベルが高くしかも多作でもあったことが影響しています。彼は当時の画家としては異例なほどの高い教養を持ち、並外れた知性の持ち主でした。そのためにクラウディオ・モンテヴェルディ、ガリレオ・ガリレイなど同時代の最高のインテリたちとの付き合いがあり、外交の役割を担って各宮廷にも出入りをして、最高の美術品を目にする事ができたのです。とくにローマに滞在していた時には、ラオコーンを初めとする多くのギリシャ・ローマ時代の彫刻作品のデッサンを残しており、そのモチーフを後の作品の中に繰り返して用いています。いわば彼は石の彫刻に色と生気を与えて画面の中で生き返らせたという事が言えるでしょう。
また彼の作品、とくにローマの境界キエーザ・ヌオーヴァの祭壇画はイタリアの同時代そして後の世代の画家たちに大きな影響を与え、バロック絵画の誕生を促したのです。こうして考えてみると、ルーベンス自身がイタリアに行く事によって、古典美術、カラヴァッジョ、ティツィアーノ、ティントレットらの作品から影響を受けてみずからの芸術を完成させ、その彼の作品がアンニーバレ・カラッチ、グイド・レーニなどに影響を与えてイタリアのバロックが発展したわけですから、ルーベンスとイタリアとの関わりは、我々が考える以上の拡がりを持っているという事ができると思います。
渡辺さん、いつもながらの明快で中身の濃いお話をありがとうございました。まだルーベンス展をご覧になっていない方、ぜひお出かけください。会期は1月20日までです。(橋都浩平)
12月例会第1回(462回)
・日時:2018年12月7日 (金) 19:00-21:00
・場所:東京文化会館 4F大会議室
・講師:伊藤亜紀氏 (いとうあき)
略歴:1967年千葉県生まれ。1999年お茶の水女子大学大学院人間文化研究科博士課程修了。博士(人文科学)。現在、国際基督教大学教養学部教授。専門はイタリア服飾史と色彩象徴論。
【著書】『色彩の回廊──ルネサンス文芸における服飾表象について』(ありな書房、2002年)、『青を着る人びと』(東信堂、2016年)など。
【訳書】ドレッタ・ダヴァンツォ=ポーリ監修『糸の箱舟 ヨーロッパの刺繍とレースの動物紋』(悠書館、2012年(共訳))、『イタリア・モード小史』(知泉書館、2014年(共訳))など。
・演題:不変にして、定まらず──「アッズーリ」の源流
概要:いまや、日本のマスコミにもすっかり定着した感のある、サッカーをはじめとするすべての競技のイタリア・ナショナル・チームの通称「アッズーリ(Azzurri)」。しかしイタリア人は、この青という色を、古くから熱烈に愛してきたわけではなく、むしろ15世紀以前は明らかに敬遠していた。中世末期からバロック期の初めにかけて、彼らの青に対するイメージはどのように変化し、そして何処へ辿り着いたのかを、「誠実」「フランス」「卑賤」「不実」「嫉妬」という5つのキーワードで読み解く。(伊藤)
イタリア研究会第462回例会が開かれました。演題名は「不変にして、定まらず—“アッズーリ”の源流」、講師は国際基督教大学教養学部教授の伊藤亜紀さんでした。
われわれイタリア好きはアッズーリと聞くと、反射的にサッカーのイタリア・ナショナルチームを思い出しますが、じつは他のスポーツ、自転車競技、バレーボール、新体操などでも同じ色のユニフォームが使われています。そうすると、アッズーリ(青)が古くから勇気や勝利のシンボルとして使われてきたと考えたくなりますが、決してそうではありません。
そもそも青はむしろフランス王家の色と認識され、フランスという国家を代表する色でもありました。フランス王家の紋章は青地に金の百合(アイリス)で、この青は聖母から来ていると考えられます。なぜ青が聖母の色となったかというと、青空こそ聖母にふさわしいという理由の他に、ヨーロッパでは青の顔料となるラピスラズリ(ウルトラマリン)が黄金並に高価であったため、高貴な色と考えられるようになったという理由があります。それでは青が常にポジティブな意味を担っていたかというと、そうではなく不実を表す色として使われている文学作品も存在します。また鮮やかな青は別として、少なくともくすんだ青は庶民の用いる卑賤な色とも考えられていました。それは布地を藍色に染色するために用いられていたタイセイという植物が非常に安価でもっぱら庶民の衣服に用いられ、しかも発酵させる時に悪臭を放つ事によります。
