第526回例会
日時:2024年12月11日(水)19:00~21:00 (JST 質疑応答含む)
場所:レンスペハツダイ
東京都渋谷区本町2-45-7(下記HPご参照)
https://www.spacemarket.com/spaces/renn_space_hatudai/
+オンライン(Google Meet)
講師:大江 博氏(東京大学客員教授 前駐イタリア日本大使)
講師略歴
1955年 福岡県博多生まれ、東京大学経済学部を経て、外務省入省。本省では、国連政策課長、条約課長、地球規模問題担当審議官、防衛省防衛政策局次長等、在外勤務としては、韓国、米国、タイ等に赴任した。 2005年から 2007年までは、東京大学の「人間の安全保障プログラム」の教授も経験した。 2011年から、 2年強、駐パキスタン大使としてイスラマバードに赴任すると共に、帰国後は、 TPPの首席交渉官代理、後に、首席交渉官として TPP交渉に当たった。その後、 2017年から、パリの OECD代表部大使、 2020年からは、駐イタリア大使として、ローマに赴任した。 2022年 10月に帰国し、外務省を退官。現在は、東京大学公共政策大学院の客員教授を務めると共に、会社の役員や顧問をしている。
演題:日本 vs イタリア 日本人 vs イタリア人
概要
私は、 2020年 1月から 2022年 10月まで駐イタリア日本大使として、ローマに駐在した。
時折しも、イタリアでは、コロナでローマがロックダウンになる一月少し前で、赴任中にコロナ禍、ウクライナ戦争、エネルギー危機等を経験すると共に、首相もコンテ首相、ドラギ首相、そして、メローニ首相と変わった。
日本でも、コロナ禍、ウクライナ戦争、エネルギー危機への対応を求められたし、首相も、安倍首相、菅首相、岸田首相、石破首相と頻繁に変わった。
又、イタリアも地震の多い国であるが、日本では、本年一月には、能登大地震が起こった。
これらの事態に対するイタリア政府と日本政府の対応、又、イタリア人と日本人のそれぞれの事態に対する対応、更には、イタリア人気質と日本人気質の類似点、大きな違いを肌で感じることの多い経験であった。これらの事について私が感じ、考えた事をお話ししたい。(大江 博)
12月11日に第526回イタリア研究会例会がハイブリッドで開催されました。講師は前駐イタリア日本大使で東京大学客員教授である大江博さん、演題名は「日本vsイタリア 日本人vsイタリア人」です。
大江さんは2020年1月にローマの日本大使館に赴任しましたが、その直後に北イタリアで当時は謎の感染症とされた新型コロナウイルス感染症が発生し、1ヶ月余り後にはローマでもロックダウンになるという体験をしました。当時イタリアではコロナによる死亡率が10%で、65歳以上の高齢者では3〜4割に達していましたので、容易な事態ではありませんでした。なぜイタリアでこれほどのパンデミックになったかについては、さまざまな要因がありますが、サッカー場で感染が広がったなどの要因のほかに、感染勃発当初に病院のベッドが足りなくなり、やむなく高齢者施設に感染者を収容した事が大きかったようです。他のヨーロッパ諸国では、イタリアでのこうした経験から学んで対応することができたのです。パンデミック、それに対するロックダウンへのイタリア国民の対応は、日頃のイタリア人の行動体系を考えれば、見事であったというべきでしょう。厳密な行動制限に従っただけではなく、医療関係者の奮闘、リタイアした高齢医師の招集に多数が応募するなど、社会のため、他人のために自己犠牲も厭わないという国民性が発揮され、感染者への差別もほとんど認められませんでした。ロックダウン解除後に大江さんは、ほとんど観光客がいないフィレンツェ、ヴェネツィア観光を楽しむという恩恵を享受したそうです。
日本人はイタリア、イタリア人が好きですが、ヨーロッパの中でイタリアがいちばん日本付き、日本人付きが多く、親近感を感じているようです。伝統工芸・職人を大事にする国民性、地震をはじめとする災害大国であること、資源に乏しく資源安全保障に敏感であることなどの共通点もあります。政治の世界では、長期政権が少なく、首相が頻回に交代するのも共通点ですが、特段の政策論争なしに首相が交代するのが、イタリアの特徴だそうです。日本では極右と呼ばれているメローニ首相も、前政権と極端な変化は行わず、これまでのしがらみが無いだけに、マフィア対策にも成果を上げており評価できるということでした。ただドラギのようなECとの密接な関係がないだけに、他国との協調がどれだけできるかが今後の課題です。日本がイタリアに学ぶべき点は、真に必要な政策は国民への忖度なしに実行すること、難民受け入れに積極的であること、日本では崩れつつある家族関係を大事にしていること、郷土愛が強く、地方都市にも魅力があふれていること、災害に際しては、日本以上に組織化されたボランティア活動が盛んであること、などが挙げられます。大江さんがイタリアは基本的に人が暖かい国だということを強調されていたのが印象的でした。
大江さんは大の猫好きで、ローマの日本大使館の庭にやってくる猫たちの世話もしていたそうですが、後任の大使が残念ながら猫嫌いで、大江さんは現在も大使館職員に頼んで、ポケットマネーで猫の世話をお願いしているという微笑ましいエピソードも紹介されました。大江さんはピアノの名手としても有名で、例会後の近くのイタリア料理店での懇親会の最後には、お店のピアノを使って、大江さんによるベートーベンの悲愴ソナタの第2楽章の素晴らしい演奏が披露されました。大江さん、素晴らしいお話とピアノの名演奏をありがとうございました。
(橋都浩平)
第525回例会 ※リアル会場とZOOMでハイブリッド開催
日時:2024年11月17日(日)16:00~18:00 (JST 質疑応答含む)
場所:ビジョンセンター東京日本橋 601号室 中央区日本橋1-1-7 OP日本橋ビル6F
https://www.visioncenter.jp/tokyo/nihonbashi-1chome/access/
+オンライン(Google Meet)
講師:水谷彰良氏(日本ロッシーニ協会会長)
講師略歴
1957年東京生まれ。音楽・オペラ研究家、日本ロッシーニ協会会長。ドイツ・ロッシーニ協会会員。著書
に『プリマ・ドンナの歴史』 (全 2巻。東京書籍 )、『消えたオペラ譜』『サリエーリ』『イタリア・オペラ史』『新 イタリア・オペラ史』 (共に音楽之友社 )、『ロッシーニ『セビーリャの理髪師』』 (水声社 )、『サリエーリ 生涯と作品』 (復刊ドットコム )、『美食家ロッシーニ』 (春秋社 )など。『サリエーリ』で第 27回マルコ・ポーロ賞を受賞。オペラの公演プログラムや CD・ DVD・ BDの解説も執筆し、日本ロッシーニ協会の紀要とホームページに多数の論考を掲載。
演題:美食家ロッシーニ ~フィクションから真実へ
概要
デビュー作《結婚手形》 (1810年ヴェネツィア初演 )から最後の歌劇《ギヨーム・テル》 (1829年パリ初演 )まで、 20年間に 39の歌劇を発表したジョアキーノ・ロッシーニ (1792-1868)は、時代最高の作曲家として人気を博した。 1829年 1月パリで出版された『食通年鑑』が「最も有名な美食家・音楽家ロッシーニ氏」に捧げられたことでも分かるように、音楽と料理の“元祖二刀流”でもある彼は、トリュフとフォアグラの付け合わせの考案者としてフランス料理史にその名を残した。従来のレシピが確かな典拠を欠くことから料理の創作はフィクションと思われたが、近年マーラー音楽メディア図書館とフランス
