第527回例会 ※ZOOMでオンライン開催
日時:2025年1月13日(月・祝)15:00~17:00 (JST 質疑応答含む)
講師:川合 真木子氏(千葉大学大学院人文科学研究院 助教)
講師略歴
2008年 3月東京学芸大学教育学部環境教育課程文化財科学専攻卒業。東京藝術大学大学院美術研究科芸術
学専攻、ローマ大学「ラ・サピエン ツァ」文学部にて美術史を学ぶ。 2017年 3月東京藝術大学美術研究科博士後期課程美術専攻修了(博士「美術」)。同大学美術研究科大学院専門研究員、美術学部教育研究助手を経て 2020年 11月より千葉大学大学院人文科学研究院助教。
専門は 17世紀イタリア絵画。『アルテミジア・ジェンティレスキ――女性画家の生きたナポリ――』(晃洋書房、 2023年)にて、第 6回フォスコ・マライーニ賞受賞。
演題:アルテミジア・ジェンティレスキ ーバロック最大の女流画家の知られざる素顔ー
アルテミジア・ジェンティレスキ( 1593-1654以降)は、 17世紀イタリアを代表する女性画家である。彼女は明暗のコントラストの強い劇的な画風で知られており、特に《ホロフェルネスの首を斬るユディト》(ウフィツィ美術館)は、敵を討ち取る英雄的な女性を描いた代表作といえる。
この《ユディト》をはじめとした若い頃の作品は、あからさまな暴力をリアルに描いたものも多く、しばしば彼女が受けた性的暴行とも結びつけられ、ある種の悲劇性と復讐心に満ちた画家の神話を形成してきた。
しかし、改めて美術史やジェンダー史研究の成果を通してみると、アルテミジアは自分の才能を利用して男性中心社会を生き延びた、極めて冷静な職業人としての顔を持っていたことがわかる。彼女は生地のローマのみならず、フィレンツェやヴェネツィア、また晩年には二十年以上もナポリで活躍した。
アルテミジアはいかにして、スキャンダルを乗り越え、国際的な名声を獲得していったのか。彼女の生涯を振り返りつつ、新たな史料やこれまで着目されることの少なかった晩年の作品を読み解きながら、その知られざる素顔に迫る。
(川合 真木子)
1月13日、第527回イタリア研究会例会がオンラインで開催されました。演題名は「アルテミジア・ジェンティレスキ バロック最大の女性画家の知られざる素顔」、講師は千葉大学准教授の川合真木子さんです。アルテミジア・ジェンティレスキ(以下アルテミジア)は17世紀にイタリアで活躍した女性画家ですが、1997年の彼女を主人公とした映画の影響もあり、レイプ裁判の当事者として「me too 運動」のヒロインに祭り上げられてしまい、肝心の画家としての業績が見えにくくなってしまった嫌いがあります。川合さんはこれまで知られる事の少なかった彼女の後半生とくにナポリ時代の地道な研究を長年続け、それが「アルテミジア・ジェンティレスキ 女性画家の生きたナポリ」という大著として結実し、第6回フォスコ・マライーニ賞を受賞しています。
アルテミジアは1593年にローマで生まれました。彼女の父親オラツィオ・ジェンティレスキも著名な画家でカラヴァッジョとも親交があり、画才のあった彼女はカラヴァッジョ派の画家となる運命を背負わされていたともいえます。その側面が最も顕著に現れているのが有名なウフィッツィの「ホロフェルネスの首を斬るユディット」でしょう。彼女はフィレンツェで画家としてのキャリアをスタートさせ、フィレンツェ男性と結婚して4人の子を出産しますが、なぜかその後に夫は失踪してしまいます。アルテミジアはその後短期間ヴェネツィアに滞在した後にナポリに移り、ここで画家として精力的に活動を続け、この地で亡くなったと考えられています。当時のナポリはスペイン支配下にありましたが、パリに次ぐヨーロッパ第2の大都会で文化的にも繁栄を迎えていました。実際の支配者はスペイン副王で、画家が注文を得るためには副王と親しくなり評価される事が必要ですが、彼女には2人の副王の庇護があった事が知られています。またナポリ以前には個人のパトロンの注文に応じて肖像画や神話、聖書をテーマとした比較的小規模な作品を制作していましたが、ナポリでは聖堂内に祭壇画を描くチャンスを得ました。
ナポリの隣にポッツォーリという街がありますが、ここにギリシャ神殿を転用した大聖堂があり、その大改修に際して、アルテミジアが他の画家とともに祭壇画を描く事になったのです。現在残っている彼女の作品は3点あり「円形闘技場のサン・ジェンナーロ」「聖プロクロスと聖ニケア」「マギの礼拝」です。中でもナポリの守護聖人であるサン・ジェンナーロの殉教をテーマとした第1の作品は、ポッツォーリに実際に残っている円形闘技場を絵の背景としていると考えられ、ナポリとポッツォーリとの政治的関係を視覚化したと解釈する事ができる興味深い作品です。この他にナポリでの有力な個人のパトロンとして、シチリアのルッフォ家、プーリアのアクアヴィーヴァ家があり、古文書からも彼女の制作過程を確認する事ができます。この中でアルテミジアは臆せず値段の交渉も行っており、したたかな職業人としての一面もかいま見る事ができます。またナポリにはかなり大きなフィレンツェ人コミュニティがあり、銀行の記録や教会の受洗記録からも、彼女がフィレンツェ以来のフィレンツェ人脈も利用していたことが分かります。
20世紀初頭にアルテミジアはイタリアでは「好色でませた小娘」と呼ばれ、21世紀にはアメリカで「フェミニズムのアイコン」として持ち上げられる事になりましたが、その実像は知性と実務性を備えたプロフェッショナルな画家であったと考えるのが良さそうです。研究が進んでいなかった後半生のナポリ時代を中心としてこれからも研究が進む事が期待されます。川合さん、地道で実証的な研究も踏まえた面白いお話をありがとうございました。
(橋都浩平)