一方、イタリアでは青が上流階級で用いられる事は少なく、北イタリアのいわばフランスかぶれの貴族たちに用いられていました。フィレンツェを含む中部イタリアでは、赤が高貴な色と考えられていました。そして青は嫉妬の象徴とされていたのです。その理由はいささか後付け的ではありますが、波の動きが決して静まる事がないように、不信の心も決して静まる事がないからだというのです。このように歴史的に見てみると青という色は、きわめて両義的な扱いを受けており、単純に勇気や勝利のシンボルとは言えない事が分かるかと思います。
伊藤先生、たいへん興味深いお話をありがとうございました。(橋都)
11月例会(461回)
・日時:2018年11月6日 (火) 19:00-21:00
・場所:東京文化会館 4F大会議室
・講師:水谷彰良氏(日本ロッシーニ協会会長)
略歴:水谷彰良(みずたに あきら)1957年東京生まれ。音楽・オペラ研究家。日本ロッシーニ協会会長。フェリス女学院大学オープンカレッジ講師。オペラやコンサートのプログラム、CD・DVD解説、翻訳、エッセイなどを多数執筆し、『レコード芸術』(音楽之友社)、『モーストリー・クラシック』(産経新聞社)等に定期寄稿。『サリエーリ』で第27回マルコ・ポーロ賞を受賞。多数の論考を日本ロッシーニ協会のホームページに掲載。https://www.akira-rossiniana.org/
【著書】『ロッシーニと料理』(透土社、1993/2000年)、『プリマ・ドンナの歴史』(全2巻。東京書籍、1998年)、『消えたオペラ譜』(音楽之友社、2003年)、『サリエーリ』(同前、2004年)、『イタリア・オペラ史』(同前、2006年)、『新 イタリア・オペラ史』(同前、2015年)、『セビーリャの理髪師 名作を究める十の扉』(水声社、2017年)
【共著】『新編 音楽中辞典』(音楽之友社、2002年)、『新編 音楽小辞典』(同前、2004年)、『ジェンダー史叢書・第4巻 視覚表象と音楽』(明石書店、2010年)、『ローマ 外国人芸術家たちの都(西洋近代の都市と芸術 第1巻)』(竹林舎、2013年)ほか多数。
・演題:ロッシーニの芸術とその特質~没後150年を記念して
概要:昨年11月、イタリア上院議会はロッシーニ没後150年を祝う特別法案を可決し、2018年を“ロッシーニ年”と宣言しました。ユネスコもロッシーニ生誕の地ペーザロを“音楽の創造都市”に認定しています(同年10月)。日本ではウィリアム・テル序曲の作曲者、トリュフとフォアグラを乗せたステーキの考案者として記憶されるロッシーニですが、研究者の間ではモンテヴェルディやモーツァルトと並ぶ天才との評価が定着しています。この講演では、法案に記された“人類の偉大な価値、自由、愛、生と死の意味、大いなる人間の情熱を普遍的言語の音楽で独創的かつ無類の力で表現した偉人”ロッシーニの芸術とその特質を、上演映像を交えてお話します。(水谷)
イタリア研究会第461回例会はロッシーニに関する演題でした。じつは今年はロッシーニ没後150周年にあたり、ロッシーニ・イヤーと定められています。しかし日本でのロッシーニの評価は低く、「ウィリアムテル序曲」「セビーリャの理髪師」の作曲家、「グルメ」で片付けられてしまいがちです。
講師の日本ロッシーニ協会会長の水谷彰良さんは、ロッシーニをモンテヴェルディ、モーツァルトに並ぶ3大オペラ作曲家と位置づけて、彼の真価を知ってもらうために奮闘を続けています。一時は世界中で人気を誇った彼のオペラが上演されなくなってしまったことにはいくつかの原因がありますが、彼が生涯半ばでオペラ作曲の筆を折ってしまったこと、彼のオペラは歌手に超絶技巧を要求し、それを担うべき歌手が少なくなってしまったこと、彼の本当の真価はオペラ・セーリアにあるにもかかわらず、初期のオペラ・ブッファがもてはやされて偏った評価しかされなかったこと、舞台上にブラスバンドを配置するなど、上演に人員とお金を要したこと、などが上げられます。彼がオペラを作らなくなった原因の第一は、フランスの7月革命にあったという事です。革命で打倒された前王朝とのオペラ作曲の契約、前王朝から受け取っていた年金問題などによってロッシーニが身動きを取れなくなったというのが真相のようです。