国立公文書館で自筆レシピが発見され、史料の発掘も進んでいる 。この講演では、 1993年の旧著
『ロッシーニと料理』から 30年を経て研究書にグレードアップした『美食家ロッシーニ』 (春秋社、
2024年 )を基に、豊富な視覚資料も交えてこの問題に関する謎と真実を明らかにしたい。(水谷彰良)
11月17日に日本橋のビジョンセンター東京日本橋とZOOMでハイブリッドで第525回例会が行われました。
講師は日本ロッシーニ協会会長で音楽・オペラ研究家の水谷彰良さん、演題は「美食家ロッシーニ~
フィクションから真実へ」でした。
ロッシーニが19世紀を代表する偉大なオペラ作曲家であっただけではなく美食家でもあったことは、
日本でも広く知られていますが、それはトリュフとフォアグラを載せた「牛フィレ肉のステーキ
ロッシーニ風」などのメニューをオンリストしているレストランがあったり、テレビ番組でも
しばしば美食家としてのロッシーニを紹介していることなどがありますが、これは1993年に水谷さん
が出版された「ロッシーニと料理」という本がきっかけとなっています。
それ以前にロッシーニと美食に関する本格的な研究は行われていず、この本は世界初のロッシーニの
美食に関する研究書となり、その後ファミリーレストランのデニーズが、冬の特別メニューに
「牛フィレ肉のロッシーニ風」を採用してロングセラーとなったり、カルビーポテトチップス
"ロッシーニ味"などの商品が発売されたりしました。
講演の中で紹介された1991年にドイツのバイエルン放送局のドキュメンタリー番組の中に登場し
水谷さんとも親交があったアメリカ人の著名な音楽研究家、フィリップ・ゴセット先生は、番組の
中でロッシーニが美食に関しても作曲同様に心血を注いでいたという説に対して疑問視しており、
「ロッシーニが食いしん坊であったのは疑いはないが、あくまで音楽家であり"料理人"であったと
いうのは虚像である」と断言、取材している青年に対して「証拠があるなら見せたまえ!」と。
NHK教育テレビで翌年に放送されたこの番組を見た上で、翌年水谷さんは「ロッシーニと料理」を
出版するわけですが、その時点で調べつくした情報を掲載、とりわけ当時の愛人で後に結婚する
高級娼婦のオランプ・ペリシエがエクトル・クヴェールに送った手紙に、ロッシーニが毎日新しい
料理の創作に意欲を見せていること、ロッシーニ本人が食材や料理についてさまざまな人々と交わした
書簡などをロッシーニの料理創作の根拠としています。
ただし、一般にロッシーニが創作したといわれているフランス料理の「トゥルヌド・ロッシーニ」に
ついては、ロッシーニの生前にこの料理に言及した新聞や書籍が存在しないことから、ロッシーニ
が創作した料理ではない、と結論付けています。
1993年の出版から30余年を経て今年上梓された「美食家ロッシーニ」では21世紀になってから発見
された、パリのマーラー音楽メディア図書館所蔵のロッシーニ自筆ノートに書かれたレシピなどを
紹介しています。
講演の後半では、同書でも紹介されているロッシーニが描かれているカリカチュアの数々もも様々な
エピソードとともに紹介されました。その中で、ロッシーニが作曲家としての収入以外に賭博場から
収入を得ていたこと、30代で引退してから当時の大学教授の年収の3倍くらいの年金を終身で受け取って
いて、ロッシーニが生きている間に莫大な富を手に入れていたことなども紹介され、彼が作曲家を
やめたのは、料理人になるからではなく、すでに十分な蓄財があり、故郷に帰って父親と暮らしたかった
からである、ということも紹介されました。
水谷さん、貴重な面白いお話しをしていただき、ありがとうございました。(運営委員:岡田亮一)
第524回例会 ※リアル会場とGoogle Meetでハイブリッド開催
日時:2024年10月19日(土)16:00~18:00 (JST 質疑応答含む)
場所:場所:早稲田大学戸山キャンパス 31号館 102教室
※戸山キャンパス正門から入構、スロープを登り切ったところを左の校舎に入り最初の教室
https://www.waseda.jp/top/access/toyama-campus
https://www.waseda.jp/top/assets/uploads/2014/08/edb11e6c82861fa22b605950bcfdee00.pdf
講師:ディエゴ・マルティーナ氏(Diego Martina 日本文学研究家・俳人・翻訳家)
講師略歴
1986年生まれ。日本文学研究家、俳人、翻訳家。ローマ・ラ・サピエンツァ大学東洋研究学部日本学科、
日本文学を専攻、東京外国語大学、東京大学大学院の留学を経て、修士課程修了。俳人・黒田杏子に師事。東京大学他において、非常勤講師。 FM愛媛のラジオ番組『イタリア流俳句時間』のパーソナリティを務める。谷川俊太郎『二十億光年の孤独』と『 minimal』、夏目漱石や黒田杏子の俳句集をイタリア語訳、刊行。著書に、『元カノのキスの化け物』(アートダイジェスト)、『誤読のイタリア』(光文社新書)がある。『角川俳句』や岩波書店の『図書 』において、俳句をめぐるエッセイを寄稿。
演題:イタリア語で俳句を詠む-翻訳が活かす「言葉の間(あわい)」
概要
世界で最も短い文学としても知られる「俳句」の文化は、近年国境を超え、西洋をはじめ世界中に広がっています。この普及において大きな役割を果たすのが、翻訳です。優れた翻訳の恩恵で、著名な芭蕉、蕪村、子規らの句集をはじめ、無名の俳人の句までもが、各国の読者に賞賛されています。
俳句を訳すという作業は、翻訳家にとって、形式上においても、実質面においても大いなる挑戦 となります。どの言葉を選べば、原文の切れ字を活かし、訳文に それを反 映できるのか。どの様にして、日本人独特の美意識、自然観、情趣 など を短い訳文を通して読 者に伝えられるのか、その課題は山ほどあるでしょう。
「 そもそも、 外国語には 季語が無かったり、 日本語 とは 季節感が異な ったりする 。 俳句を外国語に訳すのは、意味があるのだろうか」。 本講演では、この疑問の答えを探す意味合いでも、原文とイタリア語 訳 を比較しながら、日本の「俳句」と外国の「 HAIKU」の違いに着目し、俳句を訳すにあたっての、翻訳家が向き合うべ き 課題の数々と、その解決法を掘り下げていきたいと思います。
(ディエゴ・マルティーナ)
10月19日、イタリア研究会第524回例会がハイブリッドで開催されました。講師は日本文学研究家で詩人・俳人でもあるディエゴ・マルティーナさん、演題名は「俳句をイタリア語で詠むー翻訳が活かす『言葉の間(あわい)』」でした。マルティーナさんは翻訳家として俳句をイタリア語へと翻訳する難事業に挑んでいるのです。
もちろんこれまでにも、俳句を外国語に翻訳する試みは繰り返して行われてきました。マルティーナさんはその代表として「古池や、蛙飛び込む水の音」というあまりに有名な芭蕉の句をラフカディオ・ハーンとドナルド・キーンがどのように訳しているかを示しましたが、行数、冠詞の有無、現在形・過去形、複数・単数、使う動詞など、じつは全く異なっているのです。マルティーナさん自身はイタリア語の特徴を翻訳に活かすことを常に考えながら作業しているのですが、みなさんご存知のように俳句は五・七・五の詩型を持ち、かならず季語を持つという原則があります。その詩型をイタリア語でも可能な限り守りたいのですが、例えば日本語の「春」は2音ですが、「primavera」は4音ですから、そのまま翻訳したのではリズムが合わなくなってしまうのです。そのため、語順を変える、使う言葉を変えるなどさまざまな工夫が必要になります。
またさいわいイタリアにも四季がありますので、季語を使う事自体は理解されやすいのですが、イタリアには存在しない季語もたくさんあります。「こたつ」「お水取り」「初夢」「小春」をどう翻訳するのか、まさに文化の問題に直面することになるのですが、一般的な法則があるわけではなく、それぞれの句の内容と背景とを考えながら翻訳しているのだそうです。また俳句には切れ字というものがあります。かな、けり、らむ、や、などです。これらもそれぞれの句で持っている意味が異なるので、それに応じて、ときにはハイフェンやコンマを活用しながら翻訳しているということです。しかしマルティーナさんはすべてとは言わないが、基本的に俳句を翻訳することはできるし、それをイタリア人に味わってもらう事もできる、と力強く断言していました。さらに翻訳が進んで、さらに多くのイタリア人が俳句に親しむようになってほしいと思います。
最後に芭蕉の「古池や、蛙飛び込む水の音」のマルティーナさんによるイタリア語訳を挙げておきましょう。
Il vecchio stagno - vi salta una rana, suono dell’acqua
マルティーナさん、大変興味深いお話をありがとうございました。
(橋都浩平)
第523回例会 ※リアル会場とGoogle Meetでハイブリッド開催済み
日時:2024年9月20日(金)19:00~21:00 (JST 質疑応答含む)※開催済み
場所:レンタルスペース針谷第二ビル4F
文京区本郷2-28-1 針谷第二ビル4F(1Fに「ゆうき屋」が入っているビルの4F、下記サイト参照)
https://maps.google.com/maps?q=35.7061578524805,139.7597709152634&zoom=16
講師:濱口和久氏(拓殖大学 地方政治行政研究所 特任教授・防災教育研究センター長)
講師略歴
防災大学校材料物性工学科卒、名古屋大学大学院環境学研究科博士課程単位取得満期退学。防衛庁陸上
自衛隊、元首相秘書、日本政策研究センター研究員、栃木市首席政策監などを経て、現在は拓殖大学地方政治行政研究所特任教授・防災教育研究センター長、日本大学法学部公共政策学科非常勤講師(消防政策)、東日本国際大学健康社会戦略研究所客員教授、日本航空学園理事長室アドバイザー兼特別講師、稲むらの火の館(濱口梧陵記念館・津波防災教育センター)客員研究員、一般財団法人防災教育推進協会理事長、日本危機管理学会理事、日本CBRNE学会 理事、滋賀県近江八幡市安土城復元推進協議会副会長、産経新聞社「正論」執筆メンバーなどを務めている。
日本危機管理学会「学術貢献賞」を受賞。
演題:日本がイタリアの防災対策から学ぶべきこと
概要
今年の元日に起きた能登半島地震は、日本人に改めて地震は私たちの都合に関係なく襲ってくることを認識させました。一方、人間の力では地震を防ぐことはできませんが、発災への対策や備えをすることは可能です。しかしながら、能登半島地震が起きてからの自助・共助・公助の姿を見ると、日本の防災対策は何もかもが不備だらけだということが明らかになり、被災者目線とは程遠い体制が続いています。日本と地形的、災害の起きる度合いからも、よく似ている国がイタリアです。イタリアの災害対応力は、
被災者目線の体制を整備し、世界的にもレベルの高い防災体制を敷いています。特に日本の避難所とイタリアの避難所とでは環境に雲泥の差があります。日本の避難 所は海外から難民キャンプと言われるぐらいに劣悪です。今回は日本とイタリアの防災対策の違いを比較しながら、日本がイタリアの防災対策から学ぶべき「防災思想」について考えていきたいと 思います。(濱口 和久)
9月20日にイタリア研究会第523回例会が開かれました。
今月は防災月間、演題もそれにちなんで「日本がイタリアの防災対策から学ぶべきこと」で、講師は拓殖大学・地方政治行政研究所特任教授の濱口和久さんです。今年の元旦の能登半島地震でも明らかになったように、日本はこれだけの災害大国でありながら、災害に対する初動が遅く、被災した避難民の生活環境の劣悪さは目を覆うばかりです。同じように災害大国であるイタリアから学ぶべきことはあるのでしょうか。濱口さんはかつてからイタリアの防災対策に注目して発信してきましたが、8年前の熊本地震では全くと言っていいほど反応がなかったのが、今回の能登半島地震では大きな反響があり、日本の防災対策が変わってゆくことに期待をしているという事です。
講演は3つのパートから成っています。
①日本の災害リスク②日本がイタリアから学ぶべきこと③日本人の災害意識です。
①では、地震はもとより、火山噴火、台風や線状降雨帯による水害・土砂災害など、日本に安全な場所はない事が示されました。そしてさらに問題なのは都市化・文明化によって、結果としての災害が等比級数的に増大する事です。すべてを電子機器に頼る連絡・通信網、ガラスで覆われた高層ビル、地下鉄網・高速道路網へのリスクなどですが、これらに対して配慮された都市開発が行われているとは思われません。
②については、イタリアの災害対策の組織と実際の災害時の装備が強調されました。日本の災害対策の最大の弱点は、常在の専門の組織がなく場当たり的で、多くの省庁からの出向に頼っている事ですが、イタリアには専門職員700人規模の災害防護庁があり、ここで民間のボランティア組織の統合までを行っています。国会を開く事ができないような激甚災害であっても、ここが中心となって迅速な対応をする事ができます。実際の装備は、冷暖房、トイレ、シャワー、簡易ベッドを備えたテント村があっという間に出現し、さらにキッチンカーと専門の料理人も出動して、温かい食事を提供します。難民キャンプ以下と言われる日本の避難所生活とは大違いです。またイタリアには東海岸と西海岸に1隻ずつの病院船が配置されており、平時には巡回診療や訓練を行ないながら、災害時の出動に備えています。陸上の被害が大きな災害時には司令塔の役割を果たすこともでき、日本にもぜひ備えるべきですが、話が出るたびに立ち消えとなっているのが現状です。
③については、日本特有とも言うべき、その場限りの対応で乗り切る、喉元過ぎれば熱さを忘れるという心の持ちようが大きな問題であり、”防災”に最も重要なのは”忘災”を避けること!というのは、まさに耳の痛い警句でした。濱口さんはニューレジリエンス・フォーラムの事務局長として、政府に多くの提言を行っていますが、国レベルから個人レベルまで、何かが起こった時ではなく、それまでに何をしておくかが何よりも重要であり、無関心層の解消のために、今後も啓蒙活動と提言を続けて行きたいとの事でした。本当にためになる、迫力のある講演でした。ぜひ皆さん、オンライン配信を視聴してください。濱口さん、ありがとうございました。