彼の真価が表れていながら、日本ではほとんど上演されることがないロッシーニのオペラ・セーリアのいくつかをDVDで鑑賞することができましたが、「オテッロ」「湖の女(湖上の美人)」「マオメット2世」「ギヨーム・テル(ウィリアムテル)」の音楽性とドラマ性は本当に素晴らしく鳥肌物でした。また彼はヴェルディに先がけて自由主義、反権力、イタリア独立運動に共感して、それを暗喩するリソルジメント・オペラと呼ぶべき作品群を残しています。この点においても評価が十分でないのは残念なことです。いずれにしても充実したレジメと映像、お話により、参加者のロッシーニ観が僕を含めてまったく変わってしまったのではないでしょうか。日本で彼のオペラ、とくにオペラ・セーリアが上演されるようになることを祈りたいと思います。水谷彰良さん、ありがとうございました。(橋都浩平)
10月例会(460回)
・日時:2018年10月8日 (月) 19:00-21:00
・場所:東京文化会館 4F大会議室
・講師:石井 元章氏 (大阪芸術大学教授)
略歴:石井元章(いしいもとあき)
1957年群馬県生まれ。1983年東京大学法学部卒業、1987年東京大学文学部イタリア語イタリア文学科卒業。1997年東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了(文学博士)。2001年ピサ高等師範学校大学院文哲学コース修了(文学博士)。現在大阪芸術大学教授。専門はルネサンス期イタリア彫刻、明治期日伊交流史。
著書:『ヴェネツィアと日本 -美術をめぐる交流』ブリュッケ、東京 1999年;
『ルネサンスの彫刻 15・16世紀のイタリア』ブリュッケ、東京 2001年、2007年;
Venezia e il Giappone - Studi sugli scambi culturali nella seconda metà dell’Ottocento, Istituto Nazionale di Archeologia e Storia dell’Arte, Roma 2004年;『明治期のイタリア留学 文化受容と語学習得』吉川弘文館、東京2017年
主要論文:「アントーニオ・ロンバルドの古代受容」『美術史』141(1996)、pp.92-118;"Antonio Lombardo e l'antico: qualche riflessione", Arte Veneta, 51(1998), pp.6-19;「ミケランジェロの古代受容」『藝術文化研究』10(2006.3)pp.115-152;「啓示としての洗礼 トゥッリオ・ロンバルド作《ヴェネツィア総督ジョヴァンニ・モチェニーゴ記念碑》に関する一考察」『西洋美術研究』13(2007.7), pp.229-248;“Battesimo come Illuminazione - Qualche riflessione sul monumento del doge Giovanni Mocenigo di Tullio Lombardo”, a cura di Matteo Ceriana, Tullio Lombardo – scultore e architetto nella Venezia del Rinascimento Atti del Convegno di studi,
Venezia, Fondazione Giorgio Cini, 4-6 aprile 2006, Cierre, Verona 2007.10, pp. 99-115;“La metamorfosi d’ippocampo: l’antico in Antonio Lombardo e in Jacopo Alari-Bonacolsi detto l’Antico”, a cura di Victoria Avery e Matteo Ceriana, L’Industria artistica del bronzo del
Rinascimento a Venezia e nell’Italia settentrionale, Atti del Convegno Internazionale di Studi, (23-24 ottobre 2007), Scripta edizioni, Verona 2009.12, pp.135-156;「海馬の変容 古代、アンティーコとアントニオ・ロンバルド」『美術史』168 (2010.3), pp.308-322;「ヴェネツィア共和国における彫刻の変遷」『芸術』38 (2015.12), pp. 29 - 37など。
・演題:長沼守敬研究の成果と課題 新発見の作品を中心に
概要:『明治期のイタリア留学』では主だった4人を中心に1880年代にイタリアに留学した日本人留学生に焦点を当てた。その中で川村清雄に関しては、2年か3年後にヴェネツィア近代美術館と日本で本研究に基づいた展覧会を開催することがほぼ決まった。また、長沼守敬についてはその後の調査研究で新たな作品が18点見つかり、現在モノグラフを現在執筆中である。今回は最近の研究で明らかになった点や、新発見の長沼作品について、それを紹介すると共に、発見の経緯などについてもお話したい。(石井)
第460回例会が開かれました。講師は大阪芸術大学教授の石井元章さん、演題名は「長沼守敬研究の成果と課題:新発見の作品を中心に」でした。
石井さんはもともとルネサンス期イタリア彫刻の研究がご専門ですが、最近は明治期にイタリアに留学した留学生たちの研究にも力を入れています。昨年は「明治期のイタリア留学:文化受容と語学習得」という本を出版されましたが、その中の一つの章を彫刻家の長沼守敬に充てています。石井さんは、長沼の研究を続けてきた方の高齢化、長沼の子孫が亡くなるなどの出来事に刺激され、彼の業績を保存し顕彰することを最重要なテーマとして研究を続けています。今回は前回の出版以降の研究の進展について話をされました。
長沼は岩手の出身で、イタリアに渡ったのは芸術を勉強するためではなく、イタリア語を身につけるためでした。ところが他の留学生たちに刺激を受け、あえて彫刻を学ぶことにしたのです。ですから何の修練も受けてはいなかったのだと思いますが、才能があったのでしょう、ヴェネツィア美術院の秘書官が特別に彼の名前を挙げて賞賛するほどの技量を示したのです。当時の作品のほとんどは写真が残っているだけですが、彼の驚くべき才能を示しています。彼は留学中には塑像だけではなく彫像も制作していましたが、日本には大理石がないため、帰国後にはもっぱら塑像だけを制作しています。彼の作品の同定がむつかしいのは、青銅彫刻は、鋳造する技師や台座の製作者との共同作品と考えられていたためと、長沼の控え目な性格とから、ほとんどの作品に彼の署名が入っていないことです。石井さんは、彫刻の注文を出した機関の文書に直接当たるなどの苦労を重ねて、彼の作品の同定を進めてきました。しかし、残念ながら戦争中に供出された作品も少なくないということです。
最大の発見は、台湾の鉄道建設の父・長谷川謹介座像(長沼の呼び方では腰掛像)の石膏原型の発見です。これは長沼の弟子であった和田嘉平治が戦争中に空襲を避けるため、東京から故郷の足利までリアカーでみずから運搬し、実家の蔵の中にこれまで保存されていたという感動的なエピソードに彩られていますい。彼の作品の価値がどれだけ高く評価され、彼が弟子にどれだけ愛されていたかを示すエピソードでしょう。
石井さん、未発表のデータを含む貴重なお話をありがとうございました。(橋都)
過去の講演の内容は、記録があり、講演者の承諾が得られている場合のみ、掲載します。