(橋都浩平)
第522回例会 ※リアル会場とGoogle Meetでハイブリッド開催
日時:2024年8月24日(土)16:00~18:00 (JST 質疑応答含む)
場所:
今回は下記会場とビデオ会議システム Google Meetでハイブリッド開催します。
2024年 8月 24日( 土 16:00 18:00 JST・質疑応答含む)
開場時間 【 リアル 会場】 15:30 【 オンライン 会場】 Google Meetの会議室は 15:50から入場可
早稲田大学戸山キャンパス 31号館 102教室 新宿区戸山1-24-1
https://www.waseda.jp/top/access/toyama-campus
講師:奥田耕一郎氏(早稲田大学イタリア研究所招聘研究員)
講師略歴
早稲田大学大学院理工学研究科博士後期課程単位 取得退学。ミラノ工科大学留学。博士(工学)。早稲田大学理工総研助手、次席研究員を経て 現在 早稲田大学イタリア研究所招聘研究員。専門は建築歴史・意匠。特にイタリアを中心とする西洋建築史、近現代建築史、デザイン史。早稲田大学、東京外国語大学、國學院大学、鎌倉女子大学非常勤講師。主な著作に(分担執筆)『世界建築史ノート』(中川武編・東京大学出版会・ 2022 年)、(分担執筆)『教養のイタリア近現代史』(土肥秀行/山手昌樹編・ミネルヴァ書房・ 2017 年)など。
演題:ファシズムの建築をいまどうながめるか《difficult heritage 》と20世紀の建築
概要
ムッソリーニとその体制が、イタリア各地に無数の建築を建設したことはよく知られています。それらは数多く現存し、自治体の庁舎をはじめさまざまな用途で利用されています。その世界的に有名な例のひとつは、ローマのエウル地区にたつ「イタリア文明館」でしょう。「四角いコロッセオ」のニックネームをもつこの建築は、 2013年から民間企業にリースされ、その本部施設として使用されています。しかし、ファシズムの建築に対するこのような積極的な活用姿勢はたびたび議論を呼び、この「イタリア文明館」の事例では、アメリカからも批判の声が上が りました。これらファシズムの建築に対し、ごく近年の海外の研究者たちは《 difficult heritage》という概念を導入し、新たな視線を注いでいます。それは、状態の良い既存ストックとして現実的な利用が続けられてきたそれらと今後どう向き合っていくかについて、改めて考え始めたということとも言えるでしょう。今回の講演では、ファシズムの建築の多様な様相をこの新たな視点とともに紹介しつつ、その今日的な理解のあり方について、遠く東京から考えてみたいと思います。(奥田耕一郎)
8月24日、早稲田大学戸山キャンパスの教室をお借りして、第522回イタリア研究会例会がハイブリッド形式で開催されました。講師は早稲田大学イタリア研究所招聘研究員の奥田耕一郎先生、演題名は「ファシズムの建築をいまどうながめるか《difficult heritage》と20世紀の建築」でした。
おもに1930年代、ムッソリーニはイタリア各地に多くの建築を建設し、現在でもそれを見ることができます。有名なのはフィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ駅やローマの元「イタリア文明館」で、後者は現在フェンディ社の本社として使用されています。この両者に共通点は感じられませんが、そもそもファシズム建築に様式上の共通点があるわけではなく、そこには当時のヨーロッパから様々な建築様式が流入しているのです。それには大きく分けると①古典主義、②ノヴェチェント・グループ、③合理主義グループがあります。とくに古典主義の本家本元であるイタリアには、モダニズムの伝統は無く、コルビュジエ、グロピウス、ファンデルローエの3大巨匠が創始したとされるモダニズムは、ファシズム建築にも大きな影響を与えました。
さてこうしたファシズム建築をそのまま使用すべきかどうかについては、多くの議論があります。少なくとも一時的には、国民がファシズムに合意していたとする”合意論”がある一方で、ファシズム建築を”汚染された建築”であるとして、使用すること自体がファシズムを容認する事になるという考えもあります。最近はこれを「Difficult Heritage」として扱って、その意味を考えようとする動きがあります。この言葉にはまだ適当な日本語がないのですが「厄介な遺産」とでも訳せば良いのではないかと考えられます。いずれにしてもこれについて考え決定するのはイタリア国民です。奥田先生は外国人の建築史の専門家として、資料調査、フィールドワーク、情報提供を続けてそれに少しでも貢献したいと考えています。その重要な一環として力を入れているのが、ファシズム時代の厚生事業の一つの柱となっていたドーポ・ラヴォーロ施設の調査です。ドーポ・ラヴォーロとは文字通り働いた後の余暇を過ごす公共施設で、劇場、体育館、プールなどから構成されています。多くは大都市ではなく地方都市に建設され、すでに壊された施設もありますが、改装されたり、あるいはほぼ当時のままに残されている施設もあります。その様式はアール・デコも多く、建築史的にも興味あるものだという事です。
負の歴史をどう捉えるかは、どの国にとっても大きな問題です。イタリアのファシズムを建築史という視点から研究されている奥田先生の仕事は非常に貴重で刺激的なものだと思います。どうもありがとうございました。また早稲田大学の教室を使用するのに尽力してくださった運営委員でもある土屋淳二教授、ありがとうございました。
(橋都浩平)
第521回例会
日時:2024年7月13日(土)15:00~17:00 (JST 質疑応答含む)
講師:高城靖之氏(東京都美術館学芸員)
講師略歴
東京都美術館学芸員。慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了。文京区役所アカデミー推進課学
芸員を経て、 2017年から現職。これまで東京都美術館で、「ハマスホイとデンマーク絵画」( 2020年)、「 The UKIYO-E 2020 ─ 日本三大浮世絵コレクション」( 2020年)、「スコットランド国立美術館 THE GREATS 美の巨匠たち」2022年)などの展覧会を担当。専門は 17世紀オランダ絵画。著書に『ネーデルラント美術の精華:ロヒール・ファン・デル・ウェイデンからペーテル・パウル・ルーベンスへ』(共著、ありな書房)、『 17世紀オランダ美術と〈アジア〉』(共著、中央公論美術出版)他。
演題:ジョルジョ・デ・キリコ 謎に満ちた作品と生涯
概要
東京都美術館では 8月 29日まで「デ・キリコ展」が開催されています。
本展は 20世紀を代表する画家ジョルジョ・デ・キリコの回顧展で、日本での回顧展としては過去最大規模のものになります。イタリア人の両親のもと、ギリシャに生まれたジョルジョ・デ・キリコは 1910年ごろから描いた「形而上絵画」でピカソなどから注目され、サルバドール・ダリやルネ・マグリットといったシュルレアリストをはじめ、多くの画家に影響を与えました。
しかし、 1920年ごろから、過去の巨匠の名作に傾倒し、伝統的な絵画を描くようになります。その後は、前衛的な形而上絵画と伝統的な絵画の両方を描いていきます。 80歳を迎えた 1968年 ごろからは、それまで描いてきたモティーフやテーマを自由に組み合わせた「新形而上絵画」と呼ばれる絵画を描き、 90歳で亡くなるまで精力的に創作活動を続けました。本講演会では展覧会の出品作とともに、巨匠デ・
キリコの生涯をご紹介いたします。(高城靖之)
7月13日、イタリア研究会第521回例会がオンラインで開催されました。現在、東京都美術館で開催中のデ・キリコ展がテーマで演題名は「ジョルジョ・デ・キリコ 謎に満ちた作品と生涯」、演者は東京都美術館学芸員でこの展覧会を担当された高城靖之さんです。デ・キリコと言えば、1910年代から20年代にかけての形而上絵画が有名ですが、その後も彼の作風はかなり極端な変遷を重ねており、さらに過去の自分の作品のパロディーのような作品も制作しており、なかなか理解し難い点があります。今回の展覧会では年代別に展示したのではわかりにくい彼の制作の歴史を、テーマごとに再編する事で、それがわかりやすくなるように工夫されています。
デ・キリコはイタリア人の両親のもと、ギリシャで生まれ父親が亡くなった後に家族で移住したミュンヘンで美術教育を受け、その後にパリ、イタリア、アメリカで制作を続け、最後はローマで90年の生涯を終えました。彼は自分が受けた美術教育には不満があったようで、それよりもニーチェの哲学やベックリンの象徴主義の絵画に大きな影響を受けました。そしてフィレンツェのサンタ・クローチェ広場で受けた啓示によって、いわゆる形而上絵画を描くようになります。その特徴は極端なそして歪んだ遠近法、現実にはあり得ない建物や彫像の比例、人物は描かれずにその影だけが描かれる人間不在感で、これにより画面には非現実的な不安感が横溢しています。この形而上絵画がシュールレアリストたちに評価されて、彼は一躍時代の寵児となりますが、その後にそのスタイルを捨てて、古典的絵画を描くようになり、シュールリアリストたちとは反目しあうようになります。彼は歴史上の或いは同時代の偉大な画家たちから学び、その技法を取り入れることを厭わず、その一部を挙げるだけでも、ティツィアーノ、ベラスケス、レンブラント、ファン・ダイク、ピエロ・デラ・フランチェスカ、ルノワールと非常にバラエティに富んでいます。とは言っても、彼の作品の独自性は明らかで、画面に見られるどこか比例の崩れた非現実性は、デ・キリコならではと言えると思います。
彼は生涯の最後に画廊との契約を破棄して、画廊の要求を考慮せずにおそらく自分が描きたいと考えた作品を残しているのですが、その一つが「オデュッセウスの帰還」です。彼のかつてのモチーフを主題とした絵画や家具の並ぶ室内の海(!)をオデュッセウスが手漕ぎボートで進んで行きます。その先には開かれたドアとその奥の見えない世界が広がっています。高城さんはこの絵は彼の晩年の想いを表しているのではないかと解説しています。展覧会は8月29日まで、7月9日から16日は休館中です。一般的には馴染みのないデ・キリコの彫刻作品も見応えがあります。ぜひ実際に展覧会にお出かけください。
(橋都浩平)
第520回例会 ※リアル会場とGoogle Meetでハイブリッド開催
日時:2024年6月25日(火)19:00~21:00 (JST 質疑応答含む)
場所:ビジョンセンター東京日本橋 302号室 中央区日本橋1-1-7 OP日本橋ビル3F
+オンライン(Google Meet)
講師: 岡田幸司氏(イタリア食材店 PIATTI 店主)
演題: パルミジャーノ・レッジャーノとパルマ産生ハムーD.O.P.のお手本から見えてくるものー
6月25日に第520回イタリア研究会例会がハイブリッドで開催されました。今回はイタリア食材のD.O.P.のお話しで、「パルミジャーノ・レッジャーノとパルマ産生ハムーD.O.P.のお手本から見えてくるものー」で、講師は長年イタリア食材の輸入を行い、目黒区駒場でイタリア食材店「PIATTI」を経営する岡田幸司さんです。
さてDOPとは原産地名称保護制度のことですが、その代表とも言えるパルミジャーノ・レッジャーノ(以下パルミジャーノ)を見てみましょう。パルミジャーノはイタリア北部で広く作られているグラナ・パダーノ・チーズの中で特定の地域で作られるものを指します。この地域で作られるチーズが特別に美味しいことから調査が行われ、牧草に特別な薬草類が含まれ、その発酵にも特別なバクテリアが作用することで、この味が生まれる事がわかったのです。そこでその味を守るために保護協会が設立され、厳密な品質管理を行うことでその味を守り、生産者にも利益をもたらしています。日本で行われているような地方の行政が主導して行う名産品の売り出しとは少し違います。その品質管理は徹底しており、乳牛の種類はもとより、牧草の保存の仕方・それ以外の飼料の種類・細かい製造プロセスにまで及んでいます。そしてパルミジャーノの表面に見られる特殊な点字による刻印によって、偽造ができないようにすると言う徹底ぶりです。保護協会は出来上がるチーズを担保に生産者に資金を貸し出し、これによって安定した生産が可能になります。検査も徹底しており、それに合格した製品だけがパルミジャーノとして流通しているのです。
一方のパルマ産生ハムもその特徴は生産される場所に深く根ざしています。それは海からの湿った風と山から吹き下ろす乾燥した風とが混じり合う地域で、これによって大きな豚の腿肉が適度に乾燥しながら熟成を迎える事ができるのです。その熟成には熟成庫に棲みついた土地由来のダニとカビが大きな役割を果たします。使用される豚腿肉はもちろん厳選されていますが、この土地で生産された物ではありません。ただし遺伝子レベルでトレーサビリティが保証されています。こうして昔ながらの方法で生産され、長期熟成され最終検査に合格した製品だけが、パルマ産生ハムとして流通するようになります。さてイタリアの一部地域におけるアフリカ豚熱の流行により、パルマ産生ハムが日本に輸入できなくなっている事は、多くの方がご存知かと思います。もちろん日本サイドの対応にはそれなりの理由があるのですが、イタリアサイドが必ずしも真剣に対応していないように見えるのには、日本へのイタリアからの生ハム輸入量は、ヨーロッパ諸国やアメリカと比較して、圧倒的に少ないという理由があるのだそうです。残念ながらパルマ産生ハムを日本で食べる事ができるのには、まだかなりの時間がかかりそうです。
日本での地方の名産品の生産には、パルミジャーノやパルマ産生ハムのような厳密さがなく、このままでは悪貨が良貨を駆逐する事にもなりかねません。ぜひこうしたイタリアの成功例から多くの事を学んで欲しいものと思いました。岡田さん、長年の経験に基づくお話をありがとうございました。関心を持たれた方、ぜひ岡田さんのお店「PIATTI」を訪ねてみて下さい。さまざまな食品を見るだけでも楽しいですし、もちろん購入すれば、美味しさを手に入れる事ができます。
(橋都浩平)
第519回例会 ※リアル会場とGoogle Meetでハイブリッド開催
日時:2024年5月20日(月)19:00~21:00 (JST 質疑応答含む)
場所:ビジョンセンター東京日本橋 604号室 中央区日本橋1-1-7 OP日本橋ビル6F
+オンライン(Google Meet)
講師: 横山淳一氏(医学博士 オリーヴァ内科クリニック院長)
演題:美味と健康増進をオリーヴァ樹の恵みに求めて ーイタリアに学ぶー
5月20日、イタリア研究会第519回例会がハイブリッドで開催されました。演題名は「美味と健康増進をオリーヴ樹の恵みに求めてーイタリアに学ぶー」、講師は元慈恵会医科大学内科教授で、現在は地中海食を診療にも取り入れたオリーヴァ内科クリニックの院長である横山淳一先生です。
古来より地中海沿岸でオリーヴは聖なる木として崇められ、人々はその恵みを享受してきました。イタリアでも特にかつてギリシャの植民地が点在し、その文化を受け入れたマグナ・グラキアと呼ばれた南イタリアがそれに当たります。しかしオリーヴ油の価値が科学的に確認されたのは、実は比較的最近の事で、それはバターなどの動物性脂質と一緒に議論されていたからです。それが1960年台からオリーヴ油使用地域に心筋梗塞などの冠動脈疾患が少ないことが注目されるようになり、1973年には地中海食の意義を強調した米国ミネソタ大学の疫学教授Ancel Keys の著書が登場してブームとなりました。彼はサレルノ近くのアッチャロリに移り住んで、自らも地中海食を実践し2004年に100歳で亡くなりました。彼以降の膨大な数の論文によってオリーブ油、赤ワインを中心とした地中海食の健康への効果は確かなものとなり、肥満、糖尿病、肝動脈疾患、認知症が少なく、健康寿命も長いことが証明されています。
オリーブ油がバターなどの動物性油脂や調合サラダ油と異なるのは、不飽和脂肪酸であるオレイン酸が多く、コレステロールとくにLDLコレステロールを上昇させにくい事ですが、それだけではなく多種のポリフェノール、微量成分が含まれていることです。こうした複合的な作用が健康をもたらすと考えられます。日本食も一般的に健康的と言われますが、地中海食におけるようなエビデンスは実は乏しいのです。横山先生は日本食の健康上の問題点として、塩分が多い、砂糖を使用する、主食の白米が血糖値を上げやすい、油脂類の使用量が少ない、を挙げていますが、そこから「地中海和食」を提案しています。玄米のご飯の上に、オリーブ油で調理した卵焼きにトマトを加えて乗せるという驚くべきメニューを提示しておられましたが、とても美味しいという事です。いずれにしてもオリーブ油を使用する限りは、油脂の使用量に神経質になる必要はなく、パスタは白米に比べて膵臓に対する負荷が圧倒的に少ないという事ですから、これからも典型的地中海食であるイタリア料理を食べ続けて、長い健康寿命を手に入れようではありませんか。
横山先生、わかりやすくためになるお話をありがとうございました。(橋都浩平)
第518回例会
日時:2024年4月13日(土)15:00~17:00(JST 質疑応答含む)
講師:水野 千依(みずの ちより) 青山学院 大学 文学部 教授
演題:ルネサンスの肖像と詩芸 ~ 生と死のあわいで
概要:
古代ローマの著述家大プリニウスによれば、絵画芸術の起源は、おそらく戦地へと旅立つ恋人の影をなぞった肖像にあるといいます。生と死のはざまで生みだされた肖像が、愛するものの死を悼み、不在を埋め合わせるとは、なんとロマンティックなことでしょうか。この逸話はルネサンスにもよく知られ、人文主義者アルベルティは「絵画は不在の人を現前させるばかりか…死者を生きているかのように現前させる神のごとき力をそなえている」と芸術の技を称揚しています。
生命を欠いた物質にすぎない絵や彫刻が語り、動き、見るものに嫉妬や愛情を抱かせる…この「生けるがごとき肖像」というテーマは、本来は古代の詩芸において流行したもので、その伝統を復興したのが 、 イタリア を 代表 する 詩人 フランチェスコ・ペトラルカです。恋愛詩のなかで、もはや天上の人となった愛しいラウラの面影を追い求め、言葉で肖像を綴った彼の詩の影響は大きく、レオナルドやラファエロなど ルネサンス の 画家たちも詩 芸 と 競合するように絵筆をとりました。
講演では、肖像と詩芸の競合のなかで肖像がいかに息づいていたのかを考えます。(水野 千依)
講師略歴:
美術史家。青山学院大学文学部教授。専門は西洋中世・ルネサンス美術史。フィレンツェ大学留学を
経て、 1997年 に京都大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(人間・環境学)。
2000年より京都造形芸術大学(現在:京都芸術大学)専任講師、准教授、教授を経て、
2015年より現職。
単著『イメージの地層:ルネサンスの図像文化における奇跡・分身・予言』(名古屋大学出版会、 2011年、第 34回サントリー学芸賞、第 1回フォスコ・マライーニ賞、第 7回花王芸術・科学財団美術に関する研究奨励賞受賞)、『キリストの顔:イメージ人類学序説』(筑摩選書、 2014年、第 20回地中海学会ヘレンド賞受賞)、共編著『聖性の物質性:人類学と美 術史の交わるところ』(三元社、 2022年)、共著『はるかなる「時」のかなたに:風景論の新たな試み』(三元社、 2023年)、他。
4月13日、第518回イタリア研究会例会が開かれました。演題名は「ルネサンスの肖像と詩芸:生と死のあわいで」、講師は青山学院大学文学部教授の水野千依先生です。肖像画とは現代の我々が考えるような単なる似顔絵ではありません。大プリニウスはその起源を、戦地に赴く若い戦士の壁に映った横顔のシルエットをなぞった習慣に求めていますが、この世を去った者の面影を止めるという役割をその始原に持っていたことになります。しかし古代には芸術がその亡き者の性格や魂までも表すことはできないとされていました。
ルネサンスになり、肖像画の伝統が復活すると、その目的は為政者の偉大さを示すだけではなく、市井に生きた庶民の思い出としても描かれるようになり、肖像に魂を与えようという芸術家たちの意欲が明白になってゆきます。それに大きな影響を与えたのが詩人のペトラルカです。彼は友人であったシモーネ・マルティーニが描いたラウラの肖像画を絶賛し、すでに亡くなっているラウラの魂が感じられると歌いました。また当時、死者のデスマスクを作ることが流行し、当時のフィレンツェではどの家にも、デスマスクを基に制作された故人の肖像画や彫刻があったという事です。それに対して、生きている人物の肖像画に、自らの技量によって魂を与えようという画家も現れ、その代表がレオナルド・ダ・ヴィンチとラファエロでした。レオナルドの描いた「ジネブラ・デ・ベンチ」、「チェチーリア・ガットラーニ(白テンを抱く少女)」、そしてあの「モナ・リザ」においてそれを証明してみせました。特にモナ・リザにおいては、個性を消して普遍的な肖像画とすることによって、その内面や魂が表され観る者は彼女と対話をしている様に感じることができるのです。
一方でラファエロはモデルの個性を描き切ることによって、生けるが如き生々しい肖像画を描くことに成功します。その代表が人文主義者で外交官でもあった「バルダッサーレ・カスティリオーネの肖像」です。この作品は彼とラファエロとの友情の成果とされ、彼が任地にある間には、彼の妻と子どもがこの肖像画を眺めて心を慰めたとされていますが、それくらい生き生きした肖像画であると言えるでしょう。ところがカスティリオーネには実は人妻である愛人が居て、彼は鏡の裏にその肖像画を隠し、秘密のシャッターを開くことによって、それを見ることができる仕組みを作っていたということです。自分が鏡を覗き込むことによって、その裏に居る愛人と一体化できるという感覚を楽しんでいたのかもしれません。こうしてルネサンスの肖像画の歴史を辿ると、それがまさに生と死とのあわいに生まれ、成長してきたということがわかります。またそれが視覚芸術の中だけではなく、文学の影響も受けながら発展してきたこともわかるかと思います。
水野先生、美術史の範疇にとどまらない、文化史的な視点からのルネサンスの肖像画の大変興味深いお話をありがとうございました。(橋都浩平)
日時:2024年 3月 30日(土) 15:00 17:00 JST・質疑応答含む)
※開場時間 リアル参加 14:30/オンライン参加 14:50
場所:今回は下記会場とビデオ会議システム Google Meetでハイブリッド開催します。
ビジョンセンター東京日本橋 3階 302号室 中央区日本橋1-1-7 OP日本橋ビル
演題:イタリアでもトラム・ルネサンスの動き~世界の動向から探る
講師:市川 嘉一(いちかわ か いち) 都市・交通ジャーナリスト
概要:
1990年代以降、欧米では車に依存しすぎないためのまちの活性化策として
トラム(路面電車)導入の動きが急速に広がってきたが、イタリアでもその波と
無縁ではなく、 21世紀に入り新たなトラムの開業が相次いでいる。シチリア島東
端の都市メッシーナを皮切りに、サルデーニャ島のサッサリ、カリアリの2都市
でも開業。 2007年3月にはパドヴァではゴムタイヤ式のトラムが導入された。そ
して、 2010年2月にはフィレンツェでも約 50年ぶりに郊外路線としてトラムが
復活。街なかと大学病院や空港を結ぶ新たな路線も 2018年から 2019年にかけて誕 生した。見逃
せないのは、 EUや国の支援強化により、ポスト・コロナ時代のまちづくりとして、何度も頓挫し
てきたボローニャで建設が始まるなど復活の計画が広がっていることである。イタリアでも遅れば
せながら、ちょっとした「トラム・ルネサンス」が進行していると言えるだろう。講演では近年に
おける世界の動向も交えながら、画像を多数使い旅気分でイタリアのトラム開業都市や新たな動き
を紹介したい。(市川 嘉一)
講師略歴:
1960(昭和 35)年埼玉県生まれ。 84年早稲田大学卒。 2015年埼玉大学大学院理工学研究科博士後期
課程修了。日本経済新聞社入社。東京本社編集局経済解説部記者、地方部次長、産業地域研究所主任研究員などを経て 2018年退社。国内外のまちづくりや都市・地域交通の現場を多数取材、 2020年から月刊専門誌『運輸と経済』 にコラム「交通時評」を長期連載するなどジャーナリスト・評論活動を続けるとともに、立飛総合研空所(東京・立川市)で理事を務める。大学非常勤講師のほか、国の交通政策審議会地域公共交通部会委員などを歴任。主な著書に『交通まちづくりの時代』など。近著に『交通崩壊』(新潮新 書)がある。イタリアのトラムに関しては日伊協会機関誌『 CRONACA』 167号( 2021年春号)に特集記事「イタリアのトラム新時代」を執筆。
3月30日、イタリア研究会第517回例会がハイブリッド形式で開かれました。演題名は「イタリアでもトラム・ルネサンスの動き:世界の動向から探る」、講師は都市・交通ジャーナリストでイタ研会員でもある市川嘉一さんです。市川さんは昨年「交通崩壊」という著書を上梓され、この本は今年の交通図書賞を受賞しています。
さて20世紀はモータリゼーションによって都市が発展してきましたが、その限界も明らかになっており、ヨーロッパを中心としてそれを見直した都市改造・交通政策が次々と実現しています。その中心にLRTのような高規格路面電車を含むトラムの復活があります。世界で路面電車の営業キロ数が長いのは順にフランス、米国、中国、トルコ、スペイン、イタリアとなっており、イタリアはヨーロッパの中でもトラムが活躍している国なのです。イタリアでは国の政策と共に、EUとのコラボレーションによって各都市でトラムが新設されたり復活したりしています。その実情を見てみましょう。
イタリアにおいても各都市にかつてはトラムの路線が縦横に走っていました。しかし日本と同様モータリゼーションの到来と共に、次々と廃止の道を辿っていました。その中でミラノでは例外的にトラムが市民の足として守られてきており、現在でも路線長はイタリア最長でヨーロッパ有数の規模を誇っています。1928年の開業以降の古い電車が修理されながら使われてきましたが、最近はそれに変わるスイス製の電車が導入され、郊外に向かってはLRTの走る新しい路線も延伸されています。ローマでもかつては59系統140kmの路線がありましたが、現在は6路線31kmになっています。しかしローマ市がこれを都市ブランドとして復活させようとする動きもあります。トリノでは7系統76kmが営業しており、循環路線が中心です。週末のみの観光路線やサッカーの試合に合わせた路線運行といったユニークな試みも行われています。
特筆すべきはフィレンツェで、完全廃止後50年を経て新しいLRTによる運行が開始されました。利便性を高め、車からの乗り換えを促進するために、4分間隔で運行され運行時間も5時から25時と非常に長くなっています。郊外の住宅地と街の中心だけではなく、大学病院、オペラ劇場、空港などを結び市民の足を確保するという基本理念が徹底しており注目されています。ドゥオーモの近くを通る路線は反対が出て中止されていますが、将来はドゥオーモの側をトラムが走る風景が見られるようになるかもしれません。またさらにこれらよりも規模の小さな都市、ボローニャ、ピサ、ブレーシャ、トレントなどでもトラムの復活が計画されており、イタリアのトラム・ルネサンスはどうやら本物のようです。
日本でも同じ動きが起こるのかどうかが問題です。市川さんは、地方自治体だけではなく国も関与しなければ難しい事、建設だけではなく運営にも補助が必要な事、その為にはどのような都市を作るのかという基本計画が必要な事、導入に当たっては当局だけではなく、計画段階から利害関係者や市民団体との連携が必要である事、を挙げていました。市川さん、貴重なお話をありがとうございました。日本でもヒューマン・サイズの都市計画・交通計画が行われるようになることを期待したいと思います。
(橋都浩平)
第516回例会 ※Google Meetでオンライン開催
日時:2024年2月20日(火)20:00~22:00(JST 質疑応答含む)
講師:上野真弓氏(美術史研究家・翻訳家 ローマ在住)
講師略歴:
1959年生まれ。イタリア語書籍翻訳家、文筆家。ツーリズム別府大使。成城大学文芸学部芸術学科西洋美
術史専攻卒業。英国留学後、 1984年よりローマ在住。ローマにてイタリア語とイタリア美術史を学ぶ。専業主婦ののち、趣味と実益を兼ねて 2016年に 翻訳家デビュー。訳書にコスタンティーノ・ドラッツィオの『レオナルド・ダ・ヴィンチの秘密』『カラヴァッジョの秘密』『ラファエッロの秘密』(いずれも河出書房新社)、出口治明氏との共著に『教養としてのローマ史入門』(世界文化社)がある。最新刊は、訳書『ミケランジェロの焔』(新潮クレスト・ブックス)。
演題:ミケランジェロ、彫刻の変遷と「最後の審判」の背景にあるもの
概要:
ミケランジェロの彫刻は実質的にピエタで始まりピエタに終わる。 24歳で制作した最初の「ヴァ ティ カンのピエタ」は最も古典的完成度を極めており、20代後半でもう一つの古典的彫刻「ダヴィデ」を彫ると、その後は古典的完成度を捨てる。死の直前まで彫り続けた最後の「ロンダニーニのピエタ」は抽象的
で未完成だ。彼の彫刻はどのように変遷していくのか、それは何故なのかを探る。
また、ミケランジェロの彫刻に不可欠だった大理石の採掘場カッラーラの様子も紹介する。次にシスティーナ礼拝堂の祭壇画「最後の審判」について考察する。完成後、激しい非難を浴びたフレスコ画は、 1563年にトリエントの公会議で陰部を覆う腰布の加筆が決まった。
ナポリのカポ・ディ・モンティ美術館にはミケランジェロのオリジナル作品の模写が残っている。
それを見ると人物像が全裸で描かれているだけでなく、過激な描写があるのに気づく。この絵の何が問題だったのか、また何故このようなスキャンダラスな絵を教皇の礼拝堂に描いたのかを探る。
ラファエッロがこの絵から受けた影響にも触れる。(上野 真弓)
2月20日、イタリア研究会第516回例会が開かれました。講師はローマ在住の文筆家・翻訳家の上野真弓さんで、ローマからの配信でした。演題名は「ミケランジェロ、彫刻の変遷と『最後の審判』の背景にあるもの」です。上野さんは成城大学で美術史を学んで英国に留学し、1984年からローマ在住、専業主婦として過ごした後に2016年から翻訳家として再出発したと言うキャリアの持ち主です。
1475年にトスカーナのカプレーゼで生まれたミケランジェロは、若い頃から彫刻の才能を発揮しメディチ家の庇護を受けて成長して行きます。15歳の時の作品ですでに肉体表現の非凡さを見せていましたが、24歳で製作した「ヴァチカンのピエタ」で一つの頂点を極めてしまったと言う事もできます。彼は88年に亘る長い人生の間に、サヴォナローラの台頭や、メディチ家の追放・復活、カール5世の軍勢によるローマ劫掠、たびたびの教皇交代など激動の時代変化を経験しなければなりませんでした。それにより彼の作品も大きな影響を受けて、未完に終わった作品も少なくありません。しかしメディチ家礼拝堂の彫刻群や、ユリウス2世廟の「モーセ」や「囚われ人」の連作が世界美術史に残る傑作である事は誰もが認めるところです。彼は亡くなる直前まで遺作の「ロンダニーニのピエタ」に手に入れていましたが、同じテーマのヴァチカンの作と比べるとあまりの違いに驚かされます。大理石の塊の中から不定形のキリストと聖母とが浮かび上がってくるような遺作は、完璧な技巧とデザインによる後者とは完成度の観点では比べる事もできないのですが、実に感動的です。上野さんは彼の長い彫刻家人生に大きな影響を与えたエピソードとして、あのラオコーン像の発掘と大理石の産地カッラーラでの大理石との対話を挙げていました。
さて彼の最後の大作システィーナ礼拝堂の「最後の審判」は多くの解釈を呼び起こす謎の壁画と呼ぶ事ができます。従来の多くの最後の審判とは画像的に異なる点が多いのもその一つですが、上野さんはこの作品の特徴は全体を覆う不安感で、それはミケランジェロの心を反映していると言います。彼は最後までカトリックの信者で、最後の審判を信じていたと考えられます。それだけに自分が教会が禁止する同性愛者である事、そして芸術家としての傲慢とが罪になるのではないかと恐れていました。そして時はまさに宗教改革の時代で、教皇庁の腐敗を目にする機会も多かった彼にとって、ルターたち新教徒の主張の一部は彼の心をとらえた可能性があります。当時カトリック内部にも改革の動きがあり、その中心にいたのがローマの名門コロンナ家のヴィットリア・コロンナでしたが、ミケランジェロは彼女と多くの手紙や詩のやりとりをしていますので、彼女から多くの影響を受けたと考えられます。ミケランジェロが感じていた最後の審判と自らの救済に対する不安がこの祭壇画に不穏さを与えているのは間違いはないと考えられます。
講演後の質疑応答での、当時の普通の人の感覚からすると、レオナルド・ダ・ヴィンチは宇宙人か未来人だが、ミケランジェロはより人間的であったという上野さんの指摘は印象的でした。またヴィットリオ・コロンナとの間に恋愛感情があったのかと言う質問には、肉体関係はなかったと考えられるが、恋愛感情はあったと即答され、2人の間の手紙や詩をイタリア語で読み込んでいる上野さんならではと感心しました。上野さん、面白い内容を生き生きと講演して下さりありがとうございました。
(橋都 浩平)
第515例会 ※リアル会場とGoogle Meetでハイブリッド開催
日時:2024年1月26日(金)19:00~21:00 (質疑応答含む)
場所:ビジョンセンター東京日本橋 302号室
中央区日本橋1-1-7 OP日本橋ビル3F
+オンライン(Google Meet)
講師: 高田和文氏(静岡文化芸術大学 名誉教授)
演題: 反逆する道化~ノーベル賞劇作家ダリオ・フォーの喜劇~
1月26日、イタリア研究会第515回例会がハイブリッド形式で開催されました。講師は静岡文化芸術大学名誉教授でイタリア語・イタリア演劇がご専門の高田和文先生、演題名は「反逆する道化:ノーベル賞劇作家ダリオ・フォーの喜劇」です。
2016年に亡くなったダリオ・フォーは1997年にノーベル文学賞を受賞しましたが、そのニュースはイタリアにおいてもいささかの驚きをもって受け止められました。というのも、彼はイタリア国内で劇作家というよりも喜劇役者と思われていたからです。彼は1960年代から演劇活動を行なっていますが、元々は軽演劇の出身でフランカ・カメーラと結婚後にその影響もあり、古典的な演劇手法も自由に取り入れながら、政治風刺劇を上演するようになり人気に火がつきます。さらに当時の「熱い秋」の時流にも乗り、共産党系文化団体での上演を続けカウンターカルチャーの旗手と目されるようになりました。その後にイタリアは鉛の時代と呼ばれる左右両側からのテロが全土で頻発する時代となり、演劇界も先鋭化して彼も公安当局に逮捕されるという経過を経て、共産党とは訣別して自らの劇団を創設しました。
その後、彼の演劇手法は伝統的手法に回帰しますが、批判精神は健在で、政治批判から社会批判に向かうようになります。この時期の代表作が「払えない!払わない!」「クラクションを吹き鳴らせ」「法王と魔女」といった作品です。コンメディア・デラルテや古代ローマ喜劇の手法を活用しながら、政治批判、官僚制批判を明るい笑いで表現しています。彼が劇作家としてよりも役者として有名であったと述べましたが、実際にはオペラの演出も行っており、舞台衣装もデザインするというトータルな演劇人でした。彼の特徴は常に庶民の視点からの批判を忘れることがなく、メッセージが明確である事、古典的な手法を用いながら現代の問題にアプローチした事、中世以来の民衆演劇の伝統を復活させ、近代演劇とは異なるジャンルを確立した事、にありそうです。日本では劇団民藝、シアター・カイ、ドラマスタジオなどが彼の作品を上演していますが、必ずしもその回数は多くなく、2023年に高田先生の翻訳による「ダリオ・フォー喜劇集」が出版されたのを機会に、さらに彼の作品に対する関心が深まるのを期待したいという事でした。
晩年のダリオ・フォーご夫妻と親交のあった高田先生の講演は、彼の実際の演技の動画も交えたいきいきとした明快なもので、会場の聴衆もオンラインの聴衆も彼の演劇に対する理解が大いに深まったのではないでしょうか。(橋都浩